フシ穴の眼 〜スポーツ疾風怒濤編〜

      Hope Lights Our Way / 希望の道を、つなごう。

カテゴリ: 世界最強の男

リング誌6月号、電子版がアップされました。

もちろん、マーベラス・マービンの大特集です。

まだ、髪の毛があるハグラー。毛があっても強そうです。↓
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HAGLER’S ARDUOUS RISE THROUGH THE AMATEUR AND PROFESSIONAL RANKS WAS PRECEDED BY A CHANGE OF SCENERY AND A FORTUITOUS UNION WITH THE PETRONELLI BROTHERS

アマチュアでもプロでも強靭さを見せつけたハグラーがリングに上がるとき、いつもペトロネリ兄弟 と一緒だった。


Serendipity is where chance becomes good fortune.

セレンディピティとは、元々イタリア語で「偶然」が「幸運」に変わるという意味だ。

イタリアに縁もゆかりもない15歳のマービン・ナサニエル・ハグラーはニュージャージー州ニューアークから母親と兄弟とマサチューセッツ州ブロックトンに引っ越した。

引っ越した、なんて言葉を使うと彼らは苦笑いするだろう。貧困と暴力が限界を超えて渦巻いていたニューアークは、家族で生き残るには逃げるしかなかったのだ。

この引っ越し、いや生きるための逃亡で、Serendipityのサイコロを投げていたなんて、内向的な15歳の黒人少年が気付くはずもなかった。

人間不信の少年が心を許せるのは、家族だけだった。自分に懐いてくれる鳩にも愛情を感じたが、それ以外の世界は、全部が敵だった。

家族を支えるために働きづくめの少年は、通勤で前を通るボクシングジムに惹きつけられた。

理由なんて、そのときも後になっても、わからない。とにかく古くて立て付けが悪くて、暗くて、ジメジメしたボクシングジムが、どういうわけだか、少年の目にはまぶしく輝いて見えたのだ。

本人がどんなに考えても理由が説明できない、こんなことを、Serendipityと呼ぶ以外に、何か表現のしようがあるか?


人間不信の黒人少年が一番信じることができないのは、当たり前だが白人だ。大人の白人兄弟なんて、自分に危害を加えようとしてる凶悪な猛獣にしか見えなかった…そのはずだった。

白人から受けた酷い仕打ち、恐怖の思いは少年の心に生々しく刻みつけられていた。

それなのに。

グッディとパット、ペトロネリ兄弟と初めて会ったとき、少年が感じたのは恐怖ではなく、不思議な親しみだけだった。

あの時の少年が、そう感じる白人兄弟は、この地球上で、ペトロネリ兄弟しかいなかっただろう。

こんな偶然をSerendipityと呼ぶ以外に、どう語れば良いのか?



ありえない偶然が、いくつも重なる、そんなことが世の中にはある。滅多にないことだけど。



そういえば、英語で偶然は chance だ。チャンス、そう、絶好の機会だ。そんな偶然のチャンスが、大きな幸運、 good fortuneに化ける。

将来に希望を見出せない15歳の黒人少年が、なぜか薄暗いボクシングジムに引き寄せられ、恐怖に慄くしかなかったはずの白人兄弟に説明不可能の、温かい親しみを感じる。 

しかも、そんな奇跡が起きたのが、裏切りと欲望しかないはずのボクシングという世界だというのだから、もはや偶然ではなく神の配剤だったのかもしれない。

そして、裏切りと欲望しかない腐った世界で、ハグラーとペトロネリ兄弟は生涯の忠誠を互いに貫いた。ボクシングを知らない人に説明するなら、こんなことは絶対にありえないことなのだ。


これ以上に、美しい物語が他にあるだろうか?


Serendipity is where chance becomes good fortune. セレンディピティとは「偶然」が「幸運」に変わるという意味だ。

残念ながら英語には、それを一言で表現する言葉を持つていなかった。


S
erendipity…。


しかし、本当に偶然だったのだろうか?

多分、それは偶然なんかじゃなく、必然だった。

ハグラーとペトロネリ兄弟は、出会うべくして出会ったのだ。

ハグラーはペトロネリ兄弟と会うために、ニューアークからブロックトンを目指したのだ。

ペトロネリ兄弟はハグラーを待つために、かの地でボクシングジムを開いたのだ。



そして、運命のサイコロは、さらに転がってゆく。
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マニー・パッキャオとフロイド・メイウェザー、マルコ・アントニオ・バレラ、エリック・モラレス、ファン・マヌエル・マルケス。

モハメド・アリとジョー・フレイジャー、ジョージ・フォアマン、ケン・ノートン。

ボクシングの物語が魅惑のクライマックスを迎える絶対必要条件は、ライバルの存在です。

パッキャオとメイウェザーがなにゆえ、あそこまで大きなイベントに膨れ上がったのか?もちろん、理由は一つではありません。しかし、二人のライバル関係があまりにも色鮮やかだったことが最大の理由です。

〝今は亡き〟リング誌の「BEST FIGHTER POLL」(年間PFP投票)で2005年から2014年までの10年間にも渡り、PFPトップを分け合ってきた二人が激突したのです。

これほどまでに凄まじいライバル関係は、ボクシング180年のヒストリーブックのどのページを探しても見つかりません。 
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プライドと勇気の火花を散らしたFOUR KINGSに比べて、こいつら↑ときたら…。

しかし、パッキャオとメイウェザーは〝たった二人〟きりでした。

さらに、その激突は一度きり。

そして、何よりも二人は全盛期を過ぎてリングの上では証明するものは無くなっていました。

2015年の二人にとって、リングは新たなレガシーを築く神聖な場所ではなく、金儲けのための市場に過ぎませんでした。




しかし。

7年間という密度の濃い時間で、PFPキングを奪い合った四人、つまりプライムタイムの四人がラウンドロビン(総当たり)でプライドを賭けて戦った…そんな夢のような時間があったことを、憶えているでしょうか?


1980年:ロベルト・デュラン。

1981年:トーマス・ハーンズ、。

1982年:シュガー・レイ・レナード。

1983年〜86年:マーベラス・マービン・ハグラー。
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もし、あの当時を知らない人がいたとしたら…?

1980年から86年までの、この簡素なPFP年表をもう一度見て下さい。

最初の3年間をデュランとハーンズ、レナードが獲り、残りの4年間をハグラーがスイープした「7年戦争」です。


先駆けた3人のPFPキングが、そのあと4年連続PFPキングのハグラーに次々と挑んでいったのです。

このスペクタクルが、どれほど強烈な磁力で世界中のボクシングファンを惹きつけたことか。


当時を知らない人でも、私のこんな下手くそで短い文章でも、あの7年間がボクシングファンにとって狂喜乱舞の時間であったことは簡単に想像できるでしょう。

パッキャオとメイウェザーが2人じゃなく4人もいて、何よりも全盛期に総当たりで激突していったのです。

あんなのを見てしまって「世界のボクシングの熱狂的ファンになってはいけない」「(学校図書館が定期購入していた)リング誌も(当時はボクシング情報満載だった)スポイラ誌も貪り読んではいけない」なんて言われたなら「死ね」と宣告されたのと同じです。


そんな、絢爛豪華な時代が、確かにあったのです。 

そして、そんな世界のど真ん中に屹立していたのが、マーベラス・マービン・ハグラーだったのです。 
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※THE GREAT TRIUMPH なんて言葉は多分ありませんが、雰囲気が伝われば。。。


さて!松山英樹のメジャー制覇です!!!

野球やサッカーとは違う「ゴルフ」という少し特別なスポーツだけに、一昨年のラグビーW杯のような「日本列島を熱くさせた」というよりも「ゴルフファンが悲願達成に泣いた」という方が近い大偉業でした。

そうはいっても、私はゴルフはしても、熱心に観戦することがない微妙なファンですが、松山がやってのけたことがどれほどとんでもない偉業かはよくわかります。
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https://www.bbc.com/sport/av/golf/56711510
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AUGUSTA, GEORGIA - APRIL 11: Hideki Matsuyama of Japan poses with his caddie, Shota Hayafuji, and the Masters Trophy during the Green Jacket Ceremony after winning the Masters at Augusta National Golf Club on April 11, 2021 in Augusta, Georgia. (Photo by Kevin C. Cox/Getty Images)
 
ケーブルテレビで毎日見てるCNNやBBCのスポーツコーナーでも、例外なくトップニュースです。スポーツ専門チャンネルのESPNではもちろん総合トップです。

テニスと並んで欧米で最も高い人気を誇るゴルフで、4大メジャーの一つを制したのです。

優勝賞金207万ドル(約2億2700万円)という〝安さ〟も、テニス同様にこのスポーツの「品格」を感じます。

1934年に第1回大会が開催、招待資格を持つ世界中の名手(マスター)が一堂に会して覇を競うことから、39年から「マスターズ」と銘打たれた。あらゆるスポーツの中で最も格式が高く、最も紳士的…。

世界に爪痕を残す日本人が現れたとき、必ず〝説明書〟が発行されます。それは〝大偉業〟には付き物の〝保証書〟と言い換えた方がわかりやすいでしょう。

80年代、この保証書を最初に手にしたのが岡本綾子でした。

米国のメディアが「自動車、ゴジラを上回る日本の最も強力な輸出品」という報道を保証書に「米国が評価してるから本物だ!」と、岡本は一段高いステージのアスリートと尊敬されましたのです。

そして、90年代には野茂英雄が太平洋を渡り、中田英寿が大西洋を越えます。
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日本人が世界と戦い、打ち勝つ、その姿にファンは熱狂してきました。

そこでは、日本人が格闘した相手がいかに難攻不落の強敵なのかの説明書と保証書が求められました。


日本史上最大のスポーツヒーローは長嶋茂雄でしょうが、彼には説明書や保証書の類は不要でした。


長嶋が1958年にデビューしてから62年の歳月が過ぎゆきました。この間、私たちスポーツファンは成熟して博識になったのでしょうか?

それとも、説明書や保証書を確認してからでないと熱狂できない頭でっかちで面倒な大人になっただけなのでしょうか?


「世界の〝メジャー〟に爪痕を残した日本人」。

その歴史を「私たちは観戦スポーツとどう向き合ってきたか」と並行しながら考えて行きます。



それにしても、松山英樹!天晴れ!にも程があります!!!

厳しいパンデミックの最中で、そしてこれは言っちゃいけないんですが、米国でアジア人への暴力行為が続く中でアジアの偉大なパフォーマンスを、あのオーガスタで見せつけてくれた!!!天晴れ!!!!!ありがとう!!!!!!
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ゴルゴ13のコミックスが200巻を数えました。ビックコミックに連載がスタートした1968年から、足掛けなんと53年。

デューク東郷の年齢は第一話時点で35歳としても、現在88歳、稀代のスナイパーも米寿を迎えていることになります。

どんな物語にも必ず、終章があります。

さいとう・たかをも「最終回の内容は決まっている」と明かしています。

永遠に思えるものにも、必ず最後は訪れるのです。
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今年43歳になるマニー・パッキャオはデューク東郷の半分にも満たない年齢ですが、プロキャリアは27年目。

消耗の激しい過酷な職業で、キャリア前半を命のやり取りをするかのような打撃戦でメキシコ系のボクシングファンのハートを鷲掴みにし、アジアに対する自虐に塗れていた日本のボクシングファンの胸を何度も昂らせてくれました。

同じ黄色人種が世界的な強豪、ピッグネームを次々に撃破して、ついに米国ボクシングの花・ウェルター級でスーパースターの頂点に立ちました。

「パッキャオが凄いんであって、アジアが凄いわけじゃない、日本人が凄いわけじゃない、ましてやお前が凄いわけじゃない」…。

それは、わかっていても、米国の大会場でBサイドのアンダードックにもかかわらずスター選手をことごとく撃ち落とす勇姿に「見たか!これがアジアの拳だ!」(ボクシングマガジン)の大見出し通りに、我がことのように何度も興奮してしまいまいました。
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私にとって、80年代の絢爛豪華なリングが世界のボクシングとの出会いでした。

90年代が深まると、面白い試合もあったのに退屈さを抑えられなくなります。

もちろん、常軌を逸した王者乱造にも辟易しました。

米国リングを支配するスター・システムのルールが、より厳格に施行されてゆくこと、スターは作られるということへの不満もありました。

そんな台本通りの寸劇が粛々と進められている米国リングに、左拳一つで乗り込んだのがマニー・パッキャオです。

アジアが紡いだ最強の神話も、ついにファイナル・チャプターに突入しています。

現在、上院議員とプロバスケットボール選手、そしてボクサーと、三つのワラジを履く43歳のフィリピン人ですが、来年の大統領選挙出馬となると「当選したら大統領職だけに集中する」と公約せざるを得ません。

「今年2試合」という意気込みも、テレンス・クロフォード戦が決定なら、そこで惨敗→引退を強いられるという見方もあります。

今のパッキャオではクロフォードは倒せない、というのが大方の予想です。

ESPNでも「パッキャオはレームダック。過去の業績が凄まじいだけで今は張り子の虎」と決めつけられています。

アジアの神話にも終わりの刻が、間違いなく近づいています。


それでも、ランチビールを飲みながら、ふと思い直しました。


大体、クロフォードなんかに負けるか?あいつ、ウェルター級で強いヤツに勝ったことが一度でもあるか?

それに「大統領になってもボクシングを続ける」と宣言した方が当選確率が上がるような…。

というか、そもそも超がいくつも付く泡沫候補です。当選するわけがないので、プロボクサーを続けるでしょう。



…どっちにしても、長い長い、ファイナル・チャプターになりそうです。


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サザエさんは1946年に新聞漫画として始まり、原作者の長谷川町子が亡くなってからも、テレビアニメはまだまだ終わる気配がありません。

1946年当時、サザエさんが25歳だったとすると、今年でちょうど100歳の誕生日を迎えているはずです。

終わらない物語の一つや二つ、あったっていいのかもしれません。
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THE ATHLETICとESPNが「交渉中」と報じたマニー・パッキャオとテレンス・クロフォードのメガファイト。

MPプロモーションズのショーン・ギボンズはこの報道を「噂はデタラメ。クロフォードが誰と戦うのか知らないが、それはパッキャオではない」と全面否定。

一方で、ボブ・アラムは「今週中(日本時間4月3日)に、クロフォードが戦うメガファイトの相手を発表する」 と語りましたが、すっかり往年のパワーを失っているトップランクでは超大物パッキャオとの交渉は難しいと見られています。

「アラムのことだからホセシト・ロペスあたりの名前を出してくる、そのレベルがトップランクのメガファイト 」と揶揄する声まで上がっていますが、ホセシトでメガファイトとは笑止千万です。

WBO王者クロフォードの指名挑戦者はショーン・ポーターですが、非力でこの階級では何も試されていないクロフォードにポーターは危険過ぎます。

If Crawford takes the fight with Porter, he’d be ready for a survival of the fittest type of fight because it might end up being his worst nightmare come true.

ポーターと戦うなら、クロフォードはサバイバルの悪夢を見る。


テオフィモ・ロペスとの関係が完全に冷え切っているトップランクにとって、クロフォードは一枚看板。これからも、ぬるい相手と戦って錆び付いていくのかもしれません。

それにしても、GBPほどの惨状ではないものの、トップランクも落ちぶれました。

ゲンナディ・ゴロフキンやジャーメル・チャーロの名前も一部メディアで挙がっていますが、非力なクロフォードにとっては惨敗の可能性が大きいだけにやらないでしょう。 

病的なパックマニアとしては、クロフォード戦が実現して欲しいところですが…。

さて、そのパッキャオは残念なくらい呑気に構えています。
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もはや頭の中は来年の大統領選挙でいっぱい?

今日、コロナ禍に端を発した米国でのアジア人差別、暴力行為に「We have one color in our Blood!!Stop discriminating. LOVE AND PEACE TO EVERYONE!!(肌の色で差別するな!血の色はみんな同じだ!すべての人に愛と平和を!!)」とツイート。

FIGHT ME INSTEAD 「無力なアジア人を攻撃するなら、まず俺と戦え!」。

格好いいポスターまで作っちゃって。

まー、でも、それは来年になったらやりましょう。大統領選は来年ですよ。

とりあえずリングに戻って来なさい。
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古賀稔彦と沢村忠。


「五輪金メダリスト」という最も社会的に認知された称号を、最も感動的な形で獲得したアスリートが古賀。

今なら国民栄誉賞というレベルで日本列島を沸かせたものの、社会的に認められたとは言い難い清濁混淆のキャラクター、沢村。

全く対照的な二人の悲しい知らせが、続けざまに届けられてしまいました。



古賀は柔道家が憧れ、素人にも分かりやすい、最強の柔道家です。

高校時代、陸上部の先輩が柔道部と兼部してたのですが、彼女のアイドルが古賀でした。最初の五輪(1988ソウル)に出場する前から、誰もがそのスタイルを尊敬した柔道家でした。

 
そして、古賀の単純明快さに比べて、沢村はどこまでも複雑でミステリアスな存在でした。
 
「キックの鬼」は再放送でしか見ることがなかった私でも、沢村によって巻き起こされたキックボクシング・ブームの残り香は、毎週月曜日の夜に放送されていたキックボクシング番組からも感じることが出来ました。



人が勝手に規格を作った社会的認知・地位という点で真逆の競技生活を送った二人でしたが、世界最強という一点において全く違わぬ二人でした。



これから未来永劫「そういえば、あれ、誰だっけ?」と、日本のスポーツファンが彼らの名前を忘れることは絶対にないでしょう。
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A legend that tells of a song of great sweetness sung by the swan just before its death, called legend of the swan song.

 

白鳥は麗しい声で歌うが、最も偉大で素晴らしい歌は死ぬ間際に歌う。世に言うスワン・ソングの伝説である。
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2016年の大統領選挙、番狂わせで当選したロドリゴ・ドゥテルテは、来年2022年に6年の任期を全うします。
2022年の大統領選挙、フィリピンでは大統領再戦を禁止しているので〝フィリピンのトランプ〟は再出馬することはできません。
しかし、ドゥテルテは、次の6年も影響力を握るために、現在ダバオ市長を務める長女サラを来年の大統領選挙に送り込むことが確実視されています。

そして、大統領選出馬の年齢条件「40歳以上」をクリアしたマニー・パッキャオも本人は一貫して否定しているものの、多くの関係者は立候補すると見ています。

下馬評では、貧困層・地方で支持の強いサラ市長と、富裕層に基盤を持つボンボン・マルコス(マルコス元大統領の長男)の一騎打ちと考えられており、ボクシング史上唯一の8階級制覇王者は〝泡沫候補〟扱いです。

パックマンは、リングの上で何度も起こした大番狂わせを政治の世界でも再現できるのか?

リングの中では、パッキャオは「今年2試合を戦う」と語っています。

大統領選を意識した〝選挙キャンペーン〟と見る風もありますが、ボクシングファンの興味はその相手が誰なのか?その一点です。

コナー・マクレガーとの茶番劇が一時有力視されていましたが、the Athletic が「テレンス・クロフォードと6月5日にUAEのアブダビで対戦することで交渉が進んでいる」と報じました。

「年2試合」はこの6月と、11月か12月にもう1試合という計画ですが、6月のクロフォード戦で惨敗を喫するとそこで引退の目もありえます。

… パックマンのスワン・ソングは阿鼻叫喚の悲鳴に包まれてしまうのか?

それとも、さらにレガシーを積み上げて年末のエロール・スペンスJr.との最後の決戦につなげる歓喜の凱歌を歌うことになるのか?

42歳のパッキャオは衰えを隠せないものの、クロフォードにとってもスペンスにとってもキャリア最強の敵です。

ウェルター級では何もしていないクロフォード、大事故前でも肥満したマイキー・ガルシアを仕留めることが出来なかったスペンスが生きる伝説に勝てると考えているとしたら、100年早いです。
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ソメイヨシノは散り始めましたが、東京国際フォーラムのしだれ桜は満開です。

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1980年代。

思えば…モハメド・アリとヘビー級の時代が終わって、シュガー・レイ・レナードの中量級の時代が始まるはずでした。

確かに「中量級の時代」はレナードの拳によって、華々しく幕を開けました。

しかし、バート・シュガーの「面白い試合を勝ち抜く実力と、恐るべきライバルに恵まれる幸運がなければ、レナードはスーパースターになれない」という預言は間違っていました。

つまり、レナードは「実力」と「運」を、これ以上ない形で持ち合わせていたにもかかわらず、リングからの退場を余儀なくされたのです。
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1981年9月16日、WBCウェルター級王者レナードは、WBA王者トーマス・ハーンズとの完全統一戦で「ボクシング史上最高試合」という激闘に勝利しますが、試合後に左目の網膜剥離が発覚。

レナードは当時の医療技術の最高権威のもと手術に踏み切ります。

「当時の」という表現は間違いです「今でも」です。

レナードが横になったのは、このパンデミックで日本でも有名になったジョンズ・ホプキンス大学病院のベッドでした。

そうです、このパンデミックで「WHOよりもはるかに正確で公正な情報を世界に提供している医療機関」です。

2時間に及ぶ大手術を執刀したのは〝眼科のブラック・ジャック〟(と私だけが言ってます)ロナルド・マイケル博士。

「史上最強のパンチャー」とも評されるアーニー・シェーバースの目も完治させた名医です。

ジョンズ・ホプキンス大学には全米だけでなく欧州や日本からも「レナードを治して下さい」と多くのメッセージが届きます。

その中には、レナードをアマチュア時代から応援していたロナルド・レーガン大統領の手紙もありました。


マイケル博士は「手術は成功した。網膜は40%剥離していたが、シェーバースよりも軽傷」と復帰に問題はないと会見しましたが、多くの医療関係者やファンは「レナードをリングに戻すなんて狂ってる」と反発しました。

そして、当時のボクシング界を牛耳っていたのは、あの怒髪天の黒人です。

怒髪天にとって、レナードの興行に関わっていたボブ・アラムは「殺せるならとっくに殺してる」という存在。

「レナードをリングに戻すなんて人道的ではない。彼は栄光もカネも手に入れた。失明の危険を冒してリングに戻そうとするヤツは人間の皮を被った悪魔だ」。

怒髪天は「どの口で言ってんねん!」というセリフをあちこちで撒き散らしました。


さらに、アルファベット団体の人生哲学が「寄らば大樹の陰」であることは、今も昔も変わりません。

ドン・キングに脅迫されたホセ・スライマンは「アリが引退したあと、レナードはボクシング界を支えてくれたが、これは人生と健康の問題。レナードは引退すべきだ」と、キングを支持します。




1982年11月。

レナードは引退を発表しました。


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▶︎。。。「ハグラーvsデュラン」の前置きだけでも終わりそうにない。。。。。。。。。

ボクサーの報酬がどのような仕組みで成り立ってるのか、ハグラーの時代は格好の教科書で、デュラン戦を材料にご紹介しようと思ってました。




しかし、、、、もはや何が「前置き」なのかわからない段階に突入しました。 

私にとってハグラーをトリビュートするとは、そういうことなのです。



個人的な話で恐縮ですが、なぜか仕事が超繁忙で、なかなかスッキリ書ききれません。
今週を乗り越えれば、少しは暇な時間もできると思うのですが…。



私を「世界のボクシング」にいざなってくれた、ハグラーの物語。

それにしても、いつ「THE 
SUPER FIGHT」に辿り着けるのやら…。
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それにしても、繁忙期が続きます。もう、そろそろゆっくりしたいです。根本的、生理的、宿命的に仕事は嫌いなんです。
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こんな時期に取引先の男が「転職することになりまして」と挨拶に来やがった。

バイトの子にユニクロで花買ってきてもらって「このタイミングで挨拶に来るなー!」とドサッと渡してお引き取り願いました。

そして!

「ハグラー話はもう落ち着いた」と思ってる方もいるかもしれませんが、ハグラーへのトリビュートは永遠に続くのである!

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1980年代中盤は、世界の中心でマーベラス・マービン・ハグラーが覇王の咆哮を轟かせていた時代です。

しかし、マーベラス・マービンが玉座に就くまでには、理不尽なまでに長い長い時間が必要でした。

最初の世界挑戦は1979年11月30日。

舞台はやはり、もちろんネバダ州ラスベガス、シーザースパレスの屋外特設リング。

18歳でデビューしたハグラーはキャリア7年、49試合を戦い25歳になっていました。

時代とアマ実績が全く違うとはいえ、完全ホームの大声援を受け、ミドル級史上最短の13戦目で世界挑戦した村田諒太と比べると、ハグラーがいかに長く暗い不遇の時間を過ごしたのかがよくわかるはずです。

やっと巡って来た世界挑戦、ハグラーの標的は、ミドル級のUndisputed Champion =完全統一王者、28歳のビト・アンツォヘルモ。

WBAからWBCが分離独立して10年が経過、当時の13階級で完全統一王者を抱えていたのはミドル級だけでした。

無冠の帝王と畏怖されていたハグラーは挑戦者ながらオッズ、予想とも圧倒的有利。

シュガー・レイ・ロビンソンがリングを去ってから、この伝統のクラスで覇権を築いたのはアルゼンチンのカルロス・モンソンだけ。

人気階級の完全統一王座が、ハグラーの拳によって米国に再びもたらされると、ロビンソンの時代が蘇る。

そんな期待に、米国ボクシングファンの胸が膨らんでいても不思議ではないはずでした。

しかし…。

この日の主役はハグラーではありませんでした。

ハグラーとアンツォヘルモの完全統一ミドル級タイトルマッチをセミに回して、メインイベントを飾ったのは、当時はミドル級と比べると人気階級とは言い難かったウェルター級、しかもWBCのワンピースだけがステイクされただけのタイトルマッチでした。

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このイベントは、シュガー・レイ・レナードだけのために用意された舞台でした。



…それでは、脇役に追いやられた Undisputed Middle-weight Champion、アンツォヘルモの嫉妬と愚痴を聞いてみましょう。

Vito Antuofermo (middleweight champion, 1979-1980): Leonard made a million dollars to challenge Benitez. On the same card, I made $150,000 and Hagler made $40,000. We were all jealous. Leonard was only a challenger — even though he was a great fighter, he was only a challenger. 

ビト・アンツォヘルモ(世界ミドル級王者:在位1979-1980)レナードの報酬は100万ドル、同じイベントで私が手にしたのは15万ドル、ハグラーは4万ドルだった。私たちはみんな、レナードを妬んだよ。レナードはただの挑戦者なのに、どうして?確かに彼は素晴らしいファイターだったけど、一人の挑戦者に過ぎないというのに。

▶︎レナードが最終的に手にした金額は100万ドルを大きく上回っていました。

しかし、五輪金のアイドルがスーパースターになれるかどうかは専門家の間でも「ウェルター級のレナードは高い知名度でプロデビューした。このまま面白い試合を勝ち続ける実力と、恐るべきライバルに恵まれる運、この二つの高いハードルが彼には待ち受けている」(歴史家:バート・シュガー)と懐疑的でした。


And in my very first defense, they made me fight Hagler. That’s a tough first defense. Nobody wanted to fight him. Hagler was the best I ever fought. He’s a southpaw who does everything so naturally both ways. He switches stances back and forth, and that gets a guy really mixed up. You can’t get comfortable.

初防衛戦の相手がハグラーだった。とんでもない防衛戦さ。ハグラーと戦いたい奴なんて、世界中探したって一人もいない。もちろん、私のキャリアで最強の相手だった。彼はサウスポーだったけど、右構えでもなめらかに戦えるスイッチヒッターだった。破格の強打者なのに巧いんだから、油断も隙もなかった。



Most of the time it would take me a couple of rounds to figure a guy out, and then I’d take over. But with him I was never able to do that.


私はいつも序盤のラウンドで相手の力量を測ってから攻撃に切り替えるんだけど、ハグラー相手にそんな余裕はなかった。


そして、次は苦労の末に掴んだ世界戦が〝レナード祭り〟の前菜にされたハグラーの回想。
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“Marvelous” Marvin Hagler: I didn’t resent Leonard when we were both coming up. As a matter of fact, when Leonard was an amateur, I kinda liked him. I’d been following him since the Olympics, like everybody else.

当時はレナードのことを恨んでなんていなかった。私とレナードは同じ時代にアマチュアだったけど、彼はスーパースターだった。正直に言うと、私も彼に憧れていた。五輪で金メダルを獲ってから、彼の試合はしっかりチェックしてたけど、それって当時の米国なら誰でもそうだっただろう?
 

▶︎モハメド・アリが衰え、プロボクシングのリングでは陽が沈みましたが、五輪をクライマックスとするアマチュアボクシングはモントリオール1976からロスアンゼルス1984まで絶頂期を迎えます。

五輪予選は地元TVが生中継、五輪本番も米国選手が出場する試合は全て地上波生中継されたのです。

日本で喩えると〝世界〟甲子園のような熱狂だったのでしょう。



レナードとハグラー。

2人は、米国ボクシングのリングの光と影、太陽と月でした。
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アメリカのボクシングが最後の輝きを放った80年代の絢爛。

北米大陸の東西海岸、主にニューヨークとラスベガスで行われることが多かったメガファイトは、ラスベガスに偏向します。

それもシーザースパレスの屋外特設リングへの一極集中でした。
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夕闇迫る砂漠のギャンブルタウン。

まだ残る日差しの中でアンダーカードが始まり、夜のとばりが下りた頃、煌々と照らされたリングの上でメインイベントが厳かに始まる。
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それは、まさしく儀式でした。

世界中のボクシングファンにとって、あの特設リングは天井のない神殿だったのです。
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