フシ穴の眼 〜スポーツ疾風怒濤編〜

      Hope Lights Our Way / 希望の道を、つなごう。

カテゴリ: 英国ボクシングニューズ誌

村田諒太がアタックする世界ミドル級の頂点。

それがいかに峻厳なテッペンであるのかは、70年代から80年代のボクシングシーンを見たファンはよくわかっています。

ミドル級から一つ下のジュニアミドル級で輪島功一、工藤政志、三原正が世界王者に輝いた時代。たった1階級しか違わないのに、ミドル級とは世界王者の価値が全く違うことに、多くのボクシングファンは気づいていました。

輪島が死闘を繰り広げたカルメロ・ボッシやオスカー・アルバラード、柳済斗らは世界的には全く無名の水増し階級の王者に過ぎず、ミドル級に君臨していたカルロス・モンソンとはメジャーリーグとマイナーリーグほどの差がありました。

工藤が「戦えたことが幸せ」と絶賛した世界選手権優勝のアユブ・カルレは、シュガー・レイ・レナードがトーマス・ハーンズとの大勝負前に調整試合に選ばれ、その通りに斬り落とされてしまいました。

三原を破壊したデイビー・ムーアはスーパースター候補でしたが、老雄ロベルト・デュランのオーラに飲み込まれて粉砕されてしまいました。

デュランやレナード、ハーンズ、そしてマーベラス・マービン・ハグラー、ミドル級ウォーズを繰り広げるFOUR KINGSがどれ程強いのか、日本のボクシングファンにはその高嶺は見えませんでした。
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しかし、村田諒太がアゼルバイジャン・バクーの世界選手権2011で銀メダル、ロンドン五輪2012では世界の強豪を退けて金メダルを獲得したとき、世界ミドル級の輪郭が見えてきました。

プロ転向後は16勝12KO2敗。二つの敗北はいずれも完璧な形で雪辱を果たしています。

「トップ選手との対戦がない」というのはゲンナディ・ゴロフキンやカネロ・アルバレス、ジャモール・チャーロと戦っていないということですが、アルファベット団体のコンテンダー相手なら圧倒的有利のオッズと予想が叩かれ、その通りの結果も残してきました。

米国や英国の超人気階級でこのレベルの才能と巡り会えるのは、日本ボクシング開闢以来の幸運です。

来年にもゴロフキンやカネロを倒す、そんなシーンを日本で目の当たりにすることができるかもしれません。

さて、英国ボクシングニューズ誌がランキングしたThe 10 greatest middleweights of all time(ミドル級歴代最強10傑)、残りの二人です。


【2位】カルロス・モンソン

途轍もなく強かったボクサーだったが、人間的には大きな問題を抱えていたアルゼンチンの英雄。

ドメスティックバイオレンスの重度の常習者で、パパラッチを殴り、暴力を振るった女性から拳銃で足を撃たれたこともある。

モンソンを知る人は、マイク・タイソンを見ても「お行儀の良い子だ」と思うことだろう。

1970年に敵地ローマでニノ・ベンベヌチを撃破してその名を世界に知らしめた。軽量でモンソンをからかったベンベヌチに、モンソンは「お前を殺す」と静かに語った。

その場にいた人の誰もが、これはトラッシュトークではないんじゃないか?と身震いするほど、モンソンは冷たい目をしていた。

モンソンがその宣言を実行するのを防いだのは12ラウンドで試合を止めた主審だった。

ロドリゴ・バルデス、エミール・グリフィス、ベニー・ブリスコ、ジャン・クロード・ブーティエ…モンソンは強豪相手に防衛戦を軽々とクリアし続け、その回数を14度まで伸ばした。

1977年、モンソンは王者のままグローブを吊るす。

それから4年後、ブエノスアイレスでモンソンはリング復帰を宣言。

「なぜカムバックするのかって?私よりもマービン・ハグラーの方が強い、という馬鹿がいるからだ」。

「ハグラーは27歳で私は39歳?それくらいのハンデがないとハグラーが可哀想だろう」。

このニュースを聞いたとき「モンソンに勝ち目はない」と思いましたが、モンソンが万全の状態に仕上げたならアラン・ミンターやビト・アンツォヘルモとは別次元のボクサーです。ハグラーにとって、キャリア最強の相手になったことは疑いようがありません。
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1995年、妻を殺害した罪で11年の刑期を終え、週末に一時帰国中に自動車事故で52歳の若さでこの世を去った。

しかし…妻を殺害したことで懲役刑を科せられたモンソンは11年間を牢獄で過ごします。52歳のモンソンには、もはや戻るべきリングはありません。

自動車事故で、その破天荒な生涯を自ら閉じました。

ボクシングファンが尊敬するグレートたちの多くは天国に招かれるが、モンソンはどうだったのだろうか?

もしかしたら、地獄に落ちて、熱い業火に今も焼かれ続けているのかもしれない…。


*【1位】はみなさんよく知ってるあいつなので、ここでは割愛します。
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【7位】フレディー〝Tacoma Assassin〟スティール

 よく耳にする名前ではないかもしれないが、輝ける1930年代を彩ったミドル級チャンピオンだ。

プロデビューは1936年11月、なんと13歳のとき。当たり前だがミドル級ではなくフライ級だった。

徐々に大きくなる体と共に、ナチュラルに階級をアップ。ミドル級ではフレッド・アポストリ、ゴリラ・ジョーンズら元王者を撃破、1936年7月にエディ〝ベイブ〟リスコに判定勝ちしてタイトル奪取。

世界ミドル級のタイトルを5度防衛した〝タコマの暗殺者〟は1941年5月の試合を最後に引退。123勝58KO5敗11分の素晴らしい戦績を残した。

フライ級の13歳から、ミドル級の28歳まで。もしスティールが現代に舞い降りたら、11〜12階級制覇していたかもしれない。



【6位】チャーリー・バーレイ

まだ人種差別が合法だった時代、肌の色はボクサーにとって最も重要なことだった。

強すぎるバーレイは、白人コンテンダーから公然と対戦を回避され、一部の黒人王者ですら彼との対戦を嫌った。

不吉な悪魔のように彼を忌避したリストにはビリー・コンやマルセル・セルダン、そしてシュガー・レイ・ロビンソンまでが名前を連ねる。

1944年にはライトヘビー級のアーチー・ムーアから4度ダウンを奪って圧勝、ムーアをして「史上最強のボクサー」と言わしめた。



【5位】スタンレー〝The Michigan Assassin〟ケッチェル

波乱万丈の人生を駆け抜ける〜それがボクサーの宿命だとするならケッチェルは、まさしくボクサーだった。

12歳でホームレスとなり、鉄道車両に身を隠しながら町から町へと流浪した。

16歳のとき、モンタナ州でタダ乗りの浮浪者を殴ることを職務とする巨漢の鉄道員を半殺しにした。

彼は酒場の用心棒となり、地下格闘技の世界で名を馳せる。

1908年にマイク〝ツイン〟サリバンを1ラウンドでノックアウトして世界タイトルを獲得。1年後にはライトヘビー級チャンピオンのフィラデルフィア・ジャック・オブライエンを粉砕、宿敵ビリー・パプケとは4戦3勝1敗。
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https://www.youtube.com/watch?v=foP0wXGF3p4

ケッチェルの最も有名な試合は、1909年にヘビー級王者ジャック・ジョンソンへの挑戦だ。試合前に「最終20ラウンドの判定まで持たせる」という台本が用意された八百長だったが、12ラウンドにケッチェルが裏切りの右フックでヘビー級王者からダウンを奪う。

白人ファンが拍手喝釆する中で、ジョンソンは嵌められたことに気づく。立ちあがったジョンソンは、一気に飛び込んできたケッチェルの顎に右ショートアッパーを炸裂させ、試合を終わらせた。

1年後の1910年10月15日、ケッチェルはミズーリ州で、女房を寝取られたと怒り狂った牧場主に銃殺されてしまう。まだ24歳だった。


【4位】ハリー〝Pittsburgh Windmill〟グレブ

激動の20年代に最も躍動したファイターがグレブだ。

練習嫌いだったが、週に2、3試合もこなすこともあったピッツバーグの人間風車はいつもシェイプアップされていた。

1913年のデビューから1926年まで戦い続けて残した生涯戦績は正確な記録が残っているだけで108勝49KO8敗3分。実際には298試合をこなしたと言われている。

そして、最も驚くべきは1921年にキッド・ノーフォークに眼球をサミングされて、視力を失っていたという事実だ。それ以降は、片目が見えない状態で戦ったいたのだ。

1922年5月、ジーン・タニーに挑んだ米国ライトヘビー級タイトルマッチ。タニーはのちのヘビー級王者で、グレブもミドル級王者になる。ヘビー級で名王者となるタニーが喫した唯一の敗北が、グレブにつけられた、この一戦だった。



【3位】マーベラス・マービン・ハグラー

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「マニー・パッキャオが完成するまでの史上最高のサウスポー」(バート・シュガー)と謳われた万能型のミドル級王者。

正確には、ハグラーはスイッチヒッターで、左右どちらの拳にも一撃の破壊力を秘めていた。

強打と技術、頑丈な顎、無尽蔵のスタミナ、恐るべき勝負への嗅覚…ボクサーとしての能力で欠けているものは、何一つないばかりか、そのどれもが最高レベルにあった。

シュガー・レイ・レナードとの試合は、30年以上経った今も議論を呼び続けている。トーマス・ハーンズとの史上最も激しい3ラウンド。

80年代、米国リングの王様だったマーベラスは鮮明な記憶と共に、ボクシングファンの心の中で永遠に生き続けることになる。
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英国ボクシングニューズ誌からThe 10 greatest middleweights of all timeをご紹介。

11ストーン(154ポンド)プラス6ポンド。ボクシングの階級でミドル級は最も優れたファイターが集まり、ドラマティックな戦いを繰り広げてきた。

英国のスター選手、そしてカネロ・アルバレスの進出によって12ストーンのスーパーミドル級もミドル級に肩を並べる人気階級に成長しているが、そのレガシーは歴史あるミドル級には及ばない。

ミドル級10傑。そこには我々が誇るナイジェル・ベンもクリス・ユーバンクらはお呼びでない。シュガー・レイ・レナードの席ですら、そこには用意されていない。

きっと、あなたはカネロやゲンナディ・ゴロフキンが入っていないのはおかしい、と異論を唱えるだろう。しかし、あなたが見ているのはミドル級の絢爛豪華な歴史の尻尾に過ぎないのだ。


【10位】ジェイク〝Bronx Bull〟ラモッタ

ロバート・デニーロが演じたラモッタはミドル級を代表する怪物だ。その殺人的なパンチ力ばかりが注目されるが、防御技術と鉄の顎も持っていたことを忘れてはならない。

シュガー・レイ・ロビンソンと6度戦い、2度目の対決では規格外の強打でロープから叩き出し、歴代PFPのデビュー以来41連勝を阻んだ。ロビンソンは、この敗北から88連勝するのだから、もしラモッタに負けていなければ伝説はさらに恐るべき形で後世に語り継がれていただろう。

1949年6月、フランスの国民的英雄マルセル・セルダンを9ラウンドでストップ、悲願の世界王者に就く。

1951年2月14日、シカゴスタジアム。そして、ウェルター級王者ロビンソンを迎えての防衛戦。13ラウンド、ロープに釘付けにされて滅多打ちにされてしまう。ここで主審が試合をストップ。

有名な「聖バレンタインの虐殺」である。


【9位】タイガー〝Georgia Deacon〟フラワーズ

ミドル級初の黒人世界王者。教会の助祭(執事)からプロボクサーに転身した異色のファイター。

Georgia Deacon=ジョージアの助祭=は1918年のでびゅーから1927年の引退まで142戦を戦い119勝15敗8分、1924年には36度!もリングに上がった。

1926年8月19日、ハリー・グレブに大番狂わせの勝利を収めて王座獲得。グレブが目の手術に失敗、命まで落としてしまう。悲報に嘆く敬虔なクリスチャンにも、眼疾の悪魔はとりつき、1927年11月、やはり手術に失敗、天国に招かれてしまった。

まだ32歳の若さだった。


【8位】バーナード・ホプキンス
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そのキャリアはいつも面白い試合を提供してくれたわけではない。しかし、一貫して規律を守り抜いて効率的な戦い方を披露して見せた。

ミドル級タイトル20連続防衛は、団体と階級が膨張した時代では差し引いて評価すべきだが、フェリックス・トリニダードとオスカー・デラホーヤという当代きってのスーパースターに圧勝したことは特筆すべき。

The Executioner(死刑執行人)からB-HOP、そしてThe Alienと遷移させた渾名は、彼のキャリアの時代時代を正確に物語っている。
 
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スポーツは技術が支配する世界です。

技術以外に勝敗を決する要素が、一つだけあります。

異質であることです。

サウスポーはその典型です。

多数派のオースドックスはサウスポーとの練習や実践が乏しい一方、サウスポーはオースドックスと質の高い練習と試合を積み上げることが出来ます。

歴史的に左利きは邪悪なものとして忌み嫌われてきました。多くの社会で左利きは、右利きに矯正されてしまいます。

世界の人口の約90%が右利きで、左利きの人が使うには非常に不便であったり、危険であったりする製品がたくさんあります。例えば、私と同年代の人なら学校の机にインク壺があり、それが常に机の右側に置かれていたことを覚えているでしょう。

しかし、スポーツの世界に限らず、左利きから偉大な人物が生まれるのは、今更いうまでもありません。

ナポレオン・ボナパルト、ジュリアス・シーザー、アレキサンダー大王、モーツァルト、ベートーベン、ジャンヌ・ダルク、キューリー夫人、レオナルド・ダ・ビンチ、ミケランジェロ、アインシュタイン、ベーブ・ルース、ウィンストン・チャーチル、マリリン・モンロー…そしてスター・ウォーズのチューバッカまでもが左利きだったのです。

「left=左」という言葉は、アングロサクソン語で弱いという意味の「lyft」に由来すると考えられています。

英語の「sinister」は、ラテン語の形容詞sinister/sinistra/sinistrumから派生したもので、もともとは「左」を意味していましたが「悪」や「不運」という意味も持つようになりました。

つまり、私たちは「左」という言葉を本能的にも歴史的にも否定的に捉えてきたのです。
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「サウスポー」が左利きの意味となったのは、左投げのピッチャーの腕が体の南側にあったことから野球用語として使われ、それ以前は「普通ではない」という意味で使われていました。

20世紀初頭のボクシング界でも、サウスポーは非常に珍しい存在でした。

ボクシングを習うためにジムのドアを叩いた左利きの若者には二つの選択肢しかありませんでした。

オーソドックス(正統派という意味です!この言葉は左利きは正統派じゃないということの証左です)への矯正を受け入れるか、ボクシングを諦めるか、の二択だったのです。

ボクシングでは1960年代にサウスポーが見直される大きな地殻変動が起きました。

1950年代末までの60年間で、わずか13人しかいなかったサウスポーの世界王者が60年代の10年間で7人も誕生したのです。

メキシコのビセンテ・サルディバルの他にも、オラシオ・アカバロ、フラッシュ・エロルデ、レネ・バリエントス、バーナベ・ビラカンポ、海老原博幸、金基洙、具志堅用高らアジア人の台頭がサウスポーの時代の扉をこじ開けたのでした。

この中には米国人は一人もいません。もしかしたら、東洋思想よりもキリスト教の宗教観に左利きへの禁忌意識がより深く刻まれていたのかもしれません。

70年代は、17人の世界王者を輩出。80年代には51人、90年代には59人、00年代には65人のサウスポーが世界王者につきました。2010年代は55人と頭打ち傾向ですが、今やサウスポーの世界王者を特別視する人はいません。

もちろん、世界王座の数が劇的に増えたことも大きな原因ですが、人々の意識が変わったことも間違いありません。

サウスポーは遺伝ではないというのも面白い特徴です。

オーソドックスのレオン・スピンクスの息子コーリーはサウスポー。やはりオーソドックスのペニャロサの二人の息子ジェリーとドディははサウスポー、亀田三兄弟でサウスポーは長男の興毅だけ。

エリック・モラレスはオーソドックスなのに弟のディエゴとイワンはサウスポー。

その一方で、カオサイとカオコーのギャラクシー兄弟、ラモンとラウルのガルシア兄弟はともにサウスポーでした。
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80年代以降は渡辺二郎、マービン・ハグラー、ヘクター・カマチョ、パーネル・ウイテカー、ビック・ダルチニアン、セルヒオ・マルチネス、マニー・パッキャオ、ワシル・ロマチェンコ、オレクサンドル・ウシク、2階級制覇に成功したばかりのシャクール・スティーブンソンもサウスポーです。

異端であり、禁忌であったサウスポーは、オーソドックスに対するキラーとして、むしろ歓迎されています。

ボクシングを志す若者がサウスポーだと100年前なら「オーソドックスに治せ」と言われましたが、今は「お!サウスポーか!いいなあ!」と喜ばれるはずです。

ハグラーや渡辺二郎らは右利きなのに左が前を選んだ、典型的なコンバーテッドサウスポーでした。

また、21世紀になるとナジーム・ハメドやテレンス・クロフォードのようなスイッチヒッターも散見されるようになります。

いまやオーソドックスであることは、少なくともプラス要素とは認められていません。

「史上最高のオーソドックス」という命題が存在しないように、このままサウスポーやスイッチヒッターが増え続けると「史上最高のサウスポー」という言葉が死語になる日も近いのかもしれません。



 
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週刊のボクシング専門誌が存在する国って素晴らしい。

最もメジャーなのは英国のボクシングニューズ(BN)誌です。現在は毎週木曜発行。

米国リング誌に先駆けること13年。1909年、明治42年の創刊。

週刊ということは↓こういうことです。
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現地時間、土曜日に行われた試合結果が1週間も待たずに紙ベースでレポートされるわけです。

もちろん、デジタル版は試合終了すぐに速報、そのあと数時間後にフルレポートがアップされることを考えると「4日も遅い」のですが、プリントバージョンの発売に合わせてアップされる記事もあります。

そうはいっても速報性でデジタル版に勝るメディアはありません。プリント版に合わせてアップされる記事は、プリント版を差別化するための施策にすぎず、ネットに対する優位性ではありません。

ただ、やはり、今ここにある紙ベースの存在感は格別です。見開きを使った写真や記事のレイアウト構成など印象に残ると点では、画一的な手触りと視覚のネット情報とは全く違う世界を提供してくれるのです。

紙とタブレット端末で行った学習効果の実証実験が世界中で様々な形で行われていますが、どの結果からも紙の優位性がはっきり出ていています。

紙の大きさや手触り、記事のレイアウト、ときには紙の匂いなど印象、破れたページやこぼしたビールの痕…記憶を助成する要素が多い紙の方が、助成要素をほとんど持たないタブレットやPC画面よりも学習効果が高いのは当然です。

…なんて言っても週刊誌を定期購読してると読むのも大変(あ、言ってしまった)、紙媒体は何より管理するのも大変で、BN誌のプリント版を定期購読するのは2年前にやめました。

スポーツイラストレイテッド誌が週刊から隔週、月刊になってくれたときは、さすがに少し物足りない気がしました。日本ではナンバー誌が隔週刊ですかね。


話が紙と雑誌の脇道に迷い込みそうなので、書こうとしてたテーマに戻すと「番狂わせとは言い切れない番狂わせ」の話です。

番狂わせの定義は「有利とされていた競技者が敗れること」です。

有利不利の実像(虚像という方が正確か?)は、ファンやメディアの戦前予想やブックメーカーのオッズなどで形成されます。オッズでいうと、favoriteとunderdog。

最近では寺地拳四朗と矢吹正道の試合は、寺地圧勝の予想が圧倒的、間違いなく大番狂わせでした。

一方で、アンソニー・ジョシュアがオレクサンダー・ウシクの技巧になす術もななかったトッテナムの12ラウンド。あの試合のオッズはアバウト3-1、数字上ではマイルド・アップセットでした。

ほぼジョシュアに傾いた専門家予想の視点では、ビッグ・アップセット。

そして、タイソン・フューリーとの史上最大規模が見込まれたメガファイトへの前哨戦と考えていた英国のファンにとっては、マッシブ・アップセット、衝撃的な大番狂わせでした。

あの夜、寺地には十分な勝機がありました。しかし、ジョシュアはどうだったでしょうか?

アップセットの正体は、人間の脳内妄想です。

モハメド・アリとソニー・リストン、イベンダー・ホリフィールドとマイク・タイソン、マニー・パッキャオとマルコ・アントニオ・バレラ…初戦は一方的なオッズと予想、アリとホリフィールドは再戦でもアンダードッグ、パッキャオも再戦では返り討ちに遭うという予想が少なくありませんでした。


今となっては両者の歴史的評価は決定的で、リストンやタイソン(引退後の人生は明暗を分けましたがこの2人は本当に酷似しています)、バレラを上に評価する人は皆無です。

しかし、当時のリストンやタイソン、バレラがどれほど強いと考えられていたかを知れば知るほど、圧倒的有利の妄想が形成されたことを馬鹿にすることは出来ません。

寺地と矢吹の再戦があれば、やはり初戦と同じように寺地が明白に有利という予想とオッズが並ぶでしょう。

しかし、それは妄想ではないのか?

ジョシュアとウシクの再戦は、ウシク有利と見られるでしょう。

しかし、それもまた妄想ではないのか?

その番狂わせは、本当に番狂わせだったのか?を言い出すと、番狂わせの定義そのものが脳内妄想による優劣なのですから、本質的な意味での番狂わせなどこの世に存在しないことになります。

さらに、たとえラッキーパンチの一撃でも、不可解な裁定、採点であっても、あらゆる結果は必然です。

カネロ・アルバレスの〝ラスベガス採点〟を本気で驚く人はいないでしょう。

さて、本当の意味での〝番狂わせ〟など存在するのか?

番狂わせをを起こす男=パックマンを異名にするマニー・パッキャオですら、もしかしたら本当の意味での番狂わせは一度も起こしていないのかもしれません。

本当の意味での番狂わせが起きたことなど、あるのか?

パックマンなど、この世に存在するのか?

深い海の底への潜航が始まります。
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No more sanctioning body titles. The new Boxing News stance here


英国ボクシングニューズ誌は「もう承認団体のガラクタベルトは要らない」と、今後はアルファベット団体の王者を「世界王者」と安易に呼ばないと宣言しました。
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4−Belt Eraは最悪の様相を呈しています。

最低限の倫理感があれば、10− Belt Eraの方がまだましです。最低限の倫理感、世界王者は世界に一人だけ、という常識さえ分け前ていれば。

最も酷いのはWBAでそのシステム下では最大で1階級5人の世界王者を認めています。

WBCはある意味、WBAよりも常識がありません。フランチャイズタイトルの説明は二転三転し、今では「WBCの正統王者はフランチャイズ」と主張。その理屈ではテオフィモ・ロペスはUndisputed Champion=完全統一王者ですが、それを認めるならあなたも常識をわきまえない世界の住人だということです。

「世界タイトルが大量生産されることは、ボクサーの収入機会を増やす」と主張する輩もいますが、それは間違っています。

ガラクタベルトの王者は、かつてのオリジナル8の時代の王者よりも尊敬も収入も低いことがほとんどです。

フロイド・メイウェザーやマニー・パッキャオはオリジナル8の王者たちよりも明らかに多くの報酬を得ていますが、彼らはガラクタのコレクションに興味はありませんでした。

Basic common sense should tell anyone that generating more mess doesn’t clean up an existing mess. In the long-term such garbage will build and build to the point people can’t stand to look at it anymore. 

まともな感覚で考えれば、ガラクタを増やせばゴミの山が増えるだけ。ガラクタの山の中で、何が何だかわからない、見るに堪えない状況が出来上がってしまっているのです。

承認団体とプロモーターはグルになってタイトルを増やし続けています。プロモーターは傘下の選手をランキング上位に入れることを条件に、新しいタイトルを認めてきました。

主要と呼ばれる4団体のランキングはデタラメです。

カネロ・アルバレスが粉砕したアブニ・イルディリムや、井上尚弥が悶絶させたマイケル・ダスマリナスはその団体が最強とランキングする指名挑戦者でした。ランキング委員の中でも、自分たちが作成したランキングが強さの順番であると信じている馬鹿はいません。

あれは強さの順番ではなく、それぞれの団体の都合の良い順番に過ぎないのです。

ボクシングニューズ誌のマット・クリスティ記者は「現役の世界王者17階級で81人の中で74人は、まともな相手に勝たずして世界王者を名乗っている。こんなおかしなスポーツは他にない」と糾弾しています。

承認団体は対立団体の王者をランキングに入れません。

アンソニー・ジョシュアとタイソン・フューリーは対決する義務がなく、イルディリムやダスマリナスのような〝最強挑戦者〟が捏造されるのです。

We will not be calling any fighter who has won an alphabet title a world champion. 

英国ボクシングニューズ誌は、アルファベット団体の王者を安易に「世界チャンピオン」と呼ばないと、宣言しました。

チャンピオンではなく、ベルトホルダー、タイトルホルダー、タイトリストと呼ぶというのです。

世界王者にWBAやWBC、IBF、WBOのようなわけのわからないアルファベットや、レギュラーやスーパー、フランチャイズ等々の冠詞は必要ありません。世界王者を表現する言葉は、世界王者だけでいいという真っ当な正論。

全面的に支持します。

そして、世界王者はそのクラスの1位と2位が戦った勝者、そんな世界王者をリング上で倒したファイターだけに与えられる尊称であるべきなのです。

では、どのランキングを持って1位と2位を決めるのか?

ボクシングニューズ誌は自分たちのランキングではなく、Transnational Boxing Rankings Board(国境なきボクシングランキング作成機関=TBR)を採用すると表明しました。

一定の信頼を得ているリング誌はゴールデンボーイ・プロモーションズとの関係が深く、ESPNはトップランクと一心同体です。

2012年に結成されたTBRは、プロモーターやテレビ局、承認団体などあらゆる歪んだ影響を排除して、世界各国の28名のメンバーがファイターを格付けしてきました。当然、階級は「ジュニア表記」です。

この厳格なランキング基準で、TBRが世界王者と認めているのはタイソン・フューリー(ヘビー級)、マイリス・ブリエディス(クルーザー級)、アルトゥール・ベテルビエフ(ライトヘビー級)、ジョシュ・テイラー(ジュニアウェルター級)、ライト級(テオフィモ・ロペス)、ギレルモ・リゴンドー(ジュニアフェザー級)、ジュニアバンタム級(ファン・フランシスコ・エストラーダ)の7人。

10階級が空位。概ね納得できるとはいえ、リゴンドーのジュニアフェザーはいただけません。どんな石頭なのでしょうか?腐敗した承認団体よりは100倍以上マシですが。
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PFPも発表しています。これは、9位にゲンナディ・ゴロフキンを入れる感性は理解に苦しみます。

そして、バンタム級王者は空位。これもおかしい。井上からしたら「どうせえっちゅうねん!?」ってことです。

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個人的には腐敗勢力の影響を受けているとはいえ、リング誌王者の方が納得できます。

1位の井上は2位のドネアに勝てば王者ですが、ドネアがランキング圏外だった2年前にすでに勝ってるのですが…。 

1987年のベルナルド・ピニャンゴから34年余りも空位って、確かに狭義のLineal Championの理屈ではそうですが、杓子定規にもほどがあります。

辰吉丈一郎も薬師寺保栄も長谷川穂積も山中慎介も井上も、バンタム級王者ではない、というのはいかがなものでしょうか?

リング誌王者の山中と井上は王者で差し支えないでしょう。

TBRの規格では、3階級制覇の井上は一つの階級でも世界王者になっていないことになります。4階級制覇の井岡でやっとストロー級で世界王者になっただけ。

パッキャオも8階級制覇ではなく、5階級制覇。

こういう石頭ランキングでも、主要4団体の嘘八百ランキングよりはずっとマシ、それほど4−Belt Eraの闇は深く、世界王者の価値が暴落しているということなのですが。。。 
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もし、現在の〝日めくりPFP〟が60年代にも存在していたなら、ファイティング原田は間違いなく1位の座に就いていたでしょう。

しかし、1団体10階級時代の純粋な時代に、薄汚い脳内妄想など入り込む余地はありません。

ただ、60年代ディケイドでエデル・ジョフレを1位、原田を5位にランクしているリング誌ですが、これは後付けです。 原田は妥当ですが、ジョフレ1位は多数意見ではありません。

当時、世界のボクシング関係者がこぞって「パウンド・フォー・パウンド」のナンバー1と(ジョフレを)評価していた。 〜「黄金のバンタムを破った男」百田尚樹〜

当時を知る由もない私ですが、それでもこれは小説的な〝嘘〟だとすぐにわかります。 

まず、1団体10階級時代でPFPランキングなど作成しても、10人の世界王者をそのまま当てはめるだけの作業になってしまいます。

あのくだらない脳内妄想は4団体17階級、アバウト68人の世界王者のランキング遊びに過ぎないのです。

つまり、当時は「パウンド・フォー・パウンド」という言葉はそこまで一般的ではなかったはずです。

そして、小説的な〝嘘〟だと断定できるのは、ジョフレを「 世界のボクシング関係者がこぞって」パウンド・フォー・パウンドのナンバー1と評価していた、というくだりです。

ありえません。

実際、ジョフレを60年代1位に推したリング誌も「異端の考えかもしれない」と認めています。

高校や大学時代に、当時のリング誌やスポーツイラストレイテッド誌も貪り読みましたが、60年代のボクシングは人気(好き嫌い併せ呑む意味で)は圧倒的にモハメド・アリ、その存在感の大きさは実力評価でもアリでした。
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これは、軽量級に傾倒する日本のボクシングファンやメディアですら、そうだったでしょう。

80年代、中高生の私は、アリが嫌いでした。「そんなもん、マイク・タイソンの方が強いに決まってるだろ。アリやフォアマン、フレージャーなんて70年代の化石」と思っていました。

スポイラやリング誌が史上最高のボクサーとして扱っているばかりか、ボクシングジムの古参の方や、有名な文筆家の中には「アリ最強」を信じてる人が多く、そういう懐古的な思考に対する反発もありました。 

そうだ、アリの話じゃありません… 。脱線する前に面舵いっぱい、原田とジョフレに戻します。

とにかく、アリがボクシングという枠を突き破った偉大な現象であったがために、ジョフレを60年代2位にランクする専門家が多いのは、ボクシングという枠内で考える場合は間違っている、というのがリング誌の主張でした。

リング誌がコンクリートした60年代1位ジョフレ、5位原田。

さて、2020年代が締めくくられた後世、井上尚弥はディケイド何位と評価されているのでしょうか? 
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PFPファイターや重要な試合があるたびにシャッフルされるPFP1位よりも、全米ボクシング記者協会(BWAA)のFighter of The Year(シュガー・レイ・ロビンソン杯)の方がはるかに価値があります。

同じくらいか、それ以上の名誉が殿堂入りです。

どれにしても、所詮は人の脳内で決める妄想とはいえ、トロフィーやリングといった形もあります。

殿堂に至っては、現実にニューヨーク州カナストータに実在します。

Fighter of The Yearや殿堂入り選手は記憶に刻まれます。ボクシングを知らないひとでもすぐに検索できます。

しかし「2020年6月22日のPFP、リング誌とBWAAの2位は?」と聞かれて答えられるボクシングマニアがどれだけいるでしょうか?

1年前でも2位どころか1位も自信を持って答えられる人がいるでしょうか?1年前でもこの有様です。5年前、10年前になるともはやマニアの記憶からもほとんど消滅してしまっています。


日本人ボクサーは1995年にファイティング原田、2015年に具志堅用、大場政夫の3人がこの殿堂に〝入神〟を果たしています。

60年代に活躍した原田が、70年代に日本ボクシング界をリードした具志堅と大場に先んじて入神しているのは一見矛盾しているように見えますが、説明は簡単です。

殿堂システムが立ち上がった直後に、事実上の一発殿堂をモダーン部門で果たしたのが原田。

一発殿堂は叶わず、ウェイティングサークルで待機しながら、規定の歳月が過ぎモダーン部門の資格を失い、オールドタイマー部門で殿堂入りしたのが具志堅と大場です。

世界評価でどちらが上かは、言うまでもありません。


日本人でモダーン部門で殿堂入りしたボクサーは原田だけ。しかも一発殿堂。

ちなみに「原田より上?」と日本国内で騒がれたメディアやファンもあった長谷川穂積や西岡利晃は殿堂とは全く関係のないファイターです。

◉He is arguably Japan's greatest fighter ever. 

原田は間違いなく、日本史上最高のファイターである。

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世界に世界王者がたった一人の時代。現在、ストロー、ジュニアフライ、フライ、ジュニアバンタム、バンタム、ジュニアフェザーと6つに細分化された超軽量級が、フライとバンタムのたった二つしかなかった時代に、その2階級を史上初めて制覇したのが原田でした。

世界王者はすべからくThe Undisputed Champion、議論する余地のない王者だった時代の話です。

世界ランキングがNBAによる恣意的な操作があったとはいえ、現在のアルファベット団体の腐敗ランキングとは全く性格の違う、世界ランカーが価値を持っていた時代です。

「世界ランカーに弱い奴はいない」という言葉にも、真実の響きが確かにありました。

まだ「無冠の帝王」が死語ではなかった時代です。

60年代など私は生身では知りませんが、当時のボクシング界が現在とは全く違っているのはわかります。

白井義男が失った世界王者のベルトが日本に戻るまで、8年間も要した時代です。

20世紀末までは、まだ耳にすることのあった、世界王者不在の「空位時代」もまた今では死語になりました。

シュガー・レイ・ロビンソンが永遠の最強のように、原田の日本最高もお供え物のようなもので更新することは出来ない。

もちろん、原田を超えるThe Undisputed Championの3階級制覇を達成したなら、お供え物を仏壇の上から引き摺り下ろすことができます。

しかし、1団体10階級時代と現代の4団体17階級を比較すると、The Undisputed Champion3階級制覇では原田越えはならないかもしれません。

では、原田越えはほぼ不可能なのか?実際に、原田を越えたボクサーが存在します。

原田は長らく「アジア最高」でしたが、現在は「日本最高」に格下げされているのです。



21世紀には完全に絶滅した言葉が生き生きと躍動していた時代を振り返りながら、モンスターが〝原田越え〟を果たすために何が必要かを考えてみます。
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6月22日火曜日のお昼休みは、英国ボクシングニューズ誌から。

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日本のアスリートが世界を席捲している。

大谷翔平は〝二刀流〟で米国野球を連日震撼させ、大坂なおみは世界最高報酬を稼ぎ、女性アスリートの代表に登り詰めた。

八村塁は未来のNBAスーパースター、松山英樹は全米マスターズを制覇した。

そして、リングの上では井上尚弥が圧倒的な強さを見せ続けている。
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井上尚弥は1960年代の伝説ファイティング原田以来、日本最高のボクサーかもしれない。

Naoya Inoue might be the greatest boxer since fighting Harada

井上を最強たらしめているのは、卓越したスピードとテクニック、そして相手を壊滅させる爆発的なパワー。

井上の拳を科学者が精密に検査、分析したらプルトニウム成分が見つかるのではないか…。


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ファイティング原田はほぼ全ての海外メディアが「arguably=明らかに」という形容詞を冠に、日本のthe greatest boxerと表現されています。

英国ボクシングニューズ誌は、井上がその原田以来の最高ボクサーかもしれない、と書きました。

これは、そう認められて然るべきです。

13連続防衛記録を持つ具志堅用高、自力で完全統一王者に就いた渡辺二郎、史上最多の4階級制覇の井岡一翔、ペーパー上のスペックで井上を凌駕するグレートは過去も現在も存在しますが、このスポーツの評価は「誰に勝ったのか?」に集約されます。

田口良一、オマール・ナルバエス、ノニト・ドネア(ここにローマン・ゴンザレスの名前がないのが残念至極です)を撃破した井上が具志堅や渡辺よりも上、と見ることに何の抵抗もありません。

「原田以来の日本最高ボクサー」という表現もmight beではなく、arguablyで何の異論もありません。文句無しの単独2位です。

それでは…。

井上が絶対不可能と思われた〝原田越え〟を成し遂げることはあり得るのでしょうか?

「誰に勝ったか?」を物差しにしなければならないとすると、井上尚弥の敵はエデル・ジョフレです。

モハメド・アリを凌いで、リング誌の60年代PFPキングに輝く「黄金のバンタム」。

10年最強レベルとなると、最近ならマニー・パッキャオやフロイド・メイウェザーのレベルです。

そんな掛け値なしの化け物が、極めて近い将来バンタム級やジュニアフェザー級、フェザー級に現れる気配は全くありません。

それどころか、全階級を通じてもカネロ・アルバレスがそこに手をかけることが出来るかどうかです。

35歳まで現役と語る井上ですが、その行手に〝エデル・ジョフレ〟が現れることはないでしょう。

原田は、10団体時代にUndisputed Championとして、フライ〜バンタムで史上初の2階級制。PFPキングに2連勝。

もし、今のPFPが当時存在していたなら、ジョフレ初戦を勝利した原田は1位か2位、再戦も返り討ちにした時点で1位だったと推測できます。

もちろん、世界王者は各階級一人だけ、全階級でも10人しかいない時代にPFPなんてチンケな妄想がツケ入る隙はありません。

妄想しなくても、誰が一番強いのかが、誰の目にも明らかだった時代です。



では、時代に恵まれなかった井上は、このままの単独2位が限界なのでしょうか?








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マニー・パッキャオ。

随分と長い間、その名前を忘れていた。

そうだ、彼はがまだリングにいたのだ。

ボクシングがカネまみれのスポーツに堕落してしまってから、大きな試合を成立させることは非常に難しい作業になってしまった。


70年代までの「負けても取り返せばいい」という当たり前の時代は終わり、スーパースターは年に2試合しかリングに上がらない。

「何が何でも勝つ」のではなく、殴り合うスポーツとはかけ離れた、後ろ向きな「絶対に負けないスタイル」で「絶対に負けない相手」を厳選し「勝ち逃げされてはいけない」ことに重心を置くのが当たり前になってしまった。

21世紀になると、そんなクソまみれのボクシング界はクソ以下になった。

「冒険が悪」「冒険は愚」なんてスポーツはありえない。あってはいけない。

冒険を恐れ、さざ波(元内閣官房参与・高橋洋一)しか起きない勝手知ったる狭い港湾でセールすることしかできないチキン野郎にスポーツマンを名乗る資格はあるのか?
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もちろん、小さな港湾や、もしかしたら小さな港湾以下の浅く生ぬるい足場でチャプチャプするだけで大金を稼ぐほうが楽に決まってる。

「アンソニー・ジョシュアvsタイソン・フューリー」という冒険的なメガファイトが崩落したとき、アメリカのボクシング関係者は「予想通りだ」と自嘲した。

ボクシングの世界には二種類の人間が棲息している。「冒険をしたくないヤツ」と「冒険を邪魔したいヤツ」しかいない。

もちろん、どんなことにだって例外はある。

西から昇ったお日様が、東に沈むことだって、ボクシングの世界にはある。

そう、三種類目の人間がいるのだ。

そんなヤツは一人しかいないから、三種類というのは妥当な表現じゃないかもしれないが。


フォリピンの貨幣価値は米国都市部の50分の1だという試算がある。100分の1とも言われている。

彼が当たり前に一晩、30分余りで稼ぐ数千万ドルは、南シナ海では数十億ドルなのだ。



8月21日、エロール・スペンスJr.との試合が決まったとき、多くのメディアで同じ文章が踊った。

He doesn't need boxing, but boxing needs him.

彼はボクシングなんてやらなくてもいい。もう十分過ぎるほど金を稼いだ。名誉も栄光も獲得した。母国で展開する事業だけで、何世代も遊んで暮らせる。彼にはボクシングなんて必要ないのだ。

しかし、ボクシングは彼を必要としている。過去も今も、おそらく未来も。

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冒険とは無縁の二人。どっちもがんばれ。怪我するなよ。


As the big fight everyone was talking about collapses, Manny Pacquiao delivers a contest with Errol Spence that no one was expecting

誰もがワクワクしながら待っていた中東の決戦が蜃気楼になったとき、誰も予想していなかったメガファイトがプレゼントされた。

マニー・パッキャオとはそういう、生き物なのだ。

He doesn't need boxing, but boxing needs him. というのは本当は嘘だ。

パッキャオなんていなくてもボクシングは回っていく。そもそも、パッキャオだっていつか引退する。それは時間の問題だ。

真実は、こういうことだ。

Boxing doesn't need him , but He needs boxing.

「1995年のプロデビューから27年、表現する言葉が見つからない偉大なキャリア」(リング誌)というのも、初っ端から間違っている。

彼のプロデビューは1989年、11歳でプロデビューしている。正確なプロキャリアは33年だ。

夜祭りの草健闘、一夜限りのトーナメント。その夜、米ドルで2ドルの優勝賞金を受け取っている。

1989年、エロール・スペンスJr.はまだ産まれていない。
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4つのディケイドにまたがって世界王者。

ただ、一点付け加えなくてはいけない。

1995年に18歳だと逆サバ読んだパッキャオは、夜祭の草健闘でも年齢を偽っていたといわれている。

もし、そうだとしたらプロキャリアは34年になるのか、35年になるのか…。 
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