フシ穴の眼 〜スポーツ疾風怒濤編〜

      Hope Lights Our Way / 希望の道を、つなごう。

カテゴリ: がんばれニッポン!

1970年代、依然としてプロボクシングの世界戦は野球と大相撲に並ぶか、それ以上のスポーツイベントであり続けますが、すでに地盤沈下は始まっていました。

ゴールデンタイムに毎日のように放送されていたボクシング番組は徐々に姿を消し、深夜の時間帯に追いやられてしまいます。

それでも、70年代を代表するファイター、輪島功一、大場政夫、具志堅用高は個性的な光を放っていました。

また、西城正三や沼田義明、小林弘、柴田国明、花形進らもスポーツファンなら誰もが知る名前でした。

しかし…。

70年代末になると、具志堅はメジャーだけど他の世界王者はそうとは言い切れない、というこれまで経験したことのない空気が漂い始めます。


③ZERO−THREE〜もはやメジャースポーツではない〜(1970~79)
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21世紀の亀田興毅は、具志堅用高に匹敵する視聴率を何度も叩き出しましたが、それをもって亀田を「国民的英雄」とみなす人は誰一人として絶対に存在しません。具志堅こそが、ボクサー最後の国民的英雄でした。


【メディア】テレビ 

【ボクシングヒーロー】輪島功一 大場政夫 具志堅用高

【国民的英雄】王貞治 具志堅用高

戦後、日本人が楽しむ観戦スポーツはプロ野球と相撲、そしてプロレスとボクシングでした。

プロ野球と大相撲は「巨人、大鵬、卵焼き」のフレーズが語るように、子どもにも人気のスポーツでした。

それでも、女性の社会進出は今以上に遅れていた時代、スポーツに熱狂するのは大人も子どもも男性が中心。

さらに、大相撲はもちろん、プロ野球もドメスティックな構造で、世界と戦う日本人を応援できる舞台はプロレスかボクシングしかない時代でした。

プロレスが〝八百長〟と世間にバレ、主要メディアからスポーツとして認知されなくなると、世界で戦う日本人を応援できるのはボクシングのリングだけになります。

1957年、読売ジャイアンツ入りした長嶋茂雄の契約金は史上最高の1800万円、年俸200万円でした。

一方、1940年代から1950年代前半に活躍した、白井義男のファイトマネーはノンタイトルで500万円前後、世界戦で1000万円前後だったと伝えられています。

ボクシングの世界チャンピオンには、憧れるのに十分の価値のあったのです。

■日本の世界挑戦■

70年代にはWBAからWBCが完全分離、世界一が二人いるのが当たり前の時代が幕開けました。

また、ジュニアフライ級やジュニアフェザー級などいわゆる水増し階級が続々と作られ、世界挑戦のチャンスは劇的に増えます。

それでも、ジュニアフライ級の具志堅は輪島の連続防衛記録6を更新した頃から、高い注目度を集め続けます。


王の最高年俸は公表数字で8000万円。具志堅のファイトマネーは1試合4000万円でしたが、年4試合で1億2000万円。

1試合のファイトマネーがプロ野球トップの年俸を超えた原田ほどではないにせよ、最も稼ぐプロスポーツ選手がボクサーであった最後の時代でした。

また、当時は王貞治の本塁打世界記録と並んで、具志堅の記録がどこまで伸びるのか?が国民的関心事でした。

王はもちろん、具志堅にも国民栄誉賞第一号の受賞が検討されていたのです。

そして、具志堅がついに敗北、引退する80年代の足音が徐々に近づいて来ました。
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当たり前の話ですが、誰もが時代に翻弄されて生きています。

もし、井上尚弥が生まれるのが60年早かったら、国民的英雄になっていたでしょうか?それとも1団体8階級時代の荒波に沈んで、世界王者になれないままリングを降りたのでしょうか。


時代背景と、その時代の代表的なボクサーから、このスポーツの地盤沈下の過程を辿ってみます。

①ZERO−ZERO〜白井義男から全てが始まった〜(1945〜59)
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白井のホームリングは9試合を戦った後楽園球場。今では想像もできませんが、ボクシング人気はそれほど巨大で、世界戦はあらゆるスポーツの試合を圧倒する国民的イベントでした。


【メディア】(街頭)テレビ 
【ボクシングヒーロー】白井義男
【国民的英雄】力道山 白井義男 長嶋茂雄
戦後、日本人が楽しむ観戦スポーツはプロ野球とお相撲、そして格闘技でした。

プロ野球と大相撲は「巨人、大鵬、卵焼き」のフレーズが語るように子どもにも人気のスポーツでした。それでも、女性の社会進出は今以上に遅れていた時代、スポーツに熱狂するのは大人も子どもも男性が中心。

大相撲はもちろん、プロ野球もドメスティックな構造で、世界と戦う日本人を応援できる舞台はプロレスかボクシングしかない時代でした。

プロレスが〝八百長〟と世間にバレてしまうと、主要メディアからスポーツとして認知されなくなると、世界で戦う日本人を応援できるのはボクシングのリングだけになります。

1957年、読売ジャイアンツ入りした長嶋茂雄の契約金は史上最高の1800万円、年俸200万円でした。

一方、1940年代から1950年代前半に活躍した、白井義男のファイトマネーはノンタイトルで500万円前後、世界戦で1000万円前後だったと伝えられています。

■日本の世界挑戦■

▶︎世界フライ級:「パスカル・ペレスvs米倉健志」(15ラウンド判定負け)/「ペレスvs矢尾板貞夫」(13ラウンドKO負け)



②ZERO−ONE〜ファイティング原田の時代(1960〜1969年)
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原田をFrantic Windmill(狂った風車)と名付けたスポーツイラストレイテッド誌は「原田のファイトマネーはどう低く見積もっても5万ドル」とも報じました。

1954年11月26日に白井が世界フライ級王座を失ってから、日本の世界タイトル奪還への挑戦が繰り返されます。


■日本の世界挑戦(60年代・Before原田vsキングピッチ)■
▶︎世界フライ級「ポーン・キングピッチvs関光徳」(15ラウンド判定負け)/「キングピッチvs野口恭」(15ラウンド判定負け)

▶︎世界バンタム級:ホセ・ベセラvs米倉」(15ラウンド判定負け)

▶︎世界フェザー級:「デイビー・ムーアvs高山一夫①」(15ラウンド判定負け)/「ムーアvs高山②」(15ラウンド判定負け)。

1950年代から続く世界挑戦失敗は「白井vsペレス」から数えて9試合。王者不在の暗いトンネルは8年もの長きに渡りました。

それでも、東京キー局の全てがゴールデンタイムにボクシング中継の番組を持ち、4回戦や新人王戦も注目試合は中継された時代です。世界戦に挑むボクサーの名前は最も有名なアスリートの一人だったでしょう。

当時のことは伝え聞いたり、活字や写真で知ることしかできませんが、世界タイトル奪還に日本が燃え盛っていたボクシング黄金時代だったことは想像に難くありません。

19歳のファイティング原田がキングピッチを11ラウンドKOして、世界タイトルを奪い返したとき、日本列島がどれほど沸き立ったことか。

矢尾板の突然の引退で降って湧いた世界挑戦。キングピッチが1位の海老原博幸ではなく、減量苦からバンタム級転向初戦で敗北していた原田を選んだ事実…原田もまた〝パッキャオ〟でした。

もし、矢尾板がジム会長の理不尽なパワハラに耐えかねて、試合直前に引退していなければ?

もし、原田がバンタム級転向試合で世界7位のエドモンド・エスパルサに勝っていたら?

1年前にエキシビションで矢尾板は原田を子供扱いしたといいます。矢尾板がキングピッチに挑戦していても、悲願の世界タイトル奪還は果たされていた可能性大でした。

そうなると、原田の世界挑戦が大幅に遅れるばかりか、フライ級での挑戦も叶わなかったでしょう。史上初のフライ〜バンタム2階級制覇の偉業はなかったことになります。

しかし、何の運命のいたずらか、19歳の少年は圧倒的不利と見られたリングに上がることになります。

「(当時のルール・環境で)現代のボクサーが原田に勝つのは不可能」(百田尚樹)という強さで、大番狂わせを起こします。

そして…原田の偉業にさらに輪をかけたスペクタルな続きがあることに、「8年ぶりの世界王者誕生!」に色めき立ったファンやメディアはまだ知る由もありませんでした。

【メディア】テレビ
【ボクシングヒーロー】ファイティング原田
【国民的英雄】ファイティング原田 長嶋茂雄

1960年に金田正一がプロ野球選手として史上初の年俸1000万円を突破、1969年には長嶋が4140万円までこの数字を更新します。しかし、長嶋はプロ野球界でも別格の存在で、多くの選手にとっては「1000万円プレーヤーなんて夢のまた夢」の時代でした。

世界王者になってからの原田のファイトマネーは4000〜6500万円といわれています。そして原田は、初戴冠のキングピッチ初戦(1962年10月10日)から、ジョニー・ファメション戦で(1970年1月6日)引退するまで35試合を戦いました。

「視聴率」が報酬のモノサシなら、長嶋が4140万円で原田は6500万円というのは、いくらなんでもあまりにも原田の金額が低すぎるように思えてきます。


■日本の世界挑戦(60年代・After原田vsキングピッチ)■

▶︎世界フライ級:「海老原博幸vsキングピッチ」(1ラウンドKO勝ち)/「オラシオ・アカバロvs高山勝義」(王者決定戦=15ラウンド判定負け)

▶︎世界バンタム級:「エデル・ジョフレvs青木勝利」(3ラウンドKO負け)/ライオネル・ローズvs桜井孝雄」(15ラウンド判定負け)

▶︎世界フェザー級:「シュガー・ラモスvs関光徳」(6ラウンドTKO負け)/「ジョニー・ファメションvsファイティング原田①」(15ラウンド判定負け)/「ファメションvs原田」(14ラウンドKO負け)/「西城正三vsラウル・ロハス」(15ラウンド判定勝ち)

▶︎世界ジュニアライト級:「フラッシュ・エロルデvs小坂輝男」(12ラウンドTKO負け)/「沼田義明vsエロルデ」(15ラウンド判定勝ち)/「小林弘vs沼田」(小林の12ラウンドKO勝ち)

▶︎世界ライト級:「カルロス・オルチスvs小坂輝男」(5ラウンドKO負け)

▶︎世界ジュニアウェルター級:「エディ・パーキンスvs高橋美徳」(13ラウンドKO負け)/「藤猛vsサンドロ・ポポロ」(2ラウンドKO勝ち)

「日本のボクシング黄金時代は1960年代」。それは、当時の断片的な情報だけでも、よくわかります。
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2021年のリング誌各賞。日本人は受賞はおろか、次点にもからめない寂しい結果に終わったと思ってましたが、FIGHT OF THE YEAR(年間最高試合賞)の次点に「矢吹正道vs寺地拳四朗」が食い込んでいました。

受賞したのは「タイソン・フューリーvsデオンティ・ワイルダー第3戦」。

次点は「ロジャー・グティエレスvsレネ・アルバラード」「矢吹vs寺地」「ファン・フランシスコ・エストラーダvsローマン・ゴンザレス」「スティーブン・フルトンvsブランドン・フィゲロア」の順でした。
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「矢吹vs寺地」が受賞していれば、2019年の「井上尚弥vsノニト・ドネア」以来、2年ぶり3度目(日本人絡み初は2015年の「フランシスコ・バルガスvs三浦隆司」)でしたが…。

FIGHT OF THE YEARで最も格上なのは、もちろんBWAA選出のAli–Frazier Award(アリvsフレージャー賞)で「バルガスvs三浦」「井上vsドネア」はことらでも選ばれています。

また、ESPNでは2011年に「八重樫東vsポンサワン・ポープラムック」を選出。

日本のファン的には「矢吹vs寺地」はFIGHT OF THE YEARではなくUPSET OF THE YEARだと思うのですが、名勝負だったのは確かです。

年間各賞で飛び抜けて権威があるのも、BWAAのシュガー・レイ・ロビンソン賞。こちらは、まだ日本人の受賞は叶えられていません。

ちなみに、このリング誌3月号のWORLD BEAT(世界のボクシング)日本コーナーで宮田有理子さんが「矢吹vs寺地」をUPSET OF THE YEARに選出しています。
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井上尚弥の「ひかりTV」「ABEMA」によるPPV、村田諒太が予定していた「Amazonプライム」でのサブスクリプション。

ボクシングが地上波TVから離れることは、マイナー化とマニア化の底なし沼にハマってゆくことと同義です。

それでも、プロボクシングが夢のある世界だと伝えてゆくには、正しい、そして勇気ある選択だったと思います。
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しかし、そこに欠かせないのはクリアな数字です。

大橋秀行会長は「目標数値は超え、満足のいく次につながる結果だった。合格点。成功といえる」と、視聴料金3960円に設定されたPPV配信を自画自賛しましたが、具体的な視聴者件数は発表しませんでした。

今回に限らず、ボクシング界の悪しき慣習です。

報酬はプロスポーツの価値を最もわかりやすく表現する手段です。

これまで、日本のプロボクシングでは大橋会長の「コロナ下なのに100万ドル、このまま防衛戦を重ねると天文学的数字になる」「目標数値は超えた(でも数値は発表しない)」のコメントに代表されるように、ザックリとした数字(ときにはザックリ以下)が主催者からボヤッと発表されるのが常でした。

そこにあるのは「見栄や背伸び」だけでなく「ジムはプロモーターとマネージャーまで兼任」「選手は所属ジムの〝社員〟」という一蓮托生な関係です。

良い意味もありますが、悪い意味でも非常にウェットな人情的なつながりです。

ジムはほとんど儲けがなくても、社員の世界挑戦を実現するために興行を立ち上げます。世界王者になって安定した興行収入を得られるようになると、社員はジムに恩返しするようにジムが決めたファイトマネーをもらいます。

それが、たとえ競争入札となっても、そこにつぎ込んだ想定以上の金額を補填するために、ジムにファイトマネーの一部を還元する薬師寺保栄のような選手の存在も、日本では物珍しい目で見られることはありません。

ボクシング界には「まず契約ありき」のプロ野球などで見られる給料泥棒は存在しません。

ボブ・アラムのように「テレンス・クロフォードの試合は赤字」と傘下の選手を皮肉ることもありえません。

先月の井上のPPVは、米国型の販売件数からファイトマネーが拠出されるスタイルではないのは明らかです。

ひかりTVとABEMAはPPV販売がどんな数字になろうとも、選手報酬を下支えする〝放映権料〟を先行投資のつもりで支払っていたはずです。

ひかりTVとABEMAにとって、今回の取り組みはビジネスというよりも「未来のための実験」という性格が濃かったのは、日本のPPV文化を考えると当然です。

今後、米国の半分でもPPVが浸透するようなら、地上波テレビでは全盛期の亀田並みの視聴率を稼がなければありえなかったファイトマネー数億円という金額を、誰が身を切るわけでなく、選手に支払われます。

〝米国の半分〟が長い道のりの先にあるのかどうか、不安になりますが、地上波テレビが力を失った大洋に、もう最初の船は出航しました。 

これからPPVの時代が幕を開けるのかどうかは、わかりません。現段階では否定的な意見の方が多く見られます。

しかし、確実に始まるのは世界チャンピオンの格付けが、今以上に残酷に鮮明になってゆくということです。 
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箱根駅伝出場20校のうちちょうど半分の10校(駒澤大学、創価大学、青山学院大学、帝京大学、国学院大学、東京国際大学、山梨学院大学、神奈川大学、中央学院大学、駿河台大学)が関東インカレ2部校です。

2部校なのにどうして箱根駅伝だけ滅法強いのか?

この10校は漏れなく、大学から潤沢な予算を割かれる〝特殊部隊〟です。

戦後の優勝校は明治大学、中央大学、早稲田大学、日本大学、順天堂大学、日本体育大学、大東文化大学のわずか7校が1991年までの46年間のタイトルを分け合ってきました。

大東大を除くと、いずれも伝統の1部強豪大学。大東大は長距離種目に軸足を置いた特殊部隊、2部降格も経験しましたが1部校に踏みとどまっていました。

今回出場の2部校10校は、短距離やフィールド種目を完全に切り離した(あるいは存在しない)長距離だけなら1部強豪大学をも凌駕するモンスター部活です。

駅伝はインカレ種目にありません。長距離もトラック種目の一部です。そしてトラック種目はフィールド種目とともに陸上競技を構成している、やはり一部です。

長距離選手も短距離選手も、投擲選手も跳躍選手も、大学の陸上競技選手が追求すべき目標は個人と大学のインカレ優勝です。

しかし、この30年足らずで蔓延した長距離に特化したモンスター部活は、大学のインカレ優勝など目もくれず、それどころか1部昇格すら全く考えずに、関東のローカル大会に過ぎない箱根駅伝での露出だけにひたすら集中するという一元的な特徴を持っています。

様々な種目を擁する陸上競技の中から、長距離と箱根駅伝にだけ特化し、全日本の駅伝を「調整試合」と位置づけ、関東ローカルの箱根駅伝に全てのエネルギーを注ぐ。

恐るべき矛盾、何という倒錯でしょうか。

この歪なムーブメントに、箱根駅伝の統括団体・関東学生連合は「インカレ・ポイント」を予選会に導入するなど「箱根偏重」に歯止めをかけようとしました。

モンスター特殊部活が席巻する箱根駅伝に、陸上競技部として頑張っている大学の出場チャンスを広げようということです。

箱根駅伝が日本のスポーツ界で最強コンテンツの一つになったことで、①矛盾と倒錯が渦巻き、②それを抑えようとする動きが具体化しました。

①大学が知名度向上のために陸上競技から分離した「箱根駅伝部」に予算を集中投下。1部校を駆逐するモンスター部活が箱根を席捲。

②箱根路から追放される真面目に陸上競技に取り組む一部校を救済するために、関東学連がインカレピントを導入。

①の矛盾と倒錯について。あまりにも巨大な存在となった箱根駅伝が関東ローカル大会というのは、もはや書類上だけです。青学の原監督のように「全国に〝昇格させるべき〟」という意見はもっともに聞こえます。

歪んだ「箱根駅伝部」が全国的に生まれるだけ、という批判もありますが、少子化で大学受難の時代です。箱根の全国解放は、地方の無名大学が認知度と好感度を上げるチャンスを与え、地方再生の一翼を担えるかもしれません。

一方で、巨万のマネーを生み出すドル箱・箱根駅伝を関東学連が日本学連に譲る訳がありません。関東学連からすると「こっちが努力して育てた箱根駅伝。全日本が人気ないのはそっちの努力不足」という言い分には一理あります。

「箱根駅伝が生み出すお金はどこへ行った?(関東学生陸上に目に見える形で還元しろ)」(大迫傑)というのは正論です。

②については、人気のない陸上競技種目を救済する必要があるのか?という反論があります。

五輪でも不人気種目は削除されます。

たとえば、男子100m走など人気種目の利益をソフトボール救済に使うなんて、バカげています。人気のない種目は消えるべき。日本だけで人気があるのならロビー活動を強化して、男爵どもの頬を札束で叩いて「ソフトボールは聖域」と思わせることです。

人気種目に金と人を集中するのは当然です。「箱根駅伝部は陸上部じゃない。短距離やフィールドにも投資しろ」なんて、共産主義的な思想です。

スポーツは公平な条件で戦うからスポーツです。

予選会のレースで勝ったのに、インカレポイントで負けた、なんてありえません。その試合に全く関係のない大会の成績が結果を操作するなんて犯罪的です。絶対にあってはいけません。ボクシングのキャッチウェイト以下です。

少子化と帰宅部増加で、中高生のスポーツ人口は大きく減少しています。人気スポーツとは到底呼べない陸上競技、その中でもフィールド種目は、いずれ誰もやらなくなるかもしれません。

私たちの時代、国立競技場で開催されていた関東インカレ。まず「サッカーのフィールドを損傷する」という理由からフィールド種目が郊外の競技場に追放されました。

体育倉庫に10年以上も眠ったままの砲丸や槍、ハンマー、ポールなどが老朽化で廃棄されてしまうことも何度か耳にしました。
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新国立競技場の陸上トラックも五輪後、撤去される予定でした。

近い未来「陸上競技」は死語になるかもしれません。

他のスポーツ選手も教えを請う、日本史上で最高アスリートの一人、室伏広治の後継者が現れることも永遠になくなるでしょう。

諸行無常の資本主義の国で、こんなことを書き連ねても野暮なだけです。

競技場からトラックが消え、陸上競技が死語となり、箱根駅伝だけが一年一度盛り上がる。

少し前まで、関東ローカルの箱根駅伝は、世界を目指すランナー育成の障害物の一つと考えられてきました。

しかし、視聴率だけならダントツで日本最高のスポーツになった箱根駅伝のレベルアップは想像を絶する領域にまで達しています。

世界のトラックレースで勝負できる、三浦龍司のような才能も生み出しました。箱根路で燃え尽きるのではなく、五輪やダイアモンドリーグを口にする選手が増えてきたのも、素晴らしいことです。

箱根と世界の距離は間違いなく縮まっています。

陸上競技が死語になったトラックも水濠もない近未来。瀬古利彦ですら「通用しない」と諦めたトラックレースの舞台で、世界をねじ伏せる箱根ランナーが躍動しているかもしれません。
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10代・20代の頃の憧憬は、どんなに年を取っても色褪せません。

私にとって箱根駅伝も、そんな甘酸っぱい記憶の一つです。
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昨日、購入した「Number1042」を読みました。

それにしても。

私たちの時代はアイルトン・セナやマーベラス・マービン・ハグラーやマイク・タイソン、アイルトン・セナ、長嶋茂雄や落合博満…問答無用のメジャーが表紙を飾り、特集していたNumber誌です。

箱根駅伝を完全選手名鑑を付録に付けるまで奉納してくれる時代が来るなんて、当時は考えられませんでした。

90年代初頭まで、大学スポーツの花形は圧倒的にラグビー対抗戦グループでした。Number誌も繰り返し特集していた記憶があります。

六大学を中核とした野球が続き、そこから大きく引き離されて箱根駅伝は3番手(グループ)に埋もれていました。

「対抗戦」「六大学」「箱根駅伝」、この三つの大学スポーツの大会に共通しているのは「関東ローカル」ということです。つまり、大学の中でも地域タイトルを争う大会に過ぎないのです。

「対抗戦」「六大学」に至っては、他の関東リーグに蹴散らされることも珍しくない、関東ローカルのOne of themという局地的な大会です。

ボクシングで例えると、Undisputed Champion(完全統一王者)よりもWBOアジア・パシフィックの方が圧倒的・絶対的に人気がある状況です。いや、それ以下です。

かつてのラグビーがそうであったように、レベルの低いステージが注目されるスポーツは発展しません。世界に通用しません。

箱根駅伝が世界へのジャンピングボードの役割を果たしているかどうかは疑問ですが、以前と比較すると「日本代表」には多くの人材を送り込むようになりました。

ラグビーの「対抗戦」は関東でも一つのピースに過ぎませんでしたが、「箱根」は関東だけならUndisputed 、大学という特性からも日本全国から才能が集まるタレントタンクになりました。

私が大学の門をくぐった80年代末、当時の箱根駅伝は「出場校は15校、今よりも狭き門でした」(大八木弘明・駒澤大学監督)。

この名伯楽の言葉は「15」という数字だけを根拠にした、全くの大嘘です。 

本戦出場の難易度は「20」までエキスパンションされている現代の方が、大袈裟ではなく100倍狭き門です。 

私が現役ランナーの頃は、箱根駅伝を見ていても「こいつ、俺より遅いくせに」という選手を何人も数えることができました。

私は酒は飲むは、練習はしないわ、月間走行距離が300㎞に達したこともない腑抜けランナーでしたが、予選会は100位前後で「俺が10人いたら軽く本戦出場」でした。

これは、いつもの自慢ではなく、それほどレベルが低かったのです。

当時は5000mを15分で走る、大学生としては決して速くない選手が10人いれば予選突破は100%可能でした。今年の青山学院は「26人が13分台で走る」(原晋・監督)そうですから、もはや異世界です。

青学では13分台で走っても関東インカレに出場できないランナーが、23人もいることになります。ありえません。

そして、間違いなく世界最強の長距離大学である青山学院が、関東インカレでは2部校という錯乱の事態が箱根駅伝の暗部の一つです。

甘酸っぱい記憶の箱根駅伝をここまでメジャーにしてくれたのは〝青学的な箱根超偏重主義〟のおかげです。

しかし、それでも、東海や早稲田、順天堂、明治。中央、日体大、法政、専修、国士舘の陸上競技1部校を応援したくなるのは、私が陸上競技部の人間だという意識が、今でもやっぱり、はっきりあるからかもしれません。
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私の場合、季節は関係ないかもしれませんが…12月はお酒を飲む機会が増える季節です。

今夜は渋谷で、仕事先の方と少人数の忘年会。10時過ぎでお開き。

渋谷で飲むことはあまりないのですが、と書いてふと考えると年に10回は渋谷で飲んでいます。

それなのに「渋谷で飲むことはあまりない」というのは、完全相対的な話です。他の場所で飲むことが圧倒的・一方的・徹底的に多いために「渋谷の10回」は〝あまりない〟になってしまうのでした。
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一人で、久しぶりに訪れるバーで飲み直して、やはり久しぶりに行きたくなった「唐そば」へ。

まだ、あるかな?と思って、道玄坂裏手に入ると、まだありました。

客は誰もいなくて、私だけ。

「北九州八幡ラーメン」というローカルジャンルのラーメン。

九州といえば「博多」「熊本」がメジャーですが、これはまたちょっと毛色の違うラーメン。とんこつは使ってますが「塩ラーメン」とカテゴライズするのが正しいスープです。
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初めて食べるとチープな味わいに感じるかもしれません。しかし、麺もスープもチャーシューも、全てが絶妙に〝一歩引いた〟なかなか味わい深い、また食べたくなるラーメンです。

〝一歩も二歩も三歩も踏み込んだ肩に力の入った〟ラーメンが多い中で、ホッとするラーメンなのです。

そして、家路へ向かうタクシーでテレビを見てると、日テレのスポーツニュース「Going」で井上尚弥が登場。
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さらに、江川卓のお話もあって、私にとってはなかなか楽しい真夜中のタクシーでした。

ああ、ラーメンや江川の話ではなく、明日、WOWOWで5日遅れの放送となる「リング誌/IBF/WBAバンタム級王者・井上尚弥vsアラン・ディパエン」のことを書こうと思ってました。

明日の14時でしたっけ?

井上の世界戦をここまで遅れて観るのは、初めてのことです。
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一人忘年会のシメは新潟ラーメン。

玉葱ダブルに味玉乗せ。玉葱に覆われて麺もチャーシューも見えません。
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うまい…このラーメンはクセになります。

しかし、今夜、終電間際の東京メトロ銀座線に飛び乗って、僅か15分程度の乗車時間で書きたいのは、日本のボクシングの未来について、です!
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アマチュア時代から栴檀の香りを放っていた、日本の至宝が二人。

しかし、現代はボクシングの社会的地位が下落、世界王者の価値はどこまでも軽くなってしまった4-Belt era。その暗闇の中でも、日本のボクシングファンは二筋の光を見ることができています。

アマチュア時代はヤンチャな兄貴と優等生の弟、そんな雰囲気でしたが、プロ転向後の二人は日本のボクシング界が戦うべき方向を指し示す羅針盤の役割を担ってくれました。
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「白井義男」が日本で初めて世界チャンピオンになった、当時の興奮は時代の違いがあるにせよ、現代の「大谷翔平」をはるかに凌駕する興奮と熱狂だったでしょう。

ロンドン五輪金メダリストの村田諒太は「日本人には不可能」と信じられてきた人気階級のスーパースターを倒すという悲願に向かって。

そして、井上尚弥は日本伝統の軽量級で技術を磨き、BWAAをはじめ世界の権威が「日本史上最高」と断定しているファイティング原田という頂上に激しいアタックを試みています。

村田は「世界」、井上は「日本」の巨大な壁に立ち向かっている様相ですが、「世界の裏」は「日本」で「日本の裏」は「世界」です。

「打倒!人気階級のスーパースター」は〝日本〟ボクシング界の夢であり、「打倒!ファイティング原田」はまさしく〝世界〟評価との決闘です。

井上信者らの評価なら、モンスターはとっくの昔にファイティングを超えています。というか、彼らは原田を識らないでしょう。

兎にも角にも、私たちは同時代に、全く対照的な二つの至宝と巡り会えているのです。

1960年代、原田がいなくてもそれなりにボクシング界は活況を呈していたでしょう。

70年代、具志堅用高がいなくてもボクシングの世界チャンピオンは、スポーツ界でそれなりの尊敬を勝ち得ていたはずです。

80年代移行も国民的ヒーローと呼ぶに値するボクサーは登場していませんが、辰吉丈一郎や畑山隆則、亀田興毅、長谷川穂積らが存在感を示し、やはり彼らがいなくても、日本のボクシングはそれなりに盛り上がっていたでしょう。

しかし、もし今、村田と井上がいなければこのスポーツは世界戦ですら地上波から追放され、失楽園に迷い込んでいたに違いありません。

それなりに盛り上がることすら、なかったかもしれません。

パンデミックの影響が大きいとはいえ、至宝の二人が足踏みを余儀なくされています。

あれほどの眩い輝きを、あれほどの才能を、何も照らせないまま、消えさせてたまるか。



きっと、悪いことばかりじゃない。

ESPNに先日の井上の試合記事が見当たりません。トップランクとの契約が解消されたのかもしれません。僥倖です。フリーになった方が可能性が広がります。

村田にしてもカネロ・アルバレスとの試合が内定したこともありました。ゲンナディ・ゴロフキン戦はチケットまで売り出される決定でした。 もう、大きな果実に手が届いていたのです。



ちょうど10年前の「インドネシア大統領カップ」。国際大会初優勝の二人が驚きのパフォーマンスを見せて金メダルを持ち帰りました。

「村田、こいつ本当にスゲェな!」「井上って、まだ高校生かよ? 」。

2011年、大震災に見舞われ、痛切な悲しみに沈んでいた私たちを励ましてくれました。

大学時代にボクシング部にいた友人も、そんな一人でした。故郷に帰って教鞭を執っていた彼は「大切な人も家も失って、何もやる気が起きない」と嘆いていました。

数ヶ月後、彼の方から連絡がありました。その中で「ジャカルタの村田と井上」の話が出て、彼が笑いました。

「この二人がどこまで行くのか、見てみたいな」。

あれから、10年。


さあ、未来の話をしようぜ!
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2016年頃、前の年に挙行された「パッキャオvsメイウェザー」への幻滅からボクシングへの興味はどんどん冷め続けていました。

しかし、溜まりまくったリング誌を整理、売却しようとパラパラ読み直していると、このスポーツの面白さと奥深さ、そしてそんな魅力を、感動的に伝えてくれていたことに、あらためて気付きました。
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今では、ボクサーがカバーされることがまずなくなったスポーツイラストレイテッド誌でダブルカバーの大特集を打たれた「メイウェザーvsパッキャオ」。



洋雑誌の多くがそうであるように、リング誌も薄くて頼りない紙質に、すぐ落ちてしまうインク。高温多湿の日本では「取扱注意」です。

折れたり破れたり、酒をこぼしてインクが滲んでいたりするのを見つけると、当時のことまで思い出されて感慨深いものがありました。

家族や友人との思い出やら仕事で大失敗したことやら、まだ幼い子どもが目を離した隙にリング誌を舐められたり、飼い犬がやっぱり舐めて、大きな刷毛で払ったように見事にインクが滲みまくった表紙があったり…いろんなことが、それそこ雪崩のように思い出されました。

そういえば、奴らはボクマガなどは舐めようとしませんから、リング誌は犬や幼児にとっては舐めたくてたまらない香りを放ってるのかもしれません。

さらにいうと、同じような紙質、匂いに思えるスポーツイラストレイテッドには、なぜか見向きもしないんです。

犬になったり、幼児に戻って、リング誌の匂いを嗅ぎたくなってきました。

音楽もそうですが、感銘を受けた活字を読み直すと、ずっと依然の記憶が鮮やかに、イモヅル的に蘇ってきます。

私にとって、リング誌は絶対捨ててはいけない思い出の記憶でした。

そもそも、古新聞などと一緒に廃棄しようとしてたのではありません。

そうです、売ろうとしてたのです。

燃えるゴミとして廃棄するのは忍びない、捨てるには惜しい、この価値がわかる人に譲りたいと、心のどこかでわかってたのでしょう。

そう考えると、捨てる気なんて元々なかったのかもしれません。

単純にマニー・パッキャオとフロイド・メイウェザーへの衝動的な幻滅を、何かで表現したかったのかもしれません。

確かに、あの史上最大のメガファイトは、スーパースター対決という枠を超越した「現代ボクシングへの審判が下る大勝負」(CNN)でした。
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結果(試合内容)は、ボクシングと世界中のファンの壊滅的な惨敗。

勝者はわずか36分間の臆病者ダンスを踊って、3億ドルを稼いだメイウェザーとパッキャオの二人だけでした。


そして。

村田諒太が最初の世界戦に向けて助走していたのも、あの頃でした。

そんな心境で、このブログを立ち上げたのが2017年。

村田諒太という日本ボクシング界が初めて手に入れた「ゴールデンボーイ」への応援歌と、その黄金のコインの裏面に深く刻まれたこのスポーツの暗部、コインの表も裏も全部眺めていたいという思い、があったのだと思います。

タイミングが合えば、日本人でもミドル級やウェルター級に挑戦することが出来ます。

しかし、それは王者の肩慣らしに国外に引っ張られるのがデフォルト、超レアケースで欧米で需要のない王者を日本に呼べることが一度だけあったという、いずれにしても奇跡に近い幸運です。

しかし、村田の場合は違います。

「村田諒太」は、奇跡や偶然ではありません。良い意味で〝仕組まれた〟のです。

「パックメイ」から「村田」。

そこにある絶対や必然を、何か自分に対して書きたくて、それでこのブログを始めたのだと、ゴロフキン戦が正式に決まって、気付きました。

80年代に世界のボクシングに惹き込まれてから40年。

当時は村田諒太もゲンナディ・ゴロフキンも知りませんでしたが(そもそも彼らは生まれていない)、私はあのときからずっと40年間、この試合が、見たかったんです。
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スワローズとバッファローズの日本シリーズ初戦。

「エース対決」、見応えありました。そして、なんという幕切れ!


さて、村田諒太とゲンナディ・ゴロフキンの世界ミドル級団体統一戦が12月28日に開催されます。

1988年と1990年のマイク・タイソンの完全統一ヘビー級タイトルマッチを凌ぐ「日本ボクシング史上最大の興行」とも言われています。
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ここでは、本当にそうなのか?も含めて我が国のスーパーファイト、ベスト10を語りましょう。

日本のエースの系譜を下地に、興行規模10傑を考えてゆきます。

メガファイトの主人公となった「エース」の系譜です。

現代の選手に贔屓したのは当たり前、未来の話がしたいんだ!

メガファイトの舞台はこれからのご紹介、カッコ内は選手短観です。

井上尚弥(リング誌最高PFP2位)

亀田興毅(ボクシング没落時代に奇跡の注目度)

長谷川穂積(boxingscene.comのPFP8位)

畑山隆則(ジュニアライト〜ライト2階級制覇)

辰吉丈一郎(WBCから寵愛された浪速のカリスマ)

具志堅用高(最後の国民的ヒーロー)

西城正三(海外でメガファイト)

柴田国明(海外でメガファイト)

ファイティング原田(説明不要)

白井義男(ホームリングは後楽園球場)
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