カテゴリ: 赤煉瓦

サムライ魂を持つ俺は、ネットで調べてどこかを目指すようなあざといマネはしない。

たまたまそこに見つけるから、喜びが大きいのだ。

赤煉瓦を愛でるのも、普通の日常の中で偶然出会うから、本物の喜びが味わえるのだ。

宵越しの金は持たない、武士は食わねど高楊枝…



…なんてことを言い放っていたサムライでしたが、岡山での宿泊先には迷わずここを選んでしまいました…。

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クラボウの紡績工場跡に建てられたホテル。

見事な蔦と赤煉瓦。朝食付き8500円。

8500円でサムライ魂を売ってしまった…。我ながら安い魂であります。

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初めての倉敷です。いい街です。


ユーリ阿久井政悟の町です。倉敷守安ボクシングジムまで足を伸ばそうとも思ってましたが、いろいろ予定を詰め込み過ぎました。


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このお正月に、大阪に引っ越した友人宅へお邪魔しました。

友人といっでも、横浜で野球と勉強を教えてた少年で関西の大学に進学、祖父母宅から通学してるのでした。

こういうお招きは時々あるのですが、まあ正直非常にやりにくいというか、気を使うというか。

当たり前な話、彼の祖父母とは初対面。

野球や勉強教えてるときは「考えて守れ!」「チンパンジーの方が学習能力ある!」「正解とは採点者に『俺は完璧にわかってるよ』としっかりメーセージを送ること。これじゃ『実はちょっと理解できてません』じゃ!」と罵倒していた子とは二人の関係は出来上がってるのですが、そこにご両親や祖父母の方が入ると、二人だけの関係は崩壊、私が「本当によく出来たお孫さんで」なんてその場しのぎな言葉をつないでギクシャクするのです。

そして、チンパンジーが「うわ、はじめて褒められた!横浜でこの人に散々いじめられたのに!」と笑い出すのでした。



前置きが長くなりました。

そのお宅のすぐ近くに、とんでもない赤煉瓦群を発見してしまったのです。

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高架を支える柱が赤煉瓦…と思いきや、高架には届いておらず、支えてません。

何か違和感が。

高架を潜るとすぐに古代ローマの水道橋のようなアーチが。

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こんな赤煉瓦遺構、見たことがありません。

じっくり見ても、化粧煉瓦やタイル煉瓦ではありません。

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何かがおかしい。だけど、具体的に何がおかしいのかはわからない。

あたりを探しても、遺構を裏付ける説明プレートなどは見当たりません。

この後も予定があって忙しい帰省だったので…。

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あまり時間は食えないとMMAファイターがタップするように諦めて、調べてしまいました。

「約100年前の英国の建物に使われていた煉瓦を輸入して、それを材料に装飾のアーチなどが作られた」ということでした。

感じていた違和感の正体は、わざとらしさでした。違和感は解消されましたが、本物の遺構ではなかったと知って、少し残念。
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赤煉瓦に萌える男、です。

とはいえ、事前に調べてそこわ目指そうとは思いません。

普段の仕事、生活の中で見つけるのが自分ルールです。

だから、人には「俺、赤煉瓦に夢中だから、よろしく」なんて口が裂けても言いません。

なぜか2、3人にはバレてるようなので、自分でも知らないうちに酔っ払って口が裂けていたのかもしれません。

なのですが、こんなニュースを見てしまうとウズウズしてしまいます。




【RCC中国放送 広島】国の文化審議会は24日、広島市南区にある最大級の被爆建物=旧広島陸軍被服支廠を、国の重要文化財に指定するよう文部科学大臣に答申しました。

この答申を受けて年明けには正式に指定されることとなり、保存に向けて大きく動き始めます。



赤煉瓦マニアの間では常識ですが、「関東大震災前」と「戦時中の軍事施設」の赤煉瓦はパンパねぇのであります。

年末年始、久しぶりに広島の友だちを訪ねてみますか。

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午後からは横浜でお仕事。

仕事先からは早足でも20分とかたっぷりかかる横浜地方気象台というところに「赤煉瓦の古井戸があると」聞いて、夕方で仕事を速攻終わらせて向かいます。

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おしゃれな街並みに不細工な猫が。

こんにちニャー。

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残念ながら15時は過ぎていたので、建物の中は見学できず。

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この緩やかな坂をタッタっと上がるとすぐに発見。

おお、見事な赤煉瓦。

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気象台が建つ以前、水道が引かれる前に掘られた井戸と見られています。

赤煉瓦が普及した明治10年以降、山手に水道が引かれた明治31年〜34年(1901年)の前、20年前後人々の生活を支えていたようです。

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小口積みで三層、見事な赤煉瓦です。

タイルや化粧レンガにはない風格、実用されていた存在感があります。

赤煉瓦井戸から組み上げられた水が美味しそうかどうかは別にして…。

この近くには赤煉瓦遺跡がたくさん残っていて、そこには友だち宅を訪ねたときに訪れていたのですが、まだあったか、こんな至近に。



教えてくれた会社の女子はこの近所のお嬢様学校出身で、ちょうどその小学生の女の子たちが下校していました。

まだガキのくせに、確かになんだかお上品であります。そして、すぐ近くには「アメリカ山公園」というやはり上品で立派な公園があるのでありました。

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どっから見ても上品なアメリカ山公園の入り口

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初冬だというのに薔薇みたいな花があちこちに咲いていて、いい匂いがする…。

上品な小学生たちはこの公園を通り抜けて帰るのでした。

民度の低い下品な阪神エリア育ちのわしにとって「アメリカ」といえば「アメリカ村」、その近くの公園といえば「三角公園」…個人的には、あの辺りは上品で民度の高い方だったと思っていましたが…。

「アメ横の三角公園」…横浜の「アメリカ山公園」とはもはや同じ「公園」カテゴリーに入れてはいけないほどの格差があります。

「アメ村」とは呼んでも「アメ山」とは言わないはず、多分。

姉妹都市みたいに姉妹公園みたいな交流があったとしても、「アメリカ山公園」と「アメ村三角公園」はそんな関係にはなりません。この二つの公園には、全く接点がない。モナコとマニラくらいの差がある。



それでも「三角公園」は交番が隣接してるから、治安は大阪の勝ちじゃ!

さらに「アメリカ山公園」の周囲には、一人で立ち寄ることなど到底不可能なお洒落すぎるレストランやビストロはあっても、たこ焼き屋やホルモン焼き屋は一軒も見当たりません。それに、駅から遠い、遠すぎる。


優越感なのか、敗北感なのか、妙な居心地の悪さを覚えつつ、野毛山あたりで一杯引っ掛けて帰るとするか。
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先日、仕事先の人の新居にお邪魔しました。

札幌勤務時代の取引先の方で、奥さんと男の子・女の子の双子で4人家族。

当時、大学受験だったお子様たちは今や立派な社会人。

最寄駅を降りて目当てのマンション近くまで行くと、足下に何やら怪しいマンホールが!

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むむむと、周囲を見渡すと、駅から歩いてきた遊歩道のガードレールをよく見ると、これもかなり怪しい。

このガードレールはまさに鉄道のレールを再利用しているのではないか?

これは、きっと市電がここを通っていた名残に違いありません。

なんか聞いたことがある、きっと「ぶらタモリ」あたりで詳しく放送されている気もしますが、知人宅に迫ってることも無視して、辺りを散策。

すぐにこんな橋を発見。

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ここを東急玉川線の支線、砧線(二子玉川園 - 砧本村間 2.2 km)が走っていたようです。

二子玉川(当時は二子玉川園)駅から砧本村駅間(2.2km)には中耕地、吉沢の2駅があ李ましたが、渋谷~二子玉川園間の玉川線本線と同時に1969年5月で廃線に。

戦前は、吉沢駅と砧本村駅の間にも二つの駅(伊勢宮河原駅と大蔵駅)があったというから、一駅の距離はバス停並みに短かったようです。

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もはや何の疑いようもありませえん。

ここを市電が走っていました。

そして、よく足元を見直すと…こ、これは!

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歩道両端に2本まっすぐ伸びている縦向きのブロックは、当時の線路、軌道を現しているのでしょう。

終点の砧本村間駅があった地点までも何かしらの遺構が残っているはず。我が愛する赤煉瓦の遺構もあるやもしれん!

しかし、私の到着が遅いことに、道に迷っていると思った知人から電話が何度もかかってくるのでこれ以上の追跡は断念、無念、残念。

昔話をさかなにしこたま酒飲んで、帰る頃には夜も更けてあたりは真っ暗、もう玉電のことなどどうでも良くなっているのでした。
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サウジアラビアでガヌーが大きな花火を打ち上げ、京セラドームでは得失点差でも美しく律儀な1勝1敗のタイの星勘定に戻った日本シリーズ。

ガヌーの花火は朝早いのとそもそも興味がなかったのでパス、我がタイガースの一戦はかつての戦友たちと再会で見れず。



戦友たちとの痛ましい敗戦の思い出はほじくりたくないのですが、まあ20年以上も経つと笑い話にしかなりません。

川崎のお蕎麦屋さんに席を設けてくれたのですが、電車の乗り継ぎが悪く30分ほど遅刻。川崎駅を降りたとき、目に飛び込んできたのが赤煉瓦な建造物。

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遠目に見ても歴史ある遺構には見えませんでしたが、一応確認のため目の前まで近づくとやはり最近作った化粧レンガを使ったオブジェでした。

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多張り、旧国鉄の川崎変電所として大正3年(1914年)に建造された「川崎赤煉瓦倉庫」を復元したオブフェだそうです。

この「川崎赤煉瓦倉庫」は1999年に解体されたということなので、それまではこの地に建っていたわけです。

しかし、バスターミナルに目を落とすと、何やら怪しいものが。

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わかりにくいかもしれませんが、オブジェの原型となった倉庫の正面部分がしっかり埋め込まれているではありませんか!

となると、あれに見えるはタイルではない本物の赤煉瓦です。

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間違いありません。1914年当時のガチ煉瓦です。

正面部分を倒して〝並行保存〟。このメリットは、強化工事によって外観が変わってしまうことや、工事コストを省けることでしょうか。

いや、なかなかいいものを見せてもらいました。

さらに、デザインマンホールまで発見。

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魅力的なマンホールが他にもありそうですが、すでに約束の時間はとっくに過ぎていたので、蕎麦屋に急ぎました…無念。
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多摩川河川敷に発見した、赤煉瓦土台に乗った送電鉄塔。

多摩川を跨って反対側の川崎にも伸びています。

あっち側の送電鉄塔も、その足元は赤煉瓦土台に違いない。

というわけで昨日、映画を観る前にやって来ました〝反対側〟。

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予想通り、こちらの送電鉄塔の土台も赤煉瓦でした!↓

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河川敷に鬱蒼と繁った林の中に、そいつは屹立していました。

「立入禁止」の立て札などはどこにも見当たりませんが、周囲は柵に囲まれ、それを乗り越えないと近くに寄れません。

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乗り越えたろか?とも思いましたが、大人の自制心を働かせて遠くから見るだけで我慢しました。

河川敷から住宅地に伸びる送電線、そこの鉄塔も赤煉瓦土台に乗っかってる可能性があるはずです。

赤煉瓦が魅力を放つのは、生活臭のあるところ。河川敷よりも普通の民家の横に突然と在るのが、ベストロケーションです。

そして、住宅地に…。

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しかし、その足元には赤煉瓦土台など影も形もなく、鉄骨のままコンクリート土台に突き刺さっているだけでした。


ということは、河川敷に立つ送電鉄塔だけが赤煉瓦土台に乗っているようです。

今、思いつく仮説としては「川の氾濫に対応するために〝下駄〟を履いている」というくらいですが、そのためにわざわざ赤煉瓦土台にする理由がわかりません。

住宅地の送電鉄塔も一つだけ確認しただけなので、他のものが赤煉瓦土台になっている可能性は残されています。

そんなことを考えている間に、映画館の開場時間が… 。

また、めっちゃ暇なのときに、通りがかって、思い出したら確認します。 
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初夏のお散歩で、野球場を物色。

そこで、予想外のものを見つけてしまいました。

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この送電塔の4本の足元、遠目からもわかる赤煉瓦です。

ミスマッチ感が大きい、送電塔の土台に赤煉瓦。  

踵まである草地を滑り降りて、近付いて見ます。 

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なぜ、赤煉瓦なんだ?

化粧煉瓦として使ってるわけではないでしょう。もちろん、芯まで煉瓦積みな訳はなく、鉄筋コンクリートの外側を赤煉瓦で包み込んでいるようです。

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なぜ、赤煉瓦なのだ?

仮説も想像も思い浮かばない、周囲に説明のプレートもない。

ただ、同じような送電塔が東京側にも川崎側にも立っています。あの足元を支えているのも赤煉瓦土台だとすると、とんでもない広範囲に及ぶ赤煉瓦遺構です。

今度、また時間を見つけて、ジョギングがてらに対岸も含めて送電塔巡りでもしよう。
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JR横浜線。名前だけ聞くとオシャレな沿線に思えるかもしれませんが、とんでもないローカル線です。

ホームも構内も狭い駅が圧倒的に多いのに、横浜と八王子を繋ぎ、日産スタジアムや横浜アリーナがある新横浜を擁するだけに混雑はひどいのです。

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その日産スタジアム。でかいです。

ここで「井上尚弥vs那須川天心」とか見たいです。そこまで天心が駆け上がれるか?

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コンサートやスポーツ観戦で何度も訪れている日産スタジアムですが、こんなマンホールがあることにようやく気づきました。俺は、空ばかり見ていたのであります…。



さて、そして、なぜかJAXA(宇宙航空研究開発機構)と青山学院大、麻布大学がある淵野辺です。

ここにも何度か来ていますが、私は当然の如く空ばかり見ていました。

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「RX -78-2 ガンダム はやぶさデザイン」。

こんなのがあったか…。

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「白鳥座通り」デザイン。

「こと座通り」や「カシオペア通り」「ペガサス通り」「わし座通り」など、このあたりの商店街には星座や宇宙にちなんだ名前が冠されていて、さすがJAXAのお膝元です。

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これは「はやぶさ2 カプセル帰還記念デザイン」。


そして、淵野辺から橋本へ。駅から2〜3分走ると、愛の拳士のM .Tボクシングジムがあります。

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そして、そのすぐ前にもデザインマンホールが。

ここに来たのは初めてなので、見落としていたわけではありません。

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相模原市の木、ケヤキを描いています。


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そして、カラーバージョンもすぐ近くに発見。

やはり、色が着くと映えます。

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これは、市の花である紫陽花デザイン。

ちょうどころからの季節、旬の花です。

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そして、やはりカラーバージョンもすぐに見つかりました。


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このデザインマンホールのカラーバージョンは見当たりませんでしたが、探せばありそうです。

そそて、ちょっと散策しただけで淵野辺や橋本でこんなにデザインマンホールがあるということは、もっとありますね。

相模原市、行政がデザインマンホールに夢中なのかもしれません… 。
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ゴールデンウィーク。

友達のお見舞いに千葉まで行った帰りに南千住で下車。

お目当ては「東京スタジアム」。もう存在しない大毎オリオンズのホームグラウンド、その遺構が残っているかもとお散歩しましたが、何も発見できず空振り。

しかし、「旧千住製絨所煉瓦塀」という赤煉瓦の遺構を、偶然見つけてしまいました。。

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日本のプロ野球は、メジャーリーグを追いかける歴史でした。

目指していたのは、当たり前のことですが、フィールドの中の選手たちだけでなく、スタジアムについても同じでした。

私がプロ野球に興味を持ってから、最初に「.メジャー級のスタジアム」という触れ込みでオープンしたのは、今では信じられないでしょうが西武球場でした。

その後も、メトロドームを模した東京ドームに、ボールパークを意識した楽天モバイルパーク宮城、今年話題のエスコンフィールド北海道など〝挑戦〟は絶え間なく続いています。

そんなフィールド・オブ・ドリームスの、はじめの一歩が「東京スタジアム」でした。

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千住の住宅地の真ん中に、ナイターともなると巨大な宝石のように輝くスタジアムは「光の球場」呼ばれました。

1962年完成、ダイアモンドにも天然芝を敷いたメジャー式の球場はSFジャイアンツのキャンドルスティックパークを参考にして設計されました。確かによく似ています。

1972年シーズンで閉鎖。再開が期待されながらも、5年後の1977年に解体。

「東京スタジアム」…「スタシアム」に見えるかもしれません。

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安心してください。「点々」はちゃんと下↓に付いていますよ。 (とにかく明るい安村風)
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わずか10年という短命で終わってしまった「光の球場」。もちろん、私はその姿を拝んだことは、残念ながら一度もありません。生まれる前に完成して、上京した頃にはとっくの昔に解体された後でした。

その跡地をぐるっと回ったところ「東京スタジアム」を偲ばせるものは、何一つ見当たりませんでした。

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「南千住六丁目45番1号」という住所を辿ると荒川総合スポーツセンターと南千住警察署、そしてスポーツセンターが管理する南千住野球場がありました。

このスポーツセンターのプールは、北島康介少年が通っていたことで有名です。

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きっちりマウンドもある、ベンチもある、ナイター設備まである!

立派な野球場です。ムラムラしてきますねぇ。

「東京スタジアム」の名前を継がせたいところですが、観客席がありません。

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荒川工業高校。高校時代の私となら噛み合いすぎる、悪い奴らがいっぱい巣食ってそうです…すみません、名前から勝手に連想した偏見です。


そして、至近にあるスーパー・ライフの脇に忽然と現れるのが旧千住製絨所煉瓦塀。

明治12年(1879年)創業の官営工場、千住製絨所煉瓦を取り囲んでいた煉瓦塀の一部です。煉瓦塀の建設年代は明治44年(1911年)から大正3年(1914年)頃だそうです。

富国強兵の一環として軍服用絨(毛織物)の本格的な国産化のための工場でした。

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律儀なイギリス積みの見事な赤煉瓦。「官営工場」って感じです。

エロチックではありませんが、110年以上の時空を超えて、真面目で実直なオーラを2023年に放ってくれています。

この辺り一帯が千住製絨所で、昭和36年(1961年)に閉鎖された跡地に建設されたのが、東京スタジアムだったということではないでしょうか。

となると「東京スタジアム」の痕跡を探しに歩いた時点で、この赤煉瓦塀と遭遇するのは必然だったとも言えます。

そして、私のような気まぐれ散歩人間など足元にも及ばない、散歩のプロフェッショナルである松尾芭蕉が有名な「矢立ての初め(やたてのはじめ)」を記したのが千住大橋。

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そして、千住といえば、葛飾北斎の狂信的信者である私にとって、教祖様が冨嶽三十六景で「武州千住」「隅田川関屋の里」「従千住花街眺望ノ不二」の3枚も描いている聖地でもあります。

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いやあ、北斎、ヤバいわぁ。


「おくのほそ道」で芭蕉の相棒(弟子)だったのが河合曾良。私の突発的お散歩にも小さな相棒がいましたが、それはまた別の話で。
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