フシ穴の眼 〜スポーツ疾風怒濤編〜

      Hope Lights Our Way / 希望の道を、つなごう。

カテゴリ: 恥さらしの人生でした。

私立秀岳館高校(熊本県八代市)男子サッカー部で、コーチが部員に暴行しているとみられる動画が投稿されたことをめぐり、同校は5日、記者会見を開いて経緯を説明した。

「暴行動画」の後に生徒たちが謝罪した動画に、監督が関与していたという。

動画は、コーチとみられる男性が少年を殴ったり蹴ったりしている様子を撮影したもので、4月にSNSに投稿された。

その後、同校サッカー部の公式ツイッターアカウントに、主将や暴行を受けた当事者を名乗る生徒らが「コーチを馬鹿にするような発言をしたのが今回の原因です」などと謝罪する動画が投稿された。




メディアに取り上げられるこの種の事件は、擁護のしようのない犯罪であることが殆どです。

議論にならない、ただの暴行罪が立件される犯罪です。

殴る、蹴るって、もう教育ではありません。

この事件で行われたこと、そしておそらく過去から行われ続けきたことは、立場の弱い者への執拗で陰湿な暴行です。



例えば、長嶋茂雄や星野仙一らの鉄拳制裁は「時代」で片付けられてしまうのでしょうが、どこかでそれが〝犯罪〟であること猛省しなければ、そんな「時代」が永遠に未来につきまとうことになります。

例えば「日本シリーズで、牽制球のサインを見落とした沢村拓一の頭を叩いた阿部慎之助」の行為は〝犯罪〟でしょうか?

軽く叩いたからOK?それとも強弱に関係なく、暴力?あるいは、大観衆の中で、恥をかかせるような行為なので侮辱罪?


この種の議論で必ず俎上に上がる「座禅で肩などを身体を叩く行為」は、暴行罪に相当しますか?

僧侶が座禅で身体を打つ行為は、大前提として参加者の明白な承諾があり、日本社会で永年にわたり認められてきたもので、刑法で認められた正当行為にあたるとされています。


参加者(選手)との明らかな合意と、歴史的な認知、という観点は、ボクシングが合法化されている根拠にもなっています。

その一方で「公園で野球をやるのは当たり前でも、ボクシングをやると警察が飛んで来る」(寺山修司)というのは、ボクシングの特殊性を表しています。
 
ボクシングの指導、例えば先輩がスパーリングで後輩のボディを叩いて悶絶させるのは、体罰でしょうか?そもそも、ボクシングの場合、体罰やシゴキと練習の区別をどこで付けるのでしょうか?
 
サッカーの紅白戦、負けたチームに課せられる罰走などは、暴力とは言えないからセーフ?それともグランド15周以上でアウト?

現在、絶対正義の風潮は、ありとあらゆる体罰が〝犯罪〟です。

しかし、教育や愛情に100%根ざした体罰も否定されるべきなのか?何が教育で、何が愛情かなんて誰にもわからないのだから、あらゆる体罰は〝犯罪〟で処理しなければならないのか?

続きます。。。
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モハメド・アリのおかげで色々知ることは出来たとはいえ、ベトナム戦争は私にとって、歴史の教科書の出来事です。

1979年のソ連によるアフガン侵攻は、まだ小学生だったとはいえ、翌1980年のモスクワ五輪を日本や米国など西側諸国がボイコット、岸体育館での山下泰裕らの涙の抗議や、淡々と日々の練習をこなしていた瀬古利彦の姿をテレビで見たので、よく覚えています。

ルーマニアのチャウシェスク、ソ連崩壊、ベルリンの壁崩壊、北朝鮮の拉致問題…そして現在のロシアによるウクライナ侵略。

私にとってのソ連やロシア、共産主義国の記憶は時代遅れの思想を掲げて個人崇拝に迷走した「悪」の色合いが強いものです。

もちろん、ソ連が宇宙開発で米国を先行していたことや、北朝鮮が韓国よりも豊かだった時代があったことなどは知識としては知っています。

私が大学に進学した頃にはすっかり影を潜めていた学生運動が労働者が主導するとされたソ連や北朝鮮の社会を憧憬していたことも少しは知っています。

米国を中心とした西側諸国の支配者層が共産主義を恐怖し、理不尽な赤狩りや、朝鮮やインドシナ、自国から離れた土地で残虐な代理戦争を繰り広げたことも、私にとっては「終わった歴史」になっていました。

高校のときの担任教師が元全共闘の闘士で、変わり者だったので私みたいな生徒にも目をかけてくれていましたが、そんな恩師も亡くなってしまいました。

ただ、世の中は面白いもので昨年、仕事先の元文学少女の方(正確には現在も文学おばさん・元少女です)とのオンライン飲み会にソ連・ロシア通の方が参加、興味深い時間を過ごすことができました。

学生運動の馬鹿者どもだけでなく、文学少年・少女たちにとってもロシア文学は外せない中核。

思想や文学において、アメリカよりもソ連を憧れる時代があったこと、文学においてはいまだにその評価は不動のものであることは、私でも分かっていることでしたが、ソ連の労働者が日々送る生活についてはよくわかりませんでした。

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しかし、その元少女の知り合いのソ連通の方が同じ沿線住みということで、2月に一度遊びに行く機会がありました。

70年代初めにソ連を訪問したときのアルバムを見せてくれ、いろんな文献・雑誌までを惜しみなく貸してくれたのです。

その一つが「ソビェト婦人」。この雑誌は見れば見るほど「欧米かッ!?」と急速にタカトシ化してしたいます。

ソ連版「LIFE」です。

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◼️「黒海はまねく」↑

夏休みのシーズン!療養地に通ずる街道は、活気をみせてきます。

何万という自動車が、人びとをまちから海のほとりに、休息へと運んでいきます。(1963年6月号)◼️

フロリダかッ!



◼️「モード」

今年のモードは、簡素で実用的ですが、なんとなくロマンチックなムードをたたえています。

若い女性には、主として、スポーティなスタイルが多く、パンタロンに短いオーバー、あるいはハーフコートなどの取り合わせが好評です。(1970年10月号)◼️

パリコレかッ!


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◼️「空飛ぶ病院」↑

「救急機医」という職名が生まれたのはソビエト初の救急飛行機「K-3」があらわれた1927年のことです。いま、ソ連には186の救急および、定期出張診療所があり、2万人の医師がここで働いています。

こうして、世界でいちばん大きな〝空飛ぶ病院〟ができたのです。

国家は毎年、救急飛行機とそこで働く医療勤務員の数をふやすために、ますます多くの資金を出しています。(1970年10月号)◼️


1927年にドクターヘリかッ!




このタイミングで旧ソ連を賛美するつもりは全くありません。

主権国家への侵略行為はすべからく悪であり、何よりも私たちは西側諸国の住人です。

土曜日の「日本史上最大の戦い」もほとんどの日本人は村田諒太を応援しました。

ボクサーとしては格上のゲンナジー・ゴロフキンが、敵地のリングに引っ張り上げられる構図です。

日本人以外のボクシングファンはゴロフキンに感情移入したはずです。

現在のボクシングシーンがメキシコ中心に回っていなければ、あるいはゴロフキンがメキシカンだったなら、カネロ・アルバレスはとっくの昔に駆逐されていたかもしれません。

そうなったらすうなったで、ゴロフキンがメキシカン・コネクションに庇護されて、カネロよりも厄介なドーパーとして、今頃ヘビー級に君臨していたかもしれませんが…。

もちろん、日本行きの構図も全く別のものになっていたでしょう。

主題がボクシングに逸れる前に、ソ連やロシア文学などなどについて、ソ連通の方や右翼や左翼、元文学少女、私の周りに蠢く怪しい人々の意見も織り交ぜながら、正義の定義や地上の楽園を熱く激しく語り尽くしたいと思います。

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ロシアにもホルモン焼きがあるそうな。





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高校時代は引きこもってただけに、とんでもない数の本を読み耽ってました。

洋書や洋雑誌まで手当たり次第、自分では数えてなかったのですが、図書館の貸し出しチェックだけで「年間365冊を超えてる」と、担任の教師に驚かれたのを覚えています。

実際には図書館で一日中何冊も読んで、貸し出しチェックに記録されていないものも相当数ありましたし、リング誌など和洋雑誌は持ち出せず、漫画などまで含めると「1日1冊」なんてもんじゃありませんでした。

それが、今では1ヶ月に1冊程度。どうしてあんなに貪り読めたのか、自分でも不思議です。

まあ、仕事もないし、引きこもってたら時間はたっぷりあるから、読めるといえば読めるのですが、当時は間違いなく活字中毒でした。

娯楽小説から戯曲、歴史書まで本当に手当たり次第な乱読で、17世紀の歴史家トーマス・フラーの著作に出てくる名言探しが数日間のマイブームだったことがあります。

「不幸によって磨かれる人もいれば、駄目になってしまう人もいる」「どこにでもいる人は、いないのと同じだ」「結婚前には両眼を大きく開いて見よ。結婚してからは片目を閉じよ」なんてのが有名で「夜明け前の闇が最も暗い」もそうです。

「It’s always darkest before the dawn.」。フラーの言葉は、まさに「夜明け前の闇が最も暗い」です。

フラーではありませんが、同じ意味の英語に「For every dark night, there’s a brighter day.(暗い夜があるから、光り輝く日がある)」「After the dark night, the sun shines.(暗い夜の後は、太陽が輝く朝が来る)」も、同じ意味です。

やはり高校の図書館で読んだウルフガイシリーズにも 「夜明け前の闇が最も暗い」という犬神明のセリフが出てきますし、のちの受験時に役立った日本や中国の歴史モノ小説を書いた吉岡英治のエッセイにも「朝の来ない夜はない」は何度も登場します。

しかし、この言葉の〝出典〟として最も有名なのは、ご存知のようにシェークスピアの「マクベス」です。

ただし、原文はフラーらのような肯定的なニュアンスではありません。

The night is long that never finds the day.(William Shakespeare『Macbeth』)。「夜明けが来ない夜は長い」 。

「朝の来ない夜はない」「夜明け前の闇が最も暗い」 とは、逆の意味すら帯びているように読めてしまいます。

どうしてこんなことを書いたかというと、今日の読売新聞朝刊 の短いコラム(編集手帳)で、マクベスの中に出てくるこのセリフを演劇評論家の松岡和子さんが「朝が来なければ夜は永遠に続くから…」と訳したと知ったからです。

原文を損なわない名訳です。 

「朝の来ない夜はない」「夜明け前の闇が最も暗い」 よりも、積極的に朝を迎えに行く感じもします。


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シェークスピアは坪内逍遥でしか読んでませでしたが、松岡さんは「坪内逍遥、小田島雄志に続く3人目の偉業  25年の時を経て、堂々完結」させたそうです。

知らなんだ。

こんなのが、高校時代の図書館にあったら1週間で読破しちゃうんだろうけど、今は全部読む気力はありません…。
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土曜日、早朝の電車は空いていますが、休日出勤は気が滅入ります。

銀座のロシアンショップ。↓彼らに嫌がらせするバカの思考には軽蔑しかありません。バカは罪です。
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ノーベル賞作家で好んで読む(歌う・聞く)のはボブ・ディランとこの人くらいです。


ロシアがウクライナでやろうとしていること、80年代にアメリカがチリでやったことに変わりはありません。 

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2020年11月に勃発したエチオピア紛争。ベルギーの研究チームによる試算によると、これまでの1年半で50万人以上が命を落としています。

数千人が亡くなったに過ぎないロシアによるウクライナ侵略、たった3人の犠牲者を出した東北の地震と比べると、何百倍もの人が殺されていても、テレビでの放送時間や、新聞紙上での記事面積は無きに等しい有様です。

人間の命は平等ではありません。

エチオピア紛争でケネニサ・ベケレが銃を取って戦うとなれば、心を動かされてしまいます。

もし、ビタリ・クリチコがキエフ市長ではなく、ワシル・ロマチェンコやオレクサンダー・ウシクらがウクライナ人でなければ、あの戦争は対岸の火事です。大使館を通じた寄付もしなかったでしょう。



同じ国でも、日本人と朝鮮学校の子供では処遇が全く違います。同じ国の中でも「対岸」は存在します。

中高生時代の私は「チョン中は怖い」と恐れながらも、明らかに勝てると踏んだ相手が絡んで来たら〝降りかかる火の粉〟を払い、そうでなければ逃げました。

彼らの中に渦巻く「怒り」や「悲しみ」や「諦め」を、私たちには理解することは出来ません。「対岸」を渡って、向こう側に行くことなんて絶対に出来ないのですから。



先日、ゼレンスキーは米議会でオンライン演説を行い、今回のロシアの蛮行と並ぶ許しがたい侵略行為として、9・11と真珠湾攻撃が引き合いに出しました。

世界的には「日本は宣戦布告せずにハワイを不意打ちし、正義の米国は原爆投下によって戦争の長期化・より深刻な犠牲を防いだ」というのが圧倒的・絶対的な認識です。

歴史なんて学校教育です。日本では「あれは自衛の戦争で、欧米の侵略から大東亜共栄圏を守る戦い」と信じる人も珍しくありません。「戦争は外交の一つの段階」という考え方も、彼らの言い分です。

歴史は、事実(時には事実でないことも珍しくありません)を都合よく編集した学校教育によって刷り込まれた幻覚です。真実ではありません。

「台湾は親日」というのも、ある面で嘘です。現地で仕事したら、すぐにわかります。旧跡などのプレートで黒塗りされている部分は、日本の悪行を説明した箇所です。彼らが親日である一番の理由は「敵の敵は味方」という理屈です。

「ロシアと中国が親密」なんてのは「敵の敵は味方」の典型です。



プーチンは「ソ連解体を米英を中心とした西側によるロシア分割」と信じ込んでいます。そんな単純な力学だけで、あれほどの大国は倒れません。

そして、彼が目指すのは「同胞神話に基づくロシア国家再統一」です。

「大ロシア人」と「小ロシア人(ウクライナ)」「白ロシア人(ベラルーシ)」は同胞、というのは大東亜共栄圏と実に似た考え方です。

しかし、キエフ大公国がギリシャ正教を国教にし、ロシアの宗教と文化の礎になった事実を考えると、大東亜共栄圏ほど突拍子もない発想ではありません。


「戦争は外交の一形態」などというのは、あからさますぎる詭弁。「戦争は外交の破綻」であることは小学生にだってわかります。



私が「対岸」を最初に意識したのは、朝鮮学校との試合でした。野球は普通にヤジが飛ぶ、おそらく最も下品なスポーツでしょうが、ヤジだけでなくビーンボールを投げる、死球で出塁すると牽制球も投げてないのに一塁手が空のグローブで足や腰を叩いてくる、二塁手や遊撃手は走路にあからさまに立ち塞がる、もはやスポーツをやる気がないクソ集団でした。

高校になって、ひょんなことから、中学時代に〝戦った〟朝鮮学校のヤツの家族が経営する焼肉屋に行くという、いま思えば貴重で楽しい経験も出来ました。いろんな話が出来ました。それでも、想像するのが精一杯で、分かり合えるのは難しいと実感したのも確かなことでした。

ただ、本当の意味で分かり合えなくても、彼らがどんな思いをしながら育ってきたか、想像は出来ました。最悪なのは、想像もできないことです。

相手の立場を想像し合うことができれば、分かり合えなくても友達になれます。

大学に入ると、欧米を中心に数人の留学生とも友達になりましたが、彼らも彼らの国で事実を編集された学校教育を受けていました。それは「真珠湾」は許しがたい「テロ行為」、「原爆」は戦争を早期終結させた「正義」という単純な等式で成り立った、事実を編集した歴史教育です。

日本の大学に留学してきた友達は極めて親日的という分かりきってたことが、社会人になって海外や外国人と仕事をすると衝撃的すぎるほど改めて思い知らされました。

相手にとっては、こっちが「対岸」です。


私たちが受け入れなければいけないのは、70年前の戦勝国による事実を編集した歴史が、現代の正史であるということです。

もちろん、話し合いによって私たちの考えを伝えることはできますが、彼らが日本に譲歩すること、本当に分かり合えることはありません。



立場を入れ替える方法は、たった一つだけあります。もう一回戦争して、今度は勝つことです。武力による現状変更しかありません。

そして、戦勝国も、私たち敗戦国も絶対に受け入れたり許したりしてはいけないのが、武力による現状変更です。



そんなことを言っても、朝鮮半島やベトナム、アフガニスタン、イラク、シリア、ウクライナ…常任理事国以外の国土を戦火に燃やしながら武力による現状変更が止むことはありません。しかも全部が全部、代理戦争です。

ニューヨークとモスクワのホーム&アウエーでやってくれたら、それこそ「対岸の火事」を見物させていただくところですが、奴らはどこまでも卑怯者です。

 
ウクライナのゼレンスキー大統領が、23日に日本の国会でオンライン演説を行います。もし、米国議会と同じように「真珠湾」を語ったら大したものですが、彼は政治家です。

日本からも「あんた、アメリカで真珠湾と9・11を並べてたな」なんてふっかける必要もありません。



「対岸」の声を聞いて、どこまで想像力を働かせることができるか。


どんなに偉そうなことを言っても、人間なんて半径2、3mくらいのことしか興味がありません。

この大きな地球で半径2、3m。他は全部対岸です。

エチオピアで50万人死のうが、私にとってはスマホのテレビ電話で「京大、落ちた」と泣き出す40歳近くも年下の友達の涙の方に心が揺れてしまいます。

丸腰でロシアの攻撃に曝されているウクライナの子供たちよりも、キエフの堅牢な市庁舎で戦っているクリチコ兄弟の身を、私は案じてしまいます。

ウクライナやエチオピアだけじゃなく、今日も世界中で数え切れない大勢の人が残酷に殺されるでしょう。

しかし、私の興味は今夜ゴングが鳴る矢吹正道と寺地拳四朗のリマッチです。

そして、対岸の火事をテレビで見ながら、お酒を飲んで「早く戦争が終わればいいね」と家族と話して酔っ払うのです。
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賢い奴はアホに惹きつけられるが、アホは賢い奴に惹きつけられない。

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受験シーズンが終わりに近づいています。

私の子供たちはみんな卒業して社会人になりましたが、これから子供が受験を迎える友人や知人も少なくありません。

30年以上も前、高校2年まで私は進学するつもりなんて全くありませんでした。そもそも、学校の成績は劣悪でしたから、まともな大学に行けるわけもありませんでした。

それでも、陸上部の尊敬できる先輩から「すぐに社会に出て働くなんてタルいやん?とりあえず大学行って遊んでもええんちゃうん」という感じで進められ、受験することになりました。

それでも、受験勉強をすればするほど、なんてくだらない作業だろうか、という思いがフツフツと湧き上がってきていました。

例えば、陸上や野球は一生好きだし、プレーヤーでありたい、この深淵な世界をどこまで潜れるか、何歳になっても考える価値があると思いました。実際、今でもそうです。

しかし、受験勉強なんて底が浅すぎて、こんなくだらないことは高高3年の数ヶ月で金輪際オサラバと唾棄していました。

その考えは「受験しろ」と進めた先輩も「受験なんてくだらない」という点では同じ考え方で「大人が作ったバカシステムは利用したらええねん。大手予備校の模試でええ点取ったら結構なカネになるやろ」と、予備校が「成績優秀者」という名目で「事前」的に受験料を負担、合格したら「早慶上智5万」「同志社法3万」「関学経済2万」。

関西在住の私にとっては「立教明治法政2万」は交通費・宿泊費負担してくれないと「ビジネスにならない」とメイウェザー的マネーな世界でした。
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当時、先輩も俺もアホでした。いや…今でもアホです、間違いなく。いや、今の方がもっとアホです…。

しかし、当時も本当にアホでした。

「予備校に利用されている」のは気づいていても「受験勉強が出来る特権の恩恵にあずかっているだけ」と、「得してる」と勘違いしていたのです。

典型的なアホです。

結局、予備校に利用されて、私たちが無鉄砲に受験してなければ受かっていた受験生を意味なく不合格にしていたかもしれないのです。

その先輩に「同級生が関学に落ちたと聞かされて、ちょっと罪の意識だ」と言うと、先輩はすぐに「私はお前より1年前にわかってたのに、申し訳ない」と、頭を下げました。

もちろん、私の合格が同級生を不合格にした直接原因ではないかもしれませんが、行く気もない大学の学部をカネ目的(というか幼稚に面白がってただけです)でいくつも受験した罪の意識ははっきりありました。

私にとって先輩は女神のような存在でしたが、この一件でなんとなく、気まずくなって、ずっと距離が離れてしまっていました。

そんな過去から、受験は「くだらない」はもちろん「罪の意識」までふりかけられた苦い記憶でした。今もそうですが。

ところが、30年も経って、自分の子供と同じ年代の受験生の知り合いが出来るようになると、「くだらない」は「東大の問題には哲学がある」「関学はしっかりした良問」と、「世界王者はみんな強い」「世界ランカーに雑魚はいない」みたいな優等生発言を吐いてしまうのでした。

あ、「東大の問題には哲学がある」「関学はしっかりした良問」は本当ですが「世界王者はみんな強い」「世界ランカーに雑魚はいない」はありえません。

今でも、子供達の前で「受験なんてくだらない」と口にしがちですが、それはいろんな子供達、親御さん、全員に言うことではないんですね、当たり前ですが。





「賢い奴はアホに惹きつけられるが、アホは賢い奴に惹きつけられない」ってタイトルつけて、書き始めたのですが、もはや滅茶苦茶でんがな。

さっきまで、私の中で学生時代から区分けしている「賢いフリしたがる輩」とオンラインで悪酔い、そこでグツグツ煮えたウクライナへの思いを書こうとしてたのですが…。

コロナ前でも後でも、飲み会なんかに誘ってくるのはほぼ100%「賢いフリした輩」から。私から声をかけたことは一度もありません。
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「賢い奴はアホに惹きつけられるが、アホは賢い奴に惹きつけられない。」とはそういう意味だったのですが、深酔いしてくると、夕方にすすった「カウンターアタック」のラーメン、またすすりたい。

9時10時で真っ暗闇になる町なんて、町じゃないからな!

コロナはわかった。もう聞き飽きたわ。

おい!岸田!

おい!小池!

いつまでもふざけるなよ 。
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午前中に銀座で面倒な個人情報扱いのお仕事を片付けて「長崎カレー 蜂の家」で「黒カレー」をすすり、「これはカレーライスの一つの完成形である」と大きく頷きながら、少年野球の試合会場へ。
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移動の間は「ローマン・ゴンザレスvsレイ・マルチネス」の試合を観ながら、旧友たちが出走している東京マラソン2021の経過もチェック。

野球部の子のお姉さんが「京都と東京の私大に合格した」と親御さんから教えられ、そういや「京都の大学に行きたい」と言ってたなあと、そのお姉さんの顔を思い出しながら、「三島さん(私のこと:仮名)が絶対受かるって励ましてくれてたから、すごく頑張ってました」と感謝されて、来週末に夕飯を誘われたまではいいものの、本命の京大の発表が来週木曜日という驚愕の事実が。

「京大も絶対受かるって断言してくれてたから、すごく勇気付けられてます」と言われて、待て待て待て待て、俺、そんなこと言ったか?と思い返しても、よく覚えてません。

そのお姉さん、最初に宿題とか見たときから優秀で物分りが良かったから「早慶とかは普通に勉強してたら受かる」と太鼓判を押した覚えはありますが、「京大も絶対受かる」なんて言ったかなあ…我ながらいい加減なこと口走るなあと呆れてしましました。

しかし、我ながらめっちゃ言いそうです。きっと、親御さんの前でも「村田がカネロをノックアウトする」みたいなのと同じ感じで言ったのでしょう。

京大不合格なら、来週末の夕食会はキャンセルだなと、それまで頭の片隅にすらなかった木曜日の合格発表にドキドキし出してしまうのでした。

家まで送るという〝京大合格待ち〟親御さんでしたが、車の中でも「京大どうでしょうかねえ?」話になるのが恐ろしくて、やんわりお断り。

駅に向かう道すがらに見つけた「カウンターアタック」という博多ラーメン屋さんに気まぐれで入店。
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驚きの本格的博多ラーメンでした。

黒ラベル生に、替え玉・粉落とし。

大通りから外れているのに結構混んでたから、有名な店なのかもしれません。
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先日、放送された「X後の関係者たち〜月刊ムーの同窓会」(BS−TBS)で超能力や未確認生物、UFO、宇宙人などが流行るのは、豊かになって心の余裕が生まれた70代から始まったという仮説が提示されていました。

ちょうど50年前の1972年2月19日から2月28日に起きた「あさま山荘事件」、それに先立つ70年3月31日に民間機をハイジャックして〝地上の楽園〟北朝鮮に亡命した「よど号ハイジャック事件」で、このディケイドの幕が開けました。

70年は大阪万博開催と、三島由紀夫の割腹自殺。

そしてオイルショックの1973年、少年マガジン5月13日号で「あしたのジョー」の連載が最終回。

この年は、すでにこの世にいなかったブルース・リー主演の「Enter the Dragon(燃えよドラゴン)」が世界的な大ヒットを記録。シュガー・レイ・レナードからマニー・パッキャオまで、ボクサーにも時代を超えて多大な影響を与え続けています。

75年、サイゴン陥落。アメリカが初めて戦争で負けました。76年にはロッキード事件、中卒の英雄・田中角栄が極悪人に貶められてしまいました。

1977年には日本赤軍によるダッカ日航機ハイジャック事件。

79年に「月刊ムー」が創刊されます。

今も続くオカルトやミステリーのムーブメントは、心の余裕に入り込んでくる虚構です。

宇宙人は、広い宇宙のどこかにいるかもしれません。共産主義は机上では理想の社会システムです。

実際に極端な共産主義は論外にしても、日本を緩やかな社会主義国家と規定してもあながち間違いではないでしょう。

そして、1973年に米国が周到な工作によって、チリのアジェンデ政権を転覆させた事実などは、ロシアのウクライナ侵略以上の悪行です。

先鋭化した共産主義と、先鋭化した資本主義、どちらも市民にとっては危険極まりないものに違いありません。

何れにしても、彼らのオカルト、彼らの共産主義は妄想と言葉だけで先走る虚構に過ぎません。
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80年代に中学〜高校〜大学と過ごした私にとってはユリ・ゲラーやネッシー、UFO、宇宙人は友達との間でも話題になる身近な話題でした。

70年代のオカルト色を濃く反映した「イナズマン」(石ノ森章太郎:週刊少年サンデー1973年34号〜1974年38号)は大好きな漫画の一つで、80年代にコミックスを手にしましたが、当たり前ながら漫画としてしか読んでいませんでした。

80年代。学生運動はとっくに鎮静化し、余熱のようなものは少しだけ残っていた気がします。

高校時代、引きこもり気味だった私を目にかけてくれた先生の1人は学生運動の元闘士(自称)。

私が生に近い感覚で知った学生運動はその先生から教えてもらいました。

その他は小説「青春の門」(五木寛之)であったり、フォークソングの「いちご白書」などの〝フィクション〟であったり〝断片〟〝残骸〟でした。

私はシュプレヒコールやインターナショナルを生で聞いたことも、歌声喫茶も知りません。

オカルトにもどっぷり浸かっていたオウムには共感出来る部分はありませんでしたが、もし自分が20年早く生まれていたら、学生運動に参加していたと思います。

ただ、現実の大学時代は80年代。スポーツイラストレイテッド誌やリング誌など米国の活字媒体と、第1種接近遭遇していました。

変な匂いのする海外雑誌の薄いページから読み取ったシュガー・レイ・レナードやマービン・ハグラーの躍動は、オカルトやミステリーなどが入り込む余地のない圧倒的な現実でした。

学生運動やオウム…彼らが芽を出す温床もオカルトと同じく「豊かさからもたらされる心の余裕」だったのかもしれません。

私にも「豊かさからもたらされる心の余裕」があったはずですが、そこに入り込んできたのは「歪んだ3団体時代」と「蠱惑的な4Kingsが繰り広げる現実」を抱える米国ボクシングの深淵でした。
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…もはや戦後ではなった日本には、矢吹丈や力石徹のような戦災孤児もいなくなりました。

丈や力石には、戦わなければならない理由がありましたが、大学に通いながら革命を起こそうとする彼らは、本当は戦う必要などない恵まれた人たちでした。

もっと正確にいうと、ぬるま湯につかりながら、机上の理論を振りかざし、過激な言動を繰り返す彼らには戦う意味すらも、本当は無かったはずです。

それなのに、彼らはバリケードの中で「あしたのジョー」を貪り読み、よど号ハイジャック犯のリーダー田宮高麿は直前に執筆した「出発宣言」に「最後に確認しよう。われわれは“明日のジョー”である」と刻んだのでした。

彼らは丈に自らを重ね合わせましたが、それは驚くほど滑稽なほど暗愚な勘違いでした。

丈や力石が、受験勉強して大学に通って、徒党を組んで凶悪犯罪を犯すわけがありません。大学に通う丈や力石など見たくもありません。

学生運動に身を投げた彼らは無い物ねだりでした。だから、自分達とは真逆の矢吹丈に憧れていたのでしょう。

そう、自分達には絶対になれっこないジョーに憧れるだけでなく、ジョーになろうとした彼らは最初から大きな矛盾を抱えて破滅するしかなかったように思えてきます。
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そういえば、70年代はボクシングでWBAからWBCが分離独立が決定的になり、2人の世界王者が当たり前になった時代です。

何を信じていいのか、全くわからなくなってしまったのが70年代。

「世界王者が2人いる」という倒錯の世界を現出させたWBAやWBCも、オカルトと見なして全く差し支えないでしょう…というか、あれこそ、まさにオカルトです。

80年代になると、WBAからIBFが分離独立。世界チャンピオンは三人いるのが当たり前になります。

ここまで来ると、もはや「間違った世の中を正そう」なんて発想はわきません。「関わるのはやめよう」と離れて行くだけです。

まあ、でも、ボクシングは、団体分裂以前の元々からオカルトな存在だった気もしてきますが…。
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話はあちこち飛びまくりますが、1986年の夏、国立競技場の記録会を走った帰りがけ、すぐ近くの迎賓館に向けて迫撃砲が打ち込まれたことがありました。

市ヶ谷の赤軍派アジトから発射されたものでした。爆発物ではなくサッカーボール大の鉄球でしたが、人に当たってたら死にます。

「暇な奴が一番危ない」と憤った当時の私に、高校時代に抱いた学生運動への淡い共感はほとんど残っていませんでした。

いつまで虚構の世界にしがみついてるんだ、ということです。どこまで頭が悪いんだ、という話です。

「イナズマン」をSFとして愛読する、ユリ・ゲラーの〝タネ〟をあれこれ想像し、ネッシーやビッグフットの伝説を楽しむ、のは楽しいお遊びですが、それを本気に受け入れる感覚は理解出来ません。



ジョージ秋山の「浮浪雲」に「火事の最中に虚しいなんていう奴はいない」という雲の言葉が出てきます。

もちろん、火事場な時代が良いわけが、ありません。

しかし、豊かな時代の余裕のある心に、 オカルトは忍び込んで来るものです。
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一緒に野球してる近所の中学生たちとの「友達の輪」から、彼らの宿題なんかを月イチ程度で一緒に勉強したりしています。

最近は私の仕事の関係もあって、なかなか時間が取れないことも多くて、親御さんたちがオンラインでの勉強会を提案してくれました。

なんとなく嬉しかったのは、勝手に勉強教えたりして不快に思ってる親御さんがいたら申し訳ないな、とどこかで思ってたのですが、そうではないことがわかったからです。

それでも、親御さんたちが自分たちも聞きたいと言われたときは、私の方が少しザワッと嫌な気がしました。

大昔からそうでしたが、きっと私は大人が嫌いなんです。もっとわかりやすく言うと、幼稚なんです。

自分で勝手に思ってるだけかもしれませんが、だから子供には好かれるんでしょう。

そんなわけで、少し前に初めての保護者参加のオンライン授業は「私:大阪⇄横浜」。
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子供たちも親がいるとやりにくいのか、いつもと全く違う調子。

私も大阪で見つけた、彼らの間でブームになってる巨大クレーンを撮った動画を見せたり、大阪のグルメを紹介したり、いつもと違う、わざとらしいまでに理路整然とした流れ。
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こちらは「夫婦善哉」でおなじみの「せんば自由軒のインデアンカレー」。

心斎橋〜船場あたりは、すっかり〝渋谷以上に渋谷化〟した梅田と比べると、大阪がこってり残ってます。

親御さんがいるから、差し障りのない話から逸脱しないようにしてましたが、空気を読めない奴は子供にもいます。

「カンニングした女子大生は悪くないって言ってたけど、あの人、去年もやってたってよ。悪い人でしょ」と、よりによって野球部のバカ。

「白黒アンジャッシュ、見た?やっぱり渡部ってダメだと思う」。これもやっぱり野球部のバカ。

野球やってたら頭が悪くなるんか?

この手の話は、本当に事実関係や彼女の生い立ちなんかは抜け落ちて、限定された情報だけから個人的な感想を語るものです。

私が勉強の合間に彼らと世間話で話したのは…

「カンニングは犯罪じゃない。彼女はやった行為に対して不当なまでに大きな社会的制裁を受けた。もちろん、超ハイリスクでローリターンのズルをした彼女は頭が悪すぎる」。

「渡部も犯罪じゃなく、不当に大きな社会的制裁を受けた。同じことを風俗のお店でやってたら、なんの問題もなかった」。

子供たちの興味を持つ話の多くに「あまりにもつまらないことで大騒ぎしすぎ」と斬り捨ててきました。

「カンニングは犯罪じゃない」はまだしも「風俗の店なら良かった」とか、そんな話までしてるのがわかったらさすがに眉をしかめられるんじゃないかと心配になりましたが、奴らもそこまでバカじゃありませんでした。
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私にとっては、普通の友達でも、彼らは親御さんにとっては大切な子供。

そして、普通に見たら50年配のおっさんと、相手は小中高生です。

親御さんに見られたり、聞かれたりしている環境では、話せないような内容のことはしゃべるべきじゃないのかもしれない、と考えるとちょっと複雑な気持ちになりました。
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こんな質問に自信を持って正解できる人が、いるわけありません。

答えは「清原和博が覚醒剤取締法(所持)違反で逮捕された日」です。

昔、むかし、私の高校時代の野球部の一つ上の先輩が清原の大ファンで、この事件でひどく落ち込んでいたので毎年2月2日、この先輩を囲んだ少人数の飲み会を開催しているのです。

少人数といっても、その実、私と私の同輩、そして先輩の3人だけなのですが。

先輩とか同輩とか書いてても分かりにくいので、仮名で。

私=三島、同輩=直木、先輩=川端。
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川端先輩は、とにかく不器用な人でしたが、野球の練習にも学校の勉強にも真っ直ぐ真面目で、そして何よりも利己的なところが全くなく、誰にでも分け隔てなく優しい男だったので、私達後輩も卒業後は「カワさん」と慕っているのです。

普通は「〇〇先輩」と苗字に先輩を付けるのが絶対デフォルトです。

陸上競技なら正選手を決めるのは「選考会で直接競わせて勝った方」という単純明快なやり方があります。

しかし、実力が数値化しにくい球技の場合は「実力が同等程度なら先輩や既成の正選手が優先される」のが基本です。

特に、私が通っていたような公立高校ではそういう傾向が顕著でした。私は川端先輩がレギュラーの三塁手で、ライバル関係にありました。

正選手が発表される試合の前日、監督から名前を呼ばれて背番号をもらうのですが、5番の背番号を持った監督が口に出したのは私の名前でした。

川端先輩は悔しそうに「えー、マジか…。くそ、負けへんぞ」と私の肩を叩いてくれました。

他のメンバーで声をかけてくれたのは「さすがやねぇ!やったな」と喜んでくれた直木だけでした。

そのあと、監督から職員室に呼ばれた私は「1年生やけど遠慮しないで暴れろ」と励ましてくれるものだと思ってましたが…。

監督は「川端がお前を使った方がチームが勝てる、って選手の分際で俺に進言してきた」「俺はお前の方がチームに貢献できるとは全く思わんけど、ライバルを起用してなんてゆう負け犬は使う気になれん」と、愚痴るのでした。

まだ1年生でしたが、すでに私は授業や練習をサボってイエローカードな生徒・選手で、監督からも「プロ野球の外人選手のつもりか?アホか?ちゃんと授業に出ろ」と、厳重注意されていました。

励まされると思ってたのに「仕方がないからお前をスタメンで使う」みたいな言い方されて、内心面白くなかった私は「川端に恥をかかせんなよ」という監督の声を背中に聞いて職員室を出ました。

選手だけでなく、監督も、川端先輩を大好きなんだというのがよく伝わったのですが、そのことも、ものすごく心の狭い話ですが、私には、本当に面白くなかったのです。

当時は口には出しませんが「余計なこと言いやがって」くらいなことまで、思っていました。それでも、そんな歪んだ性根の私でも川端先輩が自分なんかよりはるかに人間の器が上なのは、よ〜くわかってました。

同じポジションを争ってるのですから、何だろう、相手の性格とか人間までがよく見えてくるんです。

簡単にいうと、川端さんには人徳があって、私はそんなものカケラもない人間でした。

言い訳すると「外国人選手みたいに結果だけ出せばええんやろ、俺を使うしかないやろ」なんて思ってません。当時は、いろんな人付き合いが病的に嫌で嫌で、それでもスポーツとか読書とか映画は大好きで、社会不適合というか、無機質なものとしか向き合えないというか、人付き合いから逃げていたんです。

私が正選手に選ばれたことに、露骨に嫌味を言ってくる先輩や同輩もいました。

また、「お前は社会の落伍者、野球部でもみんなお前のことは快く思っていない。出席日数不足で退学になる前に自分から辞めろ」と粘着してくる先生もいました。

自分でも社会に適応できない「落伍者」という意識はありましたが、それをわざわざ本人の眼の前で吐き捨てる奴らの神経は間違ってると思いました。

とはいえ、こっちは社会不適合者で落伍者、あっちは神経いかれてても社会の中でちゃんと溶け込んでるわけです。

実際、高校を中退しようかとも思いましたが、野球部のチームメイトや先生の中には、私を受け入れてくれる人もいました。川端先輩はその一番手な人でした。

今なら、私のような生徒は自宅学習に切り替える選択肢があるのですが、当時はそんなものはありません。

それに、もし、そんなものがあれば、私の場合は川端先輩をはじめ、いろんな優しい人に会えませんでした。

川端先輩は同情から後輩の私を気にかけてくれてる感じが、とにかく全くありませんでした。お兄さんのように接してくれました。

そして、というか、今思うと「だから」なんですが、徳はあっても、とことん不器用で、とことん運もタイミングも悪い人でした。

それは、今でもそうなんですが、高校のときからそうでした。
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普通の公立高校だったので、専用の野球場などありません。野球部のグラウンドの外野の先というか外野に入り込むように、陸上部の300mトラックがあって、トラックの中にサッカー部のピッチまでありました。

私は小さい頃からどちらかというと運動が得意な方で、体力測定の50m走や1500m走も学年で一番でした。学校のレベルが低いだけでしたが、陸上部からもマイルリレー(400×4=1600m)や冬の駅伝に助っ人として誘われていました。

よく声をかけてくれてたのが2年生ながら、というか女性ながら主将の石川先輩で柔道部も兼部してた猛者。しかも学業も半端なく優秀で、しかも容姿も淡麗で「天は彼女に何物を与えるんだ!」という文武両道・才色兼備の見本みたいな人でした。

石川先輩からは「陸上部の顧問の先生はマイルも走って欲しいみたいだけど、バトン練習あるし、そんなに時間とれへんやろ?」とか「駅伝の予選はなんとか1区でお願いしたい。一度10㎞走ってもらって、本番でどれくらい約束できるか教えて」とか、事務的・冷淡・ノルマ押し付け・一方的な言葉をかけられたのがほとんどで、私は「あ、はい」と短い返事をするだけでした。

それでも、石川先輩と同学年の川端先輩は「石川さんと仲ええなんて羨ましいなあ。俺も足速かったらなあ」みたいなことを何度か言ってきたので、あるとき「川端先輩、石川先輩のこと好きなんですか?」と聞きました。

あるときって、サードの守備練習で交互にノック受けてる時なんですが。

川端先輩は「ばっちこーい!…え?、三島、何聞いてくんねん」と、三遊間のイージーゴロを見事に弾いてしまいました。

練習後に、川端先輩は「石川さんが大好きや。でも、俺なんかとは釣り合わんから、石川さんには絶対言うなよ」と、私の目をジッと見て言いました。

「(恥ずかしいから)誰にも言うなよ」ではなく「(迷惑かかるから)石川さんには言うなよ」という川端さん。

いろんなことで川端先輩に負い目やら借りがあるように感じていた私が「1回デートとか誘ってみません?なんかうまくいきそうな気がします」と言うと、川端先輩は「お前、彼女とかおらへんやろ!女の子と付き合ったこともないやろ!そんなお前に何ができんねん?」。

確かに女の子と付き合ったこともなければ、会話したこともほとんどありません。石川先輩との当時の会話も私は「はい」くらいしか言ってませんから、どう考えても会話とは言い難いやりとりでした。

しかし、川端先輩に何でもいいから喜んでもらいたいという気持ちが膨らんでいた私は「任せてください」と軽くガッツポーズをしてしまいました。
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あの頃、私が心を開いて話せる人なんて、ほとんどいませんでしたが、川端先輩はそんな希少な方の中でも、こっちからイジるほどの、敬愛すべき人。私から積極的に話しかけることができる、唯一の存在でした。

そう、敬愛って言葉がぴったりです。

今年1番の泥酔状態なので、話があちこち飛びますが、川端先輩はとにかく不器用な人だったんです。

受験も二浪。それなのに体育会の野球部に入って、最後の4年生でレギュラーになって、社会人野球にまで進んだのです。

これ、すごいことなんです。私レベルでは、到底不可能の大偉業です。

私たちの中で一番長く、野球をやった人でした。

社会人野球ですから、もちろん超大企業、選手引退後のキャリアも保証されていましたが、そこを辞めて学校の先生に。

その、カワさん(高校卒業後は先輩も同輩も後輩もOBからも「カワさん」と呼ばれています)は、一貫して清原の大ファン。

社会人になってから会うと「誰からも応援される松井秀喜やイチローよりも、味方のファンからもヤジを飛ばされたり応援すら止められたりしながらも打席に向かう清原の方が格好良くて立派な生き様だ」と酒を飲みながら訥々と語るのでした。

教室でも生徒に「どんなに逆風が吹いても、自分が大好きなことからは逃げるな。勝てなくてもいい。負けてもいい。でも絶対に逃げるな」ということを教えていたそうです。

そして…あの忌々しい2016年2月2日がやって来るのでした。

赤の他人の清原が自業自得の愚かな犯罪行為を犯しただけなのに、カワさんにはショックが大きくて、ずっと落ち込んでいました。
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わしらのプロミスド・ランド、大阪心斎橋のランドマーク(わしらだけの)。ロキ・リキテンスタインのカートゥーン。

カワさんを慰めるために始まった、毎年2月2日開催の湿っぽい飲み会。私の勤務先は東京や札幌とあちこち変わりましたが、その日は何が何でも大阪に馳せ参じました(むりくり大阪出張とか組み込んだり)。

今年の2月2日は「カワさん飲み会」は、もともと開催予定じゃありませんでした。

コロナだから、ではありません。

50過ぎのカワさんの結婚式だからです。お嫁さんはなんと20歳近くも年下。

本当なら2年前の2月2日に予定されていましたが、そこから昨年に延期、そして今年めでたく三度目の正直なはずでした。

しかし、まさかのオミクロン。

昨夜、カワさんから「いやぁ、受験は二浪やったけど、結婚は三浪やで。俺の人生、どないなっとんねん」と電話。

本当なら、慰めや励ましの言葉をお返しすべきなのですが、なんだかもう、おかしくておかしくて、ゲラゲラ笑い転げてしまいました。

2月2日は水曜日、平日ですから会社を休んで大阪の式場に馳せ参じる予定だったのでした。他の招待された方々もほとんどがそうだったはずです。

カワさんが悪いわけじゃありませんが、横浜在住の私なんかは2月2日に大阪に入って、5日まで宿を取るザ・スーパーファイトなお祭り騒ぎを覚悟していたというのに…。

親族含まなくても200人近い招待だったそうです。200人の予定を狂わせたのはオミクロンか、それともカワさんか…。

50過ぎた結婚式で、200人も呼ぶなよ…。確かに大ホテルの「ホーオー」だか「ヒショー」の間だったから、何の展覧会やねんと、突っ込んでましたが。

今回の状況に政府や自治体がどういう判断をするのかわかりませんが、最悪でもオンラインで、私の大嫌いなオンラインでも、力一杯はじけようと思います。
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すっかり暗くなった夜の銀座、松屋通り。

その路肩に誘導灯がそっと置かれていました。

ずーっと昔、同じような光景を見たことがありました。

勉強や学校が嫌でいろんなことから逃げ出していた高校時代に、同じ映画を繰り返し観て丸一日こもることもあった寂れた名画座。

その近くを走る県道にも、ある夜、誘導灯が置かれていたことがありました。
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先日、映画好きの大先輩と一晩中語り明かすという、こんなに喋り続けたのは久しぶりという機会がありました。

そのとき、神保町の岩波ホールが7月29日に閉館するということも話題になりました。

新型コロナウイルス感染拡大の影響で、劇場の運営が困難であると判断したということでした。

岩波ホールは1968年2月に映画講座、音楽サークル、古典芸能シリーズ、学術講座の4つを中心とした多目的ホールとして開館されましたが、私にとってはこれぞミニシアターという存在でした。

岩波ホールの名作映画上映運動「エキプ・ド・シネマ」(フランス語で「映画の仲間」)のスローガンは4つ。

「日本では上映されることの少ないアジア・アフリカ・中南米など欧米以外の国々の名作の紹介」「欧米の映画であっても、大手興行会社が取り上げない作品の上映」「映画史上の名作であっても、何らかの理由で日本で上映されなかったもの。またカットされ不完全なかたちで上映されたもの」「日本映画の名作を世に出す手伝い」。

こうしてあらためて書き出すと、どこまでも高尚です。映画へのこだわり、矜持が溢れています。

映画館で一日中時間をつぶすのが好きな私にとって、ミニシアターの分際で岩波ホールが各回完全入れ替え制なのは不満でしたが、そのスタンスはよく理解出来ました。

映画へのこだわりと矜持です。
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ずっと「エキプ・ド・シネマの会」の会員だった大先輩は本当に悲しそうで、現在上映中のオーストリア映画を一緒に観に行く約束をしました。

言ってみれば、私たちはまさにエキプ・ド・シネマでした。

酔いが進むと「この国はもうすぐ滅びる!」と叫ぶ大先輩とは阪神地区の場末のミニシアターで知り合った友だち…というには当時は名前も知らなかった、せいぜい顔見知りというレベルの浅い付き合いでした。

あの頃、私は高校生、ちょうど一回り12歳年上の大先輩は女だてらに総合商社のやり手の若手社員でしたが、そんなこと当時は知る由もありません。

名前も知らなかった人ですが、私が大学進学で上京、就職した仕事先でまさかの再会がありました。

私も岩波ホールで何度か映画を観たと言うと、大先輩は「会ってたかもしれんねぇ。あのお仕事先で会ったのは余計やった。あの寂れた映画館で顔見知りで、岩波ホールで再会したらちょっと感動的やったのに、現実なんてこんなもんやね」と、冷蔵庫から取り出した缶ビールを私の頬に軽く押し付けました。

そう、大先輩はあの寂れた映画館でも瓶コーラをおごってくれるときは、いつもそうしてきました。

大先輩のご主人も一緒にお話ししてたのですが、酔いが回って「授業にも出ない引きこもりで女子と話したこともほとんどなかったから、こんな自分にも優しく接してくれるし、すごく綺麗な女性だったから、名前も知らないのに大好きでした」と35年の歳月を超えて告白しました。

すると、ご主人が「君ら相思相愛やったんや!」と笑い出しました。

当時、すでにお二人は交際してたそうで、プロポーズされた大先輩がなかなか色良い返事をくれないので、ご主人が「誰か好きな人いるん?」と聞くと「映画館でときどき会う高校生」だと答えたというのです。

「そのときからこんなに二人で盛り上がってたん?」と聞くご主人に、大先輩は「ほとんど話したことがない」とグビリとビールを飲み干すのでした。

大先輩は本気で私を好きだったわけもなく、色んな意味で結婚への迷いがあって、プロポーズを保留するための絶妙の冗談だったのでしょう。
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私も「一言も会話しないでコーラだけおごってもらったこともあったかも」と思い出すと、大先輩は「一度だけチャンバラした!」とパンとテーブルを叩きました。

そうです。

あの日も、映画館の前の路肩に誘導灯が何本か置かれていました。

やはり、日がとっぷり暮れた頃合いで、映画館の入り口で大先輩と鉢合わせ。

ペコっと軽く挨拶すと、大先輩は何を思ったか路肩の誘導灯を、2本取り上げて1本を私に投げて来たのでした。

そこでなぜかチャンバラごっこが始まり、当時は若かったとはいえもう十分いい大人だった大先輩はスターウォーズのライトセイバーのように「ブーン!ブーン!」と声を上げながら誘導灯を振り回して攻めて来るのでした。

このお姉さん、ヘンな薬でもやってんじゃないかとビビりながらも、もしそんな薬やってる人なら無視したりすると余計に怖いと思い、誘導灯を交錯させて「衰えたな、オビワン!」と唸って付き合ってあげました。

すぐに持ち主の警備員のおっちゃんから「くぉら!おのれら何してくれとんじゃ!」と怒られた私たちは「すみませーん!」と謝って、映画館に逃げ込みました。

そういえば、あの辺りには「覚醒剤、やっても売っても犯罪です」なんて警察の看板が当たり前に立ってました。

今でも立ってそうです。

ああ、上京してから友人と警備員の短期バイトしたときも誘導灯を持って、やはりスターウォーズごっこして怒られたことがありました。

遠い昔の思い出ですが、大先輩と「今も同じようなシチュエーションになったら?」と目を合わすと「やるかもね」「やりますね」と35年近くも経ったというのにいつまでも性懲りも無く幼稚なエキプ・ド・シネマなのでした。

それにしても、あれからまだ1週間ちょっとしか経ってないというのに、路肩で誘導灯を見つけるとは。

逆に、誘導灯チャンバラの話をして日が浅いから目に止まっただけで、これまでもこんなことが何度かあったのに気づかずに通り過ぎていたのかもしれません。

世の中には「リンカーンとケネディ」みたいなありえない偶然がこれでもかといくつも重なることもあります。

大した偶然ではないのですが、これで向こうから大先輩が歩いて来たら相当な偶然かな…?
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