フシ穴の眼 〜スポーツ疾風怒濤編〜

      Hope Lights Our Way / 希望の道を、つなごう。

カテゴリ: がんばれニッポン!

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医者から注意されている、禁断のメダマ(卵二つ乗せ)。
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開幕まであと101日と7時間34分12秒。松山英樹も出場に前向きです。




このブログのテーマの一つは「日本人がどこまで行けるのか?」です。

〝目を逸らさず〟にそこを見つめることは、当たり前ですが、スポーツの世界にもある厳然とした差別にも向き合うということです。

やはり、テーマの一つ「スポーツには貴賎がある」ということです。

このブログでよく取り上げるボクシングにおいても〝差別〟はもはや常識のように露骨です。

井上尚弥の3階級制覇がウェルター→ジュニアミドル→ミドル級なら?バンタム級で繰り広げているパフォーマンスをミドル級で繰り広げていたのなら?

今の日本どころか、世界のボクシングシーンは全く違う光景になっていたでしょう。バンタムもミドルも、一応、同じスポーツだというのに。

あるいは、このブログでほとんど取り上げない羽生結弦や桃田賢斗。

羽生はかつて欧州で高い人気とスポンサーを集めたフィギュアスケートの第一人者です。

桃田のバドミントンは、競技人口を考えたらゴルフごときと同列に語るスポーツではありません。

…スポーツには貴賎が歴然として存在します。

ボクシングに至っては、階級による貴賎まで存在します。



このブログでよく取り上げる陸上競技、日本が最も世界に近いのは競歩です。東京2020ではメダル独占の可能性も十分の種目ですが、まともに注目されているとは言えません。

これが100メートルなら話は全く違います。

口にしてはいけないこと。

「バドミントンやフィギュアで世界一になるのとゴルフやテニスでメジャー制覇するのは偉業度が全く違う」ということ。

誤解して欲しくないのは、かつて長野県知事がスピードスケートを「ミズスマシのようで見ていてつまらない」と発言したこととは意図も真意も全く違うということです。

ここで書きたいのは「スポーツには貴賎がある」ということです。

相当に低脳なブログですが「バンタム級は選手が小さいから面白くない。世界的に人気がないということはレベルが低い、見る価値がないということ」「競歩は長距離の落ちこぼれ。どうしてあんな競技が存在するのかわからない」という元長野県知事レベルほどは低脳ではありません。

すでに何度も書いていますが、ボクシングの面白さは軽量級の中にこそ凝縮されています。

競歩のメカニクスがあらゆる走る動作のエッセンスであることも、このブログでも触れています。

スピードスケートにはスケートのみならず、あらゆる瞬発系スポーツ種目の本質が秘められています。

そこを踏まえてこそ、それをわかってるからこそ、ウェルター級で覇権を築く日本人の登場を渇望するのです。

100メートルで世界一速く駆け抜ける日本人の姿を見たいのです。

競歩の世界に走りのエッセンスを見つけた伊東浩司、女子ソフトボールの上野由岐子の助言でフォーム改善に踏み切った菅野智之。

「シングルモルトなどクセが強くて飲めたもんじゃないからブレンドウイスキーが世界を席捲している」という既成概念に耳を貸さなかったマイケル・ジャクソン(キング・オブ・ポップではありません)。

「秘密を知ってしまった」(ジャクソン)彼らは、恍惚の特権を楽しむことが出来ました。

ささっと一区切りをつけるつもりで書き出しましたが、タイトルの「パラドックス」も「エニグマ」も登場しないまま、イーグル②の回もここまで。

次回、アルバトロス③では、説明書と保証書が発行された「日本のスポーツ史の偉業ランキング」、つまりは〝非・長嶋茂雄〟のヒーローを辿り、それらが発行されなかった謎=パラドックス、エニグマのケースについても、その理由を推測してゆきます。

「日本スポーツ史の偉業ランキング」。これには王貞治の本塁打世界記録的なものは該当しません。

〝日本だけが大騒ぎ〟ではない、今回の松山英樹のようなBBCでもCNNでもトップニュースで報じられる〝偉業〟です。

もちろんBBCでもCNNでもトップニュースとなるとテニスとゴルフなどの富裕スポーツに限定されてしまいますが、ここでは〝BBCとCNN〟イコール〝米英をマニアレベルではなく震撼させた〟と拡大解釈します。

〝鬼畜米英〟にリスペクトを向けるのは忸怩たる思いもありますが、番場蛮の精神ですね。

一旦飲み込ませといて、奴らの腹の中から掻っ捌くという…。

さらに続きます。
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松山英樹がマスターズで日本人初の優勝を飾りました。

欧米で堂々の人気スポーツで日本人が大きな爪痕を残したという点では、テニスの大坂なおみを例外とすると史上最高の偉業です。

生中継したTBSでは昨夜から「優勝したらとんでもないこと、国民栄誉賞」と興奮を伝えていました。

ただ、この国民栄誉賞が王貞治に第一回が贈られたように「世界のメジャースポーツ」であることは必要条件ではありません。

いかに日本列島を熱く盛り上げたか?が最も重視される点です。

その一方で、女子レスリングから2人も輩出されているように、日本列島を最も盛り上げたわけではなくても贈られることがあります。

今回の松山は「欧米のメジャー競技」で日本人初の大偉業を成し遂げたとはいえ、広く日本列島を熱く盛り上げたか?となると池江璃花子に軍配が挙がります。

もちろん、松山が一つのゴールを飾ったのに対して、池江はまだ夢の途中。いくら日本列島を感動させても、このタイミングでの国民栄誉賞はありえません。

また、国民栄誉賞が贈られる「タイミング」がときの政権の思惑に左右されるのもよく知られていることです。



さて、松山は国民栄誉賞に値するのでしょうか?
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年齢を重ねると、いろんなことが起きます。

私が近所の子供に勉強を教えるとか、受験の相談を受けるなんて、彼らと同じ頃の私には想像もできないことです。



高校時代は学校嫌いの引きこもり。大学時代は将来のことなど考えずに、遊んでばかり。

受験や就職は差し迫ってからようやく腰を上げるような、世間を舐めた若者でした。

普通なら大学なんて行けない、行く大学がない、どこにも就職できないなんて結果を突きつけられてもおかしくなかったのに、そうならなかったのは、高校時代は信じられないくらいに先生や友人に恵まれたから、大学時代はやはり信じられないくらいに時代に恵まれたから、でした。


受験や就職、当事者はもちろん家族にとっても重大な人生の一大事に思えますが、そんなことありません。

「環境と時代に恵まれた運だけのお前が言うな」という話かもしれません。実際、自分の場合は「人生の一大事」なんて意識は全くありませんでした。

ただ、自分の選択に後悔はないものの、他の選択もあったなとはよく思います。

しかし、そのときは「他の選択」は見えませんでした。

私のような無茶苦茶な生き方をしていても、そうでした。

どこの大学にでも入学できる、どこの企業でも就職できる。だとしたら、どこの大学、どの企業を選ぶか?

私のような世間から外れた人間でも、その時の選択は恐ろしいほど世間と同じでした。
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昨日の日本経済新聞の広告からですが、なんだか30年前から代わり映えしないなあ、というのが実感です。

文系で前年1位だったJTBグループが同35位に、4位の日本航空が45位に、5位のオリエンタルランドが20位に急落するなど〝パンデミックの反乱〟は見られますが、全体の基調は変わりません。

全体の基調、それは「寄らば大樹の陰」ということですが、大樹が常に大樹であるとは限らないことは、パンデミックの反乱を見るまでもありません。

「寄らば大樹の陰」は正確には「寄らば(今現在大樹に見える)大樹の陰」ということです。

そもそも、人気大学ランキングと一緒で人気企業ランキングも「どこの大学にでも入学できる、どこの企業でも就職できる」という前提での回答を集計したものではありません。

「自分が行けるかもしれない大学、就職できるかもしれない企業」のランキングです。

本当なら人気大学ランキングは東京大学文科一類や理科三類が1位になるはずですが、そうではないランキングも多く見られます。

それどころか青山学院大学や明治大学が1位という、不可解なランキングも少なくありません。そういえば、私の時代は早稲田大学が1位だった気がします。

「どこでもいいから選べるとしたら」ではなく「口にしても許される大学」という〝許容フィルター〟を通したランキングなのでしょう。

受験や就職の大学、企業の人気ランキングほど、対象者の本意から大きく逸脱したものはまずありません。PFPよりも意味のないランキングです。

「どこでも連れて行ってやる」と親に言われた子供が「火星」や「月」ではなく「近くのスーパー銭湯に行きたい」と答えるようなものでしょうか。


私の出身高校で大学ランキングを作れば、関西学院大学や関西大学なんかが1位になるかもしれません。それは、灘高などのランキングとは全くの別物です。

企業ランキングも東大生に聞くか青学生に聞くかで、全く変わってくるでしょう。

20才そこそこの若者の選択です。自分たちは大人だと思ってても、こういうバカランキングなど周囲の雑音に左右されてしまいやすいものです。

いろんな情報が溢れる真っ只中にいると、全く不思議なことに「他の選択」が見えにくくなります。

多くの情報があれば、常識的には選択肢が増えるはずなのに、情報は多数決的に一つの選択に誘導する、思考能力を麻痺させる劇薬のようなものです。


高校三年生の夏、大学に進学しようかなと思ったとき、最初に思い浮かんだのは筑波大学や日本体育大学、順天堂大学でした。選手として挑戦したい気持ちもありましたが、体育や運動をもっと深く学びたいと考えたからです。

しかし、現実にはその思いはほとんど誰にも話しませんでした。信頼出来る先生や先輩には話しましたが、冗談としかとられませんでした。

そして、自分の中でもそれを自然と受け入れる自分がいました。



若い人には、周囲の声や、溢れる情報に溺れずに、やりたいこと、自分に向いていることを考えて人生を選択して欲しいと思います。



それを考えると、今の自分だって偉そうなこと言えないなあと、本当に思ってきます。

もうそろそろ、やりたいことやっていいんじゃないか、と。


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こんな便所の落書きでも、今日は黙祷です。

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今から、ちょうど10年前の2011年。

翌年にロンドン五輪を控えた7月3日〜9日の1週間に渡って行われた「第21回インドネシア大統領カップ」。


2011年の今日。日本は未曾有の悲劇に見舞われていました。


悲しみに沈む母国から飛び立った飛行機が目指すは、赤道直下、灼熱のジャカルタ。

タラップから亜熱帯の地に降りた日本代表は史上最強の日の丸部隊でした。


アジア大会など国際大会でメダルをコレクションしていた須佐勝明。やはり北京五輪をはじめ国際経験豊富な清水聡。

2人の自衛隊コンビが金メダルを日本に持って帰ると期待されていました。


確かに、その通りに、二つの金メダルが日本人の首にかけられました。

しかし、最も美しいメダルが輝いたのは、須佐の胸でも清水の胸でもありませんでした。

一つは、当時高校3年生、まだ17歳の少年が49㎏級で勝ち獲りました。

もう一つは日本人には全く聞きなれない75㎏級で、25歳の大学職員が決勝までの全ての試合をKO・RSCで強奪してみせました。

なんと、この2人は、これが初めての国際試合でした。



そして、世界選手権。同年9月16日〜10月1日。

最強の日の丸部隊はユーラシア大陸の西端、アゼルバイジャン、バクーに勇躍乗り込みます。


ここで、高校生の駿才は3回戦で涙を飲みます。

翌年のアジア選手権で優勝なら「ロンドン2012で金メダルを獲ってプロ入り」という夢がつながりましたが、決勝で敗退、悔しすぎるあと一歩の銀メダルに終わってしまいます。

しかし、少年にとってロンドンの夢が断たれた悔しさと腹立たしさが、どれほどの良薬になったのか…今の彼を見れば誰もが納得するでしょう。



そして…。もう一人は「日本人には絶対無理』と言われた階級で、あろうことか世界の決勝まで進みます。

勝っていたように見えた試合は、まさかの判定負け。複雑な表情で銀メダルを首にかけられました。

10階級しかない中での75㎏級で、2年に1回しかない世界選手権で、2位です。世界の2位です。 これを「日本ボクシング史上最大の偉業」と表現して、まともに反論できる人がいるでしょうか。

それなのに、この青年はイエフゲン・フイトロフの胸で揺れる金メダルを「絶対に納得できない」という目で見ていたのです。

五輪前年の世界選手権で突然現れた25歳のサムライ。

五輪のホスト・英国と、プロでミドル級が人気の米国のメディアは「日本人が金メダルへの最大の障害になるだろう」と警報を発令しました。




あれから、10年が経ちました。


ジャカルタで金メダルを獲った高校生は、来月28歳の誕生日を迎えます。

彼は、プロで3つの階級を圧倒的な形で征服し、米英の多くのメディアが「全階級を通して最強の一人」に数える評価を固めています。




バクーで銀メダルを獲った大学職員は、英米の必死の警報虚しくロンドンで金メダルを獲得。

大手広告代理店や東京キー局が、日本人にとってのミドル級がどんな意味を持つのかを知らないわけがありません。

日本中のボクシングファンの夢を背負って、世界最強の青年は当初否定していたプロ転向を果たします。

そして、プロでも超弩級のメガファイトの整理券が発行される位置まで登り詰めました。





今、悲しいことに、10年前と同じように、やはりまた日本はどうにもならない深刻で重大な危機と向き合っています。
 


私たちは弱くて脆い。


だから、巨大な敵でも恐れずに立ち向かうファイターの姿が見たくなるのです。
 

出番です!井上尚弥!
 

出番です!村田諒太!
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CNNや英国タイム紙が「東京五輪は中止すべき」と報じ、国内世論もそれに同調する方向に動いています。

著名人の聖火リレー辞退も相次いでいます。

昨日行われた、政府・東京都・大会組織委員会・IOC・IPCの5者の代表者協議では、海外からの観客受け入れを見送る方針が固まったと伝えられました。

こんな状況で五輪なんて出来っこない。早く中止を発表すべき。

 

東京で人類最大のイベントが間近に迫ってる期待や興奮は、街のどこを探しても見当たりません。
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昨年はズラリと風になびいていた街頭のノボリも、今はありません。
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東京駅前のオメガのタイマーだけが1秒ずつカウントダウンしてゆくことだけが、中止は正式決定ではないことを教えてくれています。

フルスペックの五輪が開幕できるとは、もはや誰も考えてません。

五輪を実施する最大のリスクは、もちろん感染拡大です。人間の生命よりも大切なスポーツの祭典などありえません。

一般市民レベルでは、もはやきわめて少数派になった「実施派」への風当たりが強いのは「命の問題」の他にも「五輪の経済効果は〝直接〟効果だけで5兆円超」「東京五輪を中止すると経済的損失は数兆円規模」「完全な形でなくてもIOCにとっては莫大な放映権料収入が期待できる」「米国ABCがやる姿勢なら断れない」…生命をないがしろにして、金儲けに走る…。

馬鹿が騒ぎててる要素は盛りだくさんです。

もちろん、このブログで繰り返しているように3文字のアルファベット団体は金儲けしか考えていません。WBAやWBCと、IOCやABCは規模が桁違いに違いますが「腐敗営利団体」という一点において全く同根です。

実施するからには、そこは飲むしかありません、腐って濁った水も飲むしかありません。

「五輪を中止すると経済損失が数兆円規模」だからやるしかないというのは大嘘。この「数兆円」のほとんどが、すでに完成している施設などのインフラ。いわゆるサンクコスト(埋没費用)ですから、中止したら戻ってくるものではありません。

しかも、このサンクコストは、大きく報じられませんが安倍政権下での経済成長を支えた主役です。すでに、役目をしっかり終えてるのです。

実施した場合の追加コストは、大規模な感染対策、やはり生命の問題です。そこまでして実施する必要があるのか?

そこだけ、というと誤解を招くかもしれませんが、そこだけの問題です。

個人的には、もう絶対に何がなんでも開催すべきです。

「中止」が正式決定されたら、ニュース速報が流れて「最初からわかってたよ」と、その話題で溢れるでしょう。 

覚悟していたことでも「中止」「ダメ」という現実を突きつけられたら、国民は失望するでしょう。「仕方なかった」と。
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一方「実施」となると「感染拡大したら誰が責任取るんだ」と非難轟々でしょう。

ばかいってんじゃねぇよ、やるべきです。海外からの観客受け入れはしない、基本的に無観客であってもやるべきです。

ヨハン・ブレークのように「辞退」を表明するトップ選手も増えるでしょう。そうなると、また馬鹿が「こんな不完全な五輪でメダルとっても価値はない」と騒ぐでしょう。

それでも、やるべきです。

感染対策が整備できても「IOCやABCアルファベット団体の圧力に屈して、国民の健康を無視した」という妄想非難は湧くでしょう。

それでも、やるべきです。

やったら、もう絶対に盛り上がるんだから。
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最後のびわ湖毎日マラソンが終わりました。

1946年に第1回が開催された日本最古の大会で、かつてアベベ・ビキラやフランク・ショーターが優勝したことは史実としてしか知りませんが、「福岡国際」「東京国際」と並ぶエリート大会でした。

私がスポーツに関心を持つようになった80年代から見る「びわ湖」は、世界最高峰のイメージもあった「福岡」、新興大会ながら華やかな首都を駆ける「東京」に比べて〝三番手〟〝マイナー〟のイメージがあったのも事実です。

「福岡の朝日」「東京の読売」に比べて、有力な選手を引っ張り込む財力も毎日新聞は脆弱でした。
 
今回で76回、76年の歴史に幕を下ろしました。来年から大阪マラソンに統合され「第10回大阪マラソン・第77回びわ湖毎日マラソン統合大会(仮称)」として行われるとはいえ、そんな「横浜Fマリノス」みたいな言い訳じみたことはしなくて良いと思います。

こんなことわざわざ書かなくても「びわ湖毎日」は今日で終わった、と誰もが考えているでしょうが。

「最後のびわ湖」で優勝したのは鈴木健吾。

2時間4分56秒は大迫傑が20年東京マラソンでマークした2時間5分29秒を33秒更新する日本新記録。

5位までが2時間6分台、15位までが2時間8分を切る日本史上最速レースでした。

これぞ有終の美です。

こんな状況の中で気持ちを切らさず厳しい練習を重ねた選手たち、開催のために尽力した運営側の思いが神様に伝わったようなコンディションでした。
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全豪オープン 女子シングルス決勝
第3シード:大坂なおみvs第22シード:ジェニファー・ブレイディ

ウィリアムヒルのオッズは、大坂の勝利が2/9(1.22倍)、ブレイディ7/2(4.5倍)。ブックメーカーは大坂が明らかに優位と見ています。

ESPNやBBCの専門家予想も、大坂の優勝を推す声が圧倒的です。
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勢いに乗って、余力も残しながら決勝の舞台へ。

今夏の「東京2020」でも優勝、年間グランドスラムも決めると、いわゆる「ゴールデンスラム」達成です。

「偉業」という言葉が犬の糞のように使われるのがスポーツの世界ですが、これこそがとんでもない偉業。

歴史上、ゴールデンスラムを成し遂げたのは、男子でアンドレ・アガシとラファエル・ナダル、女子でシュテフィ・グラフとセリーナ・ウィリアムスの4人だけ。

そして、この正真正銘の偉業をカレンダーイヤーでやってのけたのは1988年のグラフただ一人だけ。

世界的なメジャースポーツで、これをやられてしまうと、未来永劫、大坂を超えるアスリートは出現しないとまで思えてしまいます。

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準決勝のセリーナ・ウィリアム戦は、女子アスリート長者番付のワンツー対決でした。

我ながら浅ましいのですが、欧米のメジャースポーツで日本人が活躍するのは、それがマイナースポーツである場合よりも嬉しい。

もちろん、思い入れのある大好きなボクシングや陸上競技はマイナーであっても特別な目で見てしまいます。

しかし…。

そうでなければ欧米で人気の高いテニスはもちろん、日本で関心の高い野球やサッカー、米国で最も注目されているNBAなど「メジャー」で活躍する日本人への拍手喝采は、バドミントンや卓球などの「マイナー」で世界トップを競う日本人よりも大きくなってしまいます。

このブログでは「スポーツには貴賎がある」ということだけでなく、その反面で「軽量級のボクシングは面白い」 という「〝賎〟は捨てたもんじゃない、むしろ〝貴〟よりも上質であることも珍しくない」ということを書いてきたつもりでしたが…。

身も蓋もないことを言ってしまうと〝村田諒太vsカネロ・アルバレス〟に熱狂したいのです。

「井岡一翔vsファン・フランシスコ・エストラーダ」や「井上尚弥vsジョンリール・カシメロ」の方が物語として上質な筋が通っていることを十分わかっていても、やはり日本人が欧米で神輿の上に担ぎ上げられてるスーパースターを引き摺り下ろすところを見てみたいのです。

「井岡vsエストラ」「井上vsカシメロ」はある意味、金持ちが貧乏人を蹂躙してる構図です。

「村田vsカネロ」は「金持ちvs超金持ち」ですから、貧乏人が金持ちを神輿から引き摺り下ろすのとは少し違うかもしれません。

それを言ってしまうと〝パッキャオvsバレラ〟〝パッキャオvsデラホーヤ〟なんていうのは痛快を通り越した恍惚でした。

大坂なおみは、カネロよりも金持ちのテニスプレーヤーです。昨年度の収入は大坂が僅かに上でしたが、スポンサー収入とスポンサー企業の優良さでは大坂に圧倒的に軍配が挙がります。

テニスとボクシングという競技のサステナビリティまで考慮すると「大坂>>>>>>>>>>>カネロ」です。将来的にもこの差は、広がるばかりでしょう。

超ビッグイフですが、大坂がボクサーで、富裕という点で格下のカネロと戦う、という構図なら。私は大坂に声を枯らすような声援は送れない気がします。

リッチでセレブな大坂が、ちょっとリッチなメキシコ人をタコ殴りしてKOする…。



同じような構図でも、ボクシングや陸上で裕福な日本人を熱狂的に応援するのは、やはりその競技が大好きだからです。

その意味では、周囲には野球やテニスやゴルフが大好きなのばかりですが、私はそんなに好きじゃないということかもしれません。


**********何を書いてるのか、自分でもわからなくなてきました。カナブン以下、ウジ虫以下、もはやゾウリムシれべるです。。。



少し前に会社近くのバーの方がお店を閉める挨拶に来てくれました。少し前に、未開封のスコッチをダースで贈ってくれて「金払う」というのに受け取ってくれなくて、こっちから呼び出したのですが、会社の有志から集めた選別も含めて受け取ってもらうことになって。

その同年輩の東北男が「これも飲んで」とさらに渡してくれた二本は「ジョニ黒」と「ブラックニッカ」。「ありがとう」と受け取ってしまったのですが…。

「ブラックニッカ」は自分ちに持って帰りました。そして、4時間くらい前に開栓して飲んでるのですが、もう空けちゃいます。美味しい。

「もしかしたら昔のブラックニッカ?」

まさかと思って、ラベルを確認すると「販売者アサヒビール」「製造場ニッカウイスキー」となってるので、古い「ブラックニッカ」なわけがないのですが。。。
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ここでは、移動中や食事のときに書くことが多い私の文章。

どうしても断片的に書いたものを繋いだり、前の文章をしっかり受け継がずに書き進めてしまいます。仕事ならアウト!な姿勢です。←最初に言い訳。

そんなわけで、そもそも文章として成立していなかったり「てにをは」がメチャメチャだったり、同じ言葉の無駄な重複があったり、その他もろもろ欠陥だらけです。

そんな私が人の文章をどうこう指導するなんておこがましいのですが、仕事関係はもちろん、ひょんなお付き合いから中高生の受験向けの小論文を見てあげたりすることもあります。

自分は何も書かないで、人の文章の粗探しをしながら揚げ足まで取ってしまうのは、まさに傍目八目、簡単なことです。

中島みゆきではありませんが「戦う君のことを、戦わない奴らが笑うだろう」です。

「戦うやつが一番偉い。おっちゃんんみたいに勝手なことは誰でも言える。成功か失敗か、二つに一つしかない勝負、受験に挑むお前らは一番格好良い」。

まぁ、特に子ども相手では最初にそんなことを話して、後出しジャンケンや揚げ足し取りもするけど、100%お前らの味方で応援団長だ、としっかり伝えます。

また、近所の中高生のように、子どもたちが自主的に手を上げたり、親御さんも賛同してくれるケースでも「まず、こっちはプロじゃない。教えることが出来るのは、受験合格に向けた効率の良い最短コースではない。ただ、国語や英語、数学の面白さは伝えることが出来るかも知れない」ということは最初に理解して頂きます。


さて、さて。今回のケースは私の方から気まぐれ的にアクションを起こした〝お節介〟になります。

しかも、子ども向け・受験的な観点からの〝教育的指導〟で、書き手に対して失礼かも知れませんが、100%善意ですのでご了承下さいませ。


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【例文(原文ママ)】

少し脱線しますが、長嶋や王といった昭和のスーパースター中心の野球の常識をすべてぶちこわしたのは野茂ですね。

巨人戦は高視聴率連発の日テレという全国ネットの常勝、東京読売巨人の王が東京読売をはなれ、根本にさそわれる形で田舎九州の弱小ダイエーホークスの監督に就任した時代、翌年生卵をぶつけられる屈辱をあじわう時代、1994年中日と桑田、槇原、齊藤をつかった長嶋が監督、若き日の松井や落合がいた巨人の伝説の試合の翌年の話です。

駒大に決まっていた城島をダイエーにいれたのは王。

江夏のような変わり者でもメジャーにはあがれませんでしたが、野茂はメジャーで成功しました。

日本のキャリアをすべて捨て、国賊よばわりされ、激しいバッシングをうけ、近鉄球団や鈴木啓示らから激しい酷評を受けながらも、安い年俸でメジャーに挑戦した野茂のインパクトはすさまじく、ドジャースの野茂のユニフォームは飛ぶように売れました。

野茂がメジャーで活躍した後の、野村監督と野茂の対談で野村監督が興味津々に野茂に質問していたようです。


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【解説】

少し脱線しますが、長嶋や王といった昭和のスーパースター中心の野球の常識をすべてぶちこわしたのは野茂ですね。 

▶︎文章を書くのにあたって「起承転結」を考える必要は全くありません。

順番も「結転承起」でも何でもありで、自分が主張したい内容やそのときの気分・感性で構成します。

ただ、頭の部分、導入部はボクシングでいう第1ラウンド。

途中で戦術やペースを変えるにしても〝初回〟は自分のスタイルとこの試合をどう進めるのかという方向性や、ときには結論まで仄かしても良いでしょう。

そんな「旗」を最も挙げやすいステージが冒頭です。

例文では「常識をすべてぷちこわしたのは野茂」が「旗」と読み取れます。

そして、何らかの意図・仕掛けがない限り、旗は印象的であるべきです。

同じ文章でも漢字やカタカナ、句読点の使い方によって伝わり方は全く変わってきます。

「常識をすべてぶちこわしたのは野茂」。

敢えて柔らかく表現するという手法はありですが、読み手や採点者を意識するなら旗幟鮮明=Show The Flag が定石です。

「常識を全てブチ壊したのは、野茂」。

瑣末なことですが、こう書き直す方が文章もスリムになってリズムも出ます。




巨人戦は高視聴率連発の日テレという全国ネットの常勝、東京読売巨人の王が東京読売をはなれ、根本にさそわれる形で田舎九州の弱小ダイエーホークスの監督に就任した時代、翌年生卵をぶつけられる屈辱をあじわう時代、1994年中日と桑田、槇原、齊藤をつかった長嶋が監督、若き日の松井や落合がいた巨人の伝説の試合の翌年の話です。 

駒大に決まっていた城島をダイエーにいれたのは王。 

▶︎ここで、読者・採点者は完全に「旗」を見失います。

もちろん、意図的に旗を隠す、つまり一見全く脈絡のないことを書くことで「次はどこで旗を出す?」と採点者の興味を引っ張る効果はあります。

しかし、これがそんな〝フェイント〟ではないと多くの読み手が気づくのは、書き手にその意識が全く無いことが文面から滲み出しているからです。

「そのときの気分・感性」で書く、というのは思いついたことや知ってることを何も考えずに叩きつけるのとは全く違います。

これは、仕事関係でもダメなレポート、サマリーでありがちな典型的な悪例です。

顧客や採点者が求めているものを漏れなく簡潔に伝えることが、受験生や分析者の仕事です。

求められているのはクリーンヒットです。

もちろん、顧客の潜在ニーズを掘り起こしたり、採点者が想定していない正答例を見せることはホームランです。しかし、それは顧客や採点者の度量・好みに左右されます。

手堅く受注と合格を最優先するプレゼンや受験でホームラン狙いのリスクを犯す必要はありません。

「俺、打とうと思えばホームランも打てるけどな」という匂いを醸し出す程度で十分です。

知ってることや思いついたことを闇雲に盛り込むことは、文章を肥満させ、読む人の意識を散漫にし、倦怠感まで与えてしまうことを忘れてはいけません。

「旗」を意図的に隠すのは構いません。しかし、それは、あくまでも旗幟鮮明のための布石でなければなりません。

読み手にそう見せるのと、書き手が実際に「旗」から離れてしまうのは全くの別物です。

というわけで、この部分は全て削除して、前後をリレーする中継ぎの役割をハッキリさせた文章を挟むことにします。




江夏のような変わり者でもメジャーにはあがれませんでしたが、野茂はメジャーで成功しました。 

▶︎ここで「旗」が戻って来たと思いきや、どうも最初に見た旗幟とは明らかに違うものが出て来ました。

「常識をぶちこわしたのは野茂」だったはずの旗幟の色が「メジャーで活躍するのは変わり者」という色にすり替わったのか?

さらに、この文章では「キャリアの終焉を迎えていた江夏と、全盛期の野茂」という野球人生で対極の位置にいたグレートを同列に並べて、メジャー挑戦の成否を語ってしまいました。

単純な勘違いや記憶違いではない根本的に間違った思考回路の露呈は、大減点の対象になります。




日本のキャリアをすべて捨て、国賊よばわりされ、激しいバッシングをうけ、近鉄球団や鈴木啓示らから激しい酷評を受けながらも、安い年俸でメジャーに挑戦した野茂のインパクトはすさまじく、ドジャースの野茂のユニフォームは飛ぶように売れました。 

▶︎もはや旗幟は「逆境を乗り越えて成功した野茂」と完全に色変わりしました。

そして、稚拙な書き手が長文を書くのは危険です。

いたずらに句読点を打つ必要はありませんが、文章が繋がらないと感じたら、句点を打って頭の中を整理しましょう。

この文章では「安い年俸でメジャーに挑戦した」から「野茂のユニフォームが飛ぶように売れた」という文脈にしか読み取れず、事実誤認で減点対象です。

これが小さな誤認なら致命的な減点対象にすべきではありませんが、この例文は「野茂の挑戦」という「旗」をバッシングや酷評というワードを使いながら広げる場合に、採点者が必ず予想するキーワードまで抜け落ちています。

「手の平返し」です。

このスポーツ史上最大の「手の平返し」を経て、野茂は国賊から英雄になり、日本でもグッズは売れまくるのです。そもそも、国賊の段階ではユニフォームは大っぴらに置けません。




野茂がメジャーで活躍した後の、野村監督と野茂の対談で野村監督が興味津々に野茂に質問していたようです。 

一つのセンテンスに野茂と野村がそれぞれ2人、合計4人も登場するのは重たい!重たい!計量失格です。

どうしても重複させたい場合、私がよくやるのが「汐留の大手広告代理店と同じ失敗を重ねるだけ」「不可解なスプリットを手繰り寄せたのは30歳になったばかりのメキシコ人」のパターンです。

野村監督と野茂の対談で、矢継ぎ早に質問を浴びせて〝生徒役〟に回ったのは還暦を過ぎた球界屈指の頭脳の方でした。

この文章も肥満気味ですが、おそらく書き手が伝えたかったであろう要点が、より明確で洗練して表現出来たのではないでしょうか?

あとは瑣末なことですが「会談」と「対談」。言葉の選択です。

書き手が実際に見聞きしたのは会談だった場合はその通りに書くべきですが、これは対談だったのでは?

言葉は脳に絵面を映します。それが漢字である場合は特にそうです。

「多くの参加者の中に野茂と野村がいた」会談なのか、「それとも膝を突き合わせた」対談なのか。

これが受験なら事実の通りに書けば良いのですが、プレゼンになると印象が大きく変わります。

では、実際には会談だったとしたら?

私なら会談や対談とはひとことも書かずに、読み手が二人のやり取りだけをフォーカスするような、誤解を恐れずいうと対談だったと思い込むようにエスコートします。




【例文をベースにした回答例】

少し脱線しますが、長嶋や王といったドメスティックな昭和野球の〝常識〟を全てブチ壊したのは、野茂、という定説は、時系列としては間違いです。

〝常識〟の延長上を歩み続けた日本プロ野球のクライマックスに数えられている〝メイクドラマ〟は1996年。野茂が太平洋を渡ったのは1995年、なんとその前年のことでした。

スポーツファンはメジャーの絢爛な世界を知った上で、メジャーとは真逆の小さく薄暗い中日球場で完結した〝ホームドラマ〟も楽しんでいいたのです。

ある意味でファンは2年続けてメイクドラマを楽しんだと言えますね。

そして、またまた脱線。

キャリア最晩年でメジャーを〝死に場所〟として選んだ江夏と違い、野茂は〝生きる場所〟としてメジャーを目指しました。

今でこそ、野茂は日本スポーツ史上で最も偉大なパイオニアですが、渡米時はメディアとプロ野球界は契約違反の犯罪者とバッシング、鈴木啓示・近鉄監督はもちろん、広岡達郎ら専門家のほとんどは「絶対に通用しない」と決めつけました。

ただ、日本で最も優れた直感力を持つ男と、日本代表として野茂と米国を最もよく識る当時日本最高の捕手は全く違う目を向けていました。

「面白い。単純に面白い。個人的にはあのストレートとフォークは通用すると思う」(長嶋茂雄)。「五輪で星条旗を背負った選手たちがメジャーでバリバリ活躍してるけど、彼らは野茂を打てなかった。常識的に考えると、今なら打てるとか、ありえない」(古田敦也)。

野茂の国賊扱いは長くは続きません。

美しく広いメジャーのボールパークで、怪物相手に躍動する野茂を応援しない野球ファンなど、一人もいません。あちこちで手の平を返す音が鳴り響き、その音は大きくなる一方でした。

そして、夕闇迫るサンフランシスコ、キャンドルスティックパーク。その瞬間がついにやって来ます。

今、思い出すだけでも鳥肌が立って来ます。

野村監督がメジャーで成功した野茂を迎えた対談。そこで興味津々に質問を浴びせて〝生徒役〟に回ったのは、なんと還暦を過ぎた球界屈指の頭脳の方でした。




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さーて!ホテル生活もあと4日!

明日やっても差し支えない仕事は今日するな!

7時ラストオーダーまで飲むぞー。
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突発的に書いてる、スポーツ教本のお話。

1月28日の真っ昼間にお届けするのは、まだ実在しないスポーツ教本です。

この人が書けば、落合博満の「バッティングの理屈」に並ぶ破滅の〝哲学者〟になるはずです。
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近場なのに初めて買い物した沖縄のアンテナショップ「わしたショップ」。地下一階の泡盛売場は壮観です。=本文とは全く関係ありません。


さて、桑田真澄が読売の投手チーフコーチ補佐としてグランウドに帰って来ました。
〝ドラフトの事件〟〝投げる不動産屋〟…日本スポーツ史上屈指のヒールとしてプロのマウンドに上がった桑田は、しかし、野球と向き合う真摯な態度から教科書的なアスリートに昇華してゆきました。

阪神ファンにとって読売のエースは憎き敵以外の何者でもありません。

それでも、桑田や松井秀喜の立ち居振る舞いを見ると、阪神の選手も見習え!と思わずにはいられませんでした。

その桑田の「たくさん走ってたくさん投げる時代じゃない」という言葉が一人歩きして、張本勲が「何を言っとるんだ!」と激怒しましたが、大御所は桑田の真意を早とちりしています。

桑田の考えは「中6日も空けるんだから135球投げて完投しろ」ということです。

現代野球で135球。桑田じゃなかったら「何を時代錯誤の戯言を」と笑うところです。

普通に考えたら、たくさん走ってたくさん投げないと、135球で完投なんて投手は育ちません。

「2月のキャンプで実戦と同じマウンドからの投げ込みで1000球は投げましょう」。

立ち投げ抜きで1000球。

(量をこなすのが目的の)たくさん走ってたくさん走ることには意味がない。

(よく考えて)たくさん走ってたくさん投げましょう、ということです。

かつて、古田敦也は「練習のコツ?出来るまで何度も繰り返すだけ。壊れたらそこまで」と〝量〟の必要性を説いていました。

科学的トレーニングを信奉していた室伏広治がスランプ時に溝口和洋に相談したとき「そもそも練習〝量〟が少なすぎる」と呆れられました。

沈滞していた日本ラグビーを救ったのは、選手が「こんな練習したら壊れる」と悲鳴をあげた〝量〟でした。

量を目的とするのは論外ですが、高いレベルのパフォーマンスを追究するなら質を伴った〝量〟は必要不可欠です。

まあ、しかし、読売が強くなるのは全く願い下げですが。

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BoxingScene.comは、今年の Fighter Of The Year にテオフィモ・ロペスを選出しました。

最終候補はカネロ・アルバレス、ジャーメル・チャーロ、タイソン・フューリー、ローマン・ゴンザレス、井岡一翔、ジョー・スミスJr.(アルファベット順)。
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BoxingScene.com は2014年に井上尚弥を選出、それ以来の日本人2人目の受賞はなりませんでしたが、大晦日の試合までカウントしてくれていたようです。

ESPNとBWAAの発表もまだですが、このタイミングは同様に大晦日までフルに1年をカウントしてくれてそうです。

井岡のFighter Of The Yearは難しいでしょうが、Fight Of The Yearはどうでしょうか???

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