フシ穴の眼 〜スポーツ疾風怒濤編〜

      Hope Lights Our Way / 希望の道を、つなごう。

カテゴリ: プロボクシングが好きなのである。

2022年の幕開けです。

いきなり過去を振り返るのもなんですが、10年前の世界のボクシングシーンをリング誌から懐古郷愁してみます。

というわけで、2012年1月号を開いてみると…。「Best I’ve faced (私のキャリア最強の相手)」で登場しているのがシュガー・レイ・レナードでしたが、ちょうど今朝方書いた話と同じ内容かと思いきや違うんです。

今朝、参考にしたのは電子版のBEST I FACED: SUGAR RAY LEONARD。 そこでのSMARTESTはデュランでしたが、2012年1月号ではウィルフレド・ベニテス。

また、BEST OVERALLもハーンズではなくベニテス。一致している項目もありますが、コメントが違います。

何度も同じことを時期を変えて聞いていたようです。

電子版は、2017年8月号を反映したものでした。確かにこのコーナーは「前にも見た気がする」とデジャヴな感覚で読むことが何度かありましたが、デジャヴではなかったようです。
スクリーンショット 2021-12-31 18.02.01
聞く時期はもちろん、聞く相手によっても答えが変わるのは、これはアスリートには当たり前にあることです。現役時代に「パッキャオは大したことない」「最強はメイウェザー」と語っていたマルケスが、引退後は「最強はパッキャオ。スピードもパワーもフェイントも他の相手とは次元が違った」と〝修正〟する一方で「メイウェザー戦は準備もできずにコンディションは最低だった。しかも相手は違約金払ってまで増量してくるし」。

ドン・カリーもミルトン・マクローリーのジャブに対して、現役時代は「完全に見切ることができた」と豪語していましたが、引退後は「モーションがなくてどこから来るのかわからなかった」と〝修正〟。

話を戻して、2012年、今から10年前のボクシングシーンです。

1月号を選んだのは、ちょうど10年前というだけでなく、今は亡きThe Ring100 RANKING ISSUE、PFP100傑ともいうべき特集が毎年組まれていたからです。

あ、井岡vs福永が!!!始まります!!!!!


 
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

12月29日、村田諒太とゲンナディ・ゴロフキンのミドル級タイトルマッチが延期になってしまい、楽しみが消えちゃったからでしょうか、毎日どんよりしております。
IMG_6642
東京メトロ、混んでいます。

よくよく考えたら、今年は村田諒太と井岡一翔の大勝負が流れて、マニー・パッキャオも引退してしまいました。

リング誌の年間購読は続けるとはいえ、2021年はボクシングファンとしては微妙な一年で終わりそうです。
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

今朝がた、ここでご紹介した笹川スポーツ財団は2年ごとに幼児から青少年までを対象に、スポーツの「実施頻度」や「実施時間」「運動強度」などを調べた結果をまとめた「子ども・青少年のスポーツライフに関する調査」(隔年実施)。

「好きなスポーツ選手」で大谷翔平が前回(2019年)に続いて1位。今回は2位をトリプルスコア以上の差で引き離す圧勝劇でした。
大谷の1位、納得です。そりゃそうです。

今夏の東京2020、聖火リレーや開会式のクライマックスを見るまでもなく、日本で野球は事実上の国技です。米国では人気下落とはいえ、人気スポーツの一角に数えられています。

しかし、日本人にとってメジャーリーグは長らく「怪物ランド」でした。

箱庭球場と球足の速い人工芝、反発係数の高い圧縮バットと飛ぶボールに慣らされた日本人選手が渡米すると「投手は通用しても打者は難しい」という現実が待っていました。

日本人で最も成功した野手はイチローですが、打率はもちろん、本塁打数は激減、日本ではスラッガーと言って差し支えなかった打棒は、単打専門のアベレージヒッターで生き残りを図りました。

「イチローは象ではない、ハエだ」「ジョージ・シスラーなんて野球ファンでも知らない」。

そんな記事を読んだとき「2回も首位打者を獲った一発殿堂確実のグレートに何を言うか!」という怒りの裏側に「日本人だって象になりたい、ベーブ・ルースをやっつけたい」とも思ってました。

そして、そんな願いが叶わないこともわかってました。

日本人には豪快なことはできないのです。コロンブスやマゼランのように世界の海を巡ったり、ダイナマイトを発明したり、アイフォンを開発したりは苦手なのです。

屋形船を川に浮かべて、線香花火を楽しみながら、ウォークマンを聴くのが日本人…そんな侘び寂びを知ってるのが日本人…。

ボクシングに至っては、日本人の体格が劇的に向上したにもかかわらずフライ、バンタム、文字どおり「ハエ」の世界です。

実は、ファイティング原田の時代よりもボクサーの体格(階級)は小さくなっているという恐ろしい世界が日本の現実です。

日本に〝象〟は住んでいない。そう諦観してたところに、大谷がやってくれました。

日本は、象どころか「二刀流なんてベーブ・ルースを最後に絶滅したはずなのに」(CNNワールドスポーツ)という〝恐竜〟を送り込んだのです。

大谷翔平は凄い。

しかし、世界的には野球はクリケットよりも卓球よりもバドミントンよりもマイナーです。

その意味で、世界で最も凄いアスリートは大坂なおみしかありえません。

なんてことを言っても、やっぱり私は野球が大好きだから大坂>>>>>>>>>大谷なんです。

そして、大坂と大谷はアジア史上最高のアスリートの1位、2位でしょうが、私にとっての1位は今のところマニー・パッキャオです。

私は80年代から、高校の図書館で米国にかぶれていました。ボクシングもその一つでニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン、ラスベガスのシーザース・パレスは〝聖地〟でした。
IMG_1859
ニューヨークは2015年から遠ざかっています。当時はクリチコ帝国の時代でした。

ところが、米国のメガファイトよりも、後楽園ホールで生で見た試合の方が感動していたんです。

串木野純也や尾崎富士雄が、シュガー・レイ・レナードやトーマス・ハーンズより強い、なんて露ほども思いませんでしたが、彼らの後楽園ホールには感動がありました。

それは、多分に共感という要素を含んだ感動でしたが。

なんでこんな話を書き出したかというと、昨日のWOWOW、解説の飯田覚士の言葉が印象に残ったからです。

「こういうユーチューバーとか負けてほしいと思いますけど、私もきっとそういう目で見られていたんですよね」。

大学でボクシング部に所属していた飯田は、バラエティ番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の企画「ボクシング予備校」で渡辺二郎と渡嘉敷勝男の指導を受け、アイドルボクサーともてはやされていました。

1992年10月6日、前年の全日本ジュニアバンタム級で新人王に選ばれた飯田が後楽園ホール初登場。

会場はほぼフルハウス。「さて、お手並み拝見といきますかな」という目がリングに集まっていました。仕事を切り上げてきた私もその1人でした。

23歳の飯田は8戦全勝3KO。

対するはファントム・オザワは、日本ジュニアバンタム級王者・中島俊一に挑戦した経験も持つベテラン。直近10戦3勝6敗1分、通算11勝9KO11敗2分の27歳でした。

試合は粘るファントムを飯田が徐々に追いつめて8ラウンドでストップ。二人とも根性剥き出しのファイトでした。

「お手並み拝見」という意味では「飯田は世界を獲れない」と確信した内容でした。根性はある、技術もまだノビシロがある、しかし決定的なものが全くない。

飯田は、夢見ているであろう未来には辿り着けない。

失礼千万、自惚れも甚だしい話ですが、飯田を見ながら「俺に似ている」と思いました。

家族が出来て後楽園ホールから足は遠ざかり、年に1回世界戦を見に行くかどうか、生観戦から離れてしまいました。

レナードが躍動したシーザース・パレス、パッキャオが奇跡を紡いだMGMグランドガーデン・アリーナ、大谷翔平が列島を熱狂の渦に巻き込んだエンゼルススタジアム…そこが世界最高峰の特別な場所であることは私にだってわかります。


それでも、狭くて暗いエレベータに、落書きだらけの階段、夢の場所へはきっと辿り着けない若者が血を流し戦う不思議な空間、私にとって最高のリングは後楽園ホールをおいて他にありえません。


前置きが長くなりました。

 飯田は「こういうユーチューバーとか負けてほしいと思いますけど、私もきっとそういう目で見られていたんですよね」と自嘲気味に笑いましたが、とんでもない、あなたは勇敢で尊敬に価するファイターでした。

アイドルなのは甘いマスクだけでした。

そして私もユーチューバーに興味はありません。彼らは、ボクシングの発展に少しは役立っているのかもしれません。

それでも、私が彼らを否定するのは、分不相応の注目と報酬を得ているからです。人気者だから仕方がない、のではなくメディアとコミッションがそれに迎合するのにヘドが出るのです。

「井上尚弥vsノニト・ドネア」は年間最高試合に選ばれる、素晴らしい試合でした。米国の人気階級の試合がバンタム級の世界戦よりも注目されるのはまだ受け入れられます。

しかし、ユーチューバーの拙い試合が「井上vsドネア」よりもはるかに注目されるのは納得できません。

もし、あのとき飯田がアイドルボクサーとして引退間際のファントムと東京ドームで試合を行い、キャーキャー騒がれていたら、私は絶対見に行かなかったでしょう。

ユーチューバーも4回戦からボクサー相手にキャリアを真摯に積み重ねてくるなら、それなりに注目もしますし応援もします。そうじゃないから、反吐が出るのです。 

飯田覚士は、そうではありませんでした。

「そんんで世界なんていけるかぁ〜〜。日本も無理やど〜〜」。会場からのヤジに笑って頭を下げていた飯田、爽やかでした。
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

井上尚弥がリング誌2019年1月号の表紙にアンソニー・ジョシュア、カネロ・アルバレス、デオンティ・ワイルダー、エロール・スペンスJr.、オレクサンダー・ウシク、テレンス・クロフォード、ワシル・ロマチェンコとともに〝集合写真〟で初登場。
IMG_4319
モンスターはその2019年に2度も単独カバーまで果たしましたが、その後の2年間はスルーされたまま。

このあとWBSS優勝を果たし、リング誌PFPも上昇しています。普通に考えると、表紙はもちろん記事でもほとんど取り上げないというのはどうも納得できません。

WBSS、PFP…いずれもボクシングファンにとってはマイナーな事象です。

サッカーW杯や、テニスの世界ランキングとは比べるのもバカバカしい瑣末すぎる大会、トンデモ序列です。

2019年前後はリング誌の経営状態がどん底、MMAコーナーを始めたり、ロンダ・ラウジーを単独カバーして彼女の大特集を組むなど、今以上に〝迷走〟していた時期です。

井上尚弥カバーでも日本では話題にも上がっていないシュー・ツァンとの「アジア史上最大のビッグファイト」と、リング誌日本語版や中国版の発行に前のめりでしたが、日本市場から期待していた見返りや反応がなかったということかもしれません。

よく考えると、井上比較なら米国で知名度が上のはずのノニト・ドネアやローマン・ゴンザレスですら単独カバーはありません(井上カバーに「リング誌がPFP1位に2年も君臨させたロマゴンはカバーしないのはおかしい」と批判されたせいか昨年ようやく単独カバー)。

不人気からトップランクのお荷物扱いされていたドネアに至っては単独はなく、一度だけ集合写真をカバーしただけです。
june2020-cover-308x432
リング誌は商業誌ですから、雑誌が売れるファイターを表紙に起用するのは当然です。

米国で関心の低い軽量級、しかもメキシカンでもない、人気も知名度も低いドネアやロマゴンを大々的に扱う方がどうかしています。

カネロ・アルバレスやマニー・パッキャオをカバーに起用しがちになるのは当然なのです。

残念ながら軽量級の日本人にもかかわらず2度も起用した井上については、リング誌側に〝下心〟があったということでしょう。

前回までは、井上のリング誌単独カバーを喜んで、どの雑誌を単独カバーするとスゲーのかについてグダグダと書き連ねました。

そのランキングは1位:スポーツイラストレイテッド、2位:ESPNマガジンのスポーツ総合誌をワンツー、3位:リング誌、4位:英国ボクシングニューズ(BN)誌としました。

BN誌はドネア戦を速報、カバーも井上が攻撃しているシーンが切り取られました。

リング誌は日経新聞などが報じてご存知のように、2019年の2月号と9月号で単独カバー。

残るはスポーツ総合誌ですが、ボクシングの地位が低い米国では、これは壁が高い…。

ナンバー誌をカバディの外国人選手が単独カバーするようなものです。

スポイラ誌はパッキャオですら単独カバーは2〜3回じゃないでしょうか。
スクリーンショット 2018-06-20 1.52.48
パッキャオをカバーにすると雑誌が売れる。GBPに子会社化された時代もリング誌は〝ライバル〟のパックマンを取り上げ続けました。
IMG_0082
人気低迷のボクシングをカバーすることはほとんどなくなってしまったスポイラ誌。パッキャオvsメイウェザーが最後ですから、もう6年も前になります。

そんなスポイラ誌カバーの牙城を易々と破壊しているのが、大谷翔平です。

大谷はスポーツの枠を超えて一般誌の領域まで侵略、タイム誌のTIME 100: The Most Influential People に選出されました。

米国の一般メディアでもすでに大きく取り上げられている大谷が、タイム誌を単独カバーする日も近いでしょう。

しかし、米国でマイナースポーツのボクシング、その中でも人気のない軽量級の日本人、井上がタイム誌は論外として、スポーツ総合誌の壁を破るには、ウェルター級やミドル級の人気階級に進出したとしても厳しいかもしれません。

ましてや、一般メディアとなると、もうどうしようもありません。

それこそ侍スタイルで日本刀振り回しながら入場すると、ESPN電子版総合の扉ページくらいには使われると思いますが…。

バンタム級の日本人には、リング誌カバーが限界なのかもしれません。

井上の日本での知名度も怪しいものがありますが、日本経済新聞やアエラなど既に一般紙誌でも取り上げられてています。

しかし、米国で「バンタム級の日本人」はあまりにも重すぎる十字架です。

一般的には、タイム誌とリング誌は様々な意味でレベルの違うメディアですが、個人的にどっちが好きかというと圧倒的にリング誌です。

比較対象にすらなりません。

実際、リング誌は長らく定期購読してても、タイム誌は一度も定期購読したことがありません。

というわけで、現状、井上はバンタム級として雑誌カバーの天井に達したということです。

となると、この「雑誌カバー」のお話で、次に興味がわいてくるのは、井上に続いてリング誌カバーを飾るのは誰になるのか?!でしょうか。

井岡一翔が念願のファン・フランシスコ・エストラーダ戦で勝利を収めると、専門家評価は上がるでしょうが、リング誌カバーとなると難しいかもしれません。

手っ取り早いのはリング誌のFighter of the yearに選ばれたら、リング誌各種表彰号で〝自動的に〟単独カバーを飾ることが出来ます。

ドネアは2012年にリング誌のそれよりも格上の全米ボクシング記者協会のFighter of the year、シュガー・レイ・ロビンソン杯に輝きました…が。

この年のリング誌Fighter of the yearは、マニー・パッキャオを衝撃的なKOで沈めたファン・マヌエル・マルケス。ドネアは表紙を飾ることは出来ませんでした。

まー、でもリング誌のFighter of the yearよりも、シュガー・レイ・ロビンソン杯の方が絶対いいです。

210708075408-naomi-osaka-time-cover-restricted-super-169
欧米で有名、報酬も多いという〝メジャー〟で語ると、テニスが最強です。

しかし、米国限定で日本目線なら野球はNo.1スポーツに昇格します。

そして、米国外しの世界なら、サッカーが最強です。

ボクシングはどこをどう切り取っても、メジャーやNo.1とはなりえません。

ボクサーは、たとえカネロ・アルバレスでも、大谷翔平のように全米の主要メディアが大きく扱ってくれることはありません。

じゃあ、私の中でもテニス>サッカー>野球>>>ボクシング、なのかというと全く違います。

大坂なおみのウィンブルドン決勝よりも、大谷翔平のワールドシリーズ二刀流出場よりも「村田諒太vs GGG」「村田vsカネロ」「井上vsムロジョン・アフマダリエフ」の方がワクワクしてしまいます。

「中谷潤人vsアンヘル・アコスタ」でも「後で見返すような試合になるかも」と録画するのに、大坂や大谷の試合はまず、しませんし。
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

誤解を恐れずにいうと「採点競技はスポーツではない」と考えています。

競技を終えて、審判の採点を聞いてから歓喜のガッツポーズをする。負けた選手が首をかしげて納得していない…。

そんなシーンは、陸上競技や水泳ではありえません。

先日、体操男子個人総合で金メダルを獲得した橋本大輝の採点に対して中国で批判が噴出、国際体操連盟が「採点は公正で正確だった」と異例の声明を出しました。

銀メダルになった中国の肖若騰との差はわずか0.4点。跳馬で橋本の着地がマットからはみ出たのに高得点だったことなどを挙げて「審判を買収した」「橋本は金メダルにふさわしくない」といった書き込みが今も止みません。

サーフィン競技で銀メダルに輝いた五十嵐カノアのSNSにも「審判から贈られたメダルに意味はない」といった誹謗中傷が殺到したと言います。

試合終了の瞬間に勝者が歓喜、敗者が落胆する…それがスポーツのあるべき姿です。

「誰が描いたのかによって、作品の芸術性が変わる」現代アートほどではないにしても、それに近い心理が勝敗を決める審判に働くとしたら、採点競技はスポーツではなく、純粋な芸術です。

誰の目にも明らかなアスリートの技術のみが勝敗を決する、それがスポーツです。

審判が勝敗を決める採点競技の結果を「その採点はおかしい」というのは自由です。

しかし、ピカソの絵画にも好き嫌いはあります。

ただ「ピカソの絵が嫌いだからピカソの存在も否定する」ような人は間違っています。芸術は「誰が書いたかによって芸術性や価値が変わる」のですから。

誤解・曲解する人もいるでしょうが、もう一度書きます。

採点競技はスポーツではありません。あれは、芸術です。

オリンピックで噴出する採点競技への批判の源泉は、多くの場合、ナショナリズムに起因します。
such-a-mess-title-770x506

プロボクシングに向けられる採点への批判も、人気選手や地元選手に特別な便宜が図られたのではないかという疑惑から噴き出します。

プロボクシングで、いつも納得のできる公平な採点が行われていると感じている人は、おそらく皆無でしょう。

地元判定や人気者が有利に採点されるシーンを、ボクシングファンは幾度となく目にしてきました。

ジャッジが恣意的に間違った採点をする犯罪行為は論外ながら、「10-9」に囚われて「10-10」を付けることを怖がるジャッジや、明白なダウンもスリップ気味のダウンも同じ「10-8」など、プロボクシングの採点方法、慣習にも現実の試合からかけ離れた採点が生まれる可能性が内包しています。

また、ジャブを打って距離を取るボクシングを評価するネバダ州や、勇敢な攻勢を好むニューヨーク州ではそもそもの採点基準が違います(明文化されている採点基準はほとんど変わりませんが、現実の採点傾向には明らかな差異が認められます)。

採点基準や慣習を改善、統一することで、公正に近づけることが出来ますが、それが採点競技である限り、人間の主観が入り込む余地をゼロにすることは出来ません。




前置きが長くなりました。


赤井英和とブルース・カリーの採点です。

初回から両者の力量差が際立ったミスマッチ。赤井は6ラウンドにラッキーパンチでチャンスを掴むも、すぐに息切れして王者の反撃にダウン寸前。
IMG_5854
第7ラウンド、フェザータッチのカリーのパンチに、赤井はへたりこむようにダウン。

なんとか立ち上がったものの、カリーが詰めて簡単に試合を終わらせます。

「7月7日7ラウンドでノックアウト」を宣言した赤井は、その通りに粉砕されてしまいました。
IMG_5855
ついに強い相手と拳を交えた浪速のロッキーは、世界基準とは程遠い実力を晒してしまいました。

それでも、初回から勇敢に左右のパンチを振り回し続けた、精根尽き果てるまで戦い抜いた、見事な玉砕でした。

それなのに。

6ラウンドまでのジャッジペーパーが発表されると、嫌な思いが込み上げてきました。

ありえないことに、ジャッジの一人、犬飼庸充はフルマークで赤井を支持していたのです。

採点競技であるある限り、主観が入るのは仕方がありません。

それでも、いくらなんでも、それにしても、です。

その後も「井岡弘樹vsナパ・キャットワンチャイ」の不可解なゴングや、「マイク・タイソンvsバスター・ダグラス」でタイソン有利のスコアを付けた森田健、「鬼塚勝也vsタノムサク・シスボーベー」の理解しがたい判定…。

薬師寺保栄は、ウェイン・マッカラーに僅差の判定でタイトルを奪われた試合について「審判にはちゃんと根回ししたんか?って会長に聞いたら、名古屋人形をプレゼントしたって。そりゃあかんわって思いました」と明かしています。

こうした土壌が「一番最悪なのは変な判定で勝ちが転がり込むこと」と村田諒太に言わしめたのかもしれません。
IMG_5856
当時は「渡嘉敷勝男vsルペ・マデラ」が疑惑の判定と、理不尽なダイレクトリマッチを繰り返し、プロボクシングの信用が瓦解した頃です。

「あからさまな地元判定」は少なくなっているものの、「欧米で人気のない階級」「王者よりも挑戦者の方が富裕」「世界戦、特に挑戦はまず100%日本開催」…それが井上尚弥の時代まで続く日本ボクシングの現実です。



今も昔も、日本のプロボクシングの世界戦略の基本は「マイナー階級」と「穴王者狙い」です。

そこでは、日本側のやりたい放題です。

もちろん、世界ランカー時代の竹原慎二が「軽量級では日本王者になったら簡単に世界と口にするけど、ミドル級では世界なんてどれだけ遠いのか実感すらない」と嘆いたように、欧米の人気階級には挑戦するチャンスは極端に少なく、莫大なコストもかかるという、もう一つの現実も横たわっています。

それを踏まえても、欧米で関心のない軽量級で好き放題する日本の体質と、階級と王者がいたずらに増殖する世界の不条理が、このスポーツへの興味を減退させ続けているのは間違いありません。

その意味で、プロボクシングもまたスポーツではありません。

もしかしたら芸術ですら、ないのかもしれません…。
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

最も成功した日本人ボクサーは誰か?

「世界評価」という尺度では、ファイティング原田の一択しかありません。

「注目度」「視聴率」という数字でも原田ですが、時代背景まで考慮すると、亀田興毅かもしれません。

「セレブ」「報酬」という点では、村田諒太でしょうか。
スクリーンショット 2018-11-04 0.28.01

最も成功した日本人ボクサーは誰か?

…その問いに二文字だけ加えて、最も成功した「人生」を送った日本人ボクサーは誰か?となると、少し風向きが変わってきます。

この問いに「赤井英和」と答えて、違和感を覚える人は少数派でしょう。もちろん、まだ現在進行形ですが。

現役時代の「浪速のロッキー」 は現在のボクシングシーンでは考えられないほどの熱狂を巻き起こしながらも、生死をさまようKO負けを喫して引退。

そして、リングではなくスクリーンの世界で鮮やかに復活してみせるのです。

リングの上ではついに栄光をつかめなかったものの、第二の人生で眩しく輝いた赤井の生き様は、まさにロッキー・ストーリーでした。

プロキャリアはわずか5年、21試合19勝16KO2敗。デビューから12試合連続KO勝利は当時の日本記録。

のちに世界ウェルター級王者マーロン・スターリングを圧倒した尾崎冨士夫にもKO勝ち、12人の犠牲者リストに飲み込んでいました。

IMG_5852

しかし、尾崎はまだプロ4戦目、他の対戦相手も赤井のために用意された咬ませ犬、12連続KOは作られた記録でした。

明らかに実力の劣る咬ませ犬を強引に倒す姿に「赤井、たまには強い相手とやってみぃ!」 とヤジが飛ぶのはお約束、浪速のロッキーは紛うことなき人気先行のアイドルでした。

12連続KO記録は、トム・シンサノンサクディーを2ラウンドで仕留めて作られます。シンサノンサクディーはタイの元王者という触れ込みでしたが、その時の実際の戦績は7戦全敗(5KO負け)!でした。

当時でも「普段はタクシー運転手」ということはバレてしまいましたが「元王者もありえない」 ことはほとんどの人は知りませんでした。


西成のドヤ街をロードワーク、ビッグマウスの赤井はロッキーというよりは、あしたのジョーだったのかもしれません。

日本王者ですらないのに、世界王者の渡辺二郎を人気面で大きく上回るブームを巻き起こしていたとはいえ、その実力はメディアもファンもわかっていました。

のちにトレーナーとなるエディ・タウンゼントが「私は教えるのが仕事。赤井に走りなさいというのは仕事じゃない」と、その練習嫌いを嘆いていましたが、一流のボクサーになるにはあまりにも誘惑に弱かったのが赤井でした。

もちろん、それほど多くの誘惑が押し寄せる人気者だったという裏返しでもありますが…。 

それでも、周囲は「世界挑戦はアレクシス・アルゲリョとアーロン・プライアーの勝者か」と夢のような話を騒ぎ立てます。

作られたアイドルが本物に挑戦するわけがありません。

アルゲリョが「穴王者に勝っても意味はない」と興味を示さなかったソウル・マンビーのWBCタイトルは、リロイ・ヘイリーからブルース・カリーと凡庸な王者がベルトを中継。

赤井の狙いはもちろん、この穴王者がリレーするWBCです。

1983年7月7日、近代記念会館。

「7月7日、7ラウンドでKOする。スリーセブンでフィーバーや」。いつものように豪語する赤井。

日本でも3試合戦った経験のあるブルースは赤井戦前が30勝16KO7敗。弟のドナルドがスーパースター候補、愚兄賢弟の典型で、強打の赤井にも十分チャンスがあると言われていました。

しかし、穴王者相手でもアイドルにとって、壁は高く厚いものでした。

走り続けたアイドルの線路を赤井は、木っ端微塵に脱線してしまいます。

それは、見事な玉砕でした。

…そして「何に忖度してるんだ」という、今に続く日本ボクシング界の闇を、ファンはこの試合でも垣間見てしまうのです。
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック


1998年3月28日、両国国技館。日本ジュニアライト級タイトルマッチ10回戦。



この試合を、世界タイトルマッチよりも輝いていたと表現して、違和感を感じる人は誰一人いないでしょう。

まずはその会場です。リング誌が「フライ級世界チャンピオン製造工場」と讃えた後楽園ホールは、レギュラーでボクシング興行を打つ、世界的にも希少で貴重な常設の会場です。

辰吉丈一郎vs岡部繁、髙橋ナオトvsマーク堀越といった日本タイトルを賭けたビッグファイトも後楽園ホールを舞台に繰り広げられました。



しかし、この日のリングがセットされたのは両国国技館。後楽園ホールではなく、ハレの大箱です。

後楽園ホールはフルハウスで3000人でしたが、両国は8000人。ハコの格は間違いなく世界戦、そこで日本タイトルマッチが行われたのです。

そして、試合はフジテレビ系列で全国生中継。

公表された報酬は両者500万円、勝利者にはボーナス500万円、さらにメインスポンサーの三菱自動車からは約400万円のパジェロが贈られました。

現在、PFPファイターのファン・フランシスコ・エストラーダでも10万ドルは当たり前、ジョンリール・カシメロにいたってはキャリアハイが7万5000ドルですから、20年以上前ということも考慮すると、どれだけ破格だったか、軽量級でも稼げる日本が今も変わらないことを想像するのは簡単です。

試合に向けては二人の〝全裸〟ポスターにテレフォンカードなどのグッズも制作され、試合6日前には後楽園ホールで公開スパーリングまで。 

現在の世界戦よりも遥かに大掛かりで、遥かに注目されていました。


その試合は畑山の9ラウンドTKOで決着します。
IMG_5851
IMG_5850
8ラウンドまでのスコアカードを見ると、有沢が6ラウンドから追い上げたように見えますが、試合の主導権は畑山が握り続けたワンサイドゲームでした。

ただ、畑山が相手の土俵に踏み込むことで、有沢の勝負根性を引き出した名勝負。


「史上最大の日本タイトルマッチ」という看板に偽りはありませんでした。

当時の130〜135ポンドの世界地図はWBAが崔龍洙、WBCにヘナロ・エルナンデス、IBFにはロベルト・ガルシア(もはや名トレーナーとして有名)、徐々に市民権を得ていたWBOにはバリー・ジョーンズが就いていました。

しかし、多くのメディアとファンが考える階級最強はWBCでランキングを上げてきたフロイド・メイウェザーJr.でした。

アトランタ1996で銅メダルとはいえ、地味な存在に甘んじていたプリティボーイのボクシングはキレキレで面白く、マネー時代とは真逆。

メイウェザーは、この年10月にヘナロを攻略して世界王者になります。

また、マニー・パッキャオもWBCフライ級で10位圏内に突入していたものの、まだマニラに雌伏していた時代です。


コウジ有沢の拳は世界には届きませんでしたが、日本のボクシングファンに強烈で爽やかな印象を残しました。

THIS IS BOXING。

トップランクの興行でお馴染みの看板文句ですが、そんな試合はなかなか見れるもんじゃありません。

畑山もコウジも THIS IS BOXING 製造機でした。

そして彼らの職業はボクサーではなくファンを喜ばせることでした。 

それにしても。

日本タイトルマッチでボクシングファンが熱狂する日は、もう永遠に訪れないのでしょうか?

村田諒太が目指す東京ドーム、井上尚弥や亀田興毅がフルハウスにしたさいたまスーパーアリーナ…これからもボクサーが大きな会場に大観衆を集めることはあるでしょう。 

しかし、日本タイトルマッチや後楽園ホールが熱かった時代を知る者としては、裾野が見えない富士山のように、本当は一番大切な風景が抜け落ちているように見えてしまうのです。
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

33年前の1988年ボクシングマガジン6月号。

目を引いたのがヨネクラジムから暖簾分けされたヨネクラボクシングジム相模原の一面カラー広告。

「重量級集合!!」のヘッドラインに「身長173㎝以上・体重65㎏以上」「特にヘビー級(身長180㎝・体重80㎏以上の選手には更に特別待遇します」。

当時も今と変わらず、日本ランキングの最重量はミドル級。

現在は、ヘビー級で王者:上田龍と1位:竹原虎辰がランキングされていますが、わずか二人。それを言ってしまうとミドル級も3人しかいません。

33年前のミドル級も王者:大和武士から6位まで計7人しか人材はいません。

4回戦、6回戦ボーイを入れると競技人口としてはもう少し膨らむものの〝重量級〟の人材不足は相変わらず。

1995年に竹原慎二、2017年に村田諒太が世界ミドル級王者に就くものの、新しい種子を蒔くことにはつながらず、彼らは突然変異でしかないままです。
IMG_5697 (1)

1988年6月号のトピックスは「井岡弘樹の2度目の防衛戦」「イベンダー・ホリフィールドのクルーザー級3団体完全統一」「大橋秀行が張正九に再アタック」「ホープ対決で加納一也が浅川誠二をノックアウト」「浜田剛史引退〜さよなら琉球武士」。

井岡弘樹はナパ・キャットワンチャイを迎えた防衛戦でサウスポーへの対応が全くできない欠陥をさらけ出してしまい、最終回はノックアウト負け寸前に。なぜか30秒も早く鳴らされたゴングに救われ、後味が悪すぎる引き分け防衛。

鬼塚勝也の判定や、井岡のゴングは、世界の強豪が日本のリングを敬遠する一因になります。

井岡はナパとの再戦で完敗、ラバーマッチでKO負けとサウスポー恐怖症は不治の病でした。

クルーザー級は新設クラスでしたが、当時のホリフィールドはとにかく強かった。リングサイドで見守るタイソンも「非常に印象深い試合」と未来の天敵を評価していました。

そして、大橋は「150年に一度の奇跡が起きる」と今も変わらない大風呂敷を広げていました。

当時の3団体時代から団体は一つ増えたので、数字上は1.33倍、王者になりやすくなりましたが、王座の乱造、安易な階級制覇が横行し、現実はそれ以上です。

この33年間で、ボクシングへの一般的な関心も、絶対的にも相対的にも下落してしまいました。

それでも、井上尚弥がUndisputed Championに激しくアプローチ、中谷正義はライト級で大きな爪痕を残すステップを踏み、村田には世界的なメガファイトの期待が膨らんでいます。

今月は井上と中谷が相次いでラスベガスのリングに登場、夢をつなぎます。
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

ノニト・ドネア、やりました。

ノルディーヌ・ウバーリも強いパンチを入れたように見えましたが、お構いなしでした。

これでバンタム級王者に3度返り咲き。

そして、史上11人目の3つのディケイドで世界王者。

残る10人は、史上唯一の4つのディケイドのマニー・パッキャオを筆頭に 、シュガー・レイ・レナード、イベンダー・ホリフィールド、レオ・ガメス、フロイド・メイウェザー、バーナード・ホプキンス、エリック・モラレス、シェーン・モズリー、ホルヘ・アルセ、ローマン・ゴンザレス。

世界王座が潤沢に溢れる4−Belt Eraならではの記録、ディケイド末からスタートするのが有利、などケチの付けどころはいくらでもある記録ですが、ドネアが息の長いトップボクサーである指標の一つであることに変わりはありません。

さて、ドネアの主な勝利と敗北を振り返ります。
スクリーンショット 2021-05-30 21.02.40
ベストバウトは、当時PFPファイターで無敵と思われたビック・ダルチニアンを切れ味鋭い左フックで斬り落とした大番狂わせの〝世界デビュー〟。

ほぼ互角の展開で、ドネアも「再戦のチャンスを与える」と認めたムザラネ。2ラウンド予告KOを執行したモンティエル戦。ここまでが、フィリピーノフラッシュのプライムタイムでした。

誰と当たろうが、スピードで圧倒。「ライト級まで制覇してPPVスターになる」というドネアの野望を笑うファンは、当時いませんでした。

ジュニアフェザー級に上がってからもウィルフレド・バスケスJr.、ジェフリー・マゼブラを明白な形で打ち負かしますが、B級王者を仕留めるには至りません。

単調なファイトスタイルの限界と、階級の壁、そして経年劣化がドネアを侵蝕していました。

そして、迎える大一番、2013年4月13日。ギレルモ・リゴンドーとの決戦は、専門家予想はもちろん、オッズもブッカーによって分かれる、これぞ50-50の大勝負。

前日計量で「お前の目には俺のパンチは速すぎて見えない」と挑発するドネアに、キューバのジャッカルは「明日、その目を潰す。本気だ」と返し、ドネアはその通りに実行されてしまいます。

皮肉なことに、その試合会場の中規模ミュージックホールはニューヨークにありました。ドネアは敗北直後に、2012年のFIghter Of The Year(シュガー・ロビンソン賞)の表彰を受けることになるのです。

The Beginning of the End

そのセレモニーを伝えるメディアの多くは「終わりの始まりだ」と報じました。

「ドネアのスピードとパワーはジュニアフェザーでは通用しない」。

そして、その通りにドネアのキャリアは長く暗いトンネルに潜り込んでしまうのです。
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック


昨夜は、皆既月蝕でした。

東京からは見えませんでしたが、地球と月と太陽による3年ぶりの天体ショーを楽しんだ方もいるんじゃないでしょうか。 

国立天文台のHPによると、皆既月蝕の間は月が完全に地球の間に入り込むものの、月が見えなくなるわけではありません。

太陽の波長の長い赤い光だけが届くためで、赤銅色に見えるのです。

このことを初めて知ったのは、高校時代の図書室です。そのとき「カムイ伝」の名場面を思い出しました。
 
maxresdefault (1)

「資本論」よりも遥かに面白い、共産主義者のバイブル「カムイ伝」で、崖の上に立つ抜け忍カムイが月を見上げてこうつぶやくのです。

「今夜の月はめっぽう赤いぜ」。

カムイが見てたのも、もしかしたら月蝕の月だったのかもしれないということが、ものすごい発見のように勝手に感じて興奮してしまったのを覚えています。



というわけで、どういうわけかわかりませんが「キンミヤ25」をガブ飲みしながら、気まぐれな新シリーズ【ボクマガを並べて思いに耽る】の始まり、はじまり。
IMG_5631
第1回は2021年と1991年の5月号。

現在、日本ボクシングをリードするのはリング誌PFP2位につける井上尚弥。

30年前の1991年は、WBAフライ級王者のレパード玉熊がエルビス・アルバレスに敗れて二度目の防衛に失敗。世界王者はWBCジュニアフェザー級の畑中清詞だけになっていました。

ただ、当時は辰吉丈一郎が世界への一本道を疾走、レイ・パショネス戦を控えていました。また、鬼塚勝也も日本ジュニアバンタム級王者として傑出したパフォーマンスを見せ、ボクシングファンは新しい時代の足音をしっかりと耳にしていました。

世界ではマイク・タイソンが復活ロードで、後付けながら微妙な実力者レーザー・ラドックに手こずりながらも7ラウンドTKO勝利。

破竹の74連勝を飾った、ジュニアウェルター級王者のフリオ・セサール・チャベス。

ウェルター級の団体統一戦でIBFのサイモン・ブラウンがWBCのモーリス・ブロッカーを10ラウンドで強烈に倒した非情の親友対決。

などがピックアップされていますが、ページを大きく割いているのはヘビー級の3団体完全統一王者イベンダー・ホリフィールドに挑むジョージ・フォアマンの戦前特集。

42歳のビッグ・ジョージの存在を、まだ「冗談」だと多くのファンが笑っていましたが、今から考えるとヘビー級の42歳、しかもフォアマンです。強豪を倒してタイトルマッチの舞台に帰ってきたのです。

あの頃、フォアマンは若かった。間違いなく若かった。

日本ではマイナー団体だったためIBFはRegional champions(地域王者)として、王者だけが記載されていましたが、ウェルター級のブラウンの他にも、バンタム級のオルランド・カニザレス、ミドル級のマイケル・ナンら実力者が台頭していました。

試合を離れた記事では「熱病的思考法」(香川照之)。この号では「ボクシング・ブーム到来は実に喜ばしい…」としながらも、後楽園ホールに試合が集中することで「スシずめホールのエビゾリ観戦」を嘆いています。

郊外にはもっと広い会場があるのにそこを使うべき、という提言はその通りでした。

私のように立ち見席3000円でプラッと見る人にとっては、ホールのアクセスの良さはありがたかったですが。
IMG_3371


******「並べて思いに耽る」という趣旨で書いてみたものの、ただの30年前回想になりました。そりゃそうなるわなあ…。

でも、続きます。
IMG_5632
持ち札では「40年」あたりが最大でしょうが↑【ボクマガを並べて思いに耽る】だけでなく【リング誌を並べて思いに耽る】【リング誌とボクマガを並べて思いに耽る】など、広げてゆきます。
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ