フシ穴の眼 〜スポーツ疾風怒濤編〜

      Hope Lights Our Way / 希望の道を、つなごう。

カテゴリ: Styles Make Fights

ジョナス・スルタンを番狂わせで競り落とし、WBOバンタム級のストラップを拾ったポール・バトラー。

中止となったジョンリール・カシメロ戦で1-10のオッズが出され「ゾラニ・テテよりも無残な形で負ける」と決めつけられていた実力・人気ともに低空飛行の英国人です。

井上尚弥のベルトコレクション、最後のピースを持っていなければ、実力的にも名前的にも戦う価値が全くないボクサー。プロキャリアで喫した敗北は2つだけとはいえ、その内容は最低です。

テテ戦はクラスをジュニアバンタム級に下げてのカッコ悪い惨敗。エマヌエル・ロドリゲス戦は3.3ポンドも体重超過して、アスリートとしての神経が疑われながら完敗。

PFP1位に駆け上がった29歳の井上尚弥に対して、33歳の英国人はあまりにもひ弱に映ります。

王者にもかかわらず、リング誌の階級ランキングはまさかの9位。実績ポイント制のBoxRecではなんと12位。

スルタンに番狂わせで勝利したというのに、その実力は見向きもされていません。

もともな世界ランカーの実力すらも怪しい、悪い意味での怪人です。

そんな〝最弱〟怪人が、あろうことがPFP1位の井上と戦うというのです。

大方の予想は前半でTKO負け。判定まで持ち込んだら大健闘、中差のスコアは誰も予想できません。

それでも、しかし!

それではあまりにバトラーが不憫です。

怪人バトラーに井上が負ける不吉な前兆があります。

思い出してください。

私たちが12年前に見てしまった光景を。

バンタム級最強と見られていた長谷川穂積が、誰もが階級最弱の烙印を押していたフェルナンド・モンティエルにあっけなくストップされた悪夢を。

あのときのモンティエルが腰に巻いていたのはバトラーと同じWBOのストラップ。

そして、階級最弱王者と見られていたモンティエルのリング誌ランキングは…やはり9位でした。

不気味な符号じゃあ〜りませんか?

さらに怪人バトラーの身長は168㎝、井上をなんと3㎝も上回ります(リーチは6㎝だけ短い165㎝)。

不気味な数字じゃあ〜りませんか?

さらに決定的な事実が、バトラーの33歳という年齢です!

25年前なら8歳。当時のモンスターはまだ4歳です。

このときに拳を交えていたら、小学生の英国人が、まだ幼児の日本人を粉砕していたはずです。

ギリシャの偉大な哲学者ゼノンが考えた詭弁「アキレスと亀」を知っているでしょう。


あれです。あれは詭弁などではなかったのです。

アキレスは井上、亀はバトラー。25年前に先行していたバトラーを井上が追い抜くことは不可能なのです。

それどころか、永遠に並ぶことすら出来ません。

ただ、ゼノンのくだらない詭弁、いえいえ素晴らしい英知の正論と同じく、両者の実力差は時間の経過とともに接近しています。

ただ、永遠に抜くことも並ぶことも出来ません。

もし、アホ詭弁士、いやいや偉大な哲学者ゼノンが現代に蘇ったなら、バトラーがスプリットデジションで勝利すると予想するはずです。






わしがなんぼ考えてもバトラー有利の材料は、さすがにどう考えてもここまでじゃ…。
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まだ正式決定には至っていないものの、井上尚弥のバンタム級完全統一、最後のピースを奪ってコレクションを完成させる戦いが年内に開催される模様です。

リング誌、WBA、WBC、IBFのタイトルを掌握した井上に残されたストラップはポール・バトラーが持つWBOだけ。

井上は「自分が得意としないタイプ」「力の差はないと思っている」と発言しているものの、33歳の英国人に軽量級最高ファイターと互角に戦える武器は何一つとして見当たりません。

プロキャリアでの敗北は二つだけですが、一つはジュニアバンタム級バージョンのゾラニ・テテに斬り落とされ、もう一つは地元でエマヌエル・ロドリゲスに準完封負け。

ロドリゲス戦からは8連勝ですが6回戦が3試合、8回戦が2試合、ヨアン・ボワイエのような引っ越し屋さんが本業のアルバイターも含まれています。

直近のジョナス・スルタン戦こそ綺麗に勝利しましたが、スルタン相手にアンダードッグでした。もともと、対戦予定だったジョンリール・カシメロとはオッズは1-10、咬ませ犬レベルの評価。

英国でも人気がない軽量級、その中でもさらに日陰のボクサー、それがバトラーです。




ボクシングでは、Styles make Fights という言葉が度々繰り返されてきました。

ーーどんな展開・結果に成るかは、両者の戦力よりも、スタイルによって左右される。

シュガー・レイ・ロビンソンはジェイク・ラモッタ、モハメド・アリはケン・ノートン、トーマス・ハーンズはアイラン・バークレー、マニー・パッキャオはファン・マヌエル・マルケス、どんなグレートにもやりにくそうに戦わざるをえない〝ジョーカー〟が存在しました。

ラモッタやノートン、バークレー、マルケスは無敵に見えたスーパースターを無力化させるパスワード、ナンバーを知っていたのです。

無敗でキャリアを終えた(今の所)フロイド・メイウェザーですら、ホセ・ルイス・カスティージョやマルコス・マイダナのようなファイターには手を焼きました(多くの識者・メディアが指摘しているようにカスティージョ初戦は敗北でもおかしくない内容でした)。

では、バトラーも単純な戦力比較を超越して、井上尚弥のナンバーを知っている可能性があるでしょうか?

常識的に考えてありえません。

ラモッタとノートン、マルケスは一発殿堂。バトラーと同列には語れない、ステージがいくつも上のレジェンドでした。

バークレーもミドル、スーパーミドル、ライトヘビーの層の厚いクラスを3階級制覇したパンチャー。

カスティージョやマイダナも時代を代表するプレッシャーファイターでした。

それに比べて、バトラーは…。34勝のうち15のKOをマークしているとはいえ、そもそも雑魚との対戦が多いボクサーです。井上に対してパンチャーズ・チャンスがあるとはとても言えません。

井上が「得意じゃない」という動き回るスタイルも、マルケスのように精妙なカウンターを持っているわけでもなく、カスティージョのような激しい機動力もありません。

世界基準の相手なら誰でもアンダードッグになる、たまたまタイトルを獲っただけの王者、それがバトラーです。

タイトルを持っていなければ、戦う価値が1ミリもない相手です。

井上が減量失敗や急病で最悪の体調でリングに上がる、そんなことでもなければ、どう考えても負ける相手ではありません…常識的には。
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カネロ・アルバレスは誰と戦ってきたのか?

サントス・サウル・アルバレス・バラガンは2005年10月29日、15歳のときにジュニアウェルター級でプロデビュー。

翌年、5戦目で引き分け試合を経験するも、ホセ・コットやカルロス・バルドミル、ラブモア・ヌドゥら古豪やビッグネームの兄弟と戦い、地域タイトルをコレクション。

そして2011年3月5日、リッキー・ハットンの弟マシューと空位のWBCジュニアミドル級王座を争い、大差判定勝利。

マシューは知名度と実力の乖離が大きいファイターで、フロイド・メイウェザーとの対戦も取り沙汰された人気者でした。

この初戴冠時のカネロはまだ20歳ながら、36勝26KO無敗1分。

慎重な対戦相手選びと、十分な試合経験を重ねての世界挑戦でしたが、マシューにグラつかされる場面もあり、当時は「最強ファイターの誕生」という捉え方は皆無でした。

このタイトルはライアン・ローズ、アルフォンソ・ゴメス、カーミット・シントロン、シェーン・モズリー、ホセシト・ロペス、オースティン・トラウトと、旬のパンチャーを綺麗に回避しながら「ディフェンスの強化」(エディ・レイノソ)をメインテーマに取り組みます。
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そして、ディフェンス教室はついに最終章を迎えます。

レッスンを施してくれるのは史上最高級のディフェンスマスター、フロイド・メイウェザー。

この試合で、カネロはキャリア初のBサイドに回りますが、すでにラスベガスのジャッジを飲み込むスターパワーを手に入れていました。

空前のメガファイト「THE ONE」を振り返り、進化する怪物カネロ・アルバレスの実像に迫ります。




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法律が無ければ、犯罪も無い。当たり前です。

世界的な統括団体が無いボクシングにおいて、ドーピングや犯罪行為が露見しても、そのペナルティは試合を統括するローカル・コミッションに委ねられます。

ルイス・ネリは山中慎介戦との初戦で、帝拳が費用負担したドーピング検査で禁止物質が陽性反応、日本ボクシング・コミッションによって日本のリングから事実上の永久追放処分が科されました。

しかし、メキシコでの活動はフリー、現在では日本を除くあらゆる国のコミッションがネリのライセンスに制限を加えていません。

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2009年、アントニオ・マルガリートはシェーン・モズリーの試合前のグローブチェックでバンテージに乾くと石膏状に固まる液剤を染み込ませていたことが判明。

カリフォルニア州アスレティック・コミッションはマルガリートのライセンスを停止しましたが、やはりメキシコなどでの試合は認められ、翌2010年にはあろうことか、テキサス州のカウボーイズ・スタジアムでマニー・パッキャオとのメガファイトの舞台に上がるのです。

ネリのドーピング、マルガリートの石膏バンテージはいずれも故意とは認められませんでしたが、そんな言い訳が通用するなら警察は要りません…そう、ボクシングの世界にはそれを〝犯罪〟として〝懲罰〟を与える法律も警察も存在しないのです。

プロ野球で日本人初のドーピング違反の汚名を被った井端弘和の違反物質は、目薬に含まれていたもので、本人も中日球団も「治療目的の使用」と申請・受理されていましたが、更新手続きを忘れていたため、アウトになりました。

最上の舞台である世界戦をローカル・コミッションが統括している、という驚愕の倒錯は、許されざるルール違反があっても罰則はローカルにとどまってしまう危険を常に孕んでいます。


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カネロ・アルバレスのドーピング検査陽性となったメキシコ産牛肉については、サッカー・メキシコ代表が2011年ゴールドカップで、5選手がドーピングテストで陽性を示して大会を追放されるなどボクシングに限ったスキャンダルではありません。
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イベンダー・ホリフィールドやロイ・ジョーンズJr.、バルコスキャンダルに関わったモズリーらはドーピング不問で一発殿堂です。

この件に関して、あからさまなドーパーとは言い難いカネロですが、もちろんイメージダウン。

シュガー・レイ・レナードやフロイド・メイウェザー、マニー・パッキャオらが疑惑の範囲内だったのに対して、クロに足を踏み入れたのですから。

それでも、カネロも前例に倣って一発殿堂でしょう。

カネロとレナードらを隔てているのは、ドーピング問題よりも、スーパースターへの道程でしょう。

スーパースターのAサイドになるまでのマッチメイクの厳しさは、パッキャオが群を抜いて過酷な試合を潜り抜けてきました。

パッキャオを論外、例外とするとレナード>>>>>メイウェザー>>デラホーヤの順でしようか。

カネロはパッキャオとは逆にヌルいマッチメイクでスーパースターの座を手に入れました。

米国にファンベースを持たない軽量級のアジア人という〝卑しい〟出自から番狂わせを繰り返しながら、スターダムの階段を駆け上がったパッキャオのマッチメイクが厳しくなるのは当然です。

一方で、五輪金メダリストのレナードには破格の待遇でデビュー戦がセット、デラホーヤもデビューから温室に覆われた線路が用意されました。

メイウェザーは金ではなく銅メダル、それでもデビュー戦から注目され、けして恵まれた報酬とはいえないものの、パッキャオのような無謀なマッチメイクとは無縁でした。

レナードやデラホーヤ、メイウェザーには、スターへのパスポートが交付されていたのです。


しかし、パスポートを持っていないカネロがなぜかプロテクトされたキャリアを歩んで行くのです。

Free ride=〝無賃乗車〟と揶揄されるのも当然のことでした…。
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3年ぶり、久しぶりのシリーズ再開です。

もし、カネロ・アルバレスがいなければ、2013年から日本ボクシング界の夢を乗せて走り続けた村田諒太の10年間はあれほどカラフルに彩られることはなかったでしょう。

もちろん、ミドル級は問答無用の人気階級。常にビッグネームが覇権を争う絢爛豪華なクラスです。

しかし、カネロもゲンナジー・ゴロフキンもいなくて、ダニエル・ジェイコブスやデメトリアス・アンドラーデみたいな地味な黒人しかいなかったら、日本のファンの熱量と温度は少し冷めたものになっていたかもしれません。

ゴロフキンが文句無し、最高の相手だったと思う一方で、パンデミックがなければカネロ戦が実現していたのです。

どっちが良かったか?、と聞かれると…。

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カネロはおそらく、ただのボクシング小僧がそのまま大人になったキャラクターです。

カネロジャッジはもちろん、意図的にドーピングしたり、キャッチウェイトや当日リバウンド制限などの姑息なやり口も、カネロが主導したものではないでしょう。

だからといって、カネロに一片の責任もないとは言いません。

3年前に書いた 「温室の中で逞しく育つアイドル 赤毛のアルバレスはスターダムを極めることが出来るのか?」という問いかけには、一応の答えが出ました。

Fighter of the yearに2度も輝き、PFPキングに2年半も君臨しました。人気に実力が追いついたのです。

しかし、それでもアンチの矢は放たれ続けています。

ドーピング問題はさておき、キャッチウエイトは卑劣なパワハラとはいえ、シュガー・レイ・レナードもオスカー・デラホーヤもフロイド・メイウェザーもマニー・パッキャオも振り回したAサイドの特権です。

「レナードらは圧倒的な実力を示し、頂点に立ってからパワハラを始めたが、カネロは実力がない段階からやりたい放題だった」「カネロほど不可解な判定が頻発するスーパースターも珍しい」ということが、レナードらと同列に語られない理由でしょう。

その意味で、もう一度考えて見たいと思います。

「温室の中で逞しく育つアイドル 赤毛のアルバレスは(誰もが認める)スターダムを極めることが出来るのか?」。



https://fushiananome.blog.jp/archives/17342333.html

https://fushiananome.blog.jp/archives/17343065.html

https://fushiananome.blog.jp/archives/17359296.html

https://fushiananome.blog.jp/archives/17358355.html

https://fushiananome.blog.jp/archives/17364956.html

https://fushiananome.blog.jp/archives/17378878.html

https://fushiananome.blog.jp/archives/17388953.html

https://fushiananome.blog.jp/archives/17399781.html

https://fushiananome.blog.jp/archives/17442524.html

https://fushiananome.blog.jp/archives/18585917.html 
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世界で最も有名なジムは?

世界で最も有名なファイトスタイルは?

…またまた答えなどない問いかけですが、「クロンクジム」と「デトロイトスタイル」は模範回答でしょう。
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この2週間で、私たちはそのメソッドがリングの上でいかに有効で魅力的なのかを、まざまざと見せつけられました。

まずは、まだ記憶に新しい4月9日のさいたまスーパーアリーナ。ゲンナジー・ゴロフキンのコーナーを守っていたのは、ジョナサン・バンクス。

2012年、バンクスはまだ現役ヘビー級ボクサーだったにもかかわらず、エマヌエル・スチュワードは「あとは頼んだ」と最期の言葉を託しました。

稀代の名伯楽が、バンクスをそこまで見込んでいたということです。

そして、23日(日本時間昨日未明)のウェンブリースタジアム。タイソン・フューリーを筋書き通りに操縦してみせたシュガーヒル・スチュワード。

シュガーヒルは、エマヌエルと義理の親子関係を結んだ、その名を継ぐ者です。

Steward Loved Aggressive Fighters

彼らの流儀はとにかく攻撃的であること。

「大勝負に弱い」と言われたのは、今や遠い昔。

これほどの〝暖簾分け〟(ネットワーク)を築いたトレーナーは、歴史上存在しません。

ボクヲタの勝手な妄想ですが、恵まれた体格を持つ160パウンダーの村田諒太がクロンクの薫陶を受けていたなら…?

さらに破壊的なビッグパンチャーになって、世界を戦慄させていたかもしれません。



永遠のクロンク。

また終わりのない、お話に突入です。
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ヘクター・カマチョ

1962年5月24日、プエルトリコはバヤモン生まれ。2012年11月24日、50歳でその生涯を閉じました。

メキシコ、米国、英国、キューバ、日本…プエルトリコよりも素晴らしいボクサーを数多く輩出する国はいくつもあります。

しかし、この小さな島から生まれるボクサーの濃密すぎる個性は、他のどの国にもない種類のものです。

カルロス・オルチス、ウェルフレド・ベニテス、ウィルフレド・ゴメス、カルロス・デ・レオン、ウィルフレド・バスケス、エドウィン・ロサリオ、フェリックス・トリニダード、イバン・カルデロン、ミゲール・コット…。

そして、ヘクター・カマチョ。

79勝38KO6敗3分。6つの黒星はいずれも判定負け。88戦のキャリアでノックアウトされることもストップされることも、ついに一度もありませんでした。
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▶︎▶︎▶︎2012年11月20日、サンファン郊外のバー「アズキータ」の駐車場でフォード・マスタングに座っていたマッチョ・カマチョと友人のアドリアン・モヒカ・モレノが銃撃を受け、モレノは即死。カマチョのポケットにはコカインの袋がいくつも詰まっていました。

カマチョも頭部に被弾、脳死状態に。

24日、家族の同意のもと、生命維持装置が外されます。
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あれから10年が経とうとしていた2022年3月10日、カマチョ殺人の容疑で5人が起訴されました。

3人の容疑者はウィリアム・ロドリゲス・ロドリゲス、ルイス・アヤラ・ガルシア、ジョシュア・メンデス・ロメロとされ、80万ドルの保釈金で勾留されています。

この3人は別件の罪で連邦刑務所に服役中で、フロリダからプエルトリコへ移送されました。

4人目の容疑者はヘスス・ナランホ・アドルノで30万ドル、5人目はファン・フィゲロア・リベラ で100万ドルの保釈金で拘束されています。

彼らの弁護士は「今は何も話せない」とコメントを拒否。
 
プエルトリコの警察は"Operation Knockout." (KO大作戦)と名付けて、母国の英雄を殺した犯人を懸命に追いかけていました。

司法省の組織犯罪・麻薬部門を監督するジャネット・パラ検察官は「英雄が殺されたというのに、私たちは黙って腕を組んだままではいられなかった」と5人を厳しく追及することを誓っています。

検察を監督するジェシカ・コレアは、「逮捕に満足している」と語り「この事件は、島を揺るがした。私たちのスーパースターが殺されたのだから」と怒りもにじませます。
 
容疑者が起訴されたと報告を受けたカマチョの年老いた母親は、プエルトリコの司法省を訪れると右拳を振り上げて「必ず正義は証明される!」と声を荒げました。

カマチョの親友である元プエルトリコ人ボクサー、ビクトル・カジェハスは「彼を知らない人は誤解しているかもしれないが、誰かに恨まれるような人間では絶対になかった。いつも周囲の人を人を笑わせようとしていた。とにかく人気者だった」と、今もカマチョを追悼しています。
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カマチョの葬儀は、プエルトリコにとって彼がどういう存在だったのかを、私たちに思い知らせてくれました。

間違いなく〝国葬〟でした。

日本のボクシングファンでも、知らない人はいない世界的なスーパースターでした。

彼の前にも後にも、派手なパフォーマンスを見せるボクサーはいました。しかし〝マッチョマン〟カマチョの色気溢れる艶やかさは、他の誰にも真似できるものではありません。

唯一無二のエンターテイナーでした。

それにしても。10年間、地元警察は犯人を追いかけていたのです。

「英雄が殺されて黙って見過ごすほど、私たちはバカじゃない」(ジャネット・パラ)という言葉に、彼らの真っ直ぐな執念を見る思いでした。

彼女にとってもカマチョは、かけがえのないアイドルだったのかも知れません。
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世界ヘビー級チャンピオン。

ボクシングというスポーツの頂点に立つには、まずヘビー級の体重が必要です。

フロイド・メイウェザーはもちろん、マニー・パッキャオですら「ヘビー級」なんて世界とは全く無縁、冗談でも語られることはありませんでした。

それでも、クルーザー級やライトヘビー級の世界王者からは、ほとんどの挑戦が失敗に終わっているとはいえ、成功例もあります。
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フィツモンズがどれほど強かったのか?粗い動画と文献にしか手がかりはありませんが「恐ろしいほど強かったはず。そうでなかった理由は、どうにもこうにも見当たらない」(リング誌)。

「ヘビー級制覇」の最下限はミドル級。

ボブ・フィッツモンズとロイ・ジョーンズJr.が成し遂げています。

しかし、フィッツモンズは文句無しの大偉業でしたが、ロイは最弱王者ジョン・ルイス狙いの1試合限定、いわゆる〝空き巣〟〝ピンポンダッシュ〟でした。

「狭量なロイのヘビー級挑戦が何だったのか?」。その答えは、報酬やPPVの数字が如実に説明してくれています。

なにしろ「ロイ的なヘビー級制覇」は、すでにあのカネロ・アルバレスが狙っています。

鍵になるのは「穴王者狙い」です。

くだらない…。

とはいえ「ロイ的なヘビー級制覇」は、どこまで引き下げることができるのでしょう?

元世界ジュニアミドル級王者カネロがヘビー級王者になれば、フィッツモンズとロイの「ミドル級」を更新します。

いくら何でも、ここらあたりが限界です。154ポンド=ジュニアミドル級の下となると147ポンド=ウェルター級です。

パックメイですら冗談でも触れなかったのですから、ウェルター級王者が50ポンド以上も重いヘビー級制覇なんて想像も出来ません。ありえません。

〝ダック(旬の強豪との対戦を避ける)〟メイウェザーはもちろん、パッキャオにも、多くのファイターが対戦熱望の雄叫びを挙げました

そして、雄叫びの主がビッグネームの場合「メイウェザーがまた逃げた」と短絡的な見方が噴き出しました。

メイウェザーが、彼の決まり文句「ビジネスにならない」すら口にせず、対戦要求を無視したファイターがいます。

ボクサーとしては何事にも誠実に対応するパッキャオが、その対戦要求にノーコメントだったファイターがいます。

身長185㎝・リーチ201㎝のThe Punisherの最後の対戦相手は、石田順裕でした。

禍福は糾える縄の如し。人生はその通りです。悪いことばかりは続きません。

しかし、「アスリートとしての」人生となると、それはあまりにも脆弱です。

一瞬の事故が全ての夢や可能性を粉々に打ち砕いてしまうことが、残酷なまでに普通に起こってしまうのです。
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2年前の1月、ガーナの首都アクラで開催されていたダニー・ワンダースの写真展「This is Ghana」。

ワンダースの妹、シーラ・オウスはその会場をゆっくり歩きながら作品を見ていた。彼女の父親はアサンテ族、母親はアキェム族、生粋のガーナ人だが、ロンドンで生まれ、住んでいる。職業はミュージックビデオのディレクターだ。

ガーナに対する思いはそれほど強いものではなかった。

ふと、誰かの視線を感じた。それは、ある作品の少年の目だった。

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彼は、ボクシングのグローブをはめていた。 

シーラの中で、何かがザワめいた。兄に「この写真はどこで撮ったの?」と聞くと、ブコムという町だと教えてくれた。

そして、少し調べただけでこの小さな町がアズマー・ネルソンやアイク・クォーティー、ジョシュア・クロッティら、世界中のボクシングファンが知っている有名なチャンピオンが生まれた有名な土地であることもわかった。

それまでボクシングはもちろん、スポーツには全く興味のなかったシーラだったが、ブコム、つまりボクシングを通してガーナを描きたいという衝動を抑えることができなかった。
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2020年12月から2021年10月までの10ヶ月、ドキュメンタリー「City Of Bukom: The unassuming slum raising world boxing champions.(スラムから世界チャンピオンへ)」の製作に没頭した。

撮影開始からすぐ四輪バイクで事故に遭い、左鎖骨を骨折しながらも、カメラマン4人、音声担当1人の最小スタッフとわずか671ドル52セントという格安予算で、作品を完成させ、今週YouTubeに公開した。

ネルソン、クォーティ、クロッティだけでなくジョセフ・アグベコ、アイザック・ドグボエ、リチャード・コミーといった現役のトップ選手も出演オファーを快諾してくれた。

この作品を製作しながら、体の奥底に沈殿していたガーナへのわだかまりが少しずつ溶けていった。

ガーナの人々を勇気付けてきたチャンピオンたちが、この国からいかに軽視され政治的に利用されてきたか、ボクシングに夢を賭けるしかない少年が極貧の生活に悶え苦しんでいる現状を知るにつけ、やるせない思いに捕らわれたが、作品の中ではそんな暗部も躊躇することなく曝け出したつもりだ。

「あの少年がグローブをはめているのは、遊びやふざけているわけじゃない。少年は何かを覚悟して、グローブをはめたのだ」。

「苦労の末にアズマー・ネルソンに会ったとき、どうしてガーナの人々が彼を尊敬してやまないのかが、私にはすぐに理解できた」。

「ブコムの町には援助が必要。ボクサーを目指す子どもたちにも援助が必要。なぜ、この町から偉大なチャンピオンが生まれるのか、その理由をCity of Bukomでつまびらかにした」。 




▶︎▶︎▶︎ボクシングのドキュメンタリーが他のスポーツよりも特別な感動を呼ぶのは、どうしようもない極貧から脱出し、プロモーターやマネージャーに食い物にされながら、成功を掴み取るストーリーラインが当たり前に存在しているからです。

シーラ・オウスが語りかけているのは「ボクシングのドキュメンタリーが特別な感動を内包しないようになることが、目指すべき理想」ということです。

しかし、私たち富裕国のボクシングファンは、口先でしかそれには同意できません。私たちは、マニー・パッキャオに代表される〝特別な感動〟をもたらしてくれる〝どん底のスタート地点〟から疾駆するファイターを求めてしまうのです。

それにしても、素晴らしいドキュメンタリーでした。
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ウィルフレド・ベニテス。


1979年年11月30日にシュガー・レイ・レナードにWBC世界ウェルター級王座を追われたものの、1981年5月23日にはWBCジュニアミドル級王者モーリス・ホープを12回KOで切って落として三階級制覇に成功。

このタイトルは、無敗の強豪カルロス・サントス、当時すでに伝説だったロベルト・デュランをいずれも3−0判定で下して2度防衛。

しかし、1982年12月3日ルイジアナ州ニューオーリンズ・スーパードーム。トーマス・ハーンズを迎えた3度目の防衛戦は2−0判定で敗れ、王座を手放すものの、このときまだ24歳。

精密な〝レーダー〟は、まだまだ世界トップの風景を捕捉していると誰もが考えていました。
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しかし、このときすでに CTE(慢性外傷性脳症)の初期症状が見られていました。CTE、別名dementia pugilistica 、その名の通りパンチドランカーです。

ハーンズ戦からは勝ったり負けたりを繰り返し〝Bible of Boxing〟(ボクシングの聖書・教科書) と絶賛された多彩なディフェンスは凡庸な対戦相手にもたびたび崩されるシーンが多くなります。


1986年も暮れようとしている12月、28歳のベニテスは有り得ない境遇に陥っていました。

食べ物を買うカネを求めて、アルゼンチン・サルタの裏通りを行く宛てもなく物乞いして回っていたのです。

…その少し前、11月28日に地元のカルロス・エレラとの10回戦のリングに上がったベニテスは7回TKOで敗退。

あろうことか地元の興行主は、敗戦のダメージを負ったベニテスに報酬を支払わなかったばかりか、パスポートまで取り上げてしまったのです。

帰国する術を奪われたベニテスは、プエルトリコの特使が救出に来るまでの数年間を異国の裏通りで物乞いをしながら過ごすしかありませんでした。

この忌々しいアルゼンチンの事件で、周囲の勧めもありベニテスは引退しますが、1990年3月8日にリングに戻ってしまうのです。

このときでもまだ31歳、しかしCTEの症状は深刻に着実に進行していました。

その頃には栄光の日々と明晰な意識とともに、リングの上で稼いだ800万ドルものカネもまた霧散してしまっていました。

亡父とマネージャーがベニテスのカネを貪っていたのですが、ベニテス自身の浪費癖からも本当にカネが必要な時に彼の口座には1セントの残高もありませんでした。

困窮する国民的英雄にプエルトリコ政府は公的資金をつぎ込んで生活を援助、WBCも月に200ドルを年金として支給、伝説のボクサーの支援に名乗りを挙げました。

献身的に看病を続けてきた母親クララは2008年に亡くなり、姉が面倒を看ることになりますが、ベニテスの二人の兄弟(元ボクサー)もまたCTEを患い、3人は狭い部屋で闘病を続けることになります。

家計は逼迫、食べ物を買うために家のトタン屋根をクズ鉄屋に売らなければならないほど困窮したこともありました。

意識は朦朧、自力で立つこともできないまで病状が進行したベニテスは、車椅子の上で終日ほとんど動くことがありません。

会話をすることも難しいのですが、家族は「体調が良い時には驚くような動きを見せる」と明かします。

にわかに信じられないことですが、そんなときは車椅子に座ったままボビングやウィービングを繰り返すというのです。

ボビングとウィービング!あまたの強豪のパンチを空転させた、ベニテスが駆使した代表的な防御技術です。

さらに、車椅子から立ち上がりたい様子を察した家族が介添えてベニテスを立たせると、ファイティングポーズを取ることまであるというのです。
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この話を新聞で読んだ多くのプエルトリカンは病と闘う国民的英雄に滂沱の涙を流します。

しかし、ボビングとウィービング、ファイティングポーズのくだりについては「CTEの症状が進んで痙攣していただけだろう」と、信じることは出来ませんでした。

しかし。

2012年11月、4つ年下の〝後輩〟ヘクター・カマチョの葬儀に出席したベニテスは参列者を驚愕させます。

家族から「ヘクターが死んでしまった。わかる?」と聞かれたベニテスはしっかり頷くと、自分で車椅子を棺の前まで進めると、すっくと立ち上がったのです。

そして、カマチョが眠る棺の前でファイティングポーズを取って見せたのです。

Benitez shocked everyone in attendance when he stood up from his wheelchair and struck a firm fighter's pose in front of the casket of the fellow Boricua Hall of Famer.

ベニテスの中には、まだ鮮やかにボクシングの記憶が残っていたのです。



…カマチョの葬儀からも断続的に伝えられていたベニテスの近況は、いま、途絶えてしまいました。





天才。

その言葉は、スポーツの世界ではいつでもどこでも耳にすることが出来る聞き飽きた呪文です。

時限爆弾のように、ある試合から誰もそう呼ばなくなることが当たり前になる…。

そんなどこにでもいる〝天才〟に何度幻滅しても、私たちはまた新しい〝天才〟を見つけてしまうのです。

特にボクシングの世界はあっちもこっちも天才だらけです。

しかし、それだからこそ正真正銘、本物の天才の輪郭が際立つのでしょう。


もし…そんなこと絶対にあってはいけませんが、本物の天賦の人が悲しい最期を迎えなければならないとしたら、この世界はやはり腐りきっています。
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