カテゴリ: 英国ボクシングニューズ誌

元英国ジュニアウェルター級王者カーティス・ウッドハウスは、10ラウンド開始ゴングに応じなかったサニー・エドワーズに対して「まだ出来たのに試合を投げたんじゃないか?」と辛辣な意見を口にしました。

敗者に厳しい言葉を投げつける人がいるのは、世の常です。

しかし、エドワーズは勇敢に、最後まで戦いました。彼はクイッターではありません。

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サニー・エドワーズ〜

〜その前から(トレーナーの)グラント・スミスは、「非常に難しいこと(眼窩底骨折)が起きているかもしれない」と話してきた。試合を長引かせるのは得策じゃない、と。

信頼しているグラントから「試合を止める」と、私の意思を確認しないで、今まで聞いたことがない強い口調で伝えられたとき、正直、何の不満もなかった。

右目は完全に視界を失っていた。

自分が思っている以上に私はうまく戦えていなくて、自分で自分の顔面がどんな状態になっているのかも、当たり前だけど見えなかった。

主審が試合終了を告げる声を、俯きながら聞いていた。

その間、グラントは「君はよく戦った。私の作戦ミスだ、私が間違っていた。本当に申し訳ない。ただ、何が足りないのか、何をすべきだったのかはよくわかった。ロンドンに帰ってやり直そう。君なら、もっと強くなってリングに帰って来ることが出来る」と、肩をさすってくれていた。

私と同じくらいか、それ以上に悔しがってくれていた。

初めての敗北を受け入れるのはあまりにも辛すぎるけど、負けたまま泣いてるわけにはいかない。

やり直すさ。
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KOマガジンやボクシング・イラストレイテッドが廃刊、21世紀になってボクシングの没落にさらに加速がかかっている状況で、昨年はリング誌も廃刊。

英国でも状況は同じで、ボクシング・マンスリーが廃刊。

米英のボクシング雑誌は、ボクシング・ニューズ(BN)誌が孤軍奮闘しています。

「ライト(軽量)級よりも軽いというジュニアライト級が階級の最下限でいい。フェザー級以下は廃止」なんていうボクシングファンが多い英国ですが、週刊!のBN誌は年52回も発行されるとあってフェザー級以下の話題も比較的拾い上げてくれています。

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さて、本編スタートです。

拙訳でご紹介するのは、The Beltline: Corner stoppages are neither sexy nor satisfying but are often the most revealing way for a fight to end(セコンドがラウンドのインタバルで棄権を申し出るのは魅力的でもないし、欲求不満もたまるが、戦いを終わらせる最も筋の通った方法でもある)。


マニー・パッキャオとオスカー・デラホーヤが戦った、史上最大のノンタイトル戦、Dream Matchは第9ラウンド開始ゴングにデラホーヤが応じず、「第8ラウンド終了TKO」で試合が終わりました。

あの不思議なマッチアップ、多くのファンが本当に観たかったのは、第9ラウンドにパッキャオの重層な攻撃にデラホーヤが痛烈に失神KOされるシーンだったかもしれません。

反対に、続くリッキー・ハットン戦でハットンのコーナーが第1ラウンド終了のインタバルで棄権を申し入れていたら、あのスペクタクルな結末は無かったことになります…。


*****ボクシングファンはノックアウトで試合が終わるのを望んでいる。あるいは、激しい打撃戦の末に二人とも倒れず、最終回のゴングが打ち鳴らされることを。

しかし、現実にはそんな試合ばかりではない。

最も拍子抜けするのは、次のラウンド開始ゴングが鳴ってもファイターがコーナーを出てこないことだ。

一方的に打ち込まれて防御態勢が崩れたファイターを主審が救う、あるいはコーナーがタオルを投る、そんな展開ならファンは納得する。

むしろ「どうしてもっと早く止めなかったのか!?」と、主審やセコンドに怒りの矛先を向けることすらある。

ところが、ファイターが開始ゴングが鳴ってもストゥールから立ち上がらず、試合が終了してしまうような唐突なエンディングは歓迎されない。

「本当はもっとできたのに、嫌になって試合を投げた」と、クイッターの烙印を捺されることまである。

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しかし、よく考えると、ラウンド間のインタバルが試合を続行するか止めるかを判断するのに、最も合理的であることは明らかだ。

まず、大歓声の中でアドレナリンとガッツが分泌しまくったファイターが戦っているラウンド中に試合を止めるのは、非常に難しい。

会場が一息つき、選手がコーナーに戻って腰掛けるインタバルは「今何が起こっているのか」「最悪の場合、これから何が起こり得るか」を、セコンドとファイターが冷静に擦り合わすことが出来る貴重な60秒間になる。

セコンドは肉体をぶつけ合って激しく戦っているラウンド中にはわからなかったファイターの目の光や、ダメージ、疲労度を至近距離で測ることができる。選手は、自分のイメージとコーナーから見た客観的な視線に乖離がないかを確認できる。

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主審は大歓声と、ときには興行・ビジネスと、選手の健康を秤にかけながらストップのタイミングを窺わなければならない。

実際に戦った選手と、その選手をよく知るセコンドが下した判断が、主審よりも正確であることが多いはずなのは当然だ。

ましてや、最も近くても数メートルも離れたリングサイド席から酔って罵声を浴びせている観客たちに正確なタイミングがわかるはずもない。

「あれ?ゴングが鳴ったのに立ち上がらないぞ、試合を投るつもりだな。ヘタレめ!負けるなら倒されて負けろ!」。

この形で試合を終わらせるスペシャリストだったのが、ワシル・ロマチェンコだ。

ウクライナのハイテクは、2016年11月から2017年12月にかけての13ヶ月で、4試合連続で相手コーナーに白旗を揚げさせた。

ロマチェンコと戦ったコーナーとファイターはダメージや疲労が限界だと判断したのではなく「最悪の場合、これから何が起こり得るか」を考えて、棄権したのだ。

闘争心だけは絶対に負けないはずのジェイソン・ソーサの目から生気が失せているのを見たセコンドが、試合を止める判断をしたのは当然だった。

とはいえ「あとどれくらいできるのか」は、肉体的な状況だけでなく、気力も含めて選手の意思を優先させるべきだが、選手の中には肉体的限界を超えて戦おうとする場合があるから厄介だ。

かつて、モハメド・アリとの死闘で両目が塞がり視力を失ったジョー・フレイジャーは「ヤツがどこにいるのか教えてくれ!絶対にぶっ倒すから」と、エディ・ファッチに懇願した。

それでも、そんな選手からでも信頼を得て試合を止めるのがセカンドの仕事だ。


そして、いけないことかもしれないが、そんなファイターをたまらなく偏愛してしまうのが、ボクシングファンという人種なのだ。

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日本のボクシングファンにとって、ボクシング・マガジンとリング誌が廃刊となった今、ボクシング・ビートと並んで英国ボクシングニューズ(BN)誌は、貴重な〝実態のある活字媒体〟です。

重量級偏重のBN誌は日本のボクシングファンにとっては「何がスーパーミドルじゃ!何がカルザケじゃ!ケッ!」と、敬遠したくなる記事が多いのは事実です。

しかし、この雑誌は二つのスペシャルを持っています。

一つは、1909年創刊という、リング誌も凌駕する「圧倒的な歴史」。1909年…和暦で「明治42年」と書いた方が、その〝圧倒性〟が伝わるかもしれません。


二つ目は、月刊誌ではなく、なんと「週刊誌」。定期購読すると、当たり前ですが毎週ポストに届けられているわけです。

ここからは個人的な感想ですが「圧倒的な歴史」の割には、リング誌の方がアーカイブは豊富な印象があります。これは、私の興味が米国寄りだからというバイアスの結果なのかもしれません。

そして「週刊誌」ということで、年52回(冊)発行されるということは、軽量級がしっかり取り上げられることもあるということ。

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インターネットなんて言葉はおろか、パソコンもスマホもない70年代後半に、ボクマガが「具志堅用高が海外でも評価されている」と伝えた、その〝海外〟がBN誌でした。

最近、また定期購読し始めたBN誌。

個人的には、高校時代から常に身近にあったリング誌の方がずっと思い入れが強い雑誌でした。

しかし、慢性的な経営難に喘いでいたリング誌は、2015年頃から月刊体制が崩壊、記事レベルも低下、過去のグレートにしがみつくような特集や、MMAコーナーを設け、従来なら考えられない女子ボクサーはもちろん、ボクサーではない女子MMAファイターのロンダ・ラウジーや、米国では全く関心が払われないアジアの軽量級選手・井上尚弥を単独カバーするなど〝迷走〟。

そして、昨年。

THE RING MAGAZINEは、100年の歴史に幕を下ろしました。

米国でも英国でもボクシング専門誌が続々廃刊に追い込まれる中、唯一生き残っているだけでなく、週刊体制も元気に維持しているBN誌は、来年115周年を迎えます。

和暦では明治、大正、昭和、平成、令和を走り続けているBN誌。

個人的な好みでは「リング誌>>>BN誌」「ボクマガ>>>ビート」でしたが、奇しくも好みの2誌の方が廃刊に。



そんなわけで、リング誌とボクマガの〝一周忌〟を迎えて、BN誌とビートを熱烈に支持することを、ここに高らかに宣言するのであります。

「BN誌に愛を込めて。」では、この雑誌の秀逸な記事を拙訳してご紹介。


先行してお届けした「The Undefeated 敗れざる者たち〜ジョニー・グリーブスの場合。」から紡いでゆきます。

https://fushiananome.blog.jp/archives/33993963.html

https://fushiananome.blog.jp/archives/34004692.html

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ボクシングは他のスポーツとは根本的に違う。

最近ではボクササイズなんて運動もあるが、あれはボクシングではない。

ボクシングはとにかく肉体を痛めつけるスポーツだ。

サッカーや野球なら健康的に楽しむことはできるだろうが、ボクシングの試合はそうはいかない。

だから、リングサイドにはドクターが控えて「これ以上肉体を痛めつけるのは危険」と判断すると、主審が試合を終わらせるのだ。

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午後5時25分、狭苦しいロッカールームに白衣を着た男が入ってきた。

ジョニー・グリーブスは、そこがリングに続くロッカールームではなく、まるでパブであるかのように白衣を着た医師を歓迎した。

「よう、遅かったじゃねえか。こっちへ来て飲もうぜ」。そんな感じだった。

確かに、陽が落ちたばかりの時間帯。まさしく、パブが賑わう頃合いだ。

グリーブスは「健康そのものなのに、こんなに医師と仲がいいなんて不思議なもんだ」と、笑った。

医師は無表情のまま、事務的に「最後にボクシングをしたのは?」と聞くと、グリーブスも笑うのをやめて「先週、リバプールで試合をやったよ」と答えた。

医師は「結果は?」と聞くと、33歳の白人ボクサーは「知ってるだろ」と吐き捨てた。

医師は「それはこっちのセリフだ。わかっていても聞かなければならない決まりだって、知ってるだろ」と、問い詰めた。

88戦3勝85敗のグリーブスは「ああ、そうでした。ちゃんと記憶があるのか、しっかり会話ができるのかチェックするんでしたね。判定負けでした」と笑い返した。

さらに「そんなこんなで、現在31連敗中です。どうです、私の頭はしっかりしてるでしょう」と付け加えた。

医師は「頭痛や怪我、視力や視界、視野に異常は?」と聞きながら、クリップボードに挟んだ診断書にボールペンを走らせた。

グリーブスは「全くありません、至って健康、至って正常です」と、おどけて答えた。

医師は、82も負け越しているボクサーの腕を、ポンっと叩くと、静かに小さな声で、それなのにはっきりと祈るように呟いた。


“Good luck, Johnny


「がんばれよ、ジョニー」。


医師は、「もう引退しろ」と忠告するのは無駄だと思い知らされていたから、ヤケクソと皮肉を込めて「がんばれ」なんて声をかけたのだと、見ている人がいたなら、そう思ったかもしれない。

もしかしたら、この医師も最初はそうだったかもしれないが、少なくとも今は違う。


「本気で応援してるのさ。3勝85敗のボクサーが何度も立ち上がって、4勝目を掴むためにロープを潜るんだ。そんな男を応援しない理由があるかい?」。


医師は狭い部屋の中で、次のやはり見慣れた顔に向かって「最後にボクシングの試合をしたのは?」と、再び事務的な口調で問診を進めて行った。



カットマンのジェイソン・フィールディングにバンテージを巻いてもらいながら、グリーブスはイライラしてくる感情を押し殺していた。

フィールディングが右手だけで3度、パッドを床を落としたとき、グリーブスは「サウスポーのハンドラップをしたことは?」と、ついに尋ねた。

少し間をおいて、フィールディングは「実は今が初めてだ。カットマンの仕事は大好きなんだけど、うまくいかないことが多くてね」と告白した。

両手のハンドラップが完成すると、グリーブスは優しく「ありがとう」とお礼を伝えた。「俺たちは似たもの同士だな」と思ったが、そこまで言うのは…やめた。



ロッカールームの中のボクサーは、非常に興味深いことに全く同じ習性を見せる。

この夜、メインイベンターをつとめるウェルター級で世界タイトルを狙う無敗のケル・ブルックも、同じウェルター級でもほとんど全ての試合で負け続けているジョニー・グリーブスも、入場の時間が近づくと周囲に電気のように伝わる緊張を走らせる。

彼らの心臓の高鳴りまでが聞こえそうで、どんなに饒舌なボクサーでも言葉数が急に減るのだ。



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ーーーーー試合が終わり、グリーブスは興奮していた。

フィールディングにグローブを外してもらいながら「信じられない!どうしてあれがダウンなんだ?俺は足を滑らせただけなのに!あのレフェリーはどうかしてる!」と、捲し立てた。

グリーブスは4ラウンド12分間を戦い抜いた。しかし、誰がどう見ても全てのラウンドを失っていた。

もし、あの〝スリップ〟がダウンにされなかったとしたら…40–35のジャッジが40–36になるだけのことだった。

ちなみに、British Boxing Board of Control(英国ボクシング管理委員会)では、前座の4回戦などを主審一人でジャッジすることが多い。

つまり、40−35は主審のフィル・エドワーズの採点だった。全ての怒りが主審に向けられるのは、そんな理由もある。


フィールディングと共にコーナーに入っていたエド・マスカットに「よくやった、お前を誇りに思うよ」と、頭からタオルをかけられても、4勝目を逃し、86敗目を喫した33歳の怒りは収まらなかった。

「スリップをダウンにした挙句、負けにしやがって!」。グリーブスは不当判定を受けたかのように怒鳴り散らしていた。

マスカットが「そんなに元気なら、来週も試合ができるな。ロンドンのイベントからオファーが来てるみたいだ」と告げられて、ようやく興奮が冷めてきた。

フィールディングが「ということは、最低限の目標はクリアしたってことだよな?シェフィールドから応援してるぜ」と、グリーブスにウィンクした。



なにはともあれ。

グリーブスの戦績は89戦3勝86敗となった。

負け数は一つ増えたが、目標の100試合までは一つ前進した。


その後、グリーブスは連敗のテープを42まで伸ばし(てしまい?)、2013年9月29日の試合をもってグローブを吊るした。



この最後の試合について、二つのことを忘れずに書き記さなければならない。

一つ目は、34歳になったグリーブスは、目標の100試合に達したこと。

二つ目は、39−37で勝利したこと。ジョニー・グリーブスは、通算100試合4勝(1KO)96敗、96の黒星のうちKO負けは12、そんな驚異のキャリアに幕を引いた。




そして、最後の試合で勝利した相手のことにも触れなければいけない…だから二つではなく、三つだ。


その三つ目は、最後の対戦相手、当時25歳の若者、ダニエル'Dirty Dan'カーのこと。


カーの、この日までの戦績は、46戦2勝42敗2分。

4ラウンド終了のゴングが鳴って、グリーブスに健闘を讃えられると「100試合目ですよね?もうやめちゃうんですか?」と、カーは聞いた。

グリーブスは「ここらが潮時だ。お前もここまでがんばれ」と激励すると、カーは「100試合ですか…遠いな。でも挑戦しますよ」と苦笑いした。

その異名の通りにダーティファイトで暴れるカーは故障も多く、2017年3月3日、36歳で引退する。

戦績は90戦3勝(2KO)85敗2分だった。




さて。

彼らは負け組なのだろうか?


100試合も戦って4つしか勝てないのに、ボクシングが大好きで、情熱を燃やし続けることが出来る彼らの人生を勝敗で測るのは、あまりにも単細胞な見方だ。

通算100試合4勝(1KO)96敗。この数字だけ見て、このファイターへの尊敬の念が芽生えないボクシングファンが、いるだろうか?

仕事をしながら、トレーニングと減量に励み、経費で足が出るような少ないファイトマネーでリングに上がり続ける。

そんなバカなことに人生を捧げる理由なんて、たった一つだけしかあり得ない。

「ボクシングが好きだから」だ。

彼らは愚か者なのだろうか?



もし、彼らが負け組で愚か者だとしたら?

そうだとしたら、負け組で愚か者とは、幸せ者とイコールということになる。

まあ、世の中の真実ってやつは、そういうところに落ち着くんだろう。
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The Undefeated 敗れざる者たち。

スポーツにおいて、よく語られる言葉です。

特に、ファンを堪能させる名勝負での敗者が、そう表現されます。

The Undefeated、敗れざる者たち、と。





プロボクサーには様々な格付けがあります。

未来の殿堂選手、PFPファイター、エリートファイター、コンテンダー、ゲートキーパー、クラブファイター…。

報酬の大きさでは、フォーブス誌のアスリート長者番付にリストアップされるタイソン・フューリーやアンソニー・ジョシュアような〝フォーブス・ファイター〟や、ほぼ全ての試合がPPVでないとカバーできないカネロ・アルバレスのようなPPVファイター。

そして、日本のボクシング界には存在しない、もっと正確にいうと存在が許されない奇異なファイターも海外では活動しています。



The Beltline: There are many ways to lose in boxing, and sometimes losing feels like winning

冬への扉が開いた11月25日土曜日に紹介するのは、英国ボクシングニューズ誌の「The Beltine〜壁を超える人々)」から、「ボクシングには様々な負け方があるが、ときとして勝敗を超越した敗北も存在する」から。

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「カットしないように気をつけてくれよ、俺の肌はライスペーパーみたいに薄いんだから」。

両目の周りを腫れ上がらせてコーナーに戻ったジョニー・グリーブスは、ワセリンを塗ろうとするカットマンのジェイソン・フィールディングに注意した。

カットマンに「カットするな」と注意する?ボクシングを知らない人にはわからないだろうが、カットマンは、カットした選手の傷を治すのが仕事だ。

そんなふうに、言葉一つとってもリングの中は普通じゃないことばかり。

そして、2012年のグリーブスは英国ボクシング界で最も普通じゃないボクサーの一人だった。グリーブスは、普通のプロスポーツ選手とは違った。

この年の7月、グローブスはサム・オメイゾンとの4回戦を戦っていた。舞台はシェフィールド・アリーナ、キャパ1万人3000人の大会場。

シェフィールドは伝説のトレーナー、ドミニク・イングルの本拠地で、この日は、IBFインターナショナル・ウェルター級王者ケル・ブルックがつとめるファイナルを含め、カリド・ヤファイ(デビュー戦)やロッキー・フィールディングも登場、合計12試合が組まれていた。

グリーブスの試合はその前座で、オメイゾンはデビュー仕立て、戦績は1戦1勝の21歳だった。

グリーブスは2007年、28歳でデビュー、このとき33歳。勝ち星こそ3勝(1KO)とオメイゾンを上回っていたが、31連敗中で、通算戦績は88戦3勝85敗。

グリーブスの目標は12分間、4ラウンドを次の試合に支障がないように大きな怪我をすることなく終えること。勝敗は二の次だった。

この年だけでグリーブスは19試合もリングに上がり、オメイゾン戦が12試合目。もちろん、全ての試合が黒星だった。

ボクシングが大好きなグローブスの目標は、プロで100試合を戦うことだったが、このイベントにはすでに〝その領域〟に達していた〝大先輩〟が二人も出場していた。

一人はクリスチャン・レイトで、137戦6勝0KO125敗6分。もう一人はデロイ・スペンサー、156戦14勝139敗3分。

試合前、グローブスはレイトと、イブラル・リヤズ(40戦4勝2KO35敗1分)の3人で狭いロッカールームを分け合っていた。

レイトは「200試合でボクシングとは見切りをつけて、引退後はどこかの工場で働くつもり」と問わず語りに語った。

グリーブスは顔にワセリンを塗りながら、少しだけの尊敬が混ざった軽蔑を感じながらその声を聞いていた。

グリーブスも独り言のように「本当は300試合の記録を破りたいところだが、不可能だな。俺は100試合でけじめをつけるさ。毎週減量して体重を作るのにも疲れたし」と呟いた。

記録とは、2008年にバーミンガムの伝説、ピーター・バックリーが達成した300戦(32勝8KO256敗12分)のことだった。
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昨年、日本のボクシング・マガジンと、米国のリング・マガジンが相次いで廃刊してしまいました。

ボクシング専門誌へのテンカウント・ゴングのつもりで始めたシリーズでしたが、早くも㉙。

ボクマガやリング誌に限らず、紙媒体のボクシング専門誌を紹介、今回は英国BOXING NEWS(BN)誌。

英国でもBOXING MONTHLYが2020年5月号で廃刊、厳しい環境には変わりがありませんが、BN誌は週刊体制で大健闘しています。

1909年(明治42年)の創刊ですから、今年で「114歳」という世界最古のボクシングメディアです。

「リング誌は世界で最も歴史がある」という記述を見かけますが、あれは間違いです。リング誌創刊の13年前にBN誌は創刊されているのです。

さて、そんなBN誌の3年前、2020年6月4日号と11日号から。

英国と重量級に大きく偏った編集が特徴的なBN誌ですが、4日号では「GOLDEN GLOVES THE RISE & FALL IN NEWYORK」(ゴールデングローブの栄枯盛衰)が特集記事の一つとして盛り込まれています。

1927年からキックオフしたゴールデングローブがどれほど盛り上がった大会なのか、私たちには皮膚感覚では知る由もありませんが、この一枚の写真からも「ボクシングは他のスポーツとは一線を画す存在だった」というのも大袈裟な表現ではなかったのでしょう。

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マディソン・スクエア・ガーデンは大観衆でフルハウス。「極めて初期のゴールデングローブ大会」ということで正確な年代はわかりませんが、20年代末から30年代初頭でしょうか。

80年代になっても、マーク・ブリーランドが「Winning the GOLDEN GLOVES means far more than my Olimpic Gold or two world title as a pro.〜私のキャリアでゴールデングローブ大会で優勝したことは五輪の金メダル、プロでの二階級制覇よりも大きな意味を持っている」と述懐するほどでした。


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そして、11日号ではジュニアフェザー級のトップ10が紹介されています。

9位の亀田和毅は息が長いファイターです。先日、引退を発表した岩佐亮佑が5位。

ちなみに1位はエマヌエル・ナバレッテ、2位レイ・バルガス、3位ムロジョン・アフマダリエフ、4位ダニエル・ローマン。

スティーブン・フルトンが主要団体で世界王者になるのは、2021年1月のWBO王者アンジェロ・レオ戦。まだ、世界のトップ戦線に食い込む直前。

現在もランキングに入っているのは、アフマダリエフ、アザト・ホバニシャンだけ。長く留まるクラスではないとはいえ、3年の移ろいを感じてしまいます。
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英国ボクシングニューズ誌、Number1066、そしてボクシング・ビート。

年末年始もボクシング関連の雑誌をしっかり読みましたが、そこにリング誌が無いというのは、なんとも寂しいものです。

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英国ボクシングニューズ誌は週刊誌ながら、1年最後のクリスマス号などは月刊のリング誌よりも分厚いという充実ぶり。

重量級を核とした英国ボクシングはしぶといマーケットです。

そして、リング誌同様に慢性的な経営難に喘ぎ続けるボクシング・ビートでしたが、先に廃刊してしまったのはまさかのボクシング・マガジン。

ベースボールマガジン社が発行するボクマガの経営基盤はボクビーはもちろん、リング誌よりも遥かに盤石と思っていましたが…不採算部門のリストラであっさり廃刊となりました。

リング誌もボクマガも廃刊ではなく「休刊」としていますが、次の発行予定が全く無いのですから廃刊です。

ボクマガの消滅で、ボクビーの売り上げは少しは上向いているのではないでしょうか?

個人的にも「ボクマガかボクビーか?」という、今から思うと贅沢な悩みはできなくなり、昨年からボクビー定期購読を始めました。

それでも、リーディングマガジンが廃刊に追い込まれる斜陽スポーツ、Numberでも井上尚弥の4団体統一戦を特集しないなど、このスポーツの置かれている現状は危機的です。

試合を見ても、歴史を読んでも、こんなに面白いスポーツは他にないと思うのですが、どうやら私は少数派なようです。

 
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英国ボクシングニューズ誌が「シャクール・スティーブンソンvsオスカル・バルデス」に際して、ジュニアライト級の歴代ベスト10を発表。

10位:ボビー・チャコン

1982年にラファエル〝バズーカ〟リモンからWBCタイトルを奪取、コーネリアス・ボザ・エドワーズ らと激闘を繰り広げ、この階級に爪痕を残した。



9位:フリオ・セサール・チャベス

1984年、マリオ・マルチネスとのWBC王者決定戦に勝利。ルーベン・カスティージョ、ロジャー・メイウェザー、ロッキー・ロックリッジ、ファン・ラポルテを撃破。
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8位:ブライアン・ミッチェル

1986年にWBAのストラップをつかむとIBF王者トニー・ロペスと引き分けるまで12連続防衛。この数字は、今なお階級最多記録。



7位:ヘナロ・エルナンデス

1986年アルフレド・ライネから奪ったWBAタイトルを8度、アズマー・ネルソンを倒して手にしたWBCを3度防衛した階級最高のテクニシャン。



6位:マニー・パッキャオ

ジュニアライト級デビューはエリック・モラレスに判定負け。しかし、再戦を10ラウンドKOでリベンジ。モラレス、マルコ・アントニオ・バレラ、ファン・マヌエル・マルケスとこの階級では珍しいビッグファイトを繰り広げた。
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5位:アズマー・ネルソン

1988年にマリオ・マルチネスをストップしてWBCタイトルを獲得。防衛のテープは、ジェフ・フェネックらを退け10度まで伸ばした。



4位:フラッシュ・エロルデ

1960年代最高の130パウンダー。ハロルド・ゴメスを攻略したタイトルは沼田義明に奪われるまで10連続防衛に成功、7年3ヶ月も王座に君臨した。



3位:フロイド・メイウェザー

マネーになって試合が退屈になったメイウェザーが最も輝いていた階級。1998年にエルナンデスからWBCタイトルを奪うと、ディエゴ・コラレスやカルロス・エルナンデス、ヘスス・チャベスら強豪を圧倒的な形で退けた。
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2位:キッド・チョコレート

伝説が最も素晴らしい作品を残したのは、実はジュニアライト級。1931年にベニー・バスをストップしてキューバ初の世界王者に。リュー・フェルドマン、フィデル・ラバルバ、シーマン・トミー・ワトソンらから勝利を収めた。
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1位:アレクシス・アルゲリョ

フェザー級王者から2階級制覇に成功した〝痩せっぽっちの破壊者〟はアルフレド・エスカレラ、バズーカ・リモン、チャコン、カスティージョ、ローランド・ナバレッテら強豪を倒しまくった。
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149ポンド契約・12回戦


圧倒的不利予想の中でミドル級の強豪王者に挑み、大きな挫折を経験した英国のスター2人の因縁の激突です。

共に1986年生まれの二人は、互いを常に意識し続けてきました。

ウェルター級王者からゲンナディ・ゴロフキンに挑んで重傷を負ったブルックは5月3日生まれ。

ジュニアウェルター級ながらカネロ・アルバレスとのキャッチウェイトのミドル級戦で壮絶なKO負けに散ったカーンは12月8日生まれ。

優れたスピードとボクシングセンスを武器に、米国で一旗挙げるという夢に突き進んだ2人は英国の希望でした。

そして、その希望の光が翳り、35歳になってようやく実現した究極のライバル対決。

ブレイディス・プレスコットに初回でノックアウトされ、ラモント・ピーターソンには惜敗。ダニー・ガルシアとカネロ、テレンス・クロフォードに破壊されたカーン。

対して、ブルックが負けたのはゴロフキンとエロール・スペンスJr.、クロフォードの3試合だけ。

「ポカの多いカーンと、強いやつにしか負けていないブルック」という背景から、オッズはブルックが1.76倍、カーン2.46倍と7ヶ月年長のブルックが有利と叩かれています。
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キャリアの〝落とし所〟をどこにするのか?そんな黄昏の時刻を迎えた二人のライバルレース、前半はカーンが先行していました。

アテネ2004のライト級で銀メダルを獲得したとき、カーンはまだ17歳。英国史上最年少メダリストとして大きな注目を集めます。

2009年、プロで世界王者になったのは22歳7ヶ月と10日もナジーム・ハメド(21歳7ヶ月と18日)、ハービー・ハイド(22歳6ヶ月と20日)に続く史上3番目の若さでした。

King Khanは間違いなく〝国民的英雄〟の有力候補だったのです。


The Special Oneのハイライトは2014年8月16日、IBFウェルター級王者ショーン・ポーターをマジョリティデジションで競り落とした一戦です。

英国にとって最も晴れやかな名誉が「米国の強豪王者を米国で倒す」ことです。

彼らが生まれた1986年、ロイド・ハニーガンがドン・カリーを破って以来の快挙をやってのけたのです。(ハメドも米国でケビン・ケリーを破って王者に就いていますが、HBOを〝買収〟したハメドは完全Aサイドで、この種の快挙にはカウントされません)

2人の対決が最初に具体化したのは、なんと2005年8月。17年前に遡ります。

当時のブルックは8戦全勝の6回戦ボーイ。カーンは1ヶ月前の7月に1ラウンドKOでデビューしたばかりのスーパースター候補。

つまり、ブルックは噛ませ犬として白羽の矢が立ったのです。このときは試合が流れてしまいましたが、ブルックはカーンを挑発し続け、2人の因縁の輪郭が形成されてゆきます。

日本のボクシングファンには、そこまで思い入れはありませんが、英国はもちろん、米国でも大きな注目を集めるライバル対決です。
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村田諒太がアタックする世界ミドル級の頂点。

それがいかに峻厳なテッペンであるのかは、70年代から80年代のボクシングシーンを見たファンはよくわかっています。

ミドル級から一つ下のジュニアミドル級で輪島功一、工藤政志、三原正が世界王者に輝いた時代。たった1階級しか違わないのに、ミドル級とは世界王者の価値が全く違うことに、多くのボクシングファンは気づいていました。

輪島が死闘を繰り広げたカルメロ・ボッシやオスカー・アルバラード、柳済斗らは世界的には全く無名の水増し階級の王者に過ぎず、ミドル級に君臨していたカルロス・モンソンとはメジャーリーグとマイナーリーグほどの差がありました。

工藤が「戦えたことが幸せ」と絶賛した世界選手権優勝のアユブ・カルレは、シュガー・レイ・レナードがトーマス・ハーンズとの大勝負前に調整試合に選ばれ、その通りに斬り落とされてしまいました。

三原を破壊したデイビー・ムーアはスーパースター候補でしたが、老雄ロベルト・デュランのオーラに飲み込まれて粉砕されてしまいました。

デュランやレナード、ハーンズ、そしてマーベラス・マービン・ハグラー、ミドル級ウォーズを繰り広げるFOUR KINGSがどれ程強いのか、日本のボクシングファンにはその高嶺は見えませんでした。
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しかし、村田諒太がアゼルバイジャン・バクーの世界選手権2011で銀メダル、ロンドン五輪2012では世界の強豪を退けて金メダルを獲得したとき、世界ミドル級の輪郭が見えてきました。

プロ転向後は16勝12KO2敗。二つの敗北はいずれも完璧な形で雪辱を果たしています。

「トップ選手との対戦がない」というのはゲンナディ・ゴロフキンやカネロ・アルバレス、ジャモール・チャーロと戦っていないということですが、アルファベット団体のコンテンダー相手なら圧倒的有利のオッズと予想が叩かれ、その通りの結果も残してきました。

米国や英国の超人気階級でこのレベルの才能と巡り会えるのは、日本ボクシング開闢以来の幸運です。

来年にもゴロフキンやカネロを倒す、そんなシーンを日本で目の当たりにすることができるかもしれません。

さて、英国ボクシングニューズ誌がランキングしたThe 10 greatest middleweights of all time(ミドル級歴代最強10傑)、残りの二人です。


【2位】カルロス・モンソン

途轍もなく強かったボクサーだったが、人間的には大きな問題を抱えていたアルゼンチンの英雄。

ドメスティックバイオレンスの重度の常習者で、パパラッチを殴り、暴力を振るった女性から拳銃で足を撃たれたこともある。

モンソンを知る人は、マイク・タイソンを見ても「お行儀の良い子だ」と思うことだろう。

1970年に敵地ローマでニノ・ベンベヌチを撃破してその名を世界に知らしめた。軽量でモンソンをからかったベンベヌチに、モンソンは「お前を殺す」と静かに語った。

その場にいた人の誰もが、これはトラッシュトークではないんじゃないか?と身震いするほど、モンソンは冷たい目をしていた。

モンソンがその宣言を実行するのを防いだのは12ラウンドで試合を止めた主審だった。

ロドリゴ・バルデス、エミール・グリフィス、ベニー・ブリスコ、ジャン・クロード・ブーティエ…モンソンは強豪相手に防衛戦を軽々とクリアし続け、その回数を14度まで伸ばした。

1977年、モンソンは王者のままグローブを吊るす。

それから4年後、ブエノスアイレスでモンソンはリング復帰を宣言。

「なぜカムバックするのかって?私よりもマービン・ハグラーの方が強い、という馬鹿がいるからだ」。

「ハグラーは27歳で私は39歳?それくらいのハンデがないとハグラーが可哀想だろう」。

このニュースを聞いたとき「モンソンに勝ち目はない」と思いましたが、モンソンが万全の状態に仕上げたならアラン・ミンターやビト・アンツォヘルモとは別次元のボクサーです。ハグラーにとって、キャリア最強の相手になったことは疑いようがありません。
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1995年、妻を殺害した罪で11年の刑期を終え、週末に一時帰国中に自動車事故で52歳の若さでこの世を去った。

しかし…妻を殺害したことで懲役刑を科せられたモンソンは11年間を牢獄で過ごします。52歳のモンソンには、もはや戻るべきリングはありません。

自動車事故で、その破天荒な生涯を自ら閉じました。

ボクシングファンが尊敬するグレートたちの多くは天国に招かれるが、モンソンはどうだったのだろうか?

もしかしたら、地獄に落ちて、熱い業火に今も焼かれ続けているのかもしれない…。


*【1位】はみなさんよく知ってるあいつなので、ここでは割愛します。
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