カルロス・クアドラスは乾杯を喫した坪井智也を評して「(日本語で)スゴイハヤイ。経験が足りないかもしれないが、帝拳で練習すれば必ず勝つと思う。バム・ロドリゲスに匹敵するスピードがあるが、まだまだ経験が足りない。そこを補えばバムとも戦えるだろう」と語りました。
「まだまだ経験が足りない」とは、具体的にはどういうことでしょうか?。
坪井に足らないとされる「経験」がアマチュア経験ではないことは確かです。
現時点でバム・ロドリゲスを除くと、坪井に対してアンダードッグにならない115パウンダーは存在しません。そんな境地に立つ坪井は本当に「経験が足りない」のでしょうか?

ワシル・ロマチェンコがプロ2戦目でオルランド・サリドに挑戦したとき「ロマチェンコには経験が足りない」という声はほとんど聞かれなかったどころか、オッズも予想も圧倒的に五輪2連覇など396勝1敗という信じがたいアマチュア戦績を持つ当時26歳のウクライナ人が圧倒的に有利と見られていました。
世界選手権金メダリストという共通点はあるものの、ロマチェンコと坪井のアマチュア実績は次元が違ったことは事実です。では、坪井が東京五輪で金メダルを獲っていたなら「経験が足りない」とは言われなかったのでしょうか?
ちなみに、軽量オーバーでタイトルを剥奪されたサリドにスプリットデジションで敗れたロマチェンコに対して、いくつかの日本のメディアは「経験不足」と指摘していました。
ロマチェンコが苦戦したのは「経験が足りなかった」のではなく「サリドの体重が不正に足りすぎていた」から、そしてロマがプロ「経験」を積んでからでも苦杯を舐める要因となった「採点の読みの甘さ」と「前半でポイントを失うスロースターター」が祟っただけではないでしょうか?

先日も「井上拓真は経験値で那須川天心を上回った。」と、多くのメディアがそう分析しましたが、あの試合も戦前は天心有利と見られていました。
「経験」とは、プロでの試合数が少ないホープがベテランに予想外の敗北を喫した時に使われる、後付けの常套句なのでしょうか?
拓真が「あと一歩が踏み出せないボクサー」のジレンマを抱えていたのも、悪い意味での経験の裏返しではなかったのでしょうか?
尚弥の隣で埋没する自分を焚き付けることができない中で、アマチュア時代に格下だった堤聖也に不覚をとってしまったのも「経験の敗北」でした。
拓真が那須川天心という、そのキャリアであらゆる意味で飛び抜けた〝強敵〟を迎えたことで、それまで途中でくすぶり消えていた導火線が初めてダイナマイトまで辿り着いて爆発させたのだとしたら、あれを純粋に「経験の勝利」と呼ぶべきではありません。
先手を取られた拓真がずるずるとラウンドを浪費することなく、すぐに距離を潰しにかかったのは単純な「経験」などではなく、天心だからこそ引き金が引かれた、あの試合に賭ける強烈な思い、天心だからこそ躊躇なく踏み込んだアクセルだったはずです。
「経験」の積み重ねは、新鮮なモチベーションをキープする重石にもなります。その重石が大きければ大きいほど、想像もしていなかった巨大なモチベーションに恵まれたとき、重石が翼に変わるのかもしれません。
「経験」が重石と翼の意味を持つとしたら、深い言葉。


51ページに及ぶ「メイウエザーvsカネロ」の特集記事(リング誌2013年10月号)。「カネロは経験不足ではない」という視座からもアプローチ、非常に読み応えのある内容です。戦力分析も詳細に展開されています。
戦力分析にはスピードやパワー、接近戦でのスキル、防御力などわかりやすい項目が並びます。
その一方で数は少ないものの、具体的に数値化できない項目もあります。
例えば「EXPERIENCE」や「POISE AND ABILITYTO COPE WITH EXTERNAL PRESSURES」。
前者はまさに試合数や対戦相手などを総合したキャリアの「経験」内容。後者は重圧がかかる大舞台に対する、どれだけ修羅場をかいくぐってきたかという「経験」。
拓真vs天心にあてはめると「EXPERIENCE」はもちろん拓真ですが、では「POISE AND ABILITYTO COPE WITH EXTERNAL PRESSURES」は天心…というのが多くの人の解釈でした。
確かに、天心はキック時代に東京ドームを沸かせ、ボクシング転向後もデビューから脚光を浴び続けました。
一方で、脚光を浴びる主役になれないままエネルギーを鬱積させてきた拓真があの試合で見せた爆発は、まさに「POISE AND ABILITYTO COPE WITH EXTERNAL PRESSURES」能力でした。
〝主役〟としてリングに上がり続けた天心と、キャリアで初めて〝主役になる権利〟を持ってリングに上がった拓真。
上述のリング誌は、メガファイトを何度も繰り広げてきたメイウェザーとカネロの「POISE AND ABILITYTO COPE WITH EXTERNAL PRESSURES」を互角と裁定しました。卓見です。
16歳のデビューから注目を集め、母国メキシコや西海岸のメキシコ人コミュニティーの中でカネロは現在の大谷翔平にも似た存在。ある意味で、メイウェザーよりも重圧を跳ね返す能力は高かったかもしれません。
そんな、カネロも経験と莫大な報酬を積み上げていく中で、ジムで過ごすよりもゴルフ場にいる時間の方が長くなり、あれほど旺盛だった「KILLER INSTINCT」(殺傷本能)は消失、凡庸な168パウンダー相手にも12ラウンドを浪費するのが当たり前の歳月を過ごしてしまいます。
カネロの経験は、いつのまにか重石に変わっていました。
そして、迎えたテレンス・クロフォードとの決戦を迎えてしまうのです。
あの試合のクロフォードは、無敗の〝井上拓真〟でした。
拓真と天心。2人にとって次の試合が重要になるのは間違いありません。
ただ、その重要度は拓真の方が遥かに上です。次の相手は、もう那須川天心ではありません。
相手が誰であれ、一歩前に踏み出すことができるか?それ以前に、リングに上がる前の準備が天心戦のようにできるのか?

バカ猿どもの英語教室はついに高校の教室に進出…昭和では考えられない融通です(本文とは関係ありません)。
「まだまだ経験が足りない」とは、具体的にはどういうことでしょうか?。
坪井に足らないとされる「経験」がアマチュア経験ではないことは確かです。
現時点でバム・ロドリゲスを除くと、坪井に対してアンダードッグにならない115パウンダーは存在しません。そんな境地に立つ坪井は本当に「経験が足りない」のでしょうか?

ワシル・ロマチェンコがプロ2戦目でオルランド・サリドに挑戦したとき「ロマチェンコには経験が足りない」という声はほとんど聞かれなかったどころか、オッズも予想も圧倒的に五輪2連覇など396勝1敗という信じがたいアマチュア戦績を持つ当時26歳のウクライナ人が圧倒的に有利と見られていました。
世界選手権金メダリストという共通点はあるものの、ロマチェンコと坪井のアマチュア実績は次元が違ったことは事実です。では、坪井が東京五輪で金メダルを獲っていたなら「経験が足りない」とは言われなかったのでしょうか?
ちなみに、軽量オーバーでタイトルを剥奪されたサリドにスプリットデジションで敗れたロマチェンコに対して、いくつかの日本のメディアは「経験不足」と指摘していました。
ロマチェンコが苦戦したのは「経験が足りなかった」のではなく「サリドの体重が不正に足りすぎていた」から、そしてロマがプロ「経験」を積んでからでも苦杯を舐める要因となった「採点の読みの甘さ」と「前半でポイントを失うスロースターター」が祟っただけではないでしょうか?

先日も「井上拓真は経験値で那須川天心を上回った。」と、多くのメディアがそう分析しましたが、あの試合も戦前は天心有利と見られていました。
「経験」とは、プロでの試合数が少ないホープがベテランに予想外の敗北を喫した時に使われる、後付けの常套句なのでしょうか?
拓真が「あと一歩が踏み出せないボクサー」のジレンマを抱えていたのも、悪い意味での経験の裏返しではなかったのでしょうか?
尚弥の隣で埋没する自分を焚き付けることができない中で、アマチュア時代に格下だった堤聖也に不覚をとってしまったのも「経験の敗北」でした。
拓真が那須川天心という、そのキャリアであらゆる意味で飛び抜けた〝強敵〟を迎えたことで、それまで途中でくすぶり消えていた導火線が初めてダイナマイトまで辿り着いて爆発させたのだとしたら、あれを純粋に「経験の勝利」と呼ぶべきではありません。
先手を取られた拓真がずるずるとラウンドを浪費することなく、すぐに距離を潰しにかかったのは単純な「経験」などではなく、天心だからこそ引き金が引かれた、あの試合に賭ける強烈な思い、天心だからこそ躊躇なく踏み込んだアクセルだったはずです。
「経験」の積み重ねは、新鮮なモチベーションをキープする重石にもなります。その重石が大きければ大きいほど、想像もしていなかった巨大なモチベーションに恵まれたとき、重石が翼に変わるのかもしれません。
「経験」が重石と翼の意味を持つとしたら、深い言葉。


51ページに及ぶ「メイウエザーvsカネロ」の特集記事(リング誌2013年10月号)。「カネロは経験不足ではない」という視座からもアプローチ、非常に読み応えのある内容です。戦力分析も詳細に展開されています。
戦力分析にはスピードやパワー、接近戦でのスキル、防御力などわかりやすい項目が並びます。
その一方で数は少ないものの、具体的に数値化できない項目もあります。
例えば「EXPERIENCE」や「POISE AND ABILITYTO COPE WITH EXTERNAL PRESSURES」。
前者はまさに試合数や対戦相手などを総合したキャリアの「経験」内容。後者は重圧がかかる大舞台に対する、どれだけ修羅場をかいくぐってきたかという「経験」。
拓真vs天心にあてはめると「EXPERIENCE」はもちろん拓真ですが、では「POISE AND ABILITYTO COPE WITH EXTERNAL PRESSURES」は天心…というのが多くの人の解釈でした。
確かに、天心はキック時代に東京ドームを沸かせ、ボクシング転向後もデビューから脚光を浴び続けました。
一方で、脚光を浴びる主役になれないままエネルギーを鬱積させてきた拓真があの試合で見せた爆発は、まさに「POISE AND ABILITYTO COPE WITH EXTERNAL PRESSURES」能力でした。
〝主役〟としてリングに上がり続けた天心と、キャリアで初めて〝主役になる権利〟を持ってリングに上がった拓真。
上述のリング誌は、メガファイトを何度も繰り広げてきたメイウェザーとカネロの「POISE AND ABILITYTO COPE WITH EXTERNAL PRESSURES」を互角と裁定しました。卓見です。
16歳のデビューから注目を集め、母国メキシコや西海岸のメキシコ人コミュニティーの中でカネロは現在の大谷翔平にも似た存在。ある意味で、メイウェザーよりも重圧を跳ね返す能力は高かったかもしれません。
そんな、カネロも経験と莫大な報酬を積み上げていく中で、ジムで過ごすよりもゴルフ場にいる時間の方が長くなり、あれほど旺盛だった「KILLER INSTINCT」(殺傷本能)は消失、凡庸な168パウンダー相手にも12ラウンドを浪費するのが当たり前の歳月を過ごしてしまいます。
カネロの経験は、いつのまにか重石に変わっていました。
そして、迎えたテレンス・クロフォードとの決戦を迎えてしまうのです。
あの試合のクロフォードは、無敗の〝井上拓真〟でした。
拓真と天心。2人にとって次の試合が重要になるのは間違いありません。
ただ、その重要度は拓真の方が遥かに上です。次の相手は、もう那須川天心ではありません。
相手が誰であれ、一歩前に踏み出すことができるか?それ以前に、リングに上がる前の準備が天心戦のようにできるのか?

バカ猿どもの英語教室はついに高校の教室に進出…昭和では考えられない融通です(本文とは関係ありません)。





