フシ穴の眼 〜スポーツ疾風怒濤編〜

      Hope Lights Our Way / 希望の道を、つなごう。

カテゴリ: 英国ボクシングニューズ誌

ジャマイカからカナダへ。

このお話の主人公、トレバー・バービックだけでなく、マイク・タイソンと打撃戦を繰り広げたレーザー・ラドックもジャマイカか生まれでカナダをベースに戦ったボクサーです。

ボクサーではありませんが、ベン・ジョンソンも同じルートで世界最速の男になりました。

*******ホテル暮らしで週末帰宅。ホテルにボクシングニューズ誌を持って行かなかったこともあり、続きが書けていませんでしたがようやく着手。

デジタル版で読めるでしょ?というなかれ。プリントバージョン、紙媒体の方がやっぱり、いろんなインスピレーションが湧いてくるのです。

と、ここまで書いたところで小さな友人たちの襲撃を受けたので、ちょっと中座。 
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英国ボクシングニューズ誌12月24日号から。

年末から超繁忙な日々を送り、この週末はリモート仕事を片付けて、自宅に溜まってた雑誌などを読みまくってました。スポイラ、リング誌、英国ボクシングニューズ(BN)誌はやっぱり面白いです。

BN誌のその年の最終号は、ページ数が倍の80ページになるのが恒例です。

経営難から年9回発行、月刊から転落していたリング誌は2年前から月刊体制に戻り、一時期64ページまで痩せ細ったボリュームも80ページまで戻ってきました。

それでもBN誌の年末最終号に追いついただけ。

いまや、ボリュームではリング誌を引き離しているBN誌。

いえいえ、ボリュームだけではなく、内容も?というわけで…

ALL THE DEVILS The Life and Death of Trevor Berbick
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ジャマイカ生まれのトレバー・バービックは1976年プロデビュー、2000年で引退。24年の息の長いキャリアを送ったヘビー級王者でした。

1986年3月22日にピンクロン・トーマスに僅差の判定勝ちを収めてWBCのピースを獲得しましたが、ちょうど8ヶ月後の11月22日にマイク・タイソンの拳に粉砕されて1年にも足らない短い治世に終止符が打たれます。

それから14年も戦い続けたバービックでしたが、世界王座を奪回することはついにありませんでした。

生涯戦績プロ49勝33KO11敗1分。アマチュアでは8勝3敗。

エディ・ファッチ、アンジェロ・ダンディという伝説的なトレーナーの薫陶を受けたものの、3団体時代で刹那の王者だったバービックは記憶に残るボクサーではありえませんでした。

「あれ誰だっけ?カナダをベースに戦ってたヘビー級のジャマイカ人いなかったっけ?」。ヘビー級王者でも忘れ去られる、そんな時代になった初期の有象無象の1人てあるはずでした。

しかし、その軽少なレガシーは非常に奇妙な形でボクシングの歴史に永遠に名前を残すことになります。

モハメド・アリと戦った最後の男として。そして、マイク・タイソンが初戴冠した相手として。

偉大なアリの戦績リストの最後に名前を刻み、タイソンの強打に〝宇宙遊泳〟したKO負けのシーンはYouTubeで驚くべき再生回数を記録しています。 

アリとタイソンが語られるとき、バービックの名前も自動的に蘇る仕掛けです。

そうでなければ、彼は米国ヘビー級史上最悪の沈滞期に混沌のリングへ迷い込んだ凡庸なヘビー級王者の1人に過ぎませんでした。

この時期のヘビー級はレベルが低く、多くの王者ですらマリファナとコカイン、コルト45、真夜中の酒池肉林、嘘と裏切りで語られることが多いものの、バービックが自堕落なコンディションで試合に臨むことはほとんどありませんでした。

練習が終わるとまっすぐ帰宅、ボロボロになった聖書を精読するバービックの闇は、ドラッグでも女でも酒でも過食でもありませんでした。

ジョージ・フォアマンが奇跡的な復帰を果たすまで、日曜日になると教会にこもって祈りを捧げるバービックだけが〝戦う宣教師〟の異名の持ち主で、それは彼こそを指す言葉でした。

ジャマイカのポートアントニオで生まれたバービックの生年は1952年と1954年、2つの説があります。よくあるお話です。

そして、70年代初めにはグアンタナモ湾で移民労働者として働いていました。 

グアンタナモは今でこそ悪名高き収容所ですが、当時は軍事基地があるだけでした。

悪魔に魅入られたトレバー・バービックの数奇な人生、その物語の始まりです。
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Judging The Sanctioning Bodies〜承認団体の正体に迫る!

いよいよ主要4団体、最後のWorld Boxing Organization、WBOの登場です。
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この団体もまたWBAから分離独立しました。ここがミソです。

1988年、WBA会長選挙でヒルベルト・メンドサが4期連続で選出されてことに異を唱えた米国とカリブの反対勢力が元副会長ラモン・ピーニャ・アセベドを担ぎ出して発足したのが第4の団体、世界ボクシング機構です。

当時は、現在のIBO同様にWBO王者は多くのメディアで認められませんでした。

日本の多くのボクシングファンも「WBO?UFOみたいだな。もう何でもありだな」と呆れ返るしかありませんでした。

1989年から展開された決定戦に勝った初代王者を見ると、ヘビー級(フランチェスコ・ダミアニ)、ミドル級(ダグ・ドゥビット)、ウェルター級(ヘナロ・レオン)の人気クラスでビッグネームを招聘できませんでした。

スーパーミドル級(トーマス・ハーンズ)とジュニアウェルター級(ヘクター・カマチョ)を抑えたとはいえ、二人ともピークを過ぎたビッグネーム。

それでも、オスカー・デラホーヤやナジーム・ハメド、マルコ・アントニオ・バレラらスター選手を抱き込み、大舞台での露出が増えると、世界は4番目の主要団体と認めざるをえなくなりました。
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1988年のWBO以来、major(主要)と数えられる承認団体は、32年間も誕生していません。

マイナー団体のIBC、WBF、WBU、IBUが主要と認められないのは当然としても、欧州で認知度が高いIBOはどうしてmajorの仲間入りが出来ないのでしょうか?

WBOとIBOの差はどこにあるのでしょうか?

JBCは加盟していないものの、IBOには人気選手も王者に名を連ねてきました。

その原因は「いくら何でもmajor5は、もう認められない」というメディアとファンの拒否反応ではありません。
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IBOがmajorになれない表向きの理由は「大義名分がない」こと、そして本質では「ボクシング界へ根回しするコネクションが脆弱であること」です。

実はこれは同根です。

本家WBAの不正を糺すと掲げた分離独立の反旗「大義名分」は、「ボクシング界に影響力のあるプロモーターなど有力者の後ろ盾」がなければけして翻すことのできないフラッグでした。

WBCもIBFもWBOも、この「大義名分」の反旗を振り回して、分離独立したのです。

「大義名分」。

言葉は格好いいですが、要はボクシング界に影響力のあるWBAの反乱分子は有力プロモーターやネバダ州、カルフォルニア州などの統括団体を抱き込むコネクションを持っていたのです。

WBAは、WBOの離反によってようやく、気づきます。

分離独立の動きが盛り上がるのは会長選挙。WBAはこの選挙前に反乱分子を宥和するか粛清する内規引き締め強化に乗り出したのです。

しかし。いまもなお、WBAに不満分子が潜んでいるのは明らかで、いつかまた「大義名分」の反旗を振って第5団体が産声をあげるかもしれません。

そのときを楽しみに待ちましょうか…。
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さて、WBO発足直後のボクシングマガジン1989年3月号です。

17階級中13階級が初代王者を待つ「空位」。

左隣の、5年前に立ち上がったIBFのランキングが、既にビッグネームで埋められているのとは対照的です。

当時は「WBOなんてそのうち消えて無くなる」と見る向きも少なくありませんでしたが、彼らは「大義名分」、すなわち有力プロモーターや英国、米国の統括団体との強固なネットワークを持っていました。

デラホーヤやハメドがこの団体を選んだ理由は、穴王者を狙っただけではなかったのです。

…なかなか本題に突入しませんが、続きます。
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TITLES

タイトル問題:現在、主要4団体と呼ばれる承認団体はいずれも「世界タイトル」を階層的に設定しています。

「インターナショナル」「インターコンチネンタル」「ユース」…。

さらに、WBAとWBCは「スーパー」「ゴールド」「フランチャイズ」「ダイアモンド」など、どのタイトルが最上位なのかわからない世界タイトルを乱発。

承認団体にとってタイトルとは「増やせば増やすほど承認料の課金機会が増える」「上位タイトルを作ることで高い承認料を支払う余裕のある人気階級や人気選手を囲い込める」と、良いことづくめです。

しかし、IBFとWBOは上位タイトルを設定していません(WBOがスーパーを承認する場合はセカンドタイトルは設けない)。この2団体は暫定王者に対しても、先行2団体が隙あらば暫定王座決定戦を実施するのに対して、納得出来る背景があるケースがほとんど。

指名試合については、4団体の中でIBFが良い意味で最も厳格で、悪い意味で最も融通が利きません。

4団体統一のUndisputed Champion の誕生を阻害する要素は数多くありますが、IBFの頑迷な政策もその一つになっています。

IBFの頑固で猶予の無い姿勢がなければ、最近でもヘビー級やミドル級などの人気階級でUndisputed Championが生まれていたはずです。




RAKINGS

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ランキング問題:90年代中盤から2000年代初めにかけて、IBFは大きなスキャンダルに揺れます。

1999年11月、初代会長のロバート・リーSr.がプロモーターやマネージャーから賄賂を受け取り、ランキングを操作していたことで糾弾されたのです。

後発団体のIBFはその誕生から、米国や韓国選手を優遇、書類上の手続きでスター選手を囲い込むなど、ランキングや王者の正当性に疑問が突きつけられる宿命的課題を抱えていました。

2000年8月、リーはマネーロンダリングと脱税の罪で有罪判決を下され、懲役22ヶ月の実刑が科せられました。

IBFの腐敗は1999年3月の「イベンダー・ホリフィールドvsレノックス・ルイス」のヘビー級統一戦にまで遡ります。この試合は誰もがルイスの優勢に見えましたが、判定は三者三様のドロー。

唯一、ホリフィールド勝利とスコアしたユーゲニア・ウィリアムスはIBFの任命を受けたジャッジだったのです。

後発団体の宿命的課題と、リー・スキャンダル。

現在のIBFの神経質なまでのランキングや指名試合への執着は、二つの十字架の重みの反動・後遺症かもしれません。

現在のランキングで目を引くのは1位と2位の空位が異常なまでに多い点です。この気持ち悪いランキングから垣間見えるのは、世界挑戦権が絡むポジションに対して必要以上に神経質なIBFの姿勢です。

当日計量のリバウンド制限が105ポンド級でも200ポンド級でも同じ10ポンドという、頭の固さを通り越した算数も出来ない頭の悪さも不気味に映ります。

WBAやWBCのように開き直って腐敗を極めるよりも、病的であっても潔癖症の方がマシ、とあなたが考えるなら、それはきっと間違っています。

それが承認団体である限り、潔癖性だろうがなんだろうが必ず腐敗しているのですから。




DRUGS

ドーピング問題 :IBFでは試合後のドーピング検査が義務付けられています。

ただし、WBCのように五輪式のランダムテストは奨励されていません。 

一方で、ドーピングを犯したボクサーへのペナルティは4団体の中で最も明確です。

各国(各州)のコミッションからドーピングによりライセンス停止されたボクサーは1年間のランキング追放処分、再犯の場合は永久追放となります。 

もちろん、このことはIBFのタイトル戦に出場できない、ということしか意味しません。 


*****




【階級表示】IBFはジュニア表記が基本。108ポンドは「ジュニアフライ」、105ポンド級は「ミニフライ」。ちなみに女子の102ポンド級は「ジュニアミニフライ」。

※WBAとWBCはスーパー表記。108ポンドは「ライトフライ」、105ポンドはWBAが「ミニマム」、WBCが「ストロー」。女子102ポンド級はWBAが「ライトミニマム」、WBCは「アトム」。

※WBOはジュニア表記。200ポンド級は「ジュニアヘビー」、105ポンド級は「ミニフライ」。女子102ポンド級は「アトム」。
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「素晴らしい試合になるだろう。二人にとって重大な試合だから、序盤は静かなラウンドになるが、カラム・スミスが距離を取り、ポイントは英国に流れる」。

いよいよ、あち3時間前後に迫ったカラム・スミスvs カネロ・アルバレス。この二人と戦った経験を持つ唯一のボクサー、前WBAスーパーミドル級王者ロッキー・フィールディングが注目の英墨対決を予想しています。

「偵察の時間が終われば、カネロが距離を潰しにかかってくる。そのやり方についてカネロは非常に経験豊かで巧妙だ。もし、英国の長いジャブと右の威嚇で構成されたシールドを、試合中盤までにメキシコが破ることがあれば試合の趨勢は決まる」。

「 カラムのパワーは過小評価されている。見えない角度から飛んでくるパンチから受けるダメージは甚大だが、カラムはそれが打てるだけでなく右も左も強力だ。もし、カネロがまともにパンチを貰えば試合は終わる。ワンパンチで終わらなくても、戦闘能力が低下したメキシコは自分の拳が全く届かない場所から放たれるパンチに為す術もなくなるだろう」。

「カラムへのアドバイスは、多くの人が考えていることと同じ。カラムのサイズとパワーは大きな武器になる。波打ち際でメキシコの接近を許さないこと、ボクシングに徹すること。そして、カネロが引きずり込もうとするクロスレンジの泥沼に近づかないこと」。

「私もカネロに対してサイズアドバンテージを持っていたが、実際に戦うと彼の首の太さや胸板の厚さ、彼の強靭さは予想以上だった。上手く戦ってたが、ダメージを与えることができず、彼が仕掛ける罠に嵌って、接近を許してしまった」。

「彼は自分が最高の状態を作リ、相手の戦力を削ぐために、キャッチウェイトや当日リバウンド制限を契約に盛り込んでくる。キャッチウエイトへの批判が高まり、彼らは『今回の試合は堂々の168ポンド、キャッチウェイトは契約に入っていない』と会見で言い放ったが、当日のリバウンド制限は強いられた」。

「セルゲイ・コバレフのときも彼らは『キャッチウェイトは要求しない。堂々と戦う』と言っていたが、やはり当日リバウンド制限は押し付けていた」。

「私やコバレフのようにルーティンの体重管理を崩されると、万全の状態でリングインは出来ない。体のキレがなく、スタミナへの不安も感じてしまう」。

There is no dehydration limit for this fight with Callum Smith.

「しかし、今回はキャッチウェイトもリバウンド制限もないというから、これはカラムに大きく有利となる。いや、有利も何も、それが当たり前なのだが」。

「カネロの序盤の動きに油断しないことだ。小さなフェイント、小さな動きで、相手を誘ってくるが、それはクロスレンジに引き込むための布石だ。リードブローを辛抱強く使い続けること、特に序盤はメキシコを誘い込もうだなんて絶対に思わないこと」。

「カラムはアマチュア、プロを通して経験豊富なボクサー。カネロに大きな戸惑いはないだろう」。

「ジョン・ライダーに大苦戦したカラムには、カネロは速くて上手くて強すぎる?ライダーとは私も戦って勝っている。あの試合はカラムが明らかに舐めてかかっていた」。

「どちらが勝つかはわからない。ただ、カネロは契約にウェイト条項を入れない試合では平凡なボクサーだ。カラムに勝つチャンスがある。英国ボクシング史にとって最も偉大な勝利がもう一つ加わるかもしれない」。
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世界中のボクシングファンがこの試合を見ている。私がどれほど優れたファイターであるかを証明する。ついに世界が私'Mundo'(世界)を認め得る日がやってきたのだ。(カラム・スミス)


▶︎「米国の人気階級、人気スターの王者を米国で倒してタイトルを持ち帰ること」は、英国ボクサーにとって特別な栄光で名誉です。

今回の相手は米国人ではありません。しかも、カラムは勝利で得るものは物質的にはなにもありません。カネロのWBAスーパーミドル級王座はセカンドタイトル、カラムの正統タイトルに吸収されるだけです。

しかし、試合の構図は生まれも育ちもリバプールっ子のカラムが、元メキシコ領のテキサスでメキシコ人のカネロに〝挑戦〟するのです。

21世紀のレジームを考えると「米国で米国の人気王者を倒す」意味は希薄化、今はメキシコの時代です。

そのフラッグシップ・ファイターであるカネロを倒すとなると、21世紀はもちろん、英国にとって史上最大の勝利の一つであることは間違いありません。
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ボクサーの年齢、その若さに、あらためて驚かされることが多々あります。

具志堅用高がハングリーなペドロ・フローレスの攻勢に燃え尽きたのは、なんと25歳のとき。

シュガー・レイ・レナードが長期ブランクからまさかの復帰、マービン・ハグラーを競り落としたのは、まさかの30歳のとき。

マニー・パッキャオがマルコ・アントニオ・バレラを圧倒して、ファイティング原田の〝アジア最高〟の座を激しくチャージしたのは、まだ24歳のときでした。
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ミドル級の元王者アラン・ミンターが癌のため、69歳で亡くなりました。

完全統一王座の座をかけてビト・アンツォヘルモと死闘を繰り広げ、ハグラーの強さを世界に改めて知らしめてくれたサウスポー。

ハグラーに惨敗した一戦はプロ45戦目でしたが、調べてみるとまだ29歳の若さ、ハグラーより3つだけ年上でした。

私の中ではレジェンドの戦いに登場する貴重な脇役で、その年齢ももっと重ねていると思い込んでいました。

ミュンヘン五輪ミドル級で銅メダルを獲得して、プロ転向。

米国の五輪金シュガー・レイ・シールズを5ラウンドTKO、晩年のエミール・グリフィスをポイントアウトするなど、そのキャリアは鮮やかな色彩に富んだものでした。

ミンターは英国ボクシング史上、ただ一人唯一のUNDISPUTED MIDDLEWEIGHT CHAMPION、まだタイトルに幾ばくかの価値があった時代の完全統一王者、しかもミドル級です。

ミンターからその玉座を強奪したハグラーが膝から崩れ落ちて歓喜に号泣する姿は、恐ろしく新鮮で感動的でした。

それにしても、まだ69歳でしたか。長い闘病生活を送っていたそうですから。若かったが故に癌の進行も早かったのかもしれません。

素晴らしい激闘、忘れません。安らかにお眠り下さい。 
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This condition isnt related to my boxing career nor is it hereditary. It was just My turn.


これはボクシングで激闘したからでも遺伝でもない。言ってみればそういう巡り合わせだったんだよ。

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引退から10年以上も経つというのに、彼のファイトは今も生々しく多くのボクシングファンの記憶の中で生き続けている。

殴られたら殴り返せ。

ジュニアフェザー級(122ポンド)のタイトルを三度獲得した男は今、静かにソファに腰を沈めリラックスしながら語り始めた。

イスラエル・バスケス。 

パンデミックがボクシング産業も直撃する中で、Showtime は過去の名勝負を再放送し、生の試合を楽しめないファンの心を慰めている。

その中でもマニアを喜ばせているのがバスケスとラファエル・マルケスが繰り広げた歴史に残る激闘「3」連戦だ。 

「もう10以上も前のことなのに、まだよく覚えてくれているファンがいることは、どう表現したらいいのか、とにかくすごく嬉しいよ」。

43歳になるMagnifico は現役時代、ボクシングファンが最も好むスタイルを身につけていた。

殴られたら殴り返す。

一歩も引かない。

どちらかが倒れるまで殴り続ける。

実は、ボクシングはそれだけの簡単なスポーツだ。そこから逃げるからブーングを浴びるのだ。

しかし、ファンに溺愛されたバスケスに、人生の神様は冷淡だった。

激闘のキャリアとの引き替えに神様は、彼の右目をその代償として差し出させた。

さらに昨年は全身性強皮症=SSc(※)と診断され、体重は112ポンドまで削られてしまった。

※皮膚が硬くなる原因不明の病気。多彩な臓器、特に心臓や肺などの重要臓器にも病変を伴うこともある。

「1年近くもこの厄介な病気と付き合ってるんだ。免疫機能がやられるから他の病気にもかかりやすくなるし、皮膚だけじゃなく筋肉や内臓もやられてしいまう。何も治療しないと死んでたところだ」。

それでも、適切な治療を受けたバスケスの症状は安定してる。

「私の身に何かが起きると『ボクシングの後遺症だ』と決めつける人がいるけど、ああいうのはうんざりだ。これはボクシングのせいじゃないし、遺伝でもない。言ってみればそういう巡り合わせ(turn)だったってことだけだ」。

「ラファエルとの3試合で眼球を傷めてしまったけど、正常に回復して2試合を戦っている。何度か手術したけど右目は良くならなくて、摘出して義眼を埋め込んでいるけどね」。

「一生アスリートのつもりだし、体を動かすことが大好きなんだ」というバスケスだが、SScの治療のため安静にしていなければならない。

「そりゃ辛いよ。でも乗り越えてみせる。少しずつ良くなってるからね。どんな逆境にも絶対に挫けない、それが人間と他の動物の違いだ。リングの中と同じ、周りから絶体絶命に思えても、1%しか見えてない可能性を拳で掘り起こす、それがファイターだ」。

当代きってのアクションヒーローだった現役時代の戦績は、44勝32KO5敗。
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根性勝負。不利と予想された通りの展開だったジョニー・ゴンザレス戦でしたが、ジョニゴンの精神的な弱さを引きずり出すような展開で逆転KO勝ち。

前戦でフェルナンド・モンティエルとのホープ対決を制したものの「二人ともチキン」と酷評される内容で、ジョニゴンにとって名誉挽回の一戦でしたが、この試合でさらに評価を落とした。

ジョニゴンが過大評価だったのはその後も凡庸な相手に失態を重ねたことから明らかだったが、この夜は相手も悪かった。



素晴らしい数字だが、その中身はもっとMagnifico=荘厳だ。だからこそ、今も多くのボクシングファンが彼に惹きつけられる。

「鼻血が止まらないから棄権した」なんて発想は、バスケスの頭の中を隅々まで探しても欠片も見つからないだろう。

ラファエル・マルケスとは四度拳を交えたが、最初の3試合は歴史に残る大激闘だった。2007年3月3日の初戦から2008年3月1日までの12ヶ月、25ラウンドに渡って殴り合ったスペクタクルはボクシングの本質が全てパッケージされていた。

21世紀はじめは、バスケスvsマルケスに並んでアーツロ・ガッティvsミッキー・ウォード、マルコ・アントニオ・バレラvsエリック.モラレスと歴史に残るトリオロジーが誕生した。

「素晴らしい試合というのは互いが持てるもの全てをぶつけ合うから出来上がる。その意味ではラファエルも私も何もかも全てを最後の一滴まで絞り尽くして戦った」。

「あくまで私の見方だけど、バレラvsモラレスは初戦を除くと非常にスマートに戦った。もちろん、素晴らし試合だったけど、二人とも考えすぎていたね」。

「最高のトリオロジーは私とラファエルだろう。最初から楽に勝とうなんてこれっぽっちも思っていなかった、あいつも私も」。



バスケスはメキシコシチーの葬儀会社の家族として育った。

そして、なけなしのカネを握りしめて、国境を越え、縁もゆかりもない米国の土を踏んだ。もちろん、英語なんて一言も話せなかった。

バスケスの癒しは妻のラウラだった。もちろん、一緒に〝ボーダー〟を越えた。

彼女は行きつけの散髪屋の理髪師だった。

そして、バスケスも自分で理髪店を開いて彼女と切り盛りした。

「働きながら戦うのを、誰もが『大変な苦労だろう?』と心配してくれるが、実はそうじゃない。生きるってどういうことか?がよくわかるんだ。大金持ちの資本家や、ボクシングに集中出来るウェルター級のチャンピオンには理解できないかもしれないけど」。

「ただ、これはあくまでも私の意見だけど、資本家やウェルター級のスターよりも私は人生を楽しんでいるし、幸せだ。そして、間違いなく彼らよりも強い」。

「彼女がいなければとっくの昔に挫けていた。みんな私を生まれながらのファイターだと思うかもしれないけど、そんな奴は絶対にいない。みんな本当は弱い人間だ」。

「ラウラとは18歳のときからずっと一緒、いろいろあったけどずっと一緒だ。7年間経営していたヘアサロンを家族のために閉めて、母親に徹してくれた」。

「私が逆の立場なら、家族を捨ててボクシングを選んだかもしれない。そう考えたら、絶対に負けられなかった。万一負けても、ラウラが『頑張った、ありがとう』と言ってくれるような負け方でないと、自分が許せなかった。私が三度も世界王者になれた一番大きな理由は、ラウラの存在だ」。

「人生最大の誇りは妻と家族だ。私の人生は、リングの中と外しかなかった。そして一番大切なのがリングの外であるのは言うまでもない。でも、リングの中でいえば誰にも負けなかったのが誇りだ。記録で敗北となっているのは、全部誰かが決めたことだ。自分で参ったとは言っていない」。

「リングの中の思い出も掛け替えのないものだけど、日々の生活との戦い、これこそが人間の営みそのもの。そして、それが一番タフなのは誰もがわかっている」。

There is always one final question which needs to be asked of every fighter.

「あらゆるプロボクサーは引退する日に、ファイナルアンサーをしなけりゃならない。この苛酷な仕事をやり遂げて、それは割に合うものだったのか?それとも代償ばかりが多かったのか?」。

ボクサーでなくても、何かの仕事に全身全霊を打ち込んだ人間にとって、すぐに答えるには難しいことだ。

「この問題は実は簡単だ。カネや名誉、地位、それを〝割に合う〟の基準にしてしまうと、きっと答えに詰まる」。



バスケスの言う通りだ。

「カネは溜まったけど」「名誉と地位は手に入れたけど」…。



バスケスは淡々と話す。

「私には何の後悔もない。この右目が義眼であること、治療法のない難病に冒されたこと、これが例えばボクシングのせいだったとしよう。そんな不幸な私は今こうして英国のメディアから長いインタビューを受けているわけだ。英国だけでもこれが初めてじゃない。私は10年前に引退したボクサーなのに。私を不幸だと思うかい?」。

「私は損得を考えて戦ったことは一度もない。1秒1秒を全力で戦ってきただけだ。相手にひるんだ1秒は、一度もなかった。ただ、その結果が、今こうして巡り巡ってくれているのだとしたら、それもまた巡り合わせってことだ」。
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バスケスへのインタビューを終えたいま、正直にいおう。

最初はバスケスを同情していた。神様から見放された男だと思いかけていた。



今は、バスケスが羨ましい。

右目が健康でも、忸怩たる人生を生きている人は数え切れない。私もその1人かもしれない。 

神様は、重い代償をバスケスに要求しすぎだと思ったこともあったが…。それはきっと間違いだ。

この難病を突きつけた神様は、また何かしらの代償をバスケスに求めてるのかもしれない。

それにしても、ボクシングファンだけでなく、神様にまで愛され、付きまとわれるなんて。

バスケスがひたすら羨ましい。

いや、バスケスが、たまらなく、妬ましい…。

もちろん、神様がバスケスを好きになる理由はよくわかる。

そして、それが私や多くの人が持っていない、いやもっと正確に言うなら持とうとしない勇気であることもわかっている。

それだからこそ、余計にバスケスが妬ましい…。 
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私が世界のボクシングを見始めた1980年代。

米国ではリング誌はもちろん、KOマガジンやボクシング・イラストレイテッドなどが月刊で発行されていました。

また、スポーツイラストレイテッドも今では考えられませんが、結構なペースでボクシングを特集していました。

これら米国の雑誌は日本でも大きな書店の洋雑誌売り場で入手可能でしたが「KO」と「ボクイラ」は廃刊、ボクシング人気の凋落も激しく、今では日本中を探してもリング誌を置いている書店もないかもしれません。

英国のボクシングニューズ(BN)は世界唯一のボクシング専門週刊誌として健在ですが、後発のボクシングマンスリーは今年の5月号で廃刊に追い込まれてしまいました。

一方でネット媒体はそれなりに生き残っていますが、BOXINGNEWS24やboxing scene.com はESPNに代表される大手メディアやリング誌からの転用記事が目立ち、個性の輪郭が見えません。

「まとめサイト」的な便利さはありますが、やっぱりジャーナリズムとは呼べません。
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4月に「 Four Kings (四天王)」を出したリング誌は8月にも「GATTI WARD」の特別号を出版します。「GATTI WARD」は要りません…。「GATTI WARD」は日米ボクシングファンの意識の大きなズレの象徴です。

その逆がマニー・パッキャオです。あの小さなフィリピン人はボクシングファンの国境を簡単に超えました。

紙媒体でなければジャーナリズムではない!とは言いません。

実際にESPN電子版の充実度は、リング誌を超えますし、私のような愛読者ですらリング誌とBN誌が紙媒体を維持している説得力のある理由が思い浮かびません。

リング誌なら毎月、 BN誌なら毎週、自宅ポストにニューヨークとロンドンからカラフルな雑誌が届けられます。

それは、人生のささやかな楽しみの一つですが、私が変わり者で超マイノリティなのも自覚しています。
20200611
週刊ボクシングニューズ誌。今日発行の6月11日号もデジタルバージョンでは読めますが、やはりプリントバージョンの到着が楽しみです。

スマホを触るだけで英国にいるのと同じ最新号が読める、というのは素晴らしいし、私もスマホやPCなどで興味を引く記事を読んでから、プリントバージョンで全ての記事に目を通すというのが習いです。


ボクシング専門の紙媒体が生き残るためには何か必要か? 

それともボクシングも紙媒体も〝死に行く産業〟といわれる現在、そんな巨大で重い十字架を二つも背負わされたボクシング専門誌が「生き残ろうとしていること」がそもそも間違っている、無駄な努力なのでしょうか? 

まだまだ。続くのです。
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世界唯一の「週刊」のボクシング専門誌。英国ボクシングニューズ誌。

期待以上の内容の濃さだけでなく、週イチでポストに届けられる心地よい頻度に満足しています。

しかし、この忌々しいパンデミックの影響で2週間以上も届かないこともありました。

「流通機関が機能不全で配達が遅れている。絶対に届けるからそれまで待っててくれ」というお手紙をもらっていたので、大きな心配はしていませんでした。

ただ、同じ英国の「ボクシング・マンスリー」が廃刊に追い込まれたことや、米国のリング誌も売り上げ減に悩んでいることから少しだけ心配していましたが、ついに今日、6月4日号が届けられました。

ロンドンから5日遅れですが Other Countries (外国)の日本です、配達まで時間がかかるのです。この5日遅れが普通なので、ついに正常に戻りました。

ジョー・カルザゲの大特集に「BOXING IS BACK!」(明日6月10日のトップランクのイベント)に「米国のゴールデングローブスの盛衰」に、本当なら今週開催されていた殿堂式典に絡めて「HALL OF FAME IS IT FAIR?」(殿堂は公平か?)も特集。

ナイジェル・ベンやラファエル・マルケス、イスラエル・バスケスら「殿堂入りでもおかしくない10人」に渡辺二郎も名前を連ねました。

二郎はリング誌やESPNなどでも、この種の企画のレギュラーです。

2団体時代、それもAC対立が深く、団体統一戦には大きな壁が立ち塞がっていた時代に、瞬間的とはいえ Undisputed Champion の座に就いた渡辺の評価は海外で高いものがあります(日本では暴力団幹部ですから前向きな評価が控えられるのは仕方ありませんが)。
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*****コンバーテッド・サウスポーの渡辺は左だけでなく、右でもKOパワーを秘めていた。

最大の特徴は抜群の距離感覚と、パンチの精度。

7年のキャリアは短いが、内容は濃密だった。

4年足らずの間に11連続で王座を守り、団体完全統一戦に乗り出したことはもちろん、富裕な日本では珍しく(史上初めて)海外防衛に成功した冒険的なボクサーでもあった。

日本の年間最高選手賞は、1982〜1985年まで4年連続で受賞。ファイティング原田に続く、日本最高ボクサーの第2グループを引っ張る存在だ。

残念なことに引退してリングを離れた彼は社会人としてのバランスを大きく崩してしまう。リングの中では完璧なバランスを見せてくれていたというのに。*****



ロンドンも泣いてるぜ、二郎さん。。。。
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ナジーム・ハメドは謎の多いボクサーです。

「本当はどれほど強かったのか?」という実力面。

そして「どうしてHBOは無名のムスリムと巨額の契約を結んだのか?」という経済面。
特にミステリアスなのは、この2点です。

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実現しなかった殿堂入り5人(フロイド・メイウェザーの殿堂資格発生は来年ですが一発殿堂は間違いありません)への思いを語るハメド。ファン・マヌエル・マルケスについては、いつものように最初に「逃げた覚えは一切ない」。そろそろ許してあげたいのですが、わかりやすくて面白いキャラです、ハメド。〜リング誌2019年12月号「パックマンvsプリンス大特集」より。


▶︎まずは、プリンスの本当の「実力」を考えてみましょう。

もし、殿堂がボクサーの実力だけが評価されるなら、ナジーム・ハメドが一発で殿堂入りできなかったことは、明らかに間違いです。

個人的には当時ESPNのダン・ラファエルらの「ファン・マヌエル・マルケスからのあからさまな逃げっぷりは殿堂に値しない」という考え方を支持したい気持ちはありますが。

その考え方の延長上に「アーツロ・ガッティは勇気の塊だから一発殿堂」だったのなら、確かに筋は通っています。

ただし、もしそうなら八重樫東も一発殿堂でなければ納得いきません。

しかし、殿堂入りはリングに残した業績で評価されるべきです。

ハメドがアーツロ・ガッティに劣る要素があるとしたら、勇気だけです。その他の要素、階級に君臨した絶対度や戦績、世界のボクシングを盛り上げた功績…ハメドのプラスを全て集めてもガッティに届かない理由を誰が説明出来るでしょうか?

やはり摩訶不思議なFirst Ballot (一発殿堂)ダニエル・サラゴサと比べて、ハメドが劣っていたのは何だったのでしょうか?

ハメドが完敗したマルコ・アントニオ・バレラ、ついに拳を交えなかったエリック・モラレス、ファン・マヌエル・マルケスが一発殿堂を決めたのは、もちろん誰もが納得です。

ファンやメディアからは、その3人との対戦が熱望されましたが、バレラに完敗した1試合しか実現せず、他の2人との対戦はついに叶いませんでした。

ハメド没落の直後に、マニー・パッキャオが繰り広げた軽量級にはあるまじきスケールのラウンドロビンは、本来ならハメドにこそ期待されていました。

それでも、正式決定していないメガファイトでお馴染みのポテンシャルオッズで、ハメドは3人のいずれとも有利の数字が叩かれていたのも事実です。

もちろん、実際に戦っていたら3戦全惨敗で、ラウンドロビンから早々に脱落していた可能性大です。

それでも、リング誌Best Fighter Poll でも最高位6位=2000年とその実力は非常に高く評価されていました。

ハメドは穴王者だったのか?答えはもちろんNOです。

どこの世界にバレラ、モラレス、マルケスを向こうに回して有利のオッズが並ぶボクサーがいますか?

では、プリンスが打ち倒した36勝の名簿から「いつの誰に勝ったのか?」を洗い直します。

まず、この手の評価で最初に上がる「殿堂」ボクサー。

ハメドの36勝に殿堂入りボクサーは1人もいません。殿堂クラスもいません。

次に、PFP10傑でもいません。PFP10傑の経験者もいません。

さらに枠を広げて現役・前・元世界王者。

ケビン・ケリーは弱い王者ではありませんが、強豪にはきっちり負ける礼儀正しい男です。その意味でもハメドは強豪でした。

ケリー、ウィルフレド・バスケス、マヌエル・メディナ、トム・ジョンソン、ウェイン・マッカラー、ポール・イングル、ブヤニ・ブングら世界王者経験者に対しては、なんと9勝8KOと凄まじい数字を残しています。

しかし、三階級で勇名を馳せたバスケスを除くと、平凡なアルファベット王者リストにすぎません。

そのバスケスも当時は37歳。「誰に勝ったか」はクリアできても「いつ」では論外です。

フェザー級バージョン、37歳のプエルトリカン、バスケスは、あまりにも無様な負け方をしたボクサーがいたことから「日本人キラー」と語られることもありますが、全盛期のバンタム、ジュニアフェザー級時代には六車卓也や横田広明に難しい戦いを強いられており、全盛期でも盤石の強豪王者とは言い切れない存在でした。

そんなバスケスのフェザー級バージョン、しかも37歳との試合がキャリア最高試合というのが、ハメドの実態です。

もちろん、それでも一発殿堂に十分な実績です。

この実績に、世界中のボクシングファンを楽しませたボクシングスタイルに入場パフォーマンスまで加えると、その功績が一発殿堂でなく何年も殿堂入りを待たされたことは、全くもって腑に落ちません。
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▶︎そして、ハメドの報酬です。軽量級では信じられない、ありえない300万ドルファイターでした。

このブログで何度も繰り返しているように「軽量級が最も尊敬されるリングは日本」です。そして「軽量級はラスベガスをはじめ米国では需要がありません」。

欧米で軽量級で、人気階級のスター並みの大きな成功を収めたボクサーは皆無です。 

カリド・ヤファイですら「大きな家も好きな車も買うことができた。でも、私がミドル級で同じことをやっていたら全く違う家と車になっていた」と幻滅しました。

PFPファイターのファン・フランシスコ・エストラーダも「ウェルター級などのクラスとの報酬格差は許容範囲を超えている。PFPとかどうでもいいから報酬でも評価して欲しい」と事あるごとに怒りを露わにしています。

彼らは間違いなく成功者です…が、「軽量級としては」という但し書きが必要です。

「軽量級は需要がないから報酬も低い」。

そんな欧米では当たり前の常識で、唯一の例外がナジーム・ハメドです。

そのハメドですら、ウェルター級やミドル級、ヘビー級で騒がれるような「巨額の報酬」を手に入れたわけではありません。

唯一の例外、ハメドですらそうなのです。それほどまでに、米国では軽量級の需要、人気がないのです。

それでも、ハメドがHBOと結んだ6試合1200万ドル(当時のレートで約15億6000万円)は、デビューしたばかりとはいえフロイド・メイウェザーをして「すげぇな、羨ましい」と言わしめました。

1試合200万ドル保証。軽量級としては破格も破格、今に至るまでも、前代未聞です。

この輝きがあまりにも眩しすぎて、ハメドの引退から20年近く経っても井上尚弥の口から「(ラスベガスで注目されるなら)最低でもフェザー」という言葉がこぼれたのかもしれません。

もちろん、何の実績もない米国にデビュー戦から破格の待遇が用意されたことにはカラクリがあります。

ハメドの血統であるイエメン王朝からHBOへ莫大な資金が供出されていたことは有名な話です。

さらに、サウジアラビアの王族までがスポンサーに名乗りを上げ、この二国だけで5000万ドル以上の放映権料を支払ったとも伝えられています。

他のいわゆる「湾岸諸国」も多額の放映権料でハメドの試合を購入、ボクシングファンからは「HBOHome Box Office ではなくHamed Box Office だ」とまで揶揄されました。

イエメンでは建国以来、初めてのスポーツヒーローがハメドでした。

年1回の大統領表敬訪問では宮殿内にトレーニングキャンプが設営され、記念切手までが何種類も発行されることになります。

高級腕時計やベンツなどの高級車、豪邸は訪問のたびにいくつも与えられたといいます。

このように、ハメドは実力で米国市場の扉を開いたわけではありません。

もちろん、HBOが200万ドル(2億6000万円=莫大なオイルマネーに浴したいしては少ない?)もかけて大宣伝を行ったケビン・ケリー戦は、多くの視聴者を集めて非常に面白い試合になりました。

ハメドは単なる金持ちのボンボンではありませんでした。 アラブマネーで扉を開いて、実力で人気者になりました。

ハメドほど極端ではないにせよ、日本のスター選手の海外挑戦も強力なサポートに後押しされているのは当然です。

イチローや松井秀喜の契約が、日本から支払われる莫大な放映権料や球場に掲げられるユンケルやクボタの大看板と無縁であるはずがありません。

かつて、セリエAに挑戦した世間体を人一倍気にする中田英寿は入団会見で「スポンサーの話はNG」と規制しました。

井上尚弥のSuper Fly 興行参戦でもHBOは軽量級では破格の2000万円近い報酬を用意しましたが、日本での放映権料から上乗せされていたことは疑いようがありません。

それでも、日本で戦う半分程度の金額でした。井上にはフジテレビやWOWOWが別途放映権料を支払う形で最終的には日本での報酬に近い約4000万円を手にしたと言われています。

ただ、イチローや松井、中田と井上が決定的に違う事実は、野球やサッカーは米国、欧州が「本場」、つまり栄光とカネがそこで待っていますが、ラスベガスは日本の軽量級スターにとっては文字通りの砂漠、需要がないのです。そこでは、逆にカネを吸い取られるだけ、ということです。

そして、ハメドと井上も全く違います。

当時のハメドにとってイエメンやサウジアラビアには戦うリングが、今以上に存在しませんでした。 

米国でもハメドが大会場で戦えたのは2試合だけですが、それでもイエメンで試合を組むよりははるかにマシです。

井上は、そうではありません。 ラスベガスやニューヨークでやるよりも、はるかに大きな尊敬と栄光とカネが待つ、母国のリングを持っているのです。

その意味では、ハメドは〝ホームレス〟でした。

アラブの王族からこれ以上ない寵愛を受けながらも「プリンス」というキャラクターを作ってきたハメドは、早く偽りの仮面を脱ぎたかったのでしょう。

メキシカンや米国人ではないハメドの人気が高まれば高まるほど、より高いハードルを突き付けてくるのがアメリカです。

マニー・パッキャオはその状況を手を叩いて喜び、アウエーのリングで超強豪に挑みかかりました。

しかし、ハメドは一世一代の大勝負の重圧に耐えられず、トレーニングから試合まで藁にもすがる神頼みの時間を過ごしてしまいます。

ハメドがメキシカンなら事情は変わっていたでしょう。

もしそうなら、カネロ・アルバレスは〝ミドル級のハメド〟と後ろ指を差されていたかもしれません。

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