カテゴリ: リング誌から

1950年代。

オリジナル8の時代です。

4団体17階級時代の現在、年に何度も組まれる世界タイトルマッチは日本人が勝利する予想、期待が当たり前のケースがほとんどです。

しかし、50年代は世界タイトルに挑戦すること自体が困難でした。

さらに、安易に複数階級を渡り歩く現代とは違い、強豪王者が一つの階級に君臨することがデフォルトの時代です。

タイトル返上はもちろん、計量オーバーで秤の上でタイトルを失う、そんなことなど考えられなかった時代です。

この時代のトップファイターをリング誌90周年特集号のディケイドPFPから振り返ります。

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ロッキー・マルシアノが4位というのが、まさしくこれぞ後世の評価。

1位からシュガー・レイ・ロビンソン、アーチー・ムーア、キッド・ギャビラン、マルシアノ、パスカル・ペレス、サンディ・サドラー、ジーン・フルマー、カーメン・バシリオ、ジョー・ブラウン、ハロルド・ジョンソン。

ロビンソンは日本でも具志堅用高が教科書にするなど〝業界〟では有名な存在でしたが、一般のスポーツファンを熱狂させるには至っていなかったはずです。

衛星放送でのスポーツ観戦を切り開いたモハメド・アリの時代の前夜だったというよりも、日本人が世界のプロボクシングの構造や世界ヘビー級チャンピオンの偉大さを理解しきっていなかったのかもしれません。

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一方で、日本以上に米国との関係が密接なフィリピンではロッキー・マルシアノを招いて交流を深めるなど、ボクシング熱のマグマはこの時代から煮えたぎっていました。

日本でも業界内では、東洋フェザー級王者の金子繁治がマルシアノのスタイルを映画ニュースなどで繰り返し見ながら勉強していたようです。

この時代は「地球上に8人しかいない世界チャンピオン」に白井義男が駆け上がったことで、ボクシングファンが生まれ、プロボクサー志望者が溢れたことが容易に想像できます。

観戦スポーツが大相撲と六大学野球しかなかった時代に、白井が後楽園スタジアムでアメリカ人世界王者ダド・マリノから世界フライ級タイトルを奪った大事件は、どれほどの衝撃だったことか。

そして、その白井からタイトルを奪ったパスカル・ペレスの評価の、今なおなんと高いことか。ペレスの名前は、当時も多くのスポーツファンの記憶に焼き付いていたはずです。

1950年代のロッキー・マルシアノは日本でも一定の知名度はあったと思われますが、もしかしたらペレスの方が有名だったかもしれません。
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日本がアメリカのリングで大人気を博すスーパースターを最初に知覚したのは、誰(いつ)だったのでしょうか。

野球のベーブ・ルースやボクシングのジャック・デンプシーら1920年代、大正時代のスーパースターが熱心なファンの間に〝察知〟されていたことはわかっています。

しかし、多くのスポーツファンがアメリカのボクシングを、知覚したのは白井義男が世界王者になった1952年以降のことでしょう。

1952年から2023年までの70年余り。

日本が知覚したスーパースターたちと、その熱度を測ってゆきます。
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昨年いっぱいで廃刊に追い込まれたリング誌ですが、間歇的にプリントバージョンを意識したデジタルマガジンを発行しています。

2023年11月号は「ハグラーvsデュラン40周年記念特集〝号〟」。

FIGHTER OF THE MONTH(月間最高選手)は、おそらく史上初のFIGHTER(S) OF THE MONTH(二人=兄弟同時)!そうです優大、銀次朗の重岡兄弟です!

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「ハグラーvsデュラン」このメガファイトが行われたのは1983年11月10日、日本時間では11月11日、ちょうど40年前の今日でした。

当時の米国リングの一大テーマは「誰がハグラーを倒すのか?」。そして「JUDGMENT DAY(審判の日)」と銘打たれたこの試合は、シュガー・レイ・レナードに始まりシュガー・レイ・レナードで終わる、Four Kingsの総当たりのワンピースでした。

まだ、メキシコの時代が訪れる前、リングの主役がAfricana American、黒人だった頃のお話です。

Four Kingsの総当たり戦(1987年4月6日まで)を全ておさらいしてみます。


◾️1980年6月20日「デュランvsレナード①」

◾️1980年11月25日「レナードvsデュラン②」

◾️1981年9月16日「レナードvsトーマス・ハーンズ」

◾️1983年11月10日「ハグラーvsデュラン」

◾️1984年6月15日「ハーンズvsデュラン」

◾️1985年4月15日「ハグラーvsハーンズ」

◾️1987年4月6日「レナードvsハグラー」


レナードvsデュラン①はカナダ・モントリーオールのオリンピック記念スタジアム、②はルイジアナ州ニューオーリンズのスーパードーム。その他の試合は全てネバダ州ラスベガスのシーザースパレス屋外特設リング。

モハメド・アリはスーパードーム(NFLニューオーリンズ・セインツのホームスタジアム)やアストロドーム(MLBヒューストン・アストロズの元ホーム)、ヤンキースタジアムでも戦いましたが、レナードvsデュラン②を最後にボクシングは巨大スタジアムから離れてしまい、メガファイトの舞台は莫大な招致料を支払うラスベガスに傾倒してゆきます。

Four Kingsによるラウンドロビンから読み取れるのは、メガファイトが招致ビジネスとして確立されたことに加えて、その開催時期も特徴的です。

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Four Kingsによるラウンドロビンでは、メキシコ時代の幕開けがまだまだ先だった80年代、シンコ・デ・マヨ(5月5日の戦勝記念)週間や、独立記念日(9月27日)週間に開催されたメガファイトは一度もないのです。

ボクシング市場を支える人種がまだメキシカンに移行していなかった、米国ボクシングの断末魔、それが80年代だったのです。

カネロ・アルバレスは当然としても、メキシコ人でもなんでもないフロイド・メイウェザーやマニー・パッキャオらまでがシンコ・デ・マヨや独立記念日週間の土曜日にメガファイトを行うようになるのは21世紀になってからのことでした。
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2016年にモハメド・アリが天国に旅立ったとき、リング誌は特別増刊号を発行。

通常号には1年間喪に服すかのようにアリのポスターを中綴じ、その年の11月号では「THE GREATEST LIVING FIGHTERS〜WITH ALI's PASSING,WHO's THE BEST?」(アリ亡き今、存命の最高ファイターは誰だ?)を特集しました。

アリの死はCNNが大きな特集番組をいくつも流した後も、48時間ぶっ通しで追いかけるなど、誰がどう見ても〝国葬〟。

私はモハメド・アリをリアルタイムで見ていない、初めて見たのはレオン・スピンクスとの第1戦、あれでアリの偉大さを知れと言う方が無理な試合でした。

私は当時まだ小学生。どんだけすごいのか楽しみにしてたのに「アリなんて全然大したことない」というのが第一印象でした。

そこが〝最底辺〟。今の今に至るまで、アリの情報を知るたびに私の中のアリは天井知らずのGreatになってゆくのでした。

さて、すでにこのブログでも紹介済みでしょうが、THE GREATEST LIVING FIGHTERS TOP10。

2016年から2023年現在までの7年で10人のうち、3人が天国に旅立ってしまいました。



10位は世界ヘビー級王者、ラリーホームズ。ヘビー級タイトルを丸7年、20連続防衛したグレートです。

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アリのスパーリングパートナーからの大出世、それゆえに「アリのコピー」と揶揄され、そしてロッキー・マルシアノの世界王者の無敗記録「48」に迫る大記録を目前にしながら、史上初めてヘビー級王者がライトヘビー級王者(マイケル・スピンクス)に敗れるという屈辱にまみれてしまいます。

「世界ヘビー級王者はヘビー級のコンテンダー以外に負けてはいけない」。その義務を果たせなかったのでした。



9位は、私のアイドル、マニー・パッキャオ。史上最多の8階級制覇を、驚くべき番狂せを交えながら成し遂げたアジアの大砲。

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ライト(軽量)級未満のクラスにほとんど関心が払われることがない欧米で、フライ級王者からジュニアミドル級王者までノシ上がったパックマン。

予定調和のボクシング界でテレビ局とプロモーターが大切に書いた台本を破りまくった、歴史上最も空気が読めないファイターでした。



8位はジェイク・ラモッタ。1922年にイタリア人の父とユダヤ人の母のあいだに生まれる…Prize -Fighter (拳闘職人)になるしかない環境で、その通りの道を突っ走ったレイジング・ブルです。

シュガー・レイ・ロビンソンとの激闘を知るボクシングファンが、いまどれだけいるでしょうか?

それを知らない私たちにとって、ラモッタとは「レイジング・ブル」。傑作揃いのボクシング映画の中でも最高評価を集める名作です。

2017年9月19日、フロリダ州マイアミの病院で肺炎の合併症により死去。95歳。



7位はフロイド・メイウェザー。1996年アトランタ五輪フェザー級で銅メダル。米国ボクシングの凋落が色濃くなった時代で、フェザー級銅メダルをプロデビューの対価に換金すると、わずか2500ドルという現実に打ちのめされます。

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「俺はレナードの後継者だ」というプリティーボーイの声は虚しく響くだけ。専門家評価だけが高く、20年前のレナードには注目も報酬も遠く及ばない日々が続きます。

ボブ・アラムと喧嘩別れ、マネーとしてリング外で下劣な言動を繰り返しボクシングファンから嫌われることで注目を集め、試合内容はさっぱり面白く無くなったのも関わらず、「メイが負けるところを見たい」という興味を引き出しました。

「セルフプロデュースの天才」(フォーブス誌)とは、つまりマネーは彼の仮面に過ぎないということです。



6位はフリオ・セサール・チャベス

メキシコの時代のフロントランナーにして、今なお最も評価が高い伝説。

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「メキシカンスタイル?そんなものはない。チャベス・スタイルをそう呼ぶなら、そうだ」。

顎と両拳が鋼鉄製のアステカ戦士は、どんな強敵相手にも真っ向勝負。プエルトリコのエドウィン・ロサリオとヘクター・カマチョに圧勝し、グレグ・ホーゲンも公開処刑。

そして、メルドリック・テイラーとの「残り2秒のストップ勝利」。

カネロ・アルバレスが何階級制覇しようが、Undisputed championになろうが、JCスーパースターを超えることは出来ないでしょう。



5位はマーベラス・マービン・ハグラー

認定団体の確執が今以上に深かった時代のミドル級Undisputed Champion。

ヘビー級が輝きを失った1980年代、ハグラーこそが強さの象徴でした。

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スポーツ・イラストレイテッド誌にならってNumber誌が創刊、米国のボクシングシーンが積極的に紹介された時代、日本でも多くのボクシングファンがハグラーを中心とするミドル級ウォーズの絢爛豪華を仰ぎ見たものでした。

2021年3月13日、66歳で逝去。ハグラーがもうこの世にいないなんて、今でも信じられません。



4位はイベンダー・ホリフィールド

クルーザー級とヘビー級の最難関の2階級で、いずれもUndisputed Champion。

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自分よりも大きく重いヘビー級の強豪に立ち向かう姿は、日本のボクシングファンにも大きな感動を呼び、WOWOWエキサイトマッチ全盛期の〝顔〟でした。

ロスアンゼルス1984ライトヘビー(178ポンド)級の銅メダリスト、リオデジャネイロ2016で聖火リレー、米国ボクシング界に愛された最後の五輪メダリストでした。




3位はパーネル・ウイテカ

ロスアンゼルス1984ライト級の金メダリスト。

軽量級ゆえに、そして玄人受けするテクニシャンというメインストリームになりにくい才能でしたが、こうしたケースで登場するのが素人ファンを惑わす〝弱者の言い訳〟PFP。

フリオ・セサール・チャベスとの「史上初のPFP1位vs2位対決」は完勝に見えましたが、まさかのマジョリティードローに。

このとき、世界中のボクシングファンは「米国ボクシングは黒人の時代が終わり、メキシコの時代がすでに始まっている」という事実をあらためて思い知らされるのでした。

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リングの中ではどんな強打者も空転させたスイートピーでしたが…。2019年7月14日、バージニア州バージニアビーチの交差点で自動車にはねられて亡くなってしまいます。55歳。



位はロベルト・デュラン

他のメディアで同じランキングを作成すると、その多くでトップに立つであろう石の拳です。

ライト級のUndisputed championから、フロッグジャンプでウエルター級のシュガー・レイ・レナードに挑戦したとき、誰もが惨敗を予想しましたが…。

Four Kingsの総当たり戦で勝利したのは、このレナード戦だけでしたが、あのハグラーがクロスレンジでの打撃戦を嫌い、ハーンズに対してはこれ以上ない負けっぷり。

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そして、32歳で24歳のWBAジュニアミドル級王者デイビー・ムーアを破壊、37歳でハーンズのジョーカーだったアイラン・バークレーを競り落としてWBCミドル級王者に。

ボクシングファンがデュランを嫌いになるのは不可能でした。



1位は…こうなるともうシュガー・レイ・レナードしか残ってません。

「ボクシング=ヘビー級」という絶対不変の等式を崩して、ウエルター級に栄華をもたらした張本人。米国ボクシング界最後の輝き、Four Kingsのラウンドロビンを最後に制したスーパースター。

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その偉業は、実質5年のブランクからいきなりのリング復帰でハグラーをSDで下した1987年4月6日の大番狂せまで。

最後の試合は、それから10年後の1997年3月1日のヘクター・カマチョ戦(5ラウンドTKO負け)。

この10年間の5試合はいずれもメガファイトだったとはいえ、一つ残らず余計なものでした。

それでも「ファイターのレガシーに引き算」はありません。THE GREATEST LIVING FIGHTERSはレナード、納得です。





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この特集に大多数のファンは賛同しましたが、露骨に拒否反応を示したのがマイク・タイソンの信者たち。

今も昔も「こんなランキングはおかしい!タイソンは強い相手に弱かったんじゃない。全盛期のタイソンなら強い相手にも勝っていた!リング誌は間違ってる!」という屁理屈を捏ねくり回し、騒ぎ出すのが彼らですが、この手のランキングは十人十色の妄想です。

つまり「俺はタイソンが最強だと思うから、俺の中ではタイソンが1位。リング誌や専門家が何を言おうがどうでもええわ」という姿勢が、まさに正しいのです。

しかし、信者という奴らの脳みそではそれが出来ないんですよねぇ…。
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ボクシング・マガジン2018年10月号は、WBSSに挑む井上尚弥が表紙。

対戦相手はファン・カルロス・パヤノ。

PFPファイターのアンセルモ・モレノを大番狂せで下した大金星で名前を挙げたものの、当時のモレノは「鈍重で別人のようだった」(リング誌)。

モレノを下してもPFPに入るわけもなく、評価は平行線。「全盛期のPFPファイター(井上)を倒せば大きなものが手に入る」と勇躍、日本に乗り込んできましたが…。

そのリング誌、2018年も経営難、月刊体制が維持できずに2、6、10月号は欠号で年9回発行の変則季刊誌になっていました。

ということで、ここで紹介するのはリング誌2018年11月号のPFP。

①ゲンナジー・ゴロフキン
②ワシル・ロマチェンコ
③テレンス・クロフォード
④オレクサンデル・ウシク
⑤マイキー・ガルシア
⑥井上尚弥
⑦シーサケット・ソールンビサイ
⑧エロール・スペンスJr.
⑨ドニー・ニエテス
⑩レオ・サンタクルス


フェザー級以下から井上、シーサケット、ニエテス、サンタクルスの四人が、ライト(軽量)級のマイキーを入れると半数が軽量級。

このランキングでもPFPの「軽量級偏重」の性格、特徴が如実に現れています。

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そして、リング誌のFighter Of The Month(月間最高選手)は伊藤雅雪。番狂せでプエルトリコのクリストファー・ディアスを破った勝利が評価されました。

「伊藤を初めて見たなら、すぐにエリートアマのはずだと世界選手権や五輪での成績を探すだろうが、それは無駄な努力だ。なぜなら、伊藤はアマチュア経験が1試合もないから」。

その伊藤も今や、アジアを拠点にユニークな活動を展開するプロモーター。

5年、ひと昔です。
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今週は月曜日に開催されたIOC総会で、ロス五輪のボクシング採用がサスペンデッド。五輪種目から外れると、世界中のアマチュアボクシングの熱も競技人口も一気に冷え込むでしょう。

そして、今日水曜日には、ショータイムが今年いっぱいでボクシングから完全撤退するというバッニュースが飛び込んできました。

どちらも降って湧いた話ではなく、かねてから噂されていたものです。驚くことではないとはいえ、やはり失望感は小さくありません。

2018年のHBOに続き、ショータイムも…。ボクシング放送のリーディングカンパニーだったHBOが匙を投げたのに、ショータイムはそのあと5年間もよく踏ん張ったといえます。

これで、米国では定期番組を待つ2大プラットフォームがボクシングから完全に手を引いたことになりました。



Monday 10, March 1986
Caesars Palace, Outdoor Arena, Las Vegas, Nevada, USA
commission:Nevada Athletic Commission
promoter:Bob Arum/inspector:Harold Buck
 media:USA Showtime

1986年3月10日。ラスベガス、シーザースパレス屋外特設リング。ショータイムはこの日から37年間、世界のボクシングを提供し続けてくれました。

私が初めてショータイムを知ったのは、まさにこのプレミアムケーブルが鳴物入りでボクシング産業に参入してきた1986年のことでした。

まだ、世界のボクシングに興味を持ち始めて5年やそこらでしたが、アメリカのボクシングの世界がとにかく面白くて、学校図書館でスポーツイラストレイテッド誌やリング誌を貪り読んでいた時期でした。

HBOがボクシング番組をスタートした1973年(ジョージ・フォアマンvsジョー・フレイジャー)は知る由もない私にとって、〝誕生〟を知っているショータイムへの思い入れは特別でしたが…。

…あれから37年ですか。

…そして、この5年間で、日米ボクシング界に何が起きたかを振り返ると…。

米国でHBOとショータイム、そして日本でも地上波テレビが事実上のボクシング番組からの撤退。リング誌とボクシング・マガジンの廃刊。

メディアがテレビや紙媒体からネットに取って代わられるのは時代の流れ、ボクシングに限ったことではないのですが、ボクシングのケースは五輪競技から外れる可能性もあり、競技そのものが崖っぷちに立たされています。

そんなの今に限ったことじゃない、と言われるかもしれません。

確かに、ショータイムがボクシングに参戦した1986年当時も「ボクシングは衰退産業」と言われ、リング誌も経営不振に喘いでいました。

それでも、ウエルター級とミドル級を舞台に4KINGSたちが繰り広げたラウンドロビンは、日本の一般紙でも大きく取り上げられ、華やかで荘厳ですらありました。

しかし、1989年にリング誌は経営が行き詰まり、休刊。このとき、当時のレートで2億円でも買い手がつかなかったという、ボクマガの記事に「ボクシングもリング誌もこんなに面白いのに、米国ではダメなのか」と落胆したのを思い出します。

スポイラ誌でもボクシングに割くページはどんどん少なくなり、米国での窮状が生々しく伝わってきました。

私が夢中になった4KINGSの戦いは、米国ではクローズドサーキットでしか観ることができず、トップシーンの華やかさとは裏腹に、どんどんマニア化、ファン人口の先細りが進行していたのでした。

HBOとショータイムも、ボクシング番組を持っていたとはいえ、年間予算で賄えないメガファイトはクローズドサーキット、PPVでカバーしてきました。

トップスターの試合は気軽に観れないという、まともなスポーツでは本末転倒なことがボクシング界では、もう長い間、当たり前にまかり通り続けているのです。

日本ではネット配信がトップ選手のファイトマネーを支えるようになっていますが、その収支は間違いなく赤字。プロボクシングの興行は宣伝広告の一つの手段になっていますが、こんなことがいつまでも続くわけがありません。

「PPVの時代は終わった。手頃なサブスクでボクシングのメガファイトが見れる」とブチ上げたDAZNはその舌の根も乾かないうちにPPVに着手、定期視聴料も大幅に値上げしました。

日本でもアマプラやレミノなどが同じような道を辿るのは目に見えています。

その日が来たとき、再びテレビに戻ることが出来るでしょうか?

そして、もし。ボクシングがLA28で五輪種目から外されてしまうと、もう2度と五輪の舞台に戻れないかもしれません。
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紙媒体から振り返るプロボクシング。

昨年、極度の販売不振から相次いで廃刊に追い込まれたリング誌とボクシング・マガジンへの鎮魂歌シリーズです。

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10月9日、スポーツの日にお届けするのは、今から四半世紀前のボクシング・マガジン1998年10月号から。

表紙は「辰吉 不完全燃焼のV2〜アヤラに6界負傷判定勝ち」。「坂本、2度目の挑戦も実らず〜バサンに3−0の判定負け」「畑山隆則、悲願の王座奪取」。

辰吉、畑山に加えて、WBAジュニアバンタム級で飯田覚士もタイトルホルダーでした。

強い相手との対決が避けられないアマチュアボクシングで戦っていた井上尚弥は「弱い相手を選んで世界王者になる、それがテレビで流れちゃうって時代、当時(2010年前後)のプロボクシングが嫌いだった」と公言しています。

そんな井上がプロ入りの際に大きなモチベーションとしたのは「辰吉丈一郎さんだったり、畑山隆則さんだったり、あの沸かした時代を取り戻したいのがあったんですよ」ということでした。

25年前の日本のリングは、井上の言う「あの沸かした時代」のまさに真っ只中でした。

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WBCバンタム級王者・辰吉が煮え切らない負傷判定で勝利したポーリー・アヤラは、翌1999年にWBA王者のジョニー・タピアに挑戦、番狂せで世界タイトルを獲得しました。この試合はリング誌のFighter Of The Yearに選出されています。

バンタム級のタイトルを獲っただけでFighter Of The Year、考えられないかもしれませんが、当時無敗のジョニー・タピアは軽量級を超えた人気者だったのです。

ちなみに、最も権威があるBWAAのFighter Of The Year(Sugar Ray Robinson Award)1998は、イベンダー・ホリフィールドとの2連戦(ドロー・判定勝ち)を勝ち越したレノックス・ルイス。

Fighter Of The Yearを獲った選手に勝利した日本人は辰吉と、井上(ノニト・ドネア=Sugar Ray Robinson Award2012)の2人だけ。

そもそもジュニアフェザー級以下でFighter Of The Yearに選ばれたのはバンタム級のカルロス・サラテ(1977年:リング誌)、ジュニアフライ級のマイケル・カルバハル(1993年:リング誌)、バンタム級のアヤラ(1999年:リング誌)、ジュニアフェザー級のドネア(2012年:BWAA)の4人だけ。

そして、いまだにリング誌とBWAAの同時受賞は誰も成し遂げていません。フェザー級まで見渡してもカール・フランプトン(2016年)の1人だけ。

実質破綻状態のリング誌のアワードがいつまで継続できるかわかりませんが、日本人が同時受賞、何より最も重いSugar Ray Robinson Awardを手にする日はやって来るのでしょうか?

25年前、1998年のリング誌BEST FIGHTER POLL(年間PFP)は、①ロイ・ジョーンズJr.、②オスカー・デラホーヤ、③フェリックス・トリニダード、④シェーン・モズリー、⑤イベンダー・ホリフィールド、⑥マーク・ジョンソン、⑦ナジーム・ハメド、⑧リカルド・ロペス、⑨フロイド・メイウェザーJr.、⑩パーネル・ウイテカー。

PFPの特徴である「全ての階級を平等に」に沿って、この年も軽量級ファイターがしっかり評価されています。
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ニューヨークで活動する、この25歳のミドル級ボクサーのことを知っている人は数少ないだろう。

昨年プロデビューして、今週末(10月10日)にキャリア3試合目のリングに上がる4回戦ボクサーを知っている方がおかしな話だ。

ところが、彼は〝有名〟なのである。

彼の名前はFamous Willson。あだ名でもなんでもなく、Famousは父親が付けた彼のれっきとした戸籍上のファーストネーム。

「小さい頃はよくからかわれたから、この名前が嫌だった。でも、中学生になったらお気に入りになった。名前のように有名になってやると思えるようになたんだ」。

週末の試合はニューヨークのソニーホールで行われる。

なかなか試合が組めずにいたウィルソンにとって1年ぶりのリング。

「このままずっと試合ができないんじゃないか、そう思うこともあったけど、どんな時でも強くなければならない。逆境に立ち向かうのがスポーツだ」。


2019年ニューヨーク・ゴールデングローブ賞チャンピオンになったウィルソンは、アマチュアで約55試合を戦った後、パンデミックの最中にプロ転向を決断した。

12 歳でボクシングを始めた彼は、バスケットボールやフットボールなどの他のスポーツを優先して、最初の最初の公式戦は16 歳になったとき。 

ニューヨーク州バビロンにあるバビロン・ボクシングのケニヤッタ・ハリスの指導を受けているウィルソンは、ジム仲間のホープ、ドンテ・レインとはバチバチのスパーリングを繰り広げている。

レインの他にも有望な若手がジムには溢れている。ニューヨークでは、ミドル級の練習相手に困ることはない。

しかし、ウィルソンには絶対に忘れられない練習相手が1人いる。正確には「いる」ではなく「いた」だ。


2019年にリング禍で亡くなったジュニアミドル級のパトリック・デイだ。

2人は白熱したスパーリングを繰り返し、技術を磨いてきた。ウィルソンにとって、デイは練習相手というだけでなくリングの中でも外でも頼りになる相談相手だった。

「激しいスパーリングで友情が揺らぎそうになることもあったけど(笑い)、彼は本当にいい男で、だから私はパトリック・デイを心から愛しているんだ」。

〝有名な〟ウィルソンはニューヨークのボクシング界で名声を少しずつ積み上げるはずだ。

「世界チャンピオンになって大金を稼ぎたい。私の実力を疑っている人全員に私がここにいるぞと、見せたいんだ」とウィルソンは将来の夢を語っています。



村田諒太のスパーリングパートナーでもあったデイ。村田も「ナイスガイ」と何度も語っていましたが、きっと誰からも愛されていたのでしょう…いや、過去形で語るのは間違っていますね。
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Fighter of the Year Prediction


海の向こうでは大谷翔平の本塁打王と、直近3年で2度目のMVPが確実視されています。日本スポーツシーンに刻まれる、もしかしたら史上最高の偉業です。

さて、ボクシング界のMVPといえば…そうです、Fighter of the Year です。

本日、ジャーメル・チャーロが予想を裏切ることなく、カネロに完敗。Fighter of the Yearレースから振り落とされたところで、改めてFighter of the Year -Winnerを予想。

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◎(本命)テレンス・クロフォード

➕:ジュニアウェルター級に続いてウエルター級でもUndisputed Championに。ウエルター級の完全統一と、完全統一王座の2階級制覇は、1990年代半ばからの四半世紀にわたる4団体時代で初めての偉業。

➖:今年、1試合しか戦っていないこと。年内にエロール・スペンスJr.と再戦して鮮やかに返り討ちにしたとしても、評価の大きな上積みは期待できない。敗北はもちろん、拙戦をしてしまうとFighter of the Yearの大本命の座が揺らぐ可能性も。



⚫️(脱落)ジャーメル・チャーロ。
→本日(10月1日)脱落

➕:今週末にカネロ・アルバレスとのメガファイトに勝利すると、クロフォードに次ぐ2階級でのUndisputed Championに。米国史上最大の商品価値持つカネロに勝つ意味は計り知れません。
→結果は善戦・健闘とは程遠い内容で完敗。

➖:クロフォードと同じ今年1試合しか戦っていないこと。2012年にノニト・ドネアが最も権威があるFighter of the YearであるSugar Ray Robinson Awardを受賞したとき「年間4試合の世界戦に全勝」も受賞理由の一つに挙げられました。

戦うチャンピオンが評価されるのは当然です。



◯(対抗)井上尚弥

➕:交渉が順調に進んでいると言われるマーロン・タパレスとのジュニアフェザー級タイトル完全統一戦が実現すると、昨年12月のバンタム級に続き2階級でUndisputed Championに。

ライバルが年間1試合で終わりそうな気配の中、2試合を戦い122ポンドのタイトル・コレクションのコンプリートがほぼ確実。

➖:世界的なインパクトという点で大きく劣る「日本で行った」「超軽量級の2試合」がどこまで評価されるのか?階級に貴賎がないとするなら、井上のFighter of the Yearはほぼ確実なのだが…。



△(短穴)寺地拳四朗。

➕:BoxRecのPFPで13位まで上昇、リング誌やESPNも「PFP目前」と評価するジュニアフライ級最強王者。

昨年は井上と共にFighter of the Yearにノミネートされるなど、専門家評価は抜群だが、今年もノミネートが精一杯か。来年の階級完全統一に期待。

➖:アンソニー・オラスクアガ、ヘッキー・ブドラーという新旧強豪の撃破は印象的だが、ライバルたちが2階級でのUndisputed Championという金看板を掲げているのと比べると訴求度は弱い。



☆(大穴)張志磊

➕:チャーロ、井上と同じく「あと1試合」を年内にこなせば可能性があるのがヘビー級の張志磊。

その1試合が世界タイトルマッチになると、相手はWBC王者タイソン・フューリーか、Lineal/Ring/WBA/IBF/WBO王者オレクサンデル・ウシク。勝利前提でFighter of the Yearに激しくチャージします。

➖:非常に危険なヘビー級であることを証明した今、王者にとってはすぐに戦いたい相手ではありません。政治色が強烈な階級だけに、40歳の中国人に美味しい話は回って来ない。

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クロフォード以外の候補者は「次の試合で勝てば」という条件付きでしたが、大方の予想どおりジャーメル・チャーロがカネロ・アルバレスに完敗。Fighter of the Year戦線から脱落。

これで、対抗馬は完全統一王座の2階級制覇に王手をかけている、井上尚弥だけになりました。

Fighter of the Yearをアジアにもたらしたのはマニー・パッキャオとノニト・ドネアの2人だけ、ジュニアフェザー以下ではドネアだけという、アジア無縁のボクシング界最高賞だけに、井上が獲得すると日本初というだけでなくアジア視点でも快挙です。

12月16日に、WBO王者ジェシー・ロドリゲスと、IBF王者サニー・エドワーズというフライ級の団体統一戦が行われますが、この勝者がFighter of the Yearに選ばれることは無いとは思いますが、バム・ロドリゲスはロートル狩りしただけの昨年もノミネートされているだけに、勝者がノミネートされる可能性は大いにあります。

来年、寺地がこの勝者を印象的な形で破壊しると、色々面白くなりそうです。
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スーパーミドル級のUndisputed Championship。

王者カネロに挑戦するのは、ジュニアミドル級のUndisputed Championジャーメル・チャーロ。

「兄と歩んできたキャリアはカネロを追いかける旅だった。ついにカネロを捕まえた。カネロが強いのは分かってる。だからこそ、ずっと彼を追いかけてきたんだ」(ジャーメル)。

I can do,English.

「俺はずっとここ(スターダムの頂点)にたってきた。英語だって喋れるようになったけど、まあボクシングがとにかく上達したな」(カネロ)。

試合直前のオッズはカネロの勝利が2/9(1.22倍)、チャーロ10/3(4.33倍)。

チャーロ、落ち着いた表情です。カネロ、リング内と同じく、遅い足取りで入場。

注目の第1ラウンド、ゴング!

ジャーメル、おとなしい。初体験のメガファイトに飲まれたか。文字通り浮き足立ってる。

多くの専門家の「序盤はチャーロがポイントを取る」という予想は外れました。

WHのインプレーはカネロの1/20(1.05倍)、チャーロ8/1(9倍)。大きく広がりました。

前半6ラウンド終了。ポイントはカネロのフルマークか。インプレーは1/40と10/1に。

第7ラウンド、カネロの右フック、右アッパーでチャーロがダウン。効いてます。

1/100、14/1。カネロ勝利は1.01倍に。10ラウンド終了時でカネロに賭けても1/200。そのまんまの展開です。

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最終回は1/5000で迎えます。

チャーロは差し違える勝負を仕掛けることもできず、12ラウンドを終えてしまいました。

119−108/118−109*2。


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