カテゴリ: FIGHT SONG


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WINNNER TAKES ALL…カッコつけてますが、要はMARES WINNNER TAKES ALL。プロボクシングらしいといえばそれまでですが…。



◾️アブネル・マレス◾️


👑 IBFバンタム級
(2011年8月13日 〜 2012年2月9日=返上)
👑 WBCジュニアフェザー級

(2012年4月21日 〜2013年1月31日=返上)
👑 WBCフェザー級
(2013年5月4日 〜2013年8月24日)
👑 WBAフェザー級
(2016年12月10日 〜 2018年6月9日)


ゴールデンボーイ・プロモーションにとって初めての生え抜き世界王者。そして、メキシコのグアダハラで生まれた嘘偽りのないメキシカン。

人気者になる要素は揃っていました。

ShowTimeが手がけたバンタム級最強トーナメント「Super4」の主役。台本通りに優勝、決勝でマレスが繰り返したローブローを見逃し続けたラッセル・モーラ主審はまさに泥棒でした。

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https://fushiananome.blog.jp/archives/11225934.html



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リング誌2013年2月号でマレスはPFP5位。大手プロモーションの秘蔵っ子、そしてメキシカンという内申書が反映された過大評価でしたが、過大評価の典型エイドリアン・ブローナーのおかげでそこまで非難されませんでした。

しかし、10−1で圧倒的有利とされ、グラスジョーのジョニー・ゴンザレスに大番狂せのKO負けを喫するなど、温室マッチメイクでも脱線事故を起こしてしまうのがマレス。

もし、全盛期のアブネル・マレスを倒していたなら…やはり日本史上2番目に価値ある勝利になっていました。そして、それは井上尚弥や中谷潤人にとって難しい仕事ではなかったでしょう。





◾️レオ・サンタクルス◾️

👑  IBFバンタム級
(2012年6月2日 - 2013年2月11日=返上)
👑 WBCジュニアフェザー級

(2013年8月24日 - 2015年11月1日=返上)
👑  WBA世界フェザー級
(2015年8月29日 - 2016年7月30日)👑 WBA世界スーパーフェザー級スーパー王者
(2019年11月23日 - 2020年10月31日)

この15年の軽量級シーンで最も大きな名前は、レオ・サンタクルスで誰も異論はないはずです。

ラスベガスではMGMグランドガーデン・アリーナにマンダレイ・ベイ・イベンツセンター、ロスではステープルズセンター、ニューヨークではバークレイズセンター…サンタクルスはこれらの大会場で軽量級にもかかわらずメインを張ったのです。

もちろん、井上尚弥や西岡利晃の〝なんちゃってラスベガス〟ではありません。

山中慎介が対戦を熱望しましたが、何の興味も示してくれませんでした。日本にサンタクルスを呼ぶのは不可能、米国でやるには山中は無名すぎる…。

難解な距離感を持ち、奇妙なアングルでパンチを放つサンタクルスは、井上や中谷にも大きな混乱をもたらしたかもしれません。

この人気者のメキシカンをアラモ・ドームあたりでひっくり返せば、日本史上2番目に価値ある勝利はもちろん、衝撃度は〝1番目〟を上回るでしょう。





◾️カール・フランプトン◾️

👑 IBF世界スーパーバンタム級
(2014年9月6日 〜2016年4月28日=返上)
👑 WBA世界フェザー級
(2016年7月30日 〜2017年1月28日)

ボクシングが尊敬されるアイルランドのジャッカル。身長・リーチともに165㎝という短躯ながら、ノニト・ドネアらを手玉に取ってみせました。

2016年のBWAAのSugar Ray Robinson Award、リング誌のFighter of the YearをW受賞は、レオ・サンタクルスとのビッグファイトを制したフェザー級での実績が評価されたものでした。

しかし、無敗のジュニアフェザー級時代をジャッカルの全盛期と見て差し支えありません。

PFPも掻き回したアイルランドの人気者。

もし、戦わば、その舞台はベルファストのアリーナ。そこで、フランプトンをストップするなら…やはり日本史上2番目の価値ある勝利…とここでようやく思い立ちました!

2番目ではなく3番目です!ビセンテ・サルディバルを上回る実績を持つファイターなんているわけありませんでした。

ここまでの、全部訂正!「2番目↘︎3番目」です。



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井上尚弥や中谷潤人のあまりにも不運で最悪のタイミング…彼らがもう少し早く生まれていたなら…?

軽量級にも輝く星が確かに見える、そんな時期があったのです。





◾️ラファエル・マルケス◾️

👑 IBFバンタム級
👑WBCジュニアフェザー級

パッキャオをKOした兄のファン・マヌエルよりもメキシカンに愛された激闘王。

バンタム級、ジュニアフェザー級を主戦場にした〝メキシカンスタイルの教科書〟のデビュー戦はなんとビクトル・ラバナレス(第8ラウンドKO負け)。ラファマルは「エキシビションだった」と公式戦でなかったと主張していますが、このある種の狂気を孕んだ負けん気こそがこの男の持ち味。

バンタム級でマーク・ジョンソン、ティム・オースティン、サイレンス・マブサを撃破。ジュニアフェザー級ではイスラエル・バスケスと伝説のトリオロジーを紡ぎました。

フェザー級でファンマ・ロペスの強打に8ラウンドで沈められた35歳の肉体は、認定団体のWBCが異例の引退勧告を出すほど劣化が進行していましたが、階級を戻してWBCジュニアフェザー級王者の西岡利晃に挑戦するなど、どこまでも往生際の悪いスラッガーでした。

2005年のリング誌年間PFP(BEST FIGHTER POLL)で5位。当時、デジタルバージョンのランキングがあったら瞬間3位内にも入っていたかもしれません。

全盛期のラファエル・マルケスを日本人が倒していたなら…間違いなく史上2位の大金星です。




◾️ファン・マヌエル・ロペス◾️

👑 WBOジュニアフェザー級
(2008年6月7日〜2010年1月23日=返上)
👑
WBOフェザー級
(2010年1月23日〜2011年4月16日)

トップランクがキューバの至宝ユリオルキス・ガンボアとの決勝戦を企図したフェザー級ウォーズの主役がファンマ・ロペスでした。

プエルトリコがボクシング大国だった時代の最後を彩ったファイターの一人、非常に色気のある強打を繰り出すサウスポー。

アテネ五輪にも出場したアマチュアでの戦績は126勝24敗。

WBOジュニアフェザー級タイトルは、評価の高かったダニエル・ポンセ・デレオンを相手にまさかの初回KO勝利。ファンマはこの試合を含めて22戦全勝19KO、24歳のプエリトリカン。メディアはこぞって「スター誕生」と色めき立ちました。

このタイトルを5度防衛(4KO)して、フェザー級に転向。

プエルトリカンのホーム、NYはマディソン・スクエア・ガーデンを根城にし、西海岸への遠征でもMGMグランドのリングに上がる、軽量級ではあり得ない人気者でした。

全盛期のファンマを日本人が倒していたなら?…やはり、文句なしで史上2番目に価値のある勝利と評価されていたでしょう。




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「中立の米国で戦うのが公平だが、井上尚弥と私は米国での需要がない。開催地が日本になるのは仕方がない」(ノニト・ドネア)。

人気階級のスター選手、代表的なのはカネロ・アルバレスですが、あのレベルで興行を打てる軽量級選手は歴史上でも1人もいません。

人気階級をメジャーリーグとすると、軽量級はマイナーリーグといっても全く言い過ぎではありません。

そして、軽量級の中でもジュニアフェザー級以下はマイナー中のマイナー、欧米ではコアなマニアしか関心を払わない暗黒階級です。

それでも、欧米の人気階級への挑戦に本腰を入れられず、心がへし折られ続けている日本では、軽量級がメインステージ。

海外の小さな実力者たちにとって「軽量級としては破格の報酬」と、栄光や名誉への欲求をみたしてくれる「大会場でメイン」という二つの夢が同時に実現できる日本のリングは憧れの場所です。

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その事実を踏まえると、野球やサッカーのように米国や欧州に厳然として存在する華やかで高額の報酬が約束される世界最高峰の舞台はボクシングの軽量級には存在しません。かつて、存在したことすらありません。

人気や注目度という点で完全マイナーリーグなのですから、当たり前の理屈です。

それでも、日本に引っ張り込むのが困難なほどの人気を持つ軽量級のスターが、長い周期で現れる彗星のようにリングに登場してきました。

残念ながら、井上尚弥や中谷潤人の前にはまだ一人も現れてくれない軽量級のスターたち。

ジュニアフェザー級でとんでもない人気を博したエリック・モラレスやマルコ・アントニオ・バレラは例外中の例外、軽量級であんなのが現れることは後にも先にも、もう2度とないでしょう。

モラレス、バレラとまではいかないまでも人気と実力を兼ね備えたスターを、この15年スパンで切り取って振り返ってみます。

このシリーズを始める刺激になったのは、もちろんジェシー〝バム〟ロドリゲス。

寺地拳四朗とのビッグファイトが待望されるバムは、PFP中位を徘徊する実力は文句なしですが、人気面は今ひとつ。

単体での集客力はもちろん、ファン・フランシスコ・エストラーダ戦も「軽量級」とう十字架を考慮しても、けして高い関心を集めたとは言えません。

エストラーダも、人気という観点からは「不人気階級の不人気選手」という枠から脱出できませんでした。

「不人気階級の不人気選手」という檻を破壊した、軽量級のスターを総覧します。


※ここではPFPなど実力評価が高かったドネアやギレルモ・リゴンドー、アンセルモ・モレノ、ローマン・ゴンサレスらは人気面で全く物足りなかったのでカウントしません。


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昨年8月から活動休止中だったフワちゃんが昨日、自身のインスタグラムを更新。女子プロレス団体「スターダム」に入団、プロレスでの活動再開をファンに報告した。

フワちゃんは2024年8月、お笑い芸人のやす子に対し、不適切な投稿をしたことから、SNSなどで批判され、活動を休止していた。

フワちゃんは「この一年半、希望を捨てずにやってこれたのはプロレスがあったから」と書き込んだ。




希望を捨てずにやってこれたのはプロレスがあったから


プロレスがなければ希望を捨てざるをえなかった、そういう意味です。

そこまで追い込まれた人でも、表舞台に復帰が許される最後の希望がプロレスだったということでしょう。


プロレスとは何か?





 惑星から追放された〜この悔しさを忘れはしない
ゴリとラーの惑星にもプロレスがあれば、2人は宇宙を彷徨うことはなかったかもしれません。





年寄名跡「花籠」を借金の担保にしていたことなど数々のスキャンダルから角界を追放された大横綱、輪島大士。


トラブルメーカーだった北尾光司のケースでも「彼の場合は、もうプロレスへ行くしかないんだろうね」という声が多く聞かれました。


桑田スキャンダルを暴露した中牧昭二がプロレスラーになったのも、実に納得できるストーリーでした。



もうプロレスへ行くしかないんだろうね。


世間から叩かれまくり、社会から追放された彼らでも復帰が許される場所。

それがプロレスです。

スポーツとしても演芸としても認知されないプロレスは、社会に含まれないアナザーワールドに違いありません。


「もうプロレスに行くしかないんだろうね」。…とらえ方によっては、プロレスに対して非常に失礼な発言です。


広く門戸を開放し、社会から逸脱した落伍者をも飲み込む摩訶不思議なブラックホール。

それがプロレスです。





そして、五輪金メダリストのウルフアロンまで惹き寄せるのがプロレスの引力です。

なんという懐の広さ!



ウルフアロンのデビュー戦、楽しみです。


最後に、プロレス転向の記者会見を開いたウルフアロンの言葉を。


「なぜプロレスを?」と言われたら、「好きだから」です。



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Thursday 13, November 2025

Montreal Casino, Montreal, Quebec
commission:Quebec Boxing Commission
promoter:Camille Estephan (Eye of the Tiger)
matchmaker:Jordan Mathieu
official in charge:Jean Gauthier

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モントリオール・カジノ⬆︎は、1967年のモントリオール万博が行われたノートルダム島の跡地に建設されました。

ノートルダム島は人工島、万博とカジノ…まさに夢洲の大阪万博と同じ浮世のワンダーランドです。


さて、2019年12月23日。横浜アリーナのリングに上がったとき、彼の戦績は30戦24KO1敗1分。10連勝(うち9KO)と勢いに乗って世界タイトル初挑戦に漕ぎ着けました。

ロンドン五輪金メダリストで右の強打と固いブロックを持つWBAミドル級王者に挑むには実力不足と見られていましたが、BANG BANGの異名を持つ24歳のカナダ人は「パワーは私の方が上。ベルトを地元モントリオールに持ち帰る」と自信満々でしたが…。

試合は村田諒太の圧力に追い詰められて、第5ラウンドに痛烈に叩きのめされてTKO負け。

この試合の結果はカナダのCBCニュースでも大きく報じられたことからも、〝BANG BANG〟スティーブン・バトラーがボクシングの関心が高いとは言えない母国でも一定の注目を集めていることを窺わせました。

「人気階級の白人ファイター」は特別です。

しかし、強豪がひしめき層も厚い人気階級で頂上に登るのは白人でなくとも至難の業。

カナダに強力なファンベースとスポンサーを持つバトラーはWBO王者ジャニベク・アリムハヌリへも挑戦しますが、2ラウンドKO負けで惨敗。

それでも、モントリオールでは人気者。11月13日に美しいカジノに内蔵されたアリーナで行われるイベントのメインを飾ります。

当初は同じカナダ人のエリック・バジニャンと対戦する予定でしたが、バジニャンが負傷。カメルーンのステファン・フォンジョが代役に送り込まれました。

フォンジョは2020年9月デビュー。ここまで14勝9KO1敗1分。WBC暫定スーパーミドル級王者クリスチャン・エムビリのスパーリングパートナー。これがキャリア初の10回戦になります。

バジニャン戦はアンダードッグだったバトラーですが、フォンジョ相手でどうでしょうか?

一つ確かのことは、5敗のうち4つがKO負けのバトラーがこの試合でもストップされたとしても、またチャンスをもらえるということです。

逆に、ここ数試合をカナダで戦っているフォンジョがバトラーに勝っても世界路線には簡単には乗せてもらえません。



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Friday 7, November 2025
  
RP Funding Center, Lakeland, Florida, USA
commission:Florida Athletic Commission

promoter:Garry Jonas (Pro Box Promotions),
     Sampson Lewkowicz (Sampson Boxing)

matchmaker:Ramiro Hernandez, Daniel Rubin

バンタム級10回戦



アストロラビオはギレルモ・リゴンドーに番狂せを起こし、ジェイソン・モロニーと空位のWBOバンタム級王座を争い惜敗、勝利昨年7月にはWBCバンタム級王者中谷潤人のボディ一発で初回KO負けと日本のボクシングファンにもお馴染みの118パウンダー。

そして、Katsuma Akitsugi(秋次克真)は日本のボクシングファンにはほとんど無名ながら和歌山県生まれ、ロス在住のサウスポー。戦績は13戦全勝3KOと無敗のテープをジリジリと伸ばしています。

アストン・パリクテ、ジョナス・サルタンに続きアストロラビオと3戦連続でフィリピン人と対決するカツマが狙うは、もちろんバンタム級のストラップ。

WBO9位に付けるアストロラビオを攻略すると、待望の世界戦への道筋が開けてきます。

El Cuete Japonecito(童顔の日本人)が13試合で稼いだファイトマネーは、約20,000ドル(1ドル150円計算で300万円)をやっと超えましたが、米国の軽量級には厳しい現実が横たわっています。

世界王者になっても、米国ではまともな報酬が得られず、注目もされません。

それでも、王者になって日本で日本人相手に防衛戦となれば、その1試合で生涯報酬に近い大金を手にすることができます。

オッズは無敗のカツマが4/11(1.36倍)。アストロラビオが21/10(3.1倍)。


https://fushiananome.blog.jp/archives/34758739.html



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二つの拳、それもナックルパートだけしか攻撃が許されない偏狭極まりない格闘技、ボクシング。

18世紀後半に英国で着手されたルール整備は、現代の総合格闘技以上に自由だったボクシングの攻撃手段をどんどん制限する方向で進められました。

そして生まれたのが、異種格闘技戦の舞台では最弱であるボクシングです。

しかし、偏狭の追求は、究極の研磨を意味しています。

あまたの格闘技の中で、いいえ、あらゆるスポーツの中で、ボクシングが最もドラマティックであることはそれがテーマに作られた小説や音楽、映画などの数が圧倒的であることからも誰にでも理解できるでしょう。

そして、やはりドラマティックなことに、そんな映画などを易々と超える現実のリングがいくつも存在してきました。

もしかしたら、小説や映画にも出来ないからこそ、作家や脚本家は現実を越えることが出来ないことを承知で、このスポーツをフィクションで表現することに敢えて挑戦し続けているのかもしれません。


前置きが長くなりました。



英国ボクシングニューズ誌から40 years on, Lee Roy Murphy recalls his astonishing double-knockdown fight をご紹介。

ドラマに溢れたボクシングの世界でも Double-knockdown は滅多に見ることができませんが、日本時間の今日、ちょうど40周年を迎えるこの試合はROCKY II IN REAL LIFE として記憶され続けてきました。


Saturday 19, October 1985
  
Stade Louis II, Fontvieille, Monaco
commission:Federation Monegasque de Boxe 
promoter:Roberto Sabbatini

IBFクルーザー級12回戦


©︎リー・ロイ・マーフィー
vs
チサンダ・ムッティー



序盤から激しいパンチを交換した両者は最終回にダブルノックダウン。

まるで、ロッキー・バルボアとアポロ・クリードのように。そして、日本のボクシングファンなら竹原慎二と李成天の第8ラウンドも思い出すでしょう。


It wasn’t no damn Rocky II fight – it was real, man. We did that for real. 

あれは映画のロッキー2なんかじゃなかった、いいかい、あれは映画ではなく、現実に起きたことなんだ。〜マーフィー



マーフィーはマービン・キャメルからタイトルを奪い、ドワイト・ムハマド・カウイらクルーザー級の強豪たちと拳を交え、イベンダー・ホリフィールドともニアミス。

そして、多くのクルーザー級王者と同様に「いつかヘビー級で王者になる」ことが夢でした。

身長179㎝のマーフィーは、キャリア終盤で夢の無差別級に身を投じました。

そして、同じシカゴ出身で、同じヘビー級への夢を見ていたクルーザー級のアルフォンソ・ラトリフ(マイク・タイソンの噛ませ犬)とイリノイ州ヘビー級タイトルを争ってベルトを勝ち獲るのです。

「些細な足跡かもしれないが、ヘビー級で戦ったアリバイを作れたかな」と、マーフィーは笑ってみせました。


オリバー・マッコールと互角以上のスパーリングを展開、レノックス・ルイスの練習パートナーもつとめたマーフィーは、アマチュア時代に遡ると幻のモスクワ五輪代表でした。

Even today, when I go out, when I get on the bus and folks recognise me, which they do from time to time, that’s the fight they want to ask me about. 


時代が少しだけ違えば…地上波生放送されていた当時、五輪でメダルを獲っていたなら、プロキャリアは全く違った環境でのスタートとなっていたはずです。

「五輪ボイコットがなかったらもっと有名になっていたかって?それは違うと思うな。ムッティーとの試合があったから、私はこうしてあなたたちメディアの取材を受けてるんだから」。

「いまでもバスに乗ったりすると、当時を知っている人からあの試合のことを聞かれることがある。五輪に出場してても、ムッティーとの試合がなければ、今でも私のことを覚えている人がどれだけいるだろうか?」。



ムッティーは1990年に38歳の若さで亡くなり、カウイも今年7月25日に72歳でこの世を去ってしまいました。

「彼らがいないのは本当に寂しい。だけど、今でも私たちの戦いを覚えてくれている人たちがいる。それはやっぱり、素晴らしいことなんだ」。



ボクシングには語り継がれるドラマが、確かにあります。




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Forever Young


2021年12月21日、その日本人はまたしても中華人民共和国で戦っていた。

彼は、約15億人の人口を抱える中国で最も有名な外国人ボクサーだ。

それはすなわち、地球上で最も有名な日本人ボクサーというとらえ方も出来るかもしれない。


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すでに内定済みの、中国で2度目の公式試合の練習とプロモーションも兼ねて用意された14オンスのグローブで行われるボクシングルールによるexhibitionのリングに上がった当時33歳の日本人は、すぐに不穏な空気を感じ取った。

事前にボクシングルールと聞かされていたが、内実はその男のネームバリューを利用しようと企んだ対戦相手のユーチューバーが視聴者数稼ぎを目当てに企画した〝詐欺〟に巻き込まれたのだった。

浅ましく卑劣なユーチューバーは日本人をボディスラムで頭からキャンバスに叩きつけるなどの危険行為を繰り返した。

日本ボクシングコミッション(JBC)はJBCルール第24条に抵触したとして、木村翔に戒告処分を出した。

これを受けて木村は中国・武漢で行ったスパーリングマッチについて謝罪と説明を行った。

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 リング誌から。



木村が中国に大きなインパクトを与えたのは2017年7月28日のことだから、もう8年も前になる。

当時WBOアジアパシフィック・フライ級王者だった木村は7月11日にクワンタイ・シッモーセンと初防衛戦を行う予定だったが、急遽舞い込んだWBO王者・鄒市明(ゾウ・シミン)からのオファーを選択する。

シミンは北京2008、ロンドン2012で金メダルを獲得した中国の国民的英雄。プロ入りに際してもトップランクがプロモート、トレーナーはフレディ・ローチと世界最高のチーム体制を組んだ。

軽量級ではまずお目にかかることが出来ないスターに上海で挑戦しないか?そのオファーを断る理由は、日本でも全く無名の存在だった木村には一つもなかった。

この興行はトップランクとローチを切り捨てて、プロモートからコーナーまでゾウ・シミンを中心にオール中国で立ち上げた初めの一歩。

中国の人気リアリティ番組「パパ、どこに行くの?」に4歳の息子と出演しているゾウは、リングを超えた英雄だ。

そんなゾウ・シミンを上海で倒すとどうなるか?誰にでもわかることだ。


Kimura (15-1-2, 8 KOs), whose job delivering beer crates didn't pay him enough to buy a good pair of ring shoes. But Kimura didn't need new shoes.

ビール配達が仕事の木村は新しいリングシューズを買うカネにも困っていた。

しかし、2度も五輪を制したプロの世界チャンピオンから圧倒的な勝利を収めるのには、シューズを新調する必要はなかった。

With his back on the canvas, Zou, 36, waved "no mas" to the crowd and referee, who ended it at 2:28 of the 11th. The gesture also might have been his goodbye to the sport.


木村の勝利は「完全敵地」「圧倒的不利の予想」を、文句のつけようがない形で跳ね返した偉大な勝利でした。

この勝利は、平仲明信と亀田和毅をスキップして「1981年の三原正以来」とされている。平仲はプエルトリカンの強豪王者エドウェン・ロサリオに対して「圧倒的不利予想」だったが、リングがセットされたのは中立国(アンチ・プエルトリコという点で平仲に追い風?)メキシコの闘牛場。

和毅に至っては穴王者のナミビア人(パウルス・アンブンダ)に対して明白に有利と見られ、さらに舞台は中立国のフィリピン。強豪相手でもアウエーでもなかった。



JBCの戒告を受けて開いた会見で、木村が語った言葉を最後に記しておく。

「今回、相手の反則行為は許しがたい事です。しかし、ゾウシミン戦以降、日本人である私に対して、私のことを知り、そして、応援してくれる中国にいる多くの方々を愛する気持ちは変わりません」。

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かつて、ジュニアライト級やジュニアウエルター級、ジュニアミドル級は水増し階級の一つに過ぎず、欧米ではほとんど注目されることがありませんでした。

それは日本にとって悪いことではなく、体格の良いボクサーの世界アタックへの道を広げてくれたのです。

特にジュニアミドル級は、輪島功一がUndisputed championとして切り拓き、2団体分裂後も特にWBAにおいて馴染み深いクラスであり続けできました。

WBAのストラップは輪島からホセ・デュラン、ミゲル・アンヘル・カステリーニ、エディ・ガソとリレーされて工藤政志の拳に渡ります。

レスリング出身という異色の経歴を持つ工藤が4度目の防衛戦で迎えたのは世界選手権ライトウエルター級金メダリストのアユブ・カルレ。

1979年10月24日、故郷の秋田県立体育館。不利の予想通りに15ラウンド、ボクシングのレッスンを受けることになり、王座陥落。

しかし、工藤は「カルレと戦えて光栄だった」と清々しく勝者を讃えました。

カルレは確かな技術をベースにした堅実なボクシングて勝利を重ね、5度目の防衛戦へ。



なんと、工藤がリスペクトしてやまなかった王者カルレが圧倒的不利の予想を立てられてしまいます。

それもそのはず、その挑戦者はシュガー・レイ・レナード。

トーマス・ハーンズとの大一番を控えたスーパースターが調整試合に選んだのが、カルレでした。

試合はレナードが手こずりながらも、9ラウンドでウガンダ人を仕留めます。

ウエルター級とジュニアミドル級の2階級制覇を達成したレナードですが、カルレが安定王者に君臨する水増し階級には用はないとばかりにタイトルを返上。

〝レナードの後釜〟として空位のWBAジュニアミドル級を争ったのが三原正とロッキー・フラットでした。

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1981年11月7日、ニューヨーク州ロチェスターのWar Memorial Auditoriumで快挙が達成されます。

「三原正がニューヨーク・ロチェスターでロッキー・フラットを判定で破ってWBAジュにミドル級王者に」。

海外でのタイトル奪取は三原が史上5人目、のべ6人目でした。

私がボクシングに興味を持ったばかりの頃、高校の図書室でリング誌を貪り読む前の中学校時代。三原の快挙は新聞のスポーツ欄で知った記憶があります。

ニューヨーク、ロチェスター、ロッキー・フラット…目に飛び込んできた全てのカタカナがカッコ良く見えました。

その当時は分かりませんでしたが、この試合を裁いた主審は、なんとなんとアーサー・マーカンテ。

高校に入ってリング誌を好きなだけ読める環境が整うと、バックナンバーでロッキー・フラットがRocky Flat ではなくFratto であったことが判明。全く意味もなく拍子抜けしたのを覚えています。

三原は初防衛戦でデイビー・ムーアに全くいいところなく6ラウンドKO負け、東京でタイトルを手放してしまいます。

それでも、復帰戦から連勝街道に乗った三原に、WBCジュニアミドル級王者トーマス・ハーンズへの挑戦試合が内定しますが、持病の腰痛のため引退。

ーーー工藤が子供扱いされたカルレがレナードの調整試合…三原を破壊したムーアがロベルト・デュランにタコ殴りされてKO負け…中量級の頂点がどれほど高いのか、それを考えると、日本のボクシングファンはため息をつくしかありませんでした。


【三原正のニューヨーク州ロチェスター】

・価値 ★★★★★
・衝撃度 ★★★★★



ーーーと、こんな感じで独断と偏見で、時系列を無視して敵地に乗り込む麗しきファイターを紹介してゆきます。

ご紹介させていただくのは「広く敵地で番狂せを起こしたファイターですが「敵地でタイトル奪取」したのべ6人は以下の通り。当然、この方々はふれないわけにはいきません。

①西城正三
②柴田国明
③柴田国明
④大熊正二
⑤上原康恒
⑥三原正





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日本のプロボクサーは幸運です。

特に、軽量級では王者として防衛する場合はもちろん、王者に挑戦するときでさえホーム開催となるのがデフォルトです。

営利団体でしかない認定団体が跋扈するタイトルマッチでは、どこでやればより大きな認定料を稼げるか?という力学だけが作用します。

日本で好き勝手出来てコスパが良く、コネクションも構築されている軽量級では、敵地に乗り込むのは極めてレアケースです。

それどころか、井上尚弥や西岡のように、日本開催の方がはるかに大きな興行となるにも関わらず「ラスベガスから招かれた」かのような奇怪な劣情のロジックを弄して海外に渡ることがありますが、これもまた特異なケース。

ビジネス的にもコンディション的にも、日本開催が良いに決まっていますが、さまざまな事情が絡んで敵地に向かわざるを得ないケースもあります。

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軽量級だけではなく、中量級でも敵地で貴重な勝利をあげた、triumph、大勝利の系譜を辿ってゆきます。

また、アルファベット団体のストラップにこだわらず、ノンタイトルであっても価値が高い、あるいは十分な衝撃を与えたという勝利も取り上げてゆきます。


あのファイターを忘れるな!なんて思いつく人はどしどしご意見寄せてください。
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