
日本のリングに短い期間で事故が相次いでいる原因は、どこにあるのか?
人間の急所を狙って拳を打ち込む、対戦相手を脳震盪に陥らせる失神KO劇がスペクタルだと賞賛されるのですから、そもそも生命に危険が及ぶことを飲み込んだ競技です。
そこが、他のスポーツとは決定的に異なります。
脳震盪を起こしやすいアメフトやラグビー、サッカーはもちろん、激しい接触が少ない野球などのスポーツでも生命の危険に関わる脳震盪をいかにに防止するかについて防止策やルール変更まで、積極的に取り組んでいます。
つまり、常識的なスポーツではいかにして脳震盪を防ぐかが大きなテーマであり、脳震盪は「悪」でしかないのです。
コリジョン・ルールや危険球ルールによって「ホームベース上でランナーと捕手が激突するプレーが見れなくなった」「死球からの乱闘騒ぎも野球の見所の一つだったのに」と嘆くファンの声など、選手の生命を考えると無視されて当然です。
しかし、ボクシングは特異で、野球のヒットや三振などと同じように、対戦相手を脳震盪に陥らせることが、そもそもの競技の中に内包されているのです。
もっとわかりやすく言うと「誰も悪くはない…それなのに最悪の事故が起きてしまう」とは、「悪いのはボクシングという競技そのもの」に他なりません。
顔面を殴打し合うボクシングにおいては、戦闘時間が極端に短く、レフェリーストップも早いアマチュアですら、試合やスパーリングの翌日は頭痛や思考の遅さに悩まされ、呂律が回らなくなることも珍しくありません。
当たり前に、脳の回線回路に異常をきたすリスクがあるのがボクシングです。
Chronic traumatic encephalopathy(CTE:慢性外傷性脳症)という正式な病名よりも、「ボクサー型認知症」の方が通りが良いでしょう。
あるいは「パンチドランカーの方が遥かに一般的で認知度が高いという現実は、ボクシングファンとしては痛恨極まります。
これは、本当に事故なのか?事故として片付けて良いことなのか?
脳震盪を引き起こすことを狙って、アゴやコメカミに拳を叩きつけ合うボクシングのリングで起きた大惨事を事故として捉えるのは無理があるのではないか?
塁上での激突(コリジョン)が脳震盪や大怪我につながるなら、激突を禁止すれば良いーーーボクシングでそれをやると、この競技そのものが滅亡してしまいます。
…しかし、それが大前提です。
つまり、ボクシングは「頭部への打撃を禁止」にするルールを導入しない限り、抜本的な解決に向かうことはできませんが、そこには踏み込めないというのとです。
このスポーツは日本ボクシングコミッションが設立されてから70年以上、リング事故は何度も起き続けてきました。
では、この2年で事故が頻発していること、同一興業で別の試合に出場した2人の選手が事故に遭ってしまったことは、単なる偶然なのでしょうか?
もちろん、偶然の要素もあるでしょうが、起こるべくして起こったという側面も否定出来ません。
起こるべくして起こったなら、それは従前とは違う何かが、最近のボクシング界でトレンドになっていることがその原因でしょう。

水抜きによって極度の脱水とミネラル不足で前日計量を済ませたマイク・アルバラード。もはや別人です。くぼんだ目、こけた頬、小刻みに震えて、記者の質問がよく理解できず、的外れな答えを弱々しく絞り出すだけ…。
世界的な趨勢にならって日本でも1995年に前日計量が導入されました。
すでに30年が経過しているので「前日計量が原因ならもっと早くから事故が多発していなければおかしい」と考えるのは早計です。
前日計量が定着す過程で、競技者たちはリングインする前に大きなアドバンテージが潜んでいることに気づきます。
安全・健康管理のために、厳しい減量からの回復時間を多く取るために導入された前日計量でしたが、この回復時間を見込んで、安全・健康を脅かす新たな問題が浮かび上がってきたのです。
①回復時間を見込んでより過酷な減量に臨む、②回復時間で大きくリバウンド、当日に有利な体重を作るーーーこの2点で、その方法論が洗練されてきた30年でした。
さらに、従来からあった計量前夜に入浴やサウナで一気に水分を絞り出す水抜き減量も広まりました。
水抜きのメリットは減量で衰弱する期間が短いこと、一気の水抜きと計量後の一気の補給でリバウンド幅が大きくなること。
そして、デメリットは急激に水分を失うことで重度の脱水状態に陥ることです。
脱水によって血管が切れやすくなることは、解明されています。脳と、脳を覆う硬膜をつなぐ静脈も切れやすくなります。外的衝撃で頭蓋骨内で脳が揺らされる(回旋)して、この静脈が切れてしまい、硬膜とくも膜の間に血が溜まるのが硬膜下血腫で、最近の事故はいずれも硬膜下血腫です。
英国ボクシング管理委員会(BBBofC)は事故が相次ぐと、すぐに検証委員会を設置。JBC同様に「正確な原因究明は難しい」としながらも、「トレンドとなっている水抜き減量が最も大きな原因と考えられる」と結論づけ、試合前のサウナ使用を禁止しています。
また、WBCなどが導入している30日前計量・7日前計量も「水抜き禁止」ルールが守られているかどうかの〝裏付け〟検査です。
BBBofCは日本のボクシングファンや格闘技ファンには馴染みがないかもしれませんが、ONEチャンピオンシップで導入しているハイドレーションテスト(尿比重を測定)も「水抜き禁止」ルールが守られているかどうかの〝裏付け〟検査です。
しかし、「サウナ使用禁止」「30日・7日前軽量」はいずれも自己申告。いくらでも不正を働くことが可能。ハイドレーションテストの数値も腎機能や試合前の練習量などで大きな個体差が出ることが知られています。
それでも、事故の〝主犯〟はほぼ特定されているわけですから、ここに踏み込んでいくしかありません。


