フシ穴の眼 〜スポーツ疾風怒濤編〜

      Hope Lights Our Way / 希望の道を、つなごう。

カテゴリ: がんばれニッポン!

世界陸上を楽しむここ数日、日本人が世界に勝つには?という大きな夢についても考えさせられる時間です。

これはこのブログのメインテーマの一つ。

北海道日本ハムファイターズが超大番狂わせで大谷翔平を説き伏せたときに使った、ここでも何度も取り上げている「夢への道しるべ」も思い出しました。

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昨日の世界選手権、男子マラソン。

解説の大迫傑は終盤で驚異のスピードアップした展開に「世界と戦うためには、世界を知る必要がある」と語りました。

世界選手権や五輪で世界と互角に戦うためには、そこでどんな戦いが繰り広げられているのかを、肌で知る必要がある…その通りだと思います。

日本と世界のレベル差が大きいスポーツ、種目は、レベルの高い海外に拠点を移して、心技体を研磨すべきです。

90年ぶりに世界大会決勝進出を果たしたサニブラウン・ハキームが挑み続ける男子100mもそんな種目の一つでしょう。

世界のレベルを肌で感じる機会がない日本国内のヌルい大会で出したタイムは、ただの数字に過ぎません。

もちろん、マラソンでも日本人に強豪がひしめき、福岡国際マラソンが事実上の世界選手権だった男子の80年代や、女子の2000年前後は、同じ種目でも日本をベースにすることに何ら支障はありませんでした。

現在、黄金期を迎えている男子競歩も国内拠点型です。

世界か国内か…マラソンのように時代によって変わるスポーツもあれば、軽量級ボクシングのように日本が世界トップのレベルと層を誇り、世界タイトルマッチのほぼ全てが日本で行われる半永久的に国内拠点型のスポーツもあります。

世界的に人気が高い100mは、ボクシング軽量級とは真逆で、永遠に世界に拠点を移すべきスポーツです。

100m同様に世界で人気があるボクシング中量級も、練習相手・環境が十分でない日本を拠点にするのは難しい種目です。

次々にホープが現れる軽量級とは違い、私たちがネクスト村田諒太にいつ恵まれるかは全くわかりませんが、そのときには〝村田〟の試行錯誤が大いに参考になるはずです。

世界的に人気があるスポーツは海外拠点、日本で人気があるのは国内拠点という図式はほぼ全てのケースに当てはまりますが、日本の環境が整備されているサッカーと野球は特殊です。

若い才能の段階でハイレベルで過酷な本場に飛び込むよりも、日本である程度完成してから世界に挑戦する方が成功の確率が上がるのが、野球とサッカーです。

野球とサッカーにおける若い才能にとって、拠点とする日本が才能を足踏みさせる小さな温室ではなく、世界への踏み台になってきました。

日本で世界トップの技術をほぼ完成させていた野茂やイチロー、中田英寿が本場でやることは、いかにアジャストするかに絞られていました。

大谷翔平のケースは日本である程度の輪郭を作った二刀流という、誰も想像だにしていなかったスタイルを本場で完成しつつあるという、とんでもない成功例です。

〝次の村田諒太〟や、まだ見ぬ日本人の世界ヘビー級チャンピオンは、日本ではなく早い段階で米国や英国に拠点を移し、日本で見ることが難しい存在になっているかもしれません。

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サニブラウン・アブデル・ハキームが、1932年のロサンゼルス五輪で6位入賞を果たした吉岡隆徳以来、90年ぶりの世界大会決勝進出。

“暁の超特急”を彷彿させる抜群のスタートで予選を9秒98で組1位通過。しかし、準決勝は10秒05 で+で拾われ、決勝は10秒06とタイムを落としました。

世界大会の100mで決勝進出、大快挙に違いありませんが、課題も浮き彫りになりました。

〝暁の超特急〟も米国人スプリンターの爆発力に敗れ去り(エディ・トーランとラルフ・メトカーフが10秒38の世界記録で同着=写真判定でトーランが金メダル)ましたが、サニブラウンも中盤から失速してしまいました。

「準決までに使い果たしてしまった」という言葉通りに、ゴール直後に走り抜けることなく、膝から崩れ落ちてしまいました。

90年越しの宿題です。





そして、予選1位で決勝に進んだロングジャンプの橋岡優輝には、金メダルも期待されましたが…。

2度のファールで後がない3度目の跳躍で7m86の10位に終わってしまいました。本人は「疲労がある中で体が意外に動いたので、感覚のズレがあった」と敗因を語っていますが、2度のファールで心理的に追い込まれてしまいました。



この大会のヒロイン、〝トラックの鉄砲玉〟田中希実は1500m準決勝で5着に入れず、+での通過も叶わず。

前半のスローペースで着順狙いの展開、接触の多い展開になり、最後のホームストレッチで他の選手が転倒、そこでもバランスを崩すなど不運もありました。

厳しい見方になりますが、運が悪ければ決勝には進めない、というのが現時点の彼女の実力です。




それでもなんだかんだ言っても、日本代表選手の戦いっぷりは見事でした。
 
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早起きして世界陸上。

3000mSCの三浦龍司がまさかの予選敗退。

混合4x400mリレー、アリソン・フェリックスが大きなリードを詰められてホームストレッチで抜かれてしまう…。驚くべきことでもなんでもないのですが…。


 

男子20キロ競歩は山西利和が1時間19分8秒で世陸2連覇。東京五輪・銀メダルの池田向希が1時間19分14秒で銀メダル。 

それにしても、舞台のヘイワード・フィールド、素晴らしい陸上競技場です。 
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誰もが同じように思ってることを、改めて書くことはちょっと憚られますが、今夜のTBSのボクシング中継は酷かった。

今夜「も」ですが。

あれだけ「ボクシングの地上波絶滅は由々しき事態」とか「TBS、よくやった!」とか、散々書いてきた気もしますが、21時から1時間尺、試合開始ゴングが21時30分頃「延長の場合あり」とテレビ欄にもありましたが、井上尚弥の試合じゃないんだから序盤で終わることはそもそも想定できないはず。

さらに、試合をするのが誰あろう、井岡一翔とドニー・ニエテス。KOが起きるほうが事故、というマッチアップです。 

インタバルごとにCMを挟むのは、仕方がないにせよ、ラウンドガールの水着も趣味が悪すぎ。

36分間フルラウンドの攻防が繰り広げられ、早足で尻切れとんぼ感溢れるエンディング。

地上波の魅力は誰もが気軽に見れること。そんな「誰も」が今日、この試合を見て「ボクシングって面白い!」となるのは難しい気がします。

それは現代屈指の難解なパズルボクシングが持ち味の「井岡vsニエテス」という組み合わせだからじゃありません。

井岡やニエテスの紹介にしても、見せ方があると思います。

かつてのHBOのPVなどは「強そうだな」「格好いいな」「見てみようかな」という尊敬や好奇心を揺さぶってきました。優秀な映像監督が参加して作る米国メガファイトのPVと、TBSでは予算も人材も全く違うのはわかります。

トップランク制作の井上尚弥のポスターなどは本当にお粗末ですから、米国のセンスが優れてるなんて言いません。

それにしても、です。せっかく地上波で生中継してくれたのに、やっつけ仕事感がハンパなくって。
勿体無い…。
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蒸し暑い中でぬるいビールに不満爆発寸前ながら、高校生たちの素晴らしい試合ぶりに感動しています。

青春がはじける次の試合まで、チャチャッと新しいシリーズ。


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「妄想PFP」です。

「年間括りなどではない、コロコロ変わる電子版PFPなら原田は長らくキングに君臨していたかもしれない」なんていう、妄想重ね塗りのシリーズ、始まりはじまり〜。

そもそも「Mythical ranking(妄想ランキング)」とされているPFPに、さらに妄想を重ねた新シリーズです。

リング誌が、Annual Awardsの一つとして Fighter of the Year(年間最高選手賞)とは別に、The Best Fighter poll(年間PFP)を創設したのが1980年(経営難のために2017年で廃止)、現在では2000年代後半からデジタルバージョンで都度更新されるPFPだけが残っています。

では、1979年以前は定期的に発表されるPFPは存在してなかったのか?というとその通りです。

もちろん、70年代以前のことは直接的には知りませんが、The Best Fighter pollは「シュガー・レイ・ロビンソンを語るとき以外は間歇的にしか目にすることのなかったPFPを定期的にランキングする」というのが始まり。

当時は、モハメド・アリの引退(1981年)が迫り、ヘビー級が空洞化する中でシュガー・レイ・レナードやトーマス・ハーンズ、マービン・ハグラーら中量級のボクシングに注目を向けさせるツールの一つとしてプロモーターやメディアがPFPを使ったのでした。

ロビンソンのときもそうだったように、PFPは「リングの中で強い奴(ヘビー級)だけがボクシングじゃない」という屁理屈を正当化する詭弁としていつも持ち出されていたのです。

リング誌では、1979年以前にPFPを定期的にランキングする作業は行っていなかったと推察できますが、それ以前にPFPが存在していたらどんなランキングだったのでしょうか?

「『黄金のバンタム』を破った男」(百田尚樹)の中に「(エデル・ジョフレは)世界のボクシング関係者がこぞってPFPナンバー1と評価していた」とありますが、当時はPFPは一般的に浸透していません。

とはいえ、21世紀になってからの格付けで1960年代のDecade(10年間)PFPでリング誌はアリを2位に、ジョフレを1位にランクしました。

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これは1966年8月20日時点の世界王者一覧です。10階級しかありません。ウェルター級王者エミール・グリフィスがミドル級に上がったため、ウェルターは空位、世界王者は9人しかいません。

実にシンプルです。

「誰でも世界王者の名前を簡単に覚えることができた」(リング誌)という古き良き時代です。

もし、当時も各メディアが独自のPFPを発表していたとすると、順番はともかく、この9人の世界王者をベストナインまですっぽり当てはめるしかありません。

そして、ウェルター級王者決定戦で勝利したカーチス・コークスが10番目に滑り込むような形です。

そんな、当たり前で全自動的で妄想が付け入る隙の少ないPFPは全く面白くありません。いろんな妄想が錯綜するからPFPは面白いのです。

あの時代にPFPなど誰も考えなかったのも当然です。

妄想が付け入る隙があるとしたら、もしリング誌電子版のコロコロ変わるPFPがあれば?ということです。

リング誌のDecade-PFPで1位のジョフレが1965年5月18日にファイティング原田に敗れるまで電子版でも1位だったことは疑いようもありません。

そして、原田もフライ級王者時代にPFPに名前を連ねていた可能性も大。

史上初のフライ〜バンタムの2階級制覇、それをPFPキング相手にやってのけた時点で原田がランキングに再突入していたのは確実、上位に割り込んでいたとしても驚くべきことではありません。

原田はジョフレを返り討ちにした勝利を始め4連続防衛に成功。この間にPFP1位になっていた可能性は否定する方が難しい作業です。

そうでなかったとしても、ライオネル・ローズにタイトルを明け渡す68年2月27日までに、ランキングがシャッフルされる試合がいくつも起きます。

1966年にフライ級王者ウォルター・マクゴーワンはチャチャイ・チオノイにストップされて陥落。

1967年にはヘビー級ではアリが兵役拒否でタイトル剥奪、ライトヘビー級でもホセ・トーレスがディック・タイガーに、ミドル級のグリフィスはニノ・ベンベヌチに敗れてタイトルを失います。さらに、フェザー級のビセンテ・サルディバルが引退。

この時点で、勝ち続けている原田は少なくとも2位にポジションしているはず。

ライト級のカルロス・オルチスがタイトルを失った6月29日(カルロス・テオ・クルス戦)は、原田が陥落した後ですが、この年の2月26日までは原田かオルチスが1位でした。

オルチスも名王者ですが、ジョフレを二度破って4連続防衛中の1968年2月26日(ローズに敗れる前日)までの原田と、どちらが上に評価されていたかは、正直わかりません。

Decade-PFPのトップ5はジョフレ、アリ、オルチス、グリフィス、原田の並びですから、原田はオルチスの上には行けなかったという妄想にも説得力があります。

原田寄りに立つと、「圧倒的1位」と評されたジョフレに2連勝したインパクトは相当に大きかったはずで1966年5月31日のジョフレ返り討ちでキングの座に就き、1968年まで1年9ヶ月間、その地位を守ったというストーリーも十分にあり得る妄想です。
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アマゾンは、4月9日の「村田諒太vsゲンナジー・ゴロフキン」が2015年のサービス開始以来、配信初日の視聴者数で歴代最多を記録したと発表しました。

そして、その記録は6月7日の「井上尚弥ぃvsノニト・ドネア」が更新したそうです。

ただ、いずれも具体的な数字は発表せず〝大橋節〟のようなざっくりした数字すら聞こえて来ません。

ざっくり聞こえてきたの数字は、ファイトマネー総額が「村田」 が20億円以上、「井上」が4億円以上。

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アマゾンプライムは月極のサブスクリプション、PPVではありません。 

今回の「記録」も配信初日の視聴者数であり、月極500円のアマゾンプライムの新規加入者がどれだけ増えたのかは、もちろん未公表。

実際にビジネスとして採算ベースに乗っていたのか、それとも将来に手応えを感じる赤字だったのか、思い切った先行投資として納得しての大赤字だったのかは、わかりません。

米国ではブローカーが販売した数字も含めた正確な数字が発表されますが、ファイトマネー同様に日本ではPPVの数字も〝黒塗り〟されてしまうのでしょうか?

しかし、日本でもこの手の話で、透明性が高く、誰にでも実感できる例が8年前にありました。

2014年の全米オープンで錦織圭が準優勝、独占中継したWOWOWは9月の新規加入者数が過去最高の15万3273件を記録したと発表しました。

この分かりやすさは、アマゾンプライムからは全く伝わってきません。

錦織フィーバーはテニスファンでなくても、皮膚感覚で響いてきました。発表がなくても、想像ができました。

先日のTHE MATCH2022は純粋なPPVで、単価もWOWOWの月額を上回りながら50万件以上も売り上げたというのですから、とんでもないことです。

ただ、多くの人の感想は「え?そんなに売れたの?」だったんじゃないでしょうか?

この数字が事実なら、その経済的・商業的インパクトはWOWOWの錦織効果の比ではありません。

しかし、コアな格闘技ファンを除いた、多くの生活者に、THE MATCH2022の熱狂や興奮はほとんど伝わっていなかったように感じます。

もちろん、PPVスターのメイウェザーもパッキャオもカネロも米国のカジュアルなスポーツファンにとってメジャーな名前ではありません。

「ボクシングのPFPは〝地下ビジネス〟」と言われる所以です。

そう考えると、翌日のスポーツ紙を例外に一般メディアが完全にスルーしたTHE MATCH2022が、東京ドームに詰めかけた5万6399人とPPV購入者50万人だけによる排他的な〝黒ミサ〟だったという仮説も成り立ちます。

さて、THE MATCH2022に話を戻します。

ABEMAが独占生配信した「那須川天心vs武尊」のPPV販売件数は、ABEMAの親会社サイバーエージェントの藤井琢倫執行委員が「50万以上。私が知る限りでは日本格闘技史上最も多くのみなさまに楽しんでいただけた」と明言しました。

一般チケットの価格が5500円、単純計算で25億円以上となる巨額の売上となったと報道されています。

「50万」という表現が引っかかります。PPVの単位は「件数」「世帯数」です。まさか、藤井氏がそんな基本的なことを知らないわけがありません。

まさか10万件売り上げで、1件で5人が見たとして、50万とかいう荒っぽい計算はしてないと思いますが…。

たとえ、10万件でも革命だと思います。テレンス・クロフォードよりも、ずっと人気があるってことです。

人気だけなら天心&武尊>>>>クロフォード、確定です。人気階級で人気がない…そりゃ、ボブ・アラムも文句の一つも言いたくなります。

世界の最多販売記録「マニー・パッキャオvsフロイド・メイウェザーJr.」は米国内だけで460万件、4億2500万ドルを荒稼ぎしましたが、日本の人口が米国の半分以下であること、まだテスト段階にもかかわらず50万件以上を売り上げたことを考慮すると、日本市場は途轍もない潜在能力を秘めていることになります。

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そして…没落イメージがすっかり定着したテレビ。

2019年11月の「井上尚弥vsノニト・ドネア1」はフジテレビ系列で生中継、視聴率15.2%でした。

2021年の「井岡一翔vs福永亮次」はTBS系列で生中継、6.2%。

バンタム級トーナメント決勝が、井岡の消化試合の3倍未満という数字は多いのか少ないのか、よくわかりませんが、視聴率15%で1億円の放映権料を払うテレビ局はないでしょう。

7月13日にはTBS系列で「井岡vsドニー・ニエテス」が生中継されます。水曜日、ドネア2に続いて、またしてもウィークデイです。

井岡vsニエテス…ボクヲタにはたまらんカードでも、一般のスポーツファンには「ニエテスって誰?」です。

将棋やチェスのような、ジャッジと視聴者泣かせの試合になりそうです。

6.2%の福永戦は、なんだかんだいっても大晦日でした。

週の真ん中の水曜日、視聴率はどんな数字になるんでしょうか?

まさか深夜の通販番組みたいな数字を叩き出すなんてことはないでしょうが、怖いですねぇ…。

かくいう私も見れるかどうか、録画は絶対しますが…。
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「那須川天心vs武尊」という格闘技ファンが何年も熱望していたカード。そんな特別な背景があるとはいえ、発表されたPPVの販売件数「50万件以上」は驚異的な数字です。

日本にPPVが根づくのはまだまだ時間がかかると考えていた私なんかは、認識をあらためなければなりません。

一般チケット販売価格の5500円を当て込めると27億7500万円。実際の数字はもう少しシュリンクするでしょうが、大きな誤差はないでしょう。

放映時間の問題を無視して、メインとセミの数試合で2時間枠と考えると、テレビ放映権料は1億円も集まりません。

毎回、東京ドームをフルハウスにして、高額のPPVが好調に売れるわけはありませんが、米国市場でも50万件を単体で確実に売れるのはカネロ・アルバレスだけです。

カネロはコンスタントに100万件以上売り、単価も高いため同列には語れませんが、天心vs武尊の商品価値はテレンス・クロフォードvsエロール・スペンスJr.と比べても大きく見劣りしないレベルです。

もちろん、天心vs武尊は究極のハレの舞台であること、Abemaの親会社サイバーエージェントの藤井琢倫執行委員の発表数字が事実だとしたなら、ですが。

50万件以上が事実なら、本当に画期的なことで、後日、米国のように詳細な数字が固まれば発表すべきです。というか、歴史に残る巨大な成功を収めたのですから、発表すべきです。

そして、この成功の果実はメインを戦った2人とアンダーカードの選手たちに還元しなければなりません。

ファイトマネーを公表する最初のステップになれば、素晴らしいのですが…。ボクシングでもそこは黒いベールに隠してしまいますから、難しいでしょう。

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6月19日(日)東京ドーム

THE MATCH 2022

那須川天心vs武尊

地上波やAmazonプライムの価格なら絶対見ようと思ってましたが、PPV5000円以上するとわかって断念。

魔裟斗がK1ワールドマックスで優勝したとき、ロッカールームで「これは価値がある。ボクシングでいうとWBAやWBCのタイトル」と語り、「ラスベガスでバーナード・ホプキンスと戦いたい」と夢見るのを聞いて悲しくなりました。

大相撲の優勝力士がそんなことを口にすると、どうでしょうか?

あるいは、井上尚弥がPFP1位になって「バロンドールと同じくらいの価値がある」なんて言ってしまったら?

那須川天心がボクシング転向を決断した理由を「キックでやり残したことはない」といくら説明しても、彼が陽の当たる場所を渇望したのは明らかです。



もしもの世界…キックが日本はもちろん世界的にも認められていたなら…。

引退したキックのスター選手に現役のスターボクサーやMMAスターがキックルールでexhibitionを〝土下座〟して熱望するようなステイタスがキックにあったなら、天心はキックにとどまっていたでしょう。

天心がやろうとしているのは「泪橋を逆に渡る」ことです。

もし、格闘技の才能溢る少年の前に神様が現れてこう尋ねたらどうでしょう。

「日本人のあなたの願いはどれですか?一つだけ叶えてあげます」。

●日本中の注目を集めて東京ドームをフルハウスにするキックボクサー。

●社会的にも認知され、ボクシングファンから尊敬を集めるフライ級やバンタム級のボクサー。

●米価のラスベガスや巨大スタジアムで世界中から注目され、Forbesアスリート長者番付1位に君臨するウェルター級やヘビー級のボクサー。


最後の「願い」と、他の二つの違いは、世界的・圧倒的・爆発的なカネと名誉の熱量というだけです。

三つともその競技に全身全霊を注いで、与えられた場所で頂点に立ったのですから、本質的な意味での貴賎など存在しません。

しかし、三つの間には乗り越えることなど出来る道理がない高くて分厚い壁がそそり立っています。

それでも、天心は与えられた場所に「NO」と言ったのです。

キックはかつて「ボクサーの姥捨山」と呼ばれていました。〝泪橋〟は、落ちてゆく者が通る一方通行でした。

一方通行の標識を無視して、泪橋を逆走しようとしているフロントランナーが、那須川天心です。

そして、そんな姿勢は武尊にとって面白いわけがありません。キックボクサーであることの誇り、という一点で、武尊は天心を大きく上回っています。

もちろん、武尊の前に神様が現れて「人生をやり直す三択」を提示したら…。

いずれにしても、天心も武尊も感情移入しやすい人生とキャリアを重ねてきました。

そこに刻まれた生き様は、五輪金メダルからプロボクシングの人気階級で大きな花を咲かせ、社会的認知の印鑑をいくつも押印してもらい、誰からも抱きしめられた、そもそも泪橋など見たこともない村田諒太とは全く違うものです。

村田が睨みあげたゲンナジー・ゴロフキンやカネロ・アルバレスは、彼らの空にはどこをどう探しても、どんなに目を凝らしても見えません。

それは、井上尚弥の目に映る軽量級の空でも同じことです。

いいえ、見えないのではありません。

彼らの空には、残酷な話ですが、元からそんな星など輝いていないのです。

泪橋を逆に渡ろうとする天心に、タダでは渡らせないと立ち塞がる武尊ーーー。

当日は昼間にボクシングのライトヘビー級3団体統一戦を見て、THE MATCHは見ませんが、2人ともベストの状態でリングに上がり、悔いの残らない戦いたいをしていただければ、と願っています。

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「日本史上最大の決戦」が「興行規模、どれだけリッチな試合だったか」を物差しとするなら、今年4月9日に行われた「村田諒太vsゲンナジー・ゴロフキン」で、誰も異論はないでしょう。

正式な発表はありませんでしたが、両者のファイトマネー合計は20億円を優に超えたと言われています。



ちなみに、先週の6月7日の「井上尚弥vsノニト・ドネア」は井上が2億1000万円(ジュニアフェザー級以下では世界史上最高)といつものように大橋秀行会長が発表しましたが、ドネアは不明。

井上の半分もなかったのは間違いありません。

日本で大きな人気とステイタスを誇る井上と、米国で行き場のない不人気選手ドネア。米国でやっていたら、ドネアはもちろん、井上の報酬も大きく目減りしていたでしょう。


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一方、GGGは日航機のハイクラスシートから、宿泊ホテルまで、その豪華さが話題になりました。

村田の世界戦の相手はこれまでも試合が決まると来日して記者会見を開催するなど、軽量級の試合とは全く様相の異なる光景を見せつけてきましたが 、やはりゴロフキンは最上級でした。

「どれだけリッチか」という尺度なら、ゴロフキンの上にはカネロ・アルバレスかタイソン・フューリー、アンソニー・ジョシュアの3人しかいません。

村田が到達した地点は、日本人にとって最も遠い舞台でした。

ただし「興行規模」の物差しを「ビジネスベース」だけの視点からドライに捉えると、どうでしょうか?

コロナの影響で入場者制限があったにせよ、さいたまスーパーアリーナの入場者は1万5000人。「史上最大の戦い」と呼ぶには寂しい数字です。

フォーブスのスポーツ長者番付にもランクされた経験のあるゴロフキンの招聘にファイトマネーと渡航費・宿泊費以外にも巨額の費用が投資されたのは間違いありません。ビジネスベースでは、決して大儲けの興行ではなかったのです。

また、試合を放送・放送したのは地上波ではなくAmazon-prime。日本列島に与えた熱度でも「史上最大の戦い」には物足りないものでした。

そう考えると、同じたまアリに2万2000人を集客し、テレビ視聴率43.2%を記録した「亀田興毅vs内藤大助」の世界フライ級戦の方が、世界ミドル級タイトルマッチよりも遥かに大きな利益を上げたはずです。
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後楽園球場でメガファイトを繰り広げた白井義男は別格として、21世紀限定なら「亀田vs内藤」が、ビジネスベースではボクシング最大の戦いです。

その「白井の後楽園球場」以来、日本人が巨大スタジアムでメインを張るメガファイトが実現しました。

井上尚弥も羨んだ「那須川天心vs武尊」。

残念ながら、地上波の放送がなくなりましたが、この試合がビジネスベースで日本最大の戦いであることは、疑いようがありません。
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昔の方が良かった、なんてわけがあるはずもなく、世の中は前を向いて歩き続けています。

80年代でも後楽園ホールはタバコの煙で充満し、リングサイドには見るからにその筋の人が鎮座していることも当たり前の風景でした。

女性や子どもなどが気軽に見れる、そんな空気ではありませんでした。

これを言い出すと、プロ野球も大相撲も暴力団と無関係ではいられない時代が長く続いていました。

もっと言うと、多くの上場企業ですら総会屋=暴力団などの反社会的勢力とは無縁ではいられませんでした。

80年代とはそういう過去との決別が始まる時代でもありましました。

私がボクシングの魅力に取り憑かれた80年代とは、そんな時代です。

それにしても、今更ですが「平成の怪物」のような紋切り型の表現は嫌いじゃありません。

年号で一括りに出来るほど、アスリートの才能は単純ではありませんが、松坂大輔の登場によって江川卓は「昭和の怪物」になりました。

村田兆治の「昭和生まれの明治男」も、令和に生きる若い人にはよくわからない感覚かもしれません。

そもそも、昭和が長すぎるんです。

昭和元年(1926年)〜昭和63年(1988年)。63年間です。

ここに区切りを入れるとなると、いくつか考えられますが、一つだけとなると昭和20年(1945年)で誰も異論はないでしょう。

この年で大日本帝国が滅亡したというのに、元号が続いたというのは、世界史的にもあり得ない事象でした。

ボクシングは戦前から行われていましたが、日本人が世界選手権を目指す、となったのは戦後すぐのことでした。

相撲や野球では体感できない、世界で戦う日本人を応援できる愉悦。プロボクシングは、特別なスポーツでした。

「6回戦でもボクシングだけで食っていけた」。そんな時代があったのです。





「今や、世界戦を作ればテレビ局が飛びつくという時代は過去のものとなり、日本のボクシング関係者にとって大変ビジネスのやりにくい時代に入ったといわれる」。

これは、最近のニュース記事ではありません。

昭和60年(1985年)、37年前の「ワールド・ボクシング9月号」の「日本のリングビジネス」の導入部分です。 

常に視聴率30%以上を叩き出していた具志堅用高の時代は終わり、具志堅からエースのバトンをリレーした渡辺二郎ですら「良くて20%、裏番組で巨人戦があったとはいえフリオ・ソト・ソラノ戦では12%と極端に低い数字に終わった」。
 
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渡辺二郎も憧れた世界ミドル級王者マービン・ハグラー。

当時の米国リングの中心はマービン・ハグラーがメガファイトを繰り広げ、1985年は4月にトーマス・ハーンズとの白熱の3ラウンドで戦慄のKO劇を演じていました。

とはいえ、米国でもボクシングは斜陽スポーツ。ハグラーが破格のファイトマネーを稼ぎ出し、マイク・タイソンが世界王者に向けて破竹の快進撃を続けていましたが、全体市場は縮小する一方。

しかし、80年代から世界のボクシングに耽溺した私の皮膚感覚では、日本や米国のボクシングが下り坂だと感じることはできませんでした。

全盛期、黄金時代を知らないのですから、それも当たり前のことでした。

1980年代、渡辺が高額チケットを引き受けてくれる、テレビ局との裏交渉もしてくれる、反社会勢力のサポートを感謝したとして、誰が非難できるでしょうか。 

そんな80年代からさらに遡る1960年代。

ボクシングの黄金時代。ファイティング原田の時代です。

そして、その裏側、黄金時代の闇に飲み込まれたのが青木勝利でした。

先日、青木勝利の人生と当時のボクシングシーンを描いた「『ジョー』のモデルと呼ばれた男」を購入して帰宅すると、ファイティング原田に大きくページを割いたリング誌7月号が届いていたと書きました。

偶然は重なり、青木本を読んでいると仕事関係の知人から「中央線の古本屋をサーキットしましょう」とメールがありました。

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そのときは、すぐに気付きませんでしたが、青木が少年時代を過ごし、晩年には暴力沙汰や無銭飲食を重ねた善福寺川から西荻窪界隈を知人の車で走ると「そうか、ここだ」と思い至りました。

ファイティング原田が、ノンタイトル戦だったにもかかわらず最も印象に残る試合に青木戦を選び、エデル・ジョフレは自らの伝記本の表紙にジョー・メデル戦ではなく青木戦の写真を使いました。



原田のジョフレ戦に次ぐ、日本人最大の勝利を収めた柴田国明(ビセンテ・サルディバル戦)が憧れたのが青木でした。

「とにかくすべてがカッコよかった。ジョフレに倒された時の倒され方まで、カッコいいと思った」(柴田)。

当時のことは映像でしか知らない私でも、青木が放つ妖しい色気はわかるような気がします。

青木はファイティング原田、海老原博幸、と並んで「三羽ガラス」と称されました。

最も才能があると言われながら、直接対決では原田にも海老原にも敗北。世界王座にも、1人だけ手が届かなかったのが青木です。

あの妖しい色気は、闇の深淵から立ち上っていたからこそ際立っていたと感じるのは気のせいでしょうか。
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