晴田さやかが「一緒に行きたいとこがある」と誘ったのは、廃線・閉鎖になって間もないJR福知山線(旧)でした。
いまでこそ「福知山線廃線敷ウォーク」としてハイキングコースになっていますが、当時は閉鎖区間とその周辺は立ち入り禁止。当たり前です。
「ドッジボール大のダイアモンドが転がってる」という嘘でも面白い伝説があった仁徳天皇陵の〝ハイキング〟は夜間決行でしたが、このときは深酒した翌日の午前中に〝ハイキング〟開始。
明るいうちからスタートしたのは、旧福知山線が武庫川渓谷の断崖絶壁を走る恐るべき単線で、夜間では真っ暗の廃線痕は危なくて歩けないと判断したからでした。
当然、トンネルもあるので懐中電灯などの照明は必須。そこまではわかっていましたが、どこまで危ないのか、わかってませんでした。
いま、仁徳天皇陵に夜中でゴムボートで乗り入れようとする中学生や、立ち入り禁止の断崖絶壁を走る廃線跡を歩こうとする大学生がいたら、間違いなく止めます。
ーーーいや、私の話は妄想なので実際には行ってませんよ。
妄想の中で晴田さやかと、ザザーッと山道を滑り降りて廃線跡に立ったのは、かれこれ35年近くも前のことです。
バランスを崩して線路脇に尻餅をついて滑り落ちた私が思わず「晴田、大丈夫か?」と声を上げると、しっかりと降り立った彼女は私を見下ろして「大丈夫ってそっちがゆうん?どんくさーー!」と文字通り、ケラケラコロコロと笑い転げてました。

あのとき。
今のような、4.7km程度の整備されたハイキングコースなどあるわけもなく、⬆︎こんな注意を促す立て看板もありませんでした。
そもそも、私たちが最初に歩いた廃線と、いまのウォーキングコースが完全に一致しているわけがありません。
廃線跡まで滑り降りたはいいものの、ここからどこまで行くのか、行き着いた先で〝シャバ〟に登る道はあるのか…?
今は、枕木が地面に埋まって歩きやすくなっていますが、当時は枕木も高く、何よりもほとんど全ての区間で線路が短く熔切されてはいましたが、まだ除去されていませんでした。
しかし、ハタチになったばかり(全くなってなかったかもしれんが、このあと酒を飲むのできっとハタチになってた)のバカップルは「これなら、全然行けそうやん」と武庫川渓谷の崖っぷちをナメていたのでした。
当時、どんな会話を交わしたのかしっかり覚えているわけもありませんが、待ち合わせ場所に先に到着していた晴田は「無理ゆうたのにありがとう。こんな付き合いのいい男やとわかってたら、もっと早く告白したら良かったー」…みたいなことを言ってくれました。
「一個、聞いていい?なんで俺みたいな男の第二ボタンくれってゆうたん?」
「ずっと好きやったってゆうたやん」
私は「ありがとう。俺、高校時代まで誰にもそんなこと言われたことなかったから、最初はひと間違いだと思ったし、晴田なんて野球部や陸上部の純真な男を弄んでたやん?そんな悪い女がなんで俺?と思うたよ」とからかうと、晴田は「ずっと好きやったけど、ここで殺していい?」と足元の外れかけの線路をベキベキと引き剥がして振り回そうとするのでした。
「ここなら誰も見てない。密室みたいなもんや。武庫川渓谷密室殺人事件!」と、晴田は2メートルほどの線路を振り回そうと両手に力を入れますが、さすがに鉄、立ち上げても持ち上げることはできません。
それでも、晴田は「(私がモテたんは)野球部と陸上部だけちゃうねんで!」と自慢げに笑うのでした。
高校時代、ほとんど話したことがありませんでしたが、笑ってるとこはそんなに見たことない気がしたので「こんなに笑い転げるやつだったのか」とちょっと驚きました。
ーーー青春は面白すぎてやばい。


今はこのような看板が短い間隔でズラーーッと立てられていますが、35年前はそんなもの一つもありません。
「事故の責任は持ちません」…そんなに何回も繰り返さんでも。
しかし、私たちは山肌をパラパラ落ちてくる小石に、落石がありうる危険を肌身に感じながら進んでいました…。まー、小さいとはいえ小石が落ちてきてるので、あれもあれで落石といえば落石でしたが。
・・・・卒業式以来の再会でしたが、あのとき私たちはずいぶん長い時間を離れてて、お互い大人になった気になっていました。たった数ヶ月というのに。
そして、あれから35年以上も経った2023年、つまり約35年ぶりの再会だったというのに、全く変わってない2人の間の感覚にびっくりしてしまいます。
大袈裟ではなく、あの武庫川渓谷を歩き抜けたのは、35年前じゃなくて、本当は昨日だったんじゃないかというくらいに。
これは、気心の知れた友だちには共通の感覚です。一方で、そうではない友だちだと久しぶり感が半端ないというか、お互い変わったなあ感が強烈というか…。
そんな、50年配のバカ男女が約35年ぶりに会って、いまは穏やかなハイキングコースとなった廃線跡を当時を回想しながら歩くのです。
面白すぎ。

あのときは、武庫川沿いにガードレール的なもの⬆︎はありませんでした。それ以外はあまり変わらない気もしましたが、川が近い、流れが穏やかな気もしました。
私たちはいきなり峻厳な渓谷脇の線路に滑り降りた記憶があったのですが…。
ーーー少し歩くと、ありました。渓谷のご登場です。

「この辺りは通った気がするー!」という晴田に、「もしかして、この辺りが王家の谷ちゃう?」と聞くと「そうかも!そんな気がするー!」。
武庫川渓谷の〝王家の谷〟は私たち2人だけにしか通用しないワードで、あのとき晴田が持ってきたサントリー・ロイヤルを河川敷まで降りて、川の水で割って飲んだのでした。ロイヤルの谷=王家の谷というダジャレでした。
「しかし、よう覚えてるよね、細かいとこまで、私ら。信じられへん」。
「若かったからな」。
あの当時の私たちですら「この水、飲んで大丈夫か?」という常識的な疑いはありましたが、幸い何事もありませんでした。
「でも、これもう柵が張り巡らされて、降りたらアカンて書いてある」と、晴田は少し残念そうでしたが、免疫力も衰退している50過ぎの老いぼれ2人、いまあの川の水飲んだらダメです。
「1年生の最初の授業が剣道でトーナメントみたいなことしたん覚えてる?君、すごく強かったやん」
「ちょっとだけやったことあったから」
「男子で剣道部の子が完全に君に飲まれてて、先生も言わんでええのに『野球部に負けたら恥』みたいにけしかけて。それで、君がわざと負けてん。その子が踏み込んだとき、君は面を差し出すようにスッて竹刀を外した。その子は大喜びやったけど、私にははっきりわかった」
「いや、本当に記憶にない。そもそも俺はそんなことしない気がする」
「私、学校とかウザいし面倒くさかったけど、行かなしゃーないと思って行ってたんやけど。君は何日も休んでも、しれっと登校してきて、先生からめちゃくちゃ言われても堂々としてて、私たち学校の日陰コーナーからは〝こっち側〟のヒーローみたいに見えてん」
「こっち側って…」
「私たちは〝こっち側〟。先生から可愛がられてて、品行方正、成績優秀なやつらが〝あっち側〟やん」
「まてまて、勝手に俺をそっち側に入れるな。なんか、あんまり嬉しくないぞ」
「え?自覚ないの?完全にこっち側の人間やったで」
「そうかもしれんけど、あっち側って少数派やろ?」
「(学級員とか生徒会長してた)水原なんか典型やん。君、あの女と仲良かったやん?嫉妬でぎりぎりしてたわ。こっち側の男に手ぇ出すなって」
「いや、仲良いとかそんなんなんなかったわ」
「1個上の(柔道で近畿、陸上で全国、京大行った)石川さんとか〝あっち側〟の首領やな」
「石川さんは、さん付け?」
「一応、年上やし。私、君と石川さん付き合ってると確信してたから、君に告白したら100%フラれると思っててん」
「俺とあの女のどこをどう見たら付き合ってるって思うねん…。そんなに仲良くしてた記憶はない!」
「でも、こっち側の男があっち側の女首領を落としたわけやから、それはそれとしてこっち側としては喜ぶべきことでもあって」
「まてまて、勝手に俺をそっち側にすな。なんか、俺、あっち側の方がええわ、水原とか石川さんとは事務的な会話はしてたからな。俺、あっち側や」
「いやいやいや、貴方様はこっち側の首領ですよ」
「こっち側とかあっち側とか、もうやめろ。そもそも、何を基準にあっちとかこっちとかゆうとんねん!」
「いろいろ基準はあるけど、一つは出席日数やな」
「え?そうなん…?ほんなら、俺、もう思いっきり振り切ったこっち側やないかーい!」

⬆︎王家の谷(たぶんこのあたり)⬆︎
そんな35年も前のやりとりを、2人で再現しながら歩くのである。
そして、私たちの記憶と今歩いている廃線跡がオーバーラップしてきます。
いくつかのトンネルを抜けていきます。
トンネルの中は一切、照明がありません。真っ暗です。右も左も上も下も、真っ暗闇です。


こんな見事な赤煉瓦のトンネルもあるのでした。
しかし、35年前は赤煉瓦への興味など微塵もなく、3年前に再訪(というんかなこの場合?)して気づいた次第です。
このアーチは「えんま積み」というやつか?
いやはや、見事な赤煉瓦でござる。

入り口と出口付近はまだ明かりがあります。
100m前後の短いトンネルなら、入り口から出口の光が見えますが、もっと長いトンネルになるといつ終わるかわからない真っ暗闇を懐中電灯の灯りだけで進むことになります。

これ⬆︎なんかは出口まで30m程度。これくらいなら、懐中電灯を消しても差し支えありません。
一番長いトンネルは400mを超えます。真っ暗闇の距離が長く、あとどれくらいで出口なのかもわかりません。
いまは、トンネルの入り口と出口に、トンネルの長さを教えてくれる立札がありますが、35年前にはそんなもの、あろうはずがありません。
「このトンネル、どこまで続くんだ?いくらなんでも長すぎないか?」
「崖崩れとかでトンネルが塞がってたら引き返すしかない…っていうかもう引き返すか?」
「途中でトンネルが崩落したら、俺たちどうなるんだ?」
「そもそもここまでの道のりも下は渓流、山側も土砂崩れがあってもおかしくない」
そして、山川の斜面からは、パラパラと小石が足元に落ちてくる…。
嫌な予感から膨らむ恐怖と闘いながらも、〝こっち側〟のバカップルはズンズン進んだのでした。

そして、約35年後バージョン、2023年の〝こっち側〟2人はどんどん記憶を呼び覚ましてゆきます。
⬆︎「ここ、確かに通った」。
「うん、見覚えある」。
そして、この先に〝アレ〟があることを確信するのです。
「多分(このトンネルの先)!!!」と、2人でほとんど同時に口にしました。
〝こっち側〟のバカップルのくせに、なんという正確な記憶力!
年はとっても、覚えてることは覚えているのである!

福知山線廃線敷ハイキングコースのクライマックス。
渓谷を渡る鉄橋です。
もちろん、35年前の2人はこんなものがあるなんて知らずに、いつ出口の光が見えるのかと不安になりながらトンネルを歩いて「ん?アレはなんだ?」「橋?向こうには行ける?行けない?」とか言いながら、小走りになって出口に向かったのでした。
あのとき、トンネルを出たとき、冒険を成し遂げたすごいご褒美をもらった気がして、2人で歓声を上げた気もします。


ーーーおお!…?なんだこの違和感は?
〝こっち側〟50代バカップルは違和感の正体にすぐ気づきます。
鉄橋が錆びていたからではありません。
線路が撤去されて、歩道が架けられていたからです。
35年前は、渓谷を流れる川面が枕木の隙間から見える線路を、こわごわと渡ったのでした。
「そういや、俺、あのとき自分が高所恐怖症だとはっきり認識したわ」。
いまなら歩道が敷かれて、足元から下の渓谷が見えるなんてことはありません。

35年経って、2人が再びこの鉄橋を渡るとどうなるかというと、意味もなく笑い合うだけでした。
そして35年前は、この鉄橋を渡ってホッとした私たちの鼓膜をゴオオ…と低い地鳴りが震わせ「なんか、やばいぞ」と思う間もなく大きな轟きが走り、足元が確かに揺れました。
大地震か?と思いましたが、しばらくして地鳴りも轟きも収まりました。
何が起こったのかわからず「もしかしたら大きな天災が起きて私たちの町が壊滅してるんじゃないか?」という不安に駆られて「どこか登れる山肌を探して地上に戻らねば!」と地底人に捕まった地上人が脱出するように早足になるのでした。
そして…。

この画像中央の巨岩。これが、目の前で見るといかに不自然なまでに大きいのかわかるのですが、これでは伝わらないかも知れません。
35年前の私たちは落ちたばかりのこの巨岩が噴煙を立ち昇らせている光景をまさに見たのでした。
あの地鳴りと轟きは、この巨岩が河原に落下した衝撃だったに違いありません。
その巨岩とも35年ぶりの再会。
「まだあったんや!」
「いや、あんなもん、誰も撤去でけへんて」
ハイキングコースはどこかの山肌を這い登って地上に戻る必要などなく、酒の飲めるお店と駐車場のある広場がゴールなのでした。


足湯でバシャバシャしながら、2人は「めっちゃおもろかったけど、35年前と比べるとスリルとサスペンスは全くなかったな」と、約5km、私たちの足では1時間ちょうどくらいの短いウォーキングを終えるのでした。
晴田は「35年前は、こんな足湯なかったね」と、足で湯を蹴って私に引っ掛けてきました。
「かけかえしたろか!」と一瞬思いましたが、私は「もう若くないわ」と言ってしまいました。


猪コロッケとふろふき大根。もちろん、最初は生ビール。
…やっぱり飲むんかーーい!
いまでこそ「福知山線廃線敷ウォーク」としてハイキングコースになっていますが、当時は閉鎖区間とその周辺は立ち入り禁止。当たり前です。
「ドッジボール大のダイアモンドが転がってる」という嘘でも面白い伝説があった仁徳天皇陵の〝ハイキング〟は夜間決行でしたが、このときは深酒した翌日の午前中に〝ハイキング〟開始。
明るいうちからスタートしたのは、旧福知山線が武庫川渓谷の断崖絶壁を走る恐るべき単線で、夜間では真っ暗の廃線痕は危なくて歩けないと判断したからでした。
当然、トンネルもあるので懐中電灯などの照明は必須。そこまではわかっていましたが、どこまで危ないのか、わかってませんでした。
いま、仁徳天皇陵に夜中でゴムボートで乗り入れようとする中学生や、立ち入り禁止の断崖絶壁を走る廃線跡を歩こうとする大学生がいたら、間違いなく止めます。
ーーーいや、私の話は妄想なので実際には行ってませんよ。
妄想の中で晴田さやかと、ザザーッと山道を滑り降りて廃線跡に立ったのは、かれこれ35年近くも前のことです。
バランスを崩して線路脇に尻餅をついて滑り落ちた私が思わず「晴田、大丈夫か?」と声を上げると、しっかりと降り立った彼女は私を見下ろして「大丈夫ってそっちがゆうん?どんくさーー!」と文字通り、ケラケラコロコロと笑い転げてました。

あのとき。
今のような、4.7km程度の整備されたハイキングコースなどあるわけもなく、⬆︎こんな注意を促す立て看板もありませんでした。
そもそも、私たちが最初に歩いた廃線と、いまのウォーキングコースが完全に一致しているわけがありません。
廃線跡まで滑り降りたはいいものの、ここからどこまで行くのか、行き着いた先で〝シャバ〟に登る道はあるのか…?
今は、枕木が地面に埋まって歩きやすくなっていますが、当時は枕木も高く、何よりもほとんど全ての区間で線路が短く熔切されてはいましたが、まだ除去されていませんでした。
しかし、ハタチになったばかり(全くなってなかったかもしれんが、このあと酒を飲むのできっとハタチになってた)のバカップルは「これなら、全然行けそうやん」と武庫川渓谷の崖っぷちをナメていたのでした。
当時、どんな会話を交わしたのかしっかり覚えているわけもありませんが、待ち合わせ場所に先に到着していた晴田は「無理ゆうたのにありがとう。こんな付き合いのいい男やとわかってたら、もっと早く告白したら良かったー」…みたいなことを言ってくれました。
「一個、聞いていい?なんで俺みたいな男の第二ボタンくれってゆうたん?」
「ずっと好きやったってゆうたやん」
私は「ありがとう。俺、高校時代まで誰にもそんなこと言われたことなかったから、最初はひと間違いだと思ったし、晴田なんて野球部や陸上部の純真な男を弄んでたやん?そんな悪い女がなんで俺?と思うたよ」とからかうと、晴田は「ずっと好きやったけど、ここで殺していい?」と足元の外れかけの線路をベキベキと引き剥がして振り回そうとするのでした。
「ここなら誰も見てない。密室みたいなもんや。武庫川渓谷密室殺人事件!」と、晴田は2メートルほどの線路を振り回そうと両手に力を入れますが、さすがに鉄、立ち上げても持ち上げることはできません。
それでも、晴田は「(私がモテたんは)野球部と陸上部だけちゃうねんで!」と自慢げに笑うのでした。
高校時代、ほとんど話したことがありませんでしたが、笑ってるとこはそんなに見たことない気がしたので「こんなに笑い転げるやつだったのか」とちょっと驚きました。
ーーー青春は面白すぎてやばい。


今はこのような看板が短い間隔でズラーーッと立てられていますが、35年前はそんなもの一つもありません。
「事故の責任は持ちません」…そんなに何回も繰り返さんでも。
しかし、私たちは山肌をパラパラ落ちてくる小石に、落石がありうる危険を肌身に感じながら進んでいました…。まー、小さいとはいえ小石が落ちてきてるので、あれもあれで落石といえば落石でしたが。
・・・・卒業式以来の再会でしたが、あのとき私たちはずいぶん長い時間を離れてて、お互い大人になった気になっていました。たった数ヶ月というのに。
そして、あれから35年以上も経った2023年、つまり約35年ぶりの再会だったというのに、全く変わってない2人の間の感覚にびっくりしてしまいます。
大袈裟ではなく、あの武庫川渓谷を歩き抜けたのは、35年前じゃなくて、本当は昨日だったんじゃないかというくらいに。
これは、気心の知れた友だちには共通の感覚です。一方で、そうではない友だちだと久しぶり感が半端ないというか、お互い変わったなあ感が強烈というか…。
そんな、50年配のバカ男女が約35年ぶりに会って、いまは穏やかなハイキングコースとなった廃線跡を当時を回想しながら歩くのです。
面白すぎ。

あのときは、武庫川沿いにガードレール的なもの⬆︎はありませんでした。それ以外はあまり変わらない気もしましたが、川が近い、流れが穏やかな気もしました。
私たちはいきなり峻厳な渓谷脇の線路に滑り降りた記憶があったのですが…。
ーーー少し歩くと、ありました。渓谷のご登場です。

「この辺りは通った気がするー!」という晴田に、「もしかして、この辺りが王家の谷ちゃう?」と聞くと「そうかも!そんな気がするー!」。
武庫川渓谷の〝王家の谷〟は私たち2人だけにしか通用しないワードで、あのとき晴田が持ってきたサントリー・ロイヤルを河川敷まで降りて、川の水で割って飲んだのでした。ロイヤルの谷=王家の谷というダジャレでした。
「しかし、よう覚えてるよね、細かいとこまで、私ら。信じられへん」。
「若かったからな」。
あの当時の私たちですら「この水、飲んで大丈夫か?」という常識的な疑いはありましたが、幸い何事もありませんでした。
「でも、これもう柵が張り巡らされて、降りたらアカンて書いてある」と、晴田は少し残念そうでしたが、免疫力も衰退している50過ぎの老いぼれ2人、いまあの川の水飲んだらダメです。
「1年生の最初の授業が剣道でトーナメントみたいなことしたん覚えてる?君、すごく強かったやん」
「ちょっとだけやったことあったから」
「男子で剣道部の子が完全に君に飲まれてて、先生も言わんでええのに『野球部に負けたら恥』みたいにけしかけて。それで、君がわざと負けてん。その子が踏み込んだとき、君は面を差し出すようにスッて竹刀を外した。その子は大喜びやったけど、私にははっきりわかった」
「いや、本当に記憶にない。そもそも俺はそんなことしない気がする」
「私、学校とかウザいし面倒くさかったけど、行かなしゃーないと思って行ってたんやけど。君は何日も休んでも、しれっと登校してきて、先生からめちゃくちゃ言われても堂々としてて、私たち学校の日陰コーナーからは〝こっち側〟のヒーローみたいに見えてん」
「こっち側って…」
「私たちは〝こっち側〟。先生から可愛がられてて、品行方正、成績優秀なやつらが〝あっち側〟やん」
「まてまて、勝手に俺をそっち側に入れるな。なんか、あんまり嬉しくないぞ」
「え?自覚ないの?完全にこっち側の人間やったで」
「そうかもしれんけど、あっち側って少数派やろ?」
「(学級員とか生徒会長してた)水原なんか典型やん。君、あの女と仲良かったやん?嫉妬でぎりぎりしてたわ。こっち側の男に手ぇ出すなって」
「いや、仲良いとかそんなんなんなかったわ」
「1個上の(柔道で近畿、陸上で全国、京大行った)石川さんとか〝あっち側〟の首領やな」
「石川さんは、さん付け?」
「一応、年上やし。私、君と石川さん付き合ってると確信してたから、君に告白したら100%フラれると思っててん」
「俺とあの女のどこをどう見たら付き合ってるって思うねん…。そんなに仲良くしてた記憶はない!」
「でも、こっち側の男があっち側の女首領を落としたわけやから、それはそれとしてこっち側としては喜ぶべきことでもあって」
「まてまて、勝手に俺をそっち側にすな。なんか、俺、あっち側の方がええわ、水原とか石川さんとは事務的な会話はしてたからな。俺、あっち側や」
「いやいやいや、貴方様はこっち側の首領ですよ」
「こっち側とかあっち側とか、もうやめろ。そもそも、何を基準にあっちとかこっちとかゆうとんねん!」
「いろいろ基準はあるけど、一つは出席日数やな」
「え?そうなん…?ほんなら、俺、もう思いっきり振り切ったこっち側やないかーい!」

⬆︎王家の谷(たぶんこのあたり)⬆︎
そんな35年も前のやりとりを、2人で再現しながら歩くのである。
そして、私たちの記憶と今歩いている廃線跡がオーバーラップしてきます。
いくつかのトンネルを抜けていきます。
トンネルの中は一切、照明がありません。真っ暗です。右も左も上も下も、真っ暗闇です。


こんな見事な赤煉瓦のトンネルもあるのでした。
しかし、35年前は赤煉瓦への興味など微塵もなく、3年前に再訪(というんかなこの場合?)して気づいた次第です。
このアーチは「えんま積み」というやつか?
いやはや、見事な赤煉瓦でござる。

入り口と出口付近はまだ明かりがあります。
100m前後の短いトンネルなら、入り口から出口の光が見えますが、もっと長いトンネルになるといつ終わるかわからない真っ暗闇を懐中電灯の灯りだけで進むことになります。

これ⬆︎なんかは出口まで30m程度。これくらいなら、懐中電灯を消しても差し支えありません。
一番長いトンネルは400mを超えます。真っ暗闇の距離が長く、あとどれくらいで出口なのかもわかりません。
いまは、トンネルの入り口と出口に、トンネルの長さを教えてくれる立札がありますが、35年前にはそんなもの、あろうはずがありません。
「このトンネル、どこまで続くんだ?いくらなんでも長すぎないか?」
「崖崩れとかでトンネルが塞がってたら引き返すしかない…っていうかもう引き返すか?」
「途中でトンネルが崩落したら、俺たちどうなるんだ?」
「そもそもここまでの道のりも下は渓流、山側も土砂崩れがあってもおかしくない」
そして、山川の斜面からは、パラパラと小石が足元に落ちてくる…。
嫌な予感から膨らむ恐怖と闘いながらも、〝こっち側〟のバカップルはズンズン進んだのでした。

そして、約35年後バージョン、2023年の〝こっち側〟2人はどんどん記憶を呼び覚ましてゆきます。
⬆︎「ここ、確かに通った」。
「うん、見覚えある」。
そして、この先に〝アレ〟があることを確信するのです。
「多分(このトンネルの先)!!!」と、2人でほとんど同時に口にしました。
〝こっち側〟のバカップルのくせに、なんという正確な記憶力!
年はとっても、覚えてることは覚えているのである!

福知山線廃線敷ハイキングコースのクライマックス。
渓谷を渡る鉄橋です。
もちろん、35年前の2人はこんなものがあるなんて知らずに、いつ出口の光が見えるのかと不安になりながらトンネルを歩いて「ん?アレはなんだ?」「橋?向こうには行ける?行けない?」とか言いながら、小走りになって出口に向かったのでした。
あのとき、トンネルを出たとき、冒険を成し遂げたすごいご褒美をもらった気がして、2人で歓声を上げた気もします。


ーーーおお!…?なんだこの違和感は?
〝こっち側〟50代バカップルは違和感の正体にすぐ気づきます。
鉄橋が錆びていたからではありません。
線路が撤去されて、歩道が架けられていたからです。
35年前は、渓谷を流れる川面が枕木の隙間から見える線路を、こわごわと渡ったのでした。
「そういや、俺、あのとき自分が高所恐怖症だとはっきり認識したわ」。
いまなら歩道が敷かれて、足元から下の渓谷が見えるなんてことはありません。

35年経って、2人が再びこの鉄橋を渡るとどうなるかというと、意味もなく笑い合うだけでした。
そして35年前は、この鉄橋を渡ってホッとした私たちの鼓膜をゴオオ…と低い地鳴りが震わせ「なんか、やばいぞ」と思う間もなく大きな轟きが走り、足元が確かに揺れました。
大地震か?と思いましたが、しばらくして地鳴りも轟きも収まりました。
何が起こったのかわからず「もしかしたら大きな天災が起きて私たちの町が壊滅してるんじゃないか?」という不安に駆られて「どこか登れる山肌を探して地上に戻らねば!」と地底人に捕まった地上人が脱出するように早足になるのでした。
そして…。

この画像中央の巨岩。これが、目の前で見るといかに不自然なまでに大きいのかわかるのですが、これでは伝わらないかも知れません。
35年前の私たちは落ちたばかりのこの巨岩が噴煙を立ち昇らせている光景をまさに見たのでした。
あの地鳴りと轟きは、この巨岩が河原に落下した衝撃だったに違いありません。
その巨岩とも35年ぶりの再会。
「まだあったんや!」
「いや、あんなもん、誰も撤去でけへんて」
ハイキングコースはどこかの山肌を這い登って地上に戻る必要などなく、酒の飲めるお店と駐車場のある広場がゴールなのでした。


足湯でバシャバシャしながら、2人は「めっちゃおもろかったけど、35年前と比べるとスリルとサスペンスは全くなかったな」と、約5km、私たちの足では1時間ちょうどくらいの短いウォーキングを終えるのでした。
晴田は「35年前は、こんな足湯なかったね」と、足で湯を蹴って私に引っ掛けてきました。
「かけかえしたろか!」と一瞬思いましたが、私は「もう若くないわ」と言ってしまいました。


猪コロッケとふろふき大根。もちろん、最初は生ビール。
…やっぱり飲むんかーーい!
















































