五輪で金メダルを獲得したボクサーは米国のシンボルになれる。
それが2大会連続となると、もはや前人未到の偉業だ。
プロに転向してからはジュニアミドル級、ミドル級、スーパーミドル級、ライトヘビー級、ヘビー級の5階級を制覇、ミドル級とヘビー級ではUndisputed Champion(他の誰にも王者を名乗らせない文句なしの王者)。
これはもはや、神聖にして侵すべからずの領域。シュガー・レイ・ロビンソンを玉座から引き摺り下ろすのに十分なレガシーだ。
さらにその生い立ちは、このスポーツにはうってつけ。
生まれ育ったミシガン州フリントはゼネラルモータース発祥の地。つまりはラストベルト、錆びついた町だ。父親はなんとアンダーグラウンドのプロボクサーで、未来の金メダリストが2歳のときから7年間、刑務所の塀の中で過ごした。
最初の五輪金メダルを獲ったときは、まだ17歳。映画のようなサクセスストーリーだ。
これで「スーパースターになるな」という方が難しい。

ーーーところが、そうはならなかった。
21世紀、五輪ボクシングは地上波テレビから追放され、プロボクシングに至っては社会的地位の地盤沈下が止まらないばかりか、かろうじて踏みとどまっていたマイナースポーツとしての足元も怪しくなっている…。
だが、彼女が「そうはならなかった」原因はそれだけではない。
そう、彼女。「彼女」だからだ。
クラレッサ〝The GWOAT〟シールズは女性だったのだ。
では、ボクシング黄金時代の1950年〜60年代なら米国の英雄になれていたか?…というと、当時の五輪に女子種目はない、そもそも女子ボクシングなど存在していなかったのだから。

14歳の頃には「私より強い者など地球上のどこにもいない」と自信に満ち溢れていた少女は、2012年のロンドン五輪から女子ボクシングが採用されると知ってから、モチベーションをさらに燃え上がらせた。
ジムでは、男子選手しか練習相手にならなかった。いや、正確には男子選手も相手にならなかった。女子にボコボコに殴られる、その屈辱もあって彼女がリングに上がると男子たちは下を向きながらリングを降りるようになった。
のちに彼女は「ゲンナジー・ゴロフキンにも勝てる」と豪語したが、彼女を知る人でそれを冗談や行きすぎた挑発で片付ける者はいなかった。
誰もが、彼女がロンドンで金メダルを首にかけ、星条旗を肩から羽織ると確信していた。そして、その通りになった。
まだ17歳だった。
しかし、そこで夢の機関車は急停車してしまう。
彼女がやってのけたことは、1990年代を席捲したクリスティン・マーティンをはるかに凌駕することだったが、スポンサー契約を結ぶ企業は現れなかった。
「他の種目の女子選手たちがメダルも獲れていないのに雑誌の表紙を飾ったり、ナイキやアディダス、アンダーアーマーと契約した話を聞いて、どうして私じゃダメなの?」と呆然とした。
80年代前半までは注目されていたボクシングはとっくの昔に没落したから?女子ボクシングだから?クリスティーとは肌の色が違うから?
金メダルの報奨金5万ドルは家を借りて車を買うと無くなった。
それでも、シールズは動かなくなった機関車を力づくで再発進させる。
2016年のリオデジャネイロ。オランダのヌーシュカ・フォンティンを破ったシールズは笑顔を爆発させ、大きな体を軽々と側転させると星条旗を手にしてリングを駆け回った。
4年前に彼女を無視したブランドが契約を申し込んできた。アンダーアーマー、パワーエイド、ディックス・スポーティング…。
しかし、いくつかのCM撮影が終わると、また静かな日々に戻った。束の間の熱狂だった。
それでも、彼女は新しい機関車に薪をくべる。心を折ることはなかった。
プロに転向して天下を獲る。
「私より強い者などこの地球上にいない」。その自信はプロのリングでも証明された。
それなのに、ビッグファイトはアイルランドやプエルトリコ、メキシコなどボクシングのファンベースが強固な母国を持つケイティ・テイラーやアマンダ・セラノにもっていかれた。
米国人が米国で輝けないなんて、おかしくない?…肌の色のせい?時代が悪いの?
女子ボクシングの扱いに失望した彼女は2021年、オープンフィンガー・グローブをはめて総合格闘技へ。英国の大手スポーツチャンネル・スカイスポーツと契約、BOXXERプロモーションズのイベントに出場したが、そこで突きつけられたのは脇役、Bサイドだった。
そして、MMAで2試合(1勝1敗)をこなすと、1年でボクシングのリングに戻る。それでも、誰も彼女にスポットライトを向けなかった。
2024年11月、テキサス州アーリントン・AT&Tスタジアムでテーラーvsセラノのメガファイトを開催するとNetflixから発表された。巨大スタジアムでメインを張る、男子でもそんなことができるのは北米ではカネロ・アルバレスだけという興行規模だ。
ミシガン州フリントで生まれ育ったシールズはやりきれない思いに身を焦がし、ボクシングを習った一人の男に電話をかけた。
その男はS.O.G. (Son of God、神の子)と呼ばれ、無敗のまま引退したPFPキング、彼女のデビュー戦は、ラスベガス・Tモバイル-アリーナで彼がメインを務めたビッグファイトのアンダーカードだった。
アンドレ・ウォードだ。
「私はいつまで待てば大観衆の前で戦えるの?」。
恐竜のように強い〝T−Rex〟シールズが意気消沈しているなんてボクシングファンは信じられないかもしれないが、ウォードに連絡するときは決まってヘコんでいた。
このときもそうだった。
ウォードは彼女をThe GWOAT(史上最強の女)、 T-Rex(ティラノサウルス)と呼んだことはない。〝Ress〟とごく親しい友人だけが使う彼女のニックネームで語りかけた。

⬆︎村田諒太の愛読書でもあります。

"When a man finds that it's in his destiny to suffer, he will have to accept his suffering as his task. He will have to accept the fact that even in suffering he is unique and alone in the universe,"
君は苦難に直面したとき、それを宿命として受け入れなければならない。どんなに大きな苦しみであろうとも、君はこの世界で唯一無二の存在としてそれに向き合うしかないのだ。
それは、ホロコースト生還者の精神科医・心理学者ヴィクトール・フランクルが著した体験記「夜と霧」の一説だった。
そして、優しく告げた。"Your time will come." と。
「彼女の時間」は予想以上に早くやってきた。
彼女の前に運命の男性、パプースが現れた。ウィンレコードの幹部でもあるパプースは2025年7月にフリーエージェントとなったシールズの代理人として、有力プロモーターのドミトリー・サリタと女子ボクシング史上最大の大型契約をまとめあげた。
She also announced a new goal: a $50 million payday for a single fight. Just like Floyd Mayweather.
契約金300万ドル、複数契約試合で最低保証800万ドル。右の脇腹にパプースの名前をタトゥーしたシールズは記者会見で「1試合で5000万ドル稼ぐ、そんなプロボクサーになる。メイウェザーのように」。
五輪で初めて金メダルを勝ち獲ってから14年、30歳になったシールズは女子ボクサーとしてはかつてないほどの名声を浴びている。
勝ち続けるその先に、何が起きるのかもわかってきた。
「マイケル・ジョーダン、レブロン・ジェームス、コービー・ブライアント…勝ち続けるとファンの中に興味深い欲求が芽生えてくるの。負けるところが見たいってね」。
「セリーナ・ウィリアムズをずっと応援してきた。でも、彼女が強さを見せつければ見せつけるほど人々は彼女の容姿を揶揄して、男みたいだとか猿みたいだとか、関係のないことで騒ぎたてていった。私にも同じようなことが起き始めてる」。
シールズは、SNSに溢れる自分を侮辱するコメントを冷静に見ることができた。
「誹謗中傷する奴らには笑っちゃう。それがボクシングに無関係なことで私の容姿や恋愛のことやら、尚更。そこまで私に興味があるの?って気持ち悪いときもあるけど、嫌いなら無視したらいいだけなのに彼らにとって無視できないものを感じてしまってるってことでしょう。面白いじゃない」。
クラレッサ・マリア・シールズは4つの逆風に晒され続けてきた。
女性であること、黒い肌を持つこと、ボクシング界が没落していること、そして強すぎること。
しかし、勝ち続けること、強さを見せ続けることで、全てがひっくり返ろうとしている。
女性であること、黒い肌を持つこと、ボクシング界が没落していること、そして強すぎること…これら4つ全てがいまや彼女のストロングポイントに変わった。
カネロ・アルバレスが誰に渡して良いのか狼狽えている、火が消えかけたスターのトーチはもしかしたらシールズに渡されているのかもしれない。
ずいぶん頼りなくなったその炎を再び燃え上がらせるのは、並大抵のことじゃない。なにしろ、彼女は4つも十字架を背負っているのだ。
女性であること、黒い肌を持つこと、ボクシング界が没落していること、そして強すぎること・・・
それが2大会連続となると、もはや前人未到の偉業だ。
プロに転向してからはジュニアミドル級、ミドル級、スーパーミドル級、ライトヘビー級、ヘビー級の5階級を制覇、ミドル級とヘビー級ではUndisputed Champion(他の誰にも王者を名乗らせない文句なしの王者)。
これはもはや、神聖にして侵すべからずの領域。シュガー・レイ・ロビンソンを玉座から引き摺り下ろすのに十分なレガシーだ。
さらにその生い立ちは、このスポーツにはうってつけ。
生まれ育ったミシガン州フリントはゼネラルモータース発祥の地。つまりはラストベルト、錆びついた町だ。父親はなんとアンダーグラウンドのプロボクサーで、未来の金メダリストが2歳のときから7年間、刑務所の塀の中で過ごした。
最初の五輪金メダルを獲ったときは、まだ17歳。映画のようなサクセスストーリーだ。
これで「スーパースターになるな」という方が難しい。

ーーーところが、そうはならなかった。
21世紀、五輪ボクシングは地上波テレビから追放され、プロボクシングに至っては社会的地位の地盤沈下が止まらないばかりか、かろうじて踏みとどまっていたマイナースポーツとしての足元も怪しくなっている…。
だが、彼女が「そうはならなかった」原因はそれだけではない。
そう、彼女。「彼女」だからだ。
クラレッサ〝The GWOAT〟シールズは女性だったのだ。
では、ボクシング黄金時代の1950年〜60年代なら米国の英雄になれていたか?…というと、当時の五輪に女子種目はない、そもそも女子ボクシングなど存在していなかったのだから。

14歳の頃には「私より強い者など地球上のどこにもいない」と自信に満ち溢れていた少女は、2012年のロンドン五輪から女子ボクシングが採用されると知ってから、モチベーションをさらに燃え上がらせた。
ジムでは、男子選手しか練習相手にならなかった。いや、正確には男子選手も相手にならなかった。女子にボコボコに殴られる、その屈辱もあって彼女がリングに上がると男子たちは下を向きながらリングを降りるようになった。
のちに彼女は「ゲンナジー・ゴロフキンにも勝てる」と豪語したが、彼女を知る人でそれを冗談や行きすぎた挑発で片付ける者はいなかった。
誰もが、彼女がロンドンで金メダルを首にかけ、星条旗を肩から羽織ると確信していた。そして、その通りになった。
まだ17歳だった。
しかし、そこで夢の機関車は急停車してしまう。
彼女がやってのけたことは、1990年代を席捲したクリスティン・マーティンをはるかに凌駕することだったが、スポンサー契約を結ぶ企業は現れなかった。
「他の種目の女子選手たちがメダルも獲れていないのに雑誌の表紙を飾ったり、ナイキやアディダス、アンダーアーマーと契約した話を聞いて、どうして私じゃダメなの?」と呆然とした。
80年代前半までは注目されていたボクシングはとっくの昔に没落したから?女子ボクシングだから?クリスティーとは肌の色が違うから?
金メダルの報奨金5万ドルは家を借りて車を買うと無くなった。
それでも、シールズは動かなくなった機関車を力づくで再発進させる。
2016年のリオデジャネイロ。オランダのヌーシュカ・フォンティンを破ったシールズは笑顔を爆発させ、大きな体を軽々と側転させると星条旗を手にしてリングを駆け回った。
4年前に彼女を無視したブランドが契約を申し込んできた。アンダーアーマー、パワーエイド、ディックス・スポーティング…。
しかし、いくつかのCM撮影が終わると、また静かな日々に戻った。束の間の熱狂だった。
それでも、彼女は新しい機関車に薪をくべる。心を折ることはなかった。
プロに転向して天下を獲る。
「私より強い者などこの地球上にいない」。その自信はプロのリングでも証明された。
それなのに、ビッグファイトはアイルランドやプエルトリコ、メキシコなどボクシングのファンベースが強固な母国を持つケイティ・テイラーやアマンダ・セラノにもっていかれた。
米国人が米国で輝けないなんて、おかしくない?…肌の色のせい?時代が悪いの?
女子ボクシングの扱いに失望した彼女は2021年、オープンフィンガー・グローブをはめて総合格闘技へ。英国の大手スポーツチャンネル・スカイスポーツと契約、BOXXERプロモーションズのイベントに出場したが、そこで突きつけられたのは脇役、Bサイドだった。
そして、MMAで2試合(1勝1敗)をこなすと、1年でボクシングのリングに戻る。それでも、誰も彼女にスポットライトを向けなかった。
2024年11月、テキサス州アーリントン・AT&Tスタジアムでテーラーvsセラノのメガファイトを開催するとNetflixから発表された。巨大スタジアムでメインを張る、男子でもそんなことができるのは北米ではカネロ・アルバレスだけという興行規模だ。
ミシガン州フリントで生まれ育ったシールズはやりきれない思いに身を焦がし、ボクシングを習った一人の男に電話をかけた。
その男はS.O.G. (Son of God、神の子)と呼ばれ、無敗のまま引退したPFPキング、彼女のデビュー戦は、ラスベガス・Tモバイル-アリーナで彼がメインを務めたビッグファイトのアンダーカードだった。
アンドレ・ウォードだ。
「私はいつまで待てば大観衆の前で戦えるの?」。
恐竜のように強い〝T−Rex〟シールズが意気消沈しているなんてボクシングファンは信じられないかもしれないが、ウォードに連絡するときは決まってヘコんでいた。
このときもそうだった。
ウォードは彼女をThe GWOAT(史上最強の女)、 T-Rex(ティラノサウルス)と呼んだことはない。〝Ress〟とごく親しい友人だけが使う彼女のニックネームで語りかけた。

⬆︎村田諒太の愛読書でもあります。

"When a man finds that it's in his destiny to suffer, he will have to accept his suffering as his task. He will have to accept the fact that even in suffering he is unique and alone in the universe,"
君は苦難に直面したとき、それを宿命として受け入れなければならない。どんなに大きな苦しみであろうとも、君はこの世界で唯一無二の存在としてそれに向き合うしかないのだ。
それは、ホロコースト生還者の精神科医・心理学者ヴィクトール・フランクルが著した体験記「夜と霧」の一説だった。
そして、優しく告げた。"Your time will come." と。
「彼女の時間」は予想以上に早くやってきた。
彼女の前に運命の男性、パプースが現れた。ウィンレコードの幹部でもあるパプースは2025年7月にフリーエージェントとなったシールズの代理人として、有力プロモーターのドミトリー・サリタと女子ボクシング史上最大の大型契約をまとめあげた。
She also announced a new goal: a $50 million payday for a single fight. Just like Floyd Mayweather.
契約金300万ドル、複数契約試合で最低保証800万ドル。右の脇腹にパプースの名前をタトゥーしたシールズは記者会見で「1試合で5000万ドル稼ぐ、そんなプロボクサーになる。メイウェザーのように」。
五輪で初めて金メダルを勝ち獲ってから14年、30歳になったシールズは女子ボクサーとしてはかつてないほどの名声を浴びている。
勝ち続けるその先に、何が起きるのかもわかってきた。
「マイケル・ジョーダン、レブロン・ジェームス、コービー・ブライアント…勝ち続けるとファンの中に興味深い欲求が芽生えてくるの。負けるところが見たいってね」。
「セリーナ・ウィリアムズをずっと応援してきた。でも、彼女が強さを見せつければ見せつけるほど人々は彼女の容姿を揶揄して、男みたいだとか猿みたいだとか、関係のないことで騒ぎたてていった。私にも同じようなことが起き始めてる」。
シールズは、SNSに溢れる自分を侮辱するコメントを冷静に見ることができた。
「誹謗中傷する奴らには笑っちゃう。それがボクシングに無関係なことで私の容姿や恋愛のことやら、尚更。そこまで私に興味があるの?って気持ち悪いときもあるけど、嫌いなら無視したらいいだけなのに彼らにとって無視できないものを感じてしまってるってことでしょう。面白いじゃない」。
クラレッサ・マリア・シールズは4つの逆風に晒され続けてきた。
女性であること、黒い肌を持つこと、ボクシング界が没落していること、そして強すぎること。
しかし、勝ち続けること、強さを見せ続けることで、全てがひっくり返ろうとしている。
女性であること、黒い肌を持つこと、ボクシング界が没落していること、そして強すぎること…これら4つ全てがいまや彼女のストロングポイントに変わった。
カネロ・アルバレスが誰に渡して良いのか狼狽えている、火が消えかけたスターのトーチはもしかしたらシールズに渡されているのかもしれない。
ずいぶん頼りなくなったその炎を再び燃え上がらせるのは、並大抵のことじゃない。なにしろ、彼女は4つも十字架を背負っているのだ。
女性であること、黒い肌を持つこと、ボクシング界が没落していること、そして強すぎること・・・





