カテゴリ: 赤煉瓦

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丹下健三の設計により1967年に竣工。地上13階・地下3階・塔屋2階、塔屋を含む高さ約60m。

巨大戦艦の司令塔のような塔屋が印象的です。

1967年に竣工。2002年に汐留の電通本社ビルが完成するまで電通の本社ビルでした。

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こんなオブジェも、まさに昭和。

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こんな大きなオブジェもあった、まさに昭和な建築でした。

2021年に解体。

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解体工事が始まります。解体で生じる粉塵などを防ぐため、シールドで覆われるビル。

シールドの中から解体工事の音が大音量で響いていました。

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築地のランドマークが消えてゆきます。

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さらば、昭和。



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阪神エリアが絶対的・全面的にガラが悪く、極度に民度が低いわけではありません。

宝塚歌劇のある宝塚市も阪神エリアです。また、池田市なんかも阪神エリア。

池田には、大阪教育大学附属高校という、私なんかが通っていた中学校からは学年に1人合格するかどうかという難関高校もあります。

自分のことではないので自慢になりませんが、妹が大教大池田卒。

同じ阪神間で、ガラの悪い我が高校とは何度か野球の練習試合をしてボコボコにしてやったのですが、彼らの同窓会みたいなのに招かれてしまい「ちょうどそのタイミングで大阪にいるわ」と、参加することに。

池田、やはり、民度が高い!私に「民度が高い!」と褒められても池田や宝塚の人々は全く嬉しくないでしょうけど。


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なんだか理由はわからんが、ここまでくるとあんまり好きじゃないかも…。

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そして、見つけた赤煉瓦。

むむむむ…。

赤煉瓦マニア歴4年くらい?目利きの俺は一眼見て「これ、化粧煉瓦やん」と喝破したのでした。

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案の定!島村丈!

この小綺麗な赤煉瓦の建物は、河村商店(旧加島銀行池田支店)という国登録有形文化財。
大正7年に加島銀行池田支店として、能勢街道に面して建てられ、屋根は金属葺で木造モルタル2階建。

…つまりは木造モルタル。私のような大家が見れば化粧煉瓦、タイル煉瓦であることなど一目で見抜くのである。

正面の構えは石積みと赤 煉瓦積 みで長大な柱型を表していて、窓上や柱型上部に抽象化された装飾を設けている。

設計は辰野片岡建築事務所、つまり東京駅や中之島公会堂などを手掛けた辰野金吾が関わってるということ。なるほどな面構えです。

銀行時代の金庫、接客カウンター、室内床タイルがまだ店内に残っているとのことでしたが、入り口は閉ざされてました。


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側面から見ちゃダメ!ですね。









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式典大嫌いな私ですが、結婚式は嫌いではありません。


ホテル近くの大阪府庁で赤煉瓦遺構を発見。

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旧大阪府庁舎跡から見つかった暖炉だそうです。

なんか、言われてみると暖炉な気がします。

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正面?から見るとまさに暖炉。

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年季を重ねた赤煉瓦の劣化と爛れ具合、なんとも蠱惑的です。


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庁舎のすぐ目の前は大阪城。

3〜4年前に大阪城で旧大阪砲兵工廠化学分析所の見事な赤煉瓦遺構に巡り会えましたが、すぐそばにこんな暖炉があったとは。

事前に調べておけば、あのとき一度に見ることができたんでしょうが、それは私の赤煉瓦哲学に反する行為、行き当たりばったりで良いのです。

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しかし、結婚式は疲れます。

しばらく、大阪に滞在。大阪といえばホルモン。

東京ではまず食えない部位がたくさん味わえます。

酒と合い過ぎて、たまらん。





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廃墟にはそこまで興味はないのだが、これほどの廃墟となると壮観です。

根岸森林公園は第二次世界大戦までは、競馬場として利用さ、競馬場には馬場のほかに、一時馬見所・二等馬見所・下見所などの施設がありました。

全ての施設は、アメリカ人建築家・Hモーガン(1877~1937)による設計。

モーガンは横浜山手の洋館などを手がけていますが、この一等馬見所は東北学院大学の本巻と同じ香りを漂わせています。

東北学院大、知りませんでした。

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現存している建物は、一等馬見所で昭和5年(1930年)に建設されたもの。

この威容、そして見事に絡まるツタですが、管理されていら様子が窺えない廃墟です。

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小さなおひとり様用テーブルに案内されて。

オムライスをカレーとハヤシで挟み撃ちにしたところに、スプリングバレー豊潤496 という生ビールを急襲させてみました。

ここは約60㎝四方、360㎠の天国かもしれません。


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https://fushiananome.blog.jp/archives/21902291.html

1870年(明治3年)にウィリアム・コープランドが横浜でビールに適した湧水を見つけ「スプリングバレーブルワリー」という醸造所を作りました。

スプリングバレーの由来です。

この湧水は埋め立てられてしまい、その跡地は横浜市立北方小学校になってしまっているのですが…当時の湧水を汲みだした井戸、枯れ井戸だけが今も遺っているのです。

ずっと前に見て来ましたが、赤煉瓦で組まれた見事な井戸でした。


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【倉敷観光WEB】倉敷アイビースクエア…白壁のイメージが強い美観地区も産業観光の舞台です。

綿花や米の集散地として栄えた天領の町倉敷でしたが、明治になると紡績業で再興が図られ、代官所跡に倉敷紡績所が建設されました。

本社工場を再開発し、複合文化施設として再生したのがアイビースクエア。ツタ(=アイビー)のからまる赤いレンガが目をひく敷地内には、陶芸が体験できる工房やホテルなどがあり、創業当時の原綿倉庫を利用した倉紡記念館は、当時の産業の歩みを現代に伝えています。

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ツタのからまる赤煉瓦が麗しいホテルでしたが、客室前の往時の赤煉瓦そのまんま剥き出しは圧巻でした。

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100年以上の風雪に耐えて爛れた赤煉瓦。

妖艶です、もはやエロいです。

廊下ではなく部屋の壁に取り入れて欲しかったですが、ホテルの中でこのレベルの赤煉瓦遺構を拝めるとは!

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元々が紡績工場です。

当然、真面目なイギリス積みです。

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この壁の上の方にある、オッパイみたいな二つの半球体。

これは「鉄鈴」なるもので「工場の始業・終業などの合図に使われていた」そうです。

「蒸気により鉄鈴が鳴る作動装置もそのまま残っています」とのこと。

パイプの中を蒸気が吹き上がり、鉄鈴オッパイを打ち鳴らしていたのでしょうか?

鉄鈴の下の8つの円筒はスピーカーみたいな役割?

そして、朝ごはんも美味しかったです。



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尼崎信用金庫、創業時の本店事務所である。


1897年(明治30年)頃に建てられたといいますから、もう127年前。

当初はこの場所から50m南に建てられたそうですが、新本店の建設にともない1972年(昭和47年)に現在の場所に移築したそうです。

そのときの「移築」って一体、どんな作業だったのでしょうか?

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単調な長手積みですが、煉瓦の焼きむらがいいアクセントになっています。

いつまでも遺して欲しい見事な赤煉瓦建築です。



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それにしても、人間がやり直せるように、町もまたやり直せるのである。


尼崎、永遠の無法地帯だと決めつけて申し訳ありませんでした。きっともうずっと前に更生していたのでしょう。

というか、荒んでたのは高校時代の私の方で、尼崎は何も変わっていない、尼崎は何も悪くない、のかもしれません…とチラッと思いましたが、そんなわけはない、あそこは日本のソドムでした。

そんなソドムが、住みたい街ランキングで上位に入ってそうな町に変貌してるなんて!

俺の知ってるソドムの面影は、駅前で会った女子高生の黄色い髪にしか認められませんでした。どうやらソドムは滅びたようです。

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尼崎城に隣接した公園では子ども連れのお父さん、お母さんが楽しそうに遊んでいました。

その公園の向かいに存在感たっぷりに建っているのが、阪神電鉄資材部西倉庫。

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こんな建物、昔はなかったはず…いや、尼崎には野球の試合などでそもそも5回程度しか来たことがなく、きっと当時もここに建っていたのでしょう。

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丁寧なイギリス積みです。窓を塞いだ跡でしょうか?

元々は阪神電鉄の発電所だったそうですが、建築された年数は不明で、1905年以前であるのは間違いないそうです。

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「まちかどチャーミング賞」…。

このネーミングのセンスにはソドムの面影が偲ばれます。


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中高時代によく野球の試合をやった尼崎。

ちょっとお行儀の悪い町、という印象がありましたが、いつのまにかdisciplineの行き届いた、綺麗な町になっていました。

昔はルイス・ネリみたいなクズどもがゴロゴロしてたのに…なんていいつつも、そんなクズどもと仲良く喧嘩してたのがクズな私ですが…。

もはやいつ以来なのかもわからない尼崎。

阪神地区ではそれなりの野球強豪校も多く、手強い投手も何人かいました。

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そんな〝アマ〟に今頃行こうと思い立ったのは大昔の思い出に浸るだけでなく、ネットで調べて結構な赤煉瓦遺構が存在することに気づいてしまったからでした。

昼間から駅前の立ち飲みで一杯ひっかけて、いざ出陣。

変なおっさんがあたりをキョロキョロしてるのを可哀想に思ったのか、自転車に乗った女子高生二人組が「お兄さん、何かお探し?」と声をかけてきました。

しかし、還暦前のジジイつかまえてお兄さんって…。

私が「いや、大したもんじゃなくて、赤煉瓦の建物」とぼそっと言うと、「建物やなくて壁やったらすぐそこにあんで」と教えてくれました。

私は「壁」と聞いて、住宅のきれいな赤煉瓦タイルな壁を連想し「それとちゃうわ!」と思いましたが、もう昔のクズではない、物分かりの良い大人なので口には出しません。

「ありがとう」とお礼を言って、彼女たちのいでたちを改めて眺めると…。

黄色く髪を染めて耳にイヤリング吊るしてつま先のとんがったシャチホコみたいな靴履いてる彼女たちに「女子高生から声かけられることなんてありえへんから、親父狩りされるか思ぅた」と言うと2人はケラケラ笑いながら「それやるんはもうちょっと暗くなってからやん、安心しぃー」と見事な返し。

さすがダウンタウンのお膝元。

そして、そして「すぐそこやから」と案内してくれた壁は、ネットでは見つからなかった、お寺の外壁で見事な本物の赤煉瓦だったのです。

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これはもう紛う事なきガチ煉瓦。

彼女たちが教えてくれなければ、見つけることができなかったかもしれません。

ひたすら素晴らしい!

アマというエリアと、見た目で判断してごめんよ、ド派手な女子高生よ。

彼女たちは「尼信やお城の近くまで行ったら赤煉瓦の建物もある」とも教えてくれました。

「尼信」と「お城の近く」はネットで調べて知ってましたが、お礼を言ってお別れ。

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そして、少し歩くと尼崎更生保護センターという建物の前にいた少し年上くらいの年配男性からも「何か御用ですか?」と声をかけられましたが、こっちは通りがかっただけで敷地内にも入っていません。

「いやあ3、40年前ならお世話になるとこでしたが、おかげさまでもう厚生しました」と笑うと、その男性は「すみません、見た目で判断して」。

女子高生を見た目で判断したすぐ後に、今度は自分が見た目で判断されたか…。

「お子様のことで心配された方がここでよくどうしようか迷われてることがあるので」ということでしたが、私は何の迷いもなく通り過ぎようとしていたのに…。

そんなことにはめげずに人間のクズはぐんぐん進むのでした。


そして、あらかじめ調べてしまったユニチカ記念館。

https://www.youtube.com/watch?v=tXKvoCprDBc

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期待していた以上の見事な赤煉瓦建築。

律儀なイギリス積みです。

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帰り道でも寄ってみると、日が暮れてライトアップ。



「ユニチカ記念館の大そうじ」…昨年、こんな企画があったとは。

尼崎、昔々は声かけて来るのは大抵同じ高校生男子で「何、メンチ切っとん!?」と喧嘩を売られた怖い思い出しかなく「悪い奴しか住んでない」と決めつけていましたが、すっかり小綺麗で治安の良い街になっていたようです。


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恥晒しな人生でした。

とは言いたくないですが、高校時代は思い出しても、こんな匿名ブログですら書くのも憚られることばかりでした…。

そんな、人には言えない、忘れたい思い出がある場所の一つが、尼崎です。

喧嘩の星勘定は個人的な補正も入ってるかもしれませんが、尼崎では2戦全勝2逃亡(奴らの援軍が来る前に逃げるのは負けではない=個人の感想です)。

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こんな可愛いマンホールなどありえなかった…俺の知ってる尼崎では。

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再建されたお城や、美しい公園などもなかった。

俺の知ってる、無法地帯の尼崎はどこへ行ったのだ!?

「お前が東京に行ってくれたおかげで尼崎の治安は劇的に改善した」なんて冗談を言われていましたが、こんなに変わっていたとは!

いやあ、どんな町でも立ち直れるのだ!

がんばれ!尼崎!!

これでいいのだ。
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