カテゴリ: 恥さらしの人生でした。

思春期の男にとって、異性の存在は特別です。

中高生と野球や勉強を一緒にしてると、ほんとうに男の方が繊細なんだと思います。

私も、そういうことをいうと誰も真面目に受け止めてくれませんが、繊細でした。高校時代も女子と話すことはほとんどなく、当たり前ですが全くモテませんでした。

そして、それが自分の中ではけっこう大きな劣等感でした。

まー、モテない男なんてあちこちに転がってるから、気にすることもないんだけれど、所属していた野球部や陸上部の同輩や後輩のほとんどはそれなりにモテてたから始末に悪い。

特に野球部なんて俺より全員、超ド下手のくせにアホみたいにモテる同輩や後輩がアホみたいにいました。

私がやさぐれて、大阪の外国人高校の低脳バカどもと喧嘩してたのも、結局は意味もなくモテてた野球部のボケどものせいなのです。

あの頃は、いつ拉致されてボコボコにしばかれて殺されるかと思ってました。つい、5年ほど前まで低能猿に追いかけ回される悪夢をときどき見ていましたが、今思い返すと結構、あれはあれで楽しかった気がしています。

そんなことを、あの当時の俺に言ったら怒り狂われるでしょうが。

あのとき、誰にも相手にされなかった私なのに、彼らは目の敵にしてくれてました。

あるとき、なにがどうして私の高校を嗅ぎつけたのか、猿の軍団が私が愛する高校にバイク数台でキーキー乗り入れて大騒ぎになったことがあったのですが、私はいつものように学校サボって引きこもり。

あとから聞いて「こわッ!サボってて良かった〜」と胸を撫で下ろしました。

いまなら、即・警察に通報なのでしょうが、当時は〝昭和〟。

先生たちと押し問答になってるときに、イッコ上の陸上部の先輩が止める先生を振り払って彼らに啖呵を切ったというのです。

その先輩は女性で、阪神地区には強い女が多いです…多すぎます。

「お前ら、犯罪やで、これ。警察呼んでるから、すぐに到着するから、そこで話そう」みたいなことを、怖い眼をして静かに言ったそうです。

お猿さんたちは逃げ出したそうですが、警察が来るからではなく、彼女の迫力もあったでしょうし、彼女が、彼らが見たこともないタイプの女性だったこともあったでしょう。平たく言えば、すごく男にモテる可愛い容姿の先輩でした。

そのとき苗字を縫い込んだジャージを着ていた彼女が誰なのかは、オリ悪く、校舎に垂らされた「石川優子さん 柔道近畿大会進出おめでとう」「石川優子さん 陸上競技近畿大会出場おめでとう」という横断幕で明らかでした。

それだけがきっかけではありませんが、彼女を見に来る男子だけでなく、女子も、阪神地区の外れに不思議に湧いて、そのとき担任から「お前のせいや」「こんなん、石野真子以来やぞ」と笑われたのを覚えています。

昔も今もアイドル事情に疎い私ですが、石野真子や松田聖子くらいは知ってます。

もはや、何の話を書こうとしてたのか、わからなくなってしまうほど酒を飲んで、タクシーの窓から流れる景色をゲロ吐きそうになりながら眺めてますが、石野真子が通ってた尼崎の高校には一目見ようと男子高校生らが校門前に群がったそうです。

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これは横浜・港北の野球場です。


尼崎…またまたまたまた俺にとっては忘れられない町でんがな。

少し前に鶴見の中学校と試合がありました。尼崎とオーバーラップする麗しき町です。

駅からグラウンドへ向かう商店街で「道路側にバッグを持たないでください」「ひったくりにあったら荷物を離してすぐに警察へ」「荷物はすぐ離さないと危険です」…そんなアナウンスが流れてました。

アナウンスの通りに肩にかけてた大きなバッグを道路とは反対側にかける中学生たちの健気さに笑いながら「バットケースをひったくるやつはいないし、こんな集団にひったくりかけるやつもいない」「道路側に持ってええぞ、その代わり万一ひったくられたら他のやつが金属バットで叩きのめしたれ」と言うと、可愛い野球少年たちはようやく笑いましたが、誰も道路側に荷物を持ちませんでした。

さて、プレーボール。

ちょっとビビってた我がチームの少年たちは、私の素晴らしい指導がいきとどいた、どっちが鶴見かわからないお行儀の悪さで、試合後は私が対戦相手に謝って、少年たちに注意するほど、のびのび戦って相手を圧倒。

横浜市の鶴見や、川崎市の一部にはエリア893みたいなとこがあって、10代の自分を思い出してしまいます。

こんなこと面白がってたらダメなんですが。

おお、治安の良い???我が家に着いたので、つづきはまた。




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右投げ左打ちですが、右でも左でもありません。

なぜか右翼や左翼のお友だちは何人かいますが、右でも左でもありません。

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人の生き方なんて、生まれてから死ぬまで、それこそ何通りもある。

例えば、私でも諦めずに一生懸命練習していたら、プロ野球選手になれたかもしれない。

中学3年、名門校から声がかかったが、その条件はセレクションの中でも一番下の待遇だった。

私は「よし、這い上がってやる!」と奮い立つ代わりに「俺の評価はこんなに低いのか」とひねくれた。

両親から立派な体に産んでもらい、何不自由なく野球に打ち込めたのに、負け犬根性のカタマリだった。

野球部の顧問の先生には一度も褒められたことがなかったが、私をものすごく評価してくれているのはわかっていた。

そんな人が頭を下げて私を売り込んでくれた名門校を蹴って、近所の公立高校に進んだ。

そのとき、私は心の奥底で「これで厳しい練習から解放される」とほくそ笑んでいたような気がする。

そんなヤツがプロ野球選手になれるわけがない。


学校に馴染めず「自分は社会に居場所がない」と思っていた高校時代。

野球は好きだったから続けていたが、学校はとにかく嫌いでサボりがち。

ほとんどの先生からはバイキンかゴミを見るような目で見られた。

ところが、数は少ないものの、3年間、3人の担当をはじめ一握りの先生は私を妙に目にかけてくれた。

進級するには成績はもちろん、出席日数が全く足りなかったはずなのに、それを大目に見てくれた。

卒業式のとき「あー!手のかかるヤツやった!」と笑ってくれて「まさか大学に行ってまうとは思わんかったな」と、少し残念なトーンで言われた。

私も大学に行く気なんてなかった。授業に出ないで本を読んだり、映画を見たりしていたが、映写技師になりたいなと漠然と思っていた。

行きつけの古くて小さな映画館で、いつも話しかけてきたモギリのおばちゃんに「映写技師になるにはどうしたらいい?」みたいなことを聞いたことがあった。

おばちゃんは「やめとき、やめとき。儲からへんの、わかってるやん」と、とりつくしまもなかった。

確かに、学割の回数券だと8回入場て1000円、その1枚でオールナイト5本立ても観れた。

次に映画館に行くと、モギリのおばちゃんは60年配(高校生の人の年齢を見る目は不正確だから、本当はもっと若い人だったかもしれない)の映写技師の男性を呼んで会わせてくれた。

映画館で時々会う常連の綺麗なお姉さんは「私、しばらく地球を離れるから、期限が切れてしまうねん、もらってね」と回数券の余りをくれた。

そう、あのとき確かに「地球を離れる」と言った、ちょっと面白いお姉さんも、私は何歳なのかわからなかったが、彼女は何度も瓶コーラをおごってくれた。

あんなに優してくれる人たちに囲まれていたのに、私は何の挨拶もせずに地元を離れた。



いつも大切な人を裏切ってしまった。


つづく。






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ローソンの人だったときに2度ほどお会いしましたが、そのとき感じたのは人望の厚い方だなあ、でした。

それは今でも全く変わりませんが、敵も多かったんだなとあらためて思いました。

2度しか会ってない外部の人間に何がわかるか!と言われたらそれまでですが、まあ、お酒も普通に綺麗に飲む人でした。

まあ、俺よりも酒を綺麗に上手に飲む酔っぱらいは、まずいないけど(悪い冗談です)。

横浜の翠嵐から慶應、ハーバードでMBA、「先に言っときますが、まあ高校時代から優秀じゃなかったです」というようにエリートではありません。

「ハーバード、ボブ・アラムの後輩ですね」と、わかんねーだろーなーと思って投げると、やっぱり知りませんでした。

しかし、彼もそこで何かを見つけたように、私に身近なはずだけど知らないでしょ?な言葉を投げ返し、そんなゲームみたいなキャッチボールを楽しめました。

面白い人だな、と感じました。

「また仕事抜きで飲みましょう」と言ってくれて、2度ほどお誘いを受けたのに、別件があって断ってしまいました。

それからなんとなく、そのままの状態。気分を悪くさせたのかもしれません。

もちろん、内部の人間からはいろいろ問題があったでしょうし、周囲は上下関係からなかなか批判的なことは口に出来なかったのでしょうが、スキャンダルを起こしてから、袋叩きにするのはどうなのかな?

ずっと我慢して来た鬱憤を晴らして気持ち良かったのかな?

なんだか、本当か嘘かわからない、嫌な話まで噴出して、それで何が楽しいのかな?



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平成、令和と時代は移り変わりましたが、まだまだ「昭和」な事象は私たちの周りで蠢いています。

その多くは時代遅れだったり、高校野球の暴力問題に代表される因習の悪だったりします。

そして、きょう発表されたこのニュースも昭和の「因習の悪」でした。

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成績優秀者はその都度表彰され、メダルや賞状だけでなく、今考えても安くない金銭も必ず授与されました。


以下、簡単にまとめます。

◾️◾️◾️予備校や塾の大手、駿台予備校が’26年度の大学入試から合格者数の公表を中止すると発表。

「受験生が複数の塾や予備校、オンライン教材を併用して学ぶのが一般的となり、単一の教育機関の合格者数が本来の意味を持ちにくくなった」のがその理由。

東京大学などの難関国立対策を得意としてきた駿台が合格実績の発表を取りやめることはなぜ注目されるのか?

塾や予備校の東大対策講座には他塾の生徒も多く通い、その生徒たちの合格実績は複数の塾で「ダブルカウント」される。

そのため、東大の合格者数よりも各予備校や塾の合格実績の合計が多くなる。 

特に今はオンラインでの受講が増えたため、複数の塾や予備校に通う生徒の数が大きく増えた。

合格実績に意味がないと思うかもしれないが、志望校に多くの合格者を出している塾や予備校であれば、その志望校の対策が優れていると推測できる。

駿台予備校は全体の合格実績は公表はやめるが、校舎別の実績の公表は続ける。

たとえば、北海道の校舎であれば北海道大学などの地元の大学の合格実績は受験生にとって必要な情報になる。

一方で、塾や予備校が東大の合格者数が多いことをアピールしてブランド力を高め、生徒を集めるという「合格実績ビジネス」は終焉したということ。◾️◾️◾️




▶︎この合格実績、東大や京大は塾や予備校のダブルカウントだけですが、その他の大学の実績は塾や予備校に加えて、個人もダブルカウント、トリプルカウント…されています。

例えば、三つの塾に関わる個人が東大の他に早稲田と慶應でそれぞれ二つの学部で受かったとすると、彼(彼女)は三つの塾に加えて、早稲田と慶應でも二つずつ、つまり15カウントされることになります。

彼(彼女)が通う塾の一つで掲揚された「早稲田500名合格」の張り紙の500名に、彼(彼女)だけで2人カウントされているということです。

このブログでも紹介しましたが、私も塾や予備校から、この〝水増し〟要員として報酬をもらった経験があります。

名目は塾や予備校によってまちまちでしたが「成績優秀者特別賞」「お車代(交通費)」だった記憶があります。

高校の一つ上の先輩・ユーコさんに受験や塾・予備校通いを薦められたのですが、後ろめたい黒歴史です。

18歳前後の当時はお札の入った封筒を受け取って「うわ、こんな大金!」と嬉々としていましたが、あまり人にはしゃべりませんでした。

それでも、同じ塾や予備校に通う同級生たちには察しられ、同窓会や何やらの集まりでも武勇伝のように語られることがありましたが、現役の後輩たちには「そんなことはなかった」ということで通しています。

いま、勉強を教えることのある野球部の中高生に対しても、そんなことは絶対に言いません。

彼らの受験勉強にとって、不要の雑音でしかないでしょう。

学生時代にスポーツで表彰されたことは話すことがありますが。

もちろん、スポーツでは金銭をもらったことなど一度もありませんし、スポーツ選手としても全国レベルだったユーコはオーダーメイドで新商品のシューズやスパイク、ウエアなどの提供を何社からも受けていましたが、それは大っぴらで問題ありませんし、堂々の武勇伝です。



ーーー個人的には金銭をもらう、授業料や講習費が免除されるのも差し支えないと思います。

ただ、複数のカウントに使われ、受験生や親御さんの誤解を招く虚飾の合格実績に関わったことにはやはり後ろめたさが拭えません。

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こいつの着丼を待ってこのお話を書いていましたが、本文とは関係ありません、あしからず。
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一緒に遊んでもらえてる中学校や高校の野球部の部員は増えていますが、世の中は全く違うようで9人を集めることが出来ない学校もあります。

そんな学校からは「合同練習をしてもらえないか」とお願いされることもありますが、難しい問題はたくさんあります。

すでに、私の時代には想像もできなかった、公式戦に参加する合同チームは珍しくありません。ただ、そのケースは2校(あるいは3校以上)がともに9人割れしているケースです。

9人割れしていない私たちにとっては合同チームはありえませんし、合同練習も練習時間やスペースの問題を考えると、受け入れるのは無理です。

子どもたちにとっても、知らない同級生がやって来て、自分たちの練習時間が減るのですから、普通は快く受け入れることは出来ないでしょう。

ただ、直接会ってお話ししてしまうと誰だって、月1回とか2ヶ月に1回とかの合同練習だけでもなんとかならないものかと手を尽くしたくなるものです。

私の世代では信じられませんが「他校の生徒をグラウンドに入れる」だけでも、煩雑な手続きが必要になるのです。

それは、もうどこかにグラウンドを借りてそこでやることにすれば済む話ですが、それよりも重要なことは子どもたちが本当に望んでいるのかどうか。

私が聞いてしまうと「合同練習してもいい」と言うのは決まっているので、顧問の先生を通して子どもたちだけでみんなで話し合う機会をもってもらい、親御さんの思いも確認しました。

そんなことがあったのが1年ほど前。

なんとなく、もしかしたら、いろんな歪みがあるのかもしれないけど、少なくとも私の視界では順調にみんな成長しています。



住みにくい世の中だけど、みんながんばれ。

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朽ち果てるもの。

諸行無常だとか、輪廻転生とか、そんなことはどうでもいい。

朽ち果てるもの、崩れ落ちるものに、ザマアミロではなく、一片の哀愁を贈るのは、かつてそれを受け入れていた者たちにとって、一つの礼節に違いない。

最低なのは、手のひら返しだ。

EXPO70(大阪万博)のシンボル、「お祭り広場の大屋根」を設計したグレートの最高傑作は「東京オリンピック国立屋内総合競技場(代々木体育館)」なのでしょうが、電通旧本社ビルもまた最高傑作の一つでしょう。

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いかにも「昭和」なデザインですが、目を見張るのは屋上から一段高くしつらえられた、戦艦の艦橋のような〝司令部〟です。

ビジネス版の戦艦大和です。

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「昭和」の全てが凝縮された建築です。

正確には「昭和」ではなく、明治から続く、日本が追求した物質文化の象徴です。

いま、世の中で叩かれまくってることは「昭和なこと」で、叩かれていることについては、もちろん「過ち」でした。

あたりまえですが、「昭和」にも良いところは、たくさんありました。

ナチスは「良いこと」もしたのか?というのとは全く違う話です。ナチスの実施した高度な福利厚生制度は多民族には冷徹で、ユダヤ人断絶を企てて暴走してしまう悪魔の所業の裏返し。高速道路も五輪の派手な式典も、ドイツの富国強兵という、やはり悪魔の制服計画の一つでした。



The Collapses〜朽ち果てるものたち。

それは、スポーツの世界で好まれ、深い共感を集めるThe Undefeated(敗れざる者たち)とは真逆の、忌み嫌われるThe Collapses。

昭和的なもの、電通的なもの、フジテレビ的なもの、そんな「昭和の勝者」が敗残した時代、私たちが絶対にしてはいけないことは〝ドイツ兵やナチスの協力者をリンチにかける〟ことではありません。

しかし、そういうこと、少なくともそれに近いことが、平然と行われました。

たまたま、立場が違っただけで、どちらもケダモノだということです。



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忘年会シーズンも佳境に入っています。

独立採算制の強い部署は、結構な費用を計上したりして楽しんでいます。

おかげさまで、ウチも好調で、期末ボーナスを使って月初の週末ちょっと遠ました。

しかし、せっかく出た期末ボーナスを会社の飲み会に使うなんて、信じられない…。

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最近の若い子は会社関係の酒を飲みたがらない、自分の時間を大切にするーーーんじゃなかったのか!?

俺はきっとこのブログでも何度も叩きつけているだろうけど、社会不適合者で会社でもどこでも、集団で飲むのは基本的に一切好まない。

だから、新人が配属されても歓迎会は「やりたければどうぞ」。もちろん、やりやがるから、俺も行かねばならない。

同窓会関係もまず「欠席」だ。

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会社関係などもうとにかく敬遠したいのだが、部署の部下が企画してしまうと「カネだけ出すからみんなで楽しんで来て下さい」というのが通用しない。

中高まで、野球部や陸上部のほんの一部、わずか数人しか私に話しかけてくれる人などいなかったのに、大学時代は交友関係が爆発的に広がったけど、それは大学という特殊な環境下もあったはず。

高校時代までは女子とクリスマスを過ごすとか、バレンタインにチョコレートをもらうとかは一度たりともなく、悲しい青春時代を過ごしていたというのに、何がどう変われば、娘よりも若い部下から酒に誘われたりするなんて、世の中何がどうなっているのか?

もちろん変なことは一切なく、1対1のお誘いはそれを理由に断りますが「よしよし、一緒に飲もう」って言っときながら、全くお誘いがないって、どういう神経してるんですか、と迫ってくるのである。

「2人だけだとなんか変に思われる」なんて、「よしよし、一緒に飲もうと言ったときは一切口にしなかったのに」とか詰め寄ってくるのである。

「二人きりがダメなら今度、奥さん呼んでください。めっちゃ興味ある!」とか、そんなもん天地がひっくり返っても絶対にイヤじゃーーーッ!!!!!というようなことまで言ってくるのである。

もちろん、私にも仕事の話や、いろんな世間話が面白い上司はいましたが(ここまで生きてきてわずか3人くらいか)、自分から積極的に誘うなんて考えられませんでした。

ましてや、異性なら尚更です。

ここまで書いて、会社や仕事関係では異性を誘いませんが、高校時代の一つ上の先輩や、小さな映画館で出会ったお姉さんは、年齢を重ねてからはこっちからも誘うし、結構どうでもいい電話したりしてバカ話に盛り上がってます。

会社の部下たちも同じように俺に親しみを感じてくれてるのかな、とも思いましたが、年が離れすぎ。立場が違いすぎ。

こんなこと、絶対に部下たちの前では言えませんが、誰からもチヤホヤされなかった高校時代は思い出すと最高に面白かった、そして正直、老若男女に慕われる今は、そこまで楽しくありません。

ジジー・ババーの誘いは簡単に断れても、若い子は繊細な気がするので、本当に面倒臭い…。

「ありがとう、でも俺は君たちに慕ってもらう資格なんてないんだよ。そっとしておいてくれ」。
なんて、言っても「それ、フィリップ・マーロウですか?ハードボイルドですね!」と、全く見当違いのことを言って、逆に食いついてくるのである。

そもそも、俺の酔っ払い話も、アホほど本読んでアホほど映画見てたシラフの高校時代のほうが間違いなく面白いはず。

もし、高校時代の俺が今の俺を見たらどう思うだろうか。

「羨ましい」なんて、絶対に思わないだろうな。「大変だなあ」と慰められるか?

それとも「こんなつまんない大人になっちゃうのか」と幻滅されるか。

絶対に会いたくないな、高校時代の俺には。


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シャリキンはやばい…これの飲み過ぎ(食い過ぎ?)はダメダメダメ…。
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もし、あの頃にSNSがあったなら。

あの小さな古い映画館で、同じ時間を何時間も過ごしていた僕たちは、すれ違いで終わってなかったかもしれません。

まともに会話したことがなくても、元ミス近大には冷たいコーラをおごってもらったり、どうみてもあっちの筋の人のおっちゃんには酒を勧められたりしていた不思議な関係は、SNSの時代なら僕らは何かしら繋がっていたでしょう。

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ミス近さんとは、社会人になってから偶然遭遇、名前もわかって(仮名・三井紀子さん)、いまは同じ横浜に住んでいて年に一回ほど映画を見たり、お酒を飲んだりしています。

あっちの筋のおっちゃんについては、なんとか探せないものか?と話題に上がることもありましたが、なんの手がかりもなく、映画館もとっくの昔に取り壊され、そもそも当時で50歳過ぎには見えましたから、もう90前か、それ以上の年齢になっていると考えられます。

どう見ても不摂生を重ねていたおっちゃんが、90過ぎ…もう死んじゃってる、生きててもボケてて僕らのことは覚えていない…そんなことを話しました。

先日、三井さんから「あの映画館があった街で酒でも飲もう」と唐突で強引なお誘いがあり、三連休の少年野球のコーチを断って、大阪空港の待ち合わせ場所へ。

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ほんわかした雰囲気の三井さんが、結構強めに誘うのは、明らかに何かがおかしいと感じていました。

まさか、この年になって「駆け落ちしよう」なんて、あるわけもなし。

大きな病気を患っていると告白されるのかとか、いろいろ〝おかしい〟と感じた元を考えても、どれも違う気がしましたが、一つだけ「もしかして」と思い浮かびました。

三井さんとはなんだろう、人間の相性が良いというか、一緒にいるとうまい言葉で話せたり、彼女が何を考えているのか、企んでいるのか、よくわかることがあるのです。



そのときも、直感的に「三井さん、あのおっちゃんを見つけたんだな」とわかりました。
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見事な上弦の月である。

11月17日(日)は兵庫県知事選挙である。

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名前も知らないけど、懐かしい人に会う一泊二日の短い旅である。

僕がまだ高校生の頃、当時30歳過ぎの元ミス近大のお姉さんと、元暴力団の50前のおっさんは、同じ映画館で数えきれない映画を一緒に見ていた。

一緒に見ていた、とはいっても互いに知り合い同士ではなく、同じ映画を同じ場所で見ていたというだけで、3人で映画談義をすることなんて一度もないどころか、まともに会話したことすらなかった。


インターネットなど影も形もない時代。


それでも、生きていると、なにが起きるか分からない。

まさか、丹波篠山でこれ以上ない上弦の月を3人で見上げる日が来るなんて。



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