フシ穴の眼 〜スポーツ疾風怒濤編〜

      Hope Lights Our Way / 希望の道を、つなごう。

カテゴリ: 世界最強の男

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大谷翔平がシフトでガラ空きの三遊間を抜けるレフト前ヒットを放ちました。

「シフト」といえば「王シフト」。王貞治はどんなに変則のシフトを目の前で展開されても、引っ張り一本槍のスタイルを崩さなかったといいます。

大谷さんは昨シーズンもホームラン王争いの最中に、バントヒットを決めたことがありました。


「ホームラン狙ってくれよ」。

そんな凡人の願いは、永遠の野球小僧には届かないのかもしれません。

どうやったら自分が一番輝けるか?ではなく、どうしたらチームが勝てるか、に軸足をしっかり乗せているのでしょう。

集団競技で一番面白いのは、本当はそこなのですが、それに気づくのってなかなか時間がかかるもので、私なんかは自分が一番輝くことしか考えていませんでした。

それに気づいたときはもう高校3年生、最後の甲子園予選でした。

「俺って本当に馬鹿だ、今頃気づくなんて」。そんな風に後悔しましたが、ずっと後になると気づいて試合に出られただけで、十分、遅いなんてことはなかったと思えるようになりました。

年を重ねるってことは、自分も含めていろんな人やことを許せるようになることかもしれません。

まぁ、許せんのは井上信者やな。奴らが国を滅ぼす。

なんて、冗談はさておき、王貞治は自分のバッティングを崩さないために、目先のヒットを欲しがって流し打ちをしないという長期的ビジョンに立っていました。ゆったり広い海のようなスポーツマンでした。

対する大谷さんは、目先でも何でもいいからとにかくチームの勝利に今、この瞬間に自分がどう貢献出来るのかを考える、目の前しか見ない、急流のようなアスリートです。

王貞治が格好良いのは当たり前ですが、大谷も相当にクールです。

どっちか好きかと聞かれたら…。

大谷かな。「ホームラン狙ってよ」と言っておいて、矛盾しますが。



それにしても、エンゼルス、弱い、弱い、弱すぎるよ…。
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私もずっと昔、昔は下手くそな野球少年でした。

捕手以外は全部やりました。

投手としては、変化球はカーブしか投げれませんでしたが「しっかりブレーキがかかって落差もある」と褒められることもありましたが「ストレートが速ければ投手として大成する」と必ず同じ〝注文〟がつきました。

そうです。ブレーキ鋭くドロンと落ちるカーブは、手元でホップするような上質のストレートとセットになって大きな威力を発揮するのです。

かつて、ドロップと呼ばれていたようにカーブは〝カーブ〟(大きく曲がる)だけではなくドロップ(鋭くブレーキがかかって落ちる)するのが特徴です。

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江川卓やメジャーのドワイト・グッデンは上質のストレートとカーブを持っていました。

さて、大谷さんです。

大谷翔平は日本人としてではなく、人類として規格外のパワーアスリートですが、恐ろしいほど器用な野球選手です。

それが天賦の才能だけではなく、鋼鉄の意志を伴う不断の努力によって培われ、進化し続けているのは明らかです。

才能だけではあんなこと、出来っこありません。

昨年のシーズンオフにもバラエティ番組などはもちろん、自身を特集した番組にも一切出演しませんでした。

表彰関係の短いコメント出演でも明らかに撮影スタジオではない、殺風景な狭い部屋、おそらくトレーニング施設からその姿と声が届けられました。

マシンなどの設備が少しでも映ってしまうと、場所が特定されてしまうから、殺風景な物置を整理して急拵えの会見場に仕立てたのでしょう。

1日くらいバラエティ番組に出て、気分的にもリラックスしてもいいんじゃないかとも思いますが、彼にとっては野球が最優先でない日は、たとえそれが一日でも受け入れられないのかもしれません。

そして、それがその日1日だけでは済まないこと、大歓迎を受けて有名人と連絡先を交換したり、食事の約束をしてしまうとどうなるか、よくわかっているのでしょう。

オフの間もトレーニングと体のケアを欠かさない、全てにおいて野球を優先させる。

松坂大輔らレジェンドのインタビューに簡単に素気なく答える塩っぷりから、そんなことをふと思ってしまいました。

そんな大谷さんが今季からカーブを本格的に投げています。

江川やグッデンと比べると、ブレーキも曲がりも落差も物足りません。誰と比べてるんだという話ですが。

あのカーブが〝ドロップ〟として完成すると、さらに手がつけられなくなります。

大谷さんのプライムタイムが今だと考えている人は少数派でしょう。

大谷さんが史上最高のカーブの投げ手、と評される日が来るかもしれません。


記録的な酷暑に喘ぐ日本列島ですが、国宝が迎える夏の季節は、まだまだずっと先になりそうです。

熱中症なとには十分ご注意されて、大谷さんの夏を楽しみに待ちましょう。
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パック・ロスに悶え悩む私の「Best of Pac-Man〜マニー・パッキャオ10番勝負」5位から1位まで、です。
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★5位★【2014年4月12日】ティモシー・ブラッドリー2=168/175=

初戦はWBOが誤審を認める不可解な判定で失ったパッキャオでしたが、再戦ではきっちり雪辱。

議論を呼ぶ判定とはいえ初戦を取ったことで、ブラッドリーはパッキャオと3試合も拳を合わせる幸運に恵まれました。



33勝13KO2敗1分。2つの黒星はいずれもパッキャオに喫したもので、今は「パッキャオにしか負けなかったチャンピオン」としてESPNの解説者として活躍しています。 





パッキャオのジョーカーを持っていたファン・マヌエル・マルケス。

このときのパッキャオは、ジュニアライト級のリング誌&WBC王者マルケスへの挑戦者。第3ラウンドにダウンを奪ったパッキャオがクロスゲームを制してアジア初(当時)の4階級制覇を達成。

この2008年は、6月にWBCライト級王者デビッド・ディアスを撃沈して5階級制覇、12月にはオスカー・デラホーヤ戦とスターダムの頂点に一気に駆け上がった濃密な1年でした。



互いに真剣を振り回すような緊張感のある対決は、第3戦、第4戦と物語を紡いでゆきました。

初戦のファーストラウンド、マルケスが3度倒された時点で主審が試合をストップしていたなら…物語に続きはなかったでしょう。

初戦で敗れたパッキャオのリベンジマッチ。

モラレス陣営は、パッキャオのキャンプにドーピング検査と称して採血に押しかけるなど、Aサイドの工作活動を展開するも、二人の実力差は初戦から大きく離れてしまっていました。



あの打たれ強いモラレスをグラつかせるパッキャオに「こいつどんだけパンチが強いんだ」と度肝を抜かれました。



アジア人初の3階級制覇。

しかも、チャチャイ・ダッチボーイジム(フライ級)、リーロ・レジャバ(ジュニアフェザー級)、バレラ(フェザー級)といずれも階級最強を大番狂わせでストップした大金星です。

360度アウエーのアラモドーム。花道をリングに向かうパッキャオに、フレディ・ローチは「勝ったらすぐにロッカーに逃げるぞ。ぐずぐずしてると殺される」と冗談か本気かわからない言葉を吐き、初回に足を引っ掛けられて倒れたパッキャオがダウンを取られると観客が「まだ早い1もうちょっと頑張れ!」と罵声が飛んだという、伝説だらけのビッグファイトです。

それにしても、ローレンス・コールのジャッジは今更ながら酷い。さすが史上最低の主審です。
 


バレラはゴールデンボーイ・プロモーションズ(GBP)と大型契約を結んだ第1戦で、メディアは「1階級下の雑なパッキャオを選んだボーナス試合」と見ていましたが…結果は「GBPと大型契約を結ぶと初戦で負ける」というジンクスの始まりでした。

そして、この大勝利でファイティング原田のアジア最高ボクサーの地位が揺らぎます。

当時は「原田のフライ、バンタムの2階級制覇はいずれも1団体時代のUndisputed champion、フェザー級も実質勝利していた。パッキャオの3階級制覇とは同列に比べてはいけない」という意見もありましたが、パッキャオはそんな議論も無駄に見える業績を重ねて、原田を「日本歴代最高ボクサー」に落としてしまいます。





パッキャオのファイトマネーは、1100万ドルが最低保証。リーマンショックに直撃された時期にもかかわらず、PPVは 125万件を売上げ、歩合収入も加算されると最終的な取り分は2000万ドルを超えました。

これは、2005年1月のプロデビューから14年間、52戦(47勝35KO3敗2分)のキャリアで積み上げた生涯報酬以上の金額を36分間で稼いだ計算です。


「デラホーヤは減量に失敗、体調を崩していた」というのは、後付けの結果論で、前の年にはフロイド・メイウェザーと激戦を繰り広げた35歳、メイウェザーとの再戦を想定してスティーブ・フォープス、そしてパッキャオとスピードのある相手を選んだとも考えられていました。

絶不調のデラホーヤと、絶好調のパッキャオでも勝ち目はない。そう考えられていたのです。 体格差、階級の壁はそれほど大きく、高く、分厚いものだと。

それでも、試合前は「事故が起きたらネバダ州が責任を取れるのか?」と騒がれ、フィリピン国会では試合中止の法案が可決するなど、誰もがパッキャオの勝ち目はゼロと考えていたのです。

日本でも「勝敗予想よりもこんな試合が成立するのが不思議」(川島郭志)と見られ、上田晋也は「なんでパッキャオなんだ?マルガリートとやるなら応援するけど、ちょっと違うんじゃないか」とデラホーヤに対する批判も少なくありませんでした。

しかし、専門家やファン予想がミスマッチとデラホーヤ勝利を確信する一方で、ウィリアム・ヒルのオッズが2-1と接近、掛け率では大番狂わせの数字ではありませんでした。

このパッキャオ贔屓は「THE DREAM MATCH」の文字通りに、パッキャオに夢を賭けたギャンブラーが多かったことを意味します。

メキシコの血を引くデラホーヤでしたが、小さなパッキャオを選んだことに加えて、出版したばかりの「America's Son=アメリカの息子」という自伝本もメキシコのファンから「コウモリ野郎」と批判され、試合の入場シーンではデラホーヤへのブーイングも聞こえます。

メキシコ目線では、小さい相手を選んだマッチョでないだけでなく、裏切り者のレッテルまで張られてしまったのです。

試合は「6人の敵と戦っているようだった」というデラホーヤの言葉が全てを表現してくれています。

第8ラウンド終了のインタバルで、デラホーヤがマウスピースをはめずにゆっくりと立ち上がり、対角線のパッキャオのコーナーに歩き出したとき、それは軽量級のボクシングが、世界を制圧した瞬間でした。 

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※試合の重要度を度外視して、単純に「体格差のある相手」ということなら…以下の〝巨人〟たちとも戦いました。

【2010年3月13日】ジョシュア・クロッティ=173/178=


【2010年11月13日】アントニオ・マルガリート=180/185


【2014年11月23日】クリス・アルジェリ=178/183=


【2017年7月2日】ジェフ・ホーン=175/173=


【2021年8月21日】ヨルデニス・ウガス=175/175=

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マニー・パッキャオが1995〜2021年、27年間のキャリアで残した戦績は62勝39KO8敗2分。

ジュニアフライ級でデビュー(水をがぶ飲み、下着に鉄球を隠して秤に乗ったと言いますから実際にはストロー級かそれ以下だったでしょう)、ジュニアミドル級までの12階級で戦い、そのうち8階級で世界王者に就きました。

さらに、フライ、フェザー、ジュニアライト、ウェルターの4階級でLineal champion(史上唯一)。

リング誌タイトルをフェザー、ジュニアライト、ジュニアウェルターで3階級制覇(史上最多タイ)。

殿堂入りの資格が発生する2024年の一発殿堂は間違いありません。
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真夏日となった白昼の土曜日に、ざるうどんの着丼を待ちながら、パッキャオの重要な試合ベスト10を対戦相手の身長/リーチと共に書き連ねます。


BoxRecによると、パッキャオの身長は166㎝、リーチは170㎝。フライ級としては大きく、フェザー級としては小さいアジア人が、ジュニアミドル級まで制圧しました。


★10位★【1998年12月4日】チャチャイ・ダッチボーイジム=身長159㎝/リーチ170㎝=
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チャチャイはユーリ・アルバチャコフとの再戦でリベンジ、Lineal championを引き継ぎ、フライ級最強王者と目されていました。

世界初挑戦は打倒的不利予想を覆しての大番狂わせ。

8ラウンド、チャチャイを一撃で沈めるまでの7つのラウンドのスコアは70-64/69-64/68-65とワンサイド。

バンコク郊外プタモントン、灼熱の屋外スタジアムに詰めかけたファンを凍りつかせました。

多くのメディアは「新チャンピオンは22歳」と報じましたが、現実には19歳。この当時は、サバを読んでプロデビューしたままの年齢でした。




★9位★【2001年6月23日】リーロ・レジャバ=168/175=

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パッキャオの米国初見参。

普通なら見向きもされない軽量級でしたが、オスカー・デラホーヤのメガファイト、そのセミファイナルでHBOのPPVにも組み込まれます。

とんでもない大番狂わせという衝撃と、デラホーヤのメインがつまらない試合だったという幸運も重なって、パッキャオのパフォーマンスは際立ちました。

122ポンド最強とみられ、マルコ・アントニオ・バレラにも勝てると言われた南アフリカの〝石の拳〟でしたが、米国リングで全く無名のパッキャオに圧倒された末に6ラウンドでストップされてしまいます。

レジャバは昨年7月4日に新型コロナにかかり、49歳の若さで天国に旅立ちました




★8位★【2009年11月14日】ミゲール・コット=170/170=

完全にスーパースターになったパッキャオが、145ポンドのキャッチウエイトを突きつけた〝出世試合〟。

Firepower(どっちの火力が上か!?)とタイトルされたメガファイト。ニューヨーク、マディソン・スクエア・ガーデンを根城とするコットをラスベガスに引っ張り込んだ一戦でした。

コットはのちの殿堂入りのグレートで、ウェルター級最強と見られていた時期もありましたが、アントニオ・マルガリートの馬力(石膏パンチ?)に逆転KO負け、ジョシュア・クロッティにも大苦戦と、此のときはスランプ期。

全盛期のパッキャオはあまりにも速く巧く、強すぎました。



WBO王者コットにパッキャオが7階級制覇を賭けて挑戦する構図で、コットが「キャッチウエイトならベルトは賭けたくない」と主張、そこにWBCがしゃしゃり出て「この試合のために最高位のタイトルを創設する」と、ダイアモンドタイトルが誕生したのがこの試合。

結局、コットはタイトル戦を飲み、パッキャオもコットも、WBCが5万ドルの値段を付けたとされるダイアモンドベルトの購入は拒否。

豪華なベルトは無料でパッキャオが手にしたと見られています。

先日のドネア2もダイアモンドなり、フランチャイズなりが贈られてもいい気がしますが…。

コットをストップしたパッキャオは史上初の7階級制覇を達成。



★7位★【2019年7月20日】キース・サーマン=177/175=

セカンド王者パッキャオが、無敗のスーパー王者サーマンに挑戦。

40歳のパックマンと30歳のワンタイム。ブランクや怪我でキャリアが停滞気味だったサーマンですが、オッズも戦前予想もパッキャオがアンダードッグになるはずでした。

しかし、サーマンやや有利で立ちあがったオッズはジリジリと接近、試合前にはパッキャオ有利に。常識的に考えると、パッキャオ惨敗も有り得ると思いましたが、まさかのトップドッグ、フェイバリットで試合開始ゴングが鳴らされます。



初回にパッキャオが左ストレートでダウンを奪うと、試合は40歳のペースに。そのまま判定をものにしたパッキャオは10代、20代、30代、40代で世界王者に。

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さらに、このタイトルはヨルデニス・ウガスに敗れる2021年まで保持、パッキャオは90年代、00年代、10年代、20年代と4つのディケイドで世界王者に君臨するという、更新絶対不可能の記録を打ち建てました。



★6位★【2009年5月2日】リッキー・ハットン=171/165=

The Battle of East and West,(東洋vs西洋)と銘打たれたメガファイト。

英国から3000人以上のハットンサポーターがMGMグランドガーデナリーナに詰めかけました。

当時のハットンの敗北はフロイド・メイウェザーとのウェルター級戦だけ。保持していたジュニアウェルター級のアルファベットタイトルはIBOだけでしたが、リング誌とLineal titleの王者で、衆目一致の階級最強でした。

この敗北で大人しく引退していたなら、ハットンは「メイウェザーとパッキャオにしか負けなかった」のでしたが…。



フレディ・ローチが名付けた「マニラアイス」(右リード)が完璧に機能して、左の大砲につなげたキャリア最高のKO劇。

パッキャオがジュニアウェルター級で戦ったのはこの1試合だけ。このクラスとライト級でもう少し見たかったと思うのは私だけでしょうか?
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佐々木朗希が「好物なんです」と口にしてしまったばかりに…。

https://iwate-ginpla-webshop.net/item-detail/831557

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酢の素… 内容量:500ml×1本
原材料:醸造酢(アルコール)、酢酸、食塩/サッカリンNa、カラメル色素 賞味期限:製造日から約2年

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酢は和洋問わず好きですが、酢の素は…使ったことありませんが、そんなにソソられません。

それにしても、岩手県フィーバー、いつになったら止むのやら。
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井上尚弥は「パッキャオの風景が見たい」と憧憬しました。

もちろん、マニー・パッキャオはボクシングが強かっただけではなく、いくつもの奇跡が複合的に溶け合って空前絶後の化学反応を起こした、本物のモンスターです。

パッキャオが米国デビューを果たしたのは2001年6月23日、日本時間では6月22日ですから21年前のちょうど明日になります。

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ケリー・パブリック…当時から過大評価臭しか匂いませんでしたが、パックメイとのスリーショットはキツ過ぎます。そして、ドネアはリング誌を単独カバーすることは一度もないままに、キャリアを終えそうです。

当時ボクシングシーンの主役だったオスカー・デラホーヤのメガファイトのセミファイナルで、IBFジュニアフェザー級王者リーロ・レジャバの対戦相手が直前でキャンセル。急遽白羽の矢が立てられたのがパッキャオでした。

同じ年の4月7日にはマルコ・アントニオ・バレラがナジーム・ハメドを撃退、エリック・モラレスやファン・マヌエル・マルケスとメキシコのスーパースターが3人も雁首並べてフェザー級の覇権を争っていたのです。

ちなみに、バレラvsハメドはHBOのPPVで、MGMグランドガーデンのアリーナが舞台。フェザー級の試合がここまで注目されたことは、現在までも歴史上一度もありません。

井上をはじめ、多くの人が「フェザー級になると景色が変わる」と考えているのは、このあまりにも特殊なメガファイトの印象からでしょう。

パッキャオがメキシカン3人のPFPファイターの引き立て役として選ばれるのは、必然でした。

それにしても、無名のフィリピン人が重厚なメキシコ包囲網を突破するなど、誰も想像だにしていませんでした。

しかも、それを成し遂げたときに、米国気質が偏愛的に好むサイドストーリーを、パッキャオは豊穣なまでに内包していたのです。

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極貧の家庭に生まれ、勝利給100ペソ(2ドル=約200円)の草拳闘で家族を支えながら、年齢を詐称してまでプロボクサーになった少年の希望は母親と弟妹を極貧から救うことでした。

世界フライ級王者になり、1万ドル単位のファイトマネーを稼ぐ頃には、地元でも有数の大金持ちになっていました。

しかし、その頃には新たな希望が胸の奥底に芽生えていました。「家族は幸せになったが、町には病院も学校もない。周りには貧困に喘ぐ人で溢れている」。

スポーツイラストレイテッド誌やニューヨークタイムズなどの評伝では、世界フライ級王者になった頃に「政治家になって国を救う」という夢を固めたとされていますが、弟のボビー・パッキャオは「小さい頃から大統領になると宣言していた」と語っています。

まだ、一家が段ボールを敷いた床にバナナの葉などで覆った粗末な〝家〟に住んでいた頃です。

ボビー「天井のある家に住めたら、夜中に雨が降ってもゆっくり寝れるのに」。

マニー「バナナの葉でも天井だ。隙間から星が見えるし、考えてみれば贅沢かもな」。

ボビー「星なんて見えなくていいから本物の天井や壁や柱がある家に一度でいあから住んでみたいよ」。

マニー「今に大金持ちになって天井も壁もある大きな広い家に住ませてやる。それまで、星を見てるんだ」。

ボビー「それよりもお腹が空いたよ。コメや肉や野菜をお腹いっぱい食べてみたい」。

マニー「今に好きなだけ食べさせてやる。病気になっても薬がもらえる病院を建てる。お金がなくても通える学校も作る」。

ボビー「お祭りでボクシングしてるだけじゃ、病院なんて建てられるわけないよ」。

マニー「俺は将来、この国の大統領になる」。

ボビー「大統領って病院を建てる大工さん?」。

マニー「そうだ。病院だけじゃないぞ。貧しい人のために家や学校、なんでも作れる人が大統領だ」。

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試合10日前にラスベガスから舞い込んだオファーに即答した青年。

アジアのボクサーが、メキシコとアメリカが仕組んだリングで正々堂々と戦い、次々に大番狂わせを起こしていったのです。

人気階級のウェルター級は全階級を通じて最も厳しい難関クラスですが、そこで待っていたのは全盛期が過ぎた超ビッグネームたちでした。

さらには、フロイド・メイウェザーという絵にも描けないようなライバルまで登場してくれたのです。

井上は、伝説級のメキシカンどころか、まともなメキシカンにすら恵まれていません。

もし、井上に〝バレラ〟や〝モラレス〟がいたとしても、初戦は村田諒太のゲンナジー・ゴロフキンのように日本に引っ張り込んだでしょう。

〝バレラ〟も圧倒的有利の試合と見て日本に来たはずです。

もちろん、日本で井上が〝バレラ〟を粉砕すると、今度は完全アウエーのラスベガスやテキサスの大会場に引っ張り込まれることになります。


井上に欠けているのはメキシコのスーパースターだけではありません。

井上は優れたアスリートの1人に過ぎず、アメリカンドリームの下地になる物語が抜け落ちているのです。

もし、井上がパッキャオまでは行かないまでも、ライト級の猛者と互角に渡り合うような場所まで辿り着いても、ビッグファイトのいくつかは日本開催になります。

パッキャオが敵地で強豪を粉砕し続けることで、尊敬と畏怖だけでなく、メキシコ系の人気まで手に入れたことは、驚異的に見えますが必然でした。

井上がパッキャオになるためには「不人気階級からの脱出」だけでなく、アジアやアフリカの極貧国で生まれ、アメリカンドリームの「物語を形成する序章」を持っていなければなりません。

「大勝負になると東京ドームに帰る裕福な日本人」では、メキシコのアンチを増やすだけです。

微妙な判定は「バンザイ・ジャッジ」「モンスター・スコア」と非難されるかもしれません。

そこまで行けば十分素晴らしいのですが、そもそも富裕国に生まれその恩恵に存分に浴してきた井上が、パッキャオのように危険な冒険に乗り出す必要がありません。

パッキャオには、その必要があったのです。


ノニト・ドネアは全く人気のない軽量級というだけでなく、パッキャオのアンダーカード出場を頑なに拒否し続けたがために、米国で大舞台が用意されることはついに一度もありませんでした。

ドネアは井上だけでなく、カール・フランプトンとの試合でも「どこで試合をするかはスポーツライクな話ではない。カネの話だ」と、敵地に乗り込むしかなかったのです。

ギレルモ・リゴンドー との不人気階級の不人気選手対決では、モンティエル戦でも赤字だった西海岸でやると大事故になりますから、キューバ系住民も多いニューヨークのミュージックホールで開催されます。

ドネアは、とうしたら良かったのでしょうか。もちろん、パッキャオの前座なら居場所がありました。

しかし、それがどうしても嫌なら…。

パッキャオほどではないものの、貧しい幼年時代と米国移住を体験したドネアは、井上とは違い「物語を形成する序章」を持っています。

トップランクが、GBPへの移籍を図ったドネアへの懲罰として仕向けられたリゴンドー と、ニコラス・ウォータースを倒し、続く刺客オスカル・バルデスからも逃げずに粉砕すれば良かったのです。

そうなると、ボブ・アラムも真っ青になって頭を抱えていたでしょう。そして、ウォータースの代わりにワシル・ロマチェンコと戦い、ウクライナのハイテクまで破壊していたら?

まさに〝番場蛮のハラキリ〟です。

もちろん、ドネアにはその実力が大きく欠落していました。実質フライ、ジュニアバンタム、バンタム止まりのファイターでした。

誰と比べとんねん!という話ですが、ボクシング界の不公平を嘆くドネアにはそんな説明しか出来ません。

最近なら、ファン・フランシスコ・エストラーダらも同類です。

文句を言うなら、人気階級で勝ちゃあ良いだけです。

それでも、フライ、バンタム、ジュニアフェザー、フェザーの軽量級4階級を制覇。軽量級としては稀有のFighter of the  yearにも輝きました。

トップランクからは屈辱的な対応を受けた末にお払い箱になっても、バンタム級に出戻り最後の花を日本で咲かせ、フィリピン人の軽量級としてはこれ以上ない大きな成功を収めました。

いつもアウエーで戦う不条理、当然対戦相手に有利な条件がリングの内外で整えられたリング、それに不平を言う気持ちは理解出来ます。

パッキャオのように破格の報酬が約束されているならまだしも…。

ドネアの報酬は井上が2億円超なら1億円あっても良いと思いますが、現実は発表できないほど遥かに少ないのでしょう。
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今回、ドネアは来日当初から体が萎んでいる、覇気がないと言われ、グローブ問題へのクレームなどいつになく神経質になっていました。

もしかしたら、ビクター・コンテの魔法が使えなかったのかもしれません。

山中慎介からタイトルを掠め獲ったルイス・ネリに、帝拳は150万円以上を負担して事前のドーピング検査を受けさせていました。

コンテを迎え入れ、不自然なカムバックを果たしたドネアを帝拳が見逃すとは思えません。

圧勝しか予想されていなかった初戦で、ロートルのドネアがまさか、あんなに強いとは、とファンやメディアだけでなく、陣営も驚いたでしょう。

再戦では、ネリのとき以上に厳格な検査を求められたため、ドネアがいつもの魔法を使えなかったというのは、ウガった見方でしようか?

しかし、史上最悪のドーピング犯罪者とわざわざ手を組んだドネアは、李下に冠を正したのです。
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You do not inherit  Rouki Sasaki from the past;you borrow it from the future.

佐々木朗希は運良くプレゼントされた才能ではない、未来から借りたものだ。未来に返さなければならないのだ。

◉交流戦 ロッテ1―2DeNA(2022年6月11日@ZOZOマリン)

8回1失点と好投したロッテ・佐々木朗希ついて、井口資仁監督は「一回(ローテーションを)飛ばして、明日たぶん抹消することになると思います」と、蓄積疲労を考慮して出場選手登録を抹消する方針を示しました。

昨日は、今季初黒星を喫した3日の巨人戦から中7日空けての登板。

8回94球を投げ、3安打1失点と好投したが、またも6勝目はお預けとなった。佐々木朗は「もちろん疲れもあるが、その中でもしっかり試合を作るくらいまでコンディション整えられたのでよかった」と振り返りました。

「完全試合や投手タイトルなどを、今急いで獲る必要はない」と言わんばかりの起用法です。

そう、「私たちが未来を潰すわけにはいかない」という、神を畏れる人間の素晴らしい行為です。

佐々木朗はどんな未来に引き継がれてゆくのでしょうか。楽しみでしかありません。


それに比べて、未来の子どもたちから借金を重ねる政治を相も変わらず続け、地球環境に対しても「俺たちが良ければそれで良し」と破壊と汚染を続ける、神を畏れぬ私たち。


You do not inherit the earth from your ancestors; you borrow it from your children.

この地球は先祖から受け継いでいるのではない、子どもたちから借りたものだ。子どもたちに返さなければならないのだ。〜サン=テグジュペリ
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今年4月9日。村田諒太がロンドン五輪に続いて、メジャーの夢を見せてくれました。

帝拳に所属するホルヘ・リナレスも軽量級ながら、ライト級でアウエーの英国で大きな爪痕を残し、世界で最も歴史のあるボクシング専門誌ボクシングニューズ誌のPFPにも名前を刻みます。

欧米の眼中にあるクラスで、最も大きな波を起こしたのは村田の一択です。

しかし「プロ限定」で、リナレスのように日本のジム所属というフィルターを通すと…私にはオルベック・ナザロフしか浮かびません。

1966年8月30日にキルギス・ソビエト社会主義共和国で生まれたナザロフは、10歳でボクシングを始め、アマ153勝12敗。

世界選手権やワールドカップでメダルを獲得した、心技体ボクサーの全てを兼ね備えたサウスポーでした。

1989年、ペレストロイカの波に乗って、ベル協栄と参議院議員アントニオ猪木が手を組んでソ連のトップアマ6名と契約。
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メディア向けの注目↑↑↑は前年のソウル五輪1988でライトウェルター金のビチェスラフ・ヤノスキー(右端)と、レノックス・ルイスをノックアウトした実績を持つビチェスラフ・ヤコブレフ(左端)の「Wビチェスラフ」。

もちろん、二人とも紛うことなきトップ中のトップアマでした。

しかし、ボクシングファンは翌1990年2月に行われた6人揃い踏みのデビュー戦「ザ・ペレストロイカ ファイト」の時点で32歳のヤノフスキーと、29歳のヤコブレフよりも、23歳のユーリ・アルバチャコフがプロでも途轍もないファイターになると確信していました。

「ザ・ペレストロイカ ファイト」は6人とも予定通りにKOデビュー。

B席(5000円くらいでした)で観戦した私は「日本でこんな素晴らしいイベントを見る幸運は多分死ぬまで一度もない」と直感しました。

確か、最高額のリングサイドA席は1万円でしたが「なんで5000円ケチってしまったんだろう」と後悔しながら「ボクシングって本当に面白いなあ」と一人、両国のホルモン焼き屋で余韻に浸ったのを思い出します。

フシ穴にしては、そのときの直感はいまだに間違っていません。

「試合(シングル)」としてなら、村田とトリプルGの試合を生観戦できてたら、間違いなく生涯最高だったでしょうが、「イベント(アルバム)」になると「ザ・ペレストロイカ ファイト」の物語性なんて、他にありえません。

とはいえ、当時は「アルバム」として見るには生観戦するしかありませでした。その意味で、イベント丸ごとお届けしてくれる、現代のネットストリームは最高です。

WOWOWも最高ですが、あれはコース料理のメインディッシュをいきなり食わされるようなものです。

もちろん、物語に富んだイベントなんてなかなかありつけませんし、メガファイトのPPVイベントになるとメイン以外は駄菓子を並べるようなラインナップも珍しくありません。

「メインディッシュだけで十分」という人が多いのも、よくわかります。



ペレストロイカとはなんだったのか!?なんて難しい話は置いて、ソ連からやって来たリアルディール、その中でも欧米の人気階級で傑出したパフォーマンスを見せたナザロフを、蘇らせます。

ナザロフは、後楽園ホールや有明、大阪でも生観戦できました。私にとって、マニー・パッキャオに並んで相性の良いアイドルでした。

プロボクシングで、防衛回数やら複数階級制覇やら数字の評価は後回しにされます。

「いつの誰に勝ったのか?」。それが全てです。

パッキャオが評価されてるのは「史上唯一の8階級制覇」ではありません。「4つのディケイドで世界王者 」ですらありません。

そんな「数字」は弱い相手なら容易に達成できるからです。そして、現代は明らかに弱い王者が存在します。 


「いつの誰に勝ったのか?」。それが全てなのです。 
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ZOZOマリン 18:00プレーボール。東京の雨は小降りはなってきました。幕張も大丈夫でしょう。

阪神ファンですが、佐々木朗希がお相手してくれるとは、何たる光栄!

冗談や皮肉抜きで、佐々木朗希の快投が見たい、と素直に思います。

しかし、こんな思いをさせてくれる投手が現れるとは。

プロ野球は深い、です。

プロ野球ファンは幸せです。
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私たちにとって「幻の右」といえば、ガッツ石松です。ガッツポーズも石松語源です(諸説あり)。

しかし、世界的にはモハメド・アリがソニー・リストンとの再戦で放った“The Phantom Punch”のことです(諸説なし)。
 
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アリ信者のウラジミール・クリチコの「現代でも十分に通用する。全く特別」という言葉を笑えません。身体能力はもちろん、初戦では〝魔法のガウン〟を何枚も重ね着していたはずのリストンが、怖がっているのがよくわかります。リストンや、タイソンはアリやホリフィールドの何がそんなに怖かったのでしょうか?

おそらく、彼らは自分を全く恐れないで立ち向かってくる相手が、とにかく無性に怖かったのです。



1965年5月24日。今から57年前のちょうど昨日のことでした。

「アリが殺される」と言われた初戦が、世紀の大番狂わせ。 再戦でもアリはアンダードッグでした。

32年後の1997年6月28日 。マイク・タイソンとの再戦に臨んだイベンダー・ホリフィールドも、初戦に続いてアンダードッグでした。

後世の人々は結果論を振りかざし「精神薄弱のリストンやタイソンが、鋼鉄の意思を持つアリやホリフィールドに勝てるわけないだろ」と、当時の専門家やブックメーカーをフシ穴だと笑ますが…。

いま、結果論を振りかざしている人々は57年前にはリストンを、25年前にはタイソンを盲信的に支持していた輩でしょう。

リストンやタイソンはよくよく考えると人間的な弱さを凝縮したようなボクサーでした。

そして、アリと石松は、狂気のファイターでした。 
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