カテゴリ: 没落するアメリカボクシング

私が米国ボクシングに引き寄せられた高校時代、1980年代はすでに「Boxing is dead. (ボクシングは終わっている)」と多くのメディアで切り捨てられていました。

しかし、日本のリングしか知らなかった私の目には、きらびやかなニューヨークやラスベガスのリングがとにかく眩しく映っていました。


ーーー今夜はESPNの Roberto José Andrade Franco記者のペンによる America 250 road trip: A knockdown, drag-out fight for boxing's future(アメリカ建国250年をたどる旅:ボクシングに未来はあるのか)から概訳です。

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Manhattan Beach Pier, California


カリフォルニア、マンハッタンビーチ。

フランコ記者はエルパソの乾燥地帯の出身。蜃気楼以外に水らしいものは何も存在しないのに、水を見ると何故か故郷を思い出す。

空は曇って涼しくて、ビーチの波打ち際ではサーフィンやバレーボール、犬の散歩…人々が思い思いの時間を楽しむ風景は砂漠にはありえない、だからこそ故郷を思い出すのかもしれない。



Grand Olympic Auditorium, Los Angeles

州を跨ぐ高速道路10号線、グランド通りと18番通りの角に建つのがロスアンゼルスのグランド・オリンピック・オーディトリアム…いまはそう呼ばれていないが。

グランド・オリンピック・オーディトリアム。この建物の名前を知らないボクシングやプロレスのファンは、どこをどう探しても一人も一人も見つけることができないだろう。

駐車場に車を停めると警備員が話しかけてきたが、スペイン語だろう、私には正確に理解できなかった。言葉での意思疎通を諦めて、ESPNの社員証とカメラを見せて「伝説の建物の中を撮ってもいいか?」とゼスチュアした。

「ボクシングが死んだ」。そんなことは誰にでもわかっている。ESPNには辛うじて専門コーナーが残っているが、10年前までとは全く違う薄っぺらいものになってしまった。

ボクシングを扱うのはたとえそれが業界内のビッグファイトであっても、夜のニュースでも新聞でもネットでもない。誰も知らないボクシングのネットニュースだけだ。

この警備員も、かつてのグランド・オリンピック・オーディトリアムがボクシングやプロレスの聖地だったことを知らないだろうが、ここはメキシコ史上最高の英雄フリオ・セサール・チャベスが初めて世界タイトルを獲得した場所で、 'Requiem for a Heavyweight,' や'The Champ,' に'Raging Bull' 、そして 'Rocky' のロケ地でもあるんだ。

ここがボクシングの聖地になったのは1963年、デイビー・ムーアがリング禍で亡くなってしまい、ドジャースタジアムで試合が開催できなくなったから。ここにはそんな伝説や因縁が渦巻いてるんだ。

警備員はESPNは知っていても、ボクシングは全く興味がないようで「ここは韓国の教会で中は撮影禁止」と素っ気なく伝えてきた。

まあ、そういうことだ。一部のヒスパニックを例外に、米国ではボクシングは完全に死んだ。もう復活することはないだろう。

それでも、西海岸のハイウエイを走ってゆけば、ラスベガスがある。あそこはまだ、ボクシングが生命維持装置を付けて呼吸してるはずだ。


to be continued…


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アメリカ合衆国は移民の国、人種の坩堝といわれてきました。

そこは、イタリア、ロシア、アイルランド、ユダヤ…ヨーロッパの貧しい国や虐げられた人種の駆け込み寺でした。

ーーーただし、大英帝国を例外にして。

政治、経済、外交、そしてスポーツでアメリカ合衆国は英国を倣ってきました。フットボール、クリケット、競馬、ゴルフ、ボウリング…そこには、もちろん近親憎悪も噴き出します。

フットボールはアメリカンフットボールが創造されるなかで「サッカー」と呼ばれ、クリケットはベースボールに変身、サッカーもクリケットも彼の国ではマイナースポーツに甘んじ続けることになります。

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アメリカ建国の1776年から100年後にクイーンズベリー・ルールが整備された近代ボクシングが、米国の手で変容されることなく受け入れられた理由は、世界チャンピオンシップが確立されていたからです。

また、pugilist が最古のプロスポーツ、職業として古くから定着していたこともアメリカナイズされなかった一因でしょう。

もし、16世紀〜18世紀のスポーツ黎明期にサッカーW杯が存在していたなら、アメリカは「サッカー」としてではなく、フットボールとしてそのまま受容していたはずです。また、フットボールやクリケットの選手が職業として成立していたなら、やはりほとんど手付かずのまま新大陸でも定着していたはずです。






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「米国でボクシングがメジャー競技だった時代がある」。そう聞いて「正気か?」と感じたとしたら、私のようなモハメド・アリを知らない世代の方でしょう。ルース

しかし、これは冗談でも悪ふざけでもありません。

「米国でボクシングがメジャー競技だった時代がある」のです。そして「世界ヘビー級チャンピオンが最も尊敬される称号であった時代」が、確かに厳然として存在したのです。

The American Lens


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米国発、世界最大のスポーツメディアESPNが「The American Lens〜Iconic Moments(アメリカのカメラが捉えた時代を象徴する1枚の写真)をアップ、ニュースでも解説してくれています。

タイガー・ウッズやマイケル・ジョーダン、ベーブ・ルースを差し置いて、トップで紹介されているのがモハメド・アリ。

ウッズやジョーダンも、所詮は〝アリの子どもたち〟でしかないことが、これ以上ないわかりやすさで伝わってきます。

ここではシュガー・レイ・レナードもマイク・タイソンもオスカー・デラホーヤも、ボクシングがマイナーの坂道を転がり始めてから出現したファイターたちに出番が与えられることはありません。


この250年間、アメリカのスポーツとは何だったのか?

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1776年7月4日、アメリカ合衆国が誕生して250年を迎えました。

250歳は、国家としてはけして高齢ではありません。徳川幕府の治世にも遠く及ばない、非常に若い国です。

250年前、まだMLBもNFLもありませんでした。そもそも太平洋は遥か彼方、フロンティアがスタートもしていない時代です。
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スポーツは英国からもたらされたものに限定されていました。ゴルフ、競馬、クリケット、サッカー、ボウリング…そしてボクシング。




米国だけではなく、その誕生に深く関わった英国でも250年目のアニバーサリーに、スポーツの視点からも数多くの考察が発表されています。

私の人生において、TIME誌やSports Illustrated誌、格は一気に落ちますが個人的には最も精読したThe RING誌などの洋雑誌と高校図書館で出会ったことは最も衝撃的な〝事件〟でした。


アメリカ合衆国250年のスポーツシーンの輪郭を、さまざまなメディアからピースを拾い集めてパズルを完成させ、明らかにしたいと思います。

…長くなるぞ、これ。


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6月27日 ニューヨーク・ブルックリン 
バークレイズ・センター

WBA/WBOジュニアミドル級12回戦

©︎ザンダー・ザヤス(プエルトリコ/23歳/23-0, 13KOs)
vs
ジャロン・エニス(米国/29歳/35-0, 31KOs)




ザンダー・ザヤスがウエルター級のホープとしてトップランクと大型契約したのは2019年、わずか16歳のとき。7年前のトップランクはいまほど落ちぶれていませんでした。


温室の中に慎重に敷かれた線路の上を徐行してきたザヤスは二線級を相手にアルファベットタイトルをピックアップするも、米国ボクシングのステイタスは泥沼に沈降するばかりで「人気階級のプエルトリカン」という通行手形の価値はフェリックス・トリニダードやミゲール・コットの時代から悲惨なまでに暴落していました。

時期尚早と見られたジャロン・エニスとの大一番に挑んだのは、そんな背景もあったでしょう。

オープニングラウンドからダウンを喫しながらも第3ラウンドには見せ場も作ったザヤスは、エニスが認めたように「非常に勇敢」でした。それでも、実力差は如何ともし難く、挑戦者から猛攻を受けた第7ラウンドにはイヤ倒れ、主審に「止めてくれ」と目線を送ってゲームオーバー。

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エニスはバージル・オルティスとの階級最強決定戦へ進むと見られていますが、それにしても世間の中の関心の低さが目立ちます。



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バム・ロドリゲスは「アントニオ・バルガスを最大の尊敬で讃えたい。私が想像していた以上に速くて強くて、気持ちが入っていた」と振り返りながらも「初回からタイミングが合っていた。いつか倒せると確信しながら、その時を待っていたんだ」。

初回からいつもの多彩なアングルとパンチの種類でバルガスをコントロール。それでも、第2ラウンドには捨て身のバルガスの勇敢な突進に押し込まれる場面も。

第5ラウンド、サイドに回るバムを追いきれないバルガスがついに左を被弾でダウン。バムが繰り出すパンチの精度とキレは、もはや別次元。

そして第6ラウンド、バムのサイドステップが重く見えたのは疲れていたからではありません。追い詰められた王者を仕留める最後のトラップです。バルガスの攻撃に、小さな左ショートをカウンター。

ゲームオーバー。

公式採点は3者とも48−46。

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スタッツは「打たせずに打つ」バムがプラスマイナス(着弾率ー被弾率)で10.0と〝KO中毒患者〟井上尚弥らも下回る数値まで悪化。

パンチの総数はバルガスが412発で、バムの311を101も上回りましたが、ヒットは98発(着弾率23.8%)にとどまりました。総数で下回ったバムでしたが、ヒットは105発で逆転、着弾率はさすがの33.8%。


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日本時間のきょうは、モハメド・アリ(1942年1月17日〜2016年6月3日)の10周忌です。

ボクシングから距離を取るTHE ATHLETICやESPNといったスポーツのトップメディアがこぞってトリビュートしました。

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10年前はスポーツ・イラストレイテッド誌やリング誌はもちろん、TIME誌やPeople誌など非スポーツ誌でも通常号の他に特別増刊号まで発行、CNNなど主要メディアも24時間を超えてアリの偉業や葬列を放送、まさに〝国葬〟でした。

特に、リング誌は翌年までアリの試合ポスターを挟み込んで1年間を〝喪に服しました〟。

そして、きょうの10周忌。リング誌電子版では、10周忌に関する記事はまだ見当たりません。

サウジアラビア出身でなぜか「熱狂的なボクシングファン」を自認する、あの長官はもしかしたらアリを知らないのでしょうか?

イスラム圏でも偉人と尊敬されるアリを知らないわけがないのですが…。


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UFCが米国建国250周年を記念する祝賀行事の一環としてホワイトハウスでは6月14日(日本時間15日)に開催する「UFC freedom 250」大会の仮設アリーナ建設が進んでいます。



米国ではとっくの昔にボクシングはNo.1格闘技ではなく、人気でも市場規模でもUFCを最高峰とするMMAの後塵を拝しています。

認定団体と階級の増殖によって、タイトルの価値は暴落一方。体重超過でタイトルを失っても、またすぐ別のタイトルに挑戦できる、そもそも高い価値など無いから剥奪されても痛くも痒くもない。

認定団体が独断で作るランキングや、そこをベースに開催されるタイトルマッチはデタラメだらけ。

そして、高度な技術を応酬する試合よりも、野次馬的関心を煽る茶番劇の方が大きな興行となり、選手報酬も高額になり、もはやボクシングをスポーツとして扱う理由を探すのが難しい状況にまでなっています。



ーーー私が米国ボクシングに惹き寄せられた1980年代。すでにボクシングは斜陽スポーツと言われていました。

しかし、サッカーも野球も最高峰へのアタックが封印されていた時代、世界で戦う日本人を応援できるのはボクシングだけだったこともあり、日本ではまだメジャースポーツ。具志堅用高は政府が国民栄誉賞を検討するほどのヒーローでした。

そして、米国ボクシング。モハメド・アリを知らない私が見たテレビ大阪やテレビ東京が映し出したラスベガス・シーザースパレスの熱狂、日米の雑誌から読んだ活字からは、ボクシングが斜陽だとは到底実感できませんでした。


あれから、40年。米国と日本のボクシングの40年間をフラッシュバックしてゆきます。


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リング誌のアニバーサリー号から眺めるボクシングの景色、第2回です。

1992年2月号。創刊70周年特別号。1922年の創刊から7つのディケイドを辿って振り返る、なかなか見応えのある特集です。

それぞれの10年間でFighter Of The Decade(最優秀ボクサー) とPersonality Of The Decade(この10年を象徴するボクサー)を選んでいるのもユニークで、今回はここをピックアップしてご紹介。

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[1920年代]

Fighter Of The Decade:ベニー・レナード
…ジャック・デンプシーを選ばないのは難しい判断だったが、よりボクサーとして優れていたのはレナード。ヘビー級以外の選手で、世界中に知られた初めてのボクサーでもある。

Personality Of The Decade:ジャック・デンプシー
…1920年代をベーブ・ルースの時代と見るのは間違っていないが、当時のボクシングはメジャースポーツ、荒れ狂う20年代はデンプシーの時代でもあった。



[1930年代]

Fighter Of The Decade:ヘンリー・アームストロング
…もはや誰も並ぶことが許されない本物の3階級制覇。フェザー、ライト、ウエルター。もちろん3つともUndisputed champion。ウエルター級では11連続防衛。

Personality Of The Decade:ジョー・ルイス
…善悪の分別があった古き良き時代のチャンピオン。「ルイスは黒人に誇りを与えたとされるが、そうではない。ルイスは人類に誇りを与えたのだ」(伝説のスポーツライター ジミー・キャノン)。



[1940年代]

Fighter Of The Decade:ジョー・ルイス
…第二次世界大戦が始まる前に13度、兵役から戻ってから25まで偉大な記録を伸ばした。この記録はいまなお(ヘビー級の)防衛記録だ。

Personality Of The Decade:マイク・ジェイコブス
…ブロードウェイでチケットをさばき、テックス・リカードのアドバイザーもつとめたジェイコブスほどボクシング界を支配したぷろもーたーはいない。


[1950年代]

Fighter Of The Decade:シュガー・レイ・ロビンソン
…説明不要。

Personality Of The Decade:シュガー・レイ・ロビンソン
…人気ではロッキー・マルシアノだが、近代ボクシングを完成させたシュガー・レイの功績はマイケル・ジョーダンにも匹敵する。


[1960年代]

Fighter Of The Decade:モハメド・アリ
…1964年2月25日、五輪金メダリストのカシアス・クレイがソニー・リストンを大番狂せでKO、ボクシングの歴史が変わった。徴兵拒否で全盛期にブランクを作らなければ、シュガー・レイのボクシングをさらに発展させていたかもしれない。

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 1960年代最高ボクサー、アリの対抗馬は〝黄金のバンタム〟エデル・ジョフレ

Personality Of The Decade:モハメド・アリ
…ボクシングの枠を超えても、アリは1960年代の象徴だった。



[1970年代]

Fighter Of The Decade:モハメド・アリ
…1970年代、アリは全盛期の山を下っていた。ロベルト・デュランやカルロス・モンソンの方が優れていたという意見があるなら、受け入れよう。しかし、70年代のアリこそがFighter。60年代よりも、さらにドラマティックな試合を見せてくれた。

Personality Of The Decade:ドン・キング
…70年代、ボブ・アラムと共に登場した異色のプロモーターで、元凶悪犯罪者。モハメド・アリ。ジョージ・フォアマン、ラリー・ホームズ、ロベルト・デュランを傘下に収め、1977年にはヘビー級トーナメントで犯罪的スキャンダルを引き起こした。


===1970年代のおまけ===

各年代で「ALL -STAR TEAM」を発表していますが、日本人は60年代まで選ばれていなかったので割愛してました。

しかし!刮目して見よ!!!⬇︎⬇︎⬇︎

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ジュニアミドル級で輪島功一、ジュニアフライ級で具志堅用高がランクイン!




[1980年代]

Fighter Of The Decade:シュガー・レイ・レナード
…デュランとの再戦、トーマス・ハーンズとの史上最高の名勝負、マービン・ハグラーを陥落させた奇跡。最強のライバルに恵まれることは稀れだが、そこで勝ち抜けるのはもっと稀れだ。歴史に残るグレートだ。

Personality Of The Decade:マイク・タイソン
…貧民街から世界王者へ。バックステップを学ばないまま、一面的な戦い方しかできないが、リングの中でも外でも凶悪な男。90年代に再び輝きを取り戻せるだろうか?



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リング誌のアニバーサリーから、ボクシングの風景を駆け足で眺めていきます。

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1972年2月号は創刊50周年特集号。

WBAからWBCが1960年代末に分離独立してから間もなく、当時はオリジナル8にジュニアミドル級、ジュニアウエルター級とジュニアライト級が加わった11階級。両団体のランキングも、現代のように大きく乖離したデタラメではなく「世界ランカーに弱い奴はいない」と言えた時代です。

「WBAとWBCを合わせて世界王者が20人もいるなんて気が狂いそうだ」なんて、今のボクシングファンが聞いたら耳を疑うような記事が踊っていた時代です。

せっかくの節目の号ですが、当たり前のようにPFPランキングなどありません。まだ、まともなランキングとチャンピオンシップが存在していましたから、「階級を関係なしに」なんてヘンテコ妄想がわく土壌はありませんでした。

当時、リング誌の王者はジュニアミドル級は認めず、ジョー・フレイジャー(ヘビー級)、ボブ・フォスター(ライトヘビー級)、カルロス・モンソン(ミドル級)、ホセ・ナポレス(ウエルター級)、アルフォンソ・フレイジャー(ジュニアウェルター級)、ケン・ブキャナン(ライト級)、アルフレド・マルカーノ(ジュニアライト級)、柴田国明(フェザー級)、ラファエル・ヘレラ(バンタム級)、エルビト・サラバリア(フライ級)の10人。

ランキングに入った日本人ファイターは輪島功一(ミドル級6位)、門田新一(ライト級)、岩田健二(ジュニアライト級)、西城正三(フェザー級)、大場政夫(フライ級2位)。日本人の平均的な体格は今よりもずっと貧弱だったはずなのに、どうですか?このバランスの良さ。

当時はストロー級もジュニアフライ級もジュニアバンタム級もジュニアフェザー級もなかったとはいえ、現代のボクシング界は「獲りやすいレベルの低い超軽量級狙い」にあまりにも傾倒しすぎです。「それ、欧米では無視されてる階級ですよ」と言えるメディアがいないのも問題で、ボクシングだけがどんどん栄養失調になってしまうのです。





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1982年2月号は60周年。⬆︎
この翌年、北米ボクシング連盟(NABF)がWBAから分離独立してIBFが発足することになります。

前述の11階級からジュニアフライ級、ジュニアフェザー級、ジュニアバンタム級が追加され14階級制に。

「人気のない軽量級の細分化は風当たりが少ないからといって無茶苦茶するな」というファンの怒りは認定団体に届くはずもなく、翌年にはIBFがスタート、団体と階級の増殖がますます加速、各団体のランキングはデタラメ沼にハマり込み、ボクシングのステイタスがさらに失墜してしまうことを多くのファンはまだ知りません。

リング誌が認めたのはジュニアフライ級とジュニアバンタム級を除く12階級。

王者はラリー・ホームズ(ヘビー級)、ドワイト・ブラクストン(ライトヘビー級)、マービン・ハグラー(ミドル級)、シュガー・レイ・レナード(ジュニアミドル級)、シュガー・レイ・レナード(ウエルター級)、アーロン・プライアー(ジュニアウエルター級)、アレクシス・アルゲリョ(ライト級)、サムエル・セラノ(ジュニアライト級)、サンバドール・サンチェス(フェザー級)、ウィルフレド・ゴメス(ジュニアフェザー級)、ジェフ・チャンドラー(バンタム級)、アントニオ・アベラル(フライ級)。

三原正(ミドル級10位)、上原康恒(ジュニアライト級6位)、村田英次郎(バンタム級6位)、ハリケーン照(バンタム級10位)、渡嘉敷勝男(フライ級4位)。








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