フシ穴の眼 〜スポーツ疾風怒濤編〜

      Hope Lights Our Way / 希望の道を、つなごう。

カテゴリ: 国際ボクシング名誉の殿堂

井上尚弥以前に、原田超えに挑んだ5人のグレート。

大場政夫と具志堅用高、辰吉丈一郎、長谷川穂積、西岡利晃。

この中で、モダーン部門で殿堂入りを果たしたレジェンドはいません。というか、日本ボクシング史上でモダーン部門での殿堂入りはファイティング原田ただ一人だけです。

大場と具志堅はオールドタイマーで殿堂入りしましたが、モダーン部門で〝時間切れ〟した結果です。もちろん、オールドタイマーでもとんでもない偉業です。

さて、クロニクル形式でのご紹介になります。


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今日放送されたダイナミックグローブ「WBO世界フライ級王者決定戦:中谷潤人vsジーメル・マグラモ」でもオープニングに登場したのは大場政夫でした。

1949年生まれの大場が思春期を過ごした60年代は、空前のボクシングブームが日本列島を包み込み、元旦から興行が打たれ、週に10本以上のプロボクシング中継がオンエアされる時期もありました。

中学を卒業した1965年、アメ横の菓子問屋・二木商店に住み込みで就職した大場はすぐに帝拳ジムの門を叩きます。翌年11月には17歳でプロデビュー。
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大場が世界王者になったのは1970年10月22日、日大講堂。

WBAからWBCが分離独立してからまだ4年しか経っていないとはいえ、当時はすでに二団体時代です。

対戦相手は両親ともに中国人ながらタイ人というWBAフライ級王者ベルクベック・チャルバンチャイ。

このときのWBC王者はチャチャイ・チオノイでしたから、タイがフライ級2団体のピースをコンプリートしていたことになります。

〝中国人〟チャルバンチャイは母国タイで人気がなかったため、日本のリングに簡単に引っ張り込まれてしまいました。

しかも、相手は大場。

4団体時代の現代と比べて、大場の時代は2団体11階級。世界挑戦の道は今の2倍以上険しかったと想像しがちですが、現実はそれどころではありません。

まだ、承認団体が今のように腐りきっていない時代です。

日本のボクシングファンにとって身近なところでは「ミゲール・コットと亀海喜寛がWBOの世界ジュニアミドル級王者決定戦」は典型です。コットと亀海の勝者が〝世界一〟だなんてシュールにもほどがあります。

しかし、大場は「日本」「東洋」「世界」の王者をことごとく撃破して、世界初挑戦の舞台に上がったのです。

それだけなら、今でもカネロちゃんのように世界中で散見できます。ロートルの元王者を蹴散らして世界挑戦、よくある話です。

しかし、大場のケースはノンタイトルながら…なんと全て「現役」だったのです!

おそらく、当時のオッズも予想も挑戦者・大場の圧倒的有利だったでしょう。そして、その通りに13ラウンドKOでタイトルを強奪します。

それでも、二団体時代。理屈では大場も a champion の1人に過ぎませんでした。 

大場に「a」(有象無象の王者の一人)なんてくだらない冠詞は全く似合いません。

大場には「The=Only 」こそが似合います。

その理由が、王者のまま夭折したからではなく、その戦い方、その勝ち方、その振る舞い方がまさしく「The」Fighterであったからだと、偉大なフライ級をリアルタイムで知らない私でも簡単に想像することが出来ました。

彼がa championなどではないことは、その余熱のあまりの熱さからハッキリと、私にでも伝わったのです。

余熱で後世のファンを焼き焦がすボクサーなど、滅多やたらにいるわけがありません。

大場の灼熱のオーラをリアルタイムでヒリヒリ感じらことが出来た往年のボクシングファンには、もう激しく嫉妬するしかありません。

そこには、団体統一やPFPなどの「頭でっかちな取扱説明書」など一切不要の、二つの拳がただ燃えたぎるだけの熱気の渦が咆哮していたはずです。

大場にあって井上尚弥に無いもの、それはこの崖っ淵のヒリヒリ感に他なりません。

そして、その人生と同様に生き急ぐような激しいファイト、試合前のただでは済まないという嵐の予感。

さらに、自らが現役王者をことごとく粉砕した「ノンタイトル」という危険地帯に、世界王者になっても躊躇なく踏み込んでいったのも、まさに「This is 大場」でした。

彼にはきっと、怖いものなど何もなかったのです。

1970年10月22日に世界王者になってから、1973年1月2日(こんな正月に世界戦があったんですね…箱根駅伝どころじゃないです)にチャチャイ・チオノイを大激闘の末に12ラウンドKOで決着させ5度目の防衛に成功するまで、大場は10度リングに上がっています。

「10試合」ー「世界戦6試合」=「4試合」。

そうです、世界王者になってからも4試合も、大場は危険なノンタイトル戦のリングに、嬉々として上がっていたのです。

もちろん当時、世界王者がノンタイトル戦を挟むのことは、珍しくはありませんでしたが、相手はいずれも現役世界ランカーや未来の世界挑戦者だったことは特異でした。

もし、大場が当時のバンタム級王者やフェザー級王者からオファーが届いたら、二つ返事で受けていたでしょう。

なにしろ、1972年にあのモハメド・アリが来日、日本武道館でマック・フォスターのノンタイトル15回戦を戦った試合を見て「ヘビー級ならもっと迫力があると思ったのに、アリから学ぶものは何もねえな」と言い放ったのですから。
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井上尚弥は、大場が出来なかったモダーン部門での殿堂入りの可能性を秘めています。

そして、井上はきっと後輩思いの素晴らしい指導者になるでしょう。解説者席に座っても、バラエティ番組に出演しても、今と同様か、それ以上にそつなくこなすでしょう。



そんな優等生・井上と比べて、大場ときたら…。

あのバカは「もし」の世界があるなら、どんな「引退後」を送っていたでしょうか?

勝手な偏見ですが、ロクでもない辛辣なご意見番になっていた気がします。

そして、本田明彦は、あんなにのびのびと生きて、世界的なプロモーターになれなかったかもしれません。

何よりも大場政夫なら、きっとモダーン部門で殿堂入りを果たす偉大な〝続き〟を、必ず魅せてくれていたに違いありません。



「井上?なかなか良い選手だな、あれは。日本歴代3位でも良いかもな?俺と原田さんの次にしてやるよ。あ?でもこれ、辰吉にも言ってたなあ、俺。アッハハハハ!3番以下は誰でもいいよ」。

余熱ですらボクシングファンを焼き焦がしてしまうチャンピオンですから、今生きていたら、余計なことをあちこちで発言、行動して、あちこちで炎上していたかもしれません。



見たかったです。本当なら今、71歳になっている大場政夫を。 炎上しても悪びれない大場政夫を。

大場の試合を見るたびに、胸が詰まります。



それにしても…それにしても…。

あなたは、リングの上では、信じられないくらいのダイ・ハードだったじゃないですか!

なんで、あんな緩いカーブを曲がれなかったんですか、…バカ! 
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International Boxing Hall of Fame(IBHOF:国際ボクシング名誉の殿堂)のノミネートが発表されました。
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「弱い相手には滅法強いが、強い相手には滅法弱い」「悪質な犯罪歴の数々は看過できない」と「選手的にも人間的にも殿堂にふさわしくない」という辛辣な意見も受けながら殿堂入りを果たしたマイク・タイソンでしたが、同時代に本物の強さを見せ続けたフリオ・セサール・チャベスに抱かれると感動の涙を流しました。〜2011年の殿堂式典から。

もちろん注目はモダーン部門。

最後の試合が1989年から2017年以前のボクサーが対象で、今年資格が発生したのはフロイド・メイウェザー、ウラジミル・クリチコ、ミゲール・コット、アンドレ・ウォード、ジェームズ・トニーの5人。

この5人に一発殿堂の可能性があるわけです。

そして、この5人に加えて、ユーリ・アルバチャコフやホルヘ・アルセ、ポーリー・アラヤ、ナイジェル・ベン、カール・フロッチ、リッキー・ハットン、ティモシー・ブラッドリー、スベン・オットケらが繰り越しリストに名前を載せています。

昨年から最後の試合が5年前から3年前に短縮、人数も得票上位3名+得票率80%以上のボクサーが選ばれることになっています。

門戸開放な感じもしますが、厳しいです。

今年の顔ぶれを見るとメイウェザーとラウラジミルは一発殿堂確実、得票上位3名の最後の1枠をコット、ウォード、トニーの3人が争う構図でしょう。

上位3枠から漏れた2名も得票率80%をクリア、5人の一発殿堂が誕生する可能性もあります。

一方で、繰り越しから殿堂入りは、今年はさらに、特に厳しいです。

来年6月にニューヨーク州カナストータで予定されている式典は、コロナ禍で中止になった今年の式典と合同で開催されることになっています。

今年の分も合わせて、いつもの2倍、3倍、それ以上に盛り上がって欲しいものです。

そして、ファイティング原田以来の日本人がモダーン部門にら殿堂入りする日は、いつになるのでしょうか?
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アジアが産んだ史上最高の軽量級ボクサーはファイティング原田です。

これに異論がある人はいないでしょう。
1960年代の10年PFPで原田1位のジョフレと5位の原田ですが、当時、もしリング誌の月極PFPが1あったなら?
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月極でも、エデル・ジョフレが相当の期間で1位の座に君臨していたことに疑う余地はありません。

また、当時の承認団体が一つで10階級しかなかった背景から、ジョフレ戦前の原田も10傑に名前を刻んでいた可能性が十分にあります。

そして、ジョフレに連勝した原田は普通に1〜2位近辺の評価を受けて、防衛を重ねる中では確実に1位の座に就いていたはずです。

アジアの軽量級は、原田をトップに豊壌の歴史を紡いで来ました(あの男のせいで「軽量級」の但し書きを外せないのが歯痒いですが)。

ボクシングに限らず、アスリートにとって最高の名誉は殿堂入りです。

原田が「モダン部門」での一発殿堂を決めているのは当然ですが、その後は一発はもちろんモダン部門で殿堂入りした日本人は残念ながら出ていません。

具志堅用高と大場政夫は「オールドタイマー部門」でした。

3人の中で最も古い時代に活躍した原田がモダンで、後の時代に登場した大場と具志堅がオールド。

この奇妙な時空のネジレを簡単に説明すると、モダン部門は途轍もなく凄いボクサーが選ばれ、そこから漏れたボクサーを事後評価するのがオールドタイマー部門です。

さらに、モダン部門の中でも資格発生年で即選出されるのが、一発殿堂(First -ballot Hall of Famer)です。

MLBではイチローなんかは一発殿堂確実、満票もありうると言われていますね。

さて、一発殿堂ですがアジアでは原田とカオサイ・ギャラクシーの2人だけしかこの名誉に輝いていません。

一発を逃しながらもモダン部門で殿堂入りしたのが張正九と柳明佑の〝具志堅の弟分〟たち。

そして、2021年の殿堂を決める今年の投票にはポンサクレック・ウォンジョンカムが〝一発〟に挑みます。

殿堂は今年からフォーミュラが変更、資格発生が引退5年から3年に短縮されました。これで2018年引退のポンサクレックが資格を得たわけです。

下位とはいえPFP常連だった難攻不落のタイ人が、アジア3人目の一発殿堂を狙います。

こう振り返るとカオサイ、張、柳、ポンサクレックは強豪にも勝ってはいますが、長期政権も評価されたもの。

10階級にジョフレ、時代に恵まれたとはいえ原田の価値が光ります。

カオサイと張、柳の Hall of Famer 3人に、ポンサクレックらリング誌PFP経験者を加えたアジアの牙城に挑んだ日本のファイターを振り返ります。
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国際ボクシング名誉の殿堂、その記者投票が目前に迫ったこの時期に企画された「20-20 VISION – THE GREATEST FIGHTER FROM…」。

ボクシングが盛んな世界20カ国を選抜、その国から代表選手を一人だけ選ぶという無理難題な企画です。

第二弾はArgentinaに続いて、まさかのまたもやの「A」。


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ジェフ・フェネック:1964年5月28日、ニューサウスウエールズ州セントピータース生まれ。現在55歳。 

現役は1984〜1996年に渡る12年。2008年に12年の沈黙を破ってリング復帰するも、すぐに再引退。

通算戦績は29勝21KO3敗1分。

主な獲得タイトル=IBFバンタム級(1985−87)、WBCジュニアフェザー級(1987−88)、WBCフェザー級(1988−1989)。

誰に勝ったのか…ダニエル・サラゴサ、カルロス・サラテ、マルコス・ビジャサナ、サーマート・パヤカルン、マリオ・マルチネス。

 
ェネックは軽量級の歴史に残る暴風雨でした。ボクシングを始めたのは17歳と遅かったものの、その頑健な肉体には生まれついてのファイターの血が流れていました。

1984年ロス五輪にも出場した強打のオージーはプロわずか7戦目で新垣諭をKOして世界バンタム級のIBFバージョンを獲得。

その後もサーマート・パヤカルンからWBCジュニアフェザー、ビクトル・カジェハスからWBCフェザー級のタイトルをやはりKOで強奪。

なんとプロ20戦で3階級制覇を果たしました。今やワシル・ロマチェンコと田中恒成や「最短3階級制覇記録」を12まで縮めていますが、フェネックの衝撃度は後世の二人の比ではありませんでした。

そして、1991年。フェネックは26戦目にして初めて母国を出て戦うことになりました。それでも、当時のフェネックを「引きこもり」「内弁慶」と揶揄するメディアもファンも世界中に一人もいませんでした。

フェネックはひ弱さとは無縁の、逞しいにも程がある屈強なチャンピオンでした。

舞台はラスベガス、ミラージュホテル&カジノ。砂漠から吹く風を頬に感じることができる屋外特設リングは、シーザース・パレスをはじめ当時は珍しくありませんでした。

なんだ、ミラージュかとお思いのファンもいるかもしれませんが80年代末から90年代前半にかけてはシュガー・レイ・レナードvsロベルト・デュランが挙行され、フェリックス・トリニダード、パーネル・ウィテカーらが世界戦を戦った大舞台です。

そして、この日もフェネックがWBCジュニアライト級王者アズマー・ネルソンに挑むという軽量級最高の試合が組まれたのです。

この試合は単独メインではなくダブルヘッダー扱いでした。このマッチアップと互角の試合とは?

それが、ノンタイトルとはいえマイク・タイソンvsドノバン・ラドック第二戦だと聞けば納得でしょう。

戦前の予想・オッズは若くて勢いのある27歳のフェネックが、史上最短26試合目での4階級制覇に成功すると見ていました。

試合はその通りに進みます。フェネックのハイテンポの攻撃が32歳のプレフェッサーを徐々に削って行く展開。

そして、試合はまさかのドロー(フェネックから見て114−114/115−113/114−116の三者三様)。

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リング誌は「米国初上陸の軽量級のスターに対してベガスは不条理な判定を下した」と批判。しかし、判定が覆るわけもありません。

「これ以上どうしたら良かったというんだ?」。幼子を抱きかかえて涙を流すフェネック。おかしな判定の唯一の救いはネルソンでした。

「フェネックは最高のファイターだ。判定について私から何も言えないが、彼の気持ちはよくわかる。偉大なファイターよ、落ち込まないでくれ。必ず、すぐに再戦に応じる」。ガーナのプロフェッサーもまた生粋のファイター魂を持っていました。

そのネルソンにまで容赦なくブーイングを浴びせる大観衆はどんな神経をしているのか?ここはスタンディングオベーションで拍手するところだ!

なんだか、当時の憤りが蘇ってきました。

27歳のフェネックにはまだまだ素晴らしい未来が用意されているはずです…はずでした。まさか、この試合を境に、フェネックが劣化の坂道を転がり落ちるなんて、誰が想像できたでしょう。

半年後の再戦ではネルソンが約束通りにフェネックのホーム、メルボルンのラグビー場に特設されたリングに上がります。3万8000人の大観衆が詰めかけた豪州史上最大の一戦。

試合は初回と2回に一度ずつダウンを奪ったネルソンが8ラウンドに地元の英雄を仕留めます。フェネックはプロ初黒星。

その後、96年までの4年間で4試合をこなし(2勝2敗)、一度は引退したフェネックでしたが2008年にネルソンと3度目の対戦でMDの勝利をもぎ取ります。

しかし、この試合はジュニアミドル級のノンタイトル、フェネックは44歳、ネルソンは49歳になっていました。友情のエキシビションが、この試合の実態でした。



“I never boxed until 17 and a half, I was in the Olympics at 19, and I was world champion when I was 20,” Fenech said. “I never watched a boxing match life in my life. The only boxer I had ever heard of was Muhammad Ali.”

ネルソンが自信を語った印象深い言葉。「17歳を過ぎて初めてボクシングを始めた。19歳で五輪に出場した。20歳で世界王者になった。ボクシングの試合を見たことは一度もなかった。名前を知ってるボクサーもモハメド・アリだけだったんだ」。



フェフ・フェネック、大好きなボクサーです。しかし、何がきっかけでボクシングなんて始めたんでしょうか? 
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「リング誌から」のシリーズ物、現在連載中のものです。


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ボクシングは長い歴史を持つ、世界的なスポーツです。

つまり、どんな国にも大きな業績を残したボクサーが1人や2人はいるものです。
リング誌はボクシングと結びつきの強い20の国から、母国を代表する偉大なボクサーを独自に決定しました。

どの国を選ぶかには苦心しました。その国から一人しか選ばないことには心苦しくてたまりませんでした。

アルファベット順に発表してゆきます。

Argentina

カルロス・モンソン:1942年8月7日、アルゼンチン・サンタフェ生まれ。1995年1月8日没。享年52歳。
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現役は1963〜1977年に渡る14年。87勝59KO3敗9分。

主な獲得タイトル=議論する余地の無い世界ミドル級チャンピオン。在位は1970〜1977年の7年間に及びました。

誰に勝ったのか…ベニー・ブリスコ、エミール・グリフィス(2勝)、ホセ・ナポレス、ロドリゴ・バルデス(2時)、ニノ・ベンベヌチ(2勝)。
 

ンソンはリングの中でも外でも、破天荒な男でした。そして、悲劇的な最期を迎えてしまいます。

“Escopeta ”(ショットガン)と形容されたアルゼンチーナは、欠点を探すのが難しい稀有なファイターでした。

リーチ190㎝の長距離砲で、速くてとにかく強いパンチを打ち込むことが出来ました。そして、リングの中では尋常でない狡猾さも持っていたのです。

しかしその強さは、誰にでもすぐわかる種類のものではありません。多くの優れたものがそうであるように、モンソンもまた素人目にはその強さが理解できなかったのでした。

デビューから20ヶ月で3つも敗北を喫したことも、モンソンを駄馬だと決めつけてしまった理由かもしれません。

そして、多くのボクシングファンがモンソンの強さに気づき、 驚愕し、彼がグローブを吊るしたときに思い至るのです。

「モンソンはデビューから20ヶ月の間で3つも敗北したが、あれから引退まで一度も負けなかったのか …」。

そして、負けた三人にはきっちり借りを返しています。

ブラジルで何度か戦った他は、ずっとアルゼンチンに引きこもっていたモンソンは1970年、WBA/WBC完全統一ミドル級王者ニノ・ベンベヌチに挑戦すべく、敵地イタリア・ローマに乗り込みます。

ベンベヌチは完全統一タイトルを4度守り、母国イタリアでは負けを知らない強豪王者。28歳のあるゼンチーナに勝ち目はないと見られていましたが、12ラウンドKOの大番狂わせを起こします。

アルゼンチンのミドル級はモンソンからウーゴ・コーロ、ホルヘ・カストロ、セルヒオ・マルチネスがいずれも番狂わせで輩出されましたが、モンソンとセルヒオについては世間に見る目がありませんでした。

特に、モンソンについては完敗したベンベヌチが「とにかく速かった、誰だ?モンソンは遅いなんて言った奴は!? それに巧い。そして強い。モンソンは間違いなくとんでもないチャンピオンになるだろう」と断言。

再戦では3ラウンドとさらに短い時間で叩きのめされたベンベヌチは、この試合を最後に引退します。

この完全統一王座を7年間に渡って14度も防衛。今なお、モンソンこそがミドル級最強だと主張する歴史家や専門家は少なくありません。

1990年には事実上の一発殿堂。

しかし、リングの中では万能だったモンソンですが、リングの外では波乱に満ちた人生を送りました。

強くてハンサムで派手なモンソンはアルゼンチンの英雄でしたが、自らの暗黒面に堕ちてしまいます。

1988年、妻の首を絞めてバルコニーから突き落とした殺人罪で懲11年に服します。

1995年1月8日。仮出所中のモンソンは自ら運転する自動車で事故死。


“Monzon destroyed you little by little,” Angelo Dundee told The Independent. 「モンソンは真綿で締め付けるようにして相手を追い込んでゆく」。名伯楽アンジェロ・ダンディがインデペンデント紙に語った有名な言葉です。

「ナポレスならモンソンをいなせると信じて疑わなかったが、奴はナポレスには鋭いジャブから試合を組み立てて見せたんだ」。

「私の教え子が負けるときは、私の言いつけを実行できなかったからだが、ナポレスは実行したのに惨敗した。モンソンはナポレスに圧勝しただけじゃない、私も惨めに打ち負かしたんだ」。


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20の国に日本が選ばれてるかどうかはわかりませんが、おそらくJapan もあるでしょう。では誰にスポットライトが当てられるのか?白井義男なら「さすがリング誌!」ですが…きっと違いますね。

でも、今から楽しみです。
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プロボクサーにとって最も名誉なことは、PFPキングではありません。

殿堂入りです。

ボクサー部門は「オールド・タイマー」と「モダーン」の二部門が用意されています。日本人でこの最高名誉に浴したのは「オールド」の具志堅用高と、「モダーン」のファイティング原田の二人だけです。

時系列で古い原田がモダーンで、新しい具志堅がオールドというのは違和感ありまくりですが、原田は一発殿堂(資格発生即殿堂入りの最高評価)に対して、具志堅はモダーン部門で長らく候補者に入りながらも選ばれずに期限切れ、オールド部門で選出されたという経緯があります。

つまり、モダーン部門の方が評価が高く、中でも一発殿堂(First Ballot)は、最高の名誉です。昨年はエリック・モラレス、ウィンキー・ライト、ビタリ・クリチコ、三人ともにFirst Ballotで最高の栄誉に輝きました。

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さて、投票結果はどうなるやら?来年の殿堂入りボクサーの候補者が出揃い、リング誌のマイケル・ローゼンタール編集長が総覧しています。

■ドナルド・カリー(34勝25KO6敗)・・・キャリア前半は一発殿堂もありうる勢いだったが、後半は急ブレーキ。凡庸なファイターで終わってしまった。誰に勝ったのか?となるとマーロン・スターリングとミルトン・マクローリーだけ。今年も彼に投票する記者は少数派になりそうだ。

■リッキー・ハットン(45勝32KO3敗)・・・コスタヤ・ジューを倒した時のハットンは素晴らしく見えた。しかし、トータルで考えて殿堂入りは難しい。ジューは当時36歳、ハットン戦で引退した。つまり、ハットンが倒したのはベストのジューではない。では、ジューの他に誰に勝ったか?誰にも勝っていない。

○ヘナロ・エルナンデス(38勝17KO2敗)・・・闘病生活の末に亡くなったヘナロを考えるとき、彼の高尚なスポーツマンシップを思い出すとき(アズマ-・ネルソン戦で反則打を受けながらも「試合を止めるな」と主張する声がHBOのマイクが拾い世界中のボクシングファンが感動した)、どうしてもバイアスがかかってしまう。しかし、誰に勝ったかだけを考えると、どうしても殿堂入りは微妙だ。

■ジュリアン・ジャクソン(41勝37KO9敗)・・・時代を彩るビッグパンチャーだったが、誰に勝ったかというよりも、負けっぷりが印象的なボクサー。見ていて面白かったが、殿堂とは関係の薄いボクサーだ。

◎ラファエル・マルケス(41勝37KO9敗)・・・殿堂入りのマーク・ジョンソンに二度も勝ち、当時無敗のティム・オースティンにも初黒星を付けた。イスラエル・バスケスとの4戦はボクシング史上に残る名勝負。一発殿堂で不思議はない。

◎ダリウス・ミハエルゾースキー(48勝38KO2敗)・・・全盛期のロイ・ジョーンズが対戦を避けたと信じられるほどの才能の持ち主だった。ライトヘビー級王座を23度も守り、クルーザー級まで制覇。モンテル・グリフィン、グラシアノ・ロッシジャーニ、バージル・ヒルに勝利を収めた。ドイツを出て戦ったのは2度だけだが、彼の実績は殿堂入りに十分値する。

○マイケル・モーラー(54勝40KO4敗1分)・・・大した相手はいなかったもののライトヘビー級で無敵のサウスポーはヘビー級でも大きな成果を残した。ホリフィールドに勝って史上初のサウスポー王者となったが、初防衛戦で偉大なジョージ・フォアマンに逆転KO負けを喫してしまう。殿堂入りにはボーダーラインのボクサー。

■スベン・オットケ(34勝6KO無敗)・・・数字だけなら殿堂確実。キャリア序盤で隣国オーストリアで戦った他は母国ドイツに引きこもり。グレン・ジョンソンやトーマス・テート、バイロン・ミッチェル、ロビン・リードに勝っているが、ジャッジに救われた試合もいくつかあった。殿堂入りには届かない。

■メルドリック・テーラー(26勝22KO5敗)・・・フリオ・セサール・チャベスとの「あと2秒でストップ負け」した試合は、様々な影響を彼のキャリアに及ぼした。あの試合の前と後では、別のファイターだ。もし、あれがチャベスでない凡庸な王者だったなら、容易に世界王者になっていただろう。そうなれば、彼の才能なら遥かに素晴らしいキャリアを全うしたはずだが…。

■フェルナンド・バルガス(26勝22KO5敗)・・・ヨリ・ボーイ・カンパスを破って世界王者になったのは、21歳のとき。ラウル・マルケス、ウィンキー・ライト、アイク・クォーティに勝った星は評価できるが、そのあとが続かなかった。フェリックス・トリニダードとオスカー・デラホーヤに喫した惨敗でバルガスのキャリアは実質終わった。


*****ローゼンタールの見立てだと、殿堂入りはラファエル・マルケス、ミハエル・ゾウスキーは当確、三人目があるならヘナロかモーラーか、というところですね。

西岡利晃も引退から5年。殿堂入りの資格発生ですが、残念ながら候補には上がらず。誰に勝ったかでは、マルケスに勝ったとはいえ、WBCから引退勧告が出されているような状態でしたからね…。あとは、ジョニー・ゴンザレスですが、厳しいようですが論外です。
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ファイティング原田は、幸せなボクサーでした。

一つの階級に世界王者は1人しかいない時代。

その階級も原田の時代は、10階級しかなかったのです。信じられないかもしれませんが、ボクシングの世界チャンピオンは、世界に10人しかいなかったのです。今は17階級×4団体=68人というだけでなく、それぞれの団体が人気選手や、日本など金払いの良い経済力のある国の王者を優遇、もはや世界王者のベルトは最強の勲章ではなく、腐敗承認団体の不潔な目印というケースまで珍しくありません。

白井義男が陥落してから世界王者不在の“不毛の8年間”でも、毎日ゴールデンタイムでボクシング番組が放送され、2人目の世界王者を待ち焦がれていた時代。

おそらく、あの8年間は不毛などではなく、豊穣の時間だったに違いありません。そして、「過去最高数の世界王者を抱える」現在こそが、空虚で不毛の時代なのかもしれません。

よくよく考えると、パウンド・フォー・パウンドなんて概念は、世界王者が掃いて捨てるほどいる時代だから、妄想でもいいから、何でもいいから、何か確かなものが欲しいという不安の裏返しなのかもしれません。

確かなものを実感出来た原田の時代は、PFPや「階級最強は誰だ?」なんてことをメディアやファンがいたずらに議論する未来が待っているとは、おそらく思いもつかなかったはずです。というか、そんなもの、そもそも必要が無かったのです。
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具志堅用高は、「 Old Timer」部門で殿堂入りを果たしましたが、「Modern(近代)」部門ではついに“入神”できずじまいでした。具志堅は長らく近代部門のノミネート選手としてウエィティングサークルで待ち続けましたが、ついにタイムアウト。張正九や柳明佑が近代部門で殿堂入りしているのは、具志堅の実績と比較すると、残念ながら納得せざるをえません。

そして原田が「近代(Modern)」で、具志堅が「旧代(Old Timer)」なんて時系列が狂ってるようにも思えますが、それが現実です。

13度防衛は素晴らしい偉業ですが、世界的には高い評価を得ることができません。

かつて、バッシングの嵐に晒された亀田興毅は「五階級制覇したら文句ないやろ!」と開き直りましたが、全くの的外れです。もちろん、彼の責任ではありません。

今の時代、オマール・ナルバエスのように何度防衛しようが、レオ・ガメスのように階級コレクションを増やそうが、まともな評価はされません。

あの、傲慢で権威が大嫌いなフロイド・メイウェザーJr.は「俺はWBC5階級制覇だぞ!」なんて間違っても口にしませんが、「俺は殿堂確実のグレートだ」とはことあるごとに叫んでいます。

亀田興毅は「殿堂入りしたら文句ないやろ!」と叫ぶのが正解でした。

どうして、日本のボクサーは「世界的に評価されたい」と口にしても、数字ばかりを追求して、殿堂には触れないのでしょうか。

長谷川穂積も西岡利晃も、「世界的に評価されたい」という思いが本気なら、世界が今なお「He is arguably Japan's greatest fighter ever.(ファイティング原田こそ間違いなく日本史上最高のファイター)」と明言している50年前の亡霊を倒さなければならなかったのです。

井上尚弥の場合は、まだ遅くはないです。

同一階級に世界王者が何人もいる時代、長谷川も西岡も、内山高志も山中慎介も「弱い相手、劣化した相手にしか勝てない」とインターネット上で容赦ない非難に晒されました。

今週のWOWOWエキサイトマッチでは「MGMグランドガーデンはビッグマッチの定番」という意味の話題が出ましたが、「西岡さんもここでやったんですよね」というフリは封印されてしまいました。少し前まではそういうやりとりもありましたが、あまりにも反論、ある意味で正論が多く寄せられて、番組的にはタブーになってしまいました。

しかし、「MGM詐欺」という非難を西岡に向けるのは、間違っています。詐欺的行為を思いついて、実行したのは彼であるはずはありません。西岡は戦っただけです。むしろ被害者です。

長谷川の挑戦者の質は劣悪で、「バンタム4トーナメントから逃げた」というのも間違っています。長谷川が強い相手と戦いたかったことは、間違いありません。彼の渇望を歪める力学が、リングの外で働いていたのです。
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最近の井上でも「スーパーフライの強豪から尻尾を巻いて、バンタム最弱王者との対戦に逃げた」との批判も真実ではありません。

ファイティング原田が、21世紀のボクサーなら、長谷川や西岡、内山、山中と同じことしか出来なかったでしょう。

21世紀のボクサーは、彼らの流儀で、本当の世界チャンピオンを目指しています。

それは、私たち“戦わない奴ら”からは、ときに罵詈雑言を浴びるでしょうが、彼らが逃げることなく“戦っている” ことは間違いありません。

中島みゆきではありませんが、「戦う君のことを、戦わない奴らが笑うだろう」です。

亀田興毅の環境で育って「5階級制覇したら文句ないやろ」という発想にならない方がおかしいです。

長谷川のステイタスで、バンタム4なんて場末のトーナメントに参加する方が狂っています。

懸命にもがいて戦う西岡が自分の立場なら、傍目には理不尽に何度も与えられるチャンスでも、それを遠慮する選択肢はありません。

長谷川と西岡。

全く違うアプローチで「本当の世界チャンピオン」を目指し、木っ端微塵に打ち砕かれた 、2人のサムライの物語です。

エデル・ジョフレという、目に見える巨大な敵に立ち向かい、打ち勝った原田が偉大だということは、誰にだって、それこそ軽量級に疎い欧米のメディアでもわかります。

しかし、特殊な時代、特殊な国でボクシングを職業に選び、命をかけて疾走しても、辿り着けない、見えないゴールを、彼らのやり方で懸命に探し続けた、長谷川と西岡は、原田にはない悲しくも鮮やかな光彩を放っています。

そして…このプリズムは井上尚弥ら若い才能には、絶対に絶対に無縁のものでなければなりません。
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「国際ボクシング名誉の殿堂」の投票システムは、2015年から規格が変更されました。

モダーン・カテゴリーは、ラストファイトが1989年以降のボクサーに限定。一方、オールドタイマー・カテゴリーは、前期(ラストファイトが1883〜1942年)と、後期(1943〜1988年)に二分化。

最も注目されるモダーンのノミネート数は45人から30人に圧縮、投票上限は最大10名から5名になりました。モダーンを絞り込むことで、これまで評価から漏れていたボクサーにも殿堂入りのチャンスが生まれるというメリットが期待され、長らく無視され続けたナジーム・ハメドが2015年に早速殿堂入りしました。

ハメドはフェザー級ながらも米国東海岸でも爆発的な人気を博したばかりか、実質4団体を統一しましたが「旬の強豪に勝っていない」「勝てる相手を選んでいる」という批判が常につきまとっていました。特に、ファン・マヌエル・マルケスとの対戦はあからさまに回避、やはり逃げていたマルコ・アントニオ・バレラとついに戦って完敗したことも悪い印象を助長してしまいました。

私はマルケスやバレラと戦ってもチャンスはあると思っていましたが、「やったら負ける、だから逃げる」というハメドの野生の勘の正確さに驚かされました。

それでもダリウス・ミハルチェフスキやウィルフレド・バスケスSr.、ヘンリー・マスケ、ヘナロ・エルナンデスといった名選手がまだ殿堂入りしていません。

【帝拳ジムに所属し、日本のファンにも馴染み深いヘナロは、その高潔なフェアプレー精神から世界中のファンから尊敬されています。敗れたのはオスカー・デラホーヤとフロイド・メイウェザーの2敗だけ。1998年10月3日ラスベガスのヒルトンホテルで行われたWBC世界スーパーフェザー級戦でヘナロは4度目の防衛に失敗、メイウェザーに王座を明け渡しました。「スピード、テクニック、パンチ力、全ての面で過去最強だった。君は間違いなく、明日のスーパースターになる」と元王者から言葉をかけられたメイウェザーは「ものすごく自信になった」と感謝。のちに、難病に冒されたヘナロを助けるために、高額な治療代を負担するなど、二人の友情はずっと続きました。ヘナロの予言通りの道をメイウェザーは疾走することになりますが、この時の報酬はたったの13万7000ドル(1850万円)でした、まさかその1000倍以上を稼ぐことになるとは、ヘナロですら予想もできなかったでしょう。】

殿堂は、米国偏重という如何ともしがたい問題を抱えていますが、他にも「投票数の多い上位3人が選ばれる」というシステムも今後改善しなければならないでしょう。

引退から5年で殿堂入りの資格が発生しますが、例えば今年、マニー・パッキャオ、ロイ・ジョーンズJr.、マルケス、ミゲール・コットの4人が引退したとすると、(おそらく)コットが5年後に一発殿堂から漏れることになります。他の年なら文句無しで一発殿堂なのに、これでは不公平です。

また、得票率が低くても上位3人に入れば殿堂入り、というのもおかしいです。メジャーリーグの殿堂は、投票記者の75%以上の票を集めなければ殿堂入りできないルールですが、このパーセンテージでボクシングの殿堂入りも決めるべきですね。

パーセンテージで決めるデメリットは、誰一人75%に達せず「該当者なし」の年が発生してしまうことです。そうなると、その年の式典は実に寂しいものになってしまいます。しかし、殿堂の権威を守るためにもパーセンテージ制は、可及的速やかに導入すべきでしょう。

いろいろ問題点のあるボクシングの殿堂ですが、悔しいけど世界基準=米国基準なんです。相手の土俵に上がって、きっちり殿堂入りして、日本のファンをスカッとさせてくれる名選手が早く出てきてほしいものです。

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「日本のボクサーも数字ではなく殿堂を目指せ!」なんて言ってしまいましたが、本音では、米国至上主義の国際殿堂には嫌悪感もあります。

ただ、あまりにも数字にばかりに執着する日本のボクシング界はやはりおかしいと思うからです。「最短世界王者」「最短二階級制覇」「連続防衛記録」「複数階級制覇」…そんなの世界王者が乱立する今ならいくらでもやり放題です。

ワシル・ロマチェンコを語るとき、そのスピード出世は、卓越した技術という圧倒的な存在感の〝主語〟から見たら、瑣末な〝修飾語〟でしかありません。マニー・パッキャオは世界唯一の8階級制覇(日本では6階級制覇)を達成したから偉大なのではなく、強豪をことごとく打ち倒したからです。

手抜きしたラーメン屋は流行りません。いいえ、流行らせてはいけないのです。手抜きのラーメンを食べさせられて、またその店に行くなんてありえないでしょう。防衛記録やら、最短やら、ナン階級制覇やら、素っ頓狂な具材のトッピングに、いつまでも騙されてはいけません。

【「誰に勝ったか」。それ以外は評価されないと言い切っていいでしょう。5階級制覇したレオ・ガメスは、強豪でしたが、殿堂にはお呼びじゃありません。38連続防衛したサムソン・ダッチボーイジムがネタ扱いされるのはマイナー団体だったからじゃありません、誰にも勝っていないからです。この「誰に勝ったか」という最強のモノサシの恩恵を最大限に授かっているのは、間違いなくファイティング原田です。】

もちろん、今のパッキャオは手抜きのインスタントラーメンしか出しません。だから、お客さんは一気に離れました。今もパッキャオのチケットを買う人は、「昔は信じられないほど美味しかった」という郷愁からです、それだけです。ただ、パッキャオはかつて、間違いなく、世界中のボクシングファンをメロメロにしてしまうパフォーマンスを立て続けに魅せました。

その遺産が、昨日発表された「ESPN World Fame 100 」(ESPNが発表した世界で最も有名なアスリート100人)です。パッキャオは、今がプライムタイムのカネロ・アルバレス(89位)を引き離して59位(去年35位)に顔を出しています。

しかし、MMAファイターのロンダ・ラウジー(16位)とコナー・マクレガー(25位)が、カネロはもちろんパッキャオまで凌いでいるのは、ボクシングファンとしては複雑ですね…。

残念ながらボクサーはこの二人だけです。

しかし!カネロは、我らが村田諒太といつ対戦しても、もはや驚くことじゃないです。

亀海喜寛も8月のコット戦で勝てば、ジュニアミドルという階級的にもパッキャオとカネロ、どちらからオファーが来ても、これまた誰も驚かないポジションに立てるのです。もー、絶対勝たねばなりません!

日本から唯一ランクインしたのは、錦織圭の20位!さすがです、素晴らしいです。しかし、世界タイトルを一度も取ったことがない錦織が20位に入った一方で、「世界王者を12度も防衛している」山中慎介も、「天才」井上尚弥も100位に入ってないばかりか、もしこれが1000位まであってもランクインしたかどうかは怪しいでしょう。

もちろん、こんなランキングはまともに受け止めてはいけません。米国基準に著しく偏向した、超独善人気ランキングです。

1億人の日本市場を勘案したらおそらく、「亀田興毅」「稀勢の里」なんかは100位圏内に入ってもおかしくありません(もちろん、特に亀田は今回のESPN World Fame 100の〝計測期間〟〝対象条件〟から外れているでしょうが)。

英国のボクシングファンは「アンソニー・ジョシュアが100位にも入っていないなんて、さすが米国、トランプの国」「ウッズ?英国で同じランキングしたらゴルフをしない(交通事故を起こす)ゴルファーは入らない」と、早速盛り上がってます。日本もその態度じゃないとダメなんです。

国際殿堂を目指せ!そのためには何度防衛するとか(これが評価されるなら38連続防衛のサムソンは殿堂入り)、最短で世界王者になるとか(これが評価されるならウィラポンはとっくの昔に殿堂入り)、敵地で勝つ(これが評価されるならパッキャオは永遠不滅のPFP1位ですね)とか、瑣末なことは、修飾語に止めるべきなんです。

もちろん、瑣末なことを主語にすることのメリットはあります。商業的なメリットはいくらでもあります。

「対戦相手が逃げている」と妄言を吐き続けて、防衛戦を重ねていく。それをそのまま報道するメディア…これも最低です。「対戦相手が逃げてしまって」という世界王者は井上が最初じゃありません。最近では長谷川穂積ら、綿々と続く日本のお家芸です。

メジャーな相手は、普通の条件では来るわけがないのです。

フェルナンド・モンティエルですら、日本に呼ぶのは譲歩に譲歩を尽くして超難航したのです。逆を考えれば当たり前です。井上がカリド・ヤファイと戦うのに英国に行くか?行っちゃダメです。KOしないと勝てません。じゃあ、普通に呼んでヤファイが来るか?同じ理由で絶対来ません。そういうことです。

どちらかが大幅に譲歩して敵地に乗り込むか、あるいは相手が納得する法外な報酬を用意することです。普通なら、どっちもできませんが、長谷川陣営は後者を選んでビッグファイトを行いました。長谷川vsモンティエルをメインでラスベガス開催したら、悲しいほどしょぼい興行にしかなりません。血を流して、日本でやったから、あれだけ注目され、緊張感のあるビッグファイトになったのです。「昔の世界戦のようだ」と感慨に耽っていたオールドファンが多かったのには苦笑しましたが。

かつて、アブナル・マレスは長谷川の防衛戦の相手としてピックアップされましたが、条件が折り合わず流れました(当たり前です。普通の防衛相手と同じ条件でGBPの秘蔵っ子が日本に来るわけがありません)。これで「マレスは逃げた」となるわけです。

私は、井上尚弥は、間違いなく名刀だと思います。

しかし、今までこの〝推定〟名刀が斬ったのは、全盛期ですらPFPにお呼びじゃなかったオマール・ナルバエスだけです。

彼の相手で、日本人がとりわけ健闘しているように見えるのは、対戦相手が意地を見せたからだけじゃないでしょう。海外から呼んでる選手の品質が劣悪なのがその最大の理由です。

これは、最近の世界王者によく見られる傾向です。普通に考えたら、世界に出た方が苦戦するはずです。


【井上尚弥は「ジュニアフェザー」にも関心があるといいます。ロマゴン陥落のいま、軽量級で井上の射程距離にいる〝誰もが認める強い奴〟は全盛期のノニト・ドネアにボクシングのレッスンを施したキューバ人しかいません(フェザーまで上げたら別ですが)。
そして、彼は間違いなく日本に呼べます。実際に来ましたし。このマッチアップが実現したら、オッズは1−3レベルで、井上のキャリアで初めての不利でしょう。しかし、層の薄い軽量級でこのチャンスを逃したら、もうまともな相手はいません。=写真はドネアを翻弄したギレルモ・リゴンドー。「素晴らしいテクニック、しかし退屈すぎる〜ドネアがダウンを奪ったシーンでももはや両者の力量差は明らかで結果が目に見えてしまっていた〜」】

どんな名刀でも、ナマクラばっかり斬ってれば、当たり前の話、サビつきます。

井上の刃だって、まともな獲物を与えてあげないと、必ずサビつきます。

パッキャオが稀代の名刀たりえたのは、旬の時期に斬るに値するグレートを斬り倒しまくったからです。

誰に勝ったか。それが全てなのです。

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ボクサーの世界評価とは、具体的には何なのか?

よく使われるモノサシとしては、「勝った相手の肩書き」があります。

まずは、①世界王者、②元・前世界王者、③未来の世界王者、という「世界王者」に何人勝ったかという尺度です。もちろん、見苦しいまでに王者乱立した状況では現役世界王者にも、いつ陥落しても不思議ではない穴王者は存在しますし、経年劣化した時期の元名王者に勝ってもあまり意味はありません。

「未来の世界王者」にも同じことが言えるだけでなく、当時世界ランカーだったビクトル・ラバナレスは、ラファエル・マルケスを8ラウンドKOに屠りましたが、この勝利で「ラバナレス、すげぇ!」と言う人は誰一人もいません。マルケスはデビュー戦、まだグリーンボーイでした。

1966年にファイティング原田との再戦も落としてしまい、3年以上もブランクを作った末にカムバック、1973年に世界フェザー級王者となって2階級制覇したエデル・ジョフレは、原田との対戦時、「黄金のバンタム」であっただけでなく、「未来の世界フェザー級王者」でもあったのです。もし、ジョフレが原田に2連敗して引退していたら、間違いなく「黄金のバンタムが負けたのは劣化してたから」と言われたでしょう。もう、ジョフレ様々ですね。

そして、この「世界王者」に何人勝ったかという尺度の上には、「殿堂入り選手に何人勝ったか」という最上級の物差しがあります。マニー・パッキャオやフロイド・メイウェザーらスーパースターになると「世界王者に勝った数」なんて数えてられませんからね。

もちろん、この「殿堂入り選手」もキャリアの黄昏時に勝っても額面通りに評価されないのは当然です。例えば、亀海喜寛が8月26日に、一発殿堂間違いなしのミゲール・コットに勝った場合は、これに該当してしまいますね。でも、きっと、勝っちゃうから、そうなりますね!


【今年、「モダーン部門」でカナストータの国際殿堂に〝入神〟するのはイベンダー・ホリフィールドと、マルコ・アントニオ・バレラ、そして今は亡きジョニー・タピア。ホリフィールドとバレラは、文句無しの一発殿堂です。しかし、クルーザー級時代のホリフィールドは本当に強かった!ヘビー級では体格差を跳ね返す、尊敬するしかない勝負根性を見せてくれました。=写真はリング誌2017年7月号から=】

残念ながら、日本人ボクサーが、世界王者時代の殿堂入りボクサーに勝った例というのは本当に稀有で、原田と柴田国明(ビセンテ・サルディバル)、平仲明信(エドウィン・ロサリオ)、井岡弘樹(柳明佑)だけです。

また、ここでいう殿堂入りは「モダーン部門の殿堂」であり、やはり日本人は原田しかいません。具志堅用高と大場政夫が手にした「オールドタイマー」ではありません(原田よりも後輩の大場、具志堅がオールドタイマーというのも何だかなぁな話です)。

殿堂でも、やはり「あれ?」と思うボクサーも時々入っちゃってるんです。ダニエル・サラゴザや、アーツロ・ガッティの殿堂入りには、「メキシコ枠」「激闘枠」と揶揄されました。「メキシコ枠」はさておき、「激闘枠」があるなら5年後、八重樫東を忘れるなと言いたいですね。あ、まだ引退してないですよね。失礼しました。また炎の拳を見せて下さい。

今回のタピアも、まあ、壮絶な人生がドキュメンタリーなどで度々取り上げられ、米国では非常に感情移入されたボクサーというのが大きかったようにも思えてしまいます。タピアは確かに、恐ろしく魅力的なボクサーでしたが、実績的にはタピアがありならユーリ・アルバチャコフも殿堂入りにふさわしいと思うのですが…。

【ユーリはロシア人ですが、日本人にとって鬼門の敵地タイで、あのムアンチャイ・キティカセムを2度にわたって圧倒したシーンは忘れられません。「マイケル・カルバハルやウンベルト・ゴンザレス、リカルド・ロペス、マーク・ジョンソンら殿堂入り選手に勝っていたら」と言われるのは、腑に落ちないですね。彼は日本デビュー時の「ユーリ海老原」の名を素直に受け入れられず(いろんな事情がありましたが、当然だと思います)、実力で劣る日本人王者が好条件でプロテクトされた国内で世界戦ができる一方、待遇面での不満は相当あったようです。仕方がないこととはいえ、悲しくなります。】

ユーリの他にも、渡辺二郎や、ヒルベルト・ローマン(メキシカンですが日本人に馴染みがあるので)も殿堂から遠ざけられています。二郎とローマンの場合は「同時代で傑出していたカオサイ・ギャラクシー(一発殿堂)に勝っていれば」なんて言われていますが、おいおい、な話です。

殿堂のハードルは日本人には高い気がしますね。カオサイだけでなく、張正九、柳明佑が殿堂入りなら具志堅もモダーンの資格がある時に殿堂入りするはずだと思いました。原田クラスのことをやってのけないと、日本人は殿堂入りさせないのか!って感じですね。

しかし、「世界的な評価」を求めるのなら、国際殿堂に入るようなアプローチ、つまり数字ではなく、とにかく強い奴に勝つことでアピールするしかありません。

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