阪神や日本ハムで活躍した新庄剛志氏(47)が「現役復帰宣言」。
新庄氏は13日までに自身のインスタグラムを更新し「今日からトレーニングを始めて、もう一回プロ野球選手になろうと思います」と現役復帰の意向を表明。
その後もインスタ上にバットを持ってスイングする姿やウエートトレーニングに励むシーンなどを続々と投稿し、球界復帰へ並々ならぬ意欲をアピールしている。(東スポWEB)
その後もインスタ上にバットを持ってスイングする姿やウエートトレーニングに励むシーンなどを続々と投稿し、球界復帰へ並々ならぬ意欲をアピールしている。(東スポWEB)
新庄剛志の言葉ですから、どこまで本気で何を考えているのかわかりません。
しかし、長いブランクを経てのカムバックにはいつの時代も「絶対に無理」「恥をかくだけ。やめておけ」と冷めた目を向けることしかできません。
最近では、英国の伝説、ナイジェル・ベンが55歳でカムバック宣言(故障により復帰戦は中止)。
ウラジミール・クリチコやフロイド・メイウェザーらかつてのスター選手の周囲には復帰の噂が絶えることはありません。
大きなブランクからのカムバック。日本人では日本王座3階級制覇の五代登が印象に残っていますが、調べてみるとあのブランクは1年7ヶ月に過ぎませんでした(あのブランクも色々問題ありですが)。
世界に目を向けると、やはりジョージ・フォアマン。「絶対に無理」「恥をかくだけ。やめておけ」という罵声や野次を全身に浴びながらの復帰劇でした。
モハメド・アリに歴史的な大番狂わせで沈められたフォアマンは、1977年にジミー・ヤングに敗退したロッカールームで「神の啓示」を受けてパンチャーからプリーチャー(牧師)へ転身。
なんと10年ものブランクを乗り越えての奇跡の復帰物語は、1994年に世界王者返り咲きという最高の帰結をもって完成されました。
来年1月に71歳の誕生日を迎えるビッグ・ジョージですが、ここが肝心なところです、まだ引退を宣言していません。
「薪割りやコンバットブーツを履いての砂浜ランニング、ベタ足のクロスアームブロック…オールドスクールの老人は80年代の近代ボクシングには通用しない」。
メディアやファンの暗愚な決め付けを、蘇った恐竜はいとも簡単に破壊して見せました。
「やめなさい、ベン」。ダーク・デストロイヤーの復帰を思いとどまらせようと必死の英国ボクシングニューズ誌と、レナードの網膜剥離よりも「ジョー・メデル独占家庭訪問」の方が気になるワールドボクシング誌。
そして、カムバックを崇高な物語と下劣な茶番でごった煮にしてみせたのがシュガー・レイ・レナード。
モントリオール五輪金メダリスト、米国スポーツ最高の賞「Sportsman of the Year 」(Sports Illustrated誌)にボクサーとして最後に選ばれたレナードは1981年トーマス・ハーンズとの「ボクシング史上最高試合」を勝利、ブルース・フィンチを3ラウンドで屠ったあとに網膜剥離が発覚。手術を受けたものの完治せず、引退を余儀なくされます。
1984年に中堅ケビン・ハワード相手に気まぐれな復帰戦を行うものの、ダウンを喫する不細工な内容(試合は9ラウンドTKO勝利)で再びグローブを吊るしました。
その後はテレビ解説者の席でおとなしくしていたのですが、マービン・ハグラーvsジョン・ムガビのメガファイトのリングサイドで「ハグラーをノックアウトできる」と宣言。
ハワード戦から3年、フィンチ戦から数えると実質のブランクは5年3ヶ月もの歳月が積み重なっていました。
この史上最難関の復帰劇を劇的なスプリットデジションでものにしたレナードは、ハグラーからの再戦要求を拒否。スーパーミドル級を舞台に安易なメガファイト路線に舵を取ります。
ジュニアミドル級に一気に落としたテリー・ノリス戦で完敗して、3度目の引退宣言。1996年には引退から5年経過したボクサーに資格が発生する殿堂入りを一発でクリア。
しかし、底なし沼のような栄光への渇望を抑えきれず、1997年に再びリングに上がります。相手は、かつて「戦うには小さすぎる」と眼中になかったはずのヘクター・カマチョ。
このときレナード40歳、カマチョ34歳。殿堂選手が現役復帰するという異例の出来事に世界中のボクシングファンは興醒めします。
新庄剛志のカムバックにどんな顛末が待ち構えているのか、誰も知る由がありません。興醒めな最後が待ち構えていないことを祈るばかりです。