フシ穴の眼 〜スポーツ疾風怒濤編〜

      Hope Lights Our Way / 希望の道を、つなごう。

カテゴリ: FIGHT SONG

Wednesday 5, May 2021
EDION Arena Osaka, Osaka, Osaka, Japan
亀田和毅vs三宅寛典 
commission Japan Boxing Commission
promoter:Masato Yamashita (Shinsei Promotions)

日本スポーツ史におけるアンチヒーローは「亀田」だけではありません。また「亀田」が最初でもありません。

江川卓や桑田真澄、そして野茂英雄への非難轟々は「亀田」を遥かに凌ぐものでした。

ただし、この3人に吹いた、一見すると〝罪〟にしか見えなかった強烈な逆風はプロ野球の入団と移籍に関する重大な欠陥を露呈させ、システムの不備を改善に導いた、実は〝功〟でした。

もちろん「亀田」のケースもボクシング界の欠陥・欺瞞を露わにしたという部分はあるものの、のちになっても言い訳できない明白な〝罪〟を重ねたことは変わりません。

しかし、この差が「江川」と「亀田」の評価を隔てた最大の原因ではありません。

もし「亀田」が行き過ぎた〝罪〟を重ねなくても、彼らが英雄に転化することはもちろん、赦されることもなかったでしょう。

江川と桑田が〝赦され〟野茂が日本スポーツ史上に燦然と輝く英雄に昇格したのは、彼らが傑出した実力を見せてプロ野球ファンを納得させたからです。

「江川は大嫌いだけど途轍もない投手」。

スポーツファンとして、認めるしかなかったのです。そして、スポーツファンはどんなに嫌いと口にしても、途轍もないヤツが大好きなのです。

もし亀田興毅が圧倒的な実力を見せつけていたなら、全盛期のノニト・ドネアを粉砕して日本人初のFighter of the year に輝いていたなら、彼は日本のフロイド・メイウェザーになっていたでしょう。

「ボクマガの読者は俺らのことが嫌いやからな」なんてひねくれた言葉は「俺らボクシングファンにしか人気ないからなあ。ボクシングを知らない一般のスポーツファンには嫌われてるから」と余裕の睥睨になっていたはずです。


憎たらしいほど強くなければアンチヒーローたりえません。憎たらしいほど強くなければアンチヒーローの資格がないのです。

その意味で「亀田」はアンチヒーローではありませんでした。

憎たらしいほど強さを見せつけることが出来なかった「亀田」はほとんどのボクサーと同様に、4-Belt Era だから王者になれたことに異論がある人はいないでしょう。

逆にいうとこの時代で王者になるには、全く差し支えなかったと考えます。

ゴジラが「核の落とし子」だったように「亀田」は「4-Belt Era だから咲き乱れた徒花」でした。

では、彼らはどの程度強かったのでしょうか?
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Wednesday 5, May 2021
EDION Arena Osaka, Osaka, Osaka, Japan
亀田和毅vs三宅寛典 
commission Japan Boxing Commission
promoter:Masato Yamashita (Shinsei Promotions)

緊急事態宣言が週明けにも発出される見通しの大阪府。

期間は3週間から1ヶ月といわれていますから「亀田和毅vs三宅寛典」の試合ゴングが無事に鳴らされるかどうか、全く不透明になりました。

無観客でもやって欲しいと思いますが、時期は最悪です。
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リング誌の名物企画「BEST100」↑。毎年1月号で現役PFP100傑!を発表する冒険的なコーナーでしたが、経営難と誌面リストラで2014年を最後に惜しまれながら消滅。「亀田」には辛辣なコメントもありましたが、愛される常連でした。



さて、ボクシングの話がほとんどのブログですが「亀田」に関する記事が極端に少ないことには理由があります。

改めて考えてみると、①長男次男が引退、三男も積極的に活動していない②和毅は下流王者ジェイミー・マクドネル、普通王者レイ・バルガスに健闘したとはいえ女子並みの決定力の無さ③リング外の話題を自分たち嬉々として発信する選手は生理的に受け付けない、などでしようか。

②③は皮肉で、①がほぼ全てです。

亀田興毅が世界王者になった頃から引退までの時期にこのブログを立ち上げていたら「亀田」について間違いなく何度も触れていたはずです…。

と、ここまで考えてみて、そもそも国内ボクシングが亀田騒動の最中では「議論する余地の無い王者=Undisputed Championとは?」「Lineal Championの系譜をおさらい」「日本歴代PFPを考える」「リング誌単独カバーの考察」「人気階級に風穴を開けろ!」…なんてテーマを書く動機付けに乏しく、ブログそのものを立ち上げていませんでした。

村田諒太や井上尚弥、中谷正義、井岡一翔らの躍動があるから、書きたいものが尽きないわけです。

亀田興毅に「カネロ・アルバレスを倒してくれ!」なんて発想は脳みそが沸騰しても浮かんできませんし「亀田大毅はPFPに値するか?」なんて妄想すら出来ません。「亀田和毅はメキシコでも米国でも無名」なんてことも口にする気にもなれません。

興味・関心を向けることが全く出来なかったので、一部のボクシングファンが向ける嫌悪や非難など負の感情は、私にはほとんどないのです。

 

暗愚で幼稚な振る舞いなども含めて「亀田」に向けられた非難は、本来彼らに向けられるべきではありません。

ヘドロが無ければ、腐臭が立ち昇ることはありません。

「亀田」にだけ批判の矛先を向けるのは、ヘドロを排除せずに腐臭だけに大騒ぎしているのと同じことです。

うーーん、ボクシング界にヘドロが沈殿しているのは間違いありませんが「亀田」を腐臭と表現するのは間違いですね、訂正します。

日本のボクシング界は、すべからく「亀田」だと言った方が正解です。 

さて、その「亀田」とは何だったのか?

それは、日本のボクシング界とは何なのか?と同義です。 
 
 

本人たちが胸を張るように、彼らがボクシング界を盛り上げた功績は紛れもない事実です。

一方で、興毅が「ボクマガの読者は俺らのこと嫌いやからな」と拗ねたように、彼らが盛り上げたのは〝広義〟のボクシング界で〝狭義〟のボクシング界は極端なアレルギー反応を示しました。


それは、まさしく「近親憎悪」でした。 

亀田和毅の試合に向けて「亀田」の功罪を総括、この国のボクシングの輪郭をなぞっていきます。
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WOWOWエキサイトマッチのオープニングが刷新しました。

「何を今更?!」と突っ込まれそうですが、今、先週のエキマを見ています。

基本、生中継ならエキマを見ますが、そうでない試合や、最近だとDAZNでしかやらない試合も増えてしまっています。

30年ですか。

「WOWOWエキサイトマッチ」の前は、NHKがBSで「世界のボクシング」を提供してくれていました。

当時はインターネットが普及していない時代です。

海外のビッグファイトは新聞で触れられない場合は、高校の図書室に届けられる「リング誌」「スポーツイラストレイテッド誌」で確かめるしかありませんでした。

「ボクシングマガジン」や「ワールドボクシング」で試合結果を知ることも当たり前でした。

エキサイトマッチとWOWOWは、日本のボクシングファンにとって冗談じゃなく、神様からの贈り物でした。
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新しいオープニングも素晴らしいです!

先日も「パッキャオの8階級制覇はインターナショナルとかそういう王座も含めてるのかと思います」とかいう、もう「えーー???海外の情報をあれだけ仕入れててどうしてそうなるの?!」ということもありますが、全部ご愛嬌です。

次の30年に向けて、さらに素晴らしい番組にして下さい!!!!!!!!!! 
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年齢を重ねると、いろんなことが起きます。

私が近所の子供に勉強を教えるとか、受験の相談を受けるなんて、彼らと同じ頃の私には想像もできないことです。



高校時代は学校嫌いの引きこもり。大学時代は将来のことなど考えずに、遊んでばかり。

受験や就職は差し迫ってからようやく腰を上げるような、世間を舐めた若者でした。

普通なら大学なんて行けない、行く大学がない、どこにも就職できないなんて結果を突きつけられてもおかしくなかったのに、そうならなかったのは、高校時代は信じられないくらいに先生や友人に恵まれたから、大学時代はやはり信じられないくらいに時代に恵まれたから、でした。


受験や就職、当事者はもちろん家族にとっても重大な人生の一大事に思えますが、そんなことありません。

「環境と時代に恵まれた運だけのお前が言うな」という話かもしれません。実際、自分の場合は「人生の一大事」なんて意識は全くありませんでした。

ただ、自分の選択に後悔はないものの、他の選択もあったなとはよく思います。

しかし、そのときは「他の選択」は見えませんでした。

私のような無茶苦茶な生き方をしていても、そうでした。

どこの大学にでも入学できる、どこの企業でも就職できる。だとしたら、どこの大学、どの企業を選ぶか?

私のような世間から外れた人間でも、その時の選択は恐ろしいほど世間と同じでした。
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昨日の日本経済新聞の広告からですが、なんだか30年前から代わり映えしないなあ、というのが実感です。

文系で前年1位だったJTBグループが同35位に、4位の日本航空が45位に、5位のオリエンタルランドが20位に急落するなど〝パンデミックの反乱〟は見られますが、全体の基調は変わりません。

全体の基調、それは「寄らば大樹の陰」ということですが、大樹が常に大樹であるとは限らないことは、パンデミックの反乱を見るまでもありません。

「寄らば大樹の陰」は正確には「寄らば(今現在大樹に見える)大樹の陰」ということです。

そもそも、人気大学ランキングと一緒で人気企業ランキングも「どこの大学にでも入学できる、どこの企業でも就職できる」という前提での回答を集計したものではありません。

「自分が行けるかもしれない大学、就職できるかもしれない企業」のランキングです。

本当なら人気大学ランキングは東京大学文科一類や理科三類が1位になるはずですが、そうではないランキングも多く見られます。

それどころか青山学院大学や明治大学が1位という、不可解なランキングも少なくありません。そういえば、私の時代は早稲田大学が1位だった気がします。

「どこでもいいから選べるとしたら」ではなく「口にしても許される大学」という〝許容フィルター〟を通したランキングなのでしょう。

受験や就職の大学、企業の人気ランキングほど、対象者の本意から大きく逸脱したものはまずありません。PFPよりも意味のないランキングです。

「どこでも連れて行ってやる」と親に言われた子供が「火星」や「月」ではなく「近くのスーパー銭湯に行きたい」と答えるようなものでしょうか。


私の出身高校で大学ランキングを作れば、関西学院大学や関西大学なんかが1位になるかもしれません。それは、灘高などのランキングとは全くの別物です。

企業ランキングも東大生に聞くか青学生に聞くかで、全く変わってくるでしょう。

20才そこそこの若者の選択です。自分たちは大人だと思ってても、こういうバカランキングなど周囲の雑音に左右されてしまいやすいものです。

いろんな情報が溢れる真っ只中にいると、全く不思議なことに「他の選択」が見えにくくなります。

多くの情報があれば、常識的には選択肢が増えるはずなのに、情報は多数決的に一つの選択に誘導する、思考能力を麻痺させる劇薬のようなものです。


高校三年生の夏、大学に進学しようかなと思ったとき、最初に思い浮かんだのは筑波大学や日本体育大学、順天堂大学でした。選手として挑戦したい気持ちもありましたが、体育や運動をもっと深く学びたいと考えたからです。

しかし、現実にはその思いはほとんど誰にも話しませんでした。信頼出来る先生や先輩には話しましたが、冗談としかとられませんでした。

そして、自分の中でもそれを自然と受け入れる自分がいました。



若い人には、周囲の声や、溢れる情報に溺れずに、やりたいこと、自分に向いていることを考えて人生を選択して欲しいと思います。



それを考えると、今の自分だって偉そうなこと言えないなあと、本当に思ってきます。

もうそろそろ、やりたいことやっていいんじゃないか、と。


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絶対不可能。

誰もがそう決めつけていたことを、簡単にひっくり返すのがヒーローです。


その名を聞いただけで絶望するしかない大病に打ち克ち、再び日本一になり、世界の頂点を目指す。

彼女が「パリを目指す」と決意したとき、誰もが「パリもその次の五輪も無理に決まってる」と口にこそ出さないものの、悲痛な思いに胸が締め付けられました。



最強の投球を投げ込んだそのイニングに、最強の打球をスタンドに叩き込む。

彼が私たちに降臨する以前に、世界最高峰の舞台でこんなことが起きると聞いても「漫画でも説得力がない」と笑い飛ばしたでしょう。


あり得ないことを、凡人の想像を超えるやり方で、やってのける。

大舞台で泳ぐだけでも感動で咽び泣くしかないというのに。

最高峰でマウンドと打席に立つだけで驚天動地だというのに。

もちろん、2人は特別な人間です。

そして、簡単にやっているように見えるのは、凡人の錯覚です。

「あれだけ才能があれば私にも出来るかもしれない」。…絶対に出来ません。

彼らの才能を与えられても、凡人は彼らの偉大な挑戦など思いつきもしません。

凡人は、神様からの挑戦状を読み取れずに大病に罹った不運をいたずらに泣き暮れ、旧態の指導に従って投手か打者の可能性を放擲するだけでしょう。

しかし、それは逆の視点から見ると、才能などなくとも絶対不可能の挑戦を選択し、巨大な風車に立ち向かった時点で、偉大だということです。
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片岡昇と藤本京太郎が見上げたヘビー級の高峰。

西島洋介と西澤ヨシノリが踏み入れたクルーザーの森。

世界ランキングに爪痕を残しながらチャンスなど巡って来るわけもなかった寺地永のライトヘビー。


彼らはドン・キホーテだったかもしれませんが、その拳は井上尚弥よりも遥かに重く、そのロマンは村田諒太よりもずっと清澄でした。



モハメド・アリは「不可能なんて存在しない」と断言しました。しかし、悲しいかな、それはヒーローだけに許された理屈です。

片岡も藤本も、西島も西澤も、寺地もみんな才能溢れる重量級でしたが、それはヒーローが持っていたものとは少しだけ種類が違いました。

不可能を可能にすることが偉大なのではありません。

不可能に挑戦することが偉大なのです。


彼らは、届くことのない天空に拳を突き挙げました。

天空に拳を突き挙げた、その時点で彼らは何者かになったのです。
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昼から雨が止んだり振ったり。

銀座の歩行者天国はコロナ前の7掛け程度ですが、建物の中や地下街は結構密です。

数寄屋橋の桜は満開。
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日曜日だというのに、日比谷でお仕事。

やってらんないなあ。
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さて。

オスカー・デラホーヤのカムバックは、exhibitionでの顔見せ興行で戦うマイク・タイソンとは全く違います。
ゴールデンボーイが舞い戻ってしまうのは、officialの戦績としてカウントされる危険なリングです。
今回、カムバックを決めたことで、デラホーヤは2度引退することになります。

最初の引退は2008年、36歳のときでした。

あのときは「今までもそしてこれからもあなたは私のアイドル」と語ったマニー・パッキャオに、デラホーヤが「今日から君は私のアイドルだ」と答えてスーパースターのトーチを渡した、完璧な引き際でした。

しかし、そう遠くない未来に訪れる2度目の引退が、最初の引退のように美しいものになると考えている人はほとんどいません。

バルセロナ五輪で金メダルを獲得、世界中のボクシングファンが注目した1992年の最初のデビュー戦から丁度30年が経ちました。

〝最初のデビュー戦〟と、今回の復帰戦、つまりは〝2度目のデビュー戦〟に向けられるファンやメディアの視線も全く違います。

ボクサーが関わるリングには三つの大きな舞台があります。

プレイヤーとしてのアマチュアとプロ。そして、プロモーターとして。

この三つのステージで成功したボクサーは、歴史上1人しか存在しません。デラホーヤだけです。

モハメド・アリとシュガー・レイ・レナードはプレイヤーとしてのステージは完璧にこなしましたが、スーツに着替えた三つ目のステージで大きな成果を挙げることは叶いませんでした。

アリもレナードも出来なかったことを、見事にやってのけたのがデラホーヤなのです。

そんな偉大なデラホーヤが「晩節を汚すだけ」と冷ややかな視線を浴びながら、長いブランクを経てカムバックします。

スター選手が13年のブランクから、現役復帰。

他のスポーツではまず考えられない〝事件〟ですが、ボクシングの世界ではけして珍しいことではありません。

そして、どんなスポーツでも引退、引き際は難しいものです。それがスター選手の場合はなおさらです。

デラホーヤは最初の引退、その幕を美しく下ろしただけでも成功者と考えても良いのかもしれません。

スター選手の引き際、引退の決断の難しさはボクシングだけでなく、大相撲の横綱もまた非常に特殊な環境の中で下さなければなりません。

デラホーヤが復帰を正式に表明した同じ週に、白鵬と鶴竜が5場所連続休場となりました。
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カムバック宣言をしていたオスカー・デラホーヤの試合が7月3日に決定しました。

ボクシングビジネスに乗り出したトリラーが手がける「トリラー・ファイトクラブ」のイベントでサプライズ発表されたもの。
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スヌープ・ドッグの質問に「カムバックする」と宣言したデラホーヤ。

トリラーの創始者ライアン・カバノーCEOはYahoo!スポーツのケビン・アイオラ記者に「契約は複数試合。初戦はUFCファイターになるだろう。最終目標はフロイド・メイウェザー」と語りました。

カムバック第1戦のUFCファイターが誰なのかは「未定」とされていますが、カバノーが「ビッグネーム」とほのめかしていることもあり「コナー・マクレガーか?」と憶測を呼んでいます。

2008年、マニー・パッキャオに衝撃的な番狂わせで敗れてから、13年のブランクを経てリングに帰ってきたゴールデンボーイ。

会場はテキサス州アーリントンのAT&Tスタジアムが候補に挙がっており、メガファイトになるのは間違いありません。

それにしても…。

2008年12月、パッキャオの拳の前に散ったデラホーヤはポストカンファレンスで引退宣言。その後何度も復帰の噂が立ち昇りましたが、デラホーヤ自身はキッパリと否定してきました。

パッキャオにスーパースターのトーチを渡して引退。グレートの引退として最高に理想的に見えましたが、ここにきてのカムバックとは…。

ゴールデンボーイ・プロモーションズの経営が難局にあると伝えられていますが、48歳のレジェンドの真意はどこにあるのでしょうか?
 
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こんな便所の落書きでも、今日は黙祷です。

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今から、ちょうど10年前の2011年。

翌年にロンドン五輪を控えた7月3日〜9日の1週間に渡って行われた「第21回インドネシア大統領カップ」。


2011年の今日。日本は未曾有の悲劇に見舞われていました。


悲しみに沈む母国から飛び立った飛行機が目指すは、赤道直下、灼熱のジャカルタ。

タラップから亜熱帯の地に降りた日本代表は史上最強の日の丸部隊でした。


アジア大会など国際大会でメダルをコレクションしていた須佐勝明。やはり北京五輪をはじめ国際経験豊富な清水聡。

2人の自衛隊コンビが金メダルを日本に持って帰ると期待されていました。


確かに、その通りに、二つの金メダルが日本人の首にかけられました。

しかし、最も美しいメダルが輝いたのは、須佐の胸でも清水の胸でもありませんでした。

一つは、当時高校3年生、まだ17歳の少年が49㎏級で勝ち獲りました。

もう一つは日本人には全く聞きなれない75㎏級で、25歳の大学職員が決勝までの全ての試合をKO・RSCで強奪してみせました。

なんと、この2人は、これが初めての国際試合でした。



そして、世界選手権。同年9月16日〜10月1日。

最強の日の丸部隊はユーラシア大陸の西端、アゼルバイジャン、バクーに勇躍乗り込みます。


ここで、高校生の駿才は3回戦で涙を飲みます。

翌年のアジア選手権で優勝なら「ロンドン2012で金メダルを獲ってプロ入り」という夢がつながりましたが、決勝で敗退、悔しすぎるあと一歩の銀メダルに終わってしまいます。

しかし、少年にとってロンドンの夢が断たれた悔しさと腹立たしさが、どれほどの良薬になったのか…今の彼を見れば誰もが納得するでしょう。



そして…。もう一人は「日本人には絶対無理』と言われた階級で、あろうことか世界の決勝まで進みます。

勝っていたように見えた試合は、まさかの判定負け。複雑な表情で銀メダルを首にかけられました。

10階級しかない中での75㎏級で、2年に1回しかない世界選手権で、2位です。世界の2位です。 これを「日本ボクシング史上最大の偉業」と表現して、まともに反論できる人がいるでしょうか。

それなのに、この青年はイエフゲン・フイトロフの胸で揺れる金メダルを「絶対に納得できない」という目で見ていたのです。

五輪前年の世界選手権で突然現れた25歳のサムライ。

五輪のホスト・英国と、プロでミドル級が人気の米国のメディアは「日本人が金メダルへの最大の障害になるだろう」と警報を発令しました。




あれから、10年が経ちました。


ジャカルタで金メダルを獲った高校生は、来月28歳の誕生日を迎えます。

彼は、プロで3つの階級を圧倒的な形で征服し、米英の多くのメディアが「全階級を通して最強の一人」に数える評価を固めています。




バクーで銀メダルを獲った大学職員は、英米の必死の警報虚しくロンドンで金メダルを獲得。

大手広告代理店や東京キー局が、日本人にとってのミドル級がどんな意味を持つのかを知らないわけがありません。

日本中のボクシングファンの夢を背負って、世界最強の青年は当初否定していたプロ転向を果たします。

そして、プロでも超弩級のメガファイトの整理券が発行される位置まで登り詰めました。





今、悲しいことに、10年前と同じように、やはりまた日本はどうにもならない深刻で重大な危機と向き合っています。
 


私たちは弱くて脆い。


だから、巨大な敵でも恐れずに立ち向かうファイターの姿が見たくなるのです。
 

出番です!井上尚弥!
 

出番です!村田諒太!
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何年ぶりか、もはや記憶も辿れない六本木。

昔はもう少し猥雑だった気もしますが、日が暮れてもここで酒を飲みたいと激しい発作に襲われることはない、私には無縁のお上品な街です。
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なんだ?これは?どこかで見た気が…と思うとHUBLOTで見た村上隆のオブジェの本物?ではないか。

それにしても、村上隆はどこがいいのか、どれを見てもさっばりわからん。

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東京駅前よりも一回り小さなカウントダウンタイマーが、場違いな感じで立っていました。

このオメガのタイマー以外に「東京2020」が目前に迫ってることを伝えるものは、六本木でも全く見当たりません。 
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こんなのもありました。

これは、史上稀に見る大失敗イベント、横浜開国博Y150に登場した巨大クモでしょうか?

そういえば、チューリップの季節です。
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1942年、昭和16年生まれの青木勝利

日本ボクシング史上最高の強打者の資料が驚くほど少ない理由は、私の情報収集能力が貧弱であることはもちろんですが、やはりリアルタイムで観ていないことが大きくのしかかっている気がします。

テレビ画面を通した二次元でしか知らない、という点では青木勝利も井上尚弥も同じはずです。

しかし、単純に情報量の寡多だけでなく「今そこにいる、試合を見ようと思えば見に行ける」というリアルタイムかどうかの差が、井上を「現実」に青木を「歴史」に感じてしまう理由でしょう。

また、青木勝利のことを探すと「青木 勝利(あおき かつとし=1942年11月28日 〜 ?)」という、一世風靡した人物とは思えない「生死不明」の〝標識〟に突き当たってしまいます。

この〝標識〟が青木を、より悲劇的に、よりミステリアスに、よりセクシーに見せているのかもしれません。

では、ファイティング原田は?

リアルタイムでは知らなくても「歴史」と「現実」が攪拌された存在です。もし、原田が私が物心つく前に亡くなっていたら、原田も「歴史」だったでしょうか?

そうではない気がしてきました。


〝なるべくして〟の流れに為す術もなかった青木

〝なるべくして〟の流れに懸命に抗った原田。



2人が戦った共通の相手、エデル・ジョフレとの試合を見ると原田はもちろん、「黄金のバンタム」を前にして青木もどうしようもなかったわけではありません。

青木のメガトンパンチの強烈さは、ジョフレも感じていたはずです。

しかし「黄金のバンタム」( O GALO DE OURO / 1979年)や、1996年1月24日発行の「ワールド・ボクシング1月号増刊 ボクシング最強の一冊」などで、ジョフレが「バンタム級の世界戦10試合」の相手を振り返ったとき、青木を「弱かった」と一言で切り捨てています。

ジョフレを最も苦しめ、黒星をなすりつけた唯一の相手、原田については「ジョー・メデルの方が強い」「バッティングがひどかったのに、主審が注意をしなかった」「判定は微妙なものだった」「テクニックは私の方が上」と酷評しながらも「負け惜しみに聞こえるのが嫌だから、これだけははっきりさせておく。原田は強い」と認めています。

ジョフレ戦を前にした青木と原田のコメントも全く違いました。

「ジョフレに勝ったらとんでもないこと」と興奮する記者に、青木は「ジョフレに勝ったからって、どうにもならないよ」としらけた口調で答えたといいます。

一方の原田は「ジョフレに勝てると思うか?」と聞かれて、婚約者とともに来日し笑いながら握手してきた王者を思い出して「畜生!観光気分で来やがって!」と質問とは違う答えを吐き出しました。

もう一度同じ問いを繰り返された原田は「同じ体重で二つの拳で戦うのに勝てないわけがない」と闘志を剥き出しにしました。

青木の言葉は、強い決意を隠した照れ隠しだったのかもしれません。しかし、彼は引退後も「ジョフレに勝ってたとしても何も変わらなかった」と同じことを口にしています。


ジョフレは自伝のカバーや、サイン色紙などに「青木戦」の写真を好んで使っています。「弱い」と切り捨てた相手の写真にそこまで思い入れがあるものでしょうか?



私たちは「絶対不利」と決めつけられたリングに自信満々で上がるモハメド・アリや原田、パッキャオが大好きです。

アリが偉大な理由は、あんなパンチで大男が倒れるのか?というファントムパンチを放つからではありません。 

原田の戦い方に血湧き肉躍るのは、無尽蔵のスタミナで打ち続けるラッシュに魅せられるからではありません。

パッキャオを刮目して見なければならないのは、大砲の左で試合が一気に動くからではありません。 

絶対不利と決めつけられ、常人なら怯むしかないはずの大勝負。そのリングに、自分を信じて嬉々として上がることが出来るからです。

そして、そこまで自分を信じることなど私たちには出来ません。大袈裟ではなく、あれは本当に超能力としか思えません。

超能力者は間違いなく、確かに実在するのです。



そして、私たちと同じように、青木勝利もまた、自分を信じることが出来なかったのです。

青木は超能力など持ち合わせない、生身の1人の人間でした。
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プロアスリートが引退後に破産したり、犯罪に手を染めてしまうことは、よく見聞きします。

周囲からチヤホヤされて、同年代のサラリーマンとは比較にならない高額の報酬を手にした現役時代から、引退後にスポットライトが暗転することに耐えられなくて崩れ落ちてしまうのかもしれません。

また、現役時代に有名を馳せたスターの没落はメディアや一般市民にとって見上げるしかなかった羨望や嫉妬が、上から見下ろす憐憫や嘲笑に変換する愉悦のニュースです。

極めて若い年齢から、地に足をつけた地道な生活とはかけ離れていたプロアスリートにとって、引退は夢から醒めるようなものでしょう。

ボクシングの世界でも「ミドル級の呪い」や「マイク・タイソンの天国から地獄」「トレバー・バービックの最期」「エドウィン・バレロの狂気と破滅」…スターへの成長が期待された才能や、頂点から転落した王者は数知れません。

そして、引退後に身を滅ぼす選手の多くが、現役時代からその兆候を発芽させていたケースも珍しくありません。

そんな〝堕ちた英雄〟には2つのタイプがあるように見えて来ます。

一つは、人生をやり直したら同じ過ちは繰り返さないタイプ。もう一つは、もはやそんな問題ではないタイプと。

モハメド・アリやマニー・パッキャオは、何度生まれ変わってもアリやパッキャオのままでしょう。

しかし、自分を信じる才能が超能力レベルで備わっている彼らは〝堕ちた英雄〟にはなりえません
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今夜から始まる〝堕ちた英雄〟は、自分も世界も信用することが出来なかった悲しい人間の物語です。

彼らは、多くの人が思ってるように、心が弱かっただけなのか。血と生い立ちと環境が、彼らを脆弱な人間たらしめたのか。

アリやパッキャオが偉大なことは誰にでもわかります。なにしろ、彼らは超能力者ですから。

しかし、アリやパッキャオに共鳴できる人はいないでしょう。

私たちが 、私たちに近い存在として同調できるのは、自分を信じきれなかった〝堕ちた英雄〟です。

当たり前ですが、リアルタイムで観てきた光景は、独断と偏見とはいえ断定的に語ることができます。

具志堅用高の躍動や渡辺二郎の冷徹、辰吉丈一郎の絶頂、畑山隆則の情熱。

しかし、私にとってファイティング原田の偉大さや、大場政夫の激情、輪島功一のカリスマはビデオや活字から学習した体温を持たない歴史です。

どうしても語ったり、書くことに、前のめりになることはできません。

それでも、気になって仕方がない「歴史」もあります。体温を持たないはずなのに、なぜだかやけに熱く感じたり、その逆に冷たく感じたり…。
 
スクリーンショット 2021-03-09 1.08.57

https://www.youtube.com/watch?v=mdgdZBWzUkU


生涯66戦48勝25KO14敗4分。 

ついに世界に飛び立てなかった「日本ボクシング史上最高の才能」 。1942年11月28日生まれの元東洋バンタム級チャンピオンは、78歳になっているはずです。

生きていれば…。
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