カテゴリ: ボク散歩

平安時代の初め(810年ごろ)に弘法大師(空海)が草庵を建てたのが始まりとされる古刹。天徳四年(960年)、源満仲(みなもとみつなか)公が父・経基(つねもと)の菩提を弔うために源氏・七種の宝物を寄進し京都仁和寺の寛空僧正(かんくうそうじょう)を開山として建立されました。

ーーーというのが、標高488mの山頂にある高代寺です。

さあ、軽く散歩するぜ。なんならジョギングで山頂まで登ったるぜ!488m、キロ6分で走ったら3分もかからんぜ…さすがにそんなことないのはわかってましたが…。

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大したことないだろうと舗装されていないコースを選んだのが大失敗…なかなかの山道、」けっこうキツい、いやかなりキツい。全く走れない。それどころかヘロヘロ…。

傾斜のきつい坂道を登り切ると、両膝に手をついてゼイゼイ息を吐くありさま。自分の体力が想像以上に衰えていることを思い知らされました。

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⬆︎空海が高代寺山に登った際に見つけたといわれる閼伽井御神泉(あかいごしんせん)は、源満仲の母の目が治ったとも伝わる神秘的な湧水で今も湧き出ています…というわけで、忍者のように特殊な濾過装置(俺の喉)を持つ私は、ゴクゴクいただきました。

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井戸からこんこんと湧いているのではなく、ちょっと興醒めな黄色い巨大ポリタンクに付いた蛇口をひねるとちょろちょろ出てくる仕組みです。

備え付けの柄杓にためてぐいっと飲むと、なかなか美味しい気がします。ただの水なのに。

なにより、この日この時の気温は32℃。かなり暑い1日でランニング用のTシャツがびちゃびちゃになるほどでしたが、由緒ある神泉にしては興醒め巨大イエローポリタンクからいただいた閼伽井御神泉の水の冷たいこと!

標高の高い山の地下を流れる雪水とかならまだしも、汚らしい大阪近郊の湧水ごときがここまで冷たいか?と疑ってかかった私は、タンクの上部の蓋を取って中を見たろか?とも思いましたが、冷却装置とかを目にしてしまうと、ますます興醒めなのでやめときました。

まー、そんな小細工するようなら、そもそも興醒め巨大イエローポリタンクにためるなんてことはしませんね。

一人っきりで登って、登りも下りも誰にも会わなかったので、他の人の意見は聞けませんでしたが、軟水ではあってもなんかしっかり美味しい。

とにかく冷たくて美味しかったです。さすが神泉。

あーー!ウイスキー持ってきたら良かった!!!

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  ⬆︎元禄時代(1690年代)に鋳造された梵鐘。


この閼伽井御神泉がメインと思ってた今回の散歩でしたが、山頂の高代寺の案内板には「本堂」などのほかに「クマ舎」というのがありました。

由緒ある古刹ということで「球磨舎」?「久萬舎」?と祇園精舎のような建物があると勘違いした私は、その正体に軽い衝撃を受けました。

クマ舎というのは「熊の檻」だったのです…そんなもんが山の上にあるなんて思いつきませんでした。祇園精舎はありませんでした。

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12年前に、イノシシの捕獲わなにかかった若いツキノワグマ…ドジなヤツです。

山に戻してもまた人里に現れるかもしれないので駆除されるはずでしたが、日本熊森協会が高代寺に引き取りをお願いしたそうです。




12年後のいまなら、多分駆除されてたでしょう。

協会のパンフレットによると「クマは森に光を入れる、種を運び森を豊かにする、ハチミツだけでなくハチも食べる」という森の守り神。ハチによる年間死者数は例年20人程度、クマによる死者は0〜2件」。

クマ被害が深刻化した現在から見ると「0〜2って?」という少し古いデータです。

湧水や野生動物の食べ物が少ない針葉樹の人工林を、実のなる広葉樹の自然林に戻そう、自然林を守ろうという日本熊森協会の主張はほぼ正論です。

しかし、経済原理の中では自然林に戻すなんて不可能です。

ノーベル平和賞が贈られた日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)や、トランプが忌み嫌い経済制裁を受けている国際刑事裁判所…しかし、肝心の日本が核兵器禁止条約に不参加、米国やロシアの大国に国際法は機能していません。

クマ被害を減らす唯一絶対の方法は、野生種を絶滅に追いやることです。

生態系が崩れる?日本オオカミは100年以上前に絶滅しましたが、なんの影響もありません。保水能力高い自然林が減ると水害がより深刻になる?それ以前に、雨の降り方や台風の進路の方が問題です。



閼伽井御神泉の水をペットボトルに入れて持ち帰って飲みましたが…ぬるいからというだけでなく、冷やしても普通の水でした。さすがにカルキ臭はゼロですが。

あの美味しさは気のせいだったのか?

初めての海外赴任(LA)で搾りたてのオレンジジュースに「こんなもん、酒より美味い!」と感動、自宅に持ち帰ると感動の美味しさはどこへやら…なんて経験を思い出しました。








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ちゃんとバックネットがあって、ホームベースもある堂々たる草野球場。軟式でも、ちょっと狭い。

両翼60メートルくらいか。レフト側は道路を挟んでJR横浜線が走っているが、フェンスが低く「大丈夫か?」と心配になる球場。

球場周辺道路には「駐車禁止 打球で車が損傷しても一切責任は持ちません」の看板が。走行中に打球が直撃しても責任は持ってくれないのか…?





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先日、後輩の子どもたちが参加する野球大会へ応援に。

舞台は、尼崎記念公演の中にあるベイ・コミュニケーションズ(大阪市のケーブルテレビ)がネーミングライツを持つベイコム球場です。

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  • 両翼:91m、中堅:119m
  • 内野:黒土、外野:天然芝
  • 収容人員:10,000人(うち内野スタンド3,000人)
  • 内野スタンドに屋根あり
  • ナイター設備4基(投捕間=1100Lx、内野=700Lx、外野=400Lx)
  • 磁気反転スコアボード(基本10回まで。ただし、イニング表示は延長11回以後適宜入れ替えられるようになっている)


いや、しかし素晴らしい野球場です。かつて存在した関西独立リーグ「神戸9クルーズ」のフランチャイズだそうで、「NPBの一軍公式戦は出来ない」いうレベル。

年甲斐もなく、むらむらしてきます。



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プエルトリコはボクシング大国であるーーーそんなあったり前田なことを、ここであらためて言う必要はないでしょう。

ただ、そんなプエルトリコでも El Orgullo de Puerto Rico(プエルトリコの誇り)の異名を持つファイターは1人だけです。

ウィルフレド・バスケスです。

プエルトリコにとっては「誇り」でも、彼は日本のボクシングファンにとっては、忌々しい「呪い」を最初にかけた憎たらしいファイターでしかありません。

WBAバンタム級王者のバスケスは1988年1月17日、初防衛羽扇のために勇躍、大阪に乗り込んできました。挑戦者は〝エンドレスファイター〟六車卓也。

激闘の末の判定はスプリットデジションで、六車は惜敗。

この黒星から1990年2月7日、大橋秀行が崔漸煥の脇腹を左ボディでえぐってテンカウントを聞かせるまで、国内ジム所属選手の世界挑戦連続失敗記録が21まで伸びてしまうのでした。

わずか2年の間に21回も世界にチャレンジできるスポーツって何なの???という疑問はここでは封印です。それを言い出すと、今はもはや疑問すらわいて来ない常識麻痺の時代です。

バスケスはフェザー級までの3階級で王座に就きます。ジュニアフェザー級では葛西裕一、フェザー級では渡辺雄二と日本のホープがあっけなく屠られてしまいます。

そんなバスケスが本当に強かったWBAジュニアフェザー級王者時代の5度目の防衛戦で迎えたのが、横田広明でした。

ボクシングを生業とするなんて、その時点で頭のネジが1本飛んでいます。変わった人間ばかりが集まる狂気の世界ですが、その中でも横田は異質でした。

普段はアートネイチャー池袋支店長としてフルタイム勤務しながら、丸の内線で一本の後楽園ホールのリングに上がり続けたのです。それも、45歳まで。

穏やかな表情と物腰からは普通の管理職サラリーマンにしか見えませんでしたが、それが逆に狂気を感じてしまいました。

見た目だけはどこからどう見ても普通なのに、背骨に狂気の髄液を流す男が、町田でボクシングジムを構えています。

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こんな闇市の残骸みたいな商店街がある街の一角にあるのが…。 
横田ボクシングジム です。

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雑居ビルの2階。

1階の階段脇にはこんな⬇︎魅惑的なノボリが!


1分間で100発…楽勝ではないか?と思いましたが、きっと何か裏があると、思いとどまりました。

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さて、横田vsバスケスです。

横田は17歳だった1979年にデビューから3連勝するも、4戦目で4回判定負けを喫してこの年限りで引退。リングに戻るのは、なんと8年後の1987年。25歳になっていました。

復帰戦も判定負け。そこからは尾崎恵一、岡部繁といった後楽園ホールのビッグネームに土を付けられるものの、世界の声も上がっていたホープの西條学をKOする大番狂せで日本ジュニアフェザー級タイトルを獲得、32歳でバスケス挑戦の切符を手にしました。

一方のバスケスは33歳。1981年のデビュー戦は4回判定負け。しかし、そこから1分けを挟んで21連勝(17KO)、1986年2月にWBCバンタム級王者ミゲール〝ハッピー〟ロラと倒し倒されの激戦の末、惜敗。

非常に評価の高かったロラを追い詰めたことで、バスケスも負けてなお評価を上げます。

1987年10月には六車からWBAバンタム級のストラップを奪った朴讃栄を10回KOして、悲願のタイトルホルダーに。しかし、初防衛戦で六車とドロー、2度目の防衛戦でカオコー・ギャラクシーに判定で敗れてあっさりタイトルを手放してしまいます。

Thursday 18, November 1993
  
Korakuen Hall, Tokyo, Japan
commission:Japan Boxing Commission 


その後のバスケスは階級を上げてマイナー団体IBCのジュニアフェザー級タイトルを獲得しますが、雌伏の時間を過ごします。

そして1992年に、かつて敗れている身長178㎝の長身メキシカン、ラウル・ペレスを大番狂せの3回TKOで撃破、横田と5度目の防衛戦を迎えるのです。

この試合がちょうど10度目の世界戦となるバスケスでしたが、全てがアウエーのリングというロード・ウォリアー。

このとき28戦(23勝4敗1分)の横田は、全て国内、それも26試合が後楽園ホール。

強打と経験を持つバスケスが中盤までに試合を終わらせるーーー圧倒的不利の予想で試合開始ゴングが鳴ります。

バスケスのプレッシャーが効いていない。序盤は意外な展開で、横田がリズムを作ります。4ラウンド終了間際、サウスポーの横田が狙い澄ました左ストレートをカウンターで炸裂。

ところが、5回に横田がやはり得意の右アッパーを放った瞬間、ガラ空きになった顎にバスケスの右ショートがヒット。カウント9で立ち上がるも、完全に効かされてしまい、このラウンドを逃げ切るので精一杯。

バスケスはフィニッシュを狙って攻撃を強めます。横田はダメージから足の踏ん張りがきかず、打撃戦に応じます。意外にもこの打撃戦が互角の展開。

9回にはバスケスがローブローで減点1。王者のコーナーから「このままだと負けるぞ!」と檄が飛びます。

フットワークが戻った横田は王者を挑発するような動きまで見せますが、王者は丁寧にパンチを繋ぎます。試合終了のゴングが鳴ると、後楽園ホールを埋めた観客は番狂せの判定が下されるかもしれないと異様にどよめきました。

しかし、判定は116−112*2/115−113のユナニマスで王者の勝利。

結果論ですが、5回のダウンと、横田が余力を残していた最後の3つのラウンドが27-30/28-30*2と王者のフルマーク。

勝てた試合でした。

数字以上の惜敗でした。

この試合を視察した帝拳陣営は無敗のホープ、葛西裕一をバスケスに挑戦させる交渉をまとめます。

3ヶ月後、東京体育館でバスケスはわずか125秒で葛西を3度も倒してKO。帝拳のホープはバスケスのオーラにあまりにも呆気なく飲み込まれてしまったのでした。

そして、横田はその後も戦い続け、1分けを挟んで7連勝を飾ります。バスケス戦を最後に敗北を味わうことはありませんでしたが、世界挑戦の機会は2度と巡ってきませんでした。

この7連勝を辿ると、3連勝のあと1995年5月で36歳になった横田は2度目の引退。横田スポーツジムを開きますが、1998年にまたカムバックするもドロー。JBCの定める「37歳定年制」に従い、3度目の引退。

横田は年齢制限の改定を求め、JBCに何度も嘆願書を提出、43歳になった2004年に3度目の現役復帰を認められます。最後の試合、7連勝目はジェーンロップ・スーンギラーノーイナイ(タイ)に5回KO。

横田は45歳になっていました。



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昨夜は、市長選で大騒ぎの町田で2人飲み。

そのついでに横田広明のジムをのぞいてきました。




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青森ねぶたは夏のお祭りですが、銀座松屋では年末のショーウィンドウに堂々登場します。
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ホームドアが一気に整備された原因の事故を起こしてしまった半蔵門線の清澄白河駅。

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ウチウチな飲み会で久しぶりに降りますが、ホームドアがまだだったとは。

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石破茂首相は11日、首相官邸近くにあるラーメン店「はしご」を徒歩で訪れた。佳子夫人や秘書官と共にリラックスムードでラーメンを堪能した。

「ラーメン文化振興議員連盟」の会長を務める首相は9月上旬の退陣表明後、「俺はラーメンも食べられずに(任期を)終えるのか」と愚痴をこぼしていた。

首相は揚げた豚肉入りの担々麺とシューマイを平らげ、「おいしかった」と満足そうに店を後にしたという。

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これがパーコーメン、1200円。普段はダンダンメンを頼みますが、さよなら石破さんということで。何にしろ柚子が効いてるのが好きで、いつも「辛め」「柚子多め」でお願いします。


「揚げた豚肉入りの担々麺」…ここは「パーコーメン(
揚げた豚肉入りの担々麺)」でいいんじゃないか?

「ラーメン文化振興議員連盟」の会長だけど、仕事の忙しさを差し引いても、そんなにラーメンを食べ慣れていないのがヒシヒシと伝わってくるのが、なんとも政治家らしくて、特に石破さんらしくて笑えてきます。

「はしご」は有楽町に本店、東銀座などにもチェーン展開している担々麺専門店。

カウンターのみのラーメン店なので、あまり長居するのは気が引けるので、シューマイをつまみに飲みたい時は買ってきてもらってます。

石破さんはビールも飲まずにシューマイとラーメンを召し上がったのでしょう。

それもまた、石破さんらしい。


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新米、とれたよ。


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