カテゴリ: FIGHT SONG

日本のプロボクサーは幸運です。

特に、軽量級では王者として防衛する場合はもちろん、王者に挑戦するときでさえホーム開催となるのがデフォルトです。

営利団体でしかない認定団体が跋扈するタイトルマッチでは、どこでやればより大きな認定料を稼げるか?という力学だけが作用します。

日本で好き勝手出来てコスパが良く、コネクションも構築されている軽量級では、敵地に乗り込むのは極めてレアケースです。

それどころか、井上尚弥や西岡のように、日本開催の方がはるかに大きな興行となるにも関わらず「ラスベガスから招かれた」かのような奇怪な劣情のロジックを弄して海外に渡ることがありますが、これもまた特異なケース。

ビジネス的にもコンディション的にも、日本開催が良いに決まっていますが、さまざまな事情が絡んで敵地に向かわざるを得ないケースもあります。

FullSizeRender

軽量級だけではなく、中量級でも敵地で貴重な勝利をあげた、triumph、大勝利の系譜を辿ってゆきます。

また、アルファベット団体のストラップにこだわらず、ノンタイトルであっても価値が高い、あるいは十分な衝撃を与えたという勝利も取り上げてゆきます。


あのファイターを忘れるな!なんて思いつく人はどしどしご意見寄せてください。
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

1. 山田 2025年09月27日 12:53

ワタシの記憶が確かなら、ドネア対モンティエルの時に
「勝った方俺とヤレ!」
と、言っていたような…


▶︎▶︎▶︎亀田興毅ならそう聞かれたら、そう答えていたでしょうし、聞かれてないわけないから、そう言ったでしょうが、私は逆に記憶がありません。

ただ「ドネアvsモンティエル」(2011年2月19日)が行われたラスベガスのマンダレイベイ・イベンツセンターのリングサイドに亀田興毅の姿はありませんでした。

そして、当時の報道を振り返ってもWBA(セカンド)王者の興毅との対戦を期待するメディアは確認できず、多くの人が実力的にはもちろん、興毅本人が対戦に積極的であるはずがないと決めつけていました。

IMG_3255
IMG_5605

興毅の3階級制覇はボクシング・ビート、ボクシング・マガジン、いずれの専門誌でも表紙を飾ることなく、小さな扱い。それどころか、記事の内容は非常に批判的でした。


ちなみに、日本のボクシングファンの間でも大きな話題となったこの試合、戦前は日本では「互角」と見られていましたが、米国では「ドネアのKO勝ち。問題はいつ倒すか」。

日本のファンの心情には「The Real 長谷川穂積からタイトルを強奪したモンティエルが強いに決まっている」という応援の気持ちが強かったのです。

2人はかつてのスパーリングパートナーでしたが、その内容はドネアがパワーで圧倒していたと伝えられ、この試合でも「2ラウンドKO」を予告する余裕ぶりだったことを報道する日本メディアはほとんどなかったはずです。

そして、日本では注目の試合でしたが、米国では誰も興味を持たない「外国人の軽量級対決」。WOWOWなどのメディアはモンティエルを「人気者」と表現していましたが、メキシカンとはいえモンティエルは全く人気がありません。

この試合でもドネアの生贄役で、メキシコ人は「弱いメキシカンが屠られるのを見たくない」という気持ち。

さらには、そもそもの注目度が低く、上階席は封鎖。当日のリングサイド席は100ドル台まで投げ売りされました。HBOの放送枠も二線級扱い。

日本の3000人レベルのアリーナでやれば、間違いなくフルハウスになってリングサイドが5万円でも完売したはずです。

そして、ボブ・アラムは「ドネアは不良債権」と名指しで非難、両者の関係は冷え切り、ゴールデンボーイ・プロモーションズへの移籍騒動に発展するのでした。

それでも、この試合はPFPファイター同士の対決。

勝利したドネアのランクを3位に引き上げたリング誌は「モンティエルごときに勝っただけで3位はない。同じ2ラウンドKOでも、ポール・ウィリアムスをもっと衝撃的に轟沈させたセルヒオ・マルチネスの方が上」とマニアや他のメディアから非難されるとドネアの評価を下げました。

コーナーに戻った長谷川穂積を「強い、過去最強や」と驚かせたモンティエルでしたが、ドネアからは予告KOが宣言できるほど「フェイントにすぐ引っかかるし、なによりもスピードがない」相手でした。

そんなモンティエルでも3階級制覇できるのが、4-Belt Eraという時代です。

IMG_3256

ちなみにーーー。

話はさかのぼって「亀田興毅vsアレクサンデル・ムニョス」のWBAセカンド王者決定戦(2010年12月26日)が行われた、さいたまスーパーアリーナ。

リングサイドにはドネアが座っていました。

目の前で見た興毅のボクシングについては関心を示さなかったドネアでしたが、大会場の熱気には「いつかぜひ、ここでやってみたい。私の試合でもこんなに盛り上がってくれるだろうか?」と感動していました。

その夢は、8年後と11年後、2度も実現するのですが、それはまた別の話…。

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

Koki Kameda should've faced?

亀田興毅は誰と戦うべきだったのか?

…日本ではメディアもファンも優しい人ばかりなので、こんなことを言い出すのはレアケースですが、海外では普通に突っ付かれてしまいます。

フロイド・メイウェザーなんてダースで突き詰められていました。

IMG_0233 (1)

メイウェザーは強豪から逃げるな!「品性下劣な卑怯者なのに負けない」マネーはファンだけでなくメディアまで踊らされてしまいました。

全く面白くない試合なのに驚くべきPPVの数字と、ラスベガスに大きな恩恵をもたらし、巨万の富を手に入れたメイウェザー。

全てを計算づくで演じていたメイウェザーと、何も考えずにテレビに踊らされ、ファンの非難轟々に戸惑い狼狽える亀田とは、ボクシングのレベルは言うに及ばず、ヒールとしての自覚、矜持が全く異なりました。



さて、亀田興毅の3階級。

それは、軽量級で好き勝手している日本のボクシング界でもどうしようもない劣悪なものだったのでしょうか?

亀田がアルファベットのストラップを手にしたジュニアフライ級、フライ級、バンタム級は、認定団体の忖度と亀田側の思惑によって強豪を回避しながら作られた〝日本初〟だったのでしょうか?

では、亀田が戦うべき王者、強豪とは誰のことを指すのでしょうか?

※2013年までJBCが認可していなかったIBFとWBOの王者、強豪との対戦は基本的に想定しません。



【WBAジュニアフライ級】

2006年8月2日:vsファン・ランダエタ(決定戦/12R判定)
〜2007年1月18日:減量苦により返上。


ストロー級でWBAの地域タイトル、世界タイトルの実績があるランダエタがWBA決定戦に出場することには何の不自然さもありません。

また、ボクシングは「誰に勝ったのか」が全て。「決定戦だから評価できない」なんて理屈はありません。

とはいえ、ランダエタに議論を呼ぶ判定で勝ち獲ったタイトルをランダエタとの再戦で一度防衛しただけのジュニアフライ級での実績はゼロ評価するしかありません。

主要4団体ならどのタイトルにも価値がある、とか狂言・妄言を撒き散らさなければ、このタイトルには何の意味もありません。

強打のWBC王者ブライアン・ビロリア(2005年9月10日〜2006年8月10日)に勝利を収めていたなら、海外のマニア評価は急騰していたでしょうが、最初のタイトル挑戦で危険を排除するのは、大手ジムのホープにとっては常識です。

帝拳や大橋でも同じことに手を染めており、そこに決定的な差は認められません。





【WBCフライ級】

興毅が減量苦からジュニアフライ級のストラップを放擲した直後、軽量級シーンに超新星が誕生します。

2007年7月7日、ノニト・ドネアが多くのメディアでPFPに数えられていた階級最強王者のIBF /IBO王者のビック・ダルチニアンを〝後の先〟の左フック一閃、大番狂せに沈めたのです。

小さなレイジングブルは、世界戦と6度の防衛戦の7試合を全勝6KO。KOを逃した唯一の相手はドネアの兄グレンでしたが、試合は一方的で負傷判定に持ち込まれたもので、実質オールノクアウト。

誰もが「兄弟揃って可哀想に」とドネアの惨敗が決めつけられた試合でしたが…。

もし、興毅が「日本は住みにくいわ!(IBFに挑戦することで)JBCライセンスが剥奪されても階級最強のダルチニアンに挑戦する!」と勇躍、米国に乗り込んでいたならーーーボクシングファンは「見直した!」と拍手喝采したでしょうが、結果は無惨極まるものにしかならなかったでしょう。



IMG_2755

ボクシングの社会的地位が没落した21世紀に30%以上の視聴率を叩き出した亀田は「社会現象」と表現しても差し支えない存在でした。

2009年11月29日:vs内藤大助(12R判定)
〜 2010年3月27日:vsポンサクレック・ウォンジョンカム(12R判定)


3階級制覇の興毅が唯一、王者から奪ったストラップがWBCフライ級でした。この試合は、日本列島を刺激する国民的関心事となり、視聴率は42.1%。国民栄誉賞も検討された具志堅用高にコンマで迫りました。

もし、興毅が品性下劣で低俗・低脳でないベビーフェイスなら、ボクシング界で唯一の国民栄誉賞に選ばれていたでしょう。

初防衛戦は32歳のポンサクレック。23歳の興毅が圧倒的に有利と見られ、リング誌は「勝てばPFP入りも」と評価していました。しかし、結果は全盛期を過ぎたタイ人に完敗。ポンサクレックがPFPに。

IMG_7043


【WBAバンタム級】
2010年12月26日:vsアレクサンデル・ムニョス(決定戦/12R判定)
〜 2013年12月6日(返上)


ムニョスとの一戦は、PFPファイターのアンセルモ・モレノがスーパー王者に昇格したことによってセットされた決定戦。

日本では嫌悪感むき出しでも「3階級制覇」でしたが、海外の多くのメディアは同一団体・同一階級に複数の世界王者が存在することを認めていないため、これは真っ当な王者ではなくセカンドタイトル扱い。

ジュニアフライ級のランダエタと同じように、ムニョスもWBA事情を抱えるファイターで、亀田にタイトルホルダーになって欲しいWBAとしては当然の措置。


IMG_5606
IMG_5607
 帝拳や大橋が同じことをしても絶賛するのに、悪意しかない記事…。


ただ、勝利者インタビューで「自分では3階級制覇とは思ってへん。バンタム級最強は誰?モレノでしょう。来年、WBC /WBO王者フェルナンド・モンティエルはドネアに負けるやろ。モレノとドネア、PFPファイターの2人を倒せば文句ないやろ!?」とぶち上げてたら、ボクシングファンは「見直した!」と拍手喝采していたでしょうが、そっちを選択するとモレノに玩具にされ、ドネアに木っ端微塵に破壊される未来しか待っていませんでした。

その代わりに、彼が大見栄を切ったのは「5階級制覇したら文句ないんやろ!」でした。

ーーー4-Belt Eraにおける数字には何の意味もないのです。興毅がマークした階級最強を倒さない3階級制覇、実質的には一つの階級でもNo.1になっていないのですから、0階級制覇です。

アルファベット団体のガラクタベルトを3つ集めただけのコレクター、それが亀田興毅でした。チャンピオンを「世界一強い男」と定義するなら、彼はその座に一度も就いていません。

彼はチャンピオンではなく、認定団体から愛され、ファンから唾棄された、ガラクタ集めが趣味の頭の悪いコレクターでした。




そしてーーーー。

井岡一翔の4階級にも〝瑕疵〟があるのか?

井上尚弥の〝5〟階級は「最強」を回避せずに到達したのか?

彼らは誰を避けて、誰を選んできたのか?…まだまだ続きます。




このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

2025/9/25  18:21 のコメント

ドシロウト

亀田に懐疑的なマニアは試合前に既に激昂してたんでしょうが、素人はダウンまで彼の弱さに気が付いてはいませんでした。

少なくとも世間全体の完全なアンチ化は試合開始までなかったと思います。

世間はストーリー性を好みます。

対戦者が出稼ぎのバイトや鎖に繋がれた犬でも金で世界ランキング一位に付けて、井上みたいにスカッと倒せる相手を用意できれば、少なくともドキュメンタリー番組「ZONE」や「バースデイ」から続く酩酊感のまま世間全体は推移したでしょうね。

コラボキャンペーン弁当を試合の次の日に打ち切ったローソンは当日まである程度の強さは信じていたんでしょう。

とにかく亀田に落ち度があるとしたら弱かったことだけでした。


IMG_6758
⬆︎リング誌さん、KOKIではなくDAIKIです。私たちが同じ犬種で同じ大きさ、同じ毛色だと区別がつかないように、外国人の目からは大毅も興毅も一緒に見えるのかも?


ベネズエラ大使館のへの励ましと、TBSへの抗議の電話殺到からも明らかなように、あの試合から亀田へのバッシングが社会現象と呼んでも差し支えないほどにエスカレートしました。

そして、多くの人が興毅が用意された生贄のランダエタに圧勝すると考えていました。


「とにかく亀田に落ち度があるとしたら弱かったことだけでした」ーーーその通りです。

そして、強ければ…間違いなく賛否両論が巻き起こっていたでしょう。

「悪いのはボクシングの構造だ」「プロだから強ければいい」ーーー江川や桑田がそうであったように。

下劣な言動を繰り返したフロイド・メイウェザーが、もし弱ければ、ボクサーとしても評価されず、セルフマーケティングの天才でなければ、とんでもない注目を集めることもなかったでしょう。

しかし、残念ながら、亀田は4団体時代の〝世界基準〟でも弱かった…。悲しいかな、弱かった。

メイウェザーのように周到なセルフマーケティングによって下劣な言動を繰り返していたのではなく、あまりにも知能の低い彼らはヒールではなくヒーローになれると思っていたフシまであるのですから、呆れ果てるしかありません。

試合前の下劣なトラッシュトーク、リングに上がると情けないボクシングしか出来ない、非力なのにグラスジョーという興毅はまさにピエロでしたが、そう見てくれる人はいませんでした。

亀田騒動とは、悲劇でも喜劇でもない、見るに耐えない弱いものイジメでした。

下劣だからといっていじめても良いーーーそんなわけがあるはずもないのに、JBCまでもがイジメに加担しました(その代償はあまりにも大きかったのですが)。




そして、亀田興毅が日本中を敵に回すことになった2006年から5年後に、同じ大阪から井岡一翔がプロデビューするのです。






このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

2006年8月2日の夜半過ぎから1週間ほど、ベネズエラ大使館の電話はひっきりなしに鳴り続けていた。

こういう事態が起きると、何かしら抗議の電話であるケースがほとんどだが、そうではなかった。

なんと、全ての電話が励ましと応援だった。

一方、TBSには翌日までのわずか半日ほどの間に5万件以上の電話がかかってきたが、こちらはほぼ全てが抗議の内容だった。

スクリーンショット 2025-09-22 20.28.28

2006年8月2日、横浜アリーナでWBAジュニアフライ級王者決定戦が行われて、TBSが生中継した。

オープニング・ラウンド。27歳のベネズエラ人が、まだ19歳の亀田興毅から痛烈なダウンを奪ったが、試合は判定までもつれ込んだ。

多くの人はファン・ランダエタが勝ったと見たが、オフィシャルはスプリット・デジションで亀田家の長男を支持していた。

115-113/114-113/112-115。3人のジャッジのスコアを合計すると141-141のイーブン。試合内容から大きく乖離した判定ではなかった。

多くの人が亀田の負けと思い込んだのは、初回のダウンの印象が強烈だったから、それだけの理由ではない。

TBSに煽られる形で、世間の感情を逆撫でする言動を繰り返していた亀田一家への賛否は、試合前には「否」が圧倒的多数派に膨れ上がっていたのだ。

そして、元ストロー級王者との王者決定戦。

JBCがまだIBFとWBOを認可していなかった2006年8月2日の〝世界情勢〟はWBAがロベルト・バスケスの返上で空位。WBC王者が当時無敗のブライアン・ビロリア

〝ハワイアン・パンチ〟ビロリアは軽量級の世界で「大きなカネが動く」と海外でも名前が広まっていた亀田との対戦を熱望していたが、同年8月10日の2度目の防衛戦(vsオマール・ニーニョ)に敗れて御破算に。

WBAもWBCも軽量級としては破格の認定料が期待できる興毅を王者に取り込もうとしていたが、空位の王座と安全な対戦相手を先んじて決定戦を用意したWBAが〝勝利〟。

この政治的な一連の動きはボクシングファンの反感を買い、さらに試合前に来日したWBAのヒルベルト・メンドサJr.会長は亀田史郎を謁見、ミニチュアベルトを贈呈したことで「亀田がボクシングを冒涜している」という空気が決定的になった。

そして、初回ダウンの末の判定。

ニュースも新聞も「疑惑の判定」と騒ぎ立て、口の悪いファンは「亀田がジャッジを買収した」とまで中傷した。

Boxing is not a sport, it's a show.

ボクシングはスポーツではなく、サーカスと同じ興行。


世界的な統括団体が存在せず、営利だけ追求する認定団体が跋扈、〝世界タイトルマッチ〟はローカル・コミッションが統括、ローカル・ルールが適用される。

研修も免許の更新もないジャッジが物議を醸し出すのは亀田に限った話ではない。

WBAが用意した3人のジャッジが無意識のうちに忖度した可能性はあるが、亀田がジャッジを買収することはあり得ない。

メンドサ会長が父親に特製のミニチュアベルトを渡して予祝したことも、亀田側が働きかけたのではなく、逆だ。メンドサ会長から亀田に擦り寄ったのだ。

かつて、辰吉丈一郎はシリモンコン・ナコントンパークビューを大番狂せで下したリング上で「スライマン会長のおかげ。何度も何度もチャンスをくれた」と公然と口にし、長谷川穂積の所属するジムの会長は「WBCには恩義がある」とやはりテレビカメラの前で語っている。

こんなスポーツは他にはない。

「亀田がボクシングを冒涜している」…とんでもない理屈だ。

冒涜も何もボクシング界は亀田以前から腐っていて、亀田を絶好のカネヅルと見るや認定団体の方からすり寄ってきたのだ。

TBSに利用され、WBAの歓待を公然と受け入れた亀田家にも非はあるが、一番悪いのはTBSと腐ったボクシング界。

そこに目を向けないから、ボクシングはどんどん堕落してしまった。

亀田家は知能が低く、TBSに踊らされた挙句にハシゴを外された。ファンもメディアもJBCまでもが亀田を糾弾した。

江川卓や桑田真澄…日本中から非難轟々の弓矢を射られたヒールはこれまでにもいたが、亀田が最も憎まれたヒールだろう。

ヒール…本来は憎まれても強いのがヒールの定義。弱いヒールはヒールではない。

亀田は憎まれたが、けして強くはなかった。

その意味で、亀田はヒールにすらなれなかった。


IMG_2610

さて、待ち人来たるで、ここで失礼。

続きます。













このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

A Tale of The Three Patrilinealität〜三つの家族の物語


いつかどこかで書きかけだった亀田と井岡と井上の三つの父子の物語ですが、ちゃちゃっと探しても見つからないので、あらためてーーー「三家物語〜A Tale of The Three Families 」の始まりです。

史上初の3階級制覇を果たした亀田興毅。

史上初の4階級制覇を果たした井岡一翔。

史上初のFighter Of The Year を獲得した井上尚弥。

そして、日本中から唾棄されながらも一枚岩の結束を見せ続ける亀田家、日本中から愛されながら不動の信頼関係を築き上げた井上家に対して、マッチメイクへの不満から父と袂を分かった井岡一翔。

この3つのPatrilinealitätは、カジュアルなボクシングファンが抱くようなステレオタイプなイメージで語ることはできません。

※Patrilinealität:父が自らの夢、果たせなかった夢を、子供(たち)に託する、父系の大河ロマンのこと。←「Patrilinealitätの意味を説明しなさい」なんてテストに出ても良い子はこのまんま書いてはダメですよ。





父・史郎は興毅、大毅、和毅の「3人とも世界王者にする。3人でないと意味がない」と激白、2000年からTBSが亀田一家の過激な言動を強調する形で特集番組を制作、賛否両論(当時は「賛」の方が多かった)を巻き起こしました。


2003年、大阪のグリーンツダジムから亀田興毅がデビュー。大きな注目を集めたのは言うまでもありません。

TBSの〝亀田特番〟への注目度はさらに跳ね上がり、世間では一家の下品な言動への反発が少しずつ増えてゆきました。



やはり、中学1年のときからグリーンツダでボクシングを始めた井岡一翔は、大阪の興國高校から東京農業大学に進み、2008年の北京五輪を目指します。

しかし、全日本選手権で林田太郎に敗れ、北京への夢は絶たれてしまいます。

大学を中退、大阪に戻ると、2009年に井岡ボクシングジム(現・匠ボクシングシム)からプロデビュー。

ファイティング原田、柴田国明に続く史上3年目の2階級制覇を達成した叔父・井岡弘樹の血を引くことから、早くから「サラブレッド」と注目されていました。




IMG_4984
IMG_4991

2012年、ロンドン五輪出場をかけた予選会を兼ねたアジア選手権で準優勝に終わり、五輪の夢が絶たれた井上尚弥は、井岡弘樹の現役時代にライバルと注目された大橋秀行の大橋ボクシングジムからプロデビュー。

「井岡一翔が持つプロ7戦目での最速世界王者の記録を更新する」と宣言。その後のインタビューなどで「デビュー当時のボクシング界が嫌いだった」と吐露し、「勝てる相手を選ぶ」「井上家では簡単に世界チャンピオンになりたいと言う言葉を発せられなかった」と、明らかに亀田一家に向けた嫌悪感を隠すことなく口にしました。





父と子のリングに賭けた物語、始まり始まり。





このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

ローソンの人だったときに2度ほどお会いしましたが、そのとき感じたのは人望の厚い方だなあ、でした。

それは今でも全く変わりませんが、敵も多かったんだなとあらためて思いました。

2度しか会ってない外部の人間に何がわかるか!と言われたらそれまでですが、まあ、お酒も普通に綺麗に飲む人でした。

まあ、俺よりも酒を綺麗に上手に飲む酔っぱらいは、まずいないけど(悪い冗談です)。

横浜の翠嵐から慶應、ハーバードでMBA、「先に言っときますが、まあ高校時代から優秀じゃなかったです」というようにエリートではありません。

「ハーバード、ボブ・アラムの後輩ですね」と、わかんねーだろーなーと思って投げると、やっぱり知りませんでした。

しかし、彼もそこで何かを見つけたように、私に身近なはずだけど知らないでしょ?な言葉を投げ返し、そんなゲームみたいなキャッチボールを楽しめました。

面白い人だな、と感じました。

「また仕事抜きで飲みましょう」と言ってくれて、2度ほどお誘いを受けたのに、別件があって断ってしまいました。

それからなんとなく、そのままの状態。気分を悪くさせたのかもしれません。

もちろん、内部の人間からはいろいろ問題があったでしょうし、周囲は上下関係からなかなか批判的なことは口に出来なかったのでしょうが、スキャンダルを起こしてから、袋叩きにするのはどうなのかな?

ずっと我慢して来た鬱憤を晴らして気持ち良かったのかな?

なんだか、本当か嘘かわからない、嫌な話まで噴出して、それで何が楽しいのかな?



このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

1961年9月7日、テキサス州フォートワースに生まれたドナルド・カリーは兄2人と妹1人、4人兄弟の3番目だった。

ブルースとグレイリン、ドナルド、男の子3人はプロボクサーになった。

長兄ブルースは、日本のボクシングファンなら誰でも知っているWBCウエルター級チャンピオンだった。

トーマス・ハーンズの噛ませ犬もつとめたが、ハーンズと戦っただけでもすごいというのが日本からの〝下から目線〟だ。日本人相手にはバッファロー鈴木、ライオン古山、杉谷実(杉谷満の兄)、そして赤井英和をKOした天敵だった。

それなのに、日本の専門誌では「賢弟愚兄」と語られるのが定番だったのは、弟のドナルドが突き抜けて完璧なボクサーだったためだ。

ドナルドの「ハーンズとやりたいけど(彼が私を選ぶわけがないから)無理だろう」という言葉に、誰も傲慢さを感じない、それほど評価が高かった。

ボクシングに2人の兄に連れられて近所にあったピー・ウィー・ジムに通い始めたのは8歳のとき。

兄と違ってボクシングに興味はなかったが「ボクシングは嫌い」なんて口にすると仲間はずれにされるような小さな町だったから、ドナルドはしぶしぶ兄に付いていった。

80年代のボクシングはすでに没落の坂道を転がり落ちていたが、小さな町にもジムがあって、ボクシングがメジャー競技だった時代に少年だった父親から薦められるーーーそんな流れが珍しくない最後の時代だった。

プロ入り後もドナルドのトレーナーをつとめたポール・レイスと出会ったのもこのジムだった。

やはり父親からボクシングを薦められてボクサーになったレイスはゼネラルモータースのフォートワース工場で働きながら練習生を教えていた。

ブルースとグレイリンは他の子とは全く違う才能の持ち主だったが、ドナルドはなかなかリングに上がろうとしなかった。こちらから言わないと、グローブにも触りたがらない少年だった。

ボクシングに興味がないことがありありの物静かな少年だったが、いつもやけに落ち着いていたドナルドだった。

「ボクシングはタイミングが全て」という信条を持つレイスが、ドナルドに異次元の才能があることに気づくのに多くの時間は必要なかった。

「この8歳の少年が練習を積んで15歳になれば、誰も勝てない」。

アマチュアの大会で数々のトロフィーを持ち帰ってくるブルースを見て、ドナルドも「ぼくもあれが欲しい」とねだった。

レイスは「あれは1番のトロフィーじゃない。1番いいやつは1980年のモスクワで用意されている」と答えた。

10歳でアマチュアデビュー、抜群のタイミングでコンパクトにパンチを撃ち抜くドナルドは、彼を初めて見た人々を「phenomenon(天才)」と驚かせ続けた。

ところが、15歳でジュニアオリンピックで金メダルを獲った天才は、ボクシングよりも野球や陸上競技にも熱中していた。

1年ほどボクシングから離れていたが、17歳のとき再びピー・ウィー・ジムでわずか2日間の練習を再開して出場したフォートワースのゴールデン・グローブ(GG)大会で金メダル。

1978年と79年の全米AAUタイトル、五輪イヤーの1980年にはケニアで行われた世界選手権で金メダル、五輪トライアルでも勝ち抜いて米国代表の座をつかんだドナルドのアマチュア通算成績は404戦して400勝4敗。

「負けたのはブルースと戦うことになった全米GG大会の準決勝も含めて4つだけで正しいが、400勝どころかもっと勝っている」と語るカリーの言葉は事実だろう。

彼は大言壮語を並べるタイプではない。

フォートワースの天才少年は、ヒューストンの大学から奨学金制度を提示されたこともあって、都会での大学生活に憧れていた。プロとしてボクシングを続けながら学生生活も保証する奨学制度の特典には15名ほどが選抜され、彼らは高級車に乗って通学する〝貴族〟だったからなおさら憧れた。

モスクワ五輪で金メダル、そして進学というのがドナルド・カリーの将来プランだった。

先にプロ入りしていた兄ブルースを間近で見て、スポーツとはかけ離れた興行優先のプロボクシングの世界に嫌気もさしていた。

ところが…。



米国はモスクワ五輪をボイコット、カリーの将来プランは瓦解してしまう。

学生とプロボクサーの二足の草鞋でヒューストンの大学に進学するか、ボクシングに集中してプロでも頂点を目指すか?

カリーへの勧誘は大手プロモーターを中心に加熱したが、彼が選んだのは15歳のときから支援してくれていた地元のデビッド・ゴーマン。カリーの意を汲んで、レイスをトレーナーとして契約することも受け入れてくれた。

しかし、ゴーマンはトロイ・ドーシーやジーン・ハッチャーをマネジメントしたが、テキサスを離れるとけして強力なパワーハウスではなかった。

IMG_3127
左がポール・レイス。右がデビッド・ゴーマン。彼らがペトロネリ兄弟とマービン・ハグラーのような鉄の結束を誇る最強チームになると信じられていましたが…


誰もが知っているプロ入り後の快進撃は、ここで語る必要はないだろう。

順風満帆に見える連勝街道だったが、NABF王者マーロン・スターリング(初戦)との試合3日前に9ポンドオーバーの調整失敗(絶食で体重を落として計量クリア、判定勝ち)、レナードの引退で空位となったWBCウエルター級王座の決定戦は楽勝と思われた黄俊錫にダウンを喫する大失態も犯している。

小さな綻びはいくつも見えたが、当時は「単なる不注意」「完璧すぎるが故の油断」で片付けられた。

格下相手にダウンーーーレナードはそんな穴など全く見せなかったというのに…。

さらに、ビル・コステロにKOされてWBCジュニアウエルター級のタイトルを奪われた兄のブルースがマネージャーのジェシー・リードに発砲、現行犯逮捕されたあと精神異常と診断され長期入院してしまう。

IMG_3123

それでも、周囲からは「レナードの後継者となり、レナードが出来なかった打倒ハグラーを現実のものにする」ーーーカリーがそこに向かって駆け上がるに違いないと信じられていた。



テキサス州バールソンに構えた豪邸は5つのベッドルームを擁し、ガレージにはメルセデスやBMWの高級車種が並んでいた。

そして、腐ったボクシング界を冷静に見ていた彼はウォールストリート・ジャーナル紙やマネー誌を愛読、引退後に実業家になる準備にも余念がなかった。

ドナルド・カリーは旧来のボクサーとは全く違う。

多くのメディアがそう報じ、ファンはドン・カリーの未来が今以上に明るく開けたものになると予感していた。




このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

2011年、彼は就寝中の妹に殴りかかった。

正気ではない兄の目を見た妹は警察に通報、彼は現行犯逮捕され収監された。

彼は自分が何をやったのかを正確に記憶できていなかった。そして、妹の兄の健康を気遣う事情聴取を終えると、警察は彼を釈放した。

その年に50歳になったばかりの男はまっすぐに歩けず、老いさらばえた老人のように衰退していた。

酒や葉っぱの匂いがしないのに、彼の呂律が回らないのはアルコールやドラッグの影響でなく、Chronic traumatic encephalopathy(CTE:慢性外傷性脳症)であることは明らかだった。

CTE。21世紀に入ってNFLが選手の健康管理に本格的に乗り出してから、よく聞く病名だ。

1928年にこの症状の原因は特定されており、当時から現在までCTEとともに使われてきたpunch drunk syndrome(ボクサー型認知症・パンチドランカー)の方がより広く知られているかもしれない。



全く愚かな話だが「ボクサー型」「パンチドランカー」と長い間、呼ばれてきたにもかかわらず、ボクシング界はこの問題に対して全く真剣に取り組まないまま100年が経とうとしている。

NFLは、ボクシング界からも積極的にデータ収集を行っているというのに。



ーーー兄の狂気に戸惑う妹の代わりに、彼を引き取ったのは息子のドノバンだった。

ドノバンが3歳のときに両親が離婚、父親のことは人づてにしか知らなかったが、父親は素晴らしいプロボクサーだったと、誰もが絶賛した。

どうして、そんなアスリートが露頭に迷うのか?

放蕩の末に散財したわけでも、酒やドラッグに溺れたわけでもないというのに。

競技で脳が損傷してしまったのは明らかで、彼が1セントの労働者災害補償も受けることができないなんて、誰がどう考えても狂った世界だ。



彼を見送った警官たちは「同姓同名だけど、本当に彼なのか?」と驚きを隠せなかった。

「あれが本当にドナルド・カリーなのか?」。

2011年だから、もう15年も前のことになる。


そして、警官たちも知っていた「彼」は、1980年代中盤に当時無敵のマービン・ハグラーを倒せると期待され、次期スーパースター候補の最右翼といわれた、ウエルター級のUndisputed champion(議論する余地のない王者)だった。

もう、いまから40年も前のことだ。



Curry is on a conveyor belt of old champions, used, abused and tossed on a scrapheap with nowhere to go.

興行主のトップランクはもちろん、WBAもWBCもIBFにも年金基金や選手組合は存在しない。ブラック企業ではない。

真っ黒けのブラック産業だ。

プロモーターや認定団体に利用されるだけ利用され、搾取されるだけ搾取され、使い物にならなくなったらスクラップのゴミの山に放り投げられるーーー彼もまたそんな非情なベルトコンベアの上に乗せられた1人の世界チャンピオンだった。

Curry's Sad But Important Story is a Tale That Needs To Be Told

いまこそドナルド・カリーの物語を伝えなければならない(ドノバン・カリー)。



このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

「七転び八起き」ではありません、くれぐれも。

「七転び八起き」ではなく、「七転八倒」です。


七転八倒、七回転んで八回倒れる。

世間からは「そんな無謀な挑戦、ダメに決まってるだろ。最初から無理に決まってんだから!」と卑下されるやつです。

大谷翔平も、世間の圧倒的大多数からこの倶楽部への入部確実と見られていましたが、彼はどこか遠くへトンズラしてしまい、「絶対無理」と断言していた世間は笑っちゃうような手の平返しを見せてくれました。


七転八倒倶楽部。

往生際が悪くて、分不相応の夢だけをいっちょ前に見たがる、自信過剰な男たちだけが入部を許される負け犬倶楽部です。

七転びしても起き上がることなく、倒れたまま無様に悪あがきする男たち。

IMG_2580

ーーー昨年オフ、阪神タイガースからポスティングシステムを使ってフィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約した青柳晃洋。

開幕はメジャー射程距離の3Aで迎え、19試合の登板チャンスを与えられましたが、0勝1敗防御率7.45と結果を残せず2A降格。

先発として試された2Aでも4試合で1勝2敗防御率6.91と〝追試〟も不合格。

そして昨日、自由契約となりました。

挑戦に失敗したトップアスリートの気持ちなど、ぬるま湯につかってのほほんと生きてきた私なんかにわかるわけがありません。

しかし、「こんなことなら行かなきゃ良かった」なんて後悔は、絶対にしていないと思います。

もちろん、絶対に成功してやる!と誓って太平洋を渡ったはずです。

それでも、全く後悔などないはずです。

ーーー私は青柳晃洋がひたすら羨ましいです!



https://fushiananome.blog.jp/archives/37391760.html
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ