フシ穴の眼 〜スポーツ疾風怒濤編〜

      Hope Lights Our Way / 希望の道を、つなごう。

カテゴリ: 複数階級制覇

長谷川陣営が「オーラがある」と戦慄したフェルナンド・モンティエルを「2ラウンドKO」の予告通りになぎ倒したのがノニト・ドネアでした。

ドネアとモンティエルは何度もスパーリングをしており、ドネアには「どう転んでも負けるわけがない」という自信満々。

一方のモンティエルは本人だけでなく陣営も緊張感で表情が強張ったまま試合開始ゴングを迎えてしまいます。



【まさかそこが終着駅だったとは…】


ノニト・ドネアは2001年2月にバンタム級4回戦でプロデビュー。

2007年7月、IBFフライ級王者ビック・ダルチニアン戦で大番狂わせを起こすまでの18試合でフライ級で戦ったのはわずか3試合。フィリピンの閃光は自分の適正階級に迷いながらキャリアを積み重ねていきます。 

フライ級王者としてはモルティー・ムザラネとの〝原石〟対決、ジュニアバンタム級では先に上がっていたダルチニアンとの再戦がメディアとファンから熱望されますが実現ならず。

バンタム級はモンティエルを破壊、当時無敗のフライ〜ジュニアバンタム2階級制覇王者オマール・ナルバエスに「勝とうとしない相手ほど楽な相手はいないが、もうナルバエスとは関わりたくない」という圧勝で初黒星を付けて「ライト級まで7階級制覇してPFPファイターになる」という公約を果たすべくジュニアフェザー級へ。

2012年にはジュニアフェザー級で4戦全勝、この年の業績が認められて全米ボクシング記者協会(BWAA)からFighter of the yearが贈られます。

しかし、ウィルフレド・バスケスを圧倒できず、ジェフリー・マブセラにトドメを刺せず、、西岡利晃に終盤まで粘られるドネアの姿に「衰えた」と断言する専門家も少なくありませんでした。

そして2013年、ギレルモ・リゴンドーに完敗。

そして、2014年にはニコラス・ウォータースに破壊されてしまいます。

世界戦ではジュニアフェザー級で6勝2敗、フェザー級で1勝2敗。

4階級制覇したドネアにとっての階級の壁。それがジュニアフェザー級であったことは、バンタム級に逃げるように出戻ったことからも明らかでした。


プロ22年で42勝29KO7敗。

誰に勝ったのか?では、殿堂クラスのファイターには、ついに勝つことができませんでした。

しかし、PFPファイターのビック・ダルチニアンを大番狂わせに撃沈し、ホルヘ・アルセ、ライアン・バーネットというビッグネームをねじ伏せ、無敗の2階級制覇王者オマール・ナルバエスにも初黒星を擦りつけました。

キャリア2戦目で喫した敗北を除くと、負けたのはリゴンドー、ウォータース、ヘスス・マグダレノ、カール・フランプトン、そして井上尚弥に2敗。

リゴンドー は歴史に残るテクニシャン。フランプトンはBWAAとリング誌のFighter of the yearをW受賞経験者。井上はPFPキング。ウォータースとマグダレノも穴王者ではありませんでした。

21世紀が幕開けた年にデビューしたドネアは、この世紀のジュニアフェザー級以下の超軽量級シーンのフロントランナーであり続けましたのです。

そして、その殻を破壊する、あと一歩まで迫ったこと、バンタムに出戻ったもののそこで再び輝いたことをボクシングマニアはずっと記憶しているでしょう。
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ファイティング原田を超える日本史上最高のボクサー。

そう語られる選手は間歇的にわいてきました。

具志堅用高、辰吉丈一郎、西岡利晃、井上尚弥…。長谷川穂積もそんな〝日本史上最高ボクサー〟の一人でした。

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【そもそもバンタム級でも誰に勝ったのか?】


長谷川穂積は1999年11月プロデビューからの5戦は3勝2敗でしたが、2003年5月にジェス・マーカをSDで競り落として東洋太平洋、2005年4月にウィラポン・ナコンルンプロモーションを破ってWBCバンタム級のストラップを獲得。

WBC御用達のランカーを次々と倒して10連続防衛を果たすも、当時はネット社会も成熟「強い相手には勝っていない」という批判がつきまとっていました。

日本王者サーシャ・バクティンとの試合を「面白い試合にならない」と回避、防衛を重ねて自信を深める中で山下正人会長が「サーシャとやろ!やったらええんやろ」と 苛立つこともありました。

また、山下会長は「WBCには恩義がある」という余計なことまで口にすることが多く、長谷川がどこまで強いのかは誰にもわかりませんでした。

リング誌はマニー・パッキャオに憧れる長谷川を「ジャパニーズ・パッキャオ」と紹介、Best Fighters in the World(年間PFP100傑)で最高位12位に付ける一方で、ルシアン・ブテらとともに「本当に強いのかわからない未知の強豪」にも数えられるなど、旬の強豪との対戦が欠落していたのです。

JBCが特例で認めた他団体王者との対戦は、誰に聞いても階級最弱王者と太鼓判が押されたWBOのフェルナンド・モンティエル。

2010年4月30日、モンティエルは前年に〝普通の防衛戦〟も内定していた〝いつもの雑魚〟の一人で「長谷川の楽勝」とも見られていましたが、武道館は異様な緊張感に包まれていました。

そして、リング上では福田トレーナーが「こいつは強い」とオーラに気圧され、試合中のインタビューでも長谷川本人が「過去最強」と認めてしまいます。

世界王者と複数階級制覇のハードルが劇的に下がった4-Belt Eraでなければ、間違っても3階級制覇などありえなかったモンティエルとの試合は、「3ラウンドまでは長谷川がスピードで圧倒していた」というジョー小泉は幻覚を見ていたのか、拮抗したフェイント合戦が展開。

第4ラウンド、残り10秒の拍子木をゴングと勘違いしたという長谷川はモンティエルの右ストレートから左フックのフェイントにはまってロープに後退。最弱王者のフォローに長谷川は顎を跳ね上げられ防戦一方、ここでローレンス・コールが試合を止めました。

当時のバンタム級は派手な勝利を重ねる長谷川が最強と目されていましたが、WBAのアンセルモ・モレノを推す声も少なくなく、IBFのヨニー・ペレスも地味ながらタフな実力派とみられ、WBO王者をヨレヨレで守っていたモンティエルは最弱とみられていたのは当然です。

そして、長谷川を上回る〝隠れ最強〟の評価を集めていたのが、バンタム転向を表明していたWBAジュニアバンタム級暫定王者のノニト・ドネアでした。

長谷川は再起戦でいきなりWBCフェザー級王者決定戦に出場、ファン・カルロス・ブルゴスを下して2階級制覇。しかし、「おいしい相手」と自信満々でジョニー・ゴンザレスを迎えた初防衛戦では4ラウンドで粉砕されてしまいます。実際のオッズも3−1と、西岡利晃にも逆転KO負けを喰らい、とにかく勝負弱くザルディフェンスのジョニゴンになら勝てると期待されていました。

この頃には、リング誌が「過大評価の典型」「グラスジョー」と長谷川の株は暴落。

その後、3階級制覇を狙って穴王者とみられていたIBFジュニアフェザー級王者キコ・マルチネスに挑戦するも7ラウンドで破壊されてしまいます。

ジョニゴン、キコよりも穴王者…そんなのいないと思われましたが、いたのです。亀田興毅に完敗しているWBAジュニアフェザー級王者ウーゴ・ルイスとのボーナスマッチで一進一退の攻防の末に9ラウンドストップ勝ち。〝感動の〟3階級制覇を果たしました。

バンタム級で10度防衛した長谷川でしたが、フェザーとジュニアフェザーでは一度も防衛できず。

ジャパニーズパッキャオと何だったのか?

階級の壁に残酷なまでに跳ね返されただけでなく、そもそもバンタム級でも強かったのでしょうか?

少なくとも…日本の多くのファンが信じていたバンタム最強が、全くの幻想だったことは間違いありません。
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階級の壁。

承認団体が4つに増え、階級が17にも増殖した時代でも階級の壁は厳然として存在します。

世界王者になること、複数階級制覇することが飛躍的に安易になった時代にもかかわらず、階級の壁の存在を思い知らせてくれたロマンチストたちのリストです。

彼らにロマンを見せ、無謀な挑戦に誘ったのは勇気と冒険心だけではありません。

このお話を始める前に、その張本人がいたことを紹介しなければなりません。

複数階級制覇を従前よりもはるかに軽く考え、成功への拠り所とされていたのはマニー・パッキャオの存在でした。

フライ級からジュニアミドル級まで、10階級のスパンで8階級を制覇した正真正銘の傑物。

エイドリアン・ブローナーからマイキー・ガルシアまで、亀田興毅から井上尚弥まで、つまりFrom pin to drill=ビンからキリまでパッキャオを強烈に意識した発言を残し続けてきました。

そして…ピンからキリまで、結局のところ誰一人としてパッキャオの領域には触れることすらできないのです。

その意味ではマイキーもブローナーも、亀田も井上も、同じリーグの住人に過ぎません。

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【3ボンドの壁か、それとも経年劣化か?】


アルメニア生まれで豪州を拠点に活躍、主戦場を米国に移したビック・ダルチニアンは2004年12月に無敗のIBF王者イレーネ・パチェコを11ラウンドでストップすると、KOを逃したのは負傷判定の1試合だけという圧巻の6連続防衛でIBO王座も吸収、PFPファイターにもその名を連ねました。

7度目の防衛戦も一方的に有利と見られていたましたが、ノニト・ドネアにまさかのTKO負け、デビュー以来の連取を28で止められてしまいます。

その瞬間まで拮抗していたドネアとの再戦を急がず、すぐにジュニアバンタムに上げると再起戦でIBO王座を強奪、再起2戦目でIBFもコレクション。WBA/WBC王者クリスチャン・ミハレスを攻め落とし、人気者ホルヘ・アルセも破壊してUndisputed champion に王手をかけましたが、3階級制覇を狙ってバンタム級進出。

スーパーミドル級の「スーパー6」トーナメントでで一定の成果を残したShowTimeが企画した、低予算の「バンタム4」に優勝候補の筆頭として参戦します。

ダルチニアンと、ガーナのジョセフ・アグベコ、コロンビアのヨニー・ペレス、そしてメキシコ系米国人でオスカー・デラホーヤの秘蔵っ子アブネル・マレスによる総当たり戦。

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しかし、115ポンドで絶対王政を敷いていたレイジングブルが118ポンドでは平凡なボクサーになってしまうのです。

IBF王者アグベコにマジョリティデジションでドネア戦いらいの黒星をつけられると、マレスにはスプリットデジションで敗退。ジュニアバンタムで見せていた鮮やかな決定力は、バンタムで完全に喪失してしまっていました。

もちろん、アグベコは地味ながら2020年、43歳になるまで戦い続けたタフな強豪。マレスは判定では勝ち目のない軽量級では稀有なスター。

ジュニアバンタムまでの相手とは一味も二味も違いましたが、それにしてもパワーはもちろん、スピードもタイミングも何もかも失ったダルチニアンの変わりようは、見えないはずの階級の壁をはっきり映し出してくれた気がしました。
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フェザー級から無敗のままジュニアウェルター級までの4階級を制覇したマイキー・ガルシアは、ウェルター級に挑んだ5階級目で苦い敗北を味わってしまいます。

舞台はAT&Tスタジアム、FOXがPPVで仕掛けたビッグイベント、リングサイドにはこのスタジアムで初めて戦ったファイター、マニー・パッキャオも招待されていました。

タイトルだけでなく、勝者がパッキャオとのメガファイトのチャンスを掴む、というカネと名誉も絡んだ試合は、当時も階級最強候補の一画でミドル級まで視野に入れているIBF王者エロール・スペンスにマイキーは何も出来ずに押し切られてしまいます。

浜田剛史は「階級の壁というよりもスペンスの壁」と表現しましたが、試合が行われた2019年3月19日時点での他団体王者はWBOがテレンス・クロフォード、WBCがショーン・ポーター、WBAスーパーがキース・サーマン、WBAセカンドに至ってはマニー・パッキャオという豪華さ。

誰が相手でも、マイキーにとって非常にリスキーな挑戦でした。

とはいえ、それはウェルターの〝階級事情〟。他のクラスなら、王者が5人いると一人くらいは穴王者を見つけられるものです。

2013年前後まで遡ると、このハイレベル階級でも生粋の穴王者エイドリアン・ブローナーや、Bレベルのロバート・ゲレーロ、マルコス・マイダナらがベルトを巻いていました。

井上尚弥はマイキーの挫折を見て「階級を上げて潰されたら意味がない」と語りましたが、潰されるという危険に立ち向かうような階級上げに、多くの人は身勝手なロマンを感じるものです。

マイキーのように、ロマンの香りを発散させながら美しく散ったファイターを振り返ります。
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幻に終わった「パッキャオvsスペンス」。「階級の壁」という常識をあざ笑うように越えていったフィリピン人の〝栄光への脱出〟。私たちはまたいつか〝パックマン〟と巡り会える幸運に恵まれるでしょうか?

「階級の壁」。承認団体や階級の数が膨れ上がる以前は、世界タイトルの価値は重く、その牙城を守るのが王者の生き方でした。

それでも、アーチー・ムーアらライトヘビー級の名選手にとって、ヘビー級への挑戦はまさに〝栄光への脱出〟でした。


これからご紹介するのは、4Belt-Eraでも複数階級制覇が当たり前になった21世紀以降の〝美しく散ったファイター〟たちです。
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ボクシングに数字は意味を持たないことが殆どです。

「誰に勝ったのか」。それが全てだと言い切っても差し支えありません。

のちの殿堂入り選手のプライムタイムに勝つ、現在ランクされているPFPファイターに勝つ。

もちろん、ボクシングもスポーツである限り、記録は試合の前景気を煽り、ファンの関心を高めるものです。

具志堅用高の「13」で43年間も時計の針が止まったままの連続防衛記録は、現代の複数階級制覇トレンドを考えると更新するのは至難の業。内山高志や山中慎介のような〝その階級で心中〟する覚悟のサムライの登場を待つしかありません。

一方で、井岡一翔が「4」でトップを走る複数階級制覇は、具志堅の記録とは違い、井上尚弥や田中恒成を筆頭に並ぶだけでなく「5」へ更新される光景が近い将来見ることができるかもしれません。

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現在の日本人世界王者は谷口将隆(WBOストロー級)、京口紘人(WBAジュニアフライ級)、寺地拳四朗(WBCジュニアフライ級)、中谷潤人(WBOフライ級)、井岡一翔(WBOジュニアバンタム級)、井上尚弥(WBA/WBC/IBFバンタム級)の6人。

このうち、複数階級制覇していないのは昨年12月に最初のタイトルを獲ったばかりの谷口、具志堅越えを狙っていた寺地、ジュニアバンタム進出が時間の問題の中谷の3人。

80年代までの複数階級制覇は「2」でも快挙でしたがレオ・ガメスやエイドリアン・ブローナーらのように4階級に渡って一貫して並王者(かそれ以下)で制覇する〝傑物〟も出現しています。

ファイティング原田が世界初の軽量級2階級制覇を達成した「2」を「3」に更新したのは亀田興毅という〝傑物〟でしたが、1団体10階級時代の原田と、いくつ階級があって何人世界王者がいるのかよくわからない現代のシステムに乗って産み落とされた亀田を同列で語るのはどんな詭弁を弄しても不可能です。

さて、その原田はフライ級では初防衛戦に失敗。バンタム級で4度防衛。

リング誌にTHE JAPANESE STAR, WHO WON WORLD TITLES IN TWO (ALMOST THREE) WEIGHT CLASSES (2階級制覇、いや実質3階級制覇)と認められた原田の防衛成功はバンタム級のみの〝わずか〟4でした。



その、バンタム級タイトルをエデル・ジョフレと同じ8度!も防衛したのが興毅です。興毅はバンタムの「8」に加えてジュニアフライ級の「1」を加えて防衛成功回数は「9」。

もし、この〝傑物〟が原田と同じ60年代に生まれていれば、一発殿堂間違い無しで、軽量級のレジェンドとして記憶されていたかもしれません。

現実には生まれる時代に恵まれず、素晴らしい数字を残しながらも殿堂にはノミネートすらされていません。

単一階級にこだわらない防衛回数では井岡一翔の「15」(ストロー=3/ジュニアフライ=3/フライ=5/ジュニアバンタム=4)が最多で、ノニト・ドネアを破壊した井上尚弥も「15」(ジュニアフライ=1/ジュニアバンタム=7/バンタム=7) で追いついています。

この二人、対戦相手の質という点では井岡に軍配が上がりますが、井上の数字には無敗と圧倒的な勝利という〝箔〟が付いています。

結局のところ、防衛回数や階級制覇数、およそ数字と呼べるのは〝傑物〟の登場で簡単に塗り替えられるマヤカシです。

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ただ、オリジナル8の時代はもちろん、原田の1団体10階級時代の数字は、他のスポーツ同様にそなまま受け入れて差し支えありません。

世界王者が一人残らず The Undisputed champion だった時代。世界王者は途轍もなく強く、弱い世界ランカーはいない。そんな当たり前が、当たり前だった時代です。

世界王者の経年劣化や大番狂わせで〝傑物〟が王者になったとしても、防衛することはまず出来ません。ましてや8度も防衛するなんて、ありえません。
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残念なニュースです。

マイキー・ガルシアがインスタで、引退を静かに報告しました。

私が見たボクサーの中で、最もスタイリッシュなボクサーでした。

2006年7月のプロデビューから昨年10月のサンドル・マルティン戦までのプロ17年間で、42戦40勝30KO2敗の成績を残しました。

フェザー級からジュニアウェルター級までの4階級制覇。

フェザー級ではオルランド・サリド、ファンマ・ロペスをストップ。

ジュニアライト級ではローマン・マルチネスを倒し、ライト級でも無敗のデジャン・ズラチカニンを粉砕。エイドリアン・ブローナーの化けの皮も剥ぎました。

弱い相手を選ばない。それがマイキーの流儀でした。

それが原因で、生ぬるいマッチメイクを組むトップランクと何度も衝突してしまいます。

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内山高志との一戦が実現したら、私たちはどんなに打ち震えていたでしょうか。

ジュニアライト級は米国ではけして人気があるクラスではありませんが、それでもマイキーは別格です。

もちろん、大田区総合体育館に呼べるタマじゃありません。

ロサンゼルスやラスベガスの大会場、360度完全アウエー、大ブーイングを浴びながら花道を進む内山…。それだけで、ボクシングファンは泣いてしまいそうです。

リング誌もESPNも階級最強パンチャーと認めていたKOダイナマイトです。チャンスは、十分にあったと思います。

マイキーはジュニアウェルター級まで上げても、セルゲイ・リピネッツ、ロバート・イースターJr.との無敗対決を制しました。

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そして、キャリア初のアンダードッグとなったエロール・スペンスJr.戦では、あのシュガー・レイ・レナードの記録を更新する、史上最少10試合での5階級制覇に挑みます。

126ポンド(フェザー級)王者が、147ポンド(ウェルター級)王者になる。ボクシング150年の歴史で、そんな空前絶後の離れ業をやってのけたグレートはヘンリー・アームストロングとマニー・パッキャオの二人だけです。

2019年3月16日、テキサス州アーリントンはAT&Tスタジアム(カウボーイズスタジアム)。

プロ初黒星を喫したマイキーは、トレーナーの兄ロベルトの「棄権しよう」という助言を遮り、12ラウンド終了ゴングが鳴るまで、階級最強王者の前に立ち続けました。


マイキーの輝かしいキャリアで惜しむらくは、トップランクとの闘争で失った2年半もの時間です。

2014年1月25日(ファン・カルロス・ブルゴス戦)から、2016年7月30日(エロイ・ロハス戦)。年齢にして26歳から28歳までの2年6ヶ月と5日、トップランクからの独立闘争を法廷で展開、軽量級ボクサーにとって貴重な時間を喪失してしまいました。


「アリ法」以降の時代でも米国市場に大きな影響力を持つ大手プロモーターの犠牲者、と言って良いかもしれません。

高い志を持つ傑出した才能が潰される、その最大の被害者は本人だけではありません。私たち、ボクシングファンも、きっと見る事が出来たいくつものスペクタクルを奪われた被害者です。 
ワシル・ロマチェンコだけでなく、マニー・パッキャオとのメガファイトも交渉のテーブルに乗ったことがありました。




お疲れ様でした。それしかありません。
「マイキーの練習と試合を見ればトレーナーも教科書も要らない」と言われた美しいボクシング、兄ロベルトの血統を見るまでもなく、素晴らしい指導者になるのは間違いないでしょう。

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WBOフライ級王者の中谷潤人が「 最終目標は6階級制覇」とリング誌のインタビューで表明しました。

6階級制覇となると、マニー・パッキャオの8階級に次ぐオスカー・デラホーヤに並ぶ史上2位の数字です。
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今年1月に24歳になった中谷は2015年にストロー級でデビュー。

ここまで23戦全勝18KO、フライ級の112ポンドを超えて戦ったのは2018年に1試合、2019年に2試合の3試合、いずれもジュニアバンタム級でした。

中谷の魅力は身長・リーチ共に170㎝(BoxRec)のフレームを活かしたボクシングを完成させていること。

最終地点のジュニアライト級のトップ選手を見渡しても、フレーム的には見劣りしません。

もちろん、ガーボンタ・デービスやオスカル・バルデスの戦いぶりを見るまでもなく、フレームは戦術を左右しても、勝敗を決定する要素にはなり得ません。

とはいえ、中谷が完全にマスターしているフレームを活かしたスタイル・戦術が、そのまま上のクラスで通用するとは思えません。

フレームは見劣りしませんが、スタイルはマイナーチェンジが求められます。

このクラスでは今週末にWBO王者シャクール・スティーブンソン(身長173㎝/リーチ173㎝)とWBC王者オスカル・バルデス(166㎝/168㎝)の団体統一戦がMGMグランドガーデンアリーナで挙行されます。

スティーブンソンがジャメル・ヘリング、バルデスがミゲール・ベルチェルトと日本人が苦杯を舐めた相手を一蹴。

現在のオッズは5-1でスティーブンソン有利。

中谷が上げる頃には130ボンド級シーンも様変わりしているはずですが、フライ級からは遠いクラスです。

ああ、その前にIBFのストラップを持つ尾川堅一です!

スティーブンソンvsバルデスの勝者と三団体統一戦ともなれば、井上尚弥らではまず難しいMGMグランドガーデンアリーナでメインを張るのも夢ではありません!
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WBAの内部に〝諮問機関〟としてWBCが設立されたのは1963年。

協会や連盟といった団体ではなく、評議会という呼称はここに由来します。

1966年に独自ランキングを発表、分裂は決定的になります。

council(評議会)という、いかにも内部機関ですよ、な名称と分離独立までの3年という時間の長さが、メキシコの〝国策〟として推し進められたWBC誕生の用意周到さと、その初志貫徹の強烈さを物語っています。

Undisputed title2階級制覇を探す旅に出る前に、Undisputed Championの系譜が断絶したとき、つまり初代WBC王者が誕生して王者が分裂した時期を振り返ります。
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WBCの成り立ち↓
https://fushiananome.blog.jp/archives/22675529.html

さて、1970年代から始まった団体分裂時代でしたが、WBCの初代王者が誕生した時期は階級によって違います。

ヘビー級とミドル級という人気クラスでWBC王者が立つのは、大幅に遅れました。

70年代のヘビー級はジョー・フレイジャー、ジョージ・フォアマン、モハメド・アリ、レオン・スピンクスがUndisputed Championであり続けました。

スピンクスがケン・ノートンとの指名試合を拒否してアリとの再戦を選んだことで、WBCはタイトルを剥奪。

1978年にノートンとの決定戦に勝利したラリー・ホームズが初代王者に就いて、王座が分裂しました。(ホームズはIBFでも初代王者)。

分裂型のWBC初代王者が誕生したのはライトヘビー級が1974年(ジョン・コンテ)、ミドル級はなんと1987年(シュガー・レイ・レナード)まで分裂しませんでした。

ジュニアミドル級は1975年(マイケル・オリベイラ)で、これ以前に王者だった輪島功一はUndisputed Championでした。

ウェルター級は1975年にWBA王者を返上してWBCタイトルに専念すると発表したホセ・ナポレス。

ジュニア・ウェルター級は1968年(ペドロ・アディグ)、ライト級は1971年(ペドロ・カラスコ)。

ジュニアライト級は1969年(レネ・バリエントス)。これ以前に王者だった沼田義明と小林弘はともにUndisputed Champion。

フェザー級は1968年(ハワード・ウィンストン)、ジュニアフェザー級はWBCで新設されたのが1976年(リゴベルト・リアスコ)、バンタム級は1973年(ラファエル・エレラ)、ジュニアバンタム級はWBC新設が1980年(ラファエル・オロノ)、フライ級は1965年(サルバトーレ・ブルニ)、ジュニアフライ級はWBC新設が1975年(フランコ・ウデラ)、ストロー級はWBC新設が1987年(井岡弘樹)。

2団体時代よりも4団体時代の方がUndisputed Championになるハードルは高い。2つのベルトを集めるよりも4つ集める方が難しい、それは当然です。

その一方で、2団体時代は両団体の確執が深く、激しく、統一戦を認めない政策が徹底されていました。

現代では分裂したタイトルのピースを収集する〝難工事〟を完遂することがUndisputed Championになるための道ですが、70年代のUndisputed Championは、WBC誕生でも分裂しなかったタイトルをそのまま継承した〝非自力〟のUndisputed Championでした。

Undisputed Champion=完全統一王者は、現代とは違う成り立ちで存在しており、WBAは「WBC王者との統一戦を事実上禁止、もしそのリングに上がればその時点でタイトル剥奪の方針を打ち出していました。

その意味では、4団体時代の現代よりもUndisputed Championへの障害は大きかったといえます。

そして、WBCの分離独立後も、1団体時代から統一王座が保持されていた階級も、ミドル級を残して70年代で分裂を余儀なくされます。

1970年代、一旦分裂したタイトルを再び統一するのは、WBAとWBCの対立から至難の業でした。そして、世界タイトルにまだ権威がり、ミドル級など数少ないUndisputed Championが安易に2階級制覇に乗り出すこともありませんでした。

現在の複数階級制覇の流行と、世界王座の価値暴落とはコインの裏表です。

団体・階級が少ない時代、世界挑戦の機会そのものが貴重だった時代。安易な複数階級制覇が蔓延るほど、世界王者は軽い存在ではありえませんでした。

このような背景から、Undisputed titleの2階級制覇を果たしたファイターは、1970年代に登場することはありませんでした。

しかし「世界王者が2人いる」という常識では説明できない理不尽は「誰が最強なのかを見せろ!」というファンの怒りの声に対しては全く無力です。

80年代、米国でヘビー級と、そのヘビー級と並ぶ人気クラスとなったウェルター級で、統一機運が一気に盛り上がることになります。
 
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WBOウェルター級王者テレンス・クロフォードが「IBF・WBC王者エロール・スペンスJr.とWBA王者ヨルデニス・ウガス」の勝者との対戦を熱望しています。

スペンスvsウガスは4月16日、テキサス州アーリントンのAT&TスタジアムからFOXがPPVで生中継するメガファイト。

この勝者とクロフォードの試合がセットされると、主要4団体に、リング誌王座もステイクされるウェルター級の完全統一タイトルマッチになります。

4団体時代に誕生した完全統一王者=Undisputed Championはバーナード・ホプキンス、ジャーメイン・テイラー、クロフォード、オレクサンダー・ウシク、ジョシュ・テイラー、カネロ・アルバレスの6人だけ。※

ジュニアウェルター級で完全統一しているクロフォードが、ウェルター級でも Undisputed Champion になると完全2階級制覇達成です。

※日本ではテオフィモ・ロペスとそのロペスに勝利したジョージ・カンボソスを完全統一王者に数えていますが、世界的にはロペスのWBCタイトルはフランチャイズで正式の王座と認められていません。

↓こちらはWOWOWの画面から。
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クロフォードをビッグネームとの対戦から遠ざけていたのは、ボクシング業界での存在感が失墜しているトップランクとの契約でした。

昨年11月にこの契約期限が切れ、クロフォードは晴れて自由契約に。

トップランクを不当な扱いを受けたと告訴するなど、両者の確執は泥沼化していますが「トップランクが無能だからまともなマッチメイクが期待できない」という、井上尚弥や村田諒太の米国にも共通のする悩みからは解放されました。

クロフォードは「147ポンド(ウェルター級)にはこだわらない。154(ジュニアミドル級)でも構わない」と、上の階級も視野に入れたUndisputed Titleへのこだわりは示しています。

そのジュニアミドル級はリング誌・WBA・WBC・IBF王者ジャーメル・チャーロと、WBO王者ブライアン・カスターニョとの再戦が5月14日にセット。

今回もドローにならない限り、ここでUndisputed Champion が誕生します。

クロフォードはウェルター級とジュニアミドル級で〝あと1試合で完全統一〟というダブルビンゴ状態が出来上がることになりますが、果たしてそんなにうまく行くでしょうか?

さて、4団体時代に生まれた6人のUndisputed Championは、全員が1階級止まりです。

ウシクがヘビー級でリーチをかけていますが、次戦はアンソニー ・ジョシュアとの再戦になる模様で、この試合で〝振り出しに戻る〟になりかねません。

また、井上尚弥はバンタム級で〝あと2〟ですが、ジュニアフェザー級でも統一機運が高まっており、全てが理想通りにコトが運ぶと、あっさりUndisputed Title の2階級制覇達成の可能性もあります。

さて、Undisputed Title(議論する余地のない王座=完全統一王座)の2階級制覇となると、いつ以来、誰以来になるのでしょうか?

1団体時代なら2階級制覇は、そのままUndisputed Title2階級制覇でした。

ファイティング原田のフライ、バンタムはまさに〝それ〟でした。

では、2団体、3団体時代にもUndisputed Title 2階級制覇を達成した傑物は存在したのでしょうか?

誰もがすぐ思い浮かぶのは、ウシクが尊敬するロスアンゼルス五輪の銅メダリストですが…さて、他にもいるのでしょうか?

さすがに…3階級制覇なんていないですよね…???
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という感じで、ちょうどワンタン麺が着丼したので、この辺りで一旦お開き。
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複数階級制覇に団体統一戦が活発に行われる現在の状況を迎えたのは、認定団体が増えたことがその引力を弱体化させたため、ともいえます。

白井義男やファイティング原田の60年代は言うに及ばず、80年代中盤まで複数階級制覇は〝快挙〟であり、団体統一戦は認定団体にとってよほど旨味があるケースでないと実現は難しい〝稀少〟でした。 

「THE DREAM MATCH」は、マニー・パッキャオvsオスカー・デラホーヤの看板タイトルでしたが、勝手に拝借。

団体統一戦が「」で、複数階級制覇の〝上限〟が「」だった時代、そして日本人がメガファイトに「」づいた、そんな80年代から90年代初めのTHE DREAM MATCHを夢想します。

♬とんで、とんで、とんで、回って、回って、まわ〜るぅ〜〜〜♬



 
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▶︎WBAとWBCがせめぎ合っていた80年台前半まで、団体統一の前には様々な障害が横たわっていました。

それでも、WBAジュニアバンタム級王者・渡辺二郎は1984年7月にWBC王者パヤオ・プーンタラトとの頂上決戦を強行。

「タイトル剥奪」を警告していたWBAと、渡辺を統一王者にさせたい帝拳の間で、剥奪のタイミングを「試合終了時点」にすることで妥協、渡辺は瞬間的に統一王者の座に就きました。

2021年12月号のリング誌で特集された「DIVISION BY DIVISION:The Greatest Fighters of All time」(階級別歴代PFP)で、カオサイ・ギャラクシーに次ぐ2位に選出されます。これは全階級を通じて日本人最高位。

1984年11月、渡辺が剥奪されて空位となったWBA王座を獲得したカオサイは1991年12月までに19連続防衛。世界奪取の試合も含めた世界戦20試合は全勝17KOという凄まじい数字でした。

He became WBA super flyweight (115-pound) world champion Jiro Watanabe's mandatory challenger.
When Watanabe failed to defend his title against Galaxy, the WBA stripped him and matched Galaxy against undefeated Eusebio Espinal for the vacant title on November 21, 1984. 

BoxRecなどは、渡辺は「指名挑戦者カオサイとの防衛戦を行わなかったためにタイトルを剥奪された」と、日本で受け止められているのとは違う剥奪理由を記述しています。

このことで、一部のファンが「渡辺はカオサイから逃げた」と揶揄する根拠になっています。

WBCに鞍替えした渡辺は86年3月まで4連続防衛、ヒルベルト・ローマンに惜敗してタイトルを手放します。

カオサイとは15ヶ月間、ライバル王者でした。

渡辺がもう一度統一戦に挑み、タイのビッグパンチャーに勝利していたら、歴代2位ではなかったことは疑いようもありません。

正式な引退はローマン戦から5年が経った1991年11月。

1994年11月には後楽園ホールで、カオサイとのDREAM MATCHをエキシビションで実現させています。




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辰吉との対戦が期待された世界のホープたち。

▶︎大阪帝拳のエースの座を渡辺から継承した辰吉丈一郎は「ファイティング原田を凌ぐ史上最高のボクサー」と持て囃され、第1期(1991年9月〜92年3月=網膜剥離でタイトル返上)、第2期(93年7月=暫定王座〜94年12月)、第3期(97年11月〜98年12月)と、いずれも劇的なタイトル奪取と悲壮な陥落を繰り返しました。

この時代、バンタム級最強と見られていたのは、88年7月から94年10月まで16連続防衛したオルランド・カニザレス

米国ではニーズがないバンタム級ですが、もし日本で「辰吉vsカニザレス」の統一戦が実現していたら…大きな話題を巻き起こすとんでもないメガファイトになっていたでしょう。

もちろん、JBCがIBFに加盟するのは2013年、日本でカニザレス戦など実現しようもありませんでした。



▶︎1987年11月にトーマス・ハーンズが4階級制覇に成功するまで、複数階級制覇の壁は「3」でした。

しかし、その後の32年間でなんと22人が4階級制覇に成功。1年4ヶ月に一人の4階級制覇ボクサーが量産され、日本の井岡一翔もこの〝エリートクラブ〟に入会しています。

ファイティング原田と柴田国明に続く、日本史上3人目の2階級制覇を果たしたのは井岡弘樹。1991年12月、モダン部門で殿堂入りする柳明佑に勝ったことがまず特筆されますが、当時は「2階級制覇」もまた大偉業だったのです。
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弘樹は、原田が2度失敗した前人未到の3階級制覇に、4度挑みますがいずれも惨敗、完敗に終わってしまいます。

1993年6月:WBAフライ級王者デビッド・グリマン・メンデス=8回TKO負け。

1995年10月:WBAフライ級王者セーン・ソー・プルンチット=10回TKO負け。

1997年2月:WBAフライ級王者ホセ・ボニージャ=7回TKO負け。

1998年4月:WBAジュニアバンタム級王者 飯田覚士=2−0のMD負け。

日本人初の3階級制覇は、2010年12月に好条件を整備したリングで亀田興毅によって達成されるまで待たねばなりませんでした。

亀田はジュニアフライ級、フライ級を制して、カエル跳びでバンタムのピースも拾いました。対戦相手を吟味するいつものやり方なら、ジュニアバンタムも獲得できていた可能性も高く、初の4階級制覇は井岡一翔ではなかったかもしれません。



  

▶︎1978年8月にWBAジュニアミドル級王者となった工藤正志は79年10月、アユブ・カルレの技巧に屈して陥落してしまいます。

79年12月当時、一つ下のウェルター級はWBAがピピノ・クエバス、WBCがシュガー・レイ・レナード。80年8月にハーンズがクエバスを破壊してWBAタイトルを強奪。

一つ上のミドル級はアラン・ミンターがUndisputedChampion(完全統一王者)でしたが、80年9月にマービン・ハグラーの軍門に下ります。

「(アマチュア世界選手権金メダルの)カルレと戦えただけで光栄」と満足していた工藤が、カルレに勝っていたなら?というイフは無理があるかもしれませんが、その無理イフのアナザーワールドでは「工藤vsレナード」が実現していたかもしれません。



▶︎1981年11月7日、とんでもないニュースが日本に届きました。

ニューヨーク州ロチェスターで行われたWBA世界ジュニアミドル級王座決定戦で三原正がロッキー・フラットに判定勝ち、世界王座を獲得したのです。
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このタイトルは初防衛戦で、デイビー・ムーアに6回KO負け、あっさり手放してしまいます。

しかし、その後8連勝を飾り復活。

なんと、WBC世界ジュニアミドル級王者ハーンズへの挑戦が具体化しかけましたが、持病の腰痛が悪化により1985年3月28日の試合を最後に引退を余儀なくされてしまいます。



▶︎いまだ破られていない15試合連続KO勝利の日本記録(のちに渡辺あきのり・比嘉大吾がタイ)を持つ浜田剛史も、結果的には太く短い王位でしたが、夢のある世界ボクシングシーンとシンクロしていました。

日本と東洋太平洋のライト級王座を獲得していた1984年〜86年のWBA王者はブンブン・マンシーニからリビングストン・ブランブル、エドウィン・ロサリオが覇権を争い、WBCはホセ・ルイス・ラミレスからヘクター・カマチョにベルトが遷移していました。

1986年7月、1階級上のジュニアウェルター級のWBCバージョンを持つレネ・アルレドントを3分9秒で失神させて王座獲得。
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浜田に複数階級制覇の話があったとは聞いたことがありませんが、ライト級にカマチョ、ウェルター級にドン・カリー〜ロイド・ハニーガン…ビッグネームに包囲されたランキング表は想像力をどこまでも刺激してくれました。
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