フシ穴の眼 〜スポーツ疾風怒濤編〜

      Hope Lights Our Way / 希望の道を、つなごう。

カテゴリ: 恥さらしの人生でした。


土曜日、早朝の電車は空いていますが、休日出勤は気が滅入ります。

銀座のロシアンショップ。↓彼らに嫌がらせするバカの思考には軽蔑しかありません。バカは罪です。
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ノーベル賞作家で好んで読む(歌う・聞く)のはボブ・ディランとこの人くらいです。


ロシアがウクライナでやろうとしていること、80年代にアメリカがチリでやったことに変わりはありません。 

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2020年11月に勃発したエチオピア紛争。ベルギーの研究チームによる試算によると、これまでの1年半で50万人以上が命を落としています。

数千人が亡くなったに過ぎないロシアによるウクライナ侵略、たった3人の犠牲者を出した東北の地震と比べると、何百倍もの人が殺されていても、テレビでの放送時間や、新聞紙上での記事面積は無きに等しい有様です。

人間の命は平等ではありません。

エチオピア紛争でケネニサ・ベケレが銃を取って戦うとなれば、心を動かされてしまいます。

もし、ビタリ・クリチコがキエフ市長ではなく、ワシル・ロマチェンコやオレクサンダー・ウシクらがウクライナ人でなければ、あの戦争は対岸の火事です。大使館を通じた寄付もしなかったでしょう。



同じ国でも、日本人と朝鮮学校の子供では処遇が全く違います。同じ国の中でも「対岸」は存在します。

中高生時代の私は「チョン中は怖い」と恐れながらも、明らかに勝てると踏んだ相手が絡んで来たら〝降りかかる火の粉〟を払い、そうでなければ逃げました。

彼らの中に渦巻く「怒り」や「悲しみ」や「諦め」を、私たちには理解することは出来ません。「対岸」を渡って、向こう側に行くことなんて絶対に出来ないのですから。



先日、ゼレンスキーは米議会でオンライン演説を行い、今回のロシアの蛮行と並ぶ許しがたい侵略行為として、9・11と真珠湾攻撃が引き合いに出しました。

世界的には「日本は宣戦布告せずにハワイを不意打ちし、正義の米国は原爆投下によって戦争の長期化・より深刻な犠牲を防いだ」というのが圧倒的・絶対的な認識です。

歴史なんて学校教育です。日本では「あれは自衛の戦争で、欧米の侵略から大東亜共栄圏を守る戦い」と信じる人も珍しくありません。「戦争は外交の一つの段階」という考え方も、彼らの言い分です。

歴史は、事実(時には事実でないことも珍しくありません)を都合よく編集した学校教育によって刷り込まれた幻覚です。真実ではありません。

「台湾は親日」というのも、ある面で嘘です。現地で仕事したら、すぐにわかります。旧跡などのプレートで黒塗りされている部分は、日本の悪行を説明した箇所です。彼らが親日である一番の理由は「敵の敵は味方」という理屈です。

「ロシアと中国が親密」なんてのは「敵の敵は味方」の典型です。



プーチンは「ソ連解体を米英を中心とした西側によるロシア分割」と信じ込んでいます。そんな単純な力学だけで、あれほどの大国は倒れません。

そして、彼が目指すのは「同胞神話に基づくロシア国家再統一」です。

「大ロシア人」と「小ロシア人(ウクライナ)」「白ロシア人(ベラルーシ)」は同胞、というのは大東亜共栄圏と実に似た考え方です。

しかし、キエフ大公国がギリシャ正教を国教にし、ロシアの宗教と文化の礎になった事実を考えると、大東亜共栄圏ほど突拍子もない発想ではありません。


「戦争は外交の一形態」などというのは、あからさますぎる詭弁。「戦争は外交の破綻」であることは小学生にだってわかります。



私が「対岸」を最初に意識したのは、朝鮮学校との試合でした。野球は普通にヤジが飛ぶ、おそらく最も下品なスポーツでしょうが、ヤジだけでなくビーンボールを投げる、死球で出塁すると牽制球も投げてないのに一塁手が空のグローブで足や腰を叩いてくる、二塁手や遊撃手は走路にあからさまに立ち塞がる、もはやスポーツをやる気がないクソ集団でした。

高校になって、ひょんなことから、中学時代に〝戦った〟朝鮮学校のヤツの家族が経営する焼肉屋に行くという、いま思えば貴重で楽しい経験も出来ました。いろんな話が出来ました。それでも、想像するのが精一杯で、分かり合えるのは難しいと実感したのも確かなことでした。

ただ、本当の意味で分かり合えなくても、彼らがどんな思いをしながら育ってきたか、想像は出来ました。最悪なのは、想像もできないことです。

相手の立場を想像し合うことができれば、分かり合えなくても友達になれます。

大学に入ると、欧米を中心に数人の留学生とも友達になりましたが、彼らも彼らの国で事実を編集された学校教育を受けていました。それは「真珠湾」は許しがたい「テロ行為」、「原爆」は戦争を早期終結させた「正義」という単純な等式で成り立った、事実を編集した歴史教育です。

日本の大学に留学してきた友達は極めて親日的という分かりきってたことが、社会人になって海外や外国人と仕事をすると衝撃的すぎるほど改めて思い知らされました。

相手にとっては、こっちが「対岸」です。


私たちが受け入れなければいけないのは、70年前の戦勝国による事実を編集した歴史が、現代の正史であるということです。

もちろん、話し合いによって私たちの考えを伝えることはできますが、彼らが日本に譲歩すること、本当に分かり合えることはありません。



立場を入れ替える方法は、たった一つだけあります。もう一回戦争して、今度は勝つことです。武力による現状変更しかありません。

そして、戦勝国も、私たち敗戦国も絶対に受け入れたり許したりしてはいけないのが、武力による現状変更です。



そんなことを言っても、朝鮮半島やベトナム、アフガニスタン、イラク、シリア、ウクライナ…常任理事国以外の国土を戦火に燃やしながら武力による現状変更が止むことはありません。しかも全部が全部、代理戦争です。

ニューヨークとモスクワのホーム&アウエーでやってくれたら、それこそ「対岸の火事」を見物させていただくところですが、奴らはどこまでも卑怯者です。

 
ウクライナのゼレンスキー大統領が、23日に日本の国会でオンライン演説を行います。もし、米国議会と同じように「真珠湾」を語ったら大したものですが、彼は政治家です。

日本からも「あんた、アメリカで真珠湾と9・11を並べてたな」なんてふっかける必要もありません。



「対岸」の声を聞いて、どこまで想像力を働かせることができるか。


どんなに偉そうなことを言っても、人間なんて半径2、3mくらいのことしか興味がありません。

この大きな地球で半径2、3m。他は全部対岸です。

エチオピアで50万人死のうが、私にとってはスマホのテレビ電話で「京大、落ちた」と泣き出す40歳近くも年下の友達の涙の方に心が揺れてしまいます。

丸腰でロシアの攻撃に曝されているウクライナの子供たちよりも、キエフの堅牢な市庁舎で戦っているクリチコ兄弟の身を、私は案じてしまいます。

ウクライナやエチオピアだけじゃなく、今日も世界中で数え切れない大勢の人が残酷に殺されるでしょう。

しかし、私の興味は今夜ゴングが鳴る矢吹正道と寺地拳四朗のリマッチです。

そして、対岸の火事をテレビで見ながら、お酒を飲んで「早く戦争が終わればいいね」と家族と話して酔っ払うのです。
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賢い奴はアホに惹きつけられるが、アホは賢い奴に惹きつけられない。

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受験シーズンが終わりに近づいています。

私の子供たちはみんな卒業して社会人になりましたが、これから子供が受験を迎える友人や知人も少なくありません。

30年以上も前、高校2年まで私は進学するつもりなんて全くありませんでした。そもそも、学校の成績は劣悪でしたから、まともな大学に行けるわけもありませんでした。

それでも、陸上部の尊敬できる先輩から「すぐに社会に出て働くなんてタルいやん?とりあえず大学行って遊んでもええんちゃうん」という感じで進められ、受験することになりました。

それでも、受験勉強をすればするほど、なんてくだらない作業だろうか、という思いがフツフツと湧き上がってきていました。

例えば、陸上や野球は一生好きだし、プレーヤーでありたい、この深淵な世界をどこまで潜れるか、何歳になっても考える価値があると思いました。実際、今でもそうです。

しかし、受験勉強なんて底が浅すぎて、こんなくだらないことは高高3年の数ヶ月で金輪際オサラバと唾棄していました。

その考えは「受験しろ」と進めた先輩も「受験なんてくだらない」という点では同じ考え方で「大人が作ったバカシステムは利用したらええねん。大手予備校の模試でええ点取ったら結構なカネになるやろ」と、予備校が「成績優秀者」という名目で「事前」的に受験料を負担、合格したら「早慶上智5万」「同志社法3万」「関学経済2万」。

関西在住の私にとっては「立教明治法政2万」は交通費・宿泊費負担してくれないと「ビジネスにならない」とメイウェザー的マネーな世界でした。
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当時、先輩も俺もアホでした。いや…今でもアホです、間違いなく。いや、今の方がもっとアホです…。

しかし、当時も本当にアホでした。

「予備校に利用されている」のは気づいていても「受験勉強が出来る特権の恩恵にあずかっているだけ」と、「得してる」と勘違いしていたのです。

典型的なアホです。

結局、予備校に利用されて、私たちが無鉄砲に受験してなければ受かっていた受験生を意味なく不合格にしていたかもしれないのです。

その先輩に「同級生が関学に落ちたと聞かされて、ちょっと罪の意識だ」と言うと、先輩はすぐに「私はお前より1年前にわかってたのに、申し訳ない」と、頭を下げました。

もちろん、私の合格が同級生を不合格にした直接原因ではないかもしれませんが、行く気もない大学の学部をカネ目的(というか幼稚に面白がってただけです)でいくつも受験した罪の意識ははっきりありました。

私にとって先輩は女神のような存在でしたが、この一件でなんとなく、気まずくなって、ずっと距離が離れてしまっていました。

そんな過去から、受験は「くだらない」はもちろん「罪の意識」までふりかけられた苦い記憶でした。今もそうですが。

ところが、30年も経って、自分の子供と同じ年代の受験生の知り合いが出来るようになると、「くだらない」は「東大の問題には哲学がある」「関学はしっかりした良問」と、「世界王者はみんな強い」「世界ランカーに雑魚はいない」みたいな優等生発言を吐いてしまうのでした。

あ、「東大の問題には哲学がある」「関学はしっかりした良問」は本当ですが「世界王者はみんな強い」「世界ランカーに雑魚はいない」はありえません。

今でも、子供達の前で「受験なんてくだらない」と口にしがちですが、それはいろんな子供達、親御さん、全員に言うことではないんですね、当たり前ですが。





「賢い奴はアホに惹きつけられるが、アホは賢い奴に惹きつけられない」ってタイトルつけて、書き始めたのですが、もはや滅茶苦茶でんがな。

さっきまで、私の中で学生時代から区分けしている「賢いフリしたがる輩」とオンラインで悪酔い、そこでグツグツ煮えたウクライナへの思いを書こうとしてたのですが…。

コロナ前でも後でも、飲み会なんかに誘ってくるのはほぼ100%「賢いフリした輩」から。私から声をかけたことは一度もありません。
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「賢い奴はアホに惹きつけられるが、アホは賢い奴に惹きつけられない。」とはそういう意味だったのですが、深酔いしてくると、夕方にすすった「カウンターアタック」のラーメン、またすすりたい。

9時10時で真っ暗闇になる町なんて、町じゃないからな!

コロナはわかった。もう聞き飽きたわ。

おい!岸田!

おい!小池!

いつまでもふざけるなよ 。
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午前中に銀座で面倒な個人情報扱いのお仕事を片付けて「長崎カレー 蜂の家」で「黒カレー」をすすり、「これはカレーライスの一つの完成形である」と大きく頷きながら、少年野球の試合会場へ。
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移動の間は「ローマン・ゴンザレスvsレイ・マルチネス」の試合を観ながら、旧友たちが出走している東京マラソン2021の経過もチェック。

野球部の子のお姉さんが「京都と東京の私大に合格した」と親御さんから教えられ、そういや「京都の大学に行きたい」と言ってたなあと、そのお姉さんの顔を思い出しながら、「三島さん(私のこと:仮名)が絶対受かるって励ましてくれてたから、すごく頑張ってました」と感謝されて、来週末に夕飯を誘われたまではいいものの、本命の京大の発表が来週木曜日という驚愕の事実が。

「京大も絶対受かるって断言してくれてたから、すごく勇気付けられてます」と言われて、待て待て待て待て、俺、そんなこと言ったか?と思い返しても、よく覚えてません。

そのお姉さん、最初に宿題とか見たときから優秀で物分りが良かったから「早慶とかは普通に勉強してたら受かる」と太鼓判を押した覚えはありますが、「京大も絶対受かる」なんて言ったかなあ…我ながらいい加減なこと口走るなあと呆れてしましました。

しかし、我ながらめっちゃ言いそうです。きっと、親御さんの前でも「村田がカネロをノックアウトする」みたいなのと同じ感じで言ったのでしょう。

京大不合格なら、来週末の夕食会はキャンセルだなと、それまで頭の片隅にすらなかった木曜日の合格発表にドキドキし出してしまうのでした。

家まで送るという〝京大合格待ち〟親御さんでしたが、車の中でも「京大どうでしょうかねえ?」話になるのが恐ろしくて、やんわりお断り。

駅に向かう道すがらに見つけた「カウンターアタック」という博多ラーメン屋さんに気まぐれで入店。
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驚きの本格的博多ラーメンでした。

黒ラベル生に、替え玉・粉落とし。

大通りから外れているのに結構混んでたから、有名な店なのかもしれません。
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先日、放送された「X後の関係者たち〜月刊ムーの同窓会」(BS−TBS)で超能力や未確認生物、UFO、宇宙人などが流行るのは、豊かになって心の余裕が生まれた70代から始まったという仮説が提示されていました。

ちょうど50年前の1972年2月19日から2月28日に起きた「あさま山荘事件」、それに先立つ70年3月31日に民間機をハイジャックして〝地上の楽園〟北朝鮮に亡命した「よど号ハイジャック事件」で、このディケイドの幕が開けました。

70年は大阪万博開催と、三島由紀夫の割腹自殺。

そしてオイルショックの1973年、少年マガジン5月13日号で「あしたのジョー」の連載が最終回。

この年は、すでにこの世にいなかったブルース・リー主演の「Enter the Dragon(燃えよドラゴン)」が世界的な大ヒットを記録。シュガー・レイ・レナードからマニー・パッキャオまで、ボクサーにも時代を超えて多大な影響を与え続けています。

75年、サイゴン陥落。アメリカが初めて戦争で負けました。76年にはロッキード事件、中卒の英雄・田中角栄が極悪人に貶められてしまいました。

1977年には日本赤軍によるダッカ日航機ハイジャック事件。

79年に「月刊ムー」が創刊されます。

今も続くオカルトやミステリーのムーブメントは、心の余裕に入り込んでくる虚構です。

宇宙人は、広い宇宙のどこかにいるかもしれません。共産主義は机上では理想の社会システムです。

実際に極端な共産主義は論外にしても、日本を緩やかな社会主義国家と規定してもあながち間違いではないでしょう。

そして、1973年に米国が周到な工作によって、チリのアジェンデ政権を転覆させた事実などは、ロシアのウクライナ侵略以上の悪行です。

先鋭化した共産主義と、先鋭化した資本主義、どちらも市民にとっては危険極まりないものに違いありません。

何れにしても、彼らのオカルト、彼らの共産主義は妄想と言葉だけで先走る虚構に過ぎません。
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80年代に中学〜高校〜大学と過ごした私にとってはユリ・ゲラーやネッシー、UFO、宇宙人は友達との間でも話題になる身近な話題でした。

70年代のオカルト色を濃く反映した「イナズマン」(石ノ森章太郎:週刊少年サンデー1973年34号〜1974年38号)は大好きな漫画の一つで、80年代にコミックスを手にしましたが、当たり前ながら漫画としてしか読んでいませんでした。

80年代。学生運動はとっくに鎮静化し、余熱のようなものは少しだけ残っていた気がします。

高校時代、引きこもり気味だった私を目にかけてくれた先生の1人は学生運動の元闘士(自称)。

私が生に近い感覚で知った学生運動はその先生から教えてもらいました。

その他は小説「青春の門」(五木寛之)であったり、フォークソングの「いちご白書」などの〝フィクション〟であったり〝断片〟〝残骸〟でした。

私はシュプレヒコールやインターナショナルを生で聞いたことも、歌声喫茶も知りません。

オカルトにもどっぷり浸かっていたオウムには共感出来る部分はありませんでしたが、もし自分が20年早く生まれていたら、学生運動に参加していたと思います。

ただ、現実の大学時代は80年代。スポーツイラストレイテッド誌やリング誌など米国の活字媒体と、第1種接近遭遇していました。

変な匂いのする海外雑誌の薄いページから読み取ったシュガー・レイ・レナードやマービン・ハグラーの躍動は、オカルトやミステリーなどが入り込む余地のない圧倒的な現実でした。

学生運動やオウム…彼らが芽を出す温床もオカルトと同じく「豊かさからもたらされる心の余裕」だったのかもしれません。

私にも「豊かさからもたらされる心の余裕」があったはずですが、そこに入り込んできたのは「歪んだ3団体時代」と「蠱惑的な4Kingsが繰り広げる現実」を抱える米国ボクシングの深淵でした。
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…もはや戦後ではなった日本には、矢吹丈や力石徹のような戦災孤児もいなくなりました。

丈や力石には、戦わなければならない理由がありましたが、大学に通いながら革命を起こそうとする彼らは、本当は戦う必要などない恵まれた人たちでした。

もっと正確にいうと、ぬるま湯につかりながら、机上の理論を振りかざし、過激な言動を繰り返す彼らには戦う意味すらも、本当は無かったはずです。

それなのに、彼らはバリケードの中で「あしたのジョー」を貪り読み、よど号ハイジャック犯のリーダー田宮高麿は直前に執筆した「出発宣言」に「最後に確認しよう。われわれは“明日のジョー”である」と刻んだのでした。

彼らは丈に自らを重ね合わせましたが、それは驚くほど滑稽なほど暗愚な勘違いでした。

丈や力石が、受験勉強して大学に通って、徒党を組んで凶悪犯罪を犯すわけがありません。大学に通う丈や力石など見たくもありません。

学生運動に身を投げた彼らは無い物ねだりでした。だから、自分達とは真逆の矢吹丈に憧れていたのでしょう。

そう、自分達には絶対になれっこないジョーに憧れるだけでなく、ジョーになろうとした彼らは最初から大きな矛盾を抱えて破滅するしかなかったように思えてきます。
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そういえば、70年代はボクシングでWBAからWBCが分離独立が決定的になり、2人の世界王者が当たり前になった時代です。

何を信じていいのか、全くわからなくなってしまったのが70年代。

「世界王者が2人いる」という倒錯の世界を現出させたWBAやWBCも、オカルトと見なして全く差し支えないでしょう…というか、あれこそ、まさにオカルトです。

80年代になると、WBAからIBFが分離独立。世界チャンピオンは三人いるのが当たり前になります。

ここまで来ると、もはや「間違った世の中を正そう」なんて発想はわきません。「関わるのはやめよう」と離れて行くだけです。

まあ、でも、ボクシングは、団体分裂以前の元々からオカルトな存在だった気もしてきますが…。
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話はあちこち飛びまくりますが、1986年の夏、国立競技場の記録会を走った帰りがけ、すぐ近くの迎賓館に向けて迫撃砲が打ち込まれたことがありました。

市ヶ谷の赤軍派アジトから発射されたものでした。爆発物ではなくサッカーボール大の鉄球でしたが、人に当たってたら死にます。

「暇な奴が一番危ない」と憤った当時の私に、高校時代に抱いた学生運動への淡い共感はほとんど残っていませんでした。

いつまで虚構の世界にしがみついてるんだ、ということです。どこまで頭が悪いんだ、という話です。

「イナズマン」をSFとして愛読する、ユリ・ゲラーの〝タネ〟をあれこれ想像し、ネッシーやビッグフットの伝説を楽しむ、のは楽しいお遊びですが、それを本気に受け入れる感覚は理解出来ません。



ジョージ秋山の「浮浪雲」に「火事の最中に虚しいなんていう奴はいない」という雲の言葉が出てきます。

もちろん、火事場な時代が良いわけが、ありません。

しかし、豊かな時代の余裕のある心に、 オカルトは忍び込んで来るものです。
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一緒に野球してる近所の中学生たちとの「友達の輪」から、彼らの宿題なんかを月イチ程度で一緒に勉強したりしています。

最近は私の仕事の関係もあって、なかなか時間が取れないことも多くて、親御さんたちがオンラインでの勉強会を提案してくれました。

なんとなく嬉しかったのは、勝手に勉強教えたりして不快に思ってる親御さんがいたら申し訳ないな、とどこかで思ってたのですが、そうではないことがわかったからです。

それでも、親御さんたちが自分たちも聞きたいと言われたときは、私の方が少しザワッと嫌な気がしました。

大昔からそうでしたが、きっと私は大人が嫌いなんです。もっとわかりやすく言うと、幼稚なんです。

自分で勝手に思ってるだけかもしれませんが、だから子供には好かれるんでしょう。

そんなわけで、少し前に初めての保護者参加のオンライン授業は「私:大阪⇄横浜」。
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子供たちも親がいるとやりにくいのか、いつもと全く違う調子。

私も大阪で見つけた、彼らの間でブームになってる巨大クレーンを撮った動画を見せたり、大阪のグルメを紹介したり、いつもと違う、わざとらしいまでに理路整然とした流れ。
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こちらは「夫婦善哉」でおなじみの「せんば自由軒のインデアンカレー」。

心斎橋〜船場あたりは、すっかり〝渋谷以上に渋谷化〟した梅田と比べると、大阪がこってり残ってます。

親御さんがいるから、差し障りのない話から逸脱しないようにしてましたが、空気を読めない奴は子供にもいます。

「カンニングした女子大生は悪くないって言ってたけど、あの人、去年もやってたってよ。悪い人でしょ」と、よりによって野球部のバカ。

「白黒アンジャッシュ、見た?やっぱり渡部ってダメだと思う」。これもやっぱり野球部のバカ。

野球やってたら頭が悪くなるんか?

この手の話は、本当に事実関係や彼女の生い立ちなんかは抜け落ちて、限定された情報だけから個人的な感想を語るものです。

私が勉強の合間に彼らと世間話で話したのは…

「カンニングは犯罪じゃない。彼女はやった行為に対して不当なまでに大きな社会的制裁を受けた。もちろん、超ハイリスクでローリターンのズルをした彼女は頭が悪すぎる」。

「渡部も犯罪じゃなく、不当に大きな社会的制裁を受けた。同じことを風俗のお店でやってたら、なんの問題もなかった」。

子供たちの興味を持つ話の多くに「あまりにもつまらないことで大騒ぎしすぎ」と斬り捨ててきました。

「カンニングは犯罪じゃない」はまだしも「風俗の店なら良かった」とか、そんな話までしてるのがわかったらさすがに眉をしかめられるんじゃないかと心配になりましたが、奴らもそこまでバカじゃありませんでした。
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私にとっては、普通の友達でも、彼らは親御さんにとっては大切な子供。

そして、普通に見たら50年配のおっさんと、相手は小中高生です。

親御さんに見られたり、聞かれたりしている環境では、話せないような内容のことはしゃべるべきじゃないのかもしれない、と考えるとちょっと複雑な気持ちになりました。
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こんな質問に自信を持って正解できる人が、いるわけありません。

答えは「清原和博が覚醒剤取締法(所持)違反で逮捕された日」です。

昔、むかし、私の高校時代の野球部の一つ上の先輩が清原の大ファンで、この事件でひどく落ち込んでいたので毎年2月2日、この先輩を囲んだ少人数の飲み会を開催しているのです。

少人数といっても、その実、私と私の同輩、そして先輩の3人だけなのですが。

先輩とか同輩とか書いてても分かりにくいので、仮名で。

私=三島、同輩=直木、先輩=川端。
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川端先輩は、とにかく不器用な人でしたが、野球の練習にも学校の勉強にも真っ直ぐ真面目で、そして何よりも利己的なところが全くなく、誰にでも分け隔てなく優しい男だったので、私達後輩も卒業後は「カワさん」と慕っているのです。

普通は「〇〇先輩」と苗字に先輩を付けるのが絶対デフォルトです。

陸上競技なら正選手を決めるのは「選考会で直接競わせて勝った方」という単純明快なやり方があります。

しかし、実力が数値化しにくい球技の場合は「実力が同等程度なら先輩や既成の正選手が優先される」のが基本です。

特に、私が通っていたような公立高校ではそういう傾向が顕著でした。私は川端先輩がレギュラーの三塁手で、ライバル関係にありました。

正選手が発表される試合の前日、監督から名前を呼ばれて背番号をもらうのですが、5番の背番号を持った監督が口に出したのは私の名前でした。

川端先輩は悔しそうに「えー、マジか…。くそ、負けへんぞ」と私の肩を叩いてくれました。

他のメンバーで声をかけてくれたのは「さすがやねぇ!やったな」と喜んでくれた直木だけでした。

そのあと、監督から職員室に呼ばれた私は「1年生やけど遠慮しないで暴れろ」と励ましてくれるものだと思ってましたが…。

監督は「川端がお前を使った方がチームが勝てる、って選手の分際で俺に進言してきた」「俺はお前の方がチームに貢献できるとは全く思わんけど、ライバルを起用してなんてゆう負け犬は使う気になれん」と、愚痴るのでした。

まだ1年生でしたが、すでに私は授業や練習をサボってイエローカードな生徒・選手で、監督からも「プロ野球の外人選手のつもりか?アホか?ちゃんと授業に出ろ」と、厳重注意されていました。

励まされると思ってたのに「仕方がないからお前をスタメンで使う」みたいな言い方されて、内心面白くなかった私は「川端に恥をかかせんなよ」という監督の声を背中に聞いて職員室を出ました。

選手だけでなく、監督も、川端先輩を大好きなんだというのがよく伝わったのですが、そのことも、ものすごく心の狭い話ですが、私には、本当に面白くなかったのです。

当時は口には出しませんが「余計なこと言いやがって」くらいなことまで、思っていました。それでも、そんな歪んだ性根の私でも川端先輩が自分なんかよりはるかに人間の器が上なのは、よ〜くわかってました。

同じポジションを争ってるのですから、何だろう、相手の性格とか人間までがよく見えてくるんです。

簡単にいうと、川端さんには人徳があって、私はそんなものカケラもない人間でした。

言い訳すると「外国人選手みたいに結果だけ出せばええんやろ、俺を使うしかないやろ」なんて思ってません。当時は、いろんな人付き合いが病的に嫌で嫌で、それでもスポーツとか読書とか映画は大好きで、社会不適合というか、無機質なものとしか向き合えないというか、人付き合いから逃げていたんです。

私が正選手に選ばれたことに、露骨に嫌味を言ってくる先輩や同輩もいました。

また、「お前は社会の落伍者、野球部でもみんなお前のことは快く思っていない。出席日数不足で退学になる前に自分から辞めろ」と粘着してくる先生もいました。

自分でも社会に適応できない「落伍者」という意識はありましたが、それをわざわざ本人の眼の前で吐き捨てる奴らの神経は間違ってると思いました。

とはいえ、こっちは社会不適合者で落伍者、あっちは神経いかれてても社会の中でちゃんと溶け込んでるわけです。

実際、高校を中退しようかとも思いましたが、野球部のチームメイトや先生の中には、私を受け入れてくれる人もいました。川端先輩はその一番手な人でした。

今なら、私のような生徒は自宅学習に切り替える選択肢があるのですが、当時はそんなものはありません。

それに、もし、そんなものがあれば、私の場合は川端先輩をはじめ、いろんな優しい人に会えませんでした。

川端先輩は同情から後輩の私を気にかけてくれてる感じが、とにかく全くありませんでした。お兄さんのように、普通に接してくれました。

そして、というか、今思うと「だから」なんですが、徳はあっても、とことん不器用で、とことん運もタイミングも悪い人でした。

それは、今でもそうなんですが、高校のときからそうでした。
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普通の公立高校だったので、専用の野球場などありません。野球部のグラウンドの外野の先というか外野に入り込むように、陸上部の300mトラックがあって、トラックの中にサッカー部のピッチまでありました。

私は小さい頃からどちらかというと運動が得意な方で、体力測定の50m走や1500m走はいつも学年で一番でした。学校のレベルが低いだけでしたが、陸上部からもマイルリレー(400×4=1600m)や冬の駅伝に助っ人として誘われていました。

よく声をかけてくれてたのが2年生ながら、というか女性ながら主将の石川先輩で柔道部も兼部してた猛者。しかも学業も半端なく優秀で、しかも容姿も淡麗で「天は彼女に何物を与えるんだ!」という文武両道・才色兼備の見本みたいな人でした。

石川先輩からは「陸上部の顧問の先生はマイルも走って欲しいみたいだけど、バトン練習あるし、そんなに時間とれへんやろ?」とか「駅伝の予選はなんとか1区走れる?一度10㎞走ってもらって、本番でどれくらい約束できるか教えて」とか、事務的・冷淡・ノルマ押し付け・一方的な言葉をかけられたのがほとんどで、私は「あ、はい」と短い返事をするだけでした。

それでも、石川先輩と同学年の川端先輩は「石川さんと仲ええなんて羨ましいなあ。俺も足速かったらなあ」みたいなことを何度か言ってきたので、あるとき「川端先輩、石川先輩のこと好きなんですか?」と聞きました。

あるときって、サードの守備練習で交互にノック受けてる時なんですが。

川端先輩は「ばっちこーい!…え?、三島、このタイミングで何聞いてくんねん!」と、三遊間のイージーゴロを見事に弾いてしまいました。

練習後に、川端先輩は「石川さんが大好きや。でも、俺なんかとは釣り合わんから、石川さんには絶対言うなよ」と、私の目をジッと見て言いました。

「(恥ずかしいから)誰にも言うなよ」ではなく「(迷惑かかるから)石川さんには言うなよ」という川端さん。

いろんなことで川端先輩に負い目やら借りがあるように感じていた私が「1回デートとか誘ってみません?なんかうまくいきそうな気がします」と言うと、川端先輩は「お前、彼女とかおらへんやろ!女の子と付き合ったこともないやろ!そんなお前に何ができんねん?」。

確かに女の子と付き合ったこともなければ、会話したこともほとんどありません。石川先輩との当時の会話も私は「はい」くらいしか言ってませんから、どう考えても会話とは言い難いやりとりでした。

しかし、川端先輩に何でもいいから喜んでもらいたいという気持ちが膨らんでいた私は「任せてください」と軽くガッツポーズをしてしまいました。
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あの頃、私が心を開いて話せる人なんて、ほとんどいませんでしたが、川端先輩はそんな希少な方の中でも、こっちからイジるほどの、敬愛すべき人。私から積極的に話しかけることができる、唯一の存在でした。

そう、敬愛って言葉がぴったりです。

今年1番の泥酔状態なので、話があちこち飛びますが、川端先輩はとにかく不器用な人だったんです。

受験も二浪。それなのに体育会の野球部に入って、最後の4年生でレギュラーになって、社会人野球にまで進んだのです。

これ、すごいことなんです。私レベルでは、到底不可能の大偉業です。

私たちの中で一番長く、野球をやった人でした。

社会人野球ですから、もちろん超大企業、選手引退後のキャリアも保証されていましたが、そこを辞めて学校の先生に。

その、カワさん(高校卒業後は先輩も同輩も後輩もOBからも「カワさん」と呼ばれています)は、一貫して清原の大ファン。

社会人になってから会うと「誰からも応援される松井秀喜やイチローよりも、味方のファンからもヤジを飛ばされたり応援すら止められたりしながらも打席に向かう清原の方が格好良くて立派な生き様だ」と酒を飲みながら訥々と語るのでした。

教室でも生徒に「どんなに逆風が吹いても、自分が大好きなことからは逃げるな。勝てなくてもいい。負けてもいい。でも絶対に逃げるな」ということを教えていたそうです。

そして…あの忌々しい2016年2月2日がやって来るのでした。

赤の他人の清原が自業自得の愚かな犯罪行為を犯しただけなのに、カワさんにはショックが大きくて、ずっと落ち込んでいました。
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わしらのプロミスド・ランド、大阪心斎橋のランドマーク(わしらだけの)。ロキ・リキテンスタインのカートゥーン。

カワさんを慰めるために始まった、毎年2月2日開催の湿っぽい飲み会。私の勤務先は東京や札幌とあちこち変わりましたが、その日は何が何でも大阪に馳せ参じました(むりくり大阪出張とか組み込んだり)。

今年の2月2日は「カワさん飲み会」は、もともと開催予定じゃありませんでした。

コロナだから、ではありません。

50過ぎのカワさんの結婚式だからです。お嫁さんはなんと20歳近くも年下。

本当なら2年前の2月2日に予定されていましたが、そこから昨年に延期、そして今年めでたく三度目の正直なはずでした。

しかし、まさかのオミクロン。

昨夜、カワさんから「いやぁ、受験は二浪やったけど、結婚は三浪やで。俺の人生、どないなっとんねん」と電話。

本当なら、慰めや励ましの言葉をお返しすべきなのですが、なんだかもう、おかしくておかしくて、ゲラゲラ笑い転げてしまいました。

2月2日は水曜日、平日ですから会社を休んで大阪の式場に馳せ参じる予定だったのでした。他の招待された方々もほとんどがそうだったはずです。

カワさんが悪いわけじゃありませんが、横浜在住の私なんかは2月2日に大阪に入って、5日まで宿を取るザ・スーパーファイトなお祭り騒ぎを覚悟していたというのに…。

親族含まなくても200人近い招待だったそうです。200人の予定を狂わせたのはオミクロンか、それともカワさんか…。

50過ぎた結婚式で、200人も呼ぶなよ…。確かに大ホテルの「ホーオー」だか「ヒショー」の間だったから、何の展覧会やねんと、突っ込んでましたが。

今回の状況に政府や自治体がどういう判断をするのかわかりませんが、最悪でもオンラインで、私の大嫌いなオンラインでも、力一杯はじけようと思います。
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すっかり暗くなった夜の銀座、松屋通り。

その路肩に誘導灯がそっと置かれていました。

ずーっと昔、同じような光景を見たことがありました。

勉強や学校が嫌でいろんなことから逃げ出していた高校時代に、同じ映画を繰り返し観て丸一日こもることもあった寂れた名画座。

その近くを走る県道にも、ある夜、誘導灯が置かれていたことがありました。
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先日、映画好きの大先輩と一晩中語り明かすという、こんなに喋り続けたのは久しぶりという機会がありました。

そのとき、神保町の岩波ホールが7月29日に閉館するということも話題になりました。

新型コロナウイルス感染拡大の影響で、劇場の運営が困難であると判断したということでした。

岩波ホールは1968年2月に映画講座、音楽サークル、古典芸能シリーズ、学術講座の4つを中心とした多目的ホールとして開館されましたが、私にとってはこれぞミニシアターという存在でした。

岩波ホールの名作映画上映運動「エキプ・ド・シネマ」(フランス語で「映画の仲間」)のスローガンは4つ。

「日本では上映されることの少ないアジア・アフリカ・中南米など欧米以外の国々の名作の紹介」「欧米の映画であっても、大手興行会社が取り上げない作品の上映」「映画史上の名作であっても、何らかの理由で日本で上映されなかったもの。またカットされ不完全なかたちで上映されたもの」「日本映画の名作を世に出す手伝い」。

こうしてあらためて書き出すと、どこまでも高尚です。映画へのこだわり、矜持が溢れています。

映画館で一日中時間をつぶすのが好きな私にとって、ミニシアターの分際で岩波ホールが各回完全入れ替え制なのは不満でしたが、そのスタンスはよく理解出来ました。

映画へのこだわりと矜持です。
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ずっと「エキプ・ド・シネマの会」の会員だった大先輩は本当に悲しそうで、現在上映中のオーストリア映画を一緒に観に行く約束をしました。

言ってみれば、私たちはまさにエキプ・ド・シネマでした。

酔いが進むと「この国はもうすぐ滅びる!」と叫ぶ大先輩とは阪神地区の場末のミニシアターで知り合った友だち…というには当時は名前も知らなかった、せいぜい顔見知りというレベルの浅い付き合いでした。

あの頃、私は高校生、ちょうど一回り12歳年上の大先輩は女だてらに総合商社のやり手の若手社員でしたが、そんなこと当時は知る由もありません。

名前も知らなかった人ですが、私が大学進学で上京、就職した仕事先でまさかの再会がありました。

私も岩波ホールで何度か映画を観たと言うと、大先輩は「会ってたかもしれんねぇ。あのお仕事先で会ったのは余計やった。あの寂れた映画館で顔見知りで、岩波ホールで再会したらちょっと感動的やったのに、現実なんてこんなもんやね」と、冷蔵庫から取り出した缶ビールを私の頬に軽く押し付けました。

そう、大先輩はあの寂れた映画館でも瓶コーラをおごってくれるときは、いつもそうしてきました。

大先輩のご主人も一緒にお話ししてたのですが、酔いが回って「授業にも出ない引きこもりで女子と話したこともほとんどなかったから、こんな自分にも優しく接してくれるし、すごく綺麗な女性だったから、名前も知らないのに大好きでした」と35年の歳月を超えて告白しました。

すると、ご主人が「君ら相思相愛やったんや!」と笑い出しました。

当時、すでにお二人は交際してたそうで、プロポーズされた大先輩がなかなか色良い返事をくれないので、ご主人が「誰か好きな人いるん?」と聞くと「映画館でときどき会う高校生」だと答えたというのです。

「そのときからこんなに二人で盛り上がってたん?」と聞くご主人に、大先輩は「ほとんど話したことがない」とグビリとビールを飲み干すのでした。

大先輩は本気で私を好きだったわけもなく、色んな意味で結婚への迷いがあって、プロポーズを保留するための絶妙の冗談だったのでしょう。
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私も「一言も会話しないでコーラだけおごってもらったこともあったかも」と思い出すと、大先輩は「一度だけチャンバラした!」とパンとテーブルを叩きました。

そうです。

あの日も、映画館の前の路肩に誘導灯が何本か置かれていました。

やはり、日がとっぷり暮れた頃合いで、映画館の入り口で大先輩と鉢合わせ。

ペコっと軽く挨拶すと、大先輩は何を思ったか路肩の誘導灯を、2本取り上げて1本を私に投げて来たのでした。

そこでなぜかチャンバラごっこが始まり、当時は若かったとはいえもう十分いい大人だった大先輩はスターウォーズのライトセイバーのように「ブーン!ブーン!」と声を上げながら誘導灯を振り回して攻めて来るのでした。

このお姉さん、ヘンな薬でもやってんじゃないかとビビりながらも、もしそんな薬やってる人なら無視したりすると余計に怖いと思い、誘導灯を交錯させて「衰えたな、オビワン!」と唸って付き合ってあげました。

すぐに持ち主の警備員のおっちゃんから「くぉら!おのれら何してくれとんじゃ!」と怒られた私たちは「すみませーん!」と謝って、映画館に逃げ込みました。

そういえば、あの辺りには「覚醒剤、やっても売っても犯罪です」なんて警察の看板が当たり前に立ってました。

今でも立ってそうです。

ああ、上京してから友人と警備員の短期バイトしたときも誘導灯を持って、やはりスターウォーズごっこして怒られたことがありました。

遠い昔の思い出ですが、大先輩と「今も同じようなシチュエーションになったら?」と目を合わすと「やるかもね」「やりますね」と35年近くも経ったというのにいつまでも性懲りも無く幼稚なエキプ・ド・シネマなのでした。

それにしても、あれからまだ1週間ちょっとしか経ってないというのに、路肩で誘導灯を見つけるとは。

逆に、誘導灯チャンバラの話をして日が浅いから目に止まっただけで、これまでもこんなことが何度かあったのに気づかずに通り過ぎていたのかもしれません。

世の中には「リンカーンとケネディ」みたいなありえない偶然がこれでもかといくつも重なることもあります。

大した偶然ではないのですが、これで向こうから大先輩が歩いて来たら相当な偶然かな…?
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先日、新年のご挨拶に行ったのは、高校時代に引きこもっていた小さな映画館で知り合った方でした。

映画館があった場所は関西、阪神地区です。

それから、二人とも東京に出て来て、横浜に住んで、歩こうと思えば歩いてでもいける距離でした。

邂逅した場所が東京、横浜ではなく青森の寒村や離島とは違いますから、偶然と呼ぶには同じような事例が数え切れないほどあるでしょう。

ただ、今の自分の人格を形成する栄養素の一つになった作品を貪り見た映画館は、当たり前の話、静かに映画を見るためだけの場所で知人などが出来るわけもない空間です。

高校生の私が平日の昼間っから入り浸っているのは、不思議に見えたかもしれません。しかし、高校生かどうかは見た目だけではわからなかったでしょうし、高校生だとわかっても映画館で見知らぬ人に興味本位で声をかけるなんて、まずありえません。

それなのに、数人の年配の方から声をかけられ、コーラやポッポコーンをおごってもらったりしてました。

「あんまり面白くなかったな」とか映画の感想を短く問いかけてくる、長々と話した記憶はありません。

そんな中でも、コーラではなくビールの小瓶を飲ませてくれたおっさんと、どう見ても場違いな綺麗なお姉さんとは、映画の感想をほんの少し踏み込んで話したことがある、ちょっとした友だちでした。

特に、お姉さんの方は映画館という場所柄、耳元で囁くように話しかけてくるので、顔がものすごく近くて「本当にきれいなひとだな」とドキドキしていたのを思い出します。

といっても、そのおっさんも、お姉さん(のちに三井ひとみさん=仮名=だと判明)も、名前すら知りませんでした。

先日お邪魔したのは、その元お姉さんご夫婦のお家でした。

一晩中、いろんな話をした中で「どうして僕に声をかけたんですか?」と聞くと「かわいい顔してたから気になった」と冗談を言ってから「映画館の前でガラの悪い高校生集団から『〇〇高校の奴、中にいないか?』と聞かれたから」と、めっちゃ思い当たることを告げられたのでした。

高校生集団の一人の顔はアザがついて目が充血してた、明らかに喧嘩傷を負っていたそうです。

そんな怪我させる喧嘩をした記憶は無いのですが、絶対に無い!とは言い切れない高校生活を送っていました。

「不良が喧嘩で負けた復讐に仲間を連れて探し回る高校生が場末の映画館で『勝手にしやがれ』を観てるなんて、そら気になるわ」。

喧嘩した記憶は思い出せませんが「勝手にしやがれ」を観たあとに、三井さんから声をかけられたのははっきり覚えています。

綺麗なお姉さんが「原題のフランス語『À bout de souffle』って、どういう意味かわかる?」と耳元で囁いてきたんです。女子とまともに話したことがない引きこもり男子高校生には刺激的すぎました。

そして「〇〇高校なん?」と聞かれて、びっくりしたのも覚えています。「違います」と即答しました。そのときは、三井さんが警察の人で補導されるのかともチラッと思いました。

あのとき、私が映画館に入るのが少し遅れて奴らと大乱闘になってたら、もしかしたら何か運命が大きく変わっていたかもしれません。

三井さんは彼らに「そんな高校生、見かけたことないわ。それにここヤバいとこなんわかっとるよね?ここでイキがっとったら、もっと大怪我するよ」と、暴力団の縄張りをほのめかして、軽く脅してくれたそうです。

実際に、瓶ビールのおっさんはそういう関係から足を洗った人だそうでした。

「え?いっつもヤクザ映画やギャング映画見てたあのおっちゃんが?ヤクザがヤクザ映画大好き???」。戸惑う私に三井さんは「世の中、あんたが思うほど複雑ちゃうねんで。それにヤクザやなくて元ヤクザな」と、ご自宅の居間なのに、あの頃と同じように囁くのでした。

前置きが長くなりました。

三井さんと一晩中お話したなかで、すこし触れた運命やら偶然について、です。

それは運命なのか偶然なのか?もし、あのとき予定調和に物事が進んでいたなら?…そんなお話は、スポーツの世界では、特にあからさまに浮き彫りになります。

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◉もし、エンリケ・サンチェスが予定通りにIBFジュニアフェザー級王者リーロ・レジャバに挑戦していれば、マニー・パッキャオの運命は間違いなく変わっていました。

あの試合は急遽の代打出場だっただけでなく、オスカー・デラホーヤのメガファイトのセミファイナル、PPVにも組み込まれた、当時最も注目度の高いイベントでした。

単純に米国で名前を挙げるのが遅れただけでなく、名前そのものを売る大きな機会が失われたのです。もしかしたら、メキシコのスーパースターとの激闘も形が変わるだけでなく、そもそもなかったかもしれません。


◉所属ジム会長のパワハラから矢尾板貞夫が世界戦直前に引退していなければ…。

急遽白羽の矢が立てられたファイティング原田の当時史上最年少の世界王座獲得はありませんでした。

矢尾板が負けていれば、白井義男が陥落してからの大空位時代は8年では終わらず、トンネルはさらに長く続いたでしょう。

また、矢尾板が勝っていれば、原田の台頭は大きく遅れ、日本ボクシング史はその形を大きく変えていたはずです。


◉東京1964でバスター・マシスが故障しなければ、ジョー・フレイジャーはリングに上がらず補欠のまま米国に帰っていました。

マシスとの因縁だけでなく、モハメド・アリとの史上最高のトリオロジーも別の形になったかもしれません。あるいは、トリオロジーには発展していなかったかもしれません。


◉楢崎正剛は史上初の「公式戦100完封」を記録するなど、歴代最高のゴールキーパーにも推される名選手ですが、彼もまた〝パッキャオ〟でした。

当時、Jリーグで最も有名なGKだった森敦彦が審判に暴言を吐いて出場停止処分を下されなければ、楢崎のデビューは何年も遅れていたかもしれません。


◉二岡智宏のスキャンダルがなければ坂本勇人は遊撃手ではなく、二塁手として球界を代表するスターになっていたはずです。もし、二塁手なら今とは全く違う選手像になっていたのは間違いありません。

そして、そのアナザーワールド。果たして、坂本は優秀な二塁手に成長していたでしょうか?


◉日本ハム球団が大谷翔平に二刀流の条件を提示していなければ、米国は5年も早くShow-Timeを目撃することになっていました。

とっくの昔に、本塁打王やサイ・ヤング賞を獲ってたかもしれません。また、そうでなかったかもしれません。

たった一つ確かなことは、ベーブ・ルースを呼び覚ます二刀流の活躍はなかった、ということです。
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例年になく忙しいのは、疫病と電子会議の攻撃のせいでござる。

この季節は大昔から忙しい故に、師走というのだらうけど、忘年会など息抜きも最も多い月だったのが、伝染病でほぼ壊滅なり。

さうして、大概の仕事は電子会議で賄えることが広く知れ渡り、同じ場所で顔を突き合わせて仕事するという大前提が崩壊したのでござる。

戦後の焼け野原からこの国は奇跡的な発展を遂げ、信じられないほど豊かになったのでござる。

拙者が上京して住んだのは廃屋まがいの集合住宅、風呂なし、便所共同、玄関も共同、その玄関にある赤電話が外部との唯一の接触手段でござった。

それが今では、高価な携帯電話を誰もが持っているでござる。

映画館で一期一会と目を凝らした銀幕は、今では電車の中でもどこでも楽しめる候。

中国や羅馬などの古代王朝は駅伝制度を敷いて遠方の情報を当時としては革新的な速さで収集したでござるが、今や市井の小市民でも世界中の情報を瞬時に手に入れることが出来るなり。

何という豊かさ、何という贅沢じゃ。

それなのに、廃屋の四畳半の時代の方が、あるいはそのずっと以前の時代の方が、みんな明るい顔をして笑っていたと思うのは、過去を美化してるだけでござろうか?
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東京地下鉄の車内広告を見て、そんなことを思い侍らせたなり。

一人酒でへべれけに酔いながら、個人情報の尊厳も、優越的立場に便乗した嫌がらせも無かった時代を郷愁するのでござる。

学生時代の飲み会では、さまざまな阿呆な遊びに酔っていたでござる。

こんなふうに徒然と書き連ねたのは、洋風居酒屋で片仮名言葉禁止、口にしたなら一気飲みという阿呆なお遊びを思い出したからでござる。

「麦酒を大きな杯で」「赤葡萄酒」「野生の七面鳥と追い水」「馬鈴薯の油揚げ」「西洋風お好み焼き腸詰乗せ」…。

ゼスチャーやメニュー指差しは禁止、店員に聞き返されるのは2度まで、あるいは注文と違うものが出てきても罰飲みが課されるのでござる。

ここまで書いて、浅草「キッド」「Netflix」と書かれた写真を載っけてたと気づいた阿呆でござる。さらに「ゼスチャー」「メニュー」。


帰宅して、自ら罰飲みでござる。そういえば「野生の七面鳥」があったはずでござる。
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土曜日午前中、大阪で一仕事終えて、病床の友達Oを見舞いに。

緊急事態宣言下ではままならなかったお見舞いですが、高校時代の皆んなも集まり同窓会モードになりました。

10代の頃の記憶は鮮明に覚えていると思いこみがちですが、忘れていることはすっかり抜け落ちています。

高校3年生になって初めて受けた模擬試験で全国的にも高い順位だったことに戸惑いながらも、すぐに2度目の模試も受けることになり、受験勉強の底の浅さを完全に見切った私はトップ10に。

その後も、受けるたびに模試を主催したいろんな予備校から賞金やらメダル、盾をもらいましたが、お金をもらったのはハッキリ覚えているものの、メダルや盾は全く記憶にありませんでした。

高校時代の私は「メダルや盾を見せて」という友達にあげてたというのですが、全く覚えてません。

賞金はハイエナのような先輩にタカられた記憶はあるものの、メダルや賞状は全く覚えがないのです。

友達Oも、そんなメダルをあげた一人でした。

彼は特別学級だったりして複雑な立場で、私は授業にも出ず、図書館に引きこもることが多かった問題児。

彼はときどき、図書館にいる私を訪ねて来ていましたが、どんな会話を交わしたのか思い出せませんが、そんななんてことない会話の中で彼にメダルをあげたというのです。

それを彼は「俺の友達にはすごい奴がいる」と、ずっと大切にしてくれていたというのです。

自分の中では真っ先に忘れてしまうことでも、他の人はしっかり覚えてくれていることがあります。

模試の話でいうと、大学に入ってから「あの〇〇君か?」と名前を出されて聞かれたことを覚えています。

模試の順位は大体いつも同じようなメンツでしたが、東京勢、超進学校が圧倒的に強い中で私はかなり異質だったようですが、正直、受験勉強の底の浅さ・くだらなさには辟易していたからでしょう、あらためてメダルを見せられても、何も思い出せません。

メダルの裏面に自分の名前が刻印されているのを、不思議に感じていました。

友達らに「お前は化粧箱を開けてメダルを見たり取り出すこともしないで人にあげてた」と言われて、よくそんなことを覚えてるなあと感心する一方で、そうだとしたらそりゃ記憶にないわ、です。
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ボクシングの試合について書こうと思っていましたのに脇道逸れまくり。自慢話はこの辺にして。

すべての試合を残念ながら録画でみました。。。


【田中恒成vs石田匠】

石田は、アルファベット団体によくいる雑魚ランカーよりもはるかに強いのは誰もが分かっていました。

それでも、多くの人は格の違いを見せて田中が勝つと見ていましたが、結論は「格は同じ」。

田中のスタイルは、相手の良さを引き出すプロレス型ボクシング。その卓越したスピードとテクニックは相手の良さを殺すこともできる、という楽観的な見方が瓦解した試合でした。

田中は、ズルいボクシングが出来ない。

これは褒め言葉なんかじゃありません。

東海の天才はまだ26歳、17戦しか戦っていませんが、私たちは彼の限界を見てしまったのかもしれません。

田中の試合は面白いから、大好きなんですが…もっともっとズルく戦え!



【亀田和毅vsヨンフレス・パレホ】

和毅は個体としては全く面白さのないボクサー。田中恒成とは真逆です。

女子ボクシングの観戦基準「アクションの多さ」に焦点を合わせるとまだ見れるとはいえ、それにしても非力さは目に余ります。ファイター型なのにパンチがない…悲劇(喜劇?)的な選手です。

とはいえ、世界トップレベルのスピードとテクニックを駆使するペチペチパンチャーは、怖さはなくても誰に取ってもやりにくい相手です。

「右拳を痛めた」のは見ていてもわかりましたが、それがなければKOしていたか?となるとそれはわかりません。世界レベルでは、底抜けに非力です。

41試合のキャリアを重ねた30歳が「面白い試合ができない」スタイルを変えることは不可能です。

そして、彼は不運にも日本ボクシング史上最も嫌われた蛇蝎一家の一人です。

「亀田」の〝汚名〟を払拭し、純粋な脚光を浴びる手段は一つしかありません。

ムロジョン・アフマダリエフとの大勝負です。

たとえ勝てなくても、そこで勇気を見せることができたなら。

嫌われ者一家の中で、ほとんど責任がない三男が贖罪に値する試合を見せることができたなら。

「亀田」の暴走と迷走の物語は美しい結末を迎えることになりますが…。
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