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グッシー・ナザロフ…いやさ、オルズベック・ナザロフが人気階級でどれほど強いファイターだったのかは、ここでは別の話。

このキルギスの拳の嵐に曝されながらも、OPBFライト級王者の大友巌は12ラウンド36分間を、一度も倒れることなく立ち続けました。


大友は1984年7月6日にプロデビュー。2戦目で敗北を喫してしまいますが、持ち前のタフネスと強打で、そこから1引き分けを挟んで9連勝(8KO)をマーク。

そして1987年1月22日、シャイアン山本を9ラウンドでストップして奪った日本ライト級タイトルは9連続防衛。1989年6月19日には朴奉春をKOしてOPBFライト級王者に。

しかし、大友は日本から東洋へと単純にステップアップしたわけではありませんでした。

OPBF王座を獲得する4ヶ月前、2月13日に日本王座を追われているのです。

9度の防衛戦のうち7度をKOで片付けている大友を王座から引き摺り下ろしたのは五代登

圧倒的不利と見られた五代は強打の大友と真っ向から撃ち合い、2−1で10ラウンド判定勝ちを手繰り寄せました。

五代はフェザー級、ジュニアライト級に続く、史上初の日本タイトル3階級制覇を達成。

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勝利を告げられて拳を突き上げる五代。トーア・ファイティングボクシングジムの原田政彦会長も両手を挙げて拍手。


…「五代登が日本タイトル3階級制覇」。その表現は正確ではないのかもしれません。

まず、タイトルを獲ったのはフェザー級が田中敏之、ジュニアライト級が田中健友、そしてライト級を獲ったのが五代登でした。


人が名前を変える理由は、必ず生まれ変わると強く意識したからです。

その意味で、この男は3度生まれ変わったことになります。

本名の田中敏之で1977年にヨネクラジムからプロデビュー。1982年、抜群のボクシングセンスで桑原邦吉と争った日本フェザー級王者決定戦を勝ち抜きました。

しかし翌年、天才肌にありがちな放蕩な生活もあって来馬英二郎に敗れて初防衛戦に失敗。

米倉健司会長の「健」と、後援会からのサポートを意味する「友」をもらって田中健友として再出発。

空位の日本ジュニアライト級王者決定戦を藤本将吉に勝利、二つ目のタイトルを手にしました。

しかし、彼はまたしても周囲の期待を裏切ってしまいます。

2度目の防衛戦でウルフ佐藤にKO負け、タイトルを手放してしまったのはしかたがないにせよ、1987年1月20日、覚醒剤取締法違反で逮捕されるのです。

日本ボクシングコミッションは6か月間の出場停止処分を決定。執行猶予が付いたとはいえ、私生活の乱れからたびたびブランクを作ってきた田中のボクシング人生は今度こそ終わったと思われました。

それでも、トーア・ファイティングボクシングジムへ移籍、五代登としてリング復帰。

3度目の心機一転で、彼は名前だけではなく、スタイリッシュなボクシングまで捨てました。

打撃戦を上等とするファイターに変身した男は、3階級目で初めて決定戦ではない、9連続防衛中の強打のチャンピオンに挑み勝利を掴み獲ったのでした。





ーーーそして。田中健友の時代に〝天才対決〟で五代登が敗れたのが、古口哲。

物語はまだまだ続きます。

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1992年5月11日、私は後楽園ホールのリングサイド席にいました。

メインイベントは東洋太平洋ライト級タイトルマッチ。

王者の大友巌はこれが6度目の防衛戦。5度連続防衛しているとはいえ、その内容は2勝3分。2つの勝利は一つがKOでしたが、もう一つはスプリットデジション。

けして安定した政権とは言えませんでしたが、6度目の防衛戦が絶望的な目で見られてたのは全く別の理由からでした。

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大友の前に立ち塞がった挑戦者が、グッシー・ナザロフだったからです。

試合後、ジムの大川寛会長が「3回までという(大友との)約束だったが、これが最後と思ってラストまでやらせた」と公言したように、大友は王者にもかかわらず、陣営までが序盤で粉砕されると覚悟したリングでした。

当時、大友の戦績は22勝19KO4敗5分。まだ28歳の若さでしたが、典型的な激闘型ファイターで肉体的ダメージの蓄積が深かっただけでなく、ライト級という世界戦を組むのが非常に難しいクラスであったこともモチベーションをキープするのに苦労したはずです。

当時はすでに4団体時代でしたが、JBCが認めていたのはWBAとWBCの2団体のみ。

ライト級タイトル挑戦には、今以上にカネもコネも莫大なコストがかかる時代でした。

当時、すでに「ボクシング人気は落ちた」と嘆かれていました。1970年代までの「世界王者>>>プロ野球のトップ選手」という絶対の不等式はもはや絶対ではなくなり「6回戦でも食うだけなら食っていける」なんて時代からファイトマネーの保証は据え置かれたまま…世界王者になっても読売ジャイアンツのレギュラー選手よりもはるかに無名…。

それでも、全体市場は沈下一方でも、辰吉丈一郎や畑山隆則、亀田興毅、長谷川穂積、西岡利晃、井岡一翔、井上尚弥と間歇的にヒーローが生まれてきました。

また、ボクシングファンに支持される世界とは無縁でも大友巌のような後楽園ホールのヒーローたちは水道橋にマニアックな熱気をもたらしてくれました。

そして…。後楽園ホールのヒーローたちはいつの間にか絶滅してしまいます。

後楽園ホールを熱くした拳を、大友巌から縦横無尽に辿っていきます。


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"Let me show you something," Washington tells me.

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カール・ワシントンは 「お前が何者かを世界に見せてやれ」と、テレンス・クロフォードにささやいた。

そのための方法は一つしかない。

オハイオ州オマハのダウンタウンにボクシングジムを抱えるワシントンは、いまの米国ボクシング界で注目されるためにはカネロ・アルバレスに勝つしかないという現実をよく理解していた。

ボクシングがマイナースポーツに転落した現在でも、このスポーツの経済構造がビッグファイトに依存していることに変わりはない。

そんなビッグファイトを、私たちは1週間前に目撃した。

スーパースターのカネロをクロフォードがちょっとした番狂せで下したのだ。普通なら政権交代が起きるはずだが、37歳と言う年齢を抜きにしてもクロフォードがボクシング界の顔になれると思っている人は1人もいない。

有力なスター候補たちが王者の周囲に群がり、王者に勝ったものがその座を継承するのが格闘技スポーツの習わしだったが、35歳になったカネロに群がるのはレベルの低い挑戦者と、プロモーター、カネの使い道に迷っているネット配信会社だけだった。

カネロが引退すると、米国ボクシングの灯が消えると言われてきたが、クロフォードは消灯時間の前にスイッチを切ってしまったのだ。



The "Boxing is dead"  

ボクシングは死んだ。

アメリカでボクシングファンだとカミングアウトすると、必ず笑われてこう言われる。

ボクシングは死んだ。

しかし、そんなやつらには「あんたはカネロ・アルバレスを知らないんだね」と憐憫してあげよう。

そう、カネロを知っていたらboxing is dead なんて口にできるわけがないのだから。

カネロとクロフォードの試合は、Netflix が世界中の加入者3億人に課金なしで配信された。

ユニバーサルアクセス権の話は一旦忘れよう。ボクシングはさておき、2025年9月14日のカネロとクロフォードは間違いなくメジャースポーツだった。

The "Boxing is dead" ?




Must Win 

カネロにとってマスト・ウィンの大勝負だった。自分より年長で軽いクラスのクロフォードを迎えて、有利と見られていたからだけではない。

偉大なキャリアの着地点を考える段階で迎える、おそらく最後のメガファイトになるからだ。

しかし、カネロがハングリーな戦士であり続けるには、あまりにも多くのものを手に入れ過ぎた。

実質3階級も下のクロフォードとの試合を「最も重要な試合」と口にするほど、リングの中で証明するものを見失っていた。

「何もかも手に入れて絹のパジャマで寝入ったのに、毎日夜明けに起きてロードワークに出かけるんだ」と笑い、チャンピオンの苦悩を遠回しに語っていたのは、マーベラス・マービン・ハグラーだ。


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THE BIGGEST CONTRACTS IN SPORTS HISTORY ーー2017年、カネロはのちの大谷翔平らと同じ「スポーツ史上最高額」の契約を結んだ。


カネロも戦う理由を見つけるのに悩んでいた。フォーブス誌のアスリート世界一長者に何度選ばれたのか、本人もよくわかっていない。

高級ファッションブランドやビールメーカーなど巨大企業とスポンサー契約を結び、自身も独自ブランドでメキシコ料理から紳士服までさまざまな事業を展開している。

趣味のゴルフはプロ顔負けの腕前だ。それだけ熱中している。

「スポーツって面白いもんだな」。

カネロの言葉は深い、というよりも悲しく聞こえてしまう。



The One  
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おそらく、カネロが命の炎を燃やせるメガファイトはフロイド・メイウェザーとの再戦だった。

AサイドとBサイドが反転して再び対決していたら、とんでもない大興業になっていただろう。

もし、それが実現していたらHBOとSHOWTIMEのボクシングからの撤退は何年か先送りされたかもしれない。

ハグラーからレナード、フリオ・セサール・チャベスからオスカー・デラホーヤ、デラホーヤからメイウェザーとパッキャオに継承されたスーパースターのトーチだが、カネロはいつもまにかそれを手にしていただけでなく、それを渡すべき相手もいない、孤独なスーパースターだ。

スターにしか見えないトーチは、クロフォードには見えないし、見えてもクロフォードには重すぎて掲げることはもちろん、持ち上げることも出来ない。



Super Fight, That's All

スーパーファイトこそがボクシングの全て。

そして、究極のスーパーファイトにはドラマティックな王位継承が不可欠のエッセンス。

クロフォードの勝利はドラマティックだったかもしれないが、王位継承は施行されることはなかった。



…ちょっと待て?

あの試合には、スーパーファイトのエッセンスが無かった…確かに、そうだ。




ちょっと待て…。

もしかすると、カネロ・アルバレスはそもそも王ではなかったのではないか?

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Praying into my fists

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ボクシングファンならハリウッドと聞いて真っ先に思いつくのは、華やかな映画スタジオではなく、汗臭いワイルド・カード・ボクシング・クラブだろう。

そして、ちょっと熱心なボクシングファンなら、すぐ近くにあるショッピングモールにナット・タイ・フードというタイ料理のレストランのこともよく知っているはずだ。

そこで待っていると、練習を終えた彼らのアイドルが大勢の仲間を引き連れて食事に現れることを知っているからだ。

生きる伝説は食事を待つ間、気さくにサインや会話に応じてくれる。

そして、ときには集まったファンの分まで会計を済ませてくれることまであった。



Praying into my fists

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しかし、大勢のファンが楽しみにしていたそんな習慣はもう、4年も途絶えていた。

46歳にもなった伝説が、4年もの長きブランクを経てリングに戻るーーーそれがどういうことなのか、ボクシングファンである彼らが一番よく知っていた。

メディアの批判的な報道に異論も反論もなかったが、彼らはまたこの店に、性懲りも無く集まっていた。

ある者はサイン用の台紙を持って、ある者はやはりサイン用のボクシンググローブを持って、あるいはある者はその両方やポスターや、ゴーストライターが書いたかもしれない彼の著作も抱えて。



Praying into my fists

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米国のボクシングファンである彼らにとって、アジアは暗黒エリア、軽量級は誰からも意識されない関心を持たれない空気のような階級だったが、四半世紀も前からのボクシングファンにとって、マニー・パッキャオは無視できない存在だった。

マルコ・アントニオ・バレラ、エリック・モラレス、ファン・マヌエル・マルケスは軽量級にも関わらず、西海岸のボクシングファンはよく知っていた。



「もう22年も前の話だ」。

誰かがシンハーの瓶ビールをラッパ飲みしながら、2003年11月15日のアラモ・ドームの話を大声で始めていた。

軽量級では考えられない人気を集めていたマルコ・アントニオ・バレラにとって、無名のフィリピン人は踏み石、ステッピング・ストーンに過ぎなかった。

要は噛ませ犬だった。



Praying into my fists

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初回にダウンしたパッキャオは、主審に抗議の視線を送ったが、360度完全アウエーの大観衆は「まだ倒れるな、早すぎる。もう少し頑張れ」と嘲笑った。

あのナジーム・ハメドすら飲み込んだバレラのオーラに全く無名のフィリピン人が耐えられるわけがない、そう考えたメキシコのファンたちは何も間違ってはいなかった。

HBOのボクシング番組 World Championship Boxing の解説者も「ゴールデンボーイ・プロモーションズと大型契約した初戦、ボーナスファイトだ」と楽勝ムードだったのだから。

しかし、インタバルにダウンシーンのスロービデオがオーロラビジョンに映し出されると、会場に少しだけ気まずい空気が流れた。

パッキャオはバレラに足をかけられて倒れたのであって、ダウンではなかったのだ。

「ダウンかどうかは重要ではない。どうせバレラがKOするんだから。ただ、強く抗議しなかったパッキャオの潔さには申し訳ない気分になった」。

「パッキャオにとっては初回のダウン、いきなり8-10のビハインドを背負うことになったが、コーナーでの表情は冷静に見えた」。

「フレディ・ローチの言葉に、パッキャオはうんうんと頷いていた。ローチは『見ろよ、こんなアウエーは私でも見たことがない、ここまで来るともはや壮観だな。どうせ判定では勝てないんだから、ダウンは気にするな』、そんなことを言ってたんじゃないか?」。

「ローチとパッキャオはあのバレラを相手に堂々と戦って勝った。彼らは完全アウエーの異様な雰囲気に『すぐにロッカールームで着替えて裏口から逃げるぞ』と焦ってたようだが、俺たちは卑怯者じゃない」。

花道を慌てて引き上げるパッキャオには罵声も浴びせられたが、拍手も聞こえていた。

「初回のダウンは間違いだった!すまなかった!」という、メキシカンにしては珍しい(失礼)謝罪の声もあがっていた。

バレラよりもメキシカンらしく戦い抜いたフィリピン人に、たったの1試合でも彼らは強烈なシンパシーを覚えていたのだ。

これまでにも、パッキャオはメキシコ人と戦ってきたが、アントニオ・マルコ・バレラはそれほどまでに特別だった。



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メキセキューショナー(メキシコ人死刑執行人)。そんな渾名を持ったパッキャオにも関わらず、彼が訪れるとメキシコシティは地鳴りのような大歓声で迎える。

敵地どころか、凱旋と表現すべきほどの狂騒だ。

常識的には間違った表現だが、パッキャオのメキシコ凱旋と言い切って差し支えはない。

パッキャオ本人は自らをメキセキューショナーと呼ぶことは一度もなかったことを、メキシコ人たちがみんな知っていたからだけではない。

メキシコのボクシングファンにとって、圧倒的不利といわれた冒険マッチをメキシカンスタイルで勝ち抜いたパッキャオは、賞賛の対象にしかならないのだ。

我らがヒーローを倒した、憎いはずのファイターを大歓声で受け入れるメキシコのボクシングファン。



日本のボクシングファンに、彼らほどのボクシング愛があるだろうか?


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最も八百長が横行しているスポーツは?

答えは「犯罪組織が絡むことが多い八百長は明るみにでていないものが多く、正確な統計がないのでこの質問に答えはない」。

しかし、推測はできる。

頂点と底辺の光と影のギャップが大きなメジャースポーツで、チームごと買収する必要のない個人競技だ。

テニスはその典型で、選手1人を丸め込めば勝敗だけでなくさまざまな八百長を仕込むことができる。

トップに立てばフォーブス誌の眩いWorld’s Highest-Paid Athletes(アスリート長者番付)に名前を刻む大富豪に、底辺に沈殿する選手は1試合で100ポンド(2万円)も稼げないから、あちこちでアルバイトをしなければ生活が成り立たない。


女子テニス協会(WTA)主催の公式トーナメントのうち、最もグレードの低い大会は賞金総額1万5000ドル。シングルスの優勝賞金は2200ドル(約33万円)。

初戦で敗れれば100ドル(約1万5000円)ほどしか手に入らないから、道具代や交通費を差し引くと大きな赤字だ。

そんなときに「八百長で負けたら1000ドル」と耳元で囁かれたら?

「いま特に経済的に厳しいから1回だけなら…」。そんな気持ちはわからないでもないが、闇の世界は一旦足を踏み入れると引き返せない。


もちろん、そんな暗闇から聞こえる声には耳も貸さずに、ひたすら貧窮と戦いながら、歯を食いしばりながら、七転八倒しながら頂点を目指す、往生際の悪いテニスプレイヤーも、少なからず、いる。



A sneak peak inside The All England Lawn Tennis Club



カーソン・ブランスタインはまさに、そんな1人だ。

南カリフォルニア在住のカナダ人女性は24歳。「ガソリン代を払うと食べ物を節約しなければならない」ほど物価の高い米国でテニスプレイヤーを続けることに少しだけ疲れていた。

今年2月にメキシコ・カンクンで行われる大会に向けてトレーニングに励んでいたある日の朝、破産する夢から覚めてベッドから飛び起きると、彼女はあわてて銀行口座を確認した。

「残高は25ドル(約3700円)しかなかった。破産する夢じゃなくて、現実に破産しているようなものよね。全財産が25ドルなんだから。朝から涙があふれて止まらなかった」。

「いい年して変な夢見て、テニスなんてしてる場合じゃない。生活が破綻してしまう」。泣きながら友達に電話して、惨めな自分を曝け出した。

友達も「もうやめなさい。こんなことしてるのはあなただけ。あなたはもう十分頑張ったよ。まだ若いんだしいくらでもやり直せる」と励ましてくれたが、そのとき彼女の中で何かが火花を散らした。

テニスをやめるなんて、絶対に受け入れられない。

どんなに貧乏でもテニスだけはやる、やり続ける。もしかしたら、多くの普通の人から軽蔑されるかもしれないけど、テニスをやめたら心の中のもう1人の私が私を絶対に許さないだろう。

泣くだけ泣いて、涙が出なくなって、カーソンは友達に宣言した。「ありがとう。もう、泣き言はしない。私、テニスはやめないよ、絶対に。私、バカだから、テニスが好きで好きでたまらないんだよ」。

友達は「そうだろうと思ってたよ。あなたからテニスを取ったら何にも残らない」とケラケラと笑った。

両親に話したら無理矢理にでもテニスをやめさせられると思ったから、電話しなかった。友達からお金を借り、Uber Eats の配達員として働いた。



そして。

カーソンはテニスの世界で最も権威のある大会、ウィンブルドンの本戦出場を目指して予選3試合を見事にクリア、伝統のAll England Lawn Tennis and Croquet Clubの芝生の上に立った。

相手は、アリーナ・サバレンカ。世界ランキング1位の絶対女王だ。

ストレート負けの予想とオッズの通りに、カーソンは敗れ去った。

本戦1回戦進出で6万6000ポンド(約1300万円)を獲得したが、悔しい試合だった。


第1セットを1−6で落としたが、第2セットはタイブレークまで喰らいついて5−7で力尽きた。

しかし、スコアが示す通り、どうしようもない惨敗ではない。

あのサバレンカ相手にフルセット直前まで、粘り抜いたのだ。

いかにも彼女らしい、往生際の悪い闘い方だった。

そして、世界は初めてカーソン・ブランスタインを見た。

Had never seen branstine but she’s actually a pretty decent player 
ブランスタインを初めて見たが、かなり素晴らしいプレーヤーだ。

It was a match that showed her way of life.
コートの中に彼女の生き様を見た。




女王に最後まで挑み続けたカーソンの姿は、世界中に感動をふりまいた。

経済的にも、しばらくテニスに集中できるだけの大きなものを手に入れた。

それでも、彼女はただただ悔しかった。

スマホには祝福のメールが溢れていたが、大きなチャンスを逃してしまったと、悔しさだけが募った。

電話で泣きついた友達からもメールが届いていたが、それはお祝いの言葉ではなかった。

しかし、それを見たカーソンはようやくクスッと独り笑いした。そこには、こう書かれていた。


「6万6000ポンドって9万ドル?10万ドル?とにかく、すぐにカネ返しに、戻ってこい!」


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井上尚弥がFighter Of The Yearに輝いたリング誌の2023年アワード。ビリー・ディブはMOST INSPIRATIONAL(最も感動的な物語)賞に選出されました。

8月17日で39歳になるビリー・ザ・キッドは、リング復帰については明言していません。

グローブを吊るして、家族と友人たちと幸せな人生を歩んでいって欲しいと思いますが…。




こう書いたのは、今年2月のことでした。
https://fushiananome.blog.jp/archives/35023992.html


ところが。というか、やっぱり、というか。

ビリー〝The Kid〟ディブがリングに戻ってきます。

母国オーストラリア、英国、米国、中国(マカオ)、日本、タイ、サウジアラビアのリングに上がってきたビリー・ザ・キッドにとって8カ国目のドイツ・ハンブルクが舞台。

日本時間の12月13日。

「余命6ヶ月と宣言された男が、こうして生きているんだ。それだけじゃねぇ、主治医からリングに戻れる状態だと許可がおりたんだ。これが俺のラストダンス。踊らない理由はないだろう?」。

さて、本当にラストダンスとなりますやら?


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大谷翔平がWBC決勝、アメリカ戦の前のロッカールームで「憧れるのはやめましょう」と檄を飛ばし、憧れるなと言った具体的な選手の1人がベッツでした

そのベッツが先日、大谷について語りました。

He's just a regular dude, just like you and me. He just has a superpower that you and me can't do.”

彼は普通の男。ただ、他の誰にもできないことをやってのけるsuperpower の持ち主なんだ。

さて「スーパーパワー」のお話です。

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Junior welterweight contender Adam Azim said living with ADHD is like having a superpower as a professional boxer.


22歳の〝The Assassin〟アダム・アジムは、英国ジュニアウエルター級のホープ。

11戦全勝8KO無敗のEuropean Boxing Union(EBU)王者は日本時間今日の未明に、2度目の防衛戦に挑みます。

舞台はカッパーボックスアリーナ(ヂャン・ヂレイがジョー・ジョイスを大番狂せでKOした会場です)で、迎えるはオハラ・デービス。

デービスは、今年1月にイスマイル・バロッソにまさかの1ラウンドKO負けを喫してからの復帰戦。

そのバロッソを先月、有明アリーナでストップしたのが平岡アンディですが、それはまた別の話。

アジムは「オハラは9歳の時から知っている、大先輩。彼と戦うのは悲しいけど、これもボクシング。このスポーツには乗り越えなければならないことがたくさんある」。

2020年12月にデビューしてから4年、アジムは順調に階段を登ってきましたが、彼が戦ってきたのはリングの中の敵だけではありません。

ADHD(Attention-deficit/hyperactivity disorder)です。

ADHD(注意欠如・多動症)は不注意(集中力がないなど)、多動性・衝動性(落ち着きがない、順番待ちができないなど)の2つの特性を中心とした発達障害。

アジムは小さな頃からこの病気と戦い続けてきました。

大怪我をして救急病院に運ばれて入院したことは数え切れません。

「木から落ちたり、激しく転んだり、スパイダーマンだと叫んで窓から飛び降りたこともあった。骨折は当たり前で、身体中にあざや傷跡があるけど、これはボクシングで負った怪我じゃないんだ」。

「学校には馴染めなかった。授業を聞いてられなくて大声を張り上げたり暴れたり、ふざけたり。父親は私を退学させて、自宅で勉強させることにしてくれた。これは大正解で、1人で目の前の問題に集中するのに私は向いていた」。

エネルギーをどこに向けて発散して良いのかわからなくなる彼に、医師はスポーツを勧めました。

「最初にやったのはクリケットだったけど、守備が退屈で耐えられなかった。サッカーもうまくいかなかった、いろいろやって最後に辿り着いたのがボクシングだったんだ」。

「私がADHDについて話すことには、それなりに意味があると思っている。厄介な病気だと思われているけど、抑え切れないエネルギーをうまく使えば、何かを達成することができるスーパーパワーだ。必ずしも敬遠されたり、けんおされたりする病気ではない。私の言葉や行動で、同じ病気の人を励ますことになるなら、こんなに嬉しいことはない」。



ちょうど10歳年上、32歳のデービスはジョシュ・テイラーやジャック・カテラルとも拳を交えたゲートキーパー。

アジムが目指しているのは、同じパキスタン系で英国のスポーツセレブとなったアミール・カーン。階級もカーンが活躍した140lb、10ストーン。

キャリア最強の相手との対決でも、オッズはアジムが1/8(1.13倍)、デービス5/1(6倍)と明白に有利と見られていますが、世界チャンピオンになるためにはクリアしなければならない壁です。

今月はADHDの啓発月間で、アジムも協力的に活動しています。

もちろん、何も背負っていないプロボクサーなど、この世に存在しません。それは、バロッソにまさかの敗北を喫したデービスも同じです。

https://www.adhdawarenessmonth.org/

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【Český rozhlas(チェコ国営放送)】

Díky Haruce Kitagučiové bylo oštěpařské zlato tak trochu i české. 

私たちの誇りを取り戻してくれたのは、北口榛花だった。






私たちは陸上競技フィールド種目、特に投擲種目に思い入れがある国民だ。

五輪や世界大会でチェコ人が金メダルを獲れば国中が喜びに沸き立つし、そうでなければ落胆してきた。

負けてしまったときは、私たちの誇りが奪われたような気分になってしまって、その日は誰もビールを飲む気になれない。

実際に飲む飲まないは別にして(笑)。

そういえば。世界の人々は大きな勘違いをしているが、世界で一番ビールを飲むのはドイツ人でもベルギー人でもない。

チェコ人だ。

そして、世界で圧倒的に人気があるのはピルスナービールであり、世界のビールのほとんどがピルスナービールなのだ。

何が言いたいのかって?

ピルスナービールはチェコのピルゼン地方で生まれたビールのことなんだ。

地球上の何十億人という人類が今日も明日も明後日もビールをたらふく飲むだろうが、あなたの喉を潤し、全身に活力を与えるこの飲み物がどこからやって来たのか、ほんの少しでもいいから思い出してくれたら、私たちも嬉しい。

ドイツでもベルギーでもないのだ、チェコなんだ!(笑)。



そういうわけだから、女子槍投げの世界記録保持者バルボラ・シュポタコバは私たちにとって、ほとんど神のような英雄だ。

私たちを誇らしい気持ちにしてくれて、美味しいビールを飲ませてくれるのだから、まさしく神だ。

バルボラが2008年の北京、そして2012年のロンドンで大放物線を描いて金メダルを持って帰って来てくれてから、もう10年以上も経ってしまった。

そして、バルボラは2022年の欧州選手権で3位になって引退してしまった。

私たちの太陽が沈んでしまったってことだ。

私たちは、少し長い間、暗いトンネルの中をとぼとぼ歩かなければならない…そう覚悟しなければならないはずだった。

しかし、不思議なことにそんな予感は、湧いてこなかった。


プラハから南西に130kmも離れたところに、ドマジュリツェという小さな町がある。

そこに、アジアの最果てからやって来た一人の女性が2018年に「憧れのシュポタコバの国で槍投げをマスターしたい」と住み込んでいた。

デービッド・セケラックの指導を受ける、ただそれだけのために。

セケラックの名前は、チェコの陸上ファンでも知らない人がいる。つまり、無名だ。セケラックはジュニアのコーチの一人に過ぎなかったのだ。

北口は「フィンランドで参加した国際講習会でセケラックの指導法に惹きつけられた。私はシュポタコバのチームに入れてくれなんて言えるレベルじゃない」と、チェコ語はもちろん、英語もほとんどできないのに何度もメールを送って、槍投げの優秀な指導者がいるということだけしか知らない私たちの国に、たった一人でやって来たのだ。



申し訳ないが、私たちも、極東の最果てにある日本について何も知らない。他の欧州の国と同様に、中国と韓国と日本の区別もついていない。

しかし、怒らないでくれ。

私たちはあなたたちにビールを捧げた。そして、あなたたちは私たちに金メダルを取り戻してくれた。

金色の飲み物と、金色のメダルを交換したんだ。

これでイーブン、貸し借りなしだ。

だろ?



それに、私のようなメディアに携わる人間なら、日本のことを少しは知っている。

マンガとアニメの国で、みんな子供のように小さくて可愛い。

やはり、北口榛花もアニメの主人公のように前向きで天真爛漫で可愛らしかった…しかし、彼女は小さくはなかった。

そして、彼女は大嘘つきの傾向もあった。

「私はレベルが低いから、シュポタコバのチームに入れてくれなんて言えない」というのは、アジア人によくある謙遜の中でも、呆れ果てるほどの最上級の謙遜だった。

彼女が大嘘つきだという証拠は、ちょっと調べただけでいくらでも出てくる世界大会の鮮明な動画を見れば誰にでもわかる。

彼女は世界陸上やダイヤモンド・リーグの大舞台、絶体絶命の最終投擲で全てをひっくり返して金メダルをかっ攫って見せた。そう、やはり日本のアニメの主人公のように。

そして、優勝インタビューではチェコ語で喜びを爆発させてくれるんだ。槍投げと同じくらいにどんどん上達するチェコ語で。

それを聞いたチェコ人がどんな気分になるのか、あなたたちにわかるだろうか?

「誰か教えてくれ。チェコ人が北口榛花を嫌いになるには、どうしたら良いのか?」という気分になってしまうのだ。

昨年、チェコ人が全員敗退してしまったブダペスト世界陸上の決勝で、やはり最終投擲で大逆転の金メダルを獲って、北口が「チェコに教えてもらって優勝した」と、いつものように破顔一笑、チェコ語で叫んでくれたとき、私たちは北口榛花を嫌いになる方法も理由も永遠に失ってしまった。



あの世界選手権で、孤高の英雄バルボラ・シュポタコバは、外国人の北口が最終投擲の助走を始めたとき絶叫して応援していた。

英雄は「私たちはパリで必ず誇りを取り戻す」と興奮気味に宣言した。

それがどういうことなのか、少しだけ複雑な話になるけど、肌の色やパスポートの国籍を重視する人にはわからない話だろうけど、北口榛花の胸には日章旗が縫い付けられているけど、北口榛花はどう見てもアジア人かもしれないけど…図々しい話だが、彼女は私たちにとってはチェコ代表でもあるということだ。

きっと、こういうことは日本の人は嫌がるだろう。日本だけでなく、どこの国でもそうだろう。

自分たちの国のヒーローが獲った金メダルを「チェコの取り分もある」というようなものだから。同じことを言われたら、私たちだって嫌な気分になるかもしれない。

それでも、それは偽りのない気持ちなんだ。

いや、「金メダルの取り分」じゃないな。私たちは、北口榛花の金メダルを日本人よりも喜びたいんだ。

まあ、どっちにしても厚かましい話ではある(笑)。


"Je to bojovnice, zapsala se do dějin. Je to obrovský úspěch. Předvedla hezký výkon šestým hodem, takhle se vyhrává. Moc hezký a navíc ještě ta česká stopa. Samozřejmě by bylo lepší, kdyby tam byla nějaká naše oštěpařka,"

インタビューを受けたり、フィールドを離れている彼女は底抜けに明るいパーティガールだが、槍を握った途端にファイターになる。

すでに榛花は歴史に残るジャベリンスローワーだが、来年のパリ五輪でまたヨーロッパに来て、彼女は最後の証明書に署名するだろう。


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そして、その通りになった。



最後に。

野球が大好きな日本人にお伝えするのを忘れてはならないことがある。

アトランタ・ブレーブスのトライアウトを受けてアメリカ中の話題を集めたヤン・ゼレズニーもチェコ人で槍投げの世界記録保持者なんだ。



ありがとう、北口榛花。

ありがとう、日本。



以上。






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本当ならチェコの英雄・北口榛花のホーム旭川の地酒「男山」あたりを飲みたかったのですが…自宅の貧弱なサケナリーには見当たらず。

新潟の限定品「雪国 甚九郎 生酒」を。

しかし、チェコのビール「ピルスナー・ウルケル」は2本だけあった!!!

乾杯!

うう、しかし、甚九郎…美味すぎる。


昨年のワールド・ベースボール・クラシックでも大きな話題を呼びましたが、チェコは気質的にも日本人と相性が良い国です。

おめでとうございます、北口榛花。

おめでとうございます、チェコ共和国。


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「シュガー・レイ・ロビンソンの伝記を読んでボクシングに興味を持った」(ゲンナジー・ゴロフキン)。

プロボクシングの世界を知れば知るほど、この宇宙を司るファイターが存在したことに気付きます。

シュガー・レイ・ロビンソン

「本名がレイ・レナード。憧れていたロビンソンのシュガーを戴くことは嬉しかったが、彼に会って許しを乞うまでは、恐れ多くて恐縮していた」(シュガー・レイ・レナード)。

「フリオ・セサール・チャベスだってJC(ジーザス・クライスト)をあだ名にしてたじゃないか。シュガーなんて、恐れ多いというレベルなんか超えてるんだから、戸惑いはなかった」(シュガー・シェーン・モズリー)。

「シュガー」を名乗るファイターは洋の東西、男女もなく世界中に見つけることができます。日本でも元WBAジュニアフェザー級王者の下田昭文らがシュガーと渾名されています。

さて、そんな「シュガー」をロビンソン後に最初に名乗った怖いもの知らずのファイターが誰なのかは不明ですが、最初にその名が相応しいと認められたのがシュガー・レイ・シールズであったことに、誰も異論はないでしょう。




ミュンヘン1972、ライトウエルター級金メダリスト。まだボクシングがメジャースポーツで、五輪の決勝戦が地上波で完全生中継されていた時代です。

そんな1972年、ヨーロッパ大陸に派遣されて唯1人、金メダルをアメリカにもたらしたのがシールズでした。

そんな国民的英雄が、五輪の翌年1973年1月11日にプロデビューを果たすのです。


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Too Many Cooks:The pros and cons of the boxing entourage

英国ボクシングニューズ誌から「 コックが多すぎると料理は不味くなる?:取り巻き連中の功罪」。

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取り巻き連中の多さでは史上屈指のマネーですが、手錠をかけられた彼を守ろうとする取り巻きはたったの一人もいませんでした。「おかしいな?こんな一大事にみんなどこへ行ったんだ?」…薄ら笑いを浮かべるマネーは最初から全てわかっていました。


マイク・タイソンやフロイド・メイウェザー、マニー・パッキャオは多くの取り巻きに囲まれています。

もちろん、彼らがキャリアをスタートしたときに引き連れていたのはコーナーの数人だけで、それもリングに向かう花道に限られていました。

しかし、ファイトマネーと名声とベルトの数が増えるとスター選手の周りにはメディアもファンもよく知らない取り巻き連中の顔が増えていきます。

プロボクサーは孤独な商売です。ラウンド中の3分間はどんな危機に曝されても、自分だけで解決しなければなりません。ベンチから投手コーチが飛び出して、打ち込まれた投手を励ますような生易しい競技ではありません。

もし、コーナーに出来ることがあるとしたら、タオルを投げて試合を止めることだけで、タイムをかけて助言を送ったり励ますことは出来ないのです。

一旦、リングに上がってしまうとボクサーたちは自分だけで戦い、自分だけで危機を解決しなければならないのです。

孤独にも程がある商売です。

そして、残念ながら、一人のボクサーがスターに成長するということは、そんな孤独を乗り越えたということではありません。

むしろ、孤独の色がますます濃厚になったのか、取り巻き連中で周囲が溢れることまであるのです。

スター選手の強さは世界中のボクシングファンが認めてくれているというのに、彼らは自分がどれほど強いのかを直接、何度も聞きたいかのように取り巻きの数を増やしていきます。

有名なスター選手ですら「あなたは強い」「あなたが世界一だ」という生の声を、まるで呪文のようにずっと聴いていたいのです。

まるで、呪文が途切れると何もかもが崩れ落ちてしまうと恐れているかのように。

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職業として成立しない軽量級からミリオネラの人気階級へ。パッキャオが増やしたのは銀行口座の金額だけでなく、取り巻き連中もでした。


ファイターとしては精神的に大きな欠陥を抱えていたタイソンがリングに上がる恐怖に打ち勝つために使ったのは、マリファナだけではありませんでした。

もちろん、群がる取り巻き連中の言葉に耳を傾けず、振り払おうともしない天衣無縫のパッキャオや、取り巻き連中をセルフプロデュースの演出に利用する天才マーケッター、メイウェザーのような例外もありますが、多くの場合は悲しいタイソン型です。

自分を礼賛してくれる呪文を聞きたいのです。

英国ヘビー級のフレイザー・クラークは「キャリアを始めた頃は副業の警備員の仕事をしないといけなかった。あの頃の初心を忘れたくないんだ。私には、スーパースターのような取り巻きは必要ない」と、今も必要最低限の人材で周囲を固めている動機を語ります。

引退後はすっかりトレーナー業が板についた元WBOミドル級王者アンディ・リーは、ジョセフ・パーカーがスランプを脱出できた要因を「15人の取り巻き連中が集まり好き勝手に美辞麗句を並べるキャンプをやめて、私とロック・ハート(ストレングス&コンディショニングコーチ)とパーカーだけで雑音のない練習を積み重ねたこと」と説明しました。

リーは「コーチングで最も大切なのは空間と静寂。訳のわからない取り巻き連中がひしめき、さもトレーナーのようにあちこちから勝手な指示を出すなんてことは異様な状況だ。ファイターに必要なものは数少ない。グローブと信頼できるトレーナー、リングに賭けた夢、それだけで十分なんだ」と、取り巻き連中の存在を否定します。

実際に、そんな取り巻き連中はファイターが没落すると真っ先に姿を消すのがデフォルトです。

しかし、この孤独な職業で取り巻き連中を排除するのは大変な作業になります。

ファイターが成功するとなんでも与えて、気持ちの良い環境を作ろうとするトレーナーもいます。多くの場合、そんなトレーナーは成功したファイターと意見が対立して、自分が排除されるのを恐れているからです。

タイソンに親戚の娘を強姦されそうになって激怒したテディ・アトラスが、「タイソンを甘やかしすぎる」とカス・ダマト陣営を去ったとき、残されたのは無能の極みである〝イエスマン〟ケビン・ルーニーでした。

成功したファイターの周りには、追従の笑みを浮かべ、ファイターがくだらないジョークを言うものなら大袈裟に手を叩いて喜ぶ男たちがショウジョウバエのように湧いてきます。

「セルヒオ・マルチネスの前座で戦ったとき、控え室を占拠したマルチネスの取り巻き連中はチーム・マラヴィラとプリントしたお揃いのジャージを着て威圧的に振る舞っていた。こうした風景は、当のファイターにとっても心強いものかもしれない」(リー)と、全く効用がないわけではありません。

昨年、ラスベガスで行われたウエルター級の完全統一戦。試合前の最後の記者会見で座席は両陣営の取り巻き連中で溢れ、一部の報道陣が座れないという事態が発生しました。

記者席からエロール・スペンスJr.の従兄弟からヤジを浴びたクロフォードは「落ち着け。このイベントを邪魔しないで、一緒にこのイベントを成功させよう」と冷静に語りかけました。

一番悪いのは取り巻き連中ではありません。

他のスポーツならIDカードを持った記者しか入れないはずの会見場に「盛り上がればいい」としか考えていないプロモーターとテレビ局が取り巻き連中を入れることが、そもそもの間違いなのです。

ボクシング界は腐っています。

リーは「自分の周囲を信頼できる人間で固めたいという心理はよく理解できる」としながらも「アンソニー・ジョシュアを見るがいい。彼にはあんなに多勢の信頼できる人間がいるのだろうか?私は信頼できる人間なんて数えるほどしかいない。ヘッドコーチは船の船長だ。素人が自分勝手にあれこれ指示を出すなんて言語道断」と、人気階級のスーパースターの取り巻き連中を蔑視しています。

「プロのコーチの言葉に重ねるようにチャチャを入れるような取り巻き連中は、ただのゴロ付き、信頼できない人間の典型」という訳です。

本物のトレーナーから自身の欠点を指摘されると、多くのファイターは戸惑います。それがスター選手なら尚更です。

そして、その克服に悪戦苦闘していると、取り巻き連中の声が聞こえてくるのです。

「今まで勝ち続けてきたのに何を変える必要があるんだ?お前の良さが消えてしまうだけだ」「お前のスタイルは最高だ。それに難癖をつけてくるのは嫉妬深い人間だけだ」「お前は間違ってなんかいない。お前が正しい」。

美辞麗句に溺れてしまうのはスター選手だけではありません。

スターの卵、あしたのチャンピオンたちの周囲にもショウジョウバエは湧いてきます。

トップランクと史上最年少の17歳で契約したザンダー・ザヤスは「甘い言葉を欲しがるのは自分の弱さだ」と自戒しています。

「キャンプには最低限のプロしか入れない。私とトレーナー陣、練習相手…他には誰も要らない」(ザヤス)。

ザヤスはまだ21歳ですがデビュー5年目。現在は人気階級のジュニアミドル級を主戦場に無敗ですが、まだ世界戦線から一歩も二歩も離れた状況で、温室マッチメイクで戯れあっています。

最も見極めなければいけない取り巻きは、プロモーターなのかもしれません…。

https://fushiananome.blog.jp/archives/28904458.html


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