
自分に正直に生きている人が、今も昔も眩しいです。まあ、そんな幸せな人はめったにいないし、自分がそうではなかったと思ってるからですが。
高校時代は私よりも野球が下手だったくせに、大好きな野球にしがみつき、関西2部の大学から実業団に進んで都市対抗にも出場、現役引退しても高校で野球部の顧問をしている先輩。
大学時代に国家公務員や高待遇の民間企業への就職に全く興味を見せずに、大学に残って大好きな研究を続けている友だち。
あるいは知り合いではありませんが、芸能界という最も自分に嘘をつかなければならない世界で、正直なまま活躍しているさかなクン。彼が自宅に帰って「こんなのやってられるかッ!」とハコフグ帽子を叩きつけることなんて一度も無い気がします。

高2のときに、学校始まって以来といわれたほど勉強ができる一つ上の先輩から「受けてみ」と言われた模試で、先輩よりも順位は下でしたが、大阪地区の上位に入りました。
「2年で数Ⅲが満点ってどうなっとんねん?受験の型に慣れたら、私なんか問題ちゃうやん」と褒められたのが、受験することになったきっかけでした。
共通一次の社会2科目で「世界史」「日本史」を選んだのも先生方に「イレギュラーや」と驚かれましたが「倫理社会」や「地理」などと違って、十分に予備知識があるのがこの2科目だったので、私にとっては当然すぎるレギュラーでした。
タイム誌などの洋雑誌も含めた膨大な読書量で国語や英語、世界史と日本史ですでに大学受験のレベルはゲームオーバー、数学も応募問題が面白かった雑誌で鍛えられ、受験ごときレベルとは違う水準にありました。
この雑誌の応募問題が「数学は暗記」なんて言いかねないバカ受験とは対極にある、ヨハン・クライフみたいな「どれだけ美しい解答を導き出すか」に絶対的価値を置いていて、非常に面白いのです。正解であっても美しくなければ評価されない世界がそこにありました。
受験ファーストの模試などでは報奨金や立派なメダルがもらえましたが、この雑誌の入賞者に送られるのは、お金はなくて質素なオリジナルバインダーだけ。それでも、自分よりも美しい解答を目にしたときは落差の大きいカーブで見逃し三振に打ち取られたような「こいつ、やるな」という清々しいライバル心を楽しめました。
英文和訳のセンスや、数学の美しい解答は受験ではプラスには働きませんから、無駄と言えば無駄なんですが、そこだけは楽しんで取り組めました。
あとは理科の2科目だけ。こんなのは、もうどうにでもなりました。
2次試験は、私の完全Aサイド。
当時の受験英語ではヒアリングなどの実践的な問題は稀れでしたが、もしあったなら映画や洋楽で鍛えられていた私には圧倒的なアドバンテージがあったと思います。
まあ、結局、受験勉強には「くだらないことに時間を浪費してるなあ」という残念な感覚が拭えませんでした。
私に模試を薦めた先輩が「余計なことしたかもなあ」みたいなことを言ったり、映画友達の三井さんからも「つまらん男になったなあ」と言われたのは「〝あの頃の生き方〟とは違っちゃったね」という意味が込められていた気がします。
そういえば…模試や講習の成績優秀者でもらったメダルやトロフィーの類は今でもあちこちから出てくるのですが、数学雑誌から送られたバインダーや、深夜ラジオ・ヤングタウンでハガキがウケると送られるステッカー…母親に捨てられたらしく、一つも見当たりません。
メダル類は重量感があって捨てにくいこともあるのでしょうが、私的にはバインダーやステッカーの方が比較にならないくらいに誇らしかったです。
3月まで住んでいた横浜で受験生に勉強を教えていましたが、何になりたいとかがなくても、自分らしい生き方を優先して進路を決める、そういうこと大切だよということを伝えていましたが、どこまで響いていたのかわかりません。
なんだか自慢話みたいになりましたが、受験しなかったら?というのは今でもときどき思うことです。まあ、受験しなかったらいまの家族はいなかったし、多くの友だちも別の友だちに入れ替わってたはずで、これはこれで良かったんだと思っています。









