カテゴリ: Styles Make Fights

青春の条件とは何でしょうか?

まず、年齢ではありません。

100歳の人間にも青春は訪れます。

ただし、青春には心の若さ、無鉄砲さが必要かもしれません。

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この優しそうなタレ目のお姉さんが、極悪非道のブル中野だと誰が気づけるでしょうか?


ブル中野がアメリカ大陸をサーキットしたのは、今からちょうど30年前の1994年、26歳のとき。

20代後半にアメリカ大陸をサーキット…。そうです、ちょうど今の大谷翔平と同じです。

しかし、あらゆるプロスポーツの中で歴史的な高額契約を結び、日本ではほぼ神のように扱われる大谷に対して、ブル中野は「スポーツ」と呼ぶと眉をしかめる人もいるプロレス、それも女子プロレスの選手でした。

大谷の自家用車はスポンサーの欧州の高級車、アメリカ大陸を巡るのはチームのチャーター機、あるいはプライベートジェット。ユニコーンは、自分の口座から24億円が消えていても、事件に発展するまで知りませんでした。英語を話すことがほとんどできませんでしたが、チームが雇用した専属通訳が常に横にいてくれます。

ブル中野の移動は普通の旅客機のエコノミー、空港からはレンタカーで移動。より安い航空券、より安いレンタカー屋を物色しながらのサーカスライフ。しかも、英語は全く話せない状況での渡米でした。毎日のように、口座残高とにらめっこしながらのやりくりだったでしょう。そんな苦労を携帯電話なしでやってのけたのです。

月に28試合をサーカスしたというブル。競技以外でも、明日の会場までどうやって乗り繋いで行くか、どこのホテルに泊まるかで頭の中がいっぱいで「通訳がいてくれたらいいな」なんて発想すらなかったと思います。

高尚な野球の王様・大谷翔平と、下品なエンタメの女子プロレス、前者の方が後者よりも報酬も人々からの尊敬も巨大になるのは当然です。

大谷は、高校時代から彼に惚れ込んでいたLAドジャースから〝三顧の礼〟をもって迎えられました。

しかし、ブルもまた、日本でのパフォーマンスが認められて米国に呼ばれました。

もちろん、待遇と報酬は天地の差ですが、卓越したパフォーマンスで米国のファンを耽溺させたことは全く同じです。

そうです、大谷もブルもアメリカに大きな需要があったのです。

過酷な移動の先では二人を熱狂的なファンが待ってくれているのです。



ルイジアナ! テネシー!! シカゴ!!!

はるか ロスアンゼルスまで!!!!!

きつい旅だぜ お前にわかるかい…




山田さんもカツしていたように「あれほどのレガシーを築いたプロレスラーにしては名誉の殿堂入りが遅すぎる」という意見は日本だけでなく、米国とメキシコのメディア、ファンでも同じ論調です。

そのことについて、殿堂入りの演台でブルは頬を膨らませながらI've waiting for a lo〜ng time(長いこと待たせやがって)と茶目っ気たっぷりに文句をつけました。

あのスピーチは、カネやくだらない世間の評価なんかに囚われていては絶対に歌うことが出来ない、まさに青春讃歌でした。

ブル中野にとって、30年前の過酷な旅のゴールは、フィラデルフィアのウェルズファーゴセンターの殿堂入り式典だったのかもしれません。

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男の生き方が無限にあるように、女の生き方も無限にあります。

いや、同じ無限でも男よりも女の方が遥かに深奥があるように思えてしまうのは、私だけでしょうか?

女が見せる日本刀のように鋭い思い切りの良さと、忖度無縁の外連味の無さ。女の振る舞いにはときとして、男が晒す逡巡や怯懦がほんのひとカケラも認められないことがあります。

青木恵子もまた、そんな切れ味抜群の日本刀のように生きてきました。青木恵子。旧姓、中野恵子といってもピンとくる人は少数でしょう。

実は青木恵子には、中野恵子の他に三つ目の名前があります。

おそらく、そちらの名前なら誰もが聞いたことがあるはずです。


ブル中野


世界の女子プロレス史にその名を刻む、威風堂々のレジェンドです。


彼女が引退を決めたのは米国での試合中に左膝の靱帯を断裂、大技に欠かせないコーナーポストに登る動作がわずかに遅れてしまうようになったからでした。

ほんのわずかでしたが「その一拍のせいで、よく見ているお客さんは沸かない」と、稀代のヒールは失意のまま引退試合も行わず、1997年に三本ロープのリングをひっそりと去りました。

彼女のプロ魂を見て、ハッとしたことがあったのは、これは男では出来ないと、男の私が観念したからかもしれません。

「一晩で焼酎の瓶を3本は空けた」「アナボリックステロイドを使用して身体を大きくした」…プロレスラーの鏡です。もちろん、重度の肝硬変に悶え、副作用に苦しむ姿など微塵も見せずに狂気の悪役を演じ切りました。

異論が多いかもしれませんが、私はプロレスラーは大酒を飲み、筋肉増強剤を、使うべきだと考えます。常人が驚くほど酒をあおり、不自然なまでに肉体を膨らませなければならないのです。

彼女は、プロレスラーとしてやるべきことを全て完遂して見せたのです。

ブル中野がHall of Famerになるのは必然でした。

極悪ヒールの顔面ペイントを洗い流したとき、彼女は一人の美しい女性に戻ります。これほどの必然も、またありえません。



ノーベル賞にアカデミー賞、グラミー賞…授賞式と名の付くものは世の中に掃いて捨てるほど溢れています。

そして、そこでのスピーチはどれも通り一辺倒で、えてしてつまらないものになりがちです。

さて。日本時間の4月6日、ペンシルバニア州フィラデルフィアのウェルズファーゴセンターで開催されたWWEの殿堂入り式典。

顔面ペイントを施した青木恵子、いやさブル中野が壇上に上がると浴びせられたのは、現役時代のブーイングではなく喝采でした。

稀代の悪役、ブル中野が一度も下を向くことなく英語でのスピーチを終えたとき、喝采は最高潮に達しました。

ヒールの仮面を脱いでブル中野は青木恵子に戻りました。

現役さながらに威嚇のペイントで顔面を彩って見せても、もう誰も怖がりません。それどころか、会場はその可憐さに息をのんでいました。


「お久しぶりです。この賞を受け取れることを本当に嬉しく思います。ずっとずっと待っていました。ここWWEで1994年、最高の経験をしました。30年前です。私は26歳でした。

WWEでの生活は本当に大変で、プロレス以外何も知らなかった私は辛い経験をしました。1カ月で28試合、本当にタフな期間を過ごしました。

何よりも大変だったのは、会場への移動です。なぜなら、私は英語が喋れませんでした。レンタカーをして、そして飛行機を乗り継ぎ会場に行く、ホテルも自分で探して携帯もない時代です。

携帯電話なんてありません。私たちは公衆電話を探しました。とてもとても大変な日々でしたが、たくさんの友人に助けられました。みなさんの手助けもあり、遠征を続けることができました。

とても楽しかったのは日々の試合、プロレスは世界共通です。英語が喋れなくとも、同じ空間で試合をしてリングに入って過ごす、そこで私は生きていると感じました。

それは夢のようでした。私の魂を込めて、心をかけて闘いました。ここで感謝したいと思います…もちろんメドューサに。

一緒に闘ってくださったこと、心の底から感謝しています。本当にどうもありがとう。

そして、ルナ・バション、が私をサポートしてくれました。今もたくさんのスーパースターと試合ができたことを感謝しています。WWE、この素晴らしい機会を与えてくださってありがとうございました。そのチャンスを無駄にしないよう努力しました。

何よりもWWEユニバースのみなさんありがとう。ブル中野を受け入れてくれて、私の心を貫きました。

私たちは永遠にプロレスを通してつながっています。もし何か生まれ変わるようなことがあれば、またブル中野として生まれ変わりたいです。そして、WWEのリングに戻ってきます。みなさんとまた、お目にかかれるのを楽しみにしています。この賞は私の宝物です。どうもありがとうございます」


ジョークも交えた柔らかいニュアンスが日本語にしてしまうとしんみりしてなかなか伝わりませんが、実際のスピーチを聞いてみて下さい。⬇︎⬇︎⬇︎


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https://www.youtube.com/watch?v=I31PiIzQpg8&t=51s



"If there is such a thing as being reborn, I want to be professional wrestler Bull Nakano again,"

WWE名誉の殿堂入り、おめでとうございます。


https://www.espn.com/wwe/story/_/id/39662389/bull-nakano-inducted-wwe-hall-fame
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日本時間3月31日(日)にラスベガス、Tモバイル・アリーナで行われたWBO/WBCミドル級タイトルマッチ。

圧倒的有利と予想されていたWBO王者ティム・チューは、その通りに最初の6分間をクルージングしました。

第2ラウンド終了、コーナーに戻る挑戦者セバスチャン・フンドラは早くも鼻血を吹き出し、終盤と見られていたタワー倒壊はもっと早くなりそうな気配が漂いますが、王者チューはもっと深刻なカットに見舞われていました。

第3ラウンド開始、チューの顔面に鮮血が流れ落ちる光景に何が起こったのかわかりませんでした。

第2ラウンドにチューの頭部とフンドラの肘が激突したとき、オージーの頭頂部の静脈が切断されたというのです。

ここで問題となるのは「チューの頭部の傷が深く大きく、血の噴出を止めるのはカットマンの役割を超えて外科医の仕事の範疇だった」という事実を王者のコーナーも2ラウンド終了インタバルか、遅くとも3ラウンドの出血量から理解していたということです。

世界最高のトレーナーの一人、ロベルト・ガルシアは「あの出血と傷口を見たらどれほどの深傷か誰にでもわかる。(試合が成立する)4ラウンドの前にそれをわかっていたはずなのに、どうして試合を止めてノーコンテストにしなかったのか?」と、チューのコーナーを非難しています。

ラスベガスの最高舞台T -モバイル・アリーナでのデビュー戦、米国を主戦場にしたいチューの陣営としてはなんとしても勝ちたかった、そして興行側でもアマゾンプライムのデビューという記念すべきイベント、メインがノーコンテストという〝失態〟は避けたいーーーそんな商業的な力学が全く働いていなかったとは思いません。

しかし、残りの10ラウンドを顔面を真っ赤に染めたチューが戦う姿を放送する方が〝失態〟ではなかったでしょうか?

チューの陣営としても商業的な視点に立てば、まずタイトルを奪われないこと、キャリアに敗北を付けないこと、そして王者のダメージを最小限にとどめて、3ラウンド終了で試合をノーコンテストにして、再戦で仕切り直しーーーというのがベストだったはずです。

ところが、現実にはチューはタイトルを失い、初黒星を喫し、大きなダメージを負った上に再戦も怪しい雲行きです。




あのイベントは確かに「チューvsフンドラ」はファイナルでしたが、非常に複雑な性格を帯びていました。

「米国市場でスターになる可能性を秘めたチューを売り出したい」という思い入れは強かったものの、あの夜のT -モバイル・アリーナを最も沸かせたのはイサック・クルス、やはりメキシカンでした。

チューの試合がノーコンテストに終わっても観客や、アマゾンプライムの視聴者は大きな不満を抱えることはありませんでした。彼らは、クルスの試合が最高の流れで終わったことで十分満足だったのです。

 あの夜、チューのコーナーでワセリンと綿棒とガーゼを持っていたマーク・ガムビンはどうして3ラウンド開始ゴング前に「続行不可能」と申し出なかったのか?

遅くても3ラウンド終了時に、試合を止めなかったのか?

結構な数の記事が出てるので、少しずつまとめながらto be continue…

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「ポール・スパダフォーラはリングの中ではやるべきことを全てやってのけた。アルコールとドラッグ、深刻な依存症を抱えながらも長い間、無敗を保ってきたことには驚嘆するしかない。リングの中では何の問題もない男だったが、リングの外ではあらゆる種類のトラブルが彼の周りで起き続けてきた。それでも、彼は勝ち続けたのだ。彼は、ボクシングの神様にだけ溺愛されていたのだ」〜ロイ・ジョーンズJr.





「ポールのボクシングはとにかく最高だった。ドラッグと酒に溺れなければ、彼を止めることは不可能だっただろう。たとえ、フロイド・メイウェザーだったとしても」〜トレーナー:トミー・ヤンキロ


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【英国ボクシングニューズ誌から】

The Ice Bear Cometh: It is not legal to box professionally in Iceland, but Kolbeinn Kristinsson hopes his success in the sport will help overturn the ban

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コルベイン・クリスティンソン
は、世界ヘビー級チャンピオンを目指す14戦全勝8KOの巨漢ファイターだ。

6フィート6インチ(198㎝)、250ポンド(113kg)の堂々たる体躯はIce Bear(ホッキョクグマ)と呼ばれるのに相応しい。

現実のホッキョクグマが地球温暖化で氷が溶けてしまう危機に瀕しているように、クリスティンソンもまた氷のような頑迷と戦っている。

名匠シュガーヒル・スチュワードの指導を受け、ニューヨークのドミトリー・サリタのプロモートを受ける無敗の白人ヘビー級が商業的にも大きな可能性を持っているのは間違いないが、たった一つだけ問題を抱えていた。

アイスランドでは、法律でプロボクシングが禁じられているのだ。

いくつかの北欧諸国は「プロボクシングは危険」という理由から、このスポーツを禁止する法律を制定していたが、21世紀になってスウェーデンとノルウェーが禁止令を緩和した。

アイスランドもこの流れに追随するかと思われたが、1956年にボクシングを非合法とした法律が変わることはないまま、現在に至っている。

一方で、2002年にアイスランド五輪協会が先導してアマチュアボクシングの規約が完成、現在では700人のボクサーがリングに上がって技を競い合っている。

「たった700人」と思うかもしれないが、アイスランドの人口は37万人。この割合を英国に当てはめると、12万人になる。

アマチュアで40試合を戦い、ナショナルチャンピオンとして北欧のトップ選手にも勝利を収めているクリスティンソンは「アマチュアボクシングは人気がある。定期的にトーナメントが開催され、大きなショーでは千人単位で観客が詰め掛ける」と語る一方、プロボクシングについては「スウェーデンやノルウェーの禁止令は認定しない、コミッションの設立を許さないという内容だったが、アイスランドでは事情が違う。法律で禁止されている。もし試合を行うと逮捕される可能性もある。この国ではプロボクシングは犯罪なのだ」と悲嘆する。

 The police came and sawed the ring in half.

かつて、プロボクシングを強行した会場に警察が介入、ノコギリでリングを真っ二つに切り裂いたこともあった。

そのため、クリスティンソンはスウェーデン・ボクシングコミッションのライセンスを取得してプロデビューするしかなかった。

アイスベアの14試合はいずれも外国で行われ、スウェーデン、フィンランド、デンマーク、ハンガリー、米国、オーストリアと6カ国をサーキットしてきた。

外国人であるということは、チケットが売れないことを意味するが、アイスランドを中心としたスポンサー企業のサポートでなんとか試合をつないでいる。

2014年のデビューから丸10年で14試合というのは巨大な氷河が出来上がるようなスローペースだが、母国でプロボクシングが違法なのだから仕方がない。

そういう理由から、アイスランドにはプロボクサーはいない。アイスランド人もクリスティンソンただ一人だけだ


それでも「母国で試合をしたい」という願いは、大きくなるばかりだった。


レイキャビクから程近いガルダベア出身のアイスベアは、海外で大きな成功を収めることでアイスランドの議会を動かせると信じている。

「ヘビー級のタイトルを獲れば、母国のみんなが私の試合を見たいと声をあげてくれるだろう」。

ノルウェーやスウェーデンがプロボクシングの統括団体設立に動いたのも、自国の選手が海外で花火を打ち上げて国民が盛り上がったからだ。

「今年は5〜6試合を戦ってランキングを上げて、主要団体のタイトル挑戦の足がかりにする。もう35歳になるから、来年にはサウジアラビア開催のヘビー級タイトルマッチに出場して大きなファイトマネーも手に入れたい」。



全戦全勝のアイスランド人の実力が怪しく不透明なことは、その対戦相手を見るまでもない。

しかし、サリタ・プロモーションズとシュガーヒルのコネクションから実現したスパーリング、そのパートナーの名前を聞けば考えが変わるかもしれない。

タイソン・フューリー、ジョセフ・パーカー、フィリップ・フルコビッチ、アジ・カバイェル、ジャレル・ミラー、ジャレッド・アンダーソン、ロバート・ヘレニウス…。

ボクシングファンに「ヘビー級の強豪は?」と頼むと、教えてくれるような名前がずらりと並ぶ。

練習はあくまで練習だがフューリーと互角に戦い、フルコビッチをKO寸前に追い込んだというアイスベアが一定の実力を持っているのは間違いない。

「とにかく、もっと試合がしたい。実力を証明して大きなチャンスを掴みたい」。

アイスランドと米国を往復、試合でも北半球を飛び回る生活は慌ただし過ぎる。

シュガーヒルも米国移住を薦めるが、アイスランドで家庭(妻と11歳と2歳の子供)を築いているクリスティンソンにとって、このスタイルで戦い続けてチャンピオンになること、母国の法律を変えること、レイキャビクで堂々と世界タイトルマッチを行うことが目標だ。


2025年。アラビア半島の砂漠の上に、アイスランドからやって来た巨大なホッキョクグマが上陸するとしたら…これ以上の物語はちょっとやそっとじゃ、お目にかかれないだろう。




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昨年11月にポール・スパダフォーラのバイオグラフィー「Fighting Till the End(斃れてのち已む)」が出版されました。

このブログでも何度か取り上げてきた、元IBFライト級王者です。

The Pittsburgh Kid がボクシングファンの記憶に永遠に刻み込まれる理由は、そのジェットコースターのような生き様ではありません。

1999年8月20日、スパダフォーラは番狂せでIBFライト級王者決定戦で強豪イスラエル〝ピト〟カルドナに完封勝利、悲願の世界タイトル奪取に成功しました。

彼はこの日まで、ボクシングファンには全く無名のアンダードッグでしたが、業界に深く関わる情報通の間では「カルドナは勝てない。1ラウンドも取れない」と、信じられないほど高く評価されていました。

それもそのはず、彼はこの年に飛び抜けて評価が戦ったWBCジュニアライト級王者のスパーリングパートナーをつとめて、その王者をテクニックで封じ込めていたのです。

 He had a famous sparring session with Floyd Mayweather Jr. in 1999 in which he dominated Floyd in training. Mayweather himself has acknowledged this but claims to have been out of shape.

傲慢で神経質なWBCジュニアライト級王者はスパダフォーラをキャンプから追放します。「スパダフォーラに翻弄されたのは、俺が全く本調子じゃなかったから。それが全てだ」。

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史上最も有名なスパーリング。その噂はあっという間に広がり、ボクシングファンは〝究極の盾vs盾〟対決を期待しますが、ついに実現することはありませんでした。

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「メイウェザーが戦うべきだった10人」(アルファベット順/リング誌)。

日本のボクシングファンの目線では、スパダフォーラ以外の9人はお馴染みでしょう。



これを見て「メイウェザーは全盛期のパッキャオだけじゃなくて、スパダラフォーラからも逃げたのか」と考えるとすると…それは半分当たっていて、半分はずれています。


スパダラフォーラは、メイウェザーを実戦でも完封する前に、自分自身の中に巣食う敵に敗れてしまうのです…。



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身長もリーチも、サウスポーなのかオーソドックスなのか、階級も何もかもわからない、そもそも目に見えない敵だ。どうやって戦って良いのかさえわからない。わかっていることは敵は強大で攻撃的で、無慈悲であることだけ。

癌は強力で容赦無く、残忍な敵だった。

ビリーは癌と戦って一度敗れ、最初の妻サラを失ってしまった。

今度負けたら、2連敗になる。信念のRefuse 2 loseを受け入れてしまうことになる。



そればかりか、今度負けるともう雪辱の機会すら永遠に失うことになってしまう。

しかし、半年もの間、全身の激痛と化学療法の副作用でビリーの肉体は限界を通り越していた。衰弱していくビリーを見ていると、俺の方まで絶望で気が狂いそうになる。

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「パパは癌になんて負けないぜ」。

2022年秋に息子 Laithと約束して闘病生活に入ったビリーだったが、癌の進行と化学療法の副作用は想像を絶する過酷なものだった。

ビリーは2023年を迎えられるかどうかもわからなかったが、年は越せた。それでも「俺の親友はもう十分に戦った。俺はビリーを誇りに思う」と、そんな考えちゃいけないことが頭をよぎることもあった。




病室にあるホワイトボードには、ビリーの兄貴が殴り書いた言葉が残されていた。

 〝Get up, you son of bitch, because Laith loves you〟

〜立ち上がれ、このクソ野郎!(息子の)レイスはお前が大好きで泣いて心配してるんだぞ!

それは昔、兄弟で夢中になって観た映画「ロッキー」に出てくる台詞(Get up you son of a bitch!!Cause Mickey loves you!)だった。

ビリーは「もうダメだと何度も諦めかけたが、家族や兄貴、ビレルたちが励ましてくれた。癌に何度も叩きのめされたが、彼らを失望させるわけにはいかなかった」と、のたうち回りながら敗北を拒否し続けた。




2023年3月6日。

俺たちは病院から信じられない報告を受ける。

この半年間、医者は「覚悟をしておいてくれ」と、いつもの仏頂面で声を絞り出していたが、この日は「先に結果だけ言うぞ」と見たことのない笑顔で駆け寄って来た。

「Remission!」

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「お父さんが癌に勝った!」「お父さんは約束を守ったぞ!」と大喜びの Laith。

https://twitter.com/BillyDib/status/1632606675101437952?ref_src=twsrc%5Etfw%7Ctwcamp%5Etweetembed%7Ctwterm%5E1632606675101437952%7Ctwgr%5E975e494abcf2523ca3caf13a4f485a2c6ca6057c%7Ctwcon%5Es1_&ref_url=https%3A%2F%2Fwww.ringtv.com%2Farticle%2F2023-most-inspirational%2F


すぐに理解できなかった俺に、医師はもう一度叫んだ。

Remission!(癌が消えたんだ!)」。

本当に嬉しい瞬間、人間はコーナーポストに登って雄叫びをあげたりしないってことを、俺はこのとき初めて知った。

歓喜がぐるぐる全身を巡ると、力が抜けた。病院の廊下にへたり込んでしまって、しばらく立てなかった。


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ビリーは癌が再発していないか、今も定期検査が欠かせない。

それでも、もう日常生活に戻って「A TRUE HEART〜THE FIGHTS OF MY LIFE」なんて闘病記まで出版しやがった。





ビリーは「いつもボクシングが救ってくれた」と感謝している。

If it hadn’t been for that moment [in sparring], I may have found out too late.

ビリーは語る。「もし、あの日のスパーリングでボディを叩かれなければ、進行の早いバーキットリンパ腫を発見出来ずに手遅れになっていたのは間違いない」。

「もし、生死を彷徨う大病に苦しまなければ、人生にとって何が大切なのか、よくわからないまま年齢を重ねていただろう」。



そういえば、WBCのマウリシオ・スライマン会長がビリーに特別ベルトを贈呈すると発表していたな。

…まさかと思うが、あいつら認定料を請求してくるんじゃないだろうな?


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▶︎▶︎▶︎▶︎▶︎▶︎▶︎▶︎▶︎▶︎▶︎▶︎ 井上尚弥がFighter Of The Yearに輝いたリング誌の2023年アワード。ビリー・ディブはMOST INSPIRATIONAL(最も感動的な物語)賞に選出されました。

8月17日で39歳になるビリー・ザ・キッドは、リング復帰については明言していません。



グローブを吊るして、家族と友人たちと幸せな人生を歩んでいって欲しいと思いますが…。


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リングの中なら怖いもの知らず、4階級も上のアミール・カーンとの試合だって、ビリーは二つ返事で引き受けた。

口が悪いファンは「早い話が噛ませ犬じゃないか」と後ろ指をさす。「トップランクや帝拳、カーンみたいなパワーハウスに都合の良い、不幸な噛ませ犬」と嘲笑う。

なるほど、面白いモノの見方じゃねぇか。

ビリー・ザ・キッドが不幸だって?

実に面白い。

お前たちは、トップランクや帝拳、カーンに一泡吹かせるチャンスを掴んでローブをくぐるビリー〝The Kid〟ディブのギラギラした目を見たことがあるのか?

あいつが不幸に見えるってんだから、見たことがねぇんだろう。

あんなに幸せそうな男はいないぜ。世界を驚かせてやるって目をしてた。

そんな幸せな経験、あんたらは一度も巡り会うことなく、つまらない人生を終えるんだろ?

あいつのギラギラした目とは正反対の魚の腐ったような目をして「世界を驚かせてやる」なんてハッタリをかますことなんて一度も出来ないまま、死んでいくんだろ?




といういうわけで、ビリーは、同じオーストラリア人のジョージ・カンボソスとの試合に備えてキャンプに入った。

ボクシングファンなら、カンボソスの名前を知らないわけがあるまい。〝Ferocious(獰猛な)〟ジョージはオーストラリアじゃ、ちょっとしたスポーツセレブさ。

あのマニー・パッキャオのスパーリングパートナーをつとめ、テオフィモ・ロペスに初黒星を付けたスーパースターだ。

38歳のビリーより年は8歳下のスター選手カンボソスに勝てば何が起きるのか、誰にだってわかっていた。



自己紹介が遅れたな。

俺はビレル〝Baby Face〟ディブ。俺もプロボクサーだ。3歳上のビリーと同じラストネームだが、兄弟じゃない、親友だ。同じレバノン系のオーストラリア人だ。

無敗のままジュニアライト級のナショナルタイトルを獲った。

このクラスでWBOオリエンタル(暫定)、IBFオーストラリアンのベルトもコレクションした。

ビリーの大勝負、俺以外にスパーリングパートナーに相応しいやつはいない。

ボクサーの性ってやつで、練習のスパーリングがオーバーヒートすることはよくあることだ。

でも、このキャンプは特別。ビリーが万一怪我でもしたら一世一代のチャンスをフイにしてしまう。

それなのに、ある日、ビリーが俺のボディを受けて、がひどく痛がってスパーは中止。肋骨を痛めたんじゃないかと心配して、病院に急行したんだ。

医者は骨に異常はないと診断したが、ビリーは帰宅してからも「この痛みは普通じゃない」と悶えていた。

次の日も病院に行くと、血液疾患の専門医が他の病院での検査を薦めてくれた。

すると、そこで結腸癌が見つかった。

「ものすごい早期発見だ。この段階の結腸癌は自覚症状がほとんどないはずなのに」と驚く医師たちを見ながら、俺たち二人は「スパーリングでボディを叩いたのさ」と笑って見せた。

医師たちは「あんたたちがプロボクサーなのは知っていたけど、まさかそんな方法で早期発見できるなんて!」と、また驚いていた。

俺が「これからは下手な健康診断よりも激しいスパーで早期発見する時代だ」と冗談を言うと、みんなで大爆笑。


まあ、でも…。

人生ってやつはどこまでも残酷で、何が起きるか誰にもわからない。

結腸から腫瘍を切除したビリーだったが、結腸癌はアンダーカードだった。

その後の検査でメインイベンターが発見されてしまった。バーキットリンパ腫だ。進行性が早く、あっという間に死に至ることもある、恐ろしい癌だ。

「人生はボクシングほどうまくはいかない」って言ったのはイベンダー・ホリフィールドだったが、まさにそういうことだ。


ビリーは世界チャンピオンにもなったプロボクサーだ。戦うことには慣れているが、これはもう、全く種類の違う厄介な戦いだった。

身長もリーチも、サウスポーなのかオーソドックスなのか、階級も何もかもわからない、そもそも目に見えない敵だ。どうやって戦って良いのかさえわからない。

わかっていることは敵は強大で攻撃的で、無慈悲であることだけ。

ビリーはこの戦いが極めて厳しいものになると覚悟していた。そして、絶対に負けられないということも。

彼は、最初の妻サラを癌で失っていた。ビリーとサラは二人で最後まで戦ったが、悲しい結果に終わってしまった。

ビリーにとって、癌との戦いはこれが初めてではなかったんだ。




ビリー・ザ・キッドは56試合のリングに上がり、48勝27KO6敗2分2NCの戦績を残している。

負けてもそのたびに必ず、立ち上がって来た。

ヤツはド根性の男だからな。56試合も戦って連敗は一度もない。勝負事は苦しいときほど大事だってことをわかってるからさ。

連敗したら商品価値が下がるってのは二の次で、これはファイターのプライドの問題だ。

癌に愛する人を奪われ、次は自分も倒される…それは、絶対に連敗しないビリーの流儀、信念に反することだった。


This was one fight he couldn’t lose. 

REFUSE 2 LOSE.


絶対に負けられない戦いが、始まった。再婚した妻と幼い息子を残して死ぬわけにはいかなかった。

戦いの場所は病室、ベッドの上。

ベッドに寝ながらビリーは「ボクシングじゃなくて良かった。ボクシングだとこれはダウン。とっくにテンカウントされてKO負けだった」と軽口を叩いていたが、ボクシングなら主審やコーナーが救ってくれるが、癌は…。容赦がなかった。


After nearly six months of treatment that took its toll on Dib emotionally and physically, he lost his hair, endured blinding headaches and felt constant pain. It took him to the very precipice. 


全身の激しい痛みにのたうち回り、食欲を失い痩せ細り、化学療法で髪の毛が全部抜けたビリーを見るのは、…俺の人生で一番辛いことだった。

息をするのも苦しいはずなのに、あいつは俺を見ると冗談を飛ばしてくるんだ。

「見ろよ、この体。きっとバンタム級リミットも割ってるぞ。ジュニアライト級であんなに苦労した減量が嘘みたいだ!」。




意識朦朧のビリーが、うわ言のように神に祈っているのを聞いてしまったことがある。

「運命は最初の妻を奪い、今度は私を連れて行こうとしている。運命は潔く受け入れます。でも、私が死んだ後、妻と息子は不幸にしないでください。どうか二人の面倒を見てやってください」。

「何を弱気になってるんだ!2連敗してもいいのか!」。心の中で叫びながら、俺には泣くことしかできなかった。

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君はビリー・ディブを覚えているだろうか?

ひと昔前に豪州のリングで活躍した、あのビリー〝The Kid〟ディブだ。レバノン系だが、シドニー生まれのシドニー育ちのオージー。

ひと昔前、なんて言っちゃあ怒られるな。まだ現役バリバリなんだから。


ディブは2003年のバンコク世界選手権に出場するなど、98勝15敗のアマチュアレコードを残してプロ転向。

2004年8月15日にデビュー。プロ5戦目でジュニアライト級のナショナルタイトルを獲得すると、6戦目でIBOアジア・パシフィック同級タイトルも手中に収める。

ビリーは世界タイトルの可能性をより広げるために、フェザー級にクラスを落とし、WBOアジア・パシフィックのタイトルを2階級制覇。

22歳、20戦全勝11KOと無敗のまま、2008年7月30日にゾラニ・マレイリに判定勝ち、IBOジュニアライト級王者に就いた。

そして、同年10月18日には満を持してWBOフェザー級王者スティーブ・ルエバノに挑戦、ここは0−3で判定負け、プロ初黒星を味わう。

ここから3年11試合の雌伏の間には、日本の山口賢一とも戦った。片足をリング外に踏み外した日本人にパンチをまとめる反則行為を犯しながら主審はTKOを宣告。山口陣営の抗議で無効試合に変更される、まあ言ってみればちょっとした黒歴史だ。



25歳になったビリー・ザ・キッドは2011年7月29日、IBFフェザー級王者ホルへ・ラシエルバを地元シドニーの五輪記念公園スポーツパークに引っ張り上げて3−0の判定勝ち、悲願のメジャータイトルを掴み取った。

レバノンにルーツを持つビリーだが、生まれも育ちもシドニー。オーストラリア・ボクシング界のスター選手に登り詰める。



初防衛戦では無敗のイタリア人、アルベルト・セルビデイを初回KO。

オーストラリアで戦えば無敵のビリーだったが、3度目の防衛戦は米国リングに引きずり上げられてしまう。相手は米国を主戦場とするトップランク傘下のロシア人、イブゲニー・グラドビッチ。

ビリーは持ち前のガッツで粘るも、3−0の判定負け。タイトルを手放してしまう。


それでも、メガファイトのセミファイナルという、軽量級ボクサーにとっては最高のリングがリベンジの舞台として用意される。

2013年11月24日、マカオはベネチアンリゾート・コタイアリーナ。なんと、メインはマニー・パッキャオ(vsブランドン・リオス)だ。

しかし、グラドビッチに削られたビリーは9ラウンドでキャリア初のTKO負け。

まだ28歳とはいえ、40試合近くも激闘を積み重ねてきたオージーに地元メディアは引退を薦めたが、あの男はそんなことを素直に聞くファイターじゃあない。




ジュニアライト級に戻して3連勝、タイが好き勝手にしていた地域タイトルのパン・アジアを奪取すると、思わぬオファーが舞い込む。

軽量級では世界的なプロモーター、日本の帝拳からのオファーだ。断る理由はどこにもない。

相手は、WBCジュニアライト級王者・三浦隆司。1歳年上の30歳だったが、強打の日本人はプライムタイム。そして、何よりも帝拳の軽量級を操るマッチメイクの妙はここでも冴え渡っていた。

「三浦の4度目の防衛戦の相手はビリー・ディブ」。

「ボンバー」と呼ばれた三浦の火力を世界に見せつけるのにディブ以上のダンスパートナーは考えられない。メディアやファンは「さすが帝拳」と唸るしかなかった。

わかりやすくいうと、世界的な知名度を持ちながら俊敏性と反射が明らかに衰えているオージーが36分間、三浦の爆撃から逃れることはほぼ不可能と思われていたのだ。

試合は帝拳の台本を上回る惨劇になる。

オープニングから2つのラウンドは上手く戦ってたんだが…第3ラウンド、ロープぎわに追い込まれたビリーは、ついにボンバーレフトを被弾。ロープにもたれて失神したところに追撃まで喰らってジ・エンド。

今度こそ引退と思われたビリーだったが、この男はどこまでも往生際が悪い。

再び連勝の波に乗ると、2018年8月3日に空位のIBFジュニアライト級のタイトルをテビン・ファーマーと争う。しかし、0−3の判定負け。

ところが翌2019年、またもやとんでもないオファーがビリーに届いた。モテモテである。

7月12日、今をときめくサウジアラビアでアミール・カーンとやはり空位のWBCインターナショナル・ウェルター級王者決定戦で拳を交えたのだ。

キャリア初のウェルター級、ディブは初回からカーンの迫力にクリンチを繰り返し、3回にボディ、4回に強烈なコンビーネーションでダウンを奪われると、コーナーからタオルが投入される。

カーンとサウジアラビア、ムスリムのビリーが選ばれたことは当然のように思えるが、そもそもの商品価値、名前ががあってこその話だ。



さて、今夜のお話の主人公、ビリー〝ザ・キッド〟ディブはサウジアラビアで大儲けしたにもかかわらず、グローブを吊さずにまだまだ戦い続ける。

2022年3月19日、36歳のディブは無敗のIBFインターナショナル/WBOアジア ライト級王者ジェイコブ・ウンに挑戦。

さすがのビリー・ザ・キッドも「この試合に負けたら引退」とロープをくぐり、大健闘するも5ラウンド終了時点で3−0でリードを許す。

身長・リーチともに181㎝の〝The Flamingo〟ウンはこの試合に勝てば、オーストラリア最大のスター、ジョージ・カンボソスとの対戦交渉が始まることになっていた。

しかし、6回、両者が揉み合うと、ウンがビリーを投げ飛ばしてしまい、まさか、まさかの失格負け。

「これでまた引退するチャンスを失ってしまった」と笑うビリーに、またまた幸運が舞い込む。

ウンに代わって、カンボソスとのスーパーファイトに挑むのだ。

2022年秋、キャンプインしたビリーは「俺を引退に追い込んでくれるのはウンではなくカンボソスだったようだが、それも違う。この試合に勝てばワシル・ロマチェンコか?ガーボンタ・デービスなんてのもいいね。オーストラリアのボクサーがPFPに入るのはジェフ・フェネック以来かな?」とノリに乗っていた。

2023年には本当にロマチェンコやタンクとラスベガスあたりでビッグファイト、そんな夢を見させてくれるかもしれない、そう思わせる男がビリーだった。



しかし…。なんてこった。

こんなことが現実にあっていいのか?

どんな逆境も乗り越えてきたビリー・ザ・キッドとはいえ、こんなタイミングで人生最強の敵が現れてしまうなんて…。

さて、いよいよ、ここからが本題だ。

何が不運で何が幸運か、それは神様にしかわからない、そういう話だ。


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アルツール・ベテルビエフは1985年1月21日、タゲスタン自治ソビエト社会主義共和国ハサヴユルトに生まれました。

まだ、ソビエト社会主義共和国連邦が地球の半分に影響力を持っていた時代です。

ソ連が崩壊するのは1991年のクリスマスの日、クレムリンからソ連国旗が降ろされ、ロシアの三色旗が掲揚されたのは、アルツールが6歳のとき。

ソ連崩壊。

民族間の対立と差別を抑え込んでいたイデオロギーが瓦解したとき、次に何が起きてしまうのか?

けして裕福ではなかったチェチェン人の血を引くベテルビエフ一家に、過酷な運命が待ち構えていることは分かりきったことでした。

それでも、母親とアルツールを末っ子とする5人兄弟を、父親は懸命に働き、支えます。甲斐性のある男でした。

ハサヴユトは格闘家の産出地です。

特に、レスリング・フリースタイルでは2000年シドニー五輪の63kg級でムラト・ウマハノフ、85kg級でアダム・サイティエフが金メダル。マブレット・バチロフは2004年アテネで55kg、2008年の北京で60kg級で連続金メダルを獲得しています。

アルツールの頑健な肉体は、幼い頃に自然とレスリングを嗜んだことが根っこにあるのかもしれません。

しかし、アルツールの天性はボクシングにおいてこそ、特別でした。アイドルはとにかくモハメド・アリ。そして、その強打からよく比較されたマイク・タイソン。

11歳になってジムに通い、ボクシングに専念するようになると、その才能が身近で見ていた人の想像をはるかに超えるものだったことがすぐに明らかになります。

2001年、一家の大黒柱、父親を交通事故で失うと、ベテルビエフの家族はさらに困窮してしまいますが、母親も4人の兄たちもアルツールがボクシングを続けることができるようサポートしました。

ジュニアからシニアへ順調に成長したアルツールは2004年、19歳でロシア選手権で銅メダルを獲得、2006年には欧州選手権、2008年には世界選手権で金メダルを獲得。

アマチュアでやり残したことがあるとしたら、五輪の金メダルだけになります。

しかし…。

ライトヘビー級(81kg)で出場した2008年北京では、金メダルを獲得する張小平に、ヘビー級(91kg)で挑んだ2012ロンドンでもやはり金メダルに輝くオレクサンデル・ウシクに敗れてしまう。

前年の世界選手権でも敗れたウシクは、まさに天敵でした。

そして、2013年。プロ転向を決意、より良い環境を求めてカナダへ移住。




プロではライトヘビー級、175ポンド(79.38kg)とアマチュア時代から10kg以上も絞り込んだクラスで世界を狙うことになリました。

一方で、同じ2013年にプロデビューしたウシクはナチュラルにクルーザー級、200ポンド(90.72kg)を選択、いまはアマチュアでスーパーヘビー級にあたるUnlimited、体重無制限で戦っています。

ウクライナ人のウシクと、チェチェンの血が流れるカナダ人ベテルビエフ。2人が目指すのはそれぞれのクラスのUndisputed champion。

ウシクは来月、タイソン・フューリーを下すと全てのタイトルをコンプリート。

ベテルビエフも今週末のカラム・スミス戦をクリアすると、年内にもドミトリー・ビボルとの無敗のPFPファイター対決となるndisputed championshipにコマを進める可能性が膨らんできます。
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