2016年にモハメド・アリが天国に旅立ったとき、リング誌は特別増刊号を発行。
通常号には1年間喪に服すかのようにアリのポスターを中綴じ、その年の11月号では「THE GREATEST LIVING FIGHTERS〜WITH ALI's PASSING,WHO's THE BEST?」(アリ亡き今、存命の最高ファイターは誰だ?)を特集しました。
アリの死はCNNが大きな特集番組をいくつも流した後も、48時間ぶっ通しで追いかけるなど、誰がどう見ても〝国葬〟。
私はモハメド・アリをリアルタイムで見ていない、初めて見たのはレオン・スピンクスとの第1戦、あれでアリの偉大さを知れと言う方が無理な試合でした。
私は当時まだ小学生。どんだけすごいのか楽しみにしてたのに「アリなんて全然大したことない」というのが第一印象でした。
そこが〝最底辺〟。今の今に至るまで、アリの情報を知るたびに私の中のアリは天井知らずのGreatになってゆくのでした。
さて、すでにこのブログでも紹介済みでしょうが、THE GREATEST LIVING FIGHTERS TOP10。
2016年から2023年現在までの7年で10人のうち、3人が天国に旅立ってしまいました。
第10位は世界ヘビー級王者、ラリーホームズ。ヘビー級タイトルを丸7年、20連続防衛したグレートです。
アリのスパーリングパートナーからの大出世、それゆえに「アリのコピー」と揶揄され、そしてロッキー・マルシアノの世界王者の無敗記録「48」に迫る大記録を目前にしながら、史上初めてヘビー級王者がライトヘビー級王者(マイケル・スピンクス)に敗れるという屈辱にまみれてしまいます。
「世界ヘビー級王者はヘビー級のコンテンダー以外に負けてはいけない」。その義務を果たせなかったのでした。
第9位は、私のアイドル、マニー・パッキャオ。史上最多の8階級制覇を、驚くべき番狂せを交えながら成し遂げたアジアの大砲。
ライト(軽量)級未満のクラスにほとんど関心が払われることがない欧米で、フライ級王者からジュニアミドル級王者までノシ上がったパックマン。
予定調和のボクシング界でテレビ局とプロモーターが大切に書いた台本を破りまくった、歴史上最も空気が読めないファイターでした。
第8位はジェイク・ラモッタ。1922年にイタリア人の父とユダヤ人の母のあいだに生まれる…Prize -Fighter (拳闘職人)になるしかない環境で、その通りの道を突っ走ったレイジング・ブルです。
シュガー・レイ・ロビンソンとの激闘を知るボクシングファンが、いまどれだけいるでしょうか?
それを知らない私たちにとって、ラモッタとは「レイジング・ブル」。傑作揃いのボクシング映画の中でも最高評価を集める名作です。
2017年9月19日、フロリダ州マイアミの病院で肺炎の合併症により死去。95歳。
第7位はフロイド・メイウェザー。1996年アトランタ五輪フェザー級で銅メダル。米国ボクシングの凋落が色濃くなった時代で、フェザー級銅メダルをプロデビューの対価に換金すると、わずか2500ドルという現実に打ちのめされます。
「俺はレナードの後継者だ」というプリティーボーイの声は虚しく響くだけ。専門家評価だけが高く、20年前のレナードには注目も報酬も遠く及ばない日々が続きます。
ボブ・アラムと喧嘩別れ、マネーとしてリング外で下劣な言動を繰り返しボクシングファンから嫌われることで注目を集め、試合内容はさっぱり面白く無くなったのも関わらず、「メイが負けるところを見たい」という興味を引き出しました。
「セルフプロデュースの天才」(フォーブス誌)とは、つまりマネーは彼の仮面に過ぎないということです。
第6位はフリオ・セサール・チャベス。
メキシコの時代のフロントランナーにして、今なお最も評価が高い伝説。
「メキシカンスタイル?そんなものはない。チャベス・スタイルをそう呼ぶなら、そうだ」。
顎と両拳が鋼鉄製のアステカ戦士は、どんな強敵相手にも真っ向勝負。プエルトリコのエドウィン・ロサリオとヘクター・カマチョに圧勝し、グレグ・ホーゲンも公開処刑。
そして、メルドリック・テイラーとの「残り2秒のストップ勝利」。
カネロ・アルバレスが何階級制覇しようが、Undisputed championになろうが、JCスーパースターを超えることは出来ないでしょう。
第5位はマーベラス・マービン・ハグラー。
認定団体の確執が今以上に深かった時代のミドル級Undisputed Champion。
ヘビー級が輝きを失った1980年代、ハグラーこそが強さの象徴でした。
スポーツ・イラストレイテッド誌にならってNumber誌が創刊、米国のボクシングシーンが積極的に紹介された時代、日本でも多くのボクシングファンがハグラーを中心とするミドル級ウォーズの絢爛豪華を仰ぎ見たものでした。
2021年3月13日、66歳で逝去。ハグラーがもうこの世にいないなんて、今でも信じられません。
第4位はイベンダー・ホリフィールド。
クルーザー級とヘビー級の最難関の2階級で、いずれもUndisputed Champion。
自分よりも大きく重いヘビー級の強豪に立ち向かう姿は、日本のボクシングファンにも大きな感動を呼び、WOWOWエキサイトマッチ全盛期の〝顔〟でした。
ロスアンゼルス1984ライトヘビー(178ポンド)級の銅メダリスト、リオデジャネイロ2016で聖火リレー、米国ボクシング界に愛された最後の五輪メダリストでした。
第3位はパーネル・ウイテカ。
ロスアンゼルス1984ライト級の金メダリスト。
軽量級ゆえに、そして玄人受けするテクニシャンというメインストリームになりにくい才能でしたが、こうしたケースで登場するのが素人ファンを惑わす〝弱者の言い訳〟PFP。
フリオ・セサール・チャベスとの「史上初のPFP1位vs2位対決」は完勝に見えましたが、まさかのマジョリティードローに。
このとき、世界中のボクシングファンは「米国ボクシングは黒人の時代が終わり、メキシコの時代がすでに始まっている」という事実をあらためて思い知らされるのでした。
リングの中ではどんな強打者も空転させたスイートピーでしたが…。2019年7月14日、バージニア州バージニアビーチの交差点で自動車にはねられて亡くなってしまいます。55歳。
第2位はロベルト・デュラン。
他のメディアで同じランキングを作成すると、その多くでトップに立つであろう石の拳です。
ライト級のUndisputed championから、フロッグジャンプでウエルター級のシュガー・レイ・レナードに挑戦したとき、誰もが惨敗を予想しましたが…。
Four Kingsの総当たり戦で勝利したのは、このレナード戦だけでしたが、あのハグラーがクロスレンジでの打撃戦を嫌い、ハーンズに対してはこれ以上ない負けっぷり。
そして、32歳で24歳のWBAジュニアミドル級王者デイビー・ムーアを破壊、37歳でハーンズのジョーカーだったアイラン・バークレーを競り落としてWBCミドル級王者に。
ボクシングファンがデュランを嫌いになるのは不可能でした。
第1位は…こうなるともうシュガー・レイ・レナードしか残ってません。
「ボクシング=ヘビー級」という絶対不変の等式を崩して、ウエルター級に栄華をもたらした張本人。米国ボクシング界最後の輝き、Four Kingsのラウンドロビンを最後に制したスーパースター。
その偉業は、実質5年のブランクからいきなりのリング復帰でハグラーをSDで下した1987年4月6日の大番狂せまで。
最後の試合は、それから10年後の1997年3月1日のヘクター・カマチョ戦(5ラウンドTKO負け)。
この10年間の5試合はいずれもメガファイトだったとはいえ、一つ残らず余計なものでした。
それでも「ファイターのレガシーに引き算」はありません。THE GREATEST LIVING FIGHTERSはレナード、納得です。
この特集に大多数のファンは賛同しましたが、露骨に拒否反応を示したのがマイク・タイソンの信者たち。
今も昔も「こんなランキングはおかしい!タイソンは強い相手に弱かったんじゃない。全盛期のタイソンなら強い相手にも勝っていた!リング誌は間違ってる!」という屁理屈を捏ねくり回し、騒ぎ出すのが彼らですが、この手のランキングは十人十色の妄想です。
つまり「俺はタイソンが最強だと思うから、俺の中ではタイソンが1位。リング誌や専門家が何を言おうがどうでもええわ」という姿勢が、まさに正しいのです。
しかし、信者という奴らの脳みそではそれが出来ないんですよねぇ…。
通常号には1年間喪に服すかのようにアリのポスターを中綴じ、その年の11月号では「THE GREATEST LIVING FIGHTERS〜WITH ALI's PASSING,WHO's THE BEST?」(アリ亡き今、存命の最高ファイターは誰だ?)を特集しました。
アリの死はCNNが大きな特集番組をいくつも流した後も、48時間ぶっ通しで追いかけるなど、誰がどう見ても〝国葬〟。
私はモハメド・アリをリアルタイムで見ていない、初めて見たのはレオン・スピンクスとの第1戦、あれでアリの偉大さを知れと言う方が無理な試合でした。
私は当時まだ小学生。どんだけすごいのか楽しみにしてたのに「アリなんて全然大したことない」というのが第一印象でした。
そこが〝最底辺〟。今の今に至るまで、アリの情報を知るたびに私の中のアリは天井知らずのGreatになってゆくのでした。
さて、すでにこのブログでも紹介済みでしょうが、THE GREATEST LIVING FIGHTERS TOP10。
2016年から2023年現在までの7年で10人のうち、3人が天国に旅立ってしまいました。
第10位は世界ヘビー級王者、ラリーホームズ。ヘビー級タイトルを丸7年、20連続防衛したグレートです。
アリのスパーリングパートナーからの大出世、それゆえに「アリのコピー」と揶揄され、そしてロッキー・マルシアノの世界王者の無敗記録「48」に迫る大記録を目前にしながら、史上初めてヘビー級王者がライトヘビー級王者(マイケル・スピンクス)に敗れるという屈辱にまみれてしまいます。
「世界ヘビー級王者はヘビー級のコンテンダー以外に負けてはいけない」。その義務を果たせなかったのでした。
第9位は、私のアイドル、マニー・パッキャオ。史上最多の8階級制覇を、驚くべき番狂せを交えながら成し遂げたアジアの大砲。
ライト(軽量)級未満のクラスにほとんど関心が払われることがない欧米で、フライ級王者からジュニアミドル級王者までノシ上がったパックマン。
予定調和のボクシング界でテレビ局とプロモーターが大切に書いた台本を破りまくった、歴史上最も空気が読めないファイターでした。
第8位はジェイク・ラモッタ。1922年にイタリア人の父とユダヤ人の母のあいだに生まれる…Prize -Fighter (拳闘職人)になるしかない環境で、その通りの道を突っ走ったレイジング・ブルです。
シュガー・レイ・ロビンソンとの激闘を知るボクシングファンが、いまどれだけいるでしょうか?
それを知らない私たちにとって、ラモッタとは「レイジング・ブル」。傑作揃いのボクシング映画の中でも最高評価を集める名作です。
2017年9月19日、フロリダ州マイアミの病院で肺炎の合併症により死去。95歳。
第7位はフロイド・メイウェザー。1996年アトランタ五輪フェザー級で銅メダル。米国ボクシングの凋落が色濃くなった時代で、フェザー級銅メダルをプロデビューの対価に換金すると、わずか2500ドルという現実に打ちのめされます。
「俺はレナードの後継者だ」というプリティーボーイの声は虚しく響くだけ。専門家評価だけが高く、20年前のレナードには注目も報酬も遠く及ばない日々が続きます。
ボブ・アラムと喧嘩別れ、マネーとしてリング外で下劣な言動を繰り返しボクシングファンから嫌われることで注目を集め、試合内容はさっぱり面白く無くなったのも関わらず、「メイが負けるところを見たい」という興味を引き出しました。
「セルフプロデュースの天才」(フォーブス誌)とは、つまりマネーは彼の仮面に過ぎないということです。
第6位はフリオ・セサール・チャベス。
メキシコの時代のフロントランナーにして、今なお最も評価が高い伝説。
「メキシカンスタイル?そんなものはない。チャベス・スタイルをそう呼ぶなら、そうだ」。
顎と両拳が鋼鉄製のアステカ戦士は、どんな強敵相手にも真っ向勝負。プエルトリコのエドウィン・ロサリオとヘクター・カマチョに圧勝し、グレグ・ホーゲンも公開処刑。
そして、メルドリック・テイラーとの「残り2秒のストップ勝利」。
カネロ・アルバレスが何階級制覇しようが、Undisputed championになろうが、JCスーパースターを超えることは出来ないでしょう。
第5位はマーベラス・マービン・ハグラー。
認定団体の確執が今以上に深かった時代のミドル級Undisputed Champion。
ヘビー級が輝きを失った1980年代、ハグラーこそが強さの象徴でした。
スポーツ・イラストレイテッド誌にならってNumber誌が創刊、米国のボクシングシーンが積極的に紹介された時代、日本でも多くのボクシングファンがハグラーを中心とするミドル級ウォーズの絢爛豪華を仰ぎ見たものでした。
2021年3月13日、66歳で逝去。ハグラーがもうこの世にいないなんて、今でも信じられません。
第4位はイベンダー・ホリフィールド。
クルーザー級とヘビー級の最難関の2階級で、いずれもUndisputed Champion。
自分よりも大きく重いヘビー級の強豪に立ち向かう姿は、日本のボクシングファンにも大きな感動を呼び、WOWOWエキサイトマッチ全盛期の〝顔〟でした。
ロスアンゼルス1984ライトヘビー(178ポンド)級の銅メダリスト、リオデジャネイロ2016で聖火リレー、米国ボクシング界に愛された最後の五輪メダリストでした。
第3位はパーネル・ウイテカ。
ロスアンゼルス1984ライト級の金メダリスト。
軽量級ゆえに、そして玄人受けするテクニシャンというメインストリームになりにくい才能でしたが、こうしたケースで登場するのが素人ファンを惑わす〝弱者の言い訳〟PFP。
フリオ・セサール・チャベスとの「史上初のPFP1位vs2位対決」は完勝に見えましたが、まさかのマジョリティードローに。
このとき、世界中のボクシングファンは「米国ボクシングは黒人の時代が終わり、メキシコの時代がすでに始まっている」という事実をあらためて思い知らされるのでした。
リングの中ではどんな強打者も空転させたスイートピーでしたが…。2019年7月14日、バージニア州バージニアビーチの交差点で自動車にはねられて亡くなってしまいます。55歳。
第2位はロベルト・デュラン。
他のメディアで同じランキングを作成すると、その多くでトップに立つであろう石の拳です。
ライト級のUndisputed championから、フロッグジャンプでウエルター級のシュガー・レイ・レナードに挑戦したとき、誰もが惨敗を予想しましたが…。
Four Kingsの総当たり戦で勝利したのは、このレナード戦だけでしたが、あのハグラーがクロスレンジでの打撃戦を嫌い、ハーンズに対してはこれ以上ない負けっぷり。
そして、32歳で24歳のWBAジュニアミドル級王者デイビー・ムーアを破壊、37歳でハーンズのジョーカーだったアイラン・バークレーを競り落としてWBCミドル級王者に。
ボクシングファンがデュランを嫌いになるのは不可能でした。
第1位は…こうなるともうシュガー・レイ・レナードしか残ってません。
「ボクシング=ヘビー級」という絶対不変の等式を崩して、ウエルター級に栄華をもたらした張本人。米国ボクシング界最後の輝き、Four Kingsのラウンドロビンを最後に制したスーパースター。
その偉業は、実質5年のブランクからいきなりのリング復帰でハグラーをSDで下した1987年4月6日の大番狂せまで。
最後の試合は、それから10年後の1997年3月1日のヘクター・カマチョ戦(5ラウンドTKO負け)。
この10年間の5試合はいずれもメガファイトだったとはいえ、一つ残らず余計なものでした。
それでも「ファイターのレガシーに引き算」はありません。THE GREATEST LIVING FIGHTERSはレナード、納得です。
この特集に大多数のファンは賛同しましたが、露骨に拒否反応を示したのがマイク・タイソンの信者たち。
今も昔も「こんなランキングはおかしい!タイソンは強い相手に弱かったんじゃない。全盛期のタイソンなら強い相手にも勝っていた!リング誌は間違ってる!」という屁理屈を捏ねくり回し、騒ぎ出すのが彼らですが、この手のランキングは十人十色の妄想です。
つまり「俺はタイソンが最強だと思うから、俺の中ではタイソンが1位。リング誌や専門家が何を言おうがどうでもええわ」という姿勢が、まさに正しいのです。
しかし、信者という奴らの脳みそではそれが出来ないんですよねぇ…。