フシ穴の眼 〜スポーツ疾風怒濤編〜

      Hope Lights Our Way / 希望の道を、つなごう。

カテゴリ: Styles Make Fights

2年前の1月、ガーナの首都アクラで開催されていたダニー・ワンダースの写真展「This is Ghana」。

ワンダースの妹、シーラ・オウスはその会場をゆっくり歩きながら作品を見ていた。彼女の父親はアサンテ族、母親はアキェム族、生粋のガーナ人だが、ロンドンで生まれ、住んでいる。職業はミュージックビデオのディレクターだ。

ガーナに対する思いはそれほど強いものではなかった。

ふと、誰かの視線を感じた。それは、ある作品の少年の目だった。

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彼は、ボクシングのグローブをはめていた。 

シーラの中で、何かがザワめいた。兄に「この写真はどこで撮ったの?」と聞くと、ブコムという町だと教えてくれた。

そして、少し調べただけでこの小さな町がアズマー・ネルソンやアイク・クォーティー、ジョシュア・クロッティら、世界中のボクシングファンが知っている有名なチャンピオンが生まれた有名な土地であることもわかった。

それまでボクシングはもちろん、スポーツには全く興味のなかったシーラだったが、ブコム、つまりボクシングを通してガーナを描きたいという衝動を抑えることができなかった。
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2020年12月から2021年10月までの10ヶ月、ドキュメンタリー「City Of Bukom: The unassuming slum raising world boxing champions.(スラムから世界チャンピオンへ)」の製作に没頭した。

撮影開始からすぐ四輪バイクで事故に遭い、左鎖骨を骨折しながらも、カメラマン4人、音声担当1人の最小スタッフとわずか671ドル52セントという格安予算で、作品を完成させ、今週YouTubeに公開した。

ネルソン、クォーティ、クロッティだけでなくジョセフ・アグベコ、アイザック・ドグボエ、リチャード・コミーといった現役のトップ選手も出演オファーを快諾してくれた。

この作品を製作しながら、体の奥底に沈殿していたガーナへのわだかまりが少しずつ溶けていった。

ガーナの人々を勇気付けてきたチャンピオンたちが、この国からいかに軽視され政治的に利用されてきたか、ボクシングに夢を賭けるしかない少年が極貧の生活に悶え苦しんでいる現状を知るにつけ、やるせない思いに捕らわれたが、作品の中ではそんな暗部も躊躇することなく曝け出したつもりだ。

「あの少年がグローブをはめているのは、遊びやふざけているわけじゃない。少年は何かを覚悟して、グローブをはめたのだ」。

「苦労の末にアズマー・ネルソンに会ったとき、どうしてガーナの人々が彼を尊敬してやまないのかが、私にはすぐに理解できた」。

「ブコムの町には援助が必要。ボクサーを目指す子どもたちにも援助が必要。なぜ、この町から偉大なチャンピオンが生まれるのか、その理由をCity of Bukomでつまびらかにした」。 




▶︎▶︎▶︎ボクシングのドキュメンタリーが他のスポーツよりも特別な感動を呼ぶのは、どうしようもない極貧から脱出し、プロモーターやマネージャーに食い物にされながら、成功を掴み取るストーリーラインが当たり前に存在しているからです。

シーラ・オウスが語りかけているのは「ボクシングのドキュメンタリーが特別な感動を内包しないようになることが、目指すべき理想」ということです。

しかし、私たち富裕国のボクシングファンは、口先でしかそれには同意できません。私たちは、マニー・パッキャオに代表される〝特別な感動〟をもたらしてくれる〝どん底のスタート地点〟から疾駆するファイターを求めてしまうのです。

それにしても、素晴らしいドキュメンタリーでした。
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The Undefeated

The tangled history of hip-hop and boxing

ヒップホップボクシングであり、
ボクシングヒップホップである。

 

マイク・タイソン、トゥパック、ザブ・ジュダー、リル・キム…、音楽と拳闘の強烈なつながりを綴った新刊「Beatboxing: How Hip-Hop Changed the Fight Game」からのフシ穴インスパイアです。

Even you yourself predicted that last night in Vegas,”


トゥパック・シャカールのトリビュートソング "Mourn You Till I Join You "で、ノーティ・バイ・ネイチャーのトレッチは「昨晩のベガスの悲劇、あなたは最初からわかっていたはずなのに」とラップしています。

トレッチの言う「昨晩のベガスの悲劇」とは1996年9月7日、ラスベガスのMGMグランドで行われたマイク・タイソン対ブルース・セルドン戦の夜に起きた事件こと…。

シャカールが銃殺された夜のことです。

「Beatboxing: How Hip-Hop Changed the Fight Game」を著したトッド・スナイダーは、ボクシングとヒップホップのあまりにも複雑で、あまりにも濃密な、そして暴力的な歴史の中でも、あの夜は「ビッグバン」の瞬間だったと書いています。

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https://www.youtube.com/watch?v=s9HvuPMAJUc

https://www.youtube.com/watch?v=rkR5jOJhA0g 


ウェストバージニア州のトレーラーパークで育ったスナイダーは、ボクシングクラブを経営して選手を育てていた父親を通じてボクシングの魅力にずるずると、引き込まれて行きます。

スナイダー自身もボクシングを始めますが、最初に好きになったのはヒップホップでした。

「父と一緒にボクシングの試合を見て育った。タイソンの試合をよくを見ていたけど、私のアイドルであるトゥパックとの関係を通して試合に興味を持ったんだ」。


ニューヨーク州アルバニー近郊にあるシエナ・カレッジの修辞学、ライティング、オーラル・コミュニケーションの教授も勤めるスナイダーは、The Undefeatedとのインタビューで、タイソンとシャカールの交流や、試合の夜にラップミュージックを流すことが最初は不安でたまらなかったこと、そしてザブ・ジュダーから物語を始めた理由について教えてくれました。

The popularity of boxing has diminished significantly in America, 


▶︎アメリカでは、ボクシングの人気は著しく低下しています。それでも、若者に人気のヒップホップの中では、ボクシングは切っても切り離せません、常に共存しています。それはなぜでしょうかか?



▷ヒップホップは今でもボクシングを愛しています。それどころか、今まで以上に愛しています。

私の生徒たちはボクシングを見ませんが、グリセルダ・レコードの音楽を聞けばガーボンタ・デービスやデオンティ・ワイルダーなど、今をときめくボクサーたちの名前を否応なしに知ることになります。

ヒップホップの歌詞には、今でもボクシングがたくさん登場します。また、ヒップホップはボクシングの歴史的な試合を揺り起こすことだってあります。

例えば、Wu-Tang Clanのアルバム「Wu-Tang Forever」。「M.G.M.」という曲は「フリオ・チャベスvsパーネル・ウィテカー」の議論を呼んだドローと実現しなかった再戦を歌っています。

若い人たちは、ボクシングを見たことがなくても、歌詞の登場するボクサーの名前を、エモーショナルな記号として理解しているのです。



▶︎▶︎ヒップホップがボクシングの歴史を後世に伝えているとまで書いていますね。
 

▷▷残念ながら、現代ボクシングは若者のマーケットとは全く無縁です。若くてもせいぜい30代以上のファンがこのスポーツを何とか支えています。

ヒップホップの番組は昔からありました。セドリック・クシュナーの「ThunderBox」という番組では、試合前にラッパーがリングでパフォーマンスをしていました。あれは、ボクシングのアンダーカード(前座)と同じ役割を果たしていました。まさに、メインへの露払いです。

HBOには「Yo!MTV Raps」のエド・ラバーがホストを務めていた「KO Nation」という番組がありました。

現在も、TrillerやVerzuzがボクシングを取り入れた番組を制作しています。

異文化がためらうことなく混ざり合い、若い世代に偏った革新的な抽出物、つまりヒップホップと直面すると。ボクシング界に巣食うカビの生えた老人たちは眉をしかめます。

こんなのは音楽じゃない、詩でもない。クラシックなボクシングとも無関係だ。 



▶︎▶︎ボクシングのファンは他のスポーツと比べて圧倒的に高齢者男性が多くを占めています。 カントリーやロックが好きな彼らにとって、変な語呂合わせのラップはアレルギー反応を起こす異物なのでしょう。
 

▷▷面白い仮説ですが、それは間違いです。

その、高齢男性のボクシングファンは間違いなく、一人残らずモハメド・アリの敬虔な信者でしょう。

アリの信者がラップを受け付けないなんて、オリーブオイルを飲んで下痢するイタリア人よりもありえません。

アリは紛うことなくラッパーでした。ラッパーという言葉が出来るずっと以前に、アリは確かにラップを歌ってたじゃありませんか。

多くのリングアナウンサーやボクシングメディア、プロモーター、テレビ局…ボクシング界に携わる多くの人は、ヒップホップ文化を拒絶して、大きなチャンスを見逃しています。

ヒップホップが大好きな15歳の少年少女は100ドル払って「メイウェザーvsパッキャオ」を見ることは出来ませんが、もし地上波で見れたら必ず興味を示したでしょう。


 

▶︎▶︎もし今、ヒップホップというジャンルが生まれていたら、ボクシングとヒップホップの融合はどのように変わっていたと思いますか?


▷▷多くの識者が「初期のヒップホップヒーローたちは、シュガー・レイ・レナードやモハメド・アリ、石の拳を見て育った」と主張しています。

They both argued that one of the reasons these cultures are connected is that your hip-hop heroes from the early era grew up with Sugar Ray Leonard, Muhammad Ali, ‘Hands of Stone.’ 

彼らの父親や祖父も、遡れば遡るほど、みんなボクシングばかり見ていたのです。60年代までのファンは歴代ヘビー級王者の名前を諳んじることが出来て当たり前でした。

今のボクシングファンはどうでしょうか?

現役王者だけも全ての階級と団体のタイトルホルダーの名前を暗記している人がいますか?

ヒップホップが揺籃していたのは、今では考えられない、ボクシングが尊敬されていた時代です。

「The Message」のような初期ヒップホップの曲には、シュガー・レイ・レナードが登場します。

モハメド・アリは「Rapper's Delight」にも書かれました。

マイク・タイソンの絶頂期は、ヒップホップの一気の成長とオーバーラップしていました。

このようなことが多発的に勃発しながら、2つの文化は密接に複雑に結びつき、溶け合って行ったのです。

ですから…今の時代にヒップホップが生まれていたとすると、ボクシングとの関係はもっと疎遠になっていたかもしれません。

しかし、厳しいストリートで育ち、過酷な環境に置かれている人たちの前には二つの分かれ道しかありません。

一つはそのまま地獄へ。

もう一つはラップの詩が歌われ、輝くリングが待ち受ける道です。

もうちろん「もう一つの道」で懸命に努力したとしても才能と運がなければ、地獄の道と再び合流することになるかもしれません。

しかし、よく考えてください。実は、そこで歌が生まれるのです。そこで明暗が目まぐるしく点滅する旋律を美しく確実に装飾する韻が踏まれるのです。




▶︎▶︎ザブ・ジュダーやフロイド・メイウェザーら、黒人ボクサーの〝カラー〟はヒップホップの大隆盛によって、アリやレナードの時代と何かが変わりましたか?


▷▷フロイド・メイウェザーがザブ・ジュダーとの試合前に話した言葉は、非常に印象的です。

「誤解されないように断っておくと、私はヒップホップもR&Bもラップも大好きだ。ただし、ジュダーとは違う。私は、ボクシングに全身全霊を捧げてここまで辿り着いた。彼のように黒人芸能界を利用して有名になったんじゃない」。

フロイドのプライドが炸裂した発言です。

しかし、このときすでにフロイドは気づいていたでしょう。あれほど頭の良い男が、自分の実力と人気とのギャップに苦しんでいたのです。

「全身全霊を賭けて素晴らしいパフォーマンスを見せたから人気が出るわけじゃない」という、他のスポーツでは考えられない悲しい真実を、あの頃にフロイドは気づいたんだと思います。 
 
この本の冒頭でザブ・ジュダーを取り上げたのには、特別な理由があります。

彼はこそが、ヒップホップを飲み込んだ最初のボクサーでした。The Source誌の表紙を飾り、XXL誌にも取り上げられました。

ShyneからLil' Kim、Jay-Zまで、超メジャーなラップビデオに登場しました。

ジュダーはミックステープやSMACKのDVDにまで登場します。

しかし、ヒップホップを理解していなかった有力者からは、完全に誤解された人物の代表になってしまいました。

80年代後半から90年代前半にかけて、ボクシングイベントで〝検閲前〟のヒップホップを流すことは、多くの会場で禁じられていたのです。



▶︎▶︎これは、ボクシング界の支配者層、つまりテレビ局やプロモーターの差別意識が関係していたと思いますか?


▷▷もちろん。ボクシングの歴史を知るには、マフィアを知ることです。ボクシングの歴史は綺麗事ではありません。

さまざまな、しがらみに絡まれて、窒息しないように生きながらえてきたのがボクシングです。

アリが指揮棒を振って生まれたヒップホップは 、当たり前ですが反逆の歌です。アリがオリジナルですから、恭順や卑屈とは真逆の歌です。 
 
既成の仕組みの中で生きている人にとって、アリが歌うようなヒップホップの詩は恐怖でしかありません。

今になってみれば、既成概念を土台にしたアメリカ中のコミッションがヒップホップを流したくない、と考えていたのは無理もないことでした。

 それが、なんと今では面白いことに、黒人選手が出場する試合でヒップホップが流れないと、おかしな雰囲気になってしまうほど、この二つの文化は深く激しく抱き締めあっています。

ボクシングファン、あなたがもしそんな絶滅危惧種の一人なら、ラッパーに先導されて入場するボクサーを数え切れないほど見てきたはずです。 


。。。。。。。。 
 

********ちゃちゃっと一旦着地しようと思いましたが、酔っ払いの低脳があちこちラップを聴いたり、このテーマとは関係のない「メイvsスーパージュダー」を見てしまうと、もう先日の「拳四朗vs矢吹」までつながる「泥試合クロニクル」を書きたくなってしまう始末…。

あとは、うまく訳せないです。これじゃ、翻訳ソフト通しても変わらない、です。まあ、そもそもの能力不足です。

酔って、テーマがぶれそうになり、能力不足でうまく訳せない…。

それでも「音楽とボクシング」は個人的には非常に興味のある底なし沼なので、このままこの沼に、ズブズブと身を任せて行きます…。
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米国ボクシングがメジャースポーツとして認められていたのは、どんなに好意的に解釈しても1981年までです。

シュガー・レイ・レナードがスポーツイラストレイテッド(SI)誌のSportsMan Of The Yearに選ばれたのが1981年。

レナードを最後に、40年後の現在まで誰一人としてこの賞を獲得するボクサーは出現していません。
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米国ボクシングは、1950年代から坂道を下り始め、今もまだ完全マイナースポーツの底をさらに沈降している有り様です。

1981年というと、ちょうど私が世界のボクシングに出会って惹きつけられた頃でした。

80年代、レナードやマービン・ハグラー、マイク・タイソンらが桁外れのメガファイトを繰り広げていたというのに、学校図書館で読んだSI誌やリング誌がボクシング人気の凋落を伝えていたことにはちょっとした違和感を覚えていました。

それでも、90年代になるとSI誌の誌面からボクシングの記事がどんどん減り、表紙をカバーすることはまずなくなりました。

大学で出会った留学生や、社会人になってから何度か出張した東西海岸での交流からも、ボクシング没落、というか無関心、知らない、知ろうともしない空気は明らかでした。

ただ、2000年代に入ると、奇妙なことに気づきます。

出張先の西海岸のストリートで若者が歌うラップや、テレビのヒットチャートで、モハメド・アリやシュガー・レイ・レナード、マービン・ハグラー、マイク・タイソンら黒人のアイコンはもちろん、ブンブン・マンシーニやフリオ・セサール・チャベスらが歌詞に登場するのを耳にしたのです。

仕事先の若者に聞くとアリやタイソンはもちろん、チャベスやマンシーニらが伝説的なボクサーであることを知っている人も少数派ながら見つけました。

しかし、知っているのはそこまでです。

彼らにとってのボクサーは、歌詞の中に登場する記号に過ぎませんでした。

たとえ相手が強大な国家権力であろうと敢然と立ち向かう不撓不屈。

破滅に向かっているのを知りながら、引き返したりブレーキを踏もうともしない自暴と自棄の狂気。

殴り殴られる毎日でも、平穏な明日を求めて家族を守ろうとする人間的な父性。

確かにボクサーの生き様というのは、詩になり、歌われるにふさわしい…いや詩になり、歌われるべき旋律を宿しています。

米国でボクシングそのものが凋落してからも人気の音楽や小説、映画で固有名詞が取り上げられ、重要な役割を演じ続けてい耐えることがない事実は、このスポーツの枠を超えた美学を今もなお持ち続けているからかもしれません。

ロジャー・フェデラーやクリスチャーノ・ロナウドのラップなんて、ラップになりません…あるかもしれませんが…。

しかし、ボクサーは詩や歌になります。もしかしたら…。詩や歌にしか、ならないのかもしれません。

良く言えば伝説に登場する神々のように。

悪くいえば…。

ヒップホップ好きの若者にとって、ガーボンタ・デービスやエロール・スペンスJr.、デオンティ・ワイルダー たちは、試合を見るほど興味は持っていません。

しかし、拳闘家という特殊な仕事を生業とする、ラップの韻を踏むのに都合の良い記号としてだけではない、何故か引き寄せられる妙な磁力は感じているようにも思えてしまうのです。


「ボクシングは誰も見ない。特に若い人は全く興味がない」という通説はもちろん間違いではありません。

それでも、米国のヒットチャートの曲に乗って〝タンク〟デービスという発音を耳にすると、私は不思議な気分になってしまうのです…。


ESPNのThe Undefeated、の拙訳に続きます。
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■三部作(さんぶさく)は、同じ一つの主題を貫きながら、それぞれの物語が魅惑的な独自性を孕んでいる作品群のこと。英語ではトリロジー(英: trilogy)と呼ぶ。
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これは「三都物語」。

【第2戦:2020年2月22日 ラスベガス・MGMグランドガーデンアリーナ】

初戦のドローは、両者にとって不満の残る結果でした。

二度のダウンを奪いながらノックアウト出来なかったワイルダー は「体重を絞り過ぎたためにパワーが削がれた」と反省。フューリーも「強打を警戒して引いて戦うのは相手を勢いづかせるだけ」と真っ向勝負を望みます。

初戦からの体重の遷移は、フューリーが256½(116.3㎏)→273(123.8㎏)と16.ポンド½(7.5㎏)の上積み。ワイルダーは212½(96.4㎏)→231(104.8㎏)と、こちらは18.5ポンド(8.4㎏)増。

2人の狙いは、誰の目にも明らかです。

スピードを優先して肉体を絞った初戦から一転、2人はパワーを求めてウェイトを増やしたのです。

フューリーとワイルダー。2人は初戦から、大円団の3戦目まで一貫してウェイトを積み上げて試合に臨みました。

その他16階級ではありえない「強くなるための体重管理」を追求したのです。そこには「より弱い相手を求めて、足を痙攣させたりしながら自分も弱体化する」倒錯的で暗愚な減量とは違う、格闘技の本質がありました。

フューリーはこの試合のために、スタイリッシュなボクシングを教えるベン・ダビソンと袂を分ち、デトロイトスタイルの伝道師シュガーヒル・スチュワードを新トレーナーに迎えました。

多くのメディアとファンは初戦の内容がフューリーにとって「成功」だったと考えていただけに、トレーナー交代は意外でした。

「スチュワード」の名前の通りに、シュガーヒルはクロンクの正統継承者でした。

クロンク、デトロイトの熱い血統を受けたのはブリーランドも同じです。

しかし、シュガーヒルが「クロンク教」の原理主義を貫いたのに対して、ブリーランドは幅広いメソッドを学びながら「クロンク」をハイブリッド化していました。

より強くなるために増量した2人の巨人に付くのは、モーターシティの流儀を知り尽くした2人の名匠。大激闘の初戦から、再戦へ。その舞台裏はボクヲタをメロメロにするサイドストーリーに溢れていました。

大激闘の初戦から、クロスゲームが期待された再戦はまさかのワンサイドゲーム。この2戦を見ると、近年なら「セルヒオ・マルチネスvsポール・ウィリアムス」がそうだったように、第3戦の必要性は感じられませんでした。

そして、この再戦でタオルを投げたマーク・プリーランドを許せないワイルダー は、第3戦が決まってから気心の知れた元対戦相手のマリク・スコットを新トレーナーに選びます。

実績のないスコットを大勝負でトレーナーに起用することに世界中が「そうじゃないだろ」と首をかしげました。

ワイルダーとスコットが最初に確認したのは「どんな展開になっても絶対にタオルは投げないこと」だと公表されてからは、世間の目は「こりゃダメだ」に変わりました。

私はワイルダー の愚かさに、また失望しました。タオルを投げる、ボクサーを守ることはトレーナーにとって最も大切な仕事です。


◉ボクサーの明日を預かるセコンドの心が投げた黄色いタオル 「第34回・朝日歌壇賞」

千里馬哲虎が「山中慎介vsルイス・ネリ」を詠んだ歌です。
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「健康なままボクサーを家族に返す」のも、トレーナーの役割です。

10年以上も指導を仰いでいたブリーランドとは、名コンビに見えました。兄貴のような存在だったはずです。

もし、ワイルダーが将来、トレーナーになったら壊滅的な危機に曝されている選手を〝見殺し〟にするでしょうか?

もちろん、ライセンスを取ったばかりのボクサーが「記念」に出場する4回戦なら、相手のパンチにグラついたら、誰がトレーナーでもすぐタオルを投げます。

タオルを投げるタイミングが、経験を積んだボクサーほど〝後ろ倒し〟になるのは当然です。

それでも、山中のケースは「早すぎた」とは思いません。

あれを「タオルはこっちに相談してから投げると決めてたのに」「テンパってしまってた。経験不足」とトレーナーを責めた帝拳のトップ2は正気だったのでしょうか? 



スペイサイドの銘酒「クラガンモア」を飲みすぎて、話がどこにいってるのかわかりませんが、とにかく「フューリーvsワイルダー」第3戦です。

あの試合は、6ラウンドで、目頭が熱くなって来ました。

私好みの「敗れざる者」の物語だと、それゆえに残酷すぎる最期になると、確信しました。

勝てない、絶対に勝てない相手に最後まで、玉砕覚悟で向かって行くファイターは、敗者にはなりえません。

ワイルダーは見る者を感動させたという、プロとして最も大切な一点で「勝者」でした。

しかし、本当にそれでいいのでしょうか?

私たちはエマヌエル・ロドリゲスやオマール・ナルバエス、ウーゴ・ルイス、エイドリアン・ブローナーのようなヘタレなボクサーを軽蔑します。


彼らは「攻めないと減点」で、試合途中でも反則負けでも良いとさえ思ってます。特にナルバエスなんて最低というか、ライセンス剥奪で誰も文句ありません。

でも、それは彼らが赤の他人だから、です。

ワイルダーみたいな巨人は肉親はもちろん、友達にもいません。

フライ級とジュニアバンタム級の2階級でそれぞれ二桁防衛するなんて、アホなマニアが「数字だけ」とバカにしても、ナルバエスが友人や弟なら誇りです。

そして、彼らが友達なら「思う存分戦え。でもコーナーが止めたら受け容れろ」とワイルダーに説きます。

ノニト・ドネアやゾラニ・テテから逃げ回り「アルゼンチンの恥」と2度も烙印を押されてもナルバエスが弟なら「大きなダメージを負わずに帰ってきてくれて、ありがとう!」とお礼を言って抱きしめます。



クラガンモアは酔うなあ。12年もの42度かと思いきや、確かに12年ものではありましたがカスクストレングス、59度でした…。久しぶりに飲むと、いつも柔らかいクラガンでもやけにビートが効くなあと思ってたら…。


「ボクシングは殺し合い」「貧しくて教育が受けれない若者が何も知らずに飛び込む、殺し合い」「個人の自由というのは、殺し合いを好む残虐な人間の言い訳」「米国黒人も豊かになればボクシングから離れるようになった」。

ボクシング廃止論者の主張に、まっとうな反論を出来ますか?

「殺し合いを好む人は矯正施設に入って人間的な平衡感覚を取り戻さなければならない」「もし、誰かを殺し合せて、それを見ながら野次を飛ばし、酒を飲むなんてまともな人間ではない」。


いよいよ、狂気渦巻く、第3戦です。
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これまでも、何度か書いてますが、私はアーネスト・ヘミングウェイの大ファンなんです。

短編のタイトルにも使われているThe Undefeated。「敗れざる者」をテーマに貫く作品が多く、それに惹かれてやまないのです。

有名な「老人と海」もそうです。

「老人と海」からの抜粋です。
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「人間ってやつ、負けるようにはできちゃいない」。耳触りはカッコいいですが、そんなわけない、と思うことが多いです。

ヘタレの私はむしろ「人間ってやつ、負けるようにできている」と、諦めてしまうこともよくあります。

「destroy=木っ端微塵に破壊」されても「負けやせん」なんて、ありえません。破壊されたら、負けです。勝負は破壊するか、されるか、なのですから。

…本当なら、そのはずなんです。
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アリvsフレイジャー、ガッティvsウォード、マルケスvsバスケス…ボクシングの名勝負が〝連作〟になることは珍しいことではありません。

その多くは火を噴くような激闘の名勝負ですが、実力伯仲の殴り合い、技術と意地の激突です。

良い意味で、単調な激闘物語でした。

マニー・パッキャオのようにアンダードッグの立場から大番狂わせを何度も起こす、なんてド派手な活劇に感動してきた私ですが、私がパッキャオになれるわけがありません。

パッキャオは私のアイドルですが、パッキャオから何かを学べるか、共感できるかとなると、何もありません。

大谷翔平と同じで「こんなことが現実にあるのか。信じられない、すげーな」で終わりです。

アンダードッグが、Aサイドを一刺しすることはよくあります。しかし、ほとんどの場合は一度きり。彼らは生贄です。

そして、残酷に木っ端微塵にされる前に、誰かが試合を止めてくれます。そして、試合を止めるのは自分自身のケースもあります。

ブロンズボマーが10ラウンド開始のゴングにストゥールから直ぐに立ち上がらなかったとき、私は「ここまでよく頑張った。十分だ」と思いました。

しかし、彼は立ち上がりました。その行く手を遮るリングドクターに笑って近づき、何か言葉を交わしていました。なんと語っていたのでしょうか。

「立てなかったんじゃないぜ。あいつを焦らしただけだ」。そうとでも言ってたのでしょうか。
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Photo by Mikey Williams / Top Rank


日本時間では、日曜日の白昼にWOWOWか生中継してくれたリング誌/Lineal/WBC世界ヘビー級タイトルマッチ。

それは、王者タイソン・フューリーvsデオンティ・ワイルダーの、1勝1分で迎えた第3戦でした。

ワイルダー 有利と見られた初戦は、二度のダウンを奪われながらフューリーがボクシングの巧さを発揮、三者三様のスプリット・ドローに持ち込みます。

当然、メディアもファンも再戦を熱望しました。

初戦の内容を受けた第2戦は多くのブックメーカーがほぼ1-1のオッズを立てる接戦が予想されましたが、、現実はジプシーキングが7ラウンドTKOで圧勝。

これで形の上ではフューリーから見て1勝1分になりましたが、決着の第3戦を望む声はほとんど聞こえてきませんでした。

初戦でワイルダーのパンチを喰らっても立ち上がり、巨大な肉の塊を自在に操り逆襲、第2戦では開始ゴングからパワーボクシングでワイルダーを圧倒したフューリー。

この2試合19ラウンドの内容をよく考えると、20ラウンド目から始まる第3戦には意味ありません。

三部作になりようがない、再戦で完全決着したのですから。

体格と技術、装甲力に大きな差がある2人が互いに手の内を知り尽くすとどうなるのか、なんて誰にでもわかります。

再戦は初戦の予想が的外れで、その結果が接戦だったことで待望されただけでした。

しかし、再戦で発行された証明書に書き込まれていたのは「スーパーヘビー級の手練れ」と「ブリッジャー級の一発屋」の対戦に過ぎないという歴然とした事実だけでした。

多くのファン、メディアの目にも第2戦で2人の戦いが決着したと映り、その見立ては第3戦の結果を見ても間違ってはいませんでした。

この「フューリーvsワイルダー」の第3戦は、サウジアラビアでの開催が内定していた「フューリーvsアンソニー・ジョシュア」の超弩級のメガファイトに割り込んだ、という意味でも〝求められざるラバーマッチ〟でした。

第3戦は無駄。

ワイルダー はそれなりに粘るだろうが、フューリーには勝てない。現実の試合内容も、確かにそんな下馬評通りでした…。

しかし、あれを見て「無駄な試合だった」と感じたファンは、1人でもいたでしょうか?

私は選手の健康と安全を慮ってタオルを投げたマーク・プリーランドを解雇し、「彼が止めたから負けた」「コスチュームが重かった」「フューリーはグローブの中に異物を仕込んでいた」と 敗北の言い訳を重ね続けるワイルダー に、幻滅していました。こいつはバカだと思いました。

いや、今もバカだと思ってます。昨日のあんな戦い方、いや、戦い抜き方はバカじゃないと出来るわけがありません。

ああ、そう考えると私たちは賢いヤツに感動するんじゃなくて、バカに感動するように出来ているのかもしれません。



ワイルダー は典型的なビッグパンチャー。どんな劣勢もたった一発でひっくり返す魅力的なファイターです。逆に言うと、それしか武器を持っていません。

しかし、打たれ強い巨人フューリーの前では、一発で全てを引っくり返すことが出来ないことを、最初の戦いでまざまざと見せつけられました。

ヘビー級は無差別級。言い訳の効かない唯一のクラスですから【それ】を口にするのは本当ならタブーです。

それでも【フューリーとワイルダーは階級が違う】と思い知らされました。
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第3戦でも、ビッグパンチャーという切り札が封じられた痩せっぽっちのブロンズボマーが、また撃ち落とされる【だけ】だ、そんな私の予想も珍しく当たりました。

しかし、昨日の試合はブロンズボマーがまた撃ち落とされた【だけ】ではありませんでした。

もっと正確に言うと、私の予想は大外れでした。全く予想外の展開、内容でした。

私は、ワイルダーが試合を諦める、クイッターの無様な姿を晒す可能性もあると考えていました。

やはり、救いようのないフシ穴です。

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Photo by Sean Michael Ham / TGB Promotions


ボクシング史上最高傑作の三部作を第1戦から、振り返ります。

いつもリングの中で起きたことだけが真実だと、のたまってきましたが、ここではリングの外に視点を移します。


★第1戦:2018年12月1日 ロスアンゼルス・ステープルズセンター★

WBC王者ワイルダー は当時33歳。戦績は40戦全勝無敗、40の勝利の内、なんと39をKOで終わらせているパンチャーで、これが11度目の防衛戦。

当時のヘビー級はワイルダーとやはり無敗だったアンソニー・ジョシュアの米英対決が最強決戦と見られ、その試合が待望されていました。

主役はブロンズボマーでした。

ワイルダー のコーナーにはアマチュア時代から師事するマーク・プリーランド。

一方のフューリーはまだ30歳、2015年11月にウラジミール・クリチコの長期政権を瓦解させ、一気ににスターダムに駆け上がりますが、重度の鬱病から一度の防衛戦も行わないまま表舞台から姿を消してしまいます。

約3年のブランクを経てカムバックしたのは、ワイルダー戦のわずか半年前。キャリア最重量の276ポンドで秤に乗る姿からは、ワイルダーと対戦する準備が整っているようには見えませんでした。

コーナーには長年連れ添ったベン・ダビソンに、カットマンにはフレディ・ローチを起用する豪華な布陣。

注目の前日計量、ワイルダー は212.5ポンド(96.3㎏)、フューリーは256.5ポンド(116.3㎏)。

ワイルダーはデビュー戦(207ポンド1/4)以来の軽さ。フューリーも絞ってきました。

両陣営がスピードと機動力を意識してウェイトを作ってきたのは明らかです。

ワイルダー はスピードで相手を翻弄、強打を叩き込む作戦。フューリーもワイルダーの強打をボクシングでかわすため、軽快に動ける体に仕上げたのです。

両陣営が描いた試合の絵面は「パンチャーvsボクサー」で一致していました。

それにしても。

両者の体重差は44ポンド(20kg)!

フライ級(112ポンド)からジュニアミドル級(154ポンド)の10階級のレンジで活躍したマニー・パッキャオの振幅でも42ポンドですから、それを上回る体重差です。

フライ級からの42ポンドと、ヘビー級の44ポンドは、全く意味が違うもはいえ、数字上はパッキャオがフライ級のまま、ジュニアミドル級のアントニオ・マルガリートと戦うようなものです。

もちろん、フライだとかジュニアミドルだとかくだらない階級は人間が作ったものです。無差別級は人間が作った階級ではありません。原始からそこにあった、という意味では神が作った階級です。

神の階級で「フライ級がジュニアミドル級と戦うようなもの」なんていうのは、神への侮辱に他なりません。

なによりも、そんな同情やお情けは、無差別級で戦うファイターに失礼千万です。

ヘビー級は真の意味で最強を争うクラス、言い訳も同情もお情けも入り込む余地はありません。

ただ…。

フューリーとワイルダー、そもそもの体の作りが違うのは、誰が見ても明らかでした。
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生まれた国に思い入れのない人間など、この世にいるわけがない。

慣れ親しんだ風景、思い出の詰まった街並み。自分を育んでくれた季節と食べ物と、そして何よりも家族と友人たち。

ましてや、その国が四方を美しい海に囲まれた宝石のような島であったなら、母国を捨てる理由など普通なら考えられないということは、私たち日本人にはよくわかるだろう。

そう。

普通では考えられない環境や事件や事故や、悪意や偶然や必然や、悲劇や喜劇や惨劇や、誰も望んでもいないはずの、そんな一切合切がぐるぐる渦巻いて、二人は国を捨てたのだ。

一人は、国旗を背負って戦い、2度も金メダルを母国にもたらしたというのに、国を捨てるしかなかった。

遠征先のブラジルで同僚と共に画策した亡命は失敗したことで、3連覇のかかった北京2008では代表を外されてしまう。

裏切りと権謀に翻弄されながら、高速船に乗り込んでメキシコ経由で米国に亡命、2009年プロデビューを勝利で飾る。


もう一人は、正確には国を捨てたのではなく、国に捨てられた。

プロボクシングで三つの階級で世界チャンピオンになったのはいずれも敵地。しかし、三つ目でその勇姿は、ようやく母国で生中継された。



内弁慶を忌み、外弁慶を好むのはどの国でも同じだが、内弁慶でも裕福な暮らしが約束される国と、外弁慶でなければ生きていけない国は、何もかもが全く違う。

二人は、好き好んで外弁慶になったわけじゃない。

もし、二人が同じ島国でも、日本に生まれていたなら全く違う人生を歩んでいただろう。

しかし、おそらく、彼らがこの国で生まれていたなら、こんな不条理な職業に就いていたかどうかはわからない。

もし、その職業を選んだとしても、二つも金メダルを獲得したり、全て敵地で3階級制覇などは出来なかっただろう。

そもそも、この国ではそこまでやる必要などないからだ。
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理論づくめの技術体系を完成したカリブの国を捨てた男は40歳になり、その技巧を駆使するだけの反射能力はもはや失われている。

消耗と劣化は彼の骨まで犯し、不用意に被弾することが目立つようになった。

それでも、決定的なパンチは一発ももらったことがないばかりか、左右の拳に秘めた一発強打を開封した。

それは、もはや消耗でも劣化でもい、もしかしたら孵化なのかもしれない。



東シナ海の国を飛び出した鉄砲丸のような男は、14年のキャリアを積み重ねても荒々しい野生のままだ。

その長い時間は、技術を習得するよりも、敵地で戦うために張り続けた虚勢を皮膚や肉や血にすることに費やされた。

それは、もはや虚勢とは呼ばない。



オッズと専門家予想は、フィリピン人の若さと勢いを評価する一方、まだ一度も完全に破壊されたことがないキューバ人の技巧も侮れない。

火薬の匂いが立ち込める刺激的なマッチメイクは、必ずその通りの展開になる保証書ではない。

それでも、この試合のキナ臭さは滅多に嗅げる種類のものではない。
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人間の運命は、彼の個性、そのアイデンティティによって決まる。

アーネスト・ヘミングウェイの言葉だったと思うのですが、どの小説だったのか思い出せません。

運命は神が決めるのではなく、その人間の個性が決める。そんな意味の「運命論」です。

ある意味、それは「運命などない」「不運など存在しない」という叫びにも聞こえます。


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その少年の素質は、とにかく頭抜けていた。

日本代表に選ばれた中学時代に140㎞のボールを投げ、米国で開催された世界大会では4本塁打を放って大会MVP。

高校時代には球速は150㎞を超え、打っては飛距離170m級の本塁打をかっ飛ばした。

プロでもチームの主軸を任されたが、ここまで12シーズンで本塁打王はゼロ、通算打率も2割5分。ファンが描いた未来地図は、まだ描ききれていない。

どこかで運命の小さな歯車が狂ったのか。それとも、彼は元々が大谷翔平に先駆けるような才能ではなかったのか?

もちろん、まだ32歳。彼の野球人生は何一つ終わってはいない…。


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「甲子園は彼のためにあるのか」とまで言われた男のキャリアはプロに入っても、ファンの期待を上回った。

打率3割4厘、本塁打31本、打点78。私はもちろん、今日生まれた赤ん坊も、この数字を超える高卒ルーキーを目撃することは、一生ないだろう。

しかし、彼が1年目の衝撃を超えることは、ついになかった。

凡退すると激高してバットを叩き折り、内角を攻める投手を威嚇し、ときにはバットを投げて襲いかかったり、首脳陣を批判したりしながら、反社会勢力に憧れ、覚せい剤に堕ちていった。

試合が終わるごとに必ず書き込んでいた「対戦ノート」は、プロ1年目でやめてしまった。

憧れの読売に移籍すると、元所属のチームは息を吹き返したように強くなった。

驕慢と、失敗に向き合えない弱い心がなければ、彼は王貞治に迫ることができたのか?あるいはタイトルの一つでも獲ることが出来たのか?

それとも、そもそもの話、その才能はファンが勝手に見た幻覚、奥行きのない薄っぺらいものだったのだろうか?



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トレーナーを務めたジェフ・メイウェザーが「お世辞じゃない。才能なら甥っ子よりも明らかに優れている」と驚愕した天才がいた。

WBOジュニアフェザー級王者の時代、ライバル王者との統一戦が内定した。オッズは3-1、多くの専門家は「マニー・パッキャオは9ラウンドまで立っていられないだろう」と予想した。

フライ級を主戦場にしたアマ310勝10敗。プロ入り後は成長する肉体とも格闘しながらも、無敗をキープし、ジュニアフェザー、ジュニアライト級の〝フロッグ・ジャンプ(階級またぎ)〟の2階級制覇。

ライト、ジュニアウェルター級でも世界挑戦、5階級で世界トップの実力が認められた天才。

しかし、プロモートの弱さが原因の試合枯れに、体重超過の自己管理の甘さ、度重なる怪我…不運と不幸と自業自得の輪廻に巻き込まれてしまう。

あのとき、ジュニアフェザーでパッキャオ戦が実現していたなら?

あるいはライト級でファン・マヌエル・マルケスと戦うことが出来たなら?せめて、マイケル・カツディスやアンソニー・ピーターソン、エドウィン・バレロとマッチメイク出来ていたなら?

どこまでもつきまとう〝イフ〟が全て現実になっていたのなら…ドミニカ史上最高ボクサーはもう一人のパッキャオになれたのか?


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フロイド・メイウェザーという難問を解くカギを持つ男」と評価されたボクサーがいた。

メイウェザーに勝てるのは、攻撃的なファイターではない。それはディフェンス・マスターにとってオーダーメイド。

タイプの異なる防御の達人こそが、フロイドを機能不全に陥らせる唯一のキラー、それこそが彼だと言われた。

婚約者への発砲、飲酒運転、コカインまみれ、婦女暴行、殺人未遂、暴行傷害、警官とのトラブル…そんな犯罪を繰り返した挙げ句に、ようやくキャリア唯一の敗北をマジョリティデジションで喫した。

もし、フロイド同様に数え切れない前科を抱えた彼が、やはりフロイドと同じくボクシングにも集中していたなら…。

フロイドは無敗ではなかったかもしれない。




もし、彼らの運命の歯車が小さな軋みを見せなければ、大谷翔平や王貞治、マニー・パッキャオやフロイド・メイウェザーは〝二番目〟として記憶されていたのだろうか?

それとも、彼らの個性は、そもそも運命の神様のお気に召さない、破綻が予定に刷り込まれた浅薄な才能に過ぎなかったのか?
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シモーン・バイルスは「アメリカが東京2020に送り出した最大のスター選手」(ニューヨーク・タイムズ)ですが、この24歳の女性は、日本でほとんど無名といって差し支えないでしょう。

2013〜19年の世界選手権5大会で前人未到の金メダル19個を獲得、16年のリオデジャネイロ2016でも4つの金メダルに輝きます。

「史上最高の体操選手」(スーザン・ライス大統領補佐官)という表現は大袈裟ではありません。
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Simone Biles after pulling out of the women’s gymnastics team final on Tuesday.Credit...Doug Mills/The New York Times
 
そんな黄金のアスリートが、団体総合決勝で最初の跳馬を終えてまさかの棄権。

そして、その原因が肉体の負傷ではなく「自分を信じて体操を楽しめない。大きな重圧と期待に向き合えなくなってしまった」という心の問題だったことは衝撃的でした。

バイルスは「これまで不幸な事件や腎臓結石だけでなく、うつにも悩み苦しんでいたが、勝てば勝つほど巨大になる期待と重圧は耐え難いレベルに達していた。リオ五輪の後2年間競技から離れたことは正しい選択だった」(ESPN)と報道され、日本へ送り出されました。

しかし、バイルスが心と体を癒している間も、東京2020に向けて、彼女にのしかかる期待は軽くなるどころかどんどん増幅、蓄積されていました。

今年4月に「東京で五輪4種目2連覇を狙う」と宣言したのは、彼女の本意だったのでしょうか?

コロナ下で、家族や友人たちから遠く離れて戦うことになった海外の選手たちは、ただでさえ今までに経験したことがない孤独と不安の中で人生最大の大勝負に挑んでいます。

ロイター通信は大番狂わせに散った聖火リレー最終ランナーの大坂なおみにもふれ、スーパースターが抱える、あまりにも大きな重圧ついて「もっと踏み込んで考える時期だ」と問題提起。

人間の複雑な心の中の問題を、すべて同列に考えることは出来ませんが、一時競技を離れた競泳の萩野公介も「泳ぎたいのに、体が動かなかった」とその苦しみを告白しています。

もしかしたら…。

「泳がなければいけないのに、心も体も言うことを聞いてくれなかった」のではなかったのでしょうか。

心よりも肉体の方が「正直」なのかもしれません。

重圧の中には、純粋な期待とは真逆の、反吐が出るような悪意も少なくありません。

瀬戸大也に対して、プライベートな家庭内の問題と競技の結果を絡めてバカなことを言い出す、匿名の暇なバカがいますが、ああいうバカは何を考えているのでしょうか。

バカは自分がやってることが「匿名」という立場に乗っかった陰湿で愚かで、なによりも卑怯な行為であることに気づいているのでしょうか。


ボクシングの世界でも、やはりうつと戦っていたライアン・ガルシアが休養期間を経てリング復帰しますが、彼も、もっと休んでも良かったと思います。

競技を離れても、彼らが背負った巨大な期待という荷物は軽くなってくれません。

そして、彼らが「逃げ出してしまった」と後ろめたく感じているかもしれない競技の世界では、自分がいないまま新しい物語が粛々と進行してゆきます。

そんな彼らに「焦るな」という方が、無理です。

それでも、ゆっくり休めば良いのです。そのまま引退したって構わない。

また、やりたくなれば、戻れば良いだけです。
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本当の光を感じることが出来るのは、深い闇を見た彼らだけでしょう。

それは、競技に復帰して再び栄光を掴んで感じることが出来るなんて浅い話ではありません。

24歳のバイルスが世界選手権で戻ってくるのか、パリ2024で復活するのか、それは米国や体操ファンにとって注目と関心の的です。

でも、そんなこと、どうでもいいのです。一番大切なのは彼女の幸せで、それを犠牲にしてまで希求する価値など、金メダルごときにはありません。



バイルスの棄権を「悲劇」と報じるなんて、そんなの大間違いです。 

「自分を信じて体操を楽しめない 」のに、競技を続けること、それこそが、悲劇です。

彼女は、それに対して「NO 」と勇気の態度を示したのです。それは、悲劇なんかじゃありません。

シモーン・バイルスは、自分のために、前に向かって一歩踏み出したのです。
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Styles make fights,

「勝負はスタイルで決まる」。

ボクシングではよく言われることですが、これはあらゆるスポーツに当てはまります。

そして、何が起こるか誰もわからないこと、何かが起こってからその理由探しをすることも、あらゆるスポーツのお約束です。

今夜、号砲一発が響く日本選手権男子100メートル。

修羅場を潜って復活した山縣亮太と、二番手イメージが濃い多田修平。

普通に考えると山縣です。

しかし、この二人がワンツーで五輪代表切符を勝ち獲ると決まったわけではありません。

日本選手権、男子100メートルで見たいです。日本記録。

先日の山縣の記録更新はニュース速報されましたが、今夜も、そのアラーム音がテレビ画面に流れることに期待!です。


さて、日曜日のラスベガス、中谷正義がワシル・ロマチェンコ相手に番狂わせを起こしてもニュース速報は流れませんが、それが起きたらテレビの前で歓喜の雄叫びをあげるしかありません。

Styles make fights,スポーツでは何が起こるか分からない。この二つの格言を中谷は二つの拳で証明してくれるでしょう。


注目の試合、ゲイリー・ラッセルJr.の予想。

「テオフィモ・ロペスに敗れたロマチェンコには明白な復活劇が要求される。中谷はそのために格好の相手」。

ウクライナのハイテクがこれまでに苦戦した相手は、タフネスや体格で押し込んでくるファイターです。

そして、中谷はハイテクが機能不全に陥るカードを2枚とも持っています。

「この試合のKO決着は予想出来ない。判定までもつれる。ロマチェンコが勝つだろうが、勝ち方が求められる」。

どちらが勝つにせよ、KO決着はあるでしょう。ないのは、中谷が試合を諦める〝ロマチェンコ勝ち〟です。

「正直、どっちが勝つかに興味はない。ただ、ロマチェンコと再戦したい。今度は必ず勝てるから」。

ラッセルの不遇は可哀想ですが、ウェルター級挑戦など口にしたことを実行するなら注目は浴びることが出来るはず。

個人的予想は、中谷の最終回KO勝ち。

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Cheater=詐欺師、ペテン師 

スポーツ界では、最も忌み嫌われる不正行為をした選手を指す言葉です。最近では主にドーピングをした選手に向けられる言葉です。

Cheater
とみなされてしまうと、どんな偉大な業績を残していたとしても誰も認めてくれません(※)。

史上最強の打者はバリー・ボンズではありません。

史上最高のサイクリストはランス・アームストロンではありません。

ここでは、ドーピングはやっていないが、卑劣な反則行為に手を染めた9人を紹介していきます。長らく続きを書いていなかったシリーズ再開です。

(※)世界的な統括団体が存在しないボクシングは、残念ながら例外です…。


*******どんな物語にも必ず続きがあります。

スポーツの世界においてCheaterとみなされてしまうと、そこでそのアスリートは死にます。

ただ、だからといってそれで終わりじゃありません。

この「Cheaters」シリーズは、よく取りあげられるテーマで、ESPNマガジンから訳して補足したものです。

今回紹介する競馬ジョッキーSylvester Carmoucheの卑怯な行為はあまりにも有名ですが、そこで終わっていませんでした。

昨日、ニューヨークタイムズ電子版=Published April 28, 2021 Updated May 1, 2021=を読んで、カルムーチーの「その後」を知り、ちょっと感動。

Cheaterの事件簿は、ケイジャン親子の物語に昇華されていました。



罪状⑤:父に祈りを(Running for the Roses, the Record Books and His Father
Sylvester & Kendrick Carmouche
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Kendrick Carmouche at Saratoga Race Course in August.Credit...Cindy Schultz for The New York Times

Lesson1(基本の教訓)

Shortcuts have consequences.「卑怯者は必ず代償を支払うことになる」。

1990年1月11日、ルイジアナ州ラオスのヴィントンにあるデルタダウンズ競馬場には10フィート(約3.05m)先も見えないほどの濃い霧が立ち込めていた。

この日のレースで23-1のオッズをひっくり返して、24馬身差で勝利したのはシルベスター・カルムーチーが騎乗したランディングオフィサーだった。

あまりにも速すぎる。そして、他のジョッキーや競走馬と比べてあまりにも汚れていないことに、係員や獣医師は不自然に感じた。

他のジョッキーは走行中にランディングオフィサーを前方に見たことも、抜かれたこともないと口を揃えた。

スタート地点からコースを外れて最終コーナーまで、付いているはずのない馬の足跡が点々と残っていた。

カルムーチーがコースをショートカットしてゴールしたのは明らかだった。 

ルイジアナ州競馬委員会は、10年間の騎乗停止処分を科して、カルムーチーは表舞台から消えた。

ここまでが競馬誌の残る、薄汚い卑怯者の話だ。 

卑怯者の元ジョッキーは世を忍んで、辺鄙な田舎町で非公式の草競馬(ブッシュ・サーキット)で騎乗しながら生活費を稼いだ。当然、彼の家族も、彼の息子ケンドリックも。

あれから21年。62歳になったシルベスターは「取り返しのつかないことをやっちまった。真っ白な霧が私の頭の中まで重く深く立ち込めてしまった」と後悔している。
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「良かったと思えるのは、ケンドリックと一緒に過ごせたことだ。息子と、そして自分と向き合う十分な時間が与えられた」。

ルイジアナ州には非公式の草競馬が、あちこちでいくつも開催されている。父親はそこに息子を連れて行き、競馬のABCを説いた。

牧師が説教するように。いや、懺悔する罪人が許しを請うように。

フランス移民が大きなコミュニティを持つこの地域ではギャンブルやザディコ音楽、ザリガニやソーセージ、ワニ肉を混ぜたジャンバラヤ、そしてバドワイザー、ケイジャン文化が根付いている。

その根っこにあるのは、もちろん競馬だ。

エディ・デラホーセイ、ケント・デソモー、カルビン・ボレルといった殿堂入りジョッキーたちは11、12歳の頃に、なんと1万ドルの高額賞金をかけたマッチレースで技術を磨いたケイジャンジョッキーたちだ。

シルベスターもそんな血を引く一人だった。少年時代からブッシュ・サーキットのヒーローだった。
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1978年、若き日のシルベスター(前列左端)。

ここは、そんな神話の土地なのだ。

罪を犯した堕天使が贖罪を果たす。そんな物語が紡がれてもおかしくない、そんな世界が現実にある。

シェットランドポニーで何年間か反復練習を繰り返したケンドリックに特別な才能があることは、誰にでもわかった。

父親は、13歳になったケンドリックをサラブレッドに乗せ、アカジアナ・ダウンズのスターティング・ゲートのレースでデビューさせた。

結果は4頭立てのレースで2位。初めてのサラブレッドで上出来だったが「全くうまく騎乗できなかった」と悔しそうにする息子を「誰でも最初はそうだ」と父親は慰めた。

誰だってデビュー戦で、思うようには乗れない。そして惨敗する。それなのに、ケンドリックは全く思うように乗れなくても、2位だった。

16歳になったケンドリックは、ライセンスを取得した。ブッシュ・サーキットを卒業するときが来たのだ。

公式レースでも、ケンドリックは当たり前のように大活躍した。

I told him to go east.

ある日、父親は「東へゆけ」と訓示した。

彼らにとってルイジアナは心地の良いホームだったが、世界にはもっと大きな舞台がある。そこを目指せ、と。

17歳になる5日前、ケンドリックーはフィラデルフィアに拠点を移し、中部大西洋サーキットに挑戦。

そして、後に結婚することになる女性と出会い、家庭を築き、Parx Racingのマネーライダーとして活躍した。

ルイジアナ州に残ったシルベスターは資格停止期間を終えて、再び公式競馬の舞台に戻り、公認競馬1348勝、1,100万ドル以上の賞金を手にして。2013年に55歳で引退した。 

一方、ケンドリックは2015年、フィラデルフィアで5つの乗馬タイトルを獲得、父の訓示に従い、さらに東を目指す。

最東端、つまりは最高峰。

アメリカ最高峰のレースサーキット、ニューヨークに乗り込んだ。全身全霊を賭けて勝利を重ねたケンドリックの全米ランキングは7位にまで上がった。

しかし、ニューヨーク競馬協会の所属ジョッキーでケンドリックは〝異端〟だった。

ニューヨークから黒人ジョッキーを締め出したジム・クロウ法(1970年代〜1960年)の名残で、イアmでも黒人は珍しい存在のまま。

ケンドリックは「人種がこのスポーツの妨げになったことはない」と主張し、これまでに3,400以上の勝利と1億1,800万ドル以上の賞金を稼いできた。
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https://www.youtube.com/watch?v=oNNlSdkjuqA

そして、5月1日。ケンタッキーダービーにケンドリックが初騎乗する。
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ケンタッキーダービーはアメリカクラシック三冠の第1冠。ケンタッキー州ルイビルにあるチャーチルダウンズ競馬場で開催される米国最高峰のビッグイベント。

ブリーダーズカップなどを凌ぐ視聴率や観客動員数を誇り、競馬界のみならずスポーツイベントとしても非常に知名度が高く「スポーツの中で最も偉大な2分間」(The Most Exciting Two Minutes in Sports)と形容されてきた。

優勝馬にはバラのレイが掛けられることから、「ラン・フォー・ザ・ローゼス(Run for the roses)」の通称も持つ。

▶︎5月1日(土曜) チャーチルダウンズ競馬場(アメリカ合衆国) 3歳 2,000メートル ダート・左
第12レース 現地時間 18時59分(日本時間 5月2日(日曜)7時59分)発走
賞金総額 3,000,000米ドル  1着賞金 1,860,000米ドル ダート:良

 
カルムーチーの物語はまだまだ終わりそうにない。


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残念ながら13位に終わりましたが、馬の名前がバーボニック(BOURBONIC)!

他にもミッドナイトバーボンなんて馬も6位に入っています。

そういえば、感冒のためレース前日に出走取消になったキングフューリー、名前の由来はタイソン・フューリーからなんです。

そういえば高松宮記念を獲ったキンシャサノキセキなんてのもいました。
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*******競馬は興味ないのですが、ケンタッキー州ルイビルなんてもうモハメド・アリが真っ先に頭に浮かびますし、アリの物語でもケンタッキーダービーは登場するので、当地では半端な存在感じゃないのはわかります。
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ああ、それにRun for the rosesなんて、もうフォア・ローゼズが頭の中をぐるぐる回っちゃってます。


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