カテゴリ: プロレス!

戦後最大のヒーローは誰か?

北海道から沖縄まで画一的な価値感を共有する日本の場合、この答えは簡単に3人に絞ることが出来ます。

力道山か、長嶋茂雄か、大谷翔平か。

価値観が多様化した21世紀に出現した大谷翔平、引退後も圧倒的な存在感を見せつけた長嶋茂雄は特別な国民的英雄ですが、この二人でも国民を狂乱させた瞬間最大風速で見ると、力道山には及ばないでしょう。

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1950年代に米国をサーキットした力道山は、飛び抜けて敏感なアンテナであの国のエンタテインメントが日本にも遅れて到来することを予見していました。「プロレスは日本でも熱狂的に受け入れられる」という確信は、簡単に現実となります。

そして、彼は米国の人々がプロレスのリングだけに熱狂していたわけではないことも正確に理解していました。

それは「リングの中で最も尊敬されるているのはプロレスラーではなく、ボクシングの世界ヘビー級チャンピオンである」ということです。

1952年5月19日、後楽園球場で世界フライ級王者となった白井義男の熱狂を、プロレスブームを巻き起こす寸前だった力道山がどう見ていたのかはわかりません。

しかし、米国で黄金時代を迎えていたボクシングは「ヘビー級こそ(ある意味でヘビー級〝だけ〟)がボクシング」というのは厳然たる事実でした。

力道山は、おそらく米国修行・サーキットで「白井義男」の名前を聞いたことすらなかったかもしれません。

もちろん、ビジネスに長けたプロレスラー力道山が日本で「本当に尊敬されているのはボクシングの世界ヘビー級チャンピオン」などと口にすることはありませんでした。

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マークシティ裏の坂を登りきったところにあった宮殿の跡地には、ヒューマックス渋谷ビルが立っています。


それでも、軽量級が中心のボクシングをはるかに上回る巨大なプロレスブームを巻き起こし、巨万の財を築いた力道山はナイトクラブや不動産業、レジャー施設などを手掛ける実業家としての顔を見せはじめる中で、日本のプロレスのリングで米国人を倒すのではなく、米国で本当に認められる格闘技の頂点を目指します。

1961年に竣工した渋谷の街一帯を睥睨するリキ・パレスは文字通りの宮殿で、プロレスの常設リング(ボクシングやプロレスの常設のハコは先進国では極めて異例)だけでなくボーリング場やビリヤード場、レストラン、サウナなども内包していました。

さらに、この宮殿でボクシング専門のリキジムも開設、ボクシング界に参入するのです。

当時から外部の刺激に対して過剰なアレルギー反応を起こす閉鎖的な日本ボクシング・コミッション(JBC)と全国のジムで構成される日本ボクシング協会は、力道山の参入にさまざまな制限を加えますが、リキジムはなんとか協会の加盟を認められます。

力道山の夢は「米国で尊敬される世界ヘビー級チャンピオンの養成」であり、目先の軽量級に拘泥する矮小な日本ボクシング界とは見ている方向が全く違いました。

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1962年、力道山がハワイ巡業に出向いたときに、ちょうど10歳年上のボクシングのトレーナーと出会います。エディ・タウンゼントJr.(1914年〜1988年:享年73歳)です。

このとき、力道山は38歳。48歳のエディは当時の感覚ではすでに「老トレーナー」の域に入っていたかもしれませんが、力道山はエディを「日本人の世界ヘビー級チャンピオンを育てて欲しい」とリキジムに招聘します。

エディは、Townsend was born to an American father and a Japanese mother in Honolulu, Hawaii. (米国人の父と日本人の母との間にハワイ・ホノルルで生まれた)とBoxRecやWikipediaなどに記載されていますが、ボクシング・マガジン1988年3月号の「エディさん逝く 愛弟子・井岡弘樹〝勝利の夜〟」によると「父エドワードは日米混血のハーフ、母のヒデコは日系移民2世」とありますから、日本人75%/米国人25%のクオーターになります。

おそらく、正しいのは後者でしょう。



力道山は1963年に赤坂のナイトクラブ・ニューラテンクォーターで暴力団員に腹部を刺されたことで死亡してしまい、二人の関係はわずか1年で終わってしまいますがそのエピソードは豊富です。

リキジムを初めて見学したエディは、怒りを爆発させます。

相撲部屋スタイルの竹刀で選手を叩いて指導しているのを見て「リングで叩かれて、ジムに帰って来てまた叩かれる?!何考えてるの!私はハートのラブで選手を育てる!」と力道山のやり方に断固反対し、最後はあの力道山が折れたというのは最も有名な逸話です。


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若き?(すでに50歳オーバーの)エディと藤猛。


ハワイ時代から旧知の藤猛がリキジムを偶然訪れ、エディは世界ジュニアウエルター級チャンピオンに育て上げました。

しかし、リキジムは強力なオーナー力道山を失って自然消滅。「ジプシー」と呼ばれたエディの流浪のトレーナー人生が始まります。

それから…海老原博幸、柴田国明、ガッツ石松、友利正、井岡弘樹。強烈な個性を放つチャンピオンを育て上げ、赤井英和とカシアス内藤というチャンピオン以上の魅力を放つファイターもリングに送り込みました。


https://www.tiktok.com/@alain.delon731/video/7660241904428272914

#緑の日々 #PV #オフコース #小田和正 作詞作曲 #清水仁 主演 高樹沙耶 富樫要 松尾一彦 大間ジロー
エディ・タウンゼント
昭和 ヒット曲 名曲 JPOP ニューミュージック


しかし、力道山と約束した「米国からも尊敬される世界ヘビー級チャンピオン」にはアプローチすることすらできないまま、名匠がカンバスに絵筆を振るった最後の作品は、力道山が全く知らない未来に作られたクラス、約47.6kgのストロー級の井岡弘樹になりました。

「ヘビー級の夢」を託されたエディが育てた最重量のチャンピオンは、皮肉なことに最初に手がけた藤猛だったのです。


もし、力道山が生きていれば「世界ヘビー級チャンピオン」の夢はもっと現実に近づけたかもしれません。



これほど日本人の体格が向上したというのに「世界ヘビー級チャンピオン」など夢に見ることすらなく、日本が好き勝手できるライト(軽量)級未満の層が薄く競技レベルも低い超軽量級ゾーンで、PFPのような弱者救済ランキングに注目しているのが現代の〝日本ボクシング黄金時代〟の実態です。

藤猛や柴田、石松のような米国で関心が持たれる階級ですら、もはや憧れの領域。

リキジムの時代よりもボクシングの世界だけが、日本人の体格がどんどん貧弱になっているという、あまりにも悲しすぎる惨状です。

井上尚弥を見る眼がある人がいたなら「今は複数階級制覇の時代だから、無理矢理にでもジュニアフライ級からタイトルを拾っていこう」ではなく、プロテストを受けたジュニアフェザー級をも飛び越えてフェザー級以上の体を作りあげ「誰もやったことがない冒険をしてみるか?成功したらカネには困らないが、孤独だ。日本のリングには重要な試合ほど上がれない。ラスベガスかニューヨーク、ロンドンで最強のビッグネームばかりと戦うことになる」と、ホンモノのT-モバイルアリーナを目指していたかもしれません。

ただ、アマチュア時代の井上を見抜く人などどこにもいませんでした。大橋秀行と真吾は論外、本人すらも。

それは、デビューから咬ませ犬を用意したことからも明らかです(井上信者は「強い相手としかやらない契約」なのにそんなわけないと言い張るでしょうが)。

もちろん、彼らは「レベルの高いフェザー級デビューなんてさせてたら潰されてしまって、PFP1位の尚弥はなかった」というかもしれませんが…。

マニー・パッキャオの不認知階級から人気階級への殴り込み、大谷翔平の絶対不可能と言われた二刀流への挑戦… ボクシングに限らず、スポーツが孕む究極のカタルシスはハイリスク・ハイリターンです。



来月でエディさん生誕92年。天国に招かれて18年。まだ生きていてくれていてもおかしくない年齢です。




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お盆休みで横浜に帰りました。

それにしても、今年の夏は暑い!暑い!!暑すぎる!!!

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自分ちに戻る手前、少年野球関係で馴染みの鶴見で降ろしてもらって、野球場近くにある以前から気になっていた「おきなわ物産センター」へ。

しかし、暑い…。


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むむむ、有楽町あたりにあるアンテナショップとは一線を画するディープな雰囲気です。

こういうお酒を求めて知らない町をふらっと散策するのは、やっぱり一人がいいものです。


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さて!「オリオンって沖縄で飲むと美味しいのに、東京で飲むと今ひとつだよねー」という通説にピリオドを打ってくれるのが「オリオン・ザ・プレミアム」であります!

いろんなバージョンがあってどれも美味しい。

オリオンに限らず、南国のビールは例えばインドネシアの「ビンタン」などは「ジャカルタで飲むとあんなに美味しかったのに、東京では…」なんてことが、あるある。

これはやっぱり、現地の気候がビールに最高すぎるからですね…いや、ビンタンの場合はそうとも言えないかも。


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そして、炙りソーキそば。コーレーグースーを少し多めに垂らします。

いやいや、スペアリブ、とろとろでんがな。冷えたオリプレも美味すぎます。

もはや何も言うことはありません。オリプレをおかわり、泡盛(残波)もあおって、暑熱対策はOKや!かかってこいや!猛暑ッ!!



さーて、鶴見にはもう一つ気になっていたとこがあります。

物産センターからぐわ〜っと京急とJRの高架を潜り抜けて、大本山總持寺へ。

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うううううううう…ビールと泡盛をあおって酷暑の中に飛び込むのは…ダメダメだー。汗が止まらない、体がだる重い…。



さて…總持寺には、13歳のときに一家でブラジルに移住するまで鶴見に住んでいた縁で、スーパースターのお墓があるのです。

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日曜日とあってファンがある程度いるかもと思ってましたが、誰もいません。


ご存知の方も多いでしょうが、アントニオ猪木の墓はもう一つあります。青森県十和田市、南八甲田山の中腹にある蔦温泉旅館近くの小さな墓地にある「アントニオ猪木家の墓」。

蔦温泉旅館、いつか投宿してみたいものです。


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ギミックとケーフェイを艶やかに交錯させる妖しいキャラクターたちの名前に混ざって、亀田興毅もしっかり刻銘されています。

それにしても「獣神サンダーライガー」…最高やなぁ。私のお墓にも、こんなとんでもない名前の人の刻銘が欲しい…。

そういえば、格闘技世界一決定戦50周年記念「アントニオ猪木VSモハメッド・アリメモリアル展Supported by 京王プラザホテル55周年」がちょうど今日、京王プラザホテルで開幕。こっちも行きたいのですが、予定が詰まってて、新宿に寄れそうにありません、無念!




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猪木の墓の前に、セミの抜け殻が落ちていました。

周囲に土や木はないので、どこからか風に乗って、ここまで運ばれてきたのでしょう。



暑すぎる日が続きます。みなさま、ご自愛くださいませ。










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The EPOCH!

エポック(epoch)…そこを境に全く新しい価値観が見出され、全く新しい時代が始まる画期的な出来事。

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【IWGPヘビー級選手権(60分一本勝負)】
1995年10月9日 東京ドーム
◯武藤敬司 (16分16秒足4の字固め )✖️髙田延彦


プロレスには勝敗が決まっています。そのことをさまざまな意味で教えてくれたのが新日本プロレスとUWFインターナショナルの団体対抗戦。

Uの残滓であるUインターは経営難に苦しんでおり「新日がUインターに救済の手を差し伸べた」興行。つまり、最初から「新日がUインターに勝つ」、もっとわかりやすくいうと「プロレスがUに勝つ」というシナリオありきのイベント。

新日はこの年4月の北朝鮮大会(平壌メーデースタジアムに詰めかけた19万人!は全員無料/新日選手はノーギャラ/リック・フレアーら招待選手のギャラ/交通費などは全て新日が負担)で約2億円の赤字を背負っており、日本中のプロレスファンが注目した団体抗争戦は新日にとっても願ってもない興行でした。

東京ドームには開設以来最高の6万7000人の大観衆。記録的な大ヒットとなります。

メインイベントのエース対決は、髙田がローキックと腕ひしぎ十字固めなどUならではの攻撃で優勢に進めますが、武藤はリアルファイトではあり得ないドラゴンスクリューで髙田の足にダメージを与え続けます。

そして、フィニッシュはやはりプロレスの古典芸能である足4の字固めで髙田がギブアップ。

「プロレスがUに勝つ」というストーリーを見事なまでに描き切った、ため息が出るほど美しいプロレス。

プロレスも総合格闘技もその行き先を見失いつつあった時代に、「プロレスの道」「プロレスとは何か」「Uとはなんだったのか」を、誰の目にも見える化した名勝負でした。


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The EPOCH!

エポック(epoch)…そこを境に全く新しい価値観が見出され、全く新しい時代が始まる画期的な出来事。


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格闘技世界一決定戦(時間無制限一本勝負)】
1976年2月6日 日本武道館
アントニオ猪木 (20分35秒TKO )✖️ウィリエム・ルスカ


今から50年前。

アントニオ猪木は四角いジャングルの中と外で、二重の包囲網に絡め捕られてしまいそうになっていました。

一つは、ジャングルの中。プロレス興行に必須のビッグネームの外国人レスラーは、米国の主要団体と強力に提携しているジャイアント馬場の率いる全日本プロレスが独占、猪木の新日本プロレスにはそのコネクションがありませんでした。

もう一つは、リングの外。スポーツの枠組みから追放されたプロレスが世間から浴びていた「八百長」「低俗な見せ物」という冷たい視線です。

どちらも絶対に勝てるわけがない強敵でしたが、猪木は生粋のプロレスラー。二重の包囲網を同時に突破するギミック(巧妙に仕組まれたカラクリやトリック)を発明しました。

馬場のネットワークの圏外にいる「強さに説得力のある外国人との〝真剣勝負〟」で「プロレス最強を証明」しようとしたのです。

〝真剣勝負〟の相手は、いまなおオリンピック同一大会で2階級を制覇した唯一の柔道家、ウィリエム・ルスカ。視聴率34.6%を叩き出したこの〝真剣勝負〟を皮切りに「格闘技世界一決定戦」シリーズはプロレス対柔道、プロレス対ボクシング、プロレス対キックボクシング、プロレス対空手…と、プロレス最強を証明する道を突き進んでいきます。

クライマックスは、同じ年の6月26日にモハメド・アリとの現役のボクシング世界ヘビー級チャンピオンと激突した狂気の大一番。

しかし「格闘技世界一決定戦」シリーズは真剣勝負ではなく、アリ戦を除くと全てプロレスでした。

ルスカとの開幕戦も、もちろんプロレス。ミュンヘン五輪で無差別級と重量級の2階級を制覇したとき身長190cmだったオランダの赤鬼は、まだ成長期だったようで猪木と対戦したときの身長は196cmと計測されました。プロレスお約束のケーフェイです。

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「格闘技世界一決定戦」シリーズには、猪木が二重の包囲網を突破するファンタジックなギミックというだけでなく、現実的なビジネスの側面も持ち合わせていました。

猪木がアリ戦で背負った10億円とも20億円ともいわれる巨額の借金は、現在のテレビ朝日、Nippon Educational Televisio(NET)が肩代わりしましたが、この返済のためにシリーズ化する必要に迫られたものだったのです。

しかし、UFOが空を飛び回り、エリア51で宇宙人が捕獲され、ネス湖で巨大恐竜が暴れ回り、超能力者たちが頑強なスプーンを次々と捻じ曲げていた1970年代に四角いジャングルで起きた超常現象は「プロレス最強」から「最強の格闘技とは?」という究極の命題を追求するムーブメントを発生させました。


そして、猪木が蒔いたギミックから芽吹いた「格闘技世界一決定戦」は、いま米国で大きく花を咲かせています。





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中学3年の秋。県内の練習会に、私は複雑な気持ちで呼ばれました。というのも、もう強豪高校への進学は諦めていたからです。

強豪校への進学が決まってる同級生のパフォーマンスを見ても、負けてるとは思いませんでしたが、悔しさもありませんだ。

ノッカーが、私の守備を見て「山下大輔のようになめらかやなあ」と褒めてくれたのは、今でも覚えています。

そんなプロ野球を代表する名手、山下大輔が韓国釜山で行われたアジア大会に監督として乗り込む飛行機と、たまたま仕事で韓国に向かう私は一緒になったことがありました。

スーツ姿の日本代表団がとにかく眩しく見えました。

しかし…彼らがエコノミーで移動することには衝撃を受けてしまいました。スポンサー関係や大会の運営側はビジネスクラス、私もビジネスクラスで彼らよりも先のアナウンスで飛行機の座席につきました。





昔、むかし。今はなき新大阪新聞というプロレスと暴力団に特化した夕刊紙がありました。そこに知り合いが何匹かいて、いろんなプロレス団体に帯同して取材に行く話をよく聞きました。

新日本や全日本でもプロレス団体の経営はけして余裕があるものではなく「スター選手が結構な距離をバスで移動することもある」と聞いて、やはり衝撃を受けました。



かつて、WBCジュニアウエルター級王者だった浜田剛史は雁屋哲との対談で、ボクシング興行の世界について「カネ持ってるんが一番強いですから」とボソッと語っていましたが、そういうことです。

大谷翔平がどんなに収入があるといっても、ドジャースのオーナーの方の資産の方が遥かに上です。


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ジェイク・ポールの婚約者ユッタ・レールダムがプライベートジェットで移動、開会式を欠席してホテルでくつろぐ様子をSNSにあげて多くの人の反感を買ったミラノ・コルティナ五輪。

その一方で、日本の選手団がエコノミーで移動していることが「アスリートファーストではない」と話題になっていました。

あれだけの国民的関心を集めて、あれだけの感動を与えたアスリートでも移動はエコノミー…それはそうです…五輪選手の多くはスポンサー企業の支援だけで活動を続けることが許されたアマチュアです。

テレビの前で感動の涙を流したほとんど全ての人は、一度も生で観戦したこともなく、観戦することもないのです。そんな人たちが「選手ファーストじゃない」と言っても、4年に一度のせいぜい数十分間しか注目されないのですから、仕方がありません。

それを突き詰めてしまうと、純粋にアスリートとしての魅力だけで報酬を得るのは極めて珍しいことです。


その意味では…ファンが自分の財布からカネを出すPPV歩合で莫大なファイトマネーを稼ぎながら、エンドースメント(競技外での収入)がゼロ!!!だった全盛期の〝マネー〟メイウェザーのなんと潔くてカッコの良かったことか!


やるせない話で、すみませんでした。







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ずっと気になっていたことがあります。

「力道山を探せ」です。

リング誌がまだ「NEWS of the Mat World 」(プロレスコーナー)を内包していた時代。リング誌でも「力道山が大きく取り上げられた」という伝説があります。

日本で2006年に公開された「力道山」(サイダスFNH/日本配給ソニー・ピクチャーズ/上映時間149分)などでも「アメリカは力道山で大騒ぎ」的な描写⬇︎をしています。

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「西岡利晃のMGM」「井上尚弥のT−モバイル」と同じ、力道山側が仕掛けたかなり無理のあるプロパガンダだと考えていましたが、米国でどんなふうに受け止められていたのか、リング誌の記事ではどういう扱いだったのかは分からずじまいでした。

私は大学進学以降、社会人になってからも米国でも多くの友人知人、先生と知り合う幸運に恵まれましたが、「米国で力道山を知った」人に会ったことは一度もありません。

私の狭い交友範囲の中で判断すると「力道山が米国プロレスシーンでセンセーションを巻き起こした」というのは、おそらく事実ではありません。

ただ「リング誌リング誌でどういう扱いだったのか」については、はっきりわかる日がついに訪れました。

まさか、こんな日が来るとは…オイルマネー、恐るべし。



そして、これは、私も認めて謝らなければなりません。米国ほどではありませんが、サウジの友達、仕事関係の人もいます。

まあ、嫌な奴が本当に多いけど…こんなん言っちゃいけないけど知り合いいる人はわかるはず、日本人と知り合いになるサウジのやつら、仕事関係のサウジのやつらときたら…信じられない大金持ちばかりです。

「サウジのスポーツ進出はスポーツウォッシング」という批判に対して、私の友達の砂漠っ子(50歳過ぎ)は悲しい目をして「日本は自国民を虐げることは絶対にないのか?」「アメリカはもっと酷いことをしてるのにスポーツウォッシングなんてしないよね?」と聞いてきました。

「王家が絶対にやってはいけないことをやった(やっている)のはみんなわかってるけど、どんな国でもそこに体制があるわけで、体制を維持するためには体制に不都合な相手には悪い反応もする、むしろそうではない体制なんてあるだろうか?」。




「リング誌でどういう扱いだったのか」。それがわかるとしたら、神保町あたりの古本屋で高額なリング誌のバックナンバーを買い揃えるしかないと諦めていたのに…。

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「プロレスラーは本当は強いんです!」。

桜庭和志が雄叫びを上げたのは、1997年12月21日、横浜アリーナのリング上でした。

「プロレスラーは本当は強いんです」。本当に強かったら、こんな言葉を叫びません。

そして、多くの人が「プロレスラーは本当は弱い」と思い始めていたから、彼は叫んだのです。

翌1998年10月11日、東京ドームでアレクサンダー大塚が総合格闘技デビュー戦にもかかわらず、マルコ・ファスをハーフガードポジション上からのパウンドで激しく殴打、流血させて戦意喪失に追い込み、TKOで勝利します。

桜庭が雄叫びを上げた1997年から4年、2001年12月31日のさいたまスーパーアリーナ。

安田忠夫はK1のトップファイター、ジェロム・レバンナに惨敗するはずでした。

ギャンブル好きで、自堕落な借金王。人生いつも土俵際。

そのせいで家族は崩壊同然。

それでも、娘さんはリングサイドに駆けつけ、父親が奇跡を起こすんじゃないかと、日本中の誰も思っていないことを願っていました。



もっと残酷な展開になると予想されていましたが、安田の突貫にバンナが戸惑い、グラウンドでの膠着が長い試合になります。

2ラウンド2分10秒。グラウンドでもつれる中で、安田は右腕をバンナの喉にのめり込ませます。

ギロチンチョーク。一瞬でした。バンナはたまらずタップ。

勝利に沸くリング上で、安田は娘を肩車して場内を一周。ダメ親父が見せた乾坤一擲のギロチンチョークと肩車。感動的なシーンでした。

〝戦う人生劇場〟の真骨頂。

安田忠夫が2月8日、死んだそうです。62歳だったそうです。

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あのさいたまスーパーアリーナから25年。

安田と家族は穏やかなときを過ごせたのかどうか、私は知りません。

しかし、安田忠夫というプロレスラーがあの日、リアルファイトで閃光の輝きを放ったことを格闘技ファンは死ぬまで忘れないでしょう。

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【番組概要】日本プロレス界最大の祭典 新日本プロレス1.4東京ドーム大会を22年ぶり全国ネット放送!
“100年に一人の逸材”棚橋弘至の引退試合…そして”五輪柔道金メダリスト”ウルフアロンのプロレスデビュー戦! 熱い闘いの模様を豪華ゲストと共にお伝えします!


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この30年。プロレスは大きく揺れました。

それまで、日本のプロレスのメインストリームはアントニオ猪木のストロングスタイルでした。

力道山の試合をNHKが放送しなくなってから、幾星霜。「プロレスが〝八百長〟である」ことは常識になりましたが、それでもプロレスファンは「プロレスラーは本当は強いんです!」(桜庭和志)と信じていました。

いや、信じているふりをするしかなかったというのが正確かもしれません。

事実は、真剣勝負の世界で、前田日明のようなガチ童貞のプロレスラーが強いわけがない、のです。

真剣勝負の舞台で惨敗を続け、挙句に真剣勝負の舞台から逃亡。プロレス市場は低迷します。

とはいえ「実はプロレスラーは弱いんです」「UFCとは違うショー、演劇の世界なんです」とはいえません。



「プロレスラーは本当は強いんです!」を信じるしかない、そこが拠り所のファンにとっては尚更です。

ただ、猪木に魅せられたファンをつなぎとめるだけではプロレスの未来はない、そんな状況に追い込まれていました。

「ストロングスタイルからの脱却」。つまりは「アントニオ猪木を否定すること」。

そんなことが出来るとしたら、新日本プロレス以外の団体からしか考えられませんでしたが…まさかまさかの棚橋弘至でした。

「ストロングスタイルからの脱却」「アントニオ猪木を否定」。口には出さずとも、従来の新日ファンは「こんなものを見にきたんじゃない!」と激しいブーイングを浴びせました。

しかし、猪木が見せたのと同じ「何度倒されても声援を受けて立ち上がる男たちの姿」は、ストロングスタイルには共鳴しなかった女子だけでなく、新しい男性ファンまで開拓、全く新しいベクトルでプロレスは復活、大きなマーケットを形成しています。

ド派手な衣装に、明るく軽いパフォーマンスの旗振り役となった棚橋は「猪木さんの『元気』を僕風にアレンジするとこうなるんです」とカラリと笑いました。

棚橋弘至がスキップで駆け抜けた26年。それは、表面的には「ストロングスタイルからの脱却」「アントニオ猪木を否定」であっても、その真奥に流れていたのは「猪木イズムを守り抜いた年月でもあった」(朝日新聞)のです。

もう、これぞプロレスです。



棚橋弘至。

個人的にはそこまで好きではない時期がありましたが、プロレスファンの友人からイチから教えられ、生のリングを見せてもらって、彼が猪木を〝殺した〟のではなく、彼が〝猪木の生まれ変わり〟であることを確信しました。

そうです、日本には〝猪木〟が2人いた時間があったのです。

フェイクとギミックがグラグラ煮詰められた最高のご馳走です。



さて、フェイクとギミック。この最高級の調味料を使って、フェイクとギミックとは対極にあったリアルの至高である五輪で金メダリストを獲った男がどんな料理を作るのか?

ウルフアロンが口先ならとんでもない役者であることは、ここ数年で完全証明されました。口先はプロレスラーにとって、リングの外で最も重要な技術です。



もう証明する技術はリングの中にしかありません。







 
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楽しみでしかない!

どう勝つのか?

…どう敗れるのか?はないとは思いますが、それがあればそれはそれでゾクゾクします。



なんかもう、いまなら井上尚弥をはじめ21世紀になってから日本のファイターが米国への憧れをあからさまに見せてしまっていますが、ご存知のようにボクシングはマーケットとしてWWE以下。

だからダメとは言いません。個人的には、最も研磨された格闘技がボクシングと信じています。

もちろん、レベルが高いという意味ではなく、攻撃や防御の手段をどんどん削ぎ落としたという意味です。

ウルフがボクシングとは違い、最高峰の米国リングも見据えていることは間違いありません。

その素質があるか?

明日だけでは分からワケもありませんが、もしかしたら…明日で確信できるかもしれません!





そして、井上をはじめ日本のボクサーに贈る言葉は「いくらなんでも、もうそろそろ憧れるのはやめましょう」。
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俺にとっては大ニュースなのに…知ったのは昨日のこと。


Trauer um Rockfabrik-Gründer
Roland Bock im Alter von 81 Jahren gestorben

Roland Bock, Gründer der Rockfabrik in Ludwigsburg und ehemaliger Wrestling-Star, ist tot. Er starb im Alter von 81 Jahren, wie das Team von Rockfabrik auf Facebook bekannt gab.


“地獄の墓掘り人”と呼ばれたローラン・ボックが亡くなったことが、12月19日付のドイツ地元紙で報じられました。

81歳でした。


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1978年11月、(当時)西ドイツのシュツットガルトで猪木と対戦。

今から、47年前のことです。

猪木を圧倒した衝撃は「シュツットガルトの惨劇」と呼ばれ、日本のプロレスファンを戦慄させました。


あのとき、猪木は35歳。そして〝地獄の墓掘り人〟は34歳。

そんなに若かったのか、ローランド・ボック。

やすらかに。



俺はそのニュースに戦慄した!〜小さい頃は神様がいて…。①
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