カテゴリ: ザ・ベスト10

自分が見ていない、そんな時代が大きく横たわるオリジナル8がこのシリーズの悩みどころです。

そんな8クラシックに数えられるフライ級。

【国内】なら白井義男しか考えられません。スタジアム興行が当たり前の注目度は、いまの大谷翔平を上回っていたのでは?

あらゆるスポーツの中で、ボクシングの世界タイトルマッチが、飛び抜けて最も格式が高い時代でした。

そんな時代というフィルターを外すと、大場政夫も相当量の熱線を放射していた気もしますが、私は彼らを知りません。

私が見た80年代以降で最もインパクトを残したのは「亀田興毅vs内藤大助」。ボクシングの人気・社会的地位が失墜した時代にとんでもない視聴率を叩き出したという一点で、亀田興毅は傑出した存在でした。

内藤からタイトルを奪った興毅は、オッズや戦前予想で有利でしたが、ポンサクレックとの決戦に完敗。この勝利でポンサクレックはPFP入り、予想通りの結果なら興毅がPFP入りしていたことは疑いようがありません。



【世界】は、PFPならヘビー級とスパーリングしていた伝説パンチョ・ビラや、史上最強のパスカル・ペレスを外せないのでしょうが、80年代以降にしぼるとユーリ・アルバチャコフとポンサクレック・ウォンジョンカムのPFPファイターでしょうか。

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特に、ユーリはPFPランキングがまだ一般的でなく、リング誌の年間表彰に組み込まれていたBEST FIGHTER POLL (1995年)で10位評価を受けました。

当時はアジアの軽量級が〝別の惑星の出来事〟だった、インターネットのなかった時代。ユーリの強さは鮮烈でした。

デジタル版のPFPで最高7位、王座返り咲き、防衛数でポンサクレックは数字上はユーリより上。

しかし、対戦相手の質はユーリ。そして、90年代にもコロコロ変わるデジタル版PFPがあったなら、ユーリは瞬間的にポンサクレック以上のポジションだったかもしれません。
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ジュニアフライ級。

欧米の関心が低い軽量級の中でも、ストロー級に次いでそのレーダーが捕捉出来ない108ポンド。

それでも、我が国ではボクシング界が送り込んだ最後の国民的英雄、具志堅用高が活躍したクラスです。

そして、井上尚弥が将来の複数階級制覇を見据えて、最初のタイトルをピックアップしたのもジュニアフライ級。

ファイティング原田に続き、アジアで3人しかいないモダン部門での殿堂入りを果たした張正九と柳明佑もジュニアフライ級のグレートでした。

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【国内】は、国民栄誉賞も取り沙汰された具志堅しか考えられません。

多くのメディアでPFP入りしている寺地拳四朗は、実力評価で具志堅を上回ると考える人が多いかもしれませんが、具志堅はリング誌の70年代PFPで10位。

拳四朗は後世、2020年代PFPで10以内の評価を得られているでしょうか?


【世界】もマイケル・カルバハルで決まり。

「五輪メダリストでプロでも成功」というチャンピオン・コースを軽量級で走り抜けた功績は大きいものの、後継者が生まれませんでした。

五輪メダリストにメキシコ系という通行手形は、軽量級で100万ドルファイターという奇跡を起こしましたが、それが限界。人気階級のスター選手には認知度も報酬もはるかに及ばず、HBOやSHOWTIMEのPPVでメインを張ることもありませんでした。

ウンベルト・ゴンザレスとの激闘、特に初戦はジュニアフライ級史上最高の試合です。


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性懲りもなく変わり映えのしない新たなシリーズの始まり、はじまり。

17階級で最も大きなインパクトを残したファイターを完全な独断と偏見で国内から1人、海外から1人選んでいきます。

選ぶのは80年代以降、つまり団体分裂と階級増殖という二重のガン細胞がこの素晴らしいスポーツを蝕み始めてからの時代しか知らない私です。

団体と階級だけでなく、団体内同一階級でも王者が乱立する4-Belt eraをどんなに嗤ってみせても、その発露は80年代でした。

そういうわけで、私がインパクトを受けたファイターは、いわゆる〝水増し階級〟の選手が多くなるはずです。

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ーーーさて、もちろん最初は【ストロー級】。

105ポンド、47.627kgのクラスは「ストロー」や「ミニフライ」「ミニマム」とさまざまな呼称を持っています。

そして、欧米では偏見と差別の目で見られがちな軽量級の中でも、特に偏見と差別を受ける〝ゲットー級〟です。

欧米どころか日本ですら「廃止しろ!」という声まで浴びせられる、風当たりの強い階級ですが、リカルド・ロペスやローマン・ゴンサレスを見てしまうと軽はずみなことは言えません。

この〝最低階級〟で最もインパクトを残したのは、井岡弘樹で異論はないでしょう。

WBC最初の王者にして、エディ・タウンゼントが手がけた最後の作品。

「ストロー級はレベルが低い」と見下されることもあった少年王者は、ジュニアフライ級で将来モダーン部門で殿堂入りすることになる当時のPFPファイター柳明佑にキャリア初、そして唯一の黒星をなすりつけたのです。

井上尚弥がオマージュを込めたトリプルアッパーの新井田豊、弘樹の甥・井岡一翔、世界最速の田中恒成、現時点では過大評価の重岡銀次朗…日本が好き勝手できる軽量級の中でも最も好き勝手しているクラスです。

【世界】に目を向けると、長らくPFPを回遊
リカルド・ロペスで、やはり文句無しか。

ロペスの凄みは、連続防衛や無敗記録よりも、簡単にKOした相手が上の階級で活躍するという、誰に勝ったのか?を明示していることに尽きます。

そして、詰め将棋のようにコンビネーションを操るローマン・ゴンサレス。

2年もPFPキングに君臨したチョコラティトは、一部の欧米のファンを「あんなに滑らかで軽快な動きは重量級では絶対無理。PFPなんて意味がない」と嘆かせました。

そして、安易な複数階級制覇が蔓延る時代で、ロペスはたったの1階級上で、チョコラティトも10ポンドの壁で別人のような姿を晒してしまいました。

彼らはレベルの低いストロー級だから卓越したパフォーマンスを見せたのではなく、105ポンドで完成しきっていたがゆえに階級の壁に敏感になってしまったのかもしれません。

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「放送100年 スポーツ名場面 歴史を彩ったヒーロー・ヒロイン 」

[総合] 午後7:30 【司会】伊集院 光、副島萌生アナウンサー 【出演】岡田結実、田口 壮、テリー伊藤、中澤佑二、増田明美、吉田沙保里 ※五十音順  

日本初のスポーツ実況はおよそ100年前、1927年にさかのぼる。現在の“夏の甲子園”に当たる当時の「全国中等学校優勝大会」がラジオで中継放送されたのが始まりだ。そして今、大リーグでの大谷翔平選手の活躍は一挙手一投足がリアルタイムで日本中に伝えられている。 プロ野球、オリンピック、大相撲、サッカー日本代表…100年の間にスポーツのさまざまな名場面がラジオ・テレビの中継放送で届けられ、数多くのヒーローやヒロインの輝きを私たちは感じ取ってきた。その歩みを多彩なゲストとともに振り返る。

⬆︎会社で録画を見ました。

野球、相撲、五輪、サッカー…日本のスポーツ史を彩ってきた競技の100年間、そのクライマックスを振り返る内容で、みんなでワイワイ言いながら楽しく見ることが出来ました。

日本でも完全マイナー競技に転落したボクシングが取り上げられなかったのは仕方がないのかもしれませんが、サッカーで「中田英寿」が一切触れられなかったことには、多くの人が違和感を覚えたようです。

もちろん、中田は「カズ」のようなエポックな存在でも「野茂英雄」のようなパイオニアでもありませんが…。


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スポーツ中継 視聴率 歴代トップ10 は、相撲やプロ野球は食い込むことができず、1位から10位までの全てで、日本人が世界に挑戦した「国際試合」が占めました。

最近の人はプロレスとボクシングがランクされているのに戸惑うかもしれませんが、力道山もファイティング原田も紛うことなき「日本代表」だったのです。

世界選手権「国際試合」「日本代表」という色彩が最も鮮烈な色彩になるのはサッカーですが、このスポーツに日本人が目覚めてからまだせいぜい30年しか経っていません。

それまで、ボクシングの世界タイトルマッチは日常的に日本人が世界に挑む姿を応援できる唯一のスポーツだったのです。

プロレスとボクシングはショーか真剣勝負かの違いこそあれ、同じ理由で没落していきました。

それはタイトルマッチの格です。国際試合としての色彩はどちらも希薄化してしまいましたが、プロレスはショーであることを受け入れ、新たなファンや魅力を創造することに成功しました。

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10階級のチャンピオンたち。いまなお誰もが知っている名前がズラリ。



一方でボクシングは団体と階級の喜劇的な増殖に対して、特に日本ではまともな議論が起きることはなく「穴王者」や「雑魚挑戦者」という表現が憚れらる空気の中で、「階級が細分化されているのはそれだけ階級の壁が大きいから」「世界王者は強い」「世界ランカーに弱い奴はいない」ということをそのまま信じているファンまで存在します。

個人競技でありながら2試合もトップ10に名前を刻んでいるファイティング原田は、いまでは考えられない異常な存在だったと想像出来ます。

原田の時代は、オリジナル8にジュニアライト級とジュニアウエルター級が加わった10階級時代でしたが、軽量級はフライ級とバンタム級、フェザー級だけ。もちろん、認定団体も一つだけの時代でした。

「サッカーなどのメジャースポーツで本物の国際試合を目の当たりにしてしまったから、ボクシングは衰退した」という意見も多く聞かれますが、このスポーツが本物の国際試合のオーラをまとっていた時代が、確かにあったのです。

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ボクシングシーンが今朝アップしたBetter late than never: A complete history of come-from-behind, last-round KOsを抄訳。

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◾️◾️◾️◾️◾️先週木曜日、東京でWBCフライ級王者寺地拳四朗が〝連勝記録〟を伸ばした。

といっても彼の連勝(7)やタイトル防衛(6)記録ではない。

拳四朗がWBA王者ユーリ阿久井政悟を12ラウンド1分31秒でストップした瞬間、「世界戦での最終回の逆転KO」が4年連続に伸ばしたのだ。

この4年、2022年(WBAセカンド・フェザー級:リー・ウッドvsマイケル・コンラン)、2023年(WBCジュニアライト級:オシャキー・フォスターvsエドュアルド・エルナンデス)、2024年(WBAフェザー級決定戦:レイモンド・フォード・オタベク・コルマトフ)、そして拳四朗vsユーリと、最終回まで採点でリードされていたファイターが逆転KOで試合をひっくり返した。

グローブルールが始まってから1973年まで、たった1回(Undisputed ミドル級:ジェイク・ラモッタ vsローラン・ドートゥイユ)しか起きていなかった「最終回逆転KO」。

ところが、1974年から1999年までの四半世紀では6回も引き起こされた。2000年から2021年までも5回。

そして、2022年からは37ヶ月で4回。


And with belts now available on every street corner, that naturally means a greater quantity of vulnerable fighters finding their way into title opportunities.〜〝世界王者〟のベルトは街角のどこでも手に入る時代だ。わかりやすくいうととんでもなく弱いファイターがタイトルにからんでいるということだ。


このトリックの最大のタネあかしは「タイトルの増殖」だ。タイトルが数えきれないほど増えた現代では、何もかもが自由自在。

グローブルール黎明期ではラウンド無制限のケースもあり、そもそも「最終回」が存在しなかった。あるいは、最終回がセットされていても採点が公開されない試合が多かった時代では「逆転KO」だったのかどうかわからなかった。◾️◾️◾️◾️◾️

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記事では、過去16回の試合が紹介、独断と偏見で5試合をピックアップします。


①1974年6月4日:輪島功一vsオスカー・アルバラード

14ラウンドまでのスコアは67−65*2/66−67で輪島。

セコンドは両目が塞がり、鼻と耳から出血していた輪島を最終回に送り出すべきではなかった。すこあこそ僅差でリードしていたものの、輪島の惨敗。

驚くべきは7ヶ月後に輪島がリベンジを果たしたことです。



②1990年3月17日:フリオ・セサール・チャベスvsメルドリック・テイラー

チャベスから見て101-108/102-107/105-104。

「残り2秒」を残して「主審(リチャード・スティール)が試合を止めた」というよりも、チャベスが68戦全勝の大記録を更新中だったことも大きな議論を呼ぶ火種になりました。



③1992年6月7日:ウンベルト・ゴンサレスvs金光善

チキータから見たスコアは103−105*2/103−104。

ソウル五輪フライ級金メダリストがチキータを母国のリングに引っ張り上げたソウルのメガファイト。

契約金1億5000万ウォン(当時の為替で2500万円)でプロ転向した金は正真正銘のエリートアマ、そしてチキータも正真正銘の叩き上げ。

最終回に倒しにかかるメキシコ人に、真っ向勝負の打撃戦で応じた金は見事でしたが…。



④2000年9月1日:ディンガン・トベラvsグレン・キャトリー

ライト級でオルズベック・ナザロフに完敗してタイトルを失ってから7年、トベラが挑んだのは5階級も上のスーパーミドル級。

マニー・パッキャオもびっくりの階級またぎを、100−108/103−105/104−104からの逆転KO。単なる「最終回逆転KO」以上に、5階級上のスーパーミドル級を攻め落としたことに驚きました。



⑤2025年3月13日:寺地拳四朗vsユーリ阿久井政悟

この試合を外すわけにはいきません。

大方の予想を覆すユーリの大健闘。

105-104*2/103-106、2者に支持されて最終回に臨んだユーリは、拳四朗の嵐の連打に巻き込まれて主審にストップされてしまいます。

海外では「ストップが早い」「主審の判断は最悪」という論調でしたが、日本のボクシングファンの多くは中村勝彦の判断に納得。

素晴らしい試合でした。




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プロボクシングには、世界最高峰や本場の舞台、つまりメジャーが米国や英国に存在しないように思えます。

実際にジュニアフェザー級までの軽量級は日本が本場で、世界最高峰と言っても差し支えないでしょう。

軽量級は欧米では人気が低く、報酬も当然低く、大きな会場でメインを張ることはレアで、メガファイトではアンダーカードに組み込まれます。

しかし、軽量級でもジュニアライト級になると玉虫模様で、人気選手がいると、日本が本場とは到底言えない状況になります。

そして、ライト級以上になると米国と英国が世界最高峰で本場、日本で好き勝手できないゾーンになります。

ストロー級からジュニアライト級までがマイナー、ライト級からヘビー級までがメジャーというと気分を損ねる人がいるかもしれません。

しかし、日本を舞台とする軽量級よりも米国や英国に遥かに報酬が高くて華やかな舞台がある、そしてそれはライト級以上の世界ーーーそれは歴然とした事実です。

同じ世界王者でも、マイナー階級とメジャー階級ではファイトマネーが全く違うのが相場なのです。

他のスポーツでは体格の向上が明らかなのに、ボクシングだけが1970年代以前よりも退化、貧弱になっている大きな原因の一つは、そこから目を逸らしているからです。

ボクシングの世界にも米国に最高峰の舞台がある。しかし、それは軽量級とは関係がない…。

例えば、井上尚弥と中谷潤人のPFP対決、その勝者が世界中のボクシング専門家やコアなマニアから高く評価されるのは間違いありません。

では、日本人ファイターがPFPにも入らないIBFウエルター級王者ジャロン・エニスに完勝したなら?エニスでなくとも、階級最弱と見られるWBC王者マリオ・バリオスに勝ったら?

あるいは、カネロ・アルバレスやオレクサンデル・ウシクに勝ったなら?

日本人が好き勝手できないメジャー階級では、スター選手相手に凱旋するのもままならず、ラスベガスのT-モバイル・アリーナややニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンに引き止められ、ヤツらがタイトルを奪い返すまで日本に帰ることはなかなか許されないでしょう。

日本人がストロー級のオスカー・コラーゾやジュニアバンタム級のバム・ロドリゲスに勝つのとは、日本はもちろん世界でも全く違う反応を示すことになります。

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インターネットなど影も形もなかった、世界が広かった時代にリング誌はもちろん、スポーツ・イラストレイテッド誌でも特集された原田。


もちろん、エデル・ジョフレに2連勝したファイティング原田や、完全敵地でビセンテ・サンルディバルをKOした柴田国明が、専門家やボクシングのディープなファンから特別な尊敬を集め続けていることも歴然とした事実ですが、カジュアルなボクシングファンはジョフレすら知りません。

メジャーへの意識が希薄で、マイナーに引き込もっている日本ボクシング界で、メジャーに爪痕を残したファイターを振り返ってゆきます。



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100 Highest-Paid Athletes in the World〜アスリート世界長者番付100傑。

この手のランキングはForbes誌が最も有名ですが、2020年からSporticoも参入。Sporticoのアスリート長者番付100傑は2022年からキックオフ、これが第4回です。

期間はカレンダーイヤーではなく、2023年6月〜2024年5月の1年間。

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まず、取り上げなければならないのは81位に井上尚弥が登場したこと。収入の内訳はSalary/ Winnings(試合報酬)が3500万ドル。ここには単純な試合以外の契約金やオールスターゲーム出場などで支払われた報酬もカウントされます。

井上の特別な点は、世界のボクシング界ではマイナーリーグである軽量級の選手であることです。

そして、それ以上に、長らくブラックボックス化されてきた日本のボクサーの収入を、海外メディアが弾き出したということは多くの人にとって嬉しい予想外だったのではないでしょうか。Sporticoはちょっと怪しいメディアで、井上の収入も大橋秀行のホラをそのまま横流しした感もありますが…。

まだアスリートの報酬がいまほど巨額ではなかった80年代以前なら、白井義男やファイティング原田、具志堅用高らもランキングされていた可能性大ですが、当時はSporticoはもちろんForbesもこの種のランキングは手がけていませんでした。

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50〜60年代に打ちまくったハンク・アーロンの年俸が約20万ドルでした。

1958年に読売に入団した長嶋茂雄の契約金が1800万円。最高年俸は5000万円弱と言われていましたからアーロンと遜色はありませんでした。

長嶋や王の年俸は他選手の要求を抑えるために実際よりも少ない金額を公表していましたから、当時は「日本の超トップが世界最高年俸」だったといえるかもしれません。

いまでは、想像もできませんが。

さて、井上はSalary/ Winningsが3500万ドル、Endorsements(スポンサー収入・競技外収入=副業で稼いだものもカウント)700万ドル、合計4200万ドルを稼いで81位にランクされました。

かつては、1位に輝くことも珍しくなかったボクシングですが、トップ10は2人。

タイソン・フューリー(1億4000万ドル+700万ドル=1億4700万ドル)で第3位。

オレクサンデル・ウシクは7位で1億2200万ドル(1億2000万ドル+200万ドル)。

カネロ・アルバレスは7300万ドル(6500万ドル+800万ドル)で20位、アンソニー・ジョシュアは6000万ドル(5000万ドル+1000万ドル)で30位、ジェイク・ポールは4800万ドル(3800万ドル+1000万ドル)で52位。

ランキング入りした6人のボクサー(一匹変なのが紛れ込んでいますが)のうち半分の3人がヘビー級。井上を除いた最軽量級でもカネロ・アルバレスのスーパーミドル級。

井上はまさに突然変異のように、8階級も下のボクシングではマイナーリーグであるジュニアフェザー級で長者番付に食い込んだのです。

人気階級とは口が裂けても言えないジュニアフェザー級ですが、井上と戦った選手や、複数の軽量級ファイターがこの種のランキングに入ってくるようなら、これは本当に素晴らしいこと。

井上はもちろん、日本のボクシングファンもそんな発展的な未来を夢見ているでしょう。


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それにしても。

サッカーやゴルフからスポーツ大富豪が生まれているのは今に始まったことではありませんが、最近の特徴的な傾向は「サウジアラビア」です。

オイルマネーに靡いたフットボーラーやゴルファーが巨額の報酬を手にしています。

そして、サウジがほとんど興味を示さない女性アスリートは100傑から姿を消してしまいました。



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ロボクシングは個人競技ですが、特定の国の組み合わせで極彩色の「民族の対決」という構図が鮮明に浮かび上がってきます。

メキシコvsプエルトリコ、米国vs英国、そして日本vs韓国…。

メキシコとプエルトリコは純粋に強烈なスポーツ(ボクシング)ライバルです。

マチズモを尊ぶメキシカンスタイルと、妙な色気を醸し出すプエルトリコのボクシングの激突は、歴史的にも世界中のボクシングファンを魅了し続けています。

一方で、日本vs韓国は単なるスポーツライバルという枠を超えて、歴史的な確執、政治的な対立と民間レベルでの親近感…背景にある複雑な感情が互いに必要以上に意識する存在になっていました。

野球やサッカーでは日韓戦は特別なマッチアップですが、ボクシングにおいては残念ながら韓国での目も当てられない衰退によって特別なライバルとは呼べなくなってしまいました。

日本よりも重く逞しい階級で活躍した頑健なコリアンファイターたち。

そのオールタイムPFP10傑を独断と偏見でランキングしてゆきます。



①金基洙(キム・キス)

韓国初の世界王者。日本でいう白井義男です。

2人の違いは、白井がフライ級、キムはジュニアミドル級と階級が大きく離れていたことです。

日本ではフライ級が「伝統の」と冠されるクラスとなりました。韓国でジュニアミドル級が「伝統の」と形容されているかどうかはわかりませんが、アジアでは重量級のゾーンにその後も世界王者を送り出し続けました。

その流れを作ったのがキムです。

タイトルを奪ったのは、なんと、あのニノ・ベンベヌチ(五輪金メダリスト/プロでジュニアミドル+ミドル2階級制覇)!

キムは1966年6月25日、韓国・ソウルでベンベヌチに挑戦、見事にWBA/WBCジュニアミドル級王者に就きました。そしてハンサムなイタリア人のデビューからの連勝も「65」で止めたのです。




黄俊錫(ファン・ジュンソク)

シュガー・レイ・レナードが返上したWBAウエルター級王座を、あのドナルド・カリーと争ったのがファンです。

80年代に繰り広げられた4KINGSを見て世界のプロボクシングに誘われた私にとって、〝ローンスターコブラ〟カリーは特別なファイターでした。

「誰がマービン・ハグラーに勝てるのか?」。

この解の一つと考えられたトーマス・ハーンズが狂気の乱打戦の末に破壊されたシーザースパレス特撮リング。

そのリングサイドで余裕の微笑みを浮かべるカリーのなんとクールだったことか!

あのとき、カリーは打倒ハグラーの一番候補でした。

海外の超弩級強豪と拳を交えたアジア人には、いつもロマンが漂っています。

カリーは結果的に超弩級の強豪ではありませんでしたが、彼が世界の中心となると多くの専門家が予想した短い時間があったこともまた事実でした。

紛うことなき超弩級の強豪アーロン・プライアーからダウンを奪った亀田昭雄は、ついに世界タイトルを掴むことは出来ませんでしたが、日本のボクシングファンにとっては世界チャンピオンよりも特別な存在です。



③朴鐘八(パク・チョンパル)

「一瞬の夏」に登場する〝強豪〟です。



この蒸し暑そうなソウルの会場、カシアス内藤のコーナーには若き日の沢木耕太郎も陣取っていました。


白仁鉄、朴政吾らに連なる韓国のミドル級山脈の高峰の一つでした。

朴政吾は尾崎富士雄に5ラウンドで仕留められるなど、日本人にも〝親近感〟のあるファイターでしたが、WBAウエルター級王者アイク・クオーティにも挑戦しました。

朴鐘八はIBFとWBAでスーパーミドル級の王者になりましたが、世界の強豪フリー・オベルには2戦して2敗、いずれもノックアウト負け。

そのオベルがマービン・ハグラーには2戦2敗2KO負け。

パクは、ハグラーやハーンズら世界の中量級がどれほど強いのかを身を持って教えてくれた伝道師でもありました。



④洪秀煥(ホン・スファン)

〝内需〟で事足りる日本では生まれることのない外弁慶ファイター。サムスンやK−POPの先駆けですな。

https://fushiananome.blog.jp/archives/37681171.html




⑤朴永均(パク・ヨンギュン)

日本のボクシングファンは、二つの階級でコンプレックスを抱えています。

一つはもちろんウエルター級。一つ上のジュニアミドル級、二つ上のミドル級には複数の世界王者を送り込んでいるというのに、この147ボンドでは誰1人としてベルトを腰に巻いていないのです。

そして、もう一つがフェザー級。一つ上のジュニアライト級には〝定期的〟に世界王者が生まれているのに、フェザー級は〝難産〟が定着してしまっています。

日本人でフェザー級のストラップを掴んだのは西城正三、柴田国明、長谷川穂積、越本隆志、粟生隆寛の5人。長谷川、越本、粟生は4団体時代のレベルの低い時代にたまたま弱い相手からタイトルを獲ったラッキー王者でした。

一方の韓国は、ボクシング衰退の一因となった80年代中盤の〝IBF王者粗製濫造〟でタイトルを獲得した呉民根と丁起栄を除くと、
朴永均と池仁珍(チ・インジン)の2人。


杉谷満の挑戦を残酷に打ち砕いたWBA王者アントニオ・エスパラゴサをブルファイトに巻き込んで圧勝したのがパク。竹田益朗、淺川誠二、松本好二という日本期待のフェザー級の挑戦も全てKOで退け、8度の防衛に成功。

そして、チは当時PFP3位、40戦無敗のWBC王者エリック・モラレスが「キャリア最高に打たれ強い相手だった」と振り返ったタフガイ。「序盤でKO負け」という大方の予想を跳ね返して、大善戦しました。

世界再挑戦はモラレスの返上で空位となった王座を敵地・英国でマイケル・ブロディと争い、0−2のMDでタイトル奪取ならず。それでも、ダイレクトリマッチで7ラウンドKO勝ち。

このタイトルは、またしても敵地・福岡で越本隆志にSDで奪われてしまいますが、その越本が初防衛戦でストップされたルディ・ロペスを破って王座返り咲き。

少し気が早いですが、井上尚弥には柴田国明のように、強豪相手に世界を驚かせるパフォーマンスを見せつけてフェザー級でもタイトルを獲って欲しいものです。




⑥張正九(チャン・ジャンク)

ついに日本人が一度も崩せなかった牙城。普通なら、このランキングの1位は張でしょう。

大橋秀行に「もし(世界評価がより高い)リカルド・ロペスと戦っていたなら張が勝つんじゃないか」と言わしめたコリアンヒーロー。

韓国人王者としては珍しく、アウエーで戦ったのは大橋秀行との再戦、1試合だけ。

これは、ライバル王者の柳明佑もそうでしたが、韓国の経済とボクシング市場が上向き、超軽量級で国民的英雄の2人にわざわざ敵地に乗り込む必要性がなくなっていたということでしょう。


張がモダーン部門での殿堂入りを果たしたとき、日本のボクシングファンは「なぜ具志堅用高より先に評価されるんだ」と悔しがりましたが、これも時代です。

後の時代になればなるほど「アジアの軽量級」という〝暗黒エリア〟に光が当てられるようになりました。

そう考えると、1960年代に活躍したファイティング原田の一発殿堂がいかに凄まじい偉業だったかがあらためてよくわかります。


⑦柳佑明(ユ・ミョンウ)

ソナギ(激しい夕立ち)と恐れられた連打の嵐で対戦相手を次々と飲み込んでいったラッシャー。

39試合のプロキャリアで、敵地で防衛したことは一度もありませんでした。

敵地に乗り込んだ2試合はいずれも、日本、相手は井岡弘樹。そして、その初戦をまさかのSDで落としてしまいます。

日本人が現役PFPファイターに勝ったサンプルは、非常にレアです。

今をときめくPFPファイター、井上尚弥も中谷潤人も現役PFPファイターに勝利したことは、一度もありません。

PFPランキングが定期的に発表されるようになったのは、1980年にリング誌が年間表彰の1カテゴリーとしてスタートさせたBEST  FIGHTER POLL(年間PFP)が最初です。

それ以前の「PFP」はファンや選手の間でも大きな関心を集めるものではありませんでした。

例えば、後世にエデル・ジョフレがリング誌などで1960年代PFP1と評価されていますから、ファイティング原田との初戦時に満場一致レベルの1位だったことは疑いようがありません。

こうした推測から「黄金のバンタムを破った男」(百田尚樹)などで、ジョフレを「PFP1位」とする表現を見かけますが、当時はPFPは全く一般的ではありませんでした。

というわけで、日本人がPFPファイターに勝利したとはっきり認められるのは「1980年以降」となります。そうしてみると、日本人のPFPファイターへの勝利は井岡弘樹だけ。

僅差の勝利、そしてすぐにタイトルを奪い返されたのは残念でしたが、柳は初井岡の高速ジャブで攻撃を寸断された初戦から、再戦ではパンチの引きが遅い井岡の欠点を突いて明白な勝利(オフィシャルはMDでしたが)。柳の対応能力の高さをまざまざと見せつけられました。



⑧文成吉(ムン・ソンギル)

完全に個人的な好みでランキング。

顔(失礼)もボクシングスタイルもエリートアマとは到底思えない、タフなラッシャーでした。

世界選手権で金メダルを獲得、プロ7戦目でWBAバンタム級王者カオコー・ギャラクシーを攻略。2度目の防衛戦では、高橋直人から大番狂せで日本バンタム級タイトルを奪った小林智昭を5ラウンドで粉砕しています。

そして、カオコーとの再戦で敗れるとジュニアバンタム級に階級を落として、ヒルベルト・ローマンからタイトルを奪ったWBA王者ナナ・コナドゥを9ラウンドで攻め落とし、逆2階級制覇。

このタイトルはローマン、グレグ・リチャードソン、イラリオ・サパタ、松村謙二ら日本のボクシングファンもよく知っているファイターを退けて9度の防衛を果たしました。



⑨朴鍾弼(パク・チョンピル)

本来ならこのリストに載るはずのない韓国国内王者レベルのファイターですが、彼はその高橋ナオトのラストマッチ(1991年1月12日)の相手でした。

あの時代のボクシングファンにとって「髙橋直人(1989年に髙橋ナオトに改名)」は特別な存在でした。

ルーベン・オリバレスと伝説の闘いを繰り広げた金沢和良が所属したアベジムに所属、狙い澄ましたナタのようなカウンターで日本王者に駆け上がった髙橋は、大手ジムのホープに見られる過保護なマッチメイクとは無縁。

しかし、そんな戯言が意味を持つのは世界タイトルを獲ってからのこと。世界王者に届かなかった髙橋は「もし大手ジムで穴王者を狙って過保護に育てられていたら?」というイフで語られることもありますが、もしそうであったなら誰も彼に思い入れしなかったでしょう。



⑩ 柳済斗(ユー・ジェド) 

日本人に最も大きなインパクトを与えた韓国人ファイターは
柳済斗で間違いないでしょう。

輪島功一との再戦は伝説を超えて神話の領域に踏み入れた、感動の名勝負。

ボクシングがメジャースポーツだった1970年代、輪島功一の魂の激闘は現在の井上尚弥や村田諒太などとは比べものにならないレベルで日本列島を熱くさせていました。

輪島とユーの再戦の翌日に都内の銀行に強盗犯が立て籠もる事件が起きます。このとき警察官が犯人に対し「輪島は逆境から立ち上がってチャンピオンになった。お前も昨日の輪島の試合を見ただろう。輪島を見習い人生をやり直せ」とメガホンに叫ぶのです。

あの試合が以下の感動的であったか、そして当時のボクシングの世界戦が国民的関心事だったことがよくわかるエピソードです。

ひるがえって現代に同じ事件が起こったとして「お前も昨日のネット配信で井上尚弥とTJドヘニーの試合を見ただろう!」と、犯人を説得する警察官は絶対にいません。

いや…「井上?TJ?何かの暗号メッセージか?」と、犯人がポッカーンとなっている隙に強行突入する作戦としてはアリかもしれません。


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◾️◾️◾️さて、あと5日に迫った井上尚弥vsキム・イェジョンのジュニアフェザー級のundisputed championship。

たとえ敗れても最後まで逃げずに諦めずに拳を振い続けることが「無駄な抵抗」などではなく、見る者の心を揺さぶる「感動」であることを見せてくれた金沢和良のような戦いぶりを、1−100のアンダードッグ、キムに期待したいと思います。




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早い業界は11月末くらいに決めちゃうこともある「重大ニュース」。

読売新聞の「読者が選んだ日本10大ニュース」は以下の通り


【第1位】石川・能登で震度7

【第2位】大谷 世界史上初の「50―50」

【第3位】パリ五輪メダル 日本45個

【第4位】新紙幣 20年ぶり

【第5位】闇バイト強盗 続発

【第6位】衆院選 与党過半数割れ

【第7位】自民新総裁に石破氏

【第8位】日航機・海保機 羽田で衝突

【第9位】ノーベル平和賞 被団協が受賞

【第10位】「紅麹」サプリで健康被害

スポーツは2位と3位に入りましたが、「日本人バンタム独占」「中谷潤人が多くのメディアでPFP入り」なんて、誰も知らないか?



そして、これ⬇︎は「横浜市の重大ニュース」。

【第1位】横浜DeNAベイスターズが日本一

【第2位】映画「帰ってきた あぶない刑事」 公開 8年ぶりの公開は横浜が舞台

【第3位】横浜市独自の「出産費用助成」「妊婦健診助成」を新たにスタート

【第4位】大規模複合商業施設「ゆめが丘ソラトス」 開業

【第5位】「地球の歩き方 横浜市」が発売 横浜ファンとともにつくる

【第6位】みなとみらい線 開業20周年

【第7位】能登半島地震の被災地支援として、のべ1500名以上の職員を派遣 

【第8位】よこはま動物園ズーラシアで10年ぶりとなるオカピの赤ちゃんが誕生

【第9位】「横浜BUNTAI」 開館

【第10位】G30以来、約20年ぶりの分別変更! 


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横浜に住んでいるので全部知っていますが、そうでない人にとっては【第1位】以外は知らないことだらけでは?

「ズーラシア」を知らない横浜市民や子供はいませんが、全国的にはほとんど無名では?同じようなコンセプトの「旭山動物園」の方が100倍有名だな…。

スポーツ関連では1位と9位。「横浜BUNTAI」の 開館が入ったのは、ちょっと意外かな。まだスタートしたばかり「横浜文化体育館」のように世界を震撼させるパフォーマンスがこれから何度も繰り広げられることを期待しています。


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世界で最も注目されるスポーツイベントは?

サッカーのW杯や、オリンピックが地球規模の興味・関心を集めているのはその圧倒的な競技人口と、国旗を背負う選手が躍動するからです。
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しかし、1970年代以前はボクシングの世界ヘビー級タイトルマッチも地球的な規模の人気と尊敬を受けていたのです。

ハリウッドまでが寵愛したのはベーブ・ルースではなく、ジャック・デンプシーでした。

デンプシーやロッキー・マルシアノ、モハメド・アリ、彼らは世界中のスポーツファンが知る名前で、彼らよりもインパクトの小さかったジーン・タニーやフロイド・パターソン、ソニー・リストンらもまた世界ヘビー級チャンピオというだけで名前を馳せたのです。

インゲマル・ヨハンソンと聞いても今のファンは誰も知らないでしょう(私もリアルタイムでは知りません)が、それでも現在のESPY賞に匹敵するSportsman of the Yearに選出されるような存在でした。

Sportsman of the Yearに輝いた最後のボクサーはシュガー・レイ・レナードで1981年のこと。もう43年も前の出来事です。

1993年からキックオフしたESPY賞に至っては2021年に大坂なおみ、2022年に大谷翔平が受賞していますがボクサーは、受賞など論外、ノミネートすらされていません。

1980年代のマイク・タイソンも地球規模のビッグネームでしたが、ボクシングそのものの社会的ステイタスは没落、ヘビー級の権威も70年代とは全く異なるものに堕ちていました。

それから現在まで、ボクシング界は一度の盛り返しもないまま低迷を続け、米国ではウエルター級やミドル級がヘビー級よりも稼げる状況まで散見されるようになってしまいます。

ウエルター級こそがPFP、そんなフロイド・メイウェザー史上最高説、マニー・パッキャオの複数階級制覇、テレンス・クロフォードや井上尚弥らのそれぞれのクラスでの〝史上初の4団体統一(Undisputed champion)〟。

ーーーあたかも素晴らしい偉業のように喧伝されていますが、PFPなど所詮は弱者の言い訳、8階級制覇なんてそもそも4団体17階級というスポーツを冒涜する異常事態の中で生み出されたもの、1団体時代はチャンピオンはほとんど例外なくUndisputed championだったのです。

さて、あと半日後に迫ったヘビー級の正当王者(Lineal champion)、リング誌、事実上のUndispeted champion、オレクサンデル・ウシクとタイソン・フューリーのメガファイト。

地球規模で、この試合にどの程度の関心が払われているでしょうか?




さて、専門メディアが「世界ヘビー級タイトルマッチの再戦」について歴史的な振り返りを行っています。

まずは、BOXINGSCENEから、Repeat or revenge: 10 great heavyweight rematches


Gene Tunney vs Jack Dempsey: REPEAT 

September 23, 1926: Tunney W10 Dempsey 

September 22, 1927: Tunney W10 Dempsey 


史上最多の12万577人が詰めかけた初戦は、まさかの大番狂せ。再戦ではデンプシーの勝利は確実と見られていました。

このときデンプシーが愛妻エリーに語った"Honey, I forgot to duck."(ダッキングをわすれてただけさ)という言葉は、55年後に暗殺事件に遭ったドナルド・レーガン大統領も心配する妻に同じ言葉を贈りました。

そういうことです。世界ヘビー級チャンピオンの言葉は、すなわち名言や流行語になった、そんな時代が存在したのです。

再戦では有名な「ロングカウント事件」で、デンプシーが連敗。




② Joe Louis vs Max Schmeling: REVENGE 
June 19, 1936: Schmeling KO10 Louis 

June 22, 1938: Louis KO1 Schmeling 


ナチスvsアメリカ、これぞ究極の代理戦争。

反ナチスのシュメリングには可哀想な役回りでした。




③ Rocky Marciano vs Ezzard Charles: REPEAT 
June 17, 1954: Marciano W15 Charles 

September 17, 1954: Marciano KO8 Charles 


初戦の判定勝利からわずか2ヶ月後の再戦。生涯全勝無敗の伝説を作るデンプシーは8ラウンドで決着をつけました。



④ Sonny Liston vs Floyd Patterson: REPEAT 
September 25, 1962: Liston KO1 Patterson 

July 22, 1963: Liston KO1 Patterson 


マイク・タイソンの先駆け、1960年代に世界最凶悪の男、ソニー・リストンは無敵に見えました。

カス・ダマトは、リストンを避けていたのは「マフィアとのつながり」と強弁していましたが、実際には「リストンには万に一つも勝てない」と恐れていたからでした。


⑤  Muhammad Ali vs Sonny Liston: REPEAT 
February 25, 1964: Ali TKO 7 Liston 

May 25, 1965: Ali KO1 Liston 

そのリストンを圧倒的不利の予想を覆して大番狂せを起こしたのが、カシアス・クレイ。

今となっては「世の中フシ穴だらけ」と笑いますが、当時は再戦でもリストン有利でした。




⑥  Muhammad Ali vs Leon Spinks: REVENGE 
February 15, 1978: Spinks W15 Ali 

September 15, 1978: Ali W15 Spinks 

モントリオール五輪でライトヘビー級の金メダルを獲ったレオン・スピンクスでも、生きる伝説アリの敵ではないといられていましたが、まさかの陥落。

36歳になったアリ、と勢いに乗る25歳のレオンの再戦は、アリがアンダードッグ。しかし、見事にリベンジ、史上初のヘビー級王座3度返り咲きを果たします。




⑦  Evander Holyfield vs Riddick Bowe: REVENGE 
November 13, 1992: Bowe W12 Holyfield 

November 6, 1993: Holyfield W12 Bowe 

イベンダー・ホリフィールド、感動の2連戦。

小さくて軽いホリフィールドが、大きくて重いボウを攻め込む姿は、WOWOWエキサイトマッチの最初のヒットでした。




⑧  Evander Holyfield vs Mike Tyson: REPEAT 

November 9, 1996: Holyfield TKO11 Tyson 

June 28, 1997: Holyfield W DQ3 Tyson 


タイソンの弱さが全て曝け出された2試合。

初戦ではBプランを持たないリングIQの低さから、ジリ貧の惨敗。再戦では記者会見から精神薄弱を露呈、試合でも愚行を犯してしまいます。


 Lennox Lewis vs Oliver McCall: REVENGE (with an asterisk) 

September 24, 1994: McCall TKO2 Lewis 

February 7, 1997: Lewis TKO 5 McCall

再戦はマッコールが挙動不審のウォーキンぐの末に号泣するという、どう見て良いのかわからない珍事に。


⑩ Lennox Lewis vs Hasim Rahman: REVENGE 
April 22, 2001: Rahman KO5 Lewis 

November 17, 2001: Lewis KO4 Rahman 

実力はあってもポカも多かったルイス。

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