カテゴリ: 世界最強の女

彼女は北海道中川郡幕別町で1994年5月22日に生まれた。

私の娘と全く同じ誕生日なので、彼女の誕生日も忘れることはない。





きょう長野市エムウェーブで行われた全日本距離別選手権最終日。

彼女は1500メートルで10年連続10度目の優勝を果たした。


あと100日に迫ったミラノ・コルティナ五輪へ向けて、彼女は両足のブレードを研いでいる。


それにしても。

どうして、彼女は挑戦するんだろう、挑戦し続けるのだろう?

彼女が氷の上に残した忘れ物など何もないはずだというのに。

いまさら、何を証明しようとしているのか?

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不吉なことを言うつもりはないが、彼女はイタリアで失望の涙を流す。



「一筋縄ではいかないんだろうなという感じがある。めげずに向き合っていきたい」という彼女の言葉は、世界で戦うパフォーマンスが出せない現状を自覚しての本音だろう。

「1500mの金メダル」ではない。

また「死に場所を探している」というのでもない。



高木美帆はロベルト・デュランやマニー・パッキャオのような純度100%のファイターなのだ。


往生際の悪いファイターほど面倒なアスリートはいない。

ハッピーエンドではない最後が待ち構えているのをわかっていながら、私たちは応援し続けるしかないのだから。


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国を背負って戦うとき、アスリートが特別な重圧を背負うのは当たり前だ。

そのどうしようもなく、悲しくなるほど大きくて重い期待を一身に背負うアスリートが、ときとして現れる。




◾️1984年のロスアンゼルス。

当時、日本列島は今では考えられないほどのマラソン人気に沸いていた。

フランク・ショーターやビル・ロジャース、ワルデマル・チェルピンスキー、ジュマ・イカンガー、ロバート・ド・キャステラ、アルベルト・サラザールらは、マイク・トラウトやアーロン・ジャッジよりもスポーツファンに知られたトップアスリートの名前だった。

当時、日本から見る景色で最も近くて最も輝いていた「世界」はマラソンだった時代。

日本スポーツ史上、最も大きな期待をかけられた瀬古利彦は最後の力を振り絞ってゴールすると、ロサンゼルス・スタジアムの曇り空を茫然と見上げた。




◾️1994年のリレハンメル。

平成の日の丸飛行隊は優勝候補の筆頭だった。その通りにシナリオは進み、最終ジャンパーが飛ぶ前に2位とは大差がついていた。

嘘みたいな失速ジャンプだった。

両手で顔を覆ってその場に崩れたままのビッグジャンパーに仲間たちが駆け寄って、抱き起こした。ようやく見えた男の顔は、きっと号泣していると思ったら、笑っていた。

4年後に、リレハンメルがまるでドラマの演出だったかのような大ジャンプで金メダルの立役者となったが、そのときは最終ジャンパーの名前を祈るように絞り出し嗚咽していた。

彼は、どれほどの重圧と戦っていたのだろうか。




◾️1996年のアトランタ。

試合後の記者会見場は屋内のはずなのに、彼女の前髪は、風に揺れていた。

窓が開いて風が抜けているのか、空調の風なのかはわからなかったが、彼女にだけ柔らかい風が吹いているようだった。

試合終了のブザーが鳴ると、アトランタに敷かれた畳の上に座り込んだまま、彼女はしばらく動けなかった。

「世界で2番目です。胸を張って日本に帰って来て、美しいメダルを見せて下さい」。そんな言葉は、1億2000万人の誰も口に出来なかった。

それほどまでに、田村亮子は強かったのだ。





◾️2004年のアテネ。

多くのブックメーカーの金メダル予想は「日本が獲れるのは一つだけ」だった。

戦前予想は芳しくなかった…というよりもそのたった一つの金メダルは、世界中の誰の目から見ても鉄板だったのだ。

賭け屋の見る目の無さを笑うように、田村亮子や室伏広治、野口みずきらが、なんと16個もの金メダルを五輪発祥の地で奪い獲ってみせた。

そして、賭け屋の予想が当たっていたなら、日本は17個の金メダルを獲っていたはずだったのに。賭け屋の大馬鹿者どもの予想は、何一つ当たらなかったのだ。

ーーーあの井上康生が背負い投げで沈められ、敗者復活戦でも大内刈りを返されて一本負けしたその光景は、誰も信じられなかった。


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パリの天空に大放物線を描いた彼女の槍は、東京で力無く落ちた。

チケットの売れ方を見れば一目瞭然、この大会は世界女王の凱旋だった。

笑顔の内側にどれほどの重圧が沈澱していたことか。

世界最高峰の舞台…五輪や世界陸上、ダイアモンドリーグ…そのセンターポールに日の丸を何度も掲揚してくれた英雄が、世界でやってのけたことを日本でも見せてくれるはずだと日本中が待ち焦がれていた。

しかし、直前の国際大会を見ても女王が本調子でないのは明らかで、それよりもなによりも、世界最強の右腕は深刻な故障を抱えていた。

怪我を治すために大会をパスするーーーそんな選択肢は最初からなかった。

それでも、彼女は助走路に立った。その時点で、彼女は敗者ではない。

彼女が現役のうちに、東京で大きな世界大会が開催されることはないだろう。

それでも、ゆっくり怪我を治して彼女が戻ってきたら、私たちはまた、彼女が世界中の空に描く大きな放物線を見上げているはずだ。

「外弁慶な女やなあ」と、少し笑いながら。




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World Athletics Championships

普通に訳すと「陸上競技世界選手権」です。

これを「世界陸上」と訳したのは、名訳です。

「世界陸上」だけでは本来、何のことやらわからなかったはずですが、それが「陸上競技世界選手権」であることを、日本のスポーツファンなら誰でも知っています。

記念すべき第1回大会は、1983年に陸上競技が盛んなフィンランドの首都ヘルシンキで開催。

ロス五輪の前年に旗揚げされた世界陸上は、カール・ルイスのお披露目会でした。

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カール・ルイス。

40年以上が経った今なお、日本で最も有名な外国人の陸上競技選手かもしれません。

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伝説になりました。

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星を見てね、自分だけの星を探していたんです。

トップアスリートの孤高の香りが漂う名言ですが、室伏広治ってこんな言葉口にしてましたっけ…?


秋らしくなってはきましたが、今週末は相当に熱いですなぁ。

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全米オープンがいよいよクライマックスに突入します。

ベスト4の優勝オッズは、女王アニカ・サバレンカがEVS(2倍)。

準決勝でサバレンカと対戦するのがジェシカ・ペグラで8/1(9倍)。

そして、大坂なおみが5/2(3.5倍)で対戦相手のアマンダ・アニシモワが9/2(5.5倍)。


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ウィリアム・ヒルの見立て通りなら、9月8日の決勝、ビリー・ジーン・ナショナルセンターでサバレンカの前に大坂なおみが立ちはだかっているはずです。
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ヘビー級は多くの意味で特別なクラスです。

例えば、オールタイムPFPを語るとき。

井上尚弥とエデル・ジョフレ、ウィルフレド・ゴメスを仮想対決させるように、タイソン・フューリーとロッキー・マルシアノを戦わせるのは無理があります。

バンタム級の井上とジョフレ、ジュニアフェザー級の井上とゴメス、前日計量と当日軽量という差はあれども、秤の上では同じ118ポンド、122ポンドです。

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しかし、190ポンド未満の体重のマルシアノと260ポンドを優に超えるフューリーの無視できないまでのサイズの違いは、妄想の大きな障害となってしまいます。

そして、現代では小兵のオレクサンデル・ウシクですが、過去のほとんどの時代においてその体重だけでなく、身長191㎝もリーチ198㎝もけして見劣りしない堂々たるヘビー級になります。

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1973年1月22日、ジョージ・フォアマンが王者ジョー・フレイジャーを破壊した〝キングストンの惨劇〟。

あのときのフォアマンの体重は〝わずか〟217ポンド1/2(98.66kg)、ダニエル・デュボアを轟沈させた先月のウシク(227ポンド1/4=103.1kg)より約10ポンドも軽かったのです。

そして「サウスポーはヘビー級王者になれない」というジンクスはマイケル・モーラーが1994年4月22日にイベンダー・ホリフィールドに勝利して溶解されますが、過去のグレートたちはサウスポーとの対戦経験が乏しく、仮想対決で対峙するウシクはまさにジンクスとなって彼らを蝕むことになるはずです。

さてさて、そんな前置きを踏まえて、続きます。

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【VS ロッキー・マルシアノ】

ANBER’S INSIGHT…エンジンのかかりが遅いマルシアノは、テンポの速い12ラウンド制は不向き。

それでも、あの勝負強さはウシクにとっても脅威になるだろうが、自在にパンチの角度を操るサウスポーはマルシアノでもコントロールできない。

MY VERDICT…過大評価と過小評価が渦巻く伝説のヘビー級、マルシアノは49戦全勝の記録を打ち立てた。

ウシクが同じ偉業を達成できるか?私の見立てはYES。ただ、マルシアノの勝負根性は別格、ウシクは苦戦を強いられるだろう。



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【VS ソニー・リストン】

ANBER’S INSIGHT…全盛期のリストンは史上最強と恐れられたが、ウシクならモハメド・アリと同じことをやってのけるだろう。

ただし、ウシクがリストンとの打撃戦に応じる色気を見せたら、KOされる。

MY VERDICT…全く勝敗予想がつかない。

60年代ヘビー級のトップ選手の何人かは、ウシク相手でも勝機がある。リストンもその1人だが、ウクライナ人の精神力とスタミナに中盤以降で振り落とされるのではないか。




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【VS モハメド・アリ】

ANBER’S INSIGHT…スタイルを考えると、ウシクにとってアリは悪夢だ。

ウシクにハートの強さで勝てるファイターは全時代を通してもほとんどいないが、アリはそんな稀有の1人。

ウシクはテクニックだけでなく、ハートでも初めて翻弄されることになる。

これは、兵役拒否で大きなブランクを作ってしまう前の全盛期のアリだったら。全盛期のアリには誰も勝てない。それほど卓越したヘビー級だった。


MY VERDICT…全盛期のアリならウシクをポイントアウトするだろう。

1970年代の劣化版アリの場合は、アリがどれだけ真剣に練習して試合に臨むかにかかっているが、僅差でウシクに競り勝つのではないか。

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Friday 11, July 2025

Madison Square Garden, New York, New York
commission:New York State Athletic Commission
event name:Taylor vs. Serrano 3
promoter:Nakisa Bidarian (Most Valuable Promotions),
      Jake Paul (Most Valuable Promotions)
matchmaker:Mike Leanardi
media:Netflix






初戦は2022年4月30日のマディソン・スクエア・ガーデン(MSG)のスポーツアリーナでメイン。ボクシングを超えて大きな話題となりました。

再戦は、ジェイク・ポールとマイク・タイソンのセミファイナルながら、テキサス州ダラスのAT&Tスタジアム(カウボーイズ・スタジアム)。

そして、明日ゴングが打ち鳴らされる第3戦は再びMSGで、なんとアンダーカードも含めて全て女子の試合。

同じ日に同じNYで行われるシャクール・スティーブンソンらのイベントがテニスコートがキャパ1万4000ですから、完全に女子ボクシングに飲まれてしまいました。

アイルランドのテイラーと、プエルトリコのアマンダ。東海岸にファンベースを持つ血統と、生粋のファイター・スタイル。人気を集めるのも頷けます。

男子と比較すると、全体の市場規模は比べようもなく小さいものの、ワシル・ロマチェンコやゲンナジー・ゴロフキンでもシアターが精一杯、スポーツアリーナはチケット販売が見込まれず上階席封鎖したMSGで、女子ファイターが堂々のメインを張るのです。

フォーブス誌が指摘しているように「男子は完全に衰退した米国ボクシングでも、女子はサッカーのようにメジャーの扉を開く可能性がある」という、The Beginning。

冗談でもなんでもなく、井上尚弥ら米国で名前を知ってもらいたいなら、彼女たちや、カネロ・アルバレスのアンダーカードに出場するのが近道です。

5月の欺瞞のTモバは、米国へ向けたものではなく、日本に向けた〝フェイク〟だったから、後に繋がらない「あの大失敗興行はなんだったのか?」で終わってしまいました。

女子ボクシングと軽量級、米国でも偏見の目が向けられることが多い〝種目〟のミックス興行、悪い発想ではありません。



それにしても。

新時代の扉を開くメガイベント「Taylor vs. Serrano 3」を、男子ボクシング衰退の象徴であるジェイク・ポールがプロモートするというのも奇妙な因果を感じてしまいます。



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最も八百長が横行しているスポーツは?

答えは「犯罪組織が絡むことが多い八百長は明るみにでていないものが多く、正確な統計がないのでこの質問に答えはない」。

しかし、推測はできる。

頂点と底辺の光と影のギャップが大きなメジャースポーツで、チームごと買収する必要のない個人競技だ。

テニスはその典型で、選手1人を丸め込めば勝敗だけでなくさまざまな八百長を仕込むことができる。

トップに立てばフォーブス誌の眩いWorld’s Highest-Paid Athletes(アスリート長者番付)に名前を刻む大富豪に、底辺に沈殿する選手は1試合で100ポンド(2万円)も稼げないから、あちこちでアルバイトをしなければ生活が成り立たない。


女子テニス協会(WTA)主催の公式トーナメントのうち、最もグレードの低い大会は賞金総額1万5000ドル。シングルスの優勝賞金は2200ドル(約33万円)。

初戦で敗れれば100ドル(約1万5000円)ほどしか手に入らないから、道具代や交通費を差し引くと大きな赤字だ。

そんなときに「八百長で負けたら1000ドル」と耳元で囁かれたら?

「いま特に経済的に厳しいから1回だけなら…」。そんな気持ちはわからないでもないが、闇の世界は一旦足を踏み入れると引き返せない。


もちろん、そんな暗闇から聞こえる声には耳も貸さずに、ひたすら貧窮と戦いながら、歯を食いしばりながら、七転八倒しながら頂点を目指す、往生際の悪いテニスプレイヤーも、少なからず、いる。



A sneak peak inside The All England Lawn Tennis Club



カーソン・ブランスタインはまさに、そんな1人だ。

南カリフォルニア在住のカナダ人女性は24歳。「ガソリン代を払うと食べ物を節約しなければならない」ほど物価の高い米国でテニスプレイヤーを続けることに少しだけ疲れていた。

今年2月にメキシコ・カンクンで行われる大会に向けてトレーニングに励んでいたある日の朝、破産する夢から覚めてベッドから飛び起きると、彼女はあわてて銀行口座を確認した。

「残高は25ドル(約3700円)しかなかった。破産する夢じゃなくて、現実に破産しているようなものよね。全財産が25ドルなんだから。朝から涙があふれて止まらなかった」。

「いい年して変な夢見て、テニスなんてしてる場合じゃない。生活が破綻してしまう」。泣きながら友達に電話して、惨めな自分を曝け出した。

友達も「もうやめなさい。こんなことしてるのはあなただけ。あなたはもう十分頑張ったよ。まだ若いんだしいくらでもやり直せる」と励ましてくれたが、そのとき彼女の中で何かが火花を散らした。

テニスをやめるなんて、絶対に受け入れられない。

どんなに貧乏でもテニスだけはやる、やり続ける。もしかしたら、多くの普通の人から軽蔑されるかもしれないけど、テニスをやめたら心の中のもう1人の私が私を絶対に許さないだろう。

泣くだけ泣いて、涙が出なくなって、カーソンは友達に宣言した。「ありがとう。もう、泣き言はしない。私、テニスはやめないよ、絶対に。私、バカだから、テニスが好きで好きでたまらないんだよ」。

友達は「そうだろうと思ってたよ。あなたからテニスを取ったら何にも残らない」とケラケラと笑った。

両親に話したら無理矢理にでもテニスをやめさせられると思ったから、電話しなかった。友達からお金を借り、Uber Eats の配達員として働いた。



そして。

カーソンはテニスの世界で最も権威のある大会、ウィンブルドンの本戦出場を目指して予選3試合を見事にクリア、伝統のAll England Lawn Tennis and Croquet Clubの芝生の上に立った。

相手は、アリーナ・サバレンカ。世界ランキング1位の絶対女王だ。

ストレート負けの予想とオッズの通りに、カーソンは敗れ去った。

本戦1回戦進出で6万6000ポンド(約1300万円)を獲得したが、悔しい試合だった。


第1セットを1−6で落としたが、第2セットはタイブレークまで喰らいついて5−7で力尽きた。

しかし、スコアが示す通り、どうしようもない惨敗ではない。

あのサバレンカ相手にフルセット直前まで、粘り抜いたのだ。

いかにも彼女らしい、往生際の悪い闘い方だった。

そして、世界は初めてカーソン・ブランスタインを見た。

Had never seen branstine but she’s actually a pretty decent player 
ブランスタインを初めて見たが、かなり素晴らしいプレーヤーだ。

It was a match that showed her way of life.
コートの中に彼女の生き様を見た。




女王に最後まで挑み続けたカーソンの姿は、世界中に感動をふりまいた。

経済的にも、しばらくテニスに集中できるだけの大きなものを手に入れた。

それでも、彼女はただただ悔しかった。

スマホには祝福のメールが溢れていたが、大きなチャンスを逃してしまったと、悔しさだけが募った。

電話で泣きついた友達からもメールが届いていたが、それはお祝いの言葉ではなかった。

しかし、それを見たカーソンはようやくクスッと独り笑いした。そこには、こう書かれていた。


「6万6000ポンドって9万ドル?10万ドル?とにかく、すぐにカネ返しに、戻ってこい!」


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女子スポーツは男子と比較して「スピードがない」「パワーがない」「迫力に欠ける」と見られ、プロスポーツとしては同じ種目でも人気も報酬も男子よりも遥かに下であるのが現実です。

例外的に「女子テニス」や「女子ゴルフ」などは〝遥かに下〟ではなく男子に準じる地位を確保しています。また、米国限定ですが「女子サッカー」は男子よりも遥かに上の注目度と報酬、尊敬を集めていますが、「女子ボクシング」となると〝遥かに下〟というだけでなく「女子が殴り合って血を流しているのなんて見るに耐えない」という拒絶感まで入り込んできます。

亀田和毅ら非力な男子ファイターを解説者が「まるで女子の試合を見ているよう」と笑うのは、女子ボクシングは面白くないという偏見の発露です。

専門家やコアなマニアがチェックするPFPでは非常に高い評価を集めたリカルド・ロペスは日本でも人気のあるレジェンドですが、米国のカジュアルなボクシングファンの間では全く無名、女子ボクサーの前座をつとめるなど人気と報酬面では不遇のままでキャリアを終えました。

とはいえ、それは男子とはいえ全く関心の払われない軽量級だから。「女子がメインで人気階級の男子を従えた」わけではありません。




それでも、少しずつ時代は動いています。

2022年4月30日「ケイティ・テイラーvsアマンド・セラノ」のUndisputed Jr.Welterweight championshipがマディソン・スクエア・ガーデン(MSG)140年の歴史で初めて女子の試合がメインで起用されました。

もちろん、シアターではなくキャパ2万人のアリーナ。チケットは早い段階でソールドアウト。当日は1万9187人が詰めかけました。

このメガイベントをジェイク・ポールと共同プロモートしたエディ・ハーンの「今夜の問題は男子がどうとか女子がどうとかではない。素晴らしいファイターが素晴らしい試合を見せてくれた」という通りの内容。

アイルランドのテイラー、プエルトリコのセラノというニューヨークにファンベースを持つトップファイターの激突とはいえ、女子がMSGのアリーナをフルハウスにしたのです。

女子ボクサーが、ワシル・ロマチェンコやゲンナジー・ゴロフキンを人気で凌駕したのです。





そして、7月11日にこの2人の第3戦目がやはりMSGでセット。このイベントも歴史的な意味を持ちます。

メインからアンダーカードが全て女子の試合という非常に珍しい、画期的で野心的なイベントです。





プロモートは、ジェイク・ポールが立ち上げたMost Valuable Promotions(MVP)。ジェイクはこのイベントに先立つ6月28日にフリオ・セサール・チャベスJr.とのビッグファイトに登場、そのアンダーには契約初戦のホリー・ホルムもリングに上がります。

カネロ・アルバレスの後を継ぐスーパースターを完全に見失った米国ボクシングに、女子ボクシングという一筋の光が射し込んでいます。


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ずっと前、といっても私が札幌から戻ってからですから、せいぜい5〜6年前のちょうど今頃の話です。

一緒に野球と勉強を教えている中学生が「お姉ちゃんも来ていいか?」とぶっきらぼうに聞いてきました。

男子中学生の表情からは「お姉ちゃんが行ってみたいと言い出したから、一応聞くけど、お姉ちゃんを呼ぶのは俺は嫌だ、断ってくれ、頼むから」という心の中の叫びが思いっきりあふれていました。

私は「おお、全然大丈夫!今連れて来い!今は無理?じゃあナルハヤで連れて来い」と、顔をしかめる少年に意地悪にタタミかけるのでした。

アホ中高生の宿題レベルの勉強を一緒にしている私は正直「またアホが一人増える、しかも女の子か」と、面倒を背負い込んだかもしれないと思いました。

そして、なんと、やって来たのは、顔見知りの子!

駅までの通勤路、彼女の通学の時間帯と同じなのか、何度も、顔を合わせていた中学生だったのです。

「あー!」と戸惑う私に、彼女の方も「すみません、ここまで押しかけちゃって」と頭を下げるのですが、鈍感極まる私もようやく「朝の!」と気づくわけです。

彼女は毎朝すれ違うだけでなく、野球の試合の応援で弟を応援に来て、コーチ役の俺もスタンドで応援してる彼女の顔を覚えていました。

それなのに。

朝の通勤時にすれ違うときに気づかなかったのは、私の勝手な思い込みです。スタンドで応援する彼女が、グラウンドから離れて遠くだったということもありますが。

スタンドの彼女はバカ男子中学生のお姉さんで、いつも底抜けに明るい笑顔を見せていました。

そして、通勤時にすれ違う彼女も、やはり最高の笑顔を見せて挨拶してくれていたのですが…。

俺だけに挨拶するなら「知り合いだったか?」と思い出そうともしますが、すれ違う誰にでも明るくハキハキと挨拶するのです。

今どき珍しい、どころか、そんな朗らかな少女はどんな時代でも稀有な存在です。

そして、スタンドの彼女と通勤時の彼女、誰かに見せたいような素晴らしい笑顔はまったく同じでしたが、グラウンドから見上げると見えていないことがありました。

左膝から下が義足なのです。

中学1年のとき、テニスの部活帰りに交通事故にあったそうです。

それなのに、どうしてあんな笑顔を振りまけるのか、俺ごときが知る由もありません。

彼女のご両親、そして弟はあの笑顔にどれほど救われたことでしょう。

そんな彼女が、勉強を教えて欲しいとやって来たのです。

弟が嫌がっていた理由はその日のうちに分かりました。

バカな弟と全く違って、お姉ちゃんの方は俺のバカ野球塾なんかに来るような高校生ではなかったのです。

高校も地域一の公立校で、俺が受験生の頃ならまだしも、今の俺なんかが教えることなどほとんど何も無い、教えられないレベルの子でした。

私の付き合いのある、数だけは多い友人知人らの中でも、学問に対する感性はちょっと抜けていました。

しかも、塾にも予備校にも通ってないというのです。

弟の話だと学校でも「このまま普通にやってけば、普通に東大に行ける」と先生からもお墨付きをもらっているそう。

彼女に英語と数学を教えて、しどろもどろになった俺は彼女の帰り際に「ごめんな、さすがに自分より賢い子は教えられんわ」と言うと、彼女は悲しそうな顔をして「もう来たらダメ?」と聞いて来るのです。

そして彼女は言った。

「東大の医学部に行きたい」。

なるほど、それなら少しだけアクセルを踏み込まないと行けないかもしれない、なんていっても高校2年の春時点で模試判定はB。完全に射程圏内です。

こんなに賢い子なら2年後の入試は楽勝だろうと思っていました。

実際には東大医学部以上の大物をぶっ倒すのですが。

そんな彼女が一時帰国した2月、夜中に連絡を受けて少し遅いバレンタインチョコをいただきました。

お酒も飲むようになった彼女と、日本語がカタコトな彼女の友達と、英語がカタコトな私は朝までとりとめのない話に笑い合うのでした。

彼女は40近くも年下ですが、私みたいな怠け者の酔っぱらいからすると尊敬しかありません。

私の酒飲み友達は99.9%がどうしょうもない大馬鹿者ですが、彼女は非常に珍しい残り0.1%の人間。

いつまで連絡をくれて、友達でいてくれるのか非常に怪しいのですが楽しい徹夜でした。

とはいえ、遥かに年下ですごいヤツと酒を酌み交わすのは年に一回くらいで良いかな…。







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表に出ることをこれほど嫌った人なのに、ボクシングファンで、その名を知らないひとは1人もいない。

米国のアル・ヘイモンのことではない。彼は要所要所で姿を現し、自分がボクシング界をコントロールする支配者であることを誇示したがるフィクサーだった。


しかし、彼女は全く違う。

日本ボクシング史上最高のマネージャーが老衰のため、1月1日に亡くなった。

享年99歳。

そういう御年齢といえばその通りだが、それでもあまりにも寂しすぎる。

1980年代の終わり頃から1990年代の初め頃まで、私はよく後楽園ホールに通っていました。

リングサイドに彼女を見つけると、幸せな気分になったことを思い出します。当時、すでに彼女は伝説でした。

初めて見たとき、パンフレットにサインをもらおうと思って「そうだ、あの人はそういうことを嫌う人だった」と思いとどまりました。

意外かもしれませんが、当時の帝拳はチャンピオンメーカーではありませんでした。

大場政夫、浜田剛史が世界王者になっていましたが〝たった〟2人だけ。

現在のように業界を仕切るパワーハウスでもありませんでした。

それでも、ファンやメディアが「帝拳」を特別な目で見ていたのは、彼女の存在があったからでしょう。

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あの大場政夫が唯一、頭が上がらなかった人。




その人が、生前
「大場以来の才能」と褒めたのが、那須川天心だったそう。

天心、また一つ絶対に負けられない重たい理由が増えちゃったよ。
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