フシ穴の眼 〜スポーツ疾風怒濤編〜

      Hope Lights Our Way / 希望の道を、つなごう。

カテゴリ: 恥さらしの人生でした。

好天でした。

仕事先の方との食事もお弁当を買って日比谷公園へ。
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有楽町にも「よしもと」があるのです。
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有楽町コンコースでは、食器が「ご自由にお持ち下さい」。閉める店があるようです。
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皇居前から日比谷公園へ。

日比谷公園は人が多そうなイメージがあって嫌だったのですが、良さげなベンチをすぐに見つけることができました。
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仕事は、超の付く繁忙期ですが「納期は4月で良いですよ」という優しい取引先とお昼ごはんから、皇居周りをお散歩。ちょっと贅沢で長い昼休みでした。

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思えばこの試合がトップランクが打った最高の興行でした。「バドワイザー・プレゼンツ」というのも時代です。バドワイザーやクアーズは遠くなりにけり。今は「テカテ、セルベッソ!」。ボクシングは「パクス・メキシカーナ」の時代です。
 
マーベラス・マービンの話です。


中高生の頃、スポーツイラストレイテッド誌やリング誌などに掲載されたスポーツの記事、特にボクシング関係のものが私の英語の教科書でした。

特にボクシングの記事は最高の先生でした。

読みたい、理解したい、でも何が書いてあるのか全くわからない…そんなジレンマと戦いながらも、それが試合の記事なら、ボクシングマガジンの日本語と〝答え合わせ〟をすることが出来ました。

英語の文型や構文に関する知識がほぼゼロの私でも、その概念を知る前に、それを理解することができました。

Hagler knocked Hamsho down twice to earn a fourth-round TKO victory.

簡単な単語しか並んでいません。英語の知識が無くても試合を知ってる人が読めば「ハグラーがハムショから2度のダウンを奪って4ラウンドでTKO勝利した」と正確に訳せるはずです。

そして、knocked Hamsho down なんてのも良いですね〜。バカ中学生でも「英語ってこういう表現するんだ」と腑に落ちました。

日本語だとknockoutやknockdownは一つの言葉で、英語でもその場合がありますが「ハグラーはハムショをノックしてダウンさせた」というのが英語的です。

スボイラやリング誌を興味津々で読み込むことで、 日本語にない英語独特の文型や構文についても極めて自然に習得することが出来ました。

もちろん、ハグラーvsハムショを見ること、ボクシングに興味を持つことなどの前提条件に費やす時間を考えると、受験やビジネス英語に対する本当に効果的なアプローチだったのか?となると大いに疑問です。

それでも、本人からしたら何の苦もなく、いつのまにか受験レベルの英語を易々と習得することが出来ていました。

授業では、あまりお目にかかれない言葉も、当たり前のように大量に覚えました。

weighing、weigh−in(計量)、terrible(恐怖の)、vulnerable(打たれ弱い)、brutal(残酷な)、awkward(やりずらい)、ferocious、fierce(獰猛な)、relentless(情け容赦ない)、concussion(脳震盪)、farce(茶番劇)、hype (誇大広告)、split(分かれること)、cherry picking(良いとこ取り=雑魚狩り)、endorsement(スポンサー収入)、unprecedented(前代未聞)…。cherry pickingcherry pickingpe  

高校時代。ある日の英語の授業が終わって、クラスメイトがタイム誌だかニューズウィーク誌の記事を持ち出して「この単語の意味がわからない。辞書にも載ってない」と先生にに相談したことがありました。

ghettoese。

黒板に書いて、先生は「これ私もわからない。誰かわかる?」と優等生を指しましたが、誰も知りません。

その先生は、成績最悪の私を過大評価する奇特な方で、だいたいにおいて最後の最後に私に聞いてくるのです。

そういうときは、知ってても「わかりません」と答えるようにしてましたが、そのときはちょっとボーっとしてて「全体を読んだ方がわかるよね?」とタイム誌を差し出されて「あ、要りません。ゲットー語って意味です」と答えてしまいました。

「ゲットーってユダヤ人を強制的に住まわせたところじゃないのか?」という先生の質問も、仕方がないなという感じで「ゲットーはアメリカにあるし、ユダヤ人とも限らない。ゲットー語は下品な言葉という意味」と説明しました。

ボクサーのトラッシュトークを表現するときにちょくちょく見かけた言葉です。

英語でしか読んだことのない言葉でしたが、日本語としてもきちんと整理できていたようでした。

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自慢話の前置きが長くなりました。

マーベラス・マービンがいなければ、私は引きこもって、あそこまで英語雑誌を読み耽ることはなかったでしょう。

私の教師、ハグラーの血風録です。

さて、何から書きましょうか。

リングの中の試合については、私のくだらないゴミ言葉でハグラーを伝えることなど出来っこないので、YouTubeなどで堪能して下さいませ。

ハグラーの世界戦14試合はいずれもマスト・シーですが、vsロベルト・デュラン、vsジョン・ムガビ、そしてvsトーマス・ハーンズは、それぞれテイストが異なる不朽の名作です。

ハグラーの試合が面白いのは、高度な技術を持ちながらも純粋にボクシングの醍醐味、殴り合いを見せてくれるから。

そして、あまりに強過ぎるがためにメディアもファンも「誰がハグラーに勝てるのか?」という対戦者候補を考える楽しみに耽けることまで出来ました。

ハーンズはその有力候補の1人でしたが、あの史上最も苛烈な3ラウンドで、リングサイドに座るドナルド・カリーの姿にもファンはワクワクを抑え切れませんでした。

ハグラーvsカリー。「そんなアホな。GGGvsブルック、カネロvsカーンよりも悲惨な結果にしかならない」というのは、後出しジャンケンで、当時のローンスター・コブラはモーターシティ・コブラと並ぶ打倒ハグラーの最右翼でした。 

ザ・ビースト・ムガビとの力比べも制したハグラーを解説者席で仮想敵のように語ったシュガー・レイ・レナードにメディアもファンも「ハグラー相手にカムバックなんてありえない」と思いましたが、何かが起きるかもしれない…という根拠のない期待が膨らむのも抑え切れませんでした。

かつて「ヘクター・カマチョは小さ過ぎる。ハグラーは大き過ぎる」と口にしていたレナードでしたが、結局2人と戦うことになります。


兎にも角にも。THE SUPER FIGHTと銘打たれた史上最大の興行は、何もかもが桁外れでした。

最近で例えると、破格の興行規模はパッキャオvsメイウェザー、衝撃のマッチアップはパッキャオvsデラホーヤでした。

しかし、私にとってハグレナが、人生初の〝バックメイ〟であり〝パックデラ〟だったのです。

度肝抜く興行規模と、ありえないマッチメイク。それが同時に成立した超弩級のメガファイトがハグラーvsレナードでした。 



続きます。

49日が過ぎようが、一周忌が過ぎようが、生誕100年になろうが、終わりません。続きます。

なんでかわかりませんが、シラフでちゃんと書きたくなります。
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1980年代という時代は私にとっては小学、中学、高校、大学を過ごした時代になります。

そんな、個人的な事情からも80年代は特別でした。
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マーベラス・マービン・ハグラーは1980年年9月27日、英国ロンドン・ウィンブリーアリーナで世界ミドル級 Undisputed Championのアラン・ミンターを3ラウンドで粉砕、ついに世界王者になりました。

当時、日本では英語の発音通りに「ヘイグラー」と表記されていました。

ヘイグラーでも十分強そうですが、すぐに「ハグラー」になりました。

ハグラー!ハグラーです!もはや人名ではなく怪獣の名前に近い語感です。しかも、あのルックスでハグラー。もう、絶対に弱いわけがありません。
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そういえば、黒人アスリートが頭髪を剃り上げるのは、ハグラーがハシリではなかったでしょうか?

1973年5月18日のプロデビューから7年4ヶ月の歳月と、53戦49勝40KO2敗2分という長い旅路の果てについに辿り着いた王座でした。

勝利の瞬間、ハグラーは膝まづき号泣しました。

とはいえ、私はリアルタイムでこのシーンを見ていません。

ずっと後になって(といっても若い頃の「ずっと後」は半年後だったりします)ハグラーが涙に咽び、ペトロネリ兄弟と抱き合う光景を目にしたとき、感動というよりも「あの恐ろしいほど強いハグラーが泣いている」と戸惑ってしまいました。

心ないロンドンの観衆はハグラーにビールの入ったままの紙コップを投げ、罵声を浴びせましたが、そんなことまで本当に格好良く映りました。
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先の話をするのは憚られますが、村田諒太がゲンナディ・ゴロフキンを倒せば、次はあいつしかいません。

その場所は東京ドームである必要は全くありません。

あいつの家に乗り込んでやりましょう。ラスベガス最大のハコ、T−Mobileアリーナか。あるいは、テキサスのAT&Tスタジアムか。

会場がしょぼいベガスは嫌ですね、やっぱり巨大スタジアムがいいです、AT&Tスタジアムです。

テキサスなら、来年は入場制限も解除されているでしょう。7万人、360度アウエーのリングに上がる村田を見たら、もう死んでもいいです…いや、勝つのを見届けたら死んでもいいです…絶対死にませんが、きっと泣きます。

やっぱり、完全敵地で勝つ、それもアンダードッグで、というのがドラマティックです。

ちなみに、ハグラーは生涯、一度もアンダードッグを経験せずにグローブを吊るしました(実際にはデビュ−15戦目はアンダードッグだったと推測できますが、キャリア初期です)。

五輪メダリストなどの温室エリートや、穴王者と雑魚挑戦者が選り取り見取りの4-Belt Eraならいざ知らず、ハグラーの時代は2-Belt Eraと3-Belt Eraの端境期、ましてやハグラーはミドル級のUndisputed Championです。

ハグラーがどれほど強かったか、強いと認められていたかの証明の一つです。

「無冠の帝王」「議論する余地のない王者」「リネラル王者」「リング誌王者」「パウンド・フォー・パウンド」「シーザースパレス特設リング」…マーベラス・マービンが発信してくれる言葉に初耳はありませんでしたが、その意味は正確には理解していませんでした。


「無冠の帝王」「議論する余地のない王者」「リネラル王者」「リング誌王者」「パウンド・フォー・パウンド」「シーザースパレス特設リング(カジノ)」…それらは一つ残らずボクシング界の闇を映す鏡言葉であることを、これ以上ないわかりやすさで教えてくれたのがハグラーでした。

私は、ハグラーから世界のボクシングを習ったといっても過言ではありません。最強で最高の先生でした。

1980年9月27日に戴冠し、1987年4月6日までの6年6ヶ月と10日。

マーベラス・マービン・ハグラーが支配した6年6ヶ月は、ボクシング史上最も絶対的で濃密な王朝でした。

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仁徳、いまは大仙陵古墳。

1980年代。

高度成長期はとっくに終わり「明日は今日より素晴らしい」とは誰も信じていなかったにもかかわらず、日本は妙に浮き足立っていた80年代。

私はプロレスラーになれない絶望を抱えて中学へ。プロ野球選手の夢も砕け散って高校進学。

高校の図書室と小さな映画館が、私の逃げ場所でした。

私の周囲も、受験やイジメ、ノストラダムスの大予言、オカルトブームなど…70年代から引きずっていた経済優先の歪みが表面化していました。

本当なら、その代償を清算すべき時代が80年代でした。

しかし、80年代は現実や足元を直視することのない「その日が楽しければいい」というパーティな時代に踊り狂いました。

かくいう私も後先のことを考えずに、仁徳天皇陵に〝ゴロゴロ転がってる人間の頭ほどのダイアモンド〟を目当てに夜中にゴムボートで潜入したり、あちこちで喧嘩したり、学校サボってカビ臭い映画館にこもってたり…。

まともじゃなかったです。 

「ノストラダムス」が大嘘なのも、仁徳天皇陵にビーチボール級のダイアモンドが転がってないことも、わかってました。いくらなんでも当たり前です。そこまで馬鹿じゃないです…その一歩手前くらいの馬鹿でしたが。

受験勉強がくだらない作業で、イジメが臆病者の卑劣な病気であることもわかってたように、世の中はくだらないことばかりで溢れてると、10代半ばで厭世的になってました。

中学3年、期待していたスポーツ推薦はどの高校からももらえず、一般入試を薦められたのが一番ショックでした。

高校は甲子園とは無縁の公立高校に進学、私は不登校になり、引きこもりました。

野球部と陸上競技部に籍を置いて練習や試合には出るけど学校は休みがち、という「世の中ナメとんか」な高校生でした。

「授業休んだ日は部活はさせない」「授業中に図書室にこもるのは禁止、図書室にカギかける」と怒り狂う先生もいましたが、何故かなし崩し的に看過されて卒業まで出来ました。

一部の先生やチームメイトらが尽力してくれたお陰でした。

ある日、健康診断だと言われて保健室に来たお医者さんに問診を受けたことがありました。

担任の先生から「授業の欠席は病気のため、部活はリハビリの運動じゃ」と〝お墨付き〟を頂きました。

しかし「学校行きたくないやつは他にもたくさんいるだろうに、自分だけ優遇されるのは嫌だ。学校辞めたっていい」みたいなことを伝えました。

先生は「学校に行きたないやつはいるやろ。でも、明日から来てもこんでもええぞと言って、ホンマに来ぇへんやつはいない。だから、お前だけズルいという文句は出ない」と言った後「それにお前はきっと、簡単に結構な大学に受かる。うちは公立やからどこぞの大学に何人入ったかなんてそこまで気にせぇへんけど、まあもったいないのはもったいない」と、学年でも成績最下位の私が「はあ?」となるようなことをノタまうのでした。

この先生が自称・元学生運動の闘士。この元闘士には何故か右翼の知り合いがいて、その右翼が連れてきた私と同学年の右翼の卵と4人で、丹波篠山の山奥でイノシシ鍋をつつきながら大酒を食らったことがありました。

公立高校の教師が未成年の教え子と右翼を炉端焼きで引き会わせて、アホほど酒飲ませる…今なら大問題です。

もちろん、当時も違法です。

「なんでこんな人里離れた猪鍋屋に連れてきたか分かっとんな?内緒やからな」とクギを刺されましたが、その先生本人が口の軽い陸上部のキャプテンにバラして、とにかく大変なことになりました。

そういえば、大学1年生は未成年ですが、どこでも大手振って酒飲んでました…。 
 

暗かった高校時代。でも、時間が経って思い返すと笑ってしまうほど、悩んでたことはくだらないことです。

プロ野球選手になれないと思ってショック受けるとか、今の私が当時の私に会えれば「報徳や東海大姫路に行かんでもプロ野球選手になれるやろ!本気でやりたいなら本気でやれ!」と叱り飛ばしますが、当時はいろんなことから逃げ出したかったんです。

現状への鬱屈と、未来への不安と、自己嫌悪と、いろんな負の感情にグラグラ揺れながら日々を過ごしていた私の暗い80年代。

それなのに、、、見た目も実力も圧倒的な存在感をしていたのが、ハグラーでした。私とは正反対で、誰からも逃げない、威風堂々、最強の世界チャンピオンでした。


80年代、すでに米国ボクシングは凋落の坂道を転がり、団体と階級の増殖はボクシング界の内部からも批判が沸き起こっていました。

未来は必ず明るい…なんてことはない。

経済発展の行く末に幸せが待っている…そんなわけがない。

世の中に絶対なんて、ない。

そんな諦めと後悔から、現実を直視出来ずに日本中が「今が楽しければいいや」と踊り明かしていた80年代。

3Belt-Eraに突入したボクシングのリングも、新設階級とジュニア階級の水増しが進む中で、オリジナル8の純正クラスの重みまでもが軽くなる一方でした。

そんな80年代のボクシングシーンで、ミドル級の牙城を頑固に守るLneal Championであり、Undisputed Championとして君臨していたハグラーは重い存在でした。

安易な世界戦が繰り返されるリングで、ビッグファイトといえばハグラーの防衛戦、そのリングは安易さとは無縁の非情な王者による。殺戮現場でした。

チャンピオンとは威厳の称号です。

複数階級制覇のための数字稼ぎや、人気階級に飛び立つための踏み台であってはいけません。

世界に一つしかない王座を恐ろしいほど強いチャンピオンが守っている。

その挑戦者はファンやメディアが望む最強のラインナップ。

軽薄な80年代の真っ只中で、マーベラス・マービン・ハグラーのリングはどこまでも重厚でクラシックでした。
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この一年。

半世紀近く生きてきた中で、最悪の一年でした。

これまで、生ぬるい人生を歩んできた私は、深刻な大病を患うこともなく、大きな災害に遭うことなく、超のつくひねくれ者にもかかわらず、多くの人が優しく認めてくれました。

このパンデミックで、良かったことがもしあるとしたら、私みたいなのと仲良くしてくれた人たちが「オンラインで飲もう」と誘ってくれて、多くの人と何十年ぶりかの旧交を暖めることができたことです。

本当にたくさんの人から誘っていただき、そこで改めて気づいたのは、自分から誘わない私の薄情さです。

せめてもの思いから、最後は「ありがとう」とお礼を伝えて「今度は俺から誘うから」と、ちょっとしたお詫びじみた感じでzoomやV−CUBEを退室するようにしてます。

「やめてー、〇〇君から誘うなんて、気持ち悪いから!」というやつには「じゃあ、これで永遠のお別れじゃ」と言い残して退室します。


そして、自分から誘った珍しいケース。2月中旬、ちょっと前のお話です。

しかし、私が誘うのは当たり前ですがオンラインではないオフライン。リアル飲み会です。PFPのような妄想は御免です、ソーシャルディスタンスはとっても、やっぱりリアルの飲み会です。

どっちが優れたボクサーかがリングの中でしか決まらないのと同じように、私にとって飲み会はリアルでしかありえません。

オンライン飲み会というのは、テレビ電話をしながらの一人飲みに過ぎません。飲み会ではなく一人飲み。

予約したのは、九段下の有名ホテル。ボクシングの記者発表会などでも伝統的にお馴染みの古き良き佇まいを見せるホテルです。

この日は古い友人と3人で昼食を食べよう、そして酒も飲もう、20時の閉店まで居座るかもしれんと、お店にはお願いしてるから、と集まりました。

このホテルで食事するのは初めて、ホテル内のお寿司屋さんを予約するのも当然初めてでしたが、素晴らしいサービスでした。

1人は高校時代に担任の先生から紹介された右翼の同級生。名前は「赤尾くん」にしましょうか。

もう1人は大学時代にデートしたこともある一つ上の左翼の先輩。こっちも名前は「重信さん」でいいかな。

ノンポリの私は「三島」にしましょうか、ああそれだとノンポリじゃなく右翼じゃ、でも考えるのもめんどくさいからノンポリの三島じゃ。 
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そして、なんということか!私の仕事で年1回レベルのトラブル発生で、言い出しっぺの幹事が約束の11時半に間に合わないという最悪の事態に。

最悪というのは「赤尾くん」と「重信さん」は私の共通の知り合いですが、二人は面識がないんです。

私がホテルに入ったのは、もう12時半過ぎ、1時間以上もアラフィフの面識のない男女、しかも右翼と左翼を寿司屋の座敷で二人きりにしてしまったのです。

携帯電話がブルブル鳴るのも嫌なので、ノートやスマホは上着もろともフロントに預けて「事故的に絶対盛り下がってる」はずの現場へ。

私が座敷に上がり込むと、二人は長年連れ添った夫婦のような感じでお話ししてる最中でした。

二人から「遅い!」と叱責されると思いきや、重信さんが「お疲れ様、ビールでいい?」、赤尾くんは「(ソーシャルディスタンスで)席離れてて変な感じやろ?」と、心配したムードは全くなし。

重信さんとはもう何十年も会ってませんでしたが、あの頃のままシュッとした綺麗なおばさんになってました。

赤尾くんとは「五輪イヤーに会う」ような感じで、付かず離れずな関係でしたが、去年も会ってたので2年連続、まあ五輪もそんな感じなので、やっぱり〝五輪イヤー〟です。

バブルがはち切れんばかりに膨張して、日本列島が浮かれきってた80年代後半に青春時代を過ごした私達で、学生運動の残りカス(現実にはそんなものすら存在してませんでしたが)に惹かれた重信さんや、日本の未来を憂いて右翼活動にのめりこむ赤尾くん。

私は、二人には「3人で飲む」ということしか伝えてませんでした。飲み会の最初に「左翼の重信さんと右翼の赤尾くん」と私が紹介して、この三国志な飲み会を進めるアイデアでしたが。。。

遅刻した私を責めずに、軽く酔った二人は「三島は本当にセンスある」「ここを選んだのは靖国神社とあしたのジョーからだろ?」「ちょっと感動したよ、さすがだよ」と、予想だにしないホメゴロシな雰囲気に。

確かに、その通りなんですが、簡単に気づくとは、逆にさすがです。

まあ、九段下のホテルは靖国神社が至近で、ボクシングの世界戦の発表記者会見が行われる舞台でもありました。ジョーにもこのホテルが描かれてたかもしれません。

「靖国神社=右翼」「あしたのジョー=左翼」というステレオタイプな発想です。

それに気づいてるということは、二人とも身上を話してるってことでした。



重信さんがフロントに荷物を預けようとすると、先に赤尾くんがいて、お互いを「宿泊客の人」「セレブなアジア人」だと思ってたら、同じ店に入って、同じ部屋に案内されて…。



そして、私も「今日は誰にも邪魔されずに3人で飲むぞ、携帯のブルブル音はしらけるからな」と同じことを考え、荷物をフロントに預けたのでした。

携帯ブルブルがしらけるとフロントに荷物を預けた二人に「さすが極右と極左のお二人です。寿司食うときでも気合いの入り方が違う」と頭を下げる私に、重信さんは「三島くんも同じことしてるんじゃん。三島くんも普通じゃないんだから、無理して中道歩かずに右か左に極端に生きたらいいんだよ。やっぱりどっちかといえば左でしょ?」と30年ぶりにオルグされかかり、赤尾くんも「いやいや三島はこう見えて本質的に右ですから、こっちでいただきます」と、あまりありがたくないモテモテ状態に。

さすがに20時までは飲みませんでしたが、それでもホテルを出ると真っ暗。18時を回ってました。

重信さんが「今度はお二人が激論する洋々亭に連れっててよ」と言うので、私は「じゃあ今行きましょう、我々のアジト洋々亭へ!ラーメンで締めましょう」とレッツゴー。

すると、まさか、まさかの閉店。55年もこの地で町中華を営んでいたそうですが昨年4月30日で閉店した、とのこと。

しかし「しんみりしてしまったままでは収まりがつかん!」と近くの居酒屋で飲み直し。10時間近いロングランを完走した3人。

長い間、三島〜赤尾の男二匹で〝五輪式〟開催していた「九段下飲み会」は次回から左翼の美魔女もレギュラーとして加わることが決定した夜でした。
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プロボクシングが大好きなのである。

プロボクシングが好きなチンパンジーもいれば、カナブンもいるでしょう。 

隣の家で夜中にどんちゃん騒がされるわけでもなし、ネット上で自分とは違う意見、理解できないコメントに遭遇しても無視すればいいだけです。

寄ってたかって踏みつけられるカナブンに同情するわけではないし、そもそも匿名のコメントに傷ついたり、傷つけたりするのは、つまらない話です。
 
酩酊したフシ穴が書き殴る、本当にどうでもいい馬鹿話。 

このブログ自体が「史上初」「空前絶後」「前代未聞」「グレート」「レジェンド」「守銭奴」「体重同一時最強」「正気の沙汰じゃない」…など素っ頓狂で大袈裟な言葉を書き連ねる、取るに足らない馬鹿話しかしてません。

一番大切なのは、もちろん毎日の生活。そこにはパックマンもメイウェザーもいません。




▶︎ ななし 2021年02月28日 13:14
スレと関係ない話ですが、韓国の芸能界からバレー界からサッカー界まで飛び火して大騒動になってるスポーツ界においてのイジメ問題対して語ってほしい。(原文ママ)

 
【ソウル発共同】韓国女子バレーボール代表チームの主力で、双子の姉妹の李在英選手(24)と李多英選手(24)が学生時代にチームメートをいじめていたことが判明し、韓国バレーボール協会は15日、2人を東京五輪などに向けた代表選手の選抜対象から無期限除外すると発表した。代表資格の剥奪で、協会は「類似行為の再発防止に向け厳しい対応が必要と判断した」と説明した。

韓国メディアによると、2人は東京五輪の予選でも代表に選ばれ、出場権獲得に貢献。双子選手として注目を集め、テレビ番組にも出演するなど人気だった。

2人は「学生時代に誤ったことをし、おわびする」と謝罪した。 



この短いニュースでは、重要な事実がほとんど見えて来ません。つまり、ここから何かを判断すること、何か断定的コメントを出すことは不可能です。

多くのメディアがこのニュースを報じているのでしょうが、どれも似たり寄ったりで、断定的なコメントを出すに足る材料となる重要な事実など揃いはしないはずです。

断定的なコメントはできないものの、このニュースについて何かを語るとしても、〝加害者〟を攻撃する内容にはなりえません。

〝加害者〟を攻撃する内容にはなりえないのに、その方向に暗愚な狂気が雪崩打ってることが、ひたすら恐ろしい〝事件〟です。

 

①罰せられていない〝犯罪〟には時効はないのか?そして、その〝罪〟に、それを見て見ぬふりをした管理責任者はいなかったのか? 

▶︎学校教師が立場を利用して生徒にワイセツ行為を働くなど、そのときは声をあげられなかった「犯罪」は、時効を適用する必要はないと考えます。

それは明らかな「犯罪」で、犯人は被害者が泣き寝入りするしかないことを知った上での卑劣な行為を犯したのですから、規定通りの時効を適用すべきではありません。

今回の〝犯人たち〟も〝被害者たち〟が泣き寝入りするしかない状況に乗じて卑劣な〝犯罪〟に及んだのかもしれません。しかし、その事実を管理責任者や周囲は全く知らなかったのでしょうか?


 
②罰せられなかった〝犯罪〟が存在し、それを過去に遡ってまで刑罰に処すべき重大問題だと真剣に考えるなら、その憎むべき行為を〝犯罪〟ではなく「犯罪」として罰するために法律を作ってから、その法に則って処罰すべきである。

法整備以前に全く関係のない詳細も知らない匿名の卑怯者が寄ってたかって非難し、そんな卑劣な声に押し切られて勝手な処分を下すことは、私刑、集団リンチでしかない。法治国家として最も唾棄すべき行為である。

▶︎この事件で最も凶悪なことは、法に則って裁かれる前に処罰が執行されたことです。もちろん、この種の問題ではそういうこともあるでしょう。

しかし、法治国家です。リンチの末にネットの声に押されて〝無期懲役〟〝死刑〟を宣告するほどの罪だったのでしょうか。「被害者への誠実な謝罪と慰謝料の支払い」「代表権の剥奪12ヶ月」「240時間の社会奉仕活動」などでは贖罪することのできないほどの重罪だったのでしょうか。

 

③その法律を作るに際して「当該スポーツからの事実上の追放」は正しい判断か?トップアスリートからスポーツを奪うことは死刑。過去の行為を遡って「犯罪」として裁き、宣告されるのが〝死刑〟であるのはあまりにも重すぎないか。

▶︎詳細な事実の把握なくして判断できない事案にもかかわらず、ネットに溢れる中途半端な情報や、無責任な匿名コメントで罪状を固めて集団リンチの末に社会的に抹殺する…。

匿名で有名人の過去を叩きまくることに快感を覚える狂人の意見に押されて、処分を下すことが、どれほど愚劣で恐ろしいことか、処分を下す側は理解してるのでしょうか?

松本サリン事件当時にネットがあれば、夫婦愛を貫いた誠実な夫に卑劣な誹謗中傷がどれほど集まったでしょうか?現実は、ネットのない時代にもかかわらず、彼は悪魔の犯人扱いでした。あのとき、私も「こいつの犯行以外は考えられない」と思い込んでしまいました。

もちろん、今回の件は冤罪ではないでしょう。しかし、暗愚な脳みそが断片的な事実に過剰に反応し「万死に値する罪だ」 と糾弾する狂気は全く同じです。

〝犯人〟を「犯人」にするのは法律だけです。ネット上の匿名掲示板が法廷であって良いわけがありません。罰を決めることができるのは法廷だけです。

匿名掲示板の卑劣で無責任な言葉に押されて、トップアスリートからスポーツを奪うなんて、無法国家です。

さまざまな情報が飛び交ってるニュースを〝法廷〟に見立てて、自らは〝裁判官〟の気分で断定的なコメントを書き込む人間は最低のクズです。 

「あの国はいつもそう」と問題を特定民族への誹謗中傷にすり替える輩も、最低のクズです。

*******

こういう、自分に全く情報のない話を書くと、疑問と一般論しか語れません。

あと、ここまで書いてあれですが、こういう情報も興味も無いような話は、酔っ払っても書くべきではありませんでした。きっと、突っ込みどころ満載ですな。

こういう悪ふざけは、これっきり。



【カナブンへの質問】

①ボクシングをしたことがあるのか?
②日本人ボクサーが特別な存在であることは理解できてるのか?
③海外ボクサーを贔屓してるきっかけは何だ?

それぞれの質問に50字以内で答えてくれ。それ以上は要らん。

質問の意味がわからなかったら聞け。

【例】
①高校時代の部活。総体予選は中国大会で2回戦が最高成績。
②村田や井上も貧困国のボクサーのように叩き上げのキャリアを踏まないと不公平だ。
③WOWOWを見て海外のボクサーの方がレベルが高いと思った。
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お酒は好きですが、大勢で飲むことはあまり好きではありません。

思春期の中高で引きこもりだったので、そりゃそうな話ですが、大学でも体育会だったので否が応でも大人数で飲むのは当たり前、今の若い人には信じられないかもしれませんが、だだっ広い居酒屋に超蜜に何十人、ときには100人を優に超える飲み会も珍しくありませんでした。

最初は「ビール200本!」とかわけのわからない注文から始まる修羅場でした。朝起きたら、他の大学の寮で寝てたとか、そんなに話してない他の大学の先輩の部屋にお世話になったりとか…。

それも、東京の「ホーム」だけでなく、関西や地方の大学との試合など「アウエー」でも同じ破茶滅茶ぶりでした。

この低俗ブログですら書けないとんでもないことも、20世紀末の私の身の周りでは当たり前に展開されていました。 

世に恐ろしきもの、それは時代じゃのう。

しかし、まさか、そんな話はできるわけもありません。※「今なら犯罪」なんてことはしてません。
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コイツには〝ツバメ返し〟は無理じゃのう。

このブログを書いてる状況は①通勤などの移動中②家族と食事したあと酒飲んで酔っ払ってやることのなくなった夜中③ボクシングのビッグファイトなどがあるときーーーの3パターンです。

今は②です。なので、話は無茶苦茶です。

勉強することから学問すること、研究することへと案内してくれる人がたくさんいたことと同様に、私みたいな引きこもりでもスポーツで活躍する場を与えてくれたことは、本当に幸運でした。

陸上競技と野球は、一応「卒業」まで出来ましたが、ボクシングはまともな公式戦にも出ず中途半端のまま終わってしまいました。

高校時代、図書室で読み耽ったいろんな本、その中でも海外から届く雑誌は私にとっては最高の贈り物でした。茶色く分厚い包装紙を十字に結んだ硬い青いテープをハサミで切って、包装紙を開くとタイムやニューズウィークなどに混じってスポーツイラストレイテッドやリングが現れるわけです。

スポイラとリング誌が語りかけてくれるボクシングの世界は、おとぎ話のようでした。「具志堅用高」以外のボクシングがそこにありました。

もちろん、スポイラには大ファンだった「阪神タイガース」以外の野球もありましたが、私の脳髄を刺激したのはボクシングでした。

すでに野球と陸上に足を突っ込んでいたことから、ボクシングの実践には気持ちや時間を大きく割くことはできませんでした。

格好よくいうと、私にとってボクシングは「Unfinished Business」のままなんです。きっと永遠にそうです。

2015年の「パックメイ」に幻滅して、かさばるリング誌やボクシングマガジンなどの雑誌を全部処分しようとして出来なかったのも、そういうことなんだと思います。

このブログを始めたのも、そういう思いを整理しようとしての、過去のリング誌を振り返ったりする、まさに自分だけの日記感覚でした。

だったらSNSの形とったり、コメントに対してフルオープンにする必要はないはずなのですが、そこまで考えていませんでした。

今、飲んでるのは「トリスクラシック」というウイスキーですが、個性は全く無いですが普通に美味しいです。700円は安いわ。

なにが言いたいかというと、今みたく酔っ払ってたり、通勤や移動中に書いたりするのは貴重な暇つぶしで、コメントを見るのも楽しいものなんです、結構。

野球や陸上の「ビール200本」の死ぬまで友達なのも素晴らしいし、ありがたいし、少しだけウザいけど、こういう野球や陸上、仕事仲間はほとんど知らない「パックアニア」な私を晒せるのは、ここだけです。

野球や陸上、映画なんかの趣味は普通にオープンなんですが、マイナースポーツということもあってボクシングはクローズドな趣味になっています。

名前も年齢もどこに住んでるかも知らないけど、興味のあるスポーツが同じで、好き勝手なことを言い合えるっていうのは悪いことじゃありません。

酔っ払ってると「何言っとんじゃボケ!」となることもありますが…それはシラフのときの方が多いか…。

何を書きたかったか忘れてしまいそうですが、コメントを寄せてもらって気づくことが単なる「間違いの指摘」はもちろん、ボクシング経験者の方や、私なんかよりずっと以前からボクシングを見ている方、さらには「蜂の家カレー」の本場・佐世保に住んでる人や、「紙媒体への思い入れ」について紙のお仕事に就いてる人などからもいただけるのは、ありがたいものです。

ただ、ここは仮想空間です。

私はアラフィフのおっさんではなくて女子高生かもしれませんし、陸上もボクシングもやったことがない運動嫌いかもしれません。本好きも映画好きもデマカセかもしれません。

だから、コメントも自由自在に何を書いてくれても良いのです。

ただ、差別的なものとか、浅はかな陰謀論みたいなのだけは正直、お断りです。

「スポーツには貴賎がある」「ボクシングにも階級にも貴賎がある」「ナルバエスはチキン」「WBSSは詐欺」「西岡や井上の100万ドルは〝ウソ〟」なんてほざいてる奴が何を言うかッ!と思ってる人には、何も伝わらないかもしれませんが…。


▶︎ ななし 2021年02月28日 13:14
スレと関係ない話ですが、韓国の芸能界からバレー界からサッカー界まで飛び火して大騒動になってるスポーツ界においてのイジメ問題対して語ってほしい。

「スレと関係ない話ですが」がなければ、いつもの「カナブン」の〝発作〟です。ただ、昆虫とは思えない学習能力です。向上速度はカネロ並みです。

さらにはこのブログでは「犯罪ではないスキャンダルは不問」です。

大沢親分の「誰かいいピッチャーいねぇか?いたら泥棒でも使うぜ」に全面的に大賛成な私です…「泥棒は犯罪でしょ?」なんて細かいことは抜きじゃ。


泥棒は認めませんが、不倫とかなんたらはくだらんこと言うな!でおしまいです。完全に家庭の問題です。ボクシングファンには全く関係が無いことです。

犯罪以外なら、リングの外で何があろうがそんなの関係ねぇ!!!!

もちろん、自分の愛車が壊されたり、自分の親族が傷つけられたら、それは話は別です。

アリもレナードもデラーホーヤもパッキャオも、当たり前にあったことです。

ボクシングファンにとってくだらないことでギャアギャア騒ぐな、ボケ。女性自身(?)とか文春とか会社の待合室用に定期購買してますが、明日バックナンバーもろとも焼いたろか!

…と、ここまでは「スポーツ界においてのイジメ問題対して語ってほしい」ということに対して全く関係のないことを長々と書き連ねた、ツバメ返しならぬ〝ななし返し〟でした。

。。。。。。。。もう1時やん。また、続きます。 
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プロレスラーになりたかった。

プロレスラーになれないとわかってからは、プロ野球選手になりたかった。

プロ野球選手になれないとわかってからは…。ただひたすら悲しかった。

ひねくれて授業に出ずに、あちこちで喧嘩したり、カビ臭いシートの古びた小さな映画館にこもったり、たまに学校行っても図書室にこもりきったり。

「授業」という点では、今で言えば明らかに引きこもり、登校拒否だった。

でも、野球と陸上競技は大好きだった。練習と試合は当たり前に出て、普通に大暴れできた。

そんな無茶苦茶な私を、親や学校や先輩、後輩、そして同輩たちが認めてくれて、受け入れてくれたことがどれだけありがたいことかを本当に気づいたのは、社会人になってからという阿呆さぶりだった。

プロレスラーにもプロ野球選手になるには、ハシにもボーにもかからなかったが、勉強はもっと酷かった。

周囲の勧めで模擬試験を受けたら劣悪なスコアしかでなかった。「大学は行かない」と言う負け犬に「こんな1回の結果でそんなこと言うな、まだワンストライクだ」と、野球部の同期や後輩やOBやらならわかるが、陸上部のやつらにまで「ワンストライク」と励まされた。

次の模擬試験は飛躍的に進化したが、そもそもが底辺なのでたいしたことがない。記述メインの模試で「英語の和訳」と「数学」「現代国語」「世界史」が満点だったといわれても総合点はどうしようもなかった。

共通一次ってテストが昔はあって、それも目標に届かなかったばかりか800点にも満たなかった。

それでも短期間でここまで取れて、自分では十分だと思った。

それなのに、これなら二次試験で大逆転できると発破をかけられた。

何故か二次試験では全てがうまくいって、それはまさしくパンチャーズ・チャンスってやつで。全くくだらない受験にも一発大逆転ってあるのだ。
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「ティーチャーズ」というブレンデッド、それの結構レアなエイジングをロックで流し込んでいると、くだらない話をしたくなる。

ダメアスリートの私でも、大学では重宝された。野球も陸上も、そのまんまでは通用しなかったけど2年生に上がる前に正選手になれた。 

神宮球場や国立競技場で公式戦を戦えるのは、鳥肌が立つような喜びだった。それが、たとえ二部校であったとしても。 

関東二部でも全国大会には出場できる。当時でも関東二部でもトップは「全国トップ」という構造。

何を書こうとしてたのか、酔って冷めたタラの芽の天ぷらを噛んでると思い出した。

トロフィーが欲しかった、メダルが欲しかった。という話。 

賞状って乱発されるが、トロフィーやメダルはなかなかもらえない。

インカレで3位までに入ればメダル、1位ならカップももらえる…。しかし、8位入賞も遠かった。

関東インカレはそれぞれの種目の優勝者がレジェンドの名のつくトロフィーがもらえた。 大会本部のテントの下で、キラキラ輝くそれが、もうまぶしくって、仕方がなかった。

世界中のどんな宝石よりもあれが一番貴重な宝石に見えた。 

言い方は悪いが、レベルの低い対抗戦や、法学部や医学部・理工学部など体育会で陽の目を見ない学部を集めた〝WBSS〟みたいな大会もあってそういう大会で優勝しても何かが違うというか、やっぱりメダルやトロフィーがない。賞状だけ。

二次元の賞状じゃなく、三次元のメダルやトロフィーが欲しい。

社会人になって市民大会に出て、ローカル大会でも大会本部テントに鎮座してるトロフィーってまぶしい。

上の画像で、わかりにくいかもしれないが、左上のトロフィーは胴部が大理石ですごく格好良くて、絶対獲る!と走った。

でも、もらった瞬間から、もう石ころと鉄くずにしか思えない。。。

なんていうのか、それが「現役」かどうかのリトマス紙かも。

新しいキャビネを買っていろいろしまってたものを掘り起こすと、そんなメダルやトロフィーが出てきて…鉄くずだと思ったのが、今も鉄くずでも、やっぱり愛おしい鉄くずどもです。

改めて見直したのがこいつ。
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面白いタイプのトロフィーで、メダルが宙をぶらぶらしています。

ああ、もう一回、こいうのを獲りに行きたくなりました。
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月がきれいですね。

あんたなんか大嫌い。

死んでもいい。


一見、なんの脈絡も無い言葉ですが、3つとも同じ英語の和訳です。

I LOVE YOU .
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午前中にお仕事で会ってた方、川上さんにしましょうか、名前。「新幹線の中で読んだ読売新聞に載ってたんだけど、夏目漱石がI LOVE YOU .を『月がきれいですね』って訳したって本当?この話って有名だよね」と聞いてきたので「川上さんが知らないのに僕が知ってるわけないでしょう」と答えました。

実際、私は初耳でした。

川上さんは筋金入りの文学少女で、その手の話になるとなんでも知ってる先生役になってくれるのでした。

川上さんは私のことを「物の見方が面白い」と付き合ってくれますが、彼女の方が圧倒的に情報も知識も豊富。

情報ではなく知識にちゃんと整理整頓して、時代や最近のニュース・事件にまで絡めた文学論を話してくれるので、その辺の評論よりも全然、面白いんです。

ただ…私から見るとクライアントにあたるとはいえ、少し年下で、普通なら敬語で会話を交わす関係のはずなのですが、なぜかこの女はタメ口なんです。

初めて会ったときはどうだったのか忘れましたが、もしかしたら酒席で文学の話になり、私に対してマウントを取ったと思ってるのかもしれません。

まあ、実際その通りで、しかも仕事関係のクライアントです。こっちは敬語で、年下の相手にタメ口・君付けで呼ばれるのは全く構わないのですが…。

しかし、川上さんは私以外には敬語で接してるので、私の部下が打ち合わせに参加するとややこしいことになります。川上さんは私にタメ口、部下に敬語、私は川上さんに敬語、部下にタメ口。部下は川上さんと私に敬語と…序列がわからないカオスになるのです。

あるとき、会議の合間に「ちょっとやりにくくありませんか?」と序列カオスを説明すると「え、今初めて気づいた。でも急にさん付けで呼ばれたら違和感ない?」と予想外の答えがやはりタメ口で返ってきました。

「いや、気づいてるはずです。私は〝文学マウント〟だと思ってます」と説明すると、大笑いされて「そんなわけない、そうだったら私、すっごく嫌な女じゃん。私が〇〇さんに変えるのはきっと〇〇君も居心地悪いだろうから、〇〇君が部下の方にも敬語ではなすようにしたらいいんじゃない?」と全くタメ口を治すつもりがない提案をしてきました。

そして、そのようにして打ち合わせを続けると、確かにカオスは無くなり、序列ははっきりしましたが…。

タメ口が発せられるのは川上さんから私のみとなり、私の序列最底辺が決定されただけでした。

「会話上の序列のカオスは無くなりましたが、これでは現実の序列が反映されていません! 会話序列のカオスが解消されても、現実序列との乖離という新たな問題が浮かび上がってます!こっちは全員敬語使うから川上さんの方が敬語かタメ口で統一すべきなんですよ」と逆提案しましたが、川上さんの「文学マウントを根拠とする私にだけタメ口」は直されることなく5年近くの歳月が流れて今に至るのでした。


話が完全に逸れてしまいましたが、I LOVE YOU.の和訳です。

今日の読売新聞朝刊によると「月がきれいですね」と訳したのは夏目漱石で「鬼滅の刃」でも人気キャラがつぶやき、小学生にもおなじみだそうです。

ただ、読売新聞も「真偽不明」とし、川上さんも「私は読んだ漱石では記憶に無い」と言ってるように、これは多分に都市伝説、おそらく嘘です。

嘘だと証明するのは〝悪魔の証明〟です。ただ、誰にも迷惑がかからない、東大で英語を教えていた漱石のイメージも高める、おしゃれな都市伝説です。

私が冒頭に引っ張り出した「あんたなんか大嫌い」は翻訳恋愛小説の定番、「死んでもいい」は二葉亭四迷がツルゲーネフの「アーシャ(片恋)」を訳す中で、ロシア語の「Ваша(私はあなたのもの)」を訳したもので、厳密には「Я ЛЮБЛЮ ТЕБЯ=I LOVE YOU.」を訳したわけではありませんが、そう解釈しても差し支えないと思います。

そう考えると「月がきれいですね」も都市伝説やフェイクで片付けずに「夏目漱石ならきっとそう訳したはず」と考えるのが粋です。
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答えは出てる問題ですが。

相撲部屋のシゴキ。駒大野球部のイジメ…21世紀になってもスポーツの世界でおかしなことが繰り返されています。


自分のことを振り返ると…学校で運動部だった中高大学時代。

80年代から90年代のかけて、運動部の悪しき因習が蔓延っていた時代です。

幸運なことに、私は理不尽なまでの上下関係を強いられたり、度の過ぎた体罰に直面することなく、本当に楽しく野球や陸上競技を満喫することができました。

もちろん、これは個人の感じ方、みたいなところもあって、同じ部活にいた同期でも違う印象を受けてしまってることもありました。

先日、高校や大学で野球の強豪校に所属していた社員と話し込んだときに、そんな話になって、この手の話を彼とするのは初めてではないのですが、そもそもの話として「理不尽な上下関係」や「行き過ぎた体罰」は競技能力の向上には全く役に立たないばかりか、深刻なマイナス効果でしかありません。

絶対にあってはいけないのです。

高校時代に結構強い伝統高と試合をする機会に恵まれたとき、私が初回に安打を放って二盗、そこから先制点を奪ったことがありました。

私たちのベンチは大盛り上がり、相手ベンチは静まり返っています。当然です。

しかし、ベンチに戻った相手バッテリーを直立させて監督が二人にこっちのベンチに音が届くほど強い往復ビンタを打ったのです。二人がその場に倒れこむほど強く。

自分のせいで醜悪な体罰が執行された気分になって、どうにもやりきれない、ものすごく嫌な気分になりました。結局、試合は負けたのですが、そんなことがどうでもいいくらいに嫌な気持ちになったのを今でも覚えています。

大学時代でも、関東インカレで二部校落ちした大学の選手たちがスタンドに一列に並ばせられて、コーチだかOBだかわかりませんが次々にグーで殴られていくのを見たことがあります。

友人知人のいない大学でしたが、そのときも嫌な気分が胸の奥からせり上がってきました。

私も「行き過ぎた体罰」がダメみたいなニュアンスで書いている時点で、今の時代はアウトです。今は「全ての体罰は悪」なのですから。
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私の場合も体罰を受けた経験はゼロではありませんが、個人的にはひとつ残らず納得のいくものでした。

高校時代の陸上部。県内の高校との定期戦のような大会の1500mで優勝したのですが、超スローペースのまま残り400でヨーイドンみたいな展開になり、タイムも高校としては相当に遅い4分30秒近くかかってしまいました。

スパイクを脱いでチームメイトから「史上稀に見るセコいレース見せてもろたわー」と祝福され笑ってると、主将から「ちょっと」と呼ばれました。

主将は女性で、県内でもトップの成績優秀で文武両道な人でしたが、私たちにとっては柔道部の主将も兼ねるとんでもない〝武闘派〟として恐れられていました。

その主将がめっちゃ怒ってるのはすぐわかりました。その原因もわかってました。

「私の記憶違いやったらごめんね。君がアップしてるとき、声かけたよね?それで、君、わかりましたって返事したよね?」。

アップしてるとき、すっと並走してきて「勝ちたいのはわかるけど、タルい走りだけはアカンよ、絶対」と言われました。「わかりました」って答えると「絶対な」と念を押されていました。

女子更衣室に連れ込まれた時点で、先輩がかなり怒ってるのは電流のように伝わっていました。

「ここ、女子更衣室ですけど」とか言ったら、その場で絞め殺されそうだったので黙っているしかありません。

黙ったままいると「やるなって注意した走り方したやんな?なんか理由はあるん?怪我しててラスト1周で急に治ったん?」と聞かれて「すみませんでした」と頭を下げて、顔を上げるとビシッと掌底のようなビンタされました。

パッと火花が散ったように見えて、一瞬何が起きたのかわかりませんでした。先輩にもそれは見えたみたいで「あ、ごめん」と叩いた手を見て笑い出しました。

5種競技の先輩は投擲の間だったらしくて滑り止めの炭酸マグネシウムの粉を手の平につけたままで、私の頬を叩いてそれが飛び散ったのです。

私は笑っていいのかどうかわからず硬直していましたが、先輩は「目ぇに入らんかった?試合終わったら手ぇ洗ってもう一回やり直すから、顔洗って待ってて」と冗談言うと慌ててグラウンドに戻りました。

中学時代も野球部の監督には何度か今でいう体罰を受けたことがありましたが、やっぱり全部納得できます。



それが、先輩や監督の「憂さ晴らし」や「ついカッとなって」だったら納得できなかったと思います。

でも、私の場合はどの手の平からも、どの拳からも「期待してるんだぞ!」とか「心配かけやがって」という愛情が感じられました。

私の方は理不尽な暴力を受けたという気持ちは全くなく「裏切ってしまった」という悔恨だけでした。

炭酸マグネシウムの先輩にしても、あれがみんなの前でビンタされてたら「どうしてここで叩くんだ?」と、もしかしたら負の感情が芽生えていたかもしれません。 

野球ではみんなの間で叩かれることもありましたが、先生がカッとなって手を出したんじゃなく、私を「怒られ役」に選んでくれているのもわかってました。 



でも、手を出したら100%ダメなんですよね、今は。「ときと場合によっては体罰も有り」なんて曖昧なことは言えません。

実際、マグネシウム主将も、野球部の監督も私は納得できても「不条理な体罰をする人」と見る同輩や後輩もいました。 

こんなこと、おおっぴらには言いにくいのですが、野球部で監督や陸上部で先輩に怒鳴られたり叩かれたりしていなかったら、もっと薄い競技生活になってた気がします。



自分の言い分が自分だけの特別な経験で、全く一般的でないこと、「体罰もときと場合には必要」なんて理屈は今の時代、絶対通らないのは、よくわかってるのですが…。 
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会社の営業系部署に三浦君っていう30過ぎのお兄ちゃんがいます。

一緒にお仕事することはほとんど無いのですが、採用面接で私が「絶対合格にしましょう」と推したことから、社内では私が彼のことを結構気に入ってると思われています。

野球少年で「甲子園出場、六大学でも活躍」と、私にとってコイツを上回る殺し文句は「2代前の日本フライ級王者です」とかのレベルでしたから、即合格。

「うちはなんの会社なんだ?!」という役員・上司の悲鳴なんて一切気にしません。

そんな彼が先日、出勤日ということで海外からの受け取り荷物を確認しなければならない仕事がありました。

もちろん、関係のない私に声かける必要はありません。

それでも「久しぶりに昼飯でもどうですか?」と内線して来たので、ちょっと高めな居酒屋の「ノドグロ弁当」を買ってあげました。

食後もちょっと話し込んで、彼がトイレかなんかで席を外したときに置いていった会社携帯が鳴ったので、代わりに出たんです。

管理部の男性の声。「あ、タイシ?どう?大丈夫?連絡ないから心配で」。

私が「〇〇(私のこと)だけど、三浦君、ちょっと席外してるけど、折り返す?なんか伝言しとく?」と言うと、電話越しにも動揺した雰囲気が伝わってきました。

管理部「〇〇さんでしたか!失礼しました!お勤めご苦労様です!」

私「お勤めご苦労様って、懲役食らったヤクザか!まー、7時ラストオーダーの街でホテル暮らしはそれに近いけどなー」。

なんて普通に会話して電話は切ったのですが「タイシ」というのが耳に残って、三浦君が戻ると電話があったことと「お前、タイシって呼ばれてるの?」と聞くと、いつも落ち着いている三浦君まで急に動揺しだすのです。

「え?な、な、な、なんでそんなこと知ってるんですか?」という三浦君に「な、な、な、な、なんでそんなにドモッてうろたえてるん?」と笑いかけると、ちょっと神妙になって「僕、〇〇さんに確認事項をお伝えすることときどき頼まれるんですが、それに引っ掛けてタイシ=大使って呼ばれてるんです」と説明してくれました。

なんだか理解できない私は「確認事項?部署も仕事も違うのにそんなんないやろ?」。

三浦君「それがあるんです。役員とか管理部が直接言いにくいことを〇〇さんに伝える大使なんです」。

私「はあ?今日もその大使として?その伝達はこれから?」

三浦君「いいえ、もう終わりました」

私「意味がわからん」

三浦君「帝国ホテル36万円の件です」

私「???????」 

確かに弁当食べながら「帝国ホテルが一部の客室をアパートメントとして月貸しを始めた」という世間話はしました。

。。。。。段々とわかってきました。

私の宿泊してるこのホテルも一月契約で借りてるのですが、もちろん帝国ホテルよりはグレードが落ちます。

「〇〇さんの仕事が増えて申し訳ない。アシスタントなしでいくつも案件を抱えてるので、いま感染したら引き継ぎがいない。通勤ラッシュの電車は避けて欲しい」と、ホテル住まいを提案されたのが昨年。

「銀座や有楽町で遅くまで飲めるし、悪くないと思いでしょ?」という戯言には「8時で店閉まるのにそんな訳ないだろ」と言いつつも、会社の考えも理解できたので、受け入れました。

そういえば管理部の説明では「まともに宿泊すると1ヶ月200万とか300万とか400万とかしますが、こういう時勢ですから会社としては最高のお部屋を用意しました」と、金額レンジが2倍に膨らむ例えにイラッとしましたが「横になって寝れたらいいです」と答えました。

そして、数日前に一般紙で「帝国ホテル36万円」の記事が大きく躍り、私が「ここは絶対、もっと安い。安いのはいいけど400万とか口走った性根が気に食わん!」と怒り狂ってるのではないか,と管理部が心配して、偵察ともし怒ってたなら、火消し役に〝大使〟を派遣した、という算段でした。

折しも、複数の国会議員が銀座で深夜豪遊も報道され、私が「松本人志じゃないけど切腹もの」と怒ってホテル暮らしにストレスを溜め込んでることも人づてで伝わったようです。

 

ああ、そういえば昨年、私の手伝いをしてくれてたアシスタントの大学生の契約期間をコロナを理由に短縮したことがあったのですが、それも事後報告というか大学生から聞いて初めて知る、という理不尽なことがあり、人事部に怒りの電話をかけるとなぜか三浦君が説明に来たことがありました。

そのときは営業関係の別件を頼まれて「ついで」のオブラートにくるまれていたのですが〝本題〟は大学生の件を相談・報告しなかったこと怒りを〝大使〟に鎮めてもらおうとしたようです。

このご時世で、契約期間を短縮するなとか言いません。相談も要りません。決めてもらって構いません。私にそこまで権限ありません。

でも、そういうのって、まず私に伝えて、私からその大学生に説明するのが筋だということです。

今回の「帝国ホテル」だってどうでもいいし、200万とか400万とかあとで調べたら簡単にバレる嘘つくのが嫌なだけで、月2万の宿でも構わないんです。

そういえば、三浦君は「帝国ホテルの36万は一番狭い部屋の値段で、ここは一応スイートですし、こっちの方が絶対快適ですね」とやけに説明口調でした。

そんなすぐ怒る人間じゃないというか、そもそも怒ったことなんてその大学生の契約のときくらいのはずですが、いつの間にか知らないうちに会社の中で腫れ物扱いされていました。

まあ、それでも三浦君を〝大使〟にしたアイデアは奴らにしては鋭い。

ただし、奴らは「甲子園」と「六大学」の野球キーワードで私が気に入ってると思ってますが、それだけではありません。

この三浦君、私なんかと違って人間の器がデカいんです。

数年前に彼の同期も交えてお酒飲んだときのこと、三次会あたりで、同じ座席にいたタチのわるそうなグループに絡まれたことがありました。

こんな年になっで乱闘してボコボコにされて怪我して入院とか…いやーな予感に震えながら、三浦君たちに「お前らは先に店を出とけ」と言ったのに、出て行かないし、タチ悪グループは大声で凄んでくるし、店の人が警察に電話してくれてますように!警察が早く来てくれますように!と祈っていました。

そしたら、三浦君がすっと土下座して謝り始めたんです。

「すみませんでした!申し訳なございませんでした!お許しください!」って店中に響くような大声で何度も何度も頭を畳に擦り付けて。

相手のバカ一人が三浦君の頭を蹴りつけましたが、他のメンバーは止めて、私たちに「シラける奴らやなあ!」とか罵声浴びせたところで、やっと警察が入ってきました。

タチ悪グループは途端にオドオドしましたが、三浦君が警察にも「すみません、電話して呼んだの、僕です。何もないんです。ごめんなさい」と警察を帰したんです。

静まり返った店内にも「お騒がせして申し訳ありませんでした。もう静かにしますので、引き継ぎ楽しくお酒飲んで下さい」と大声で謝って。

タチ悪と警察とお店、美しいまでの三方平謝りです。 

酒場でトラブルになった経験は後にも先にもこれが初めて。それでも、中高時代はそんなスリリングなシーンが珍しくありませんでしたが、大抵は「逃げる」という最大のオプションがある屋外でした。

しかし、居酒屋の奥座敷です。「逃げれないなら助けや警察が来るまで戦う」という野生動物と同じ思考しか私には出来なかったのですが、三浦君はスマートすぎるやり方で完璧に切り抜けたのです。

騒ぎが収まって店を出たとき「大丈夫?」と心配する同期に彼は「怖くて死にそうだった、あの人たちも許してくれて良かった」と泣きそうな声を絞り出すのです。

私は「今日は不愉快な感じになってごめんな、ここでお開き、別の日に飲み直そう」と解散させましたが、三浦君にはもう一軒だけ付き合わせました。

私「ありがとうな、お前がいなかったら今頃血まみれで救急車の中やった」。

三浦君「僕も血まみれにされてましたよ、いい人たちで良かったです」。

私「とぼけたヤツやなあ。こんなん、慣れっこなんか?」

三浦君「こんな恐ろしい思い、慣れたくないですよ。僕、ずっと進学校で野球でも目立ってたから、絡まれることは何回かありました」。

私「そうか、ケンカしたら甲子園も進学もおじゃんやもんな。三浦はすごく立派だった。俺、感動したよ」。

三浦君「弱いからケンカなんてできないです。真面目な話、あの人たちが本気で悪い人なら無事じゃ済まなかったかもしれません、何持ってるかわからないし」。

私「そうやな。本当に勉強になった。俺にもあんな謝り方出来るかな…」。

三浦君「出来ますよ。一緒にいたのが奥さんと娘さんだったら、そうしてたはずです」。

私「待て、待て、俺、お前らも大切やで」。

三浦君「でも、僕に店出ろって言ったとき、僕らを逃がして何しようとしてました?」。

私「土下座して謝ろうととさ思ってた。お前らに見られるのが恥ずかしいから、店出ろっていったんや」。

三浦君「嘘でしょ。あのときは一番怖い人がここにいた!って思いましたもん」。

私「お前、何言ってるのか意味わからん」。

三浦君「あんな若造4人くらいなら簡単にぶっ飛ばせるんですか?」。

私「そんな訳ないやろ。お前には感謝してるけど、会話が噛み合わん。もう出るぞ」。

別れ際に「今度、謝り方教えてくれ。今日はありがとう」とお礼を言うと、彼は「じゃあ代わりにケンカの仕方も教えて下さいね」と笑いました。

そんな会話を交わしました。

それから、確か2年もしないうちに彼の部署のミスで大口の得意先を激怒させてしまい、そこの偉いさんを知ってる私に「謝罪を同行してくれ」と頼みにきたのも彼でした。

「▲▲(彼の上司)が頼みに来るんが筋やろう」とは思いましたが、彼のお願いを断る理由は一つもありません。

どうしてありえないミスを犯してしまったのか、それをすぐに気付かなかったのか、報告が遅れたのか、包み隠さずとはいきませんが、誠心誠意心を込めてお詫びしました。

そのうち、先方の偉いさんは以前に私がしでかした大きな失敗を思い出し「あれに比べたらまだ笑えるか?」と柔和になってくれました。

私が「あのときはデータ納品前日に二人で朝まで飲んでたからですよ。私は最後にチェックしたいって何回もお願いしたのに」と話す頃には、謝罪訪問ではなくなり、新規のお仕事までいただきました。 

謝罪の帰り道。

「感動しました!でもあの謝罪は〇〇さんしか出来ませんよね?ロールプレーイングとかには全く活用できないですね」という三浦くんに「謝罪の仕方はお前が教えてくれるんちゃかったんかいや、逆やないか!」と返して二人で笑いをこらえていました。

他の社員からは妙に仲がいいと思われてるのは、確かに心当たりがあります…。
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なんで、こんな話を書き出したかというと、今日書いたお話に

>1. つちエム 2021年02月03日 13:36
モズリーもジュニアウェルター飛ばしてデラホーヤに挑まなかったでしたっけ?

というコメントが寄せられて…私の間違いなんです。つちエムさん、ありがとうございました。

PFP1位のグレート、ライト級史上最強をデュランと争うシュガー・シェーンも「ジュニアウェルター飛ばし」なのに…。

別に仕事じゃないし、大したことではないのですが、ここに書くお話も大筋は最初からなんとなく輪郭があるんです。今回の話は、ずばり「デュランvsパッキャオ」でした。

この「デュランvsパッキャオ」が先に頭に浮かんだので「ジュニアウェルター飛ばしのライト級はこの二人だけでないと話が進まない!」という思いがモズリーの〝飛ばし〟を見過ごしたのかもしれません。

仕事でもこういう〝失敗〟〝トラブル〟があると、最初に描いていたデザインが狂います。

そういう場合の選択肢は①このテーマでは進めないので中止する、②〝モズリー〟も絡めて最初のデザインとは違う絵を描き進める、の二つです。

よくよく考えると、私の場合は前者を選ぶことはまずありません。これは人によって違うんでしょうが。

①を選択して、全く新しい案件に取り組む人もいますし、人それぞれです。

私の場合は「せっかく手掛けた仕事だから」「大幅に軌道修正しても面白くなるかも」という 意識ですが、①は「最初のデザインが狂ったら振り出しに戻るしかない」という考え方ですね。

ずいぶん前に①タイプの仕事先の人とお酒飲んだときに「月ロケットを打ち上げて軌道が間違ってたらやり直すしかないでしょう」という話になり、私は「間違った軌道の先にある別の星目指す手もあります」と返すと「人が乗ってるんですよ!そんなの別の星になんて絶対辿り着かないし!」とマジで怒らせたことがありました。 

まー、今も仲良くお仕事してる人で、酒飲むとやっぱりこの種の話で衝突を繰り返しています。

というわけで、あの話は②の方向で〝別の星〟を目指します。 
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ボクヲタの端くれなら、バレンタインデーと聞いて、まず思い浮かぶのは1951年の「聖バレンタインデーの虐殺」すなわちシュガー・レイ・ロビンソンvsジェイク・ラモッタの一戦でなければいけません。

それにしても、東京の街はまだ1月というのに、世の中はバレンタイン一色です。いつも通り、忌々しいまでに前のめりなのです。
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↑ブルガリのチョコレートがどれほど美味しいのか、私は知りません。知りたくもないです。小さな板チョコ三枚で1万4001円也…気は確かか???
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思い返せば、バレンタインデーに良い思い出など一つもありませんでした。

真面目な話、中学時代は一年で最も憂鬱な日でした。

そもそも、高校まで義理チョコ以外もらった試しがありません。

授業はサボりがち、学校に行かないことも多く、行っても教室の隅でジッとしていた私はまさに登校拒否の引きこもりでした。

そんな気色悪いやつにチョコレートあげる女の子なんて、日本中探してもそうそういるわけがありません。

私もそれは重々に自覚させていただいておりましたが、自分のせいとはいえ、やっぱりもらえないバレンタインを毎年重ね続けるのは辛く悲しいものです。

そして、授業を休みがちな私でもこの日だけは休まないように気を付けていたのは「バレンタインだから休んだ」と思われるのがイヤだったからです。

誰も私のことなんて気にしてないのは分かっていても、イヤだったのです。自意識過剰なのは分かっていても、何故かそれだけは思われたくなかったのです。

男子中学生は意外と多感で繊細なのです。

そして、私の悲しみの傷跡に塩をすり込むような女どもが数多くいたのも、本当に屈辱的に憂鬱でした。

私が所属していた野球部は結構、モテるヤツが多くて、それはそれで勝手にやってくれてたらいいのですが、私に「同輩やときには後輩にチョコを渡してくれ」という無神経なバカ女どもが1人や2人じゃないレベルでいたのです。

確かに、野球部であるだけでなく、図書室にこもってたり、一人でいることが多い私は、そんな役目を頼むのにうってつけだったのかもしれません。

それにしても、こっちも意識して登校してるバレンタインデーに、周囲を気にして恥ずかしそうに女の子が近寄って来ると、全く心当たりがなくても勘違いしてしまいます。

あるときは、すごく可愛い見たこともない女の子が近寄って来て「こんな子いたか?もしかしたら俺と同じ引きこもりでよく知らなかっただけか?引きこもり同士で恋の花咲くこともある!」と勘違いしたことがありましたが、そんな妄想は「これ〇〇君に渡して下さい!」というまさかの後輩の名前を耳にして、わずか数秒で打ち砕かれてしまったのでした。

それにしても、まともに会話を交わしたこともない女が俺を介してチョコレートを渡そうとするなんて一体どういう神経してるのか、今もって全く理解できません。

そして何よりも、そういう役目を頼むのに全くモテない男を選ぶことが、どれほど屈辱的で残酷なことかもわかっていないのが重大問題です。

先日、リモート飲み会で野球部の面々が集まったのですが、そこに今はオシドリ夫婦となったその女の子と後輩も参加、私は「あのときは一瞬勘違いした。あんなことはモテない男に頼むな!ここで初めて言わせてもらうけどな!」と吐き捨ててやりました。

ところが、その女の子、可愛いおばちゃんになってましたが「初めてとちゃいますよ!結婚式のときも無理矢理スピーチのマイク奪って話し出したやないですか!酔っ払ってたから忘れてるでしょ!」と笑い出しました。

…思い出しました。そういえば、そんなこともありました。

結婚式で、その子からあずかったチョコレートを、粉々に砕いてその後輩のエナメルバッグの中にぶち撒けたことをスピーチすると、その女の子、花嫁さんは「え?!」と初耳な風。

「ひどーい!」と式場には完全アウエーの強風が吹き荒れます。

私が、花婿の後輩に「俺の蛮行を伝えてなかったのか?」と問い糺すと「粉々に砕いたのは先輩だけど、そんなこと言ったら、せっかく作ってくれた彼女を傷つけてしまうから」と、私の暴挙を黙って「美味しかった」とお礼を伝えたというのです。

結果的に、とても優しい思いやりのある花婿さんだということが見事に伝わった良い結婚式になりました…私の意図に反して。




それにしても、中学生のときはあんなに毛嫌いしていたバレンタインデーが、高校になると不思議なことに全く気にならなくなりました。

相変わらずモテませんでしたが、チョコレートを渡してくれと頼まれれば、ヘシ折ったり踏んづけて粉々にしたりする凶行に及ぶことはほとんどなくなり、黙って渡すようになりました。

憂鬱になったり屈辱的な気持ちに沈むことも、なくなりました。

どうしてそうなったのかは、よくわかりません。

あまりにもモテなくて達観したというか、どうでも良くなったんですね、きっと。

そんな憂鬱で悩ましい思い出しかなかったバレンタインデーも、当時の苦い記憶が嘘みたいに見事に消失して、楽しかった笑える記憶として入れ替わってるのですから、本当に不思議なものです。

大人になってからもトラウマとなって消えない心の傷もあるでしょうが、その当時は深く悲しみと屈辱にまみれて鬱の谷に落ち込んだ記憶でも、時間が経つと笑えるようになるものもたくさんあるんです。
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