カテゴリ: シネマパラダイス

あしたです。第96回アカデミー賞。

会場は今年もドルビーシアター。

「オッペンハイマー」(クリストファー・ノーラン監督)が作品賞を含めて13部門にノミネート。日本公開は29日(金)から。



そして、球春までもあとわずか。

野球映画の独断と偏見と思いつきのベスト10。



⑩野球狂の詩(1977年日活/監督:加藤彰/木之内みどり)

⑨マネーボール(2011年コロンビア/監督:ベネット・ミラー/ブラッド・ピット)

⑧オールド・ルーキー(2002年ディズニー/監督:ジョン・リー・ハンコック/デニス・クエイド)

⑦バンクーバーの朝日(2014年フジテレビ/監督:石井裕也/宮崎あおい)

⑥エイトメン・アウト(1988年/監督:ジョン・セイルズ/チャーリー・シーン)

⑤人生の特等席(2012年ワーナー/監督:ロバート・ローレンツ/クリント・イーストウッド)

④プレティーリーグ(1992年コロンビア/監督:ベニー・マーシャル/マドンナ)

③がんばれベアーズ(1978年パラマウント/監督:マイケル・リッチー/テイタム・オニール)

②ナチュラル(1984年トライスター/監督:バリー・レヴィンソン/ロバート・レッドフォード)

①フィールド・オブ・ドリームス(1989年ユニバーサル/フィル・アルデン・ロビンソン/ケビン・コスナー)

…いつものことながら何かを忘れている気がすごくする。。。。。高倉健や石橋貴明ではなく…。
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私が大学生の頃。1980年代後半という時代。学生運動はほとんどが沈静化、60〜70年代にキャンパスに充満していた荒れた空気はどこへやら、軽くてカラフルで、バブルに浮かれた現状(いま)を楽しむムードにどっぷり浸かっていました。

60〜70年代からは一転、「革命によって世の中を変える」なんて考えは微塵もなく「このうわついた空気がずっと続けばいいな」と思っていました。

それでも。

高校時代の恩師の1人が学生運動の元闘士だったり、やはり高校2年の終わりくらいからあちこちの予備校の〝模擬試験荒らし〟の結果として無料で受講した講習で教壇に立っていた先生の中には学生運動に身を投じていた元革命家も少なからずいました。



学生運動の残像もかすれた80年代に大学の門をくぐった私でしたが、〝彼ら〟から全く影響を受けずにいられるはずもありませんでした。

つまり、共感することも少なくなかったのです。

最後は同志を殺すばかりか、無関係の市民まで巻き込む凶行に手を染める犯罪集団となっても、それはほんの一部の急進派であって、多くの学生は「就職が決まって髪を切ってきたとき もう若くないさと君にいいわけしたね」な感じの、軽い気持ちで「学生集会へもときどき でかけた」のでしょう。

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The Strawberry Statement =邦題「いちご白書をもう一度」
(1970年:MGM映画 109分 )。



当時の若者たちの学生運動への関わり方に極端な濃淡があったことも、この過激な季節の輪郭をぼやけさせているように思えます。

大企業の本社ビルに爆弾を仕掛ける犯罪者もいれば、髪を切って面接に行って大企業に就職が決まる学生もいたのです。

いずれにしても、あのムーブメントがいまだ「総括」されていないのは間違いありません。
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十七、本を読むばかり

愛することも 臆病で

十八、家での夢を見て

こっそり 手紙 書き続け…

…石川さゆりの「転がる石」を初めて聞いたとき、高校時代の俺のことだと思いました。リリースされたのが2002年ですから、高校時代にこの曲はなかったのですが。

運動(といっても下手くそな野球と鈍足の中長距離ランナー)と、読書(といっても漫画も雑誌もなんでも読みまくる雑食)と、映画鑑賞(といっても寂れまくった小さな名画座でのやはり雑食的に観まくってただけ)に明け暮れ、どうせ俺なんてと厭世的な毎日を送っていました。

学校の成績も著しく悪く(というかほとんど授業に出てないから今なら退学処分)、スポーツ以外での人付き合いは大嫌いで(スポーツの練習や試合を人付き合いと定義するのかどうかは別にして)、とにかく社会に適合できない10代でした。

現実に適合できないから活字や音楽や映画の世界に逃げ込んでいたのです、きっと。

映画を観るのは、本当に小さな名画座、今風にミニシアターと呼ぶにはあまりにも寂れた映画館でした。

そこで、わずか3年くらいの間で一体何本の映画を見たのかわかりません。大体が2本立て、3本立てなんてのも珍しくなく、「ライアン・オニール特集」なんてのも、その一つでした。

「Love Story(ある愛の歌)」(1970年:アーサー・ヒラー監督)と「Paper Moon(ペーパームーン)」(1973年:ピーター・ボグダノヴィッチ監督)と、もしかしたらもう1本あって3本立てだった気もしますが、思い出せません。

ライアン・オニールが娘のテイタム・オニールと共演した「ペーパームーン」、物語の世界に一気に引き込まれました。テイタムはこの作品でアカデミー助演女優賞を受賞するのですが、それも納得の演技です。



そして、この親娘はボクシングファンなのです。

1950年代、つまり米国ボクシング黄金時代に少年時代を過ごしたライアンは「ボクシンググローブは当たり前の遊び道具、ロッキー・マルシアノは神様だった」とリング誌の「Famous Fans(熱心なボクシングファン)」コーナーの中で語っていました。

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ライアンが亡くなったことをSNSで報告したのは、息子のパトリック・オニール。

この名前にピンと来た人は大谷マニアです。パトリックは、カリフォルニア州地元放送局でエンゼルス戦を日本語を交えて実況しているスポーツキャスター。

ライアンも大谷の大ファンだったそうです。

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大谷の顔だらけTシャツと枕を愛用するライアン・オニールさん(パトリック・オニール氏提供)

それにしても、思い入れのある人がまた一人天国に旅立ってしまいました。
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動画配信を前提に制作された〝映画〟が増え、優秀な作品はアカデミー賞にノミネートされる時代になりました。

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ついには「副音声だけまるごと公開」↑なんて作品まで。

ロードショーを観るときは、なるべく情報を少なくして観ている映画ファンからすると驚くしかない、斬新な楽しみ方です。

スマホやテレビなどで見る〝動画〟〝映像〟は、そもそも〝映画〟ではありえないのですから、並べて語ること、驚くことの方が間違っているのでしょう。

スクリーンに映し出される映画が芸術で、動画配信で流される〝映画〟は邪道だなんて思いません。

映画も最初は、小説や歌劇、演劇などに劣る下級の娯楽と見下げられていたのですから。


問答無用の下剋上が進んでいるのは、何もリングの上だけではありません。

少し寂しい気もしますが、非常に面白い時代を生きることができているのです。

悪い話じゃありません。
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「刑事コロンボ」のコロンボ警部(主演:ピーター・フォーク)の中で、何度も台詞として登場する「My Wife……」、単に「妻」とか「うちの嫁」ではなく、「うちのカミさん」と意訳したのはこれ以上ないと感じます。コロンボのカミさん、どんな人だったのでしょうかね?


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「うちのカミさん」は大失敗に終わった「ミセス・コロンボ」で主役になりますね。

「コロンボ」、無名のスピルバーグが「構想の死角」を監督するなど、若い才能を積極的に登用する作品でもありました。私が見たときは何度目かの再放送、スピルバーグが監督したことを知ってから見たのですが。

日本のコロンボは小池朝雄の吹き替えもドンピシャ。〝とぼけた刑事〟像は古畑任三郎や杉下右京と名前を変えて影響を残し続けています。

個人的には最初のタイソン来日時に東京ドームでバイトしていたとき、見事に通訳をこなす他の大学生がいて、帰国子女だと確信していた彼と話してみると「英語はコロンボで勉強した」。外国に行ったこともない田舎者で「テレビはNHKしか映らないから、コロンボしか楽しみがなかった」。

もちろん、彼も当時はボクシングファンで、私がリング誌を愛読していると聞くと「僕の大学図書館にそんなのない。見たい、読みたい」というので、案内したこともありました。

今では年賀状をやり取りするだけで、何十年も会っていません。もうずっと前、20世紀末にはボクシングには全く興味がなくなってしまったようで、いつだったかの年賀状には「まだボクシング見てますか?僕はもうすっかり興味を失ってしまって」と書いていました。

あの頃、タイソン来日は社会現象で、日本ではアイルトン・セナやジョン・マッケンローを遥かに凌ぐ衝撃的なまでのビッグネームでした。

あの時代、ハグラー、レナード、タイソン…海外ボクシングが最も人気を博した時代でもありました。

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そう言えば、コロンボのイメージが強烈なピーター・フォークが銀幕で輝きを放った「ベルリン天使の詩」(日本公開1988年)も、まさにこの頃の作品でスプラッシュヒット。

監督のヴィム・ヴェンダースはいま、まさに盛り上がっている東京国際映画祭の〝主役〟の一人。23日のオープニングセレモニーでのスピーチも味わい深いものでした。

「うちのカミさん」から東京国際映画祭に話が飛ぶとは…。まだまだ書きたいことありますが、丸の内線が目的駅に滑り込むので乱文散文そのまま失礼。

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ゴッドファーザー


監督フランシス・フォード・コッポラ

脚本マリオ・プーゾォ
   フランシス・フォード・コッポラ
原作:マリオ・プーゾォ
出演:マーロン・ブランド
   アル・パチーノ
   ジェームズ・カーン
   ロバート・デュヴァル
音楽:ニーノ・ロータ
配給 :パラマウント映画
公開 : 1972年3月24日
日本:1972年7月15日
上映時間:177分



「ゴッドファーザー」です。

「スポーツをテーマにした映画を、当時の思い出なども交えて書き語ってゆきます」と書きながら、「ゴッドファーザー」です。

「スポーツをテーマにした」とは言えませんが、この映画にはあちこちにプロボクシングの断片が現れます。

コッポラもボクシングファンなのです。

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ニューヨークを支配するマフィア、コルレオーネ・ファミリーのボス、ヴィトーが銃撃されたことを伝える新聞を、マイケルがニューススタンドで見つけるのは、妻ケイと映画「The Bells of St. Mary's(聖マリーの鐘)」を見て映画館を出たあと。

この映画館がRadio City Music Hall(ラジオシティ・ミュージックホール)。


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歌っている男性はオペラ歌手ではありません。ドネアです。


ライトヘビー級王者ロイ・ジョーンズJr.や、ジュニアフェザー級王者ノニト・ドネアが団体統一戦を行った舞台です。

Radio City Music Hallは、当時はまだボクシングの興行が行われていませんでした。

1980年代半ば頃に、私が初めて「ゴッドファーザー」を観たときも、このミュージックホールとボクシングを結びつける連想はあり得ませんでした。

しかし、ドネアvsギレルモ・リゴンドーでWOWOWの映像がRadio City Music Hallを映し出したとき、すぐに「コレってゴッドファーザーの!」とすぐにわかりました。

それほどまでに、少なくとも外観は何も変わっていないのです。



そして、マイケルがマフィアの大物ソロッツォと、汚職警官マクラスキーを射殺したのレストランが「ジャック・デンプシー」。

その前に、ダミーの「待ち合わせ場所」として登場するレストランが「ジョー・ルイス」。

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他にもプロボクシングにまつわるワードや連想する場面が、ちょこちょこ登場、1950年代まで、プロボクシングが米国で堂々のメジャースポーツだったことを窺わせてくれる名画であります。
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AKAI

2002年・日本映画 上映時間88分
監督:赤井英五郎
出演:赤井英和 大和田正春
配給:ギャガ



「どついたるねん」(1989年)と「AKAI」(2022年)。

その間、33年。親子ほども年の差のある作品です。当たり前です。事実〝親子〟なのですから。

親子の間に共通項を見出すのが非常に難しように、この二つの作品は呼吸も鼓動も全く違う音階とリズムによって奏でられています。

もちろん〝親子〟とはいえ、作品を監督したのは阪本順治と赤井英五郎、全くの他人なのですから、当たり前といえば当たり前。

あえて、共通点を見つけ出そうとするなら、1989年の「どついたるねん」も、2022年の「AKAI」も、1980年代に決着をつけようとした、いや、何かに決着をつけようとしたという一点でしょう。

この〝親子〟を並べて見ると…「どついたるねん」がしつこいほど蒸し暑く感じるのに対して、「AKAI」には何かが足りない、淡白すぎると感じてしまいました。

もしかしたら、「AKAI」はヒロインを添えるのを忘れていたのかもしれません。

…いや。

よく考えると、それは阪本順治の厚かましさが、赤井大五郎には欠けていたからです。


それにしても、赤井英和。改めて見ると、本当に魅力的なファイターでした。



赤井英五郎監督、次作にも期待しています。次はちゃんと劇場で〝観戦〟させて頂きます。
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どついたるねん

1989年・日本映画 上映時間110分
監督/脚本:阪本順治
原作:赤井英和
出演:赤井英和 相楽晴子 大和武 美川憲一
   渡辺二郎 六車卓也 串木野純也
   大和田正春 輪島功一 原田芳雄
配給:ムービーギャング


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日本ボクシング史上で最高のエンターテイナーは、大場政夫でも辰吉丈一郎でも亀田興毅でもありません。

赤井英和、これが事実上のデビュー作とは思えない出色の演技です。

原田芳雄の「Don't Worry」もええわぁ。

ヒロインの相楽晴子もいい味出してる。

最後の試合に臨む前に、大和田正春と向かい合うシーンなんて、もうちょっとズルい領域に踏み込んでます。

拙い作品ですが、熱い、熱い。34年経った今でも熱い温度が冷めずに伝わってきます。




低予算映画であったがために、荒戸源次郎がスポンサーになって原宿に特設テントを張ってゲリラ上映していました…ということを「ぴあ」を読んで知っていたのですが、部活が忙しかったり、授業が大変だったりで、結局観たのはヒットしたあと。

今も、テントの中にあしらわれた粗末で小さなスクリーンで観なかったことを強烈に後悔しています。

そういえば、当時の部室は誰が買ったのか「ぴあ」の最新号やら漫画雑誌やら朝日ジャーナルやら教科書やらポケット六法やらが散らかって、雑誌や本の捨て場所みたいになってました。

今回「どついたるねん」を観たのはWOWOWオンデマンド。劇場で観たのとは違う、味気のないテレビ画面。

最初に観たときと一番印象が変わった原因は、このあとに「王手」「ビリケン」と新世界三部作が続くことを知っているからかもしれません。

ものすごく罰当たりなことを言うと、赤井英和は世界チャンピオンにならなくて正解、25歳の若さで引退するしか選択肢がなくなったことも正解でした。

世界チャンピオンという強烈な絵の具で塗りたくられずに、一枚の破れたカンバスとして映画に飛び込んだ赤井英和を観ることのできた私たちはただひたすらに幸運でした。




この新シリーズでは、スポーツをテーマにした映画を、当時の思い出なども交えて書き語ってゆきます。

次回は、赤井英五郎監督による「AKAI」ですね、WOWOWの流れ通りに。

昨年公開のドキュメンタリー映画ですが、この作品はまだ観てません…ということで「次回」は当時の思い出はありません、あしからず。
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渋谷は好きではありませんが、齢70に近い老婆な映画友達にBunkamuraル・シネマで映画を見ようと誘われて。

ハロウィン前の渋谷、スクランブル交差点あたりは相変わらずの喧騒。

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映画を見る前にちょっとひと飲み。

宮下公園下、北海道から沖縄まで日本全国のお酒と食べ物が味わえる19店舗がずらっと並んだ「渋谷横丁」。

作られた感満載の昭和レトロなお店が軒を連ねていますが、ル・シネマに近いし、ここで妥協。 

そして「35ミリで蘇るワーナーフィルムコレクション」。本日上映は「デンジャラス・ビューティー(Miss Congeniality)」(2000年)。

実は初めて観る映画。興味がなかったから、というのが本音です。「35ミリで」という点で、どっこいしょと腰を上げました。

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ビールは「ハートランド瓶」というのも、さすがル・シネマ、お洒落です。


土曜日だというのに、キャパ268席の小さなシアターは、20人も入っていない閑古鳥。

映画館の外の人、人、人の喧騒が嘘のような空間です。
「(主演の)サンドラ・ブロック、好きな女優やって言ってなかった?」と老婆に聞かれましたが、そんな話した記憶はなし、それでも「35ミリ」「ミニシアター」「古い映画友達」という絵の具を混ぜ合わせると、十分楽しめる色鮮やかな映画になるのでした。

「フィルムはやっぱり最高」。
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銀座裏通りにあるお洒落なミニシアターで映画を観たあと、ふと目に止まったのが「ドムドム ハンバーガー」。

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象のロゴマーク、懐かしい。↓

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あまりにも周囲の風景に溶け込んでいて、今まで気づかなかったのか、それとも最近出来たのかはわかりませんが、ドムドムハンバーガーは昔、むかしも大昔にダイエーのフードコートに入っていたハンバーガーチェーンです。

マクドナルドなど後発のメジャー勢力に駆逐され、ダイエーも沈没してしまった今、なぜ生きながらえていたのかわかりません。

きっと、ドムドムもいろんな紆余曲折な人生を歩んできたのでしょう。

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昔むかし、大昔のチープなイメージはどこへやら、1000円以上が当たり前の高級店に様変わりしていました。

俺の知ってるドムドムではない…。

全くの偶然ですが、高校時代に引きこもっていた場末の映画館の近くにもダイエーがあり、ドムドムがあったのです。

そして、そこでちょっとした一夏の思い出が。

あの日も、暑い夏の日でした。

ダイエーに入ることなど滅多になかった俺なのに、その日は小腹が空いたのか何かで、映画観ながら食おうとドムドムでバーガーを買ったのでした。

カウンター越しにバーガーとコーラを受け取ると、店員の女の子が「三島先輩、何してるんですか?」と聞いてきました。

ドムドムのダサい制服が良い意味で似合ってて、すごく可愛い女の子でしたが、見たことあるようなないような…。

高校からはかなり離れていたエリアで、高校の知り合いに会うわけがない、そもそも高校の知り合いやら友人知人が極端に少ない俺に、こんな可愛い後輩なんていないはず…。

ここで、外国高校のお行儀の悪い喧嘩相手と遭遇しても驚きませんが、まさかまさか、俺の名前まで知ってるその後輩らしき女の子、見たことある気もするけど、誰だか思い出せない…。

そんな俺の戸惑いに気づいた彼女は「岩崎です!村井くんにチョコレート渡してもらった岩崎です」と自己紹介してくれて、その年のバレンタインデーに野球部の後輩にチョコレートをことづけて来た女の子であることをやっと思い出しました。

そして、その日は間違いなく平日でした。

私たちは少し気まずくなったところで、さらに気まずいというか、緊張が走るというか、非常にまずい事態が…。

授業サボって映画観ようとしてる俺と、バイトしてる彼女、そのすぐ近くのテーブルで映画館でしか会ったことのないガラの悪いオッサンがフライドポテトをつまみにビールを飲みながら「あれぇ?彼女おったんかぁ?」と、赤ら顔で話しかけてきたのです。

当時は規制緩和前、フードコートはもちろんダイエーにも酒は売っていなかった時代です。

そのおっさんはいつもクーラーボックスを肩にかけてビールやらウイスキーやら日本酒やらを映画を見ながらあおっていたのでした。

心の中で「なんでお前がドムドムにおんねん?」と呪いながらも、初めて明るい場所で見るそのオッサンが発散する強烈な負のオーラが、純真な女の子(授業サボってバイトしてるけど)には一番見せてはいけないものだとあらためて痛感しました。

暗い映画館の中でも、ちょっとガラの悪いオッサンなのはわかっていましたが、明るい場所で見るとそれが〝ちょっと〟なんてもんじゃなく、ガタイが良いのもよくわかりました。

それ以上に、この暑さの中、薄い麻製のスーツをピシッと着こなし革靴を履いてるのです。

そのあたりも、お行儀が良いとは到底いえない場所柄で「売るな!買うな!覚醒剤」「暴力追放 正義の街」…そんな看板があちこちで叩き割られながら風に揺れているようなところでした(残念ながら過去形ではなかったりして…)。

きっとビビってるやろなあと思いながら、岩崎さんの顔を覗くと「知り合いですか?」と、少し笑みを浮かべながら興味津々にヒソヒソ声で聞いてくるのでした。

しかし、元メジャーリーガーなヤクザだったオッサン(そんなことそのときはもちろん知りませんが、まあそのスジの人、2Aクラスの輩くらいには思ってました)は「ほな、仁義なき戦い、先に行っとるど。可愛い彼女も一緒に連れておいでや」とキリンラガーの小瓶をラッパ飲みしながら、平日のガラガラのフードコートを去っていくのでした。

私は「一緒に来るか?」なんて誘ってないのに、岩崎さんは「ここ夜まで入ってるから」と大袈裟に首を横に振りながら「あの人、知り合いですか?」とまた聞いてくるのでした。

「あんなオッサン、知り合いなわけないやろ。酔っ払ってるか、クスリ打ってラリっとんやろ」と、少し強めに否定した私に、彼女は顔の前で二の腕を立てるとメトロノームのように忙しく振幅させながら「嘘発見器が大きく反応しております」とクスクス笑うのでした。

彼女なんてもちろんいない、引きこもりで女子と話すことも全く慣れてなかった俺にとって、岩崎さんの表情や仕草は感動的に可愛くて、不登校の俺は知らないけど「嘘発見器が大きく反応しております」って教室で普通の会話の中で使われてるんだろうなあ、とか思い巡らすのでした。

だからといって、明日から真面目に学校行こうなんてツユほども思いませんでしたが。

岩崎さんと後輩はその後、めでたく結婚し、昨年夏にも巨大同窓会みたいな場でご夫婦と会ったのですが、ほとんど話はできず。

それまでも、野球部の後輩の方とは何度か会っていましたが、ドムドムの話は一度も出てきてないので、彼女も話してないのかもしれません。

少なくとも、あの夏の日の直後は「お互い見なかったことにしよう」と、暗黙の了解が交わされた気がします。

ドムドム、私もすっかり忘れていました。

それにしても、東京の銀座のこんなところでドムドムと〝再会〟するとは。

セットで注文すると鰻丼くらい食えそうな値段で、ちょっと躊躇いますが、今度食ってみようと思います。



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