今日、会社で「齟齬って英語でなんていう?」という話になりました。
(Are we )on the same page?(俺たち同じページを見てるよね?)なんて会話は普通にするけど、齟齬の英語はすぐ思い浮かばないポンコツ集団でした。
今回は、齟齬というよりも「認識のズレ」という話です。
以前も書いた気がしますが、私のネイチャー誌やサイエンス誌の認識が間違っていたこと。
大学受験は文系理系二刀流でしたが、その後の人生は文系まっしぐら、なんて言い訳をしつつも「ネイチャーやサイエンスに掲載された研究論文は十分な裏付けが証明されて、評価がフィックスしたもの」と思い込んでいました。
現実には、長い歳月を要する実験結果を追認するのは同等に近い時間がかかることになり、基本的に性善説をとって論文掲載しているというのです。
ちょうど9年前の今くらいの頃。
世間はSTAP細胞の発見に「ノーベル賞もの」と沸き立ち、若い女性研究者は時の人となっていました。
たまたま、企業などで研究者として働いている友人と飲む機会があり〝性善説〟を初めて知り「ええー?それなら俺が不老不死の薬を発明した!と言ってもネイチャーは掲載してくれるのか?」なんて、私のバカなサーブを友人は「ちゃんと話聞けよ。性善説だ!お前は善じゃなく悪だから、何を書いても掲載されない」ときっちりリターンしてくれたのでした。
STAP細胞、その後の顛末はご存知の通りです。
ネイチャーのコロナに関する記事は、今読んでも予見性に溢れて、ついついネイチャーは凄い!と思い込んでしまいがちです。
ネイチャー誌は権威があるから、掲載される論文も厳しい審査を通過した完全体、画期的な論文ならノーベル賞へGO!なんて思ってましたが、そんなことはなく、これまでにも研究ケッカノを捏造した論文が何度となく掲載されてきたそうです。
同じ雑誌でよく似てる現象が、The Ring Magazine、リング誌への日本のボクシングファンの誤解かもしれません。
現実に全く売れていないリング誌を権威があるなんて思う米国人はいないでしょうが、日本では「権威ある」が枕詞に添えられることが珍しくありません。
どんどん薄くなるリング誌 ↑に、定期購読者は廃刊を覚悟していました。
このブログを甘噛みしてる人なら、リング誌が「慢性経営難の廃刊寸前雑誌」であることは十分に伝わっていたでしょう。
リング誌の場合はランキングを捏造するなど、自ら信用を失墜させ続けたのですが…。
リング誌電子版の立ち位置も微妙です。大量の記者をリストラ、ESPNやBoxing scene.comのようにプラットフォームと強固に結びつくメディアとは記事の質だけでなく、情報収集力でもどんどん引き離されています。
一方のネイチャー誌(比べるか?と笑われそうですが、私にとってリング誌はおそらく生涯最も愛した雑誌なのです)は、デジタル版も売れまくっています、というかデジタル版のくせに高額なのです。
世界中の科学者にとって、ネイチャーは貴重なニュース源で、定期購読しないわけにはいかないのです。それを逆手にとっての強気の価格設定なのです。
デジタル化の波に飲み込まれた(というか80年代にも廃刊してるからそもそも売れない雑誌の)リング誌と、デジタル版を買わないとどうしようもないネイチャー誌。
リング誌は「スポーツ」という特殊なジャンルとはいえ、本当に価値のあるものを売っていたのなら、紙でもデジタルでも関係ありません。
デジタル版を定期購読しなければ、情報乞食になるという状況を作ったネイチャーには「紙媒体のときの方が開かれていた」という批判もありますが、単純にすごいと思います。
大好きだったリング誌に関しては、初めて手に取った1980年頃は最高に面白かったのに、特に2000年代に入ってからはクオリティが明らかに下落。
焼き直しの記事で埋めた過去のグレードの特集号などが目立つようになり、ロンダ・ラウジーや井上尚弥を単独カバーする頃には末期症状を呈していました。
そんなリング誌を「権威ある」と崇める記事をを目にするたびに「こいつ、リング誌を見たことも読んだこともないだろうな」と、呆れ果てるのでした。
私のネイチャーやサイエンスへの〝誤解〟も似たようなことですが、私はネイチャーやサイエンスを手にとって読んだことはありました。
「リング誌のPFPは権威がある」というのも馬鹿過ぎます。
そもそもが妄想ランキングのPFPです。なおかつ、リング誌のいい加減極まる選考過程も知れば、ESPNなど記名投票のランキングの方が妄想を純粋に楽しめるのは明らかなのですが…。
(Are we )on the same page?(俺たち同じページを見てるよね?)なんて会話は普通にするけど、齟齬の英語はすぐ思い浮かばないポンコツ集団でした。
今回は、齟齬というよりも「認識のズレ」という話です。
以前も書いた気がしますが、私のネイチャー誌やサイエンス誌の認識が間違っていたこと。
大学受験は文系理系二刀流でしたが、その後の人生は文系まっしぐら、なんて言い訳をしつつも「ネイチャーやサイエンスに掲載された研究論文は十分な裏付けが証明されて、評価がフィックスしたもの」と思い込んでいました。
現実には、長い歳月を要する実験結果を追認するのは同等に近い時間がかかることになり、基本的に性善説をとって論文掲載しているというのです。
ちょうど9年前の今くらいの頃。
世間はSTAP細胞の発見に「ノーベル賞もの」と沸き立ち、若い女性研究者は時の人となっていました。
たまたま、企業などで研究者として働いている友人と飲む機会があり〝性善説〟を初めて知り「ええー?それなら俺が不老不死の薬を発明した!と言ってもネイチャーは掲載してくれるのか?」なんて、私のバカなサーブを友人は「ちゃんと話聞けよ。性善説だ!お前は善じゃなく悪だから、何を書いても掲載されない」ときっちりリターンしてくれたのでした。
STAP細胞、その後の顛末はご存知の通りです。
ネイチャーのコロナに関する記事は、今読んでも予見性に溢れて、ついついネイチャーは凄い!と思い込んでしまいがちです。
ネイチャー誌は権威があるから、掲載される論文も厳しい審査を通過した完全体、画期的な論文ならノーベル賞へGO!なんて思ってましたが、そんなことはなく、これまでにも研究ケッカノを捏造した論文が何度となく掲載されてきたそうです。
同じ雑誌でよく似てる現象が、The Ring Magazine、リング誌への日本のボクシングファンの誤解かもしれません。
現実に全く売れていないリング誌を権威があるなんて思う米国人はいないでしょうが、日本では「権威ある」が枕詞に添えられることが珍しくありません。
どんどん薄くなるリング誌 ↑に、定期購読者は廃刊を覚悟していました。
このブログを甘噛みしてる人なら、リング誌が「慢性経営難の廃刊寸前雑誌」であることは十分に伝わっていたでしょう。
リング誌の場合はランキングを捏造するなど、自ら信用を失墜させ続けたのですが…。
リング誌電子版の立ち位置も微妙です。大量の記者をリストラ、ESPNやBoxing scene.comのようにプラットフォームと強固に結びつくメディアとは記事の質だけでなく、情報収集力でもどんどん引き離されています。
一方のネイチャー誌(比べるか?と笑われそうですが、私にとってリング誌はおそらく生涯最も愛した雑誌なのです)は、デジタル版も売れまくっています、というかデジタル版のくせに高額なのです。
世界中の科学者にとって、ネイチャーは貴重なニュース源で、定期購読しないわけにはいかないのです。それを逆手にとっての強気の価格設定なのです。
デジタル化の波に飲み込まれた(というか80年代にも廃刊してるからそもそも売れない雑誌の)リング誌と、デジタル版を買わないとどうしようもないネイチャー誌。
リング誌は「スポーツ」という特殊なジャンルとはいえ、本当に価値のあるものを売っていたのなら、紙でもデジタルでも関係ありません。
デジタル版を定期購読しなければ、情報乞食になるという状況を作ったネイチャーには「紙媒体のときの方が開かれていた」という批判もありますが、単純にすごいと思います。
大好きだったリング誌に関しては、初めて手に取った1980年頃は最高に面白かったのに、特に2000年代に入ってからはクオリティが明らかに下落。
焼き直しの記事で埋めた過去のグレードの特集号などが目立つようになり、ロンダ・ラウジーや井上尚弥を単独カバーする頃には末期症状を呈していました。
そんなリング誌を「権威ある」と崇める記事をを目にするたびに「こいつ、リング誌を見たことも読んだこともないだろうな」と、呆れ果てるのでした。
私のネイチャーやサイエンスへの〝誤解〟も似たようなことですが、私はネイチャーやサイエンスを手にとって読んだことはありました。
「リング誌のPFPは権威がある」というのも馬鹿過ぎます。
そもそもが妄想ランキングのPFPです。なおかつ、リング誌のいい加減極まる選考過程も知れば、ESPNなど記名投票のランキングの方が妄想を純粋に楽しめるのは明らかなのですが…。