フシ穴の眼 〜スポーツ疾風怒濤編〜

      Hope Lights Our Way / 希望の道を、つなごう。

カテゴリ: スポーツよもやま話

空模様が怪しい。せっかくの土曜日というのに雨が降りそうです。

といっても、せっかくの土曜日というのに、仕事ですが…電車の窓に雨粒が当たり始めました。

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読売は渇望のクローザーを手に入れました。

「イニング跨ぎ無し」はもちろん「3連投も無し」という〝箱入りクローザー〟です。

江夏の時代は、イニング跨ぎも連投も当たり前でした。だから「21球」のような偉大なるマッチポンプ劇も起きるのですが。

大勢だけでなく、佐々木朗希の腫れ物に触れるような起用法をはじめ、投手の故障を徹底的に回避するのが近年のトレンドです。

近年のトレンド、というよりも、この傾向は一貫して濃厚さを増してきていますから、逆戻りはないでしょう。

それにしても、当時は全く知りませんが「雨、雨、権藤、雨、権藤」って、いろんな想像力が掻き立てられる素晴らしい詩です。
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フロイド・メイウェザーvsドン・ムーアの茶番劇なんて下品な見せものは絶対に招致しない。

俺がアラブの石油王なら…。バンタム級以下の5階級で最強トーナメントを開催する。

優勝賞金1000万ドルに、優勝者の名前を冠した油田が副賞。

俺がアラブの石油王なら…。スコットランドとアイルランド、北海道、カナダ、米国にウイスキーの蒸留所を作る。

俺がアラブの石油王なら…。後楽園ホールを2万人収容のアリーナと、5000人キャパのシアターに建て替える。

俺がアラブの石油王なら…。脱サラして地ビールの蒸留所と、そこに併設する餃子とラーメンの店を経営する。

俺がアラブの石油王なら…。来月開催される国際ボクシング名誉の殿堂式展を観にニューヨーク・カナストータに有給使って半月くらい旅行する。

俺がアラブの石油王なら…。とりあえずマンションのローンを全部払い切る。

俺がアラブの石油王なら…。ウイスキーのとこで忘れてたけど、日本酒の酒蔵も立ち上げる。焼酎と泡盛の蒸留所も鹿児島と沖縄に作る。



俺がアラブの石油王なら…
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昨日から、陸上競技の関東インカレが始まりました。

男子2部10000m決勝はノア・キプリモ(日本薬科大)が28分28秒58で優勝。2位は岸本大紀(青学大)で28分28秒94。

1部は、順大の伊豫田達弥が28分42秒85で優勝。

2部の方がタイムが速い、なんて10000mのレースで言い出しても、2部の方がレベルが高いことにはなりませんが、関東では1部と2部の長距離種目のトップ選手の実力差は逆転現象が長らく続いています。

日テレのニュースZEROで、大接戦となった2部が取り上げられました。

私の時代には2部の方が強いなんて、あらゆる種目であり得ませんでした。他のスポーツでもそんな逆転現象が定着しているなんて考えられません。

ニュース番組のスポーツコーナーで紹介されるなんて、1部でも想像もできませんでした。それが2部だなんて。
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この巨大な倒錯を演出しているのは、視聴率だけなら日本最強のスポーツ箱根駅伝です。

そもそも関東ローカル大会の箱根駅伝が全国的に注目されるのってどうなの?長距離以外の種目にも注目すべき、なんて正論は置いて、日本最強の箱根駅伝はアメリカで興味を持たれることは絶対にありません。

言うまでもありませんが、ボクシング軽量級が注目されないのと同根の理由です。

彼らにとって関係性が薄すぎる、距離が遠すぎるからです。

その一方で、ラスベガスで最も成功した格闘技はマンダレイベイリゾート&カジノ イベントセンター(ミケロブ・ウルトラ・アリーナ)で行われた大相撲公演(2005年)です。

大相撲は、彼らにとって軽量級よりも関係性が薄く、遠いように思えます…。

この会場はノニト・ドネアvsフェルナンド・モンティエルが行われ、井上尚弥vsジョンリール・カシメロが決定していたラスベガスの大会場です。

ただし、軽量級は人気がないため上階席を封鎖、ドネアの試合はそれでも空席が目立ち、チケットも格安でした。

井上の試合も同じ仕様で、発表されたチケット価格のあまりの安さに驚いた日本のファンも多かったのではないでしょうか。

「彼らは大相撲を格闘技、スポーツとして見ていないから、ボクシングとは同列に語れない」というのは、ある意味でその通りですが、ボクシング軽量級も純粋なスポーツとして見られていないのもまた事実です。

ボクシングマニアではない、一般的なスポーツファンにとって軽量級は「ミゼットボクシング」です。

ラスベガスでミゼットボクシングのメガファイトを打つには、彼らに箱根駅伝を夢中にさせるほどのBプランなどを突き抜けたZプランが必要です。

彼らが箱根駅伝に夢中になるとしたら?

物語性に富んだメキシカンの学生長距離ランナーが米国で人気を博し、箱根駅伝に特例スポット参戦するというウルトラZくらいしか思い浮かびません。

レオ・サンタクルスのようなフェザー級あたりで人気爆発(軽量級としては)するメキシカン登場の方が、まだ10年に一度くらいあり得そうです…。
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タイム誌のThe 100 most influential peopleではアスリートが普通に登場しますが、ライフ誌Life Millennium: The 100 Most Important Events and People of the Past, 1000 Yearで100人に数えられたアスリートはたったの一人でした。
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人類史上初めて1マイル4分を切ったロジャー・バニスターです。

Sports Illustrated誌の第1回Sportsperson of the Year(1954年)に選ばれたのもバニスターでした。

陸上競技は1984年までに6人がSports person of the Year を受賞(人道的活動を評価されたケースを除く)していましたが、それ以降はウサイン・ボルトも選ばれていません。

陸上競技のステイタスが下がったのが、最大の原因かとおもわれます。

そうはいっても、第1回に選ばれたバニスターがどれほどの衝撃だったのかを窺うことが出来ます。

もちろん、この種のお遊びはPFP並みに真剣にとらえるものではありません。いや、PFP以下です。

もう一度やり直すと、アスリートは誰も入らなかったり、モハメド・アリが数えられているかもしれません。

日本人唯一ランクインの葛飾北斎が86位で、ウォルト・ディズニーか90位というのは嬉しいですが、1位エジソン、2位コロンブスという選考です。

アメリカは日本以上に「出過ぎたクギは打たない」国であること、「異質なもの」に興味を膨らませる傾向が強い国です。

日本では〝反対意見〟も目立った大谷翔平の二刀流も、米国では「やってみたら?出来たらすごいけど」という受け止め方で、いざ成功すると〝大谷ルール〟までいくつも設定してくれるほど熱烈に歓迎してくれます。

日本には、外国人の成功者をあそこまで歓迎する土壌はありません。この国はランディ・バースが殿堂入りできず、大坂なおみを受け止めることができない国です。

さて、完全にアメリカのツボを突いた大谷は別格にして、あそこまでやらないとダメなのか?

大坂のようにメジャースポーツで君臨しなければダメなのか?



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日本史上最大の決戦。

もちろん、それは「何を基準にするか?」によって変わります。



「それ」が「社会に認知されている」というのなら、ボクシング一択になります。

試合の「レベル」という点では「ファイティング原田vsエデル・ジョフレ」の2連戦しかありえません。

初戦(1965年)と再戦(1966年)が行われた時代は、一団体10階級時代。

世界に一人しかいない世界王者は例外なく強い。世界ランカーに弱い奴はいない。そんな当たり前のことが、当たり前だった時代では、PFPなどという妄想やマヤカシは必要ありませんでした。
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それでも、後年になってリング誌が各ディケイドPFPの60年代のキングに選んだのはジョフレ。原田は5位。

当時、リング誌PFPが存在していれば、ジョフレ初戦前でも原田はトップ10入りしていたかもしれません。そして、ジョフレ初戦の勝利では少なくとも5位以内、再戦で返り討ちにした時点で1位だったことは疑いようもありません。

原田は史上初のフライ・バンタムの2階級制覇(リング誌などは「盗まれた判定」と断じ「実質フェザー級までの3階級制覇」と評価してくれています)を成し遂げ、日本人唯一のモダーン部門での殿堂入り、しかも一発殿堂。

この偉業を超える日本人ボクサーはいつ現れてくれるのでしょうか?



では、「日本列島を熱狂の渦に巻き込んだ」という点では?

これは、力道山で異論はないと思います。

視聴率の測定方法などが現代と違うため、単純比較はできないものの、歴史の1ページである「街頭テレビ」に群がっていた群衆が見ていたのはニュースでも紅白歌合戦でもなく、力道山の試合でした。

人々を熱狂の渦に巻き込む、その磁力の発露となるカリスマ性、という観点ではアントニオ猪木やジャイアント馬場は論外、ファイティング原田をも優に凌ぐ存在でした。
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わかりやすい数字、「テレビの視聴率」(オンライン調査開始の1977年9月26日〜)という点では、具志堅用高がハイメ・リオス戦でマークした43.2%が最高です。

しかし、この「具志堅」には、数字こそ及ばなかったものの「事実上の1位」と認めるしかない強力な対抗馬が二つも存在します。
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まずは、瞬間視聴率は43.0%で、「具志堅」に0.2%後塵を拝した2003年大晦日の「曙vsボブ・サップ」。

史上初めて〝表番組〟の紅白歌合戦の視聴率を超えたのです。この「紅白破り」は、未だに格闘技に限らずどんな番組でも成し遂げることが出来ていない大偉業です。

「具志堅vsリオス」が紅白と正面衝突して、43.2%なんてありえなかったでしょう。

そして、ボクシング最後の国民的英雄・具志堅から没落一途を辿っているマーケットで、2009年という時代に43.1%と0.1%差に激しくチャージした「亀田興毅vs内藤大助」。

ボクシングの人気と社会的地位が低迷する時代背景を考えると、明白に具志堅を凌駕したと言えます。




さて、そして…。

「日本史上最大の決戦」というからには、一般紙でスポーツ扱いされているかという「社会的認知」や、具体的な尺度がない「熱狂の渦」とか、正月の箱根駅伝が象徴的なように人々の興味の大きさと乖離することもある「視聴率」は、最大の決戦を決める参考材料にしかなりません。

最大の決定条件は「興行規模」です。
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「日本史上最大の決戦」は?

広義の意味では太平洋戦争になりますが、「スポーツ」「格闘技」というフィルターを通せば? 
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ボクシング、プロレス、キックボクシング、総合格闘技。

社会的に認められているボクシングは言うに及ばず、プロレスやキック、総合格闘技でも社会現象レベルの人気を巻き起こしてきた我が国は、間違いなく世界一の格闘技大好き国民です。

白井義男、ファイティング原田。

力道山、ジャイアント馬場、アントニオ猪木。

沢村忠。

曙vsボブ・サップ。

亀田興毅vs内藤大助。

さて、「日本史上最大の決戦」は?
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ドラゴンズの大エース・大野雄大が10回2死までパーフェクトピッチングを続けていましたが、30人目の打者・佐藤輝に安打を許し、完全試合は達成できませんでした。

もう、やめてくれ!交流戦で佐々木朗希に食らうのは予定に入ってますが、今季はその1試合しか覚悟してません。

まあ、正直、好きなようにやってくれて構いません。

ただし!大野!よぉ聞けよ!これだけは言っておく!

我らがタイガースに完全試合決めても何の自慢にもならんからな!

という、ヤケクソな冗談(でもありませんが)はさておき、最近は日本も米国も「投高打低」の傾向が明らかです。

大谷翔平なんかは、一人で「投高打低」を繰り広げてます。


折しも、千賀滉大は「3割打者が絶滅する時代が来る」と西日本スポーツのコラムに書きました。

「投手はいろいろ勉強し、情報を入れ、トレーニングに生かす環境が整っているからです。各数値を見ても平均球速や変化球のスピード、変化量とあらゆるものが上昇しています」。


「一方の打者もトレーニング方法や打撃に関する情報はたくさんあるものの、打つ、走る、守るといった感じでこなす必要のある練習量が単純に多いので、急速に進化を遂げる投手に対応するのは容易ではない。そんな時代なのかなと」。

ラプソードなどの先進の機器と、SNSの発展とオープンシェアによって、一流投手のボールの握りや手首の角度、リリースポイント、ボールの回転数・回転軸などが誰にでも簡単に分かる時代にないました。

野球の世界では「打者はいくらでも練習できるが、投手の肩は消耗品」と考えられ、長らく「打高投低」が常識でした。

しかし、トミー・ジョン手術など外科医療の普及は「投手の肩は再生可能」になったばかりか、「手術した方が球速が上がる」という話もまことしやかに語られています。

山本昌は例外にしても、投手の方が選手寿命が長い傾向があるのは間違いありません。
加齢の中でもパワーやスピードは維持、あるいは劣化を緩やかに抑えることができます。

アスリートが加齢の過程で最初に失うのは反射です。
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ベーブ・ルースは「投手よりも打者の方が長くできる」と、二刀流を諦めました。本物の天才の感覚は「100年後には間違っていた」ことになりますが、それは「まだ100年しか経っていないから」なのかもしれません。


「50歳まで現役」と語っていた、あのイチローがですらも反射の衰えはどうしようもありませんでした。

野球の打者で、反射の衰えは致命的です。 

野球の世界で、何を持って「打者有利」「投手有利」というのかもわかりません。グラウンドの広さや形状、サーフェイス、何よりもコンタクトするボールとバット、ストライクゾーンの設定によって変わってきます。

しかし、絶対的に「受け身」で「反射が重視」される打者が、圧倒的に不利なことは間違いありません。 

選手としては「グラウンドの広さや形状、サーフェイス、何よりもコンタクトするボールとバット、ストライクゾーンの設定」によって、自分が有利になる状況を作るしかありません。

広いグラウンドなら外野手の間を抜く打球を意識したり。人工芝や固いサーフェイスなら叩きつけてお大きなバウンドで内野安打を狙う。

確かに、日本では一人も存在していない、4割打者はメジャーでも絶滅しました。

いつか〝ニホンオオカミ〟のように「最後の3割打者」が歴史に刻まれるのかもしれません。

まあ、まあ、スポーツほど面白い、純粋に奥が深いものはありません。

偉大な千賀の向こうを張るのはおこがましいですが、プロ野球ファンとしては「3割打者の絶滅」よりも「4割打者の復興(日本では初)」が近未来に起きると、何の根拠もなくとも圧倒的な情熱で予想、予感、確信します。

現在、セ・リーグの首位打者は中日の大島で3割5分4厘で、あと4分6厘。

パ・リーグは日ハムの松本剛で3割7分1厘で、あと2分9厘。

その〝近未来〟はもしかしたら…。
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モハメド・アリのおかげで色々知ることは出来たとはいえ、ベトナム戦争は私にとって、歴史の教科書の出来事です。

1979年のソ連によるアフガン侵攻は、まだ小学生だったとはいえ、翌1980年のモスクワ五輪を日本や米国など西側諸国がボイコット、岸体育館での山下泰裕らの涙の抗議や、淡々と日々の練習をこなしていた瀬古利彦の姿をテレビで見たので、よく覚えています。

ルーマニアのチャウシェスク、ソ連崩壊、ベルリンの壁崩壊、北朝鮮の拉致問題…そして現在のロシアによるウクライナ侵略。

私にとってのソ連やロシア、共産主義国の記憶は時代遅れの思想を掲げて個人崇拝に迷走した「悪」の色合いが強いものです。

もちろん、ソ連が宇宙開発で米国を先行していたことや、北朝鮮が韓国よりも豊かだった時代があったことなどは知識としては知っています。

私が大学に進学した頃にはすっかり影を潜めていた学生運動が労働者が主導するとされたソ連や北朝鮮の社会を憧憬していたことも少しは知っています。

米国を中心とした西側諸国の支配者層が共産主義を恐怖し、理不尽な赤狩りや、朝鮮やインドシナ、自国から離れた土地で残虐な代理戦争を繰り広げたことも、私にとっては「終わった歴史」になっていました。

高校のときの担任教師が元全共闘の闘士で、変わり者だったので私みたいな生徒にも目をかけてくれていましたが、そんな恩師も亡くなってしまいました。

ただ、世の中は面白いもので昨年、仕事先の元文学少女の方(正確には現在も文学おばさん・元少女です)とのオンライン飲み会にソ連・ロシア通の方が参加、興味深い時間を過ごすことができました。

学生運動の馬鹿者どもだけでなく、文学少年・少女たちにとってもロシア文学は外せない中核。

思想や文学において、アメリカよりもソ連を憧れる時代があったこと、文学においてはいまだにその評価は不動のものであることは、私でも分かっていることでしたが、ソ連の労働者が日々送る生活についてはよくわかりませんでした。

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しかし、その元少女の知り合いのソ連通の方が同じ沿線住みということで、2月に一度遊びに行く機会がありました。

70年代初めにソ連を訪問したときのアルバムを見せてくれ、いろんな文献・雑誌までを惜しみなく貸してくれたのです。

その一つが「ソビェト婦人」。この雑誌は見れば見るほど「欧米かッ!?」と急速にタカトシ化してしたいます。

ソ連版「LIFE」です。

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◼️「黒海はまねく」↑

夏休みのシーズン!療養地に通ずる街道は、活気をみせてきます。

何万という自動車が、人びとをまちから海のほとりに、休息へと運んでいきます。(1963年6月号)◼️

フロリダかッ!



◼️「モード」

今年のモードは、簡素で実用的ですが、なんとなくロマンチックなムードをたたえています。

若い女性には、主として、スポーティなスタイルが多く、パンタロンに短いオーバー、あるいはハーフコートなどの取り合わせが好評です。(1970年10月号)◼️

パリコレかッ!


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◼️「空飛ぶ病院」↑

「救急機医」という職名が生まれたのはソビエト初の救急飛行機「K-3」があらわれた1927年のことです。いま、ソ連には186の救急および、定期出張診療所があり、2万人の医師がここで働いています。

こうして、世界でいちばん大きな〝空飛ぶ病院〟ができたのです。

国家は毎年、救急飛行機とそこで働く医療勤務員の数をふやすために、ますます多くの資金を出しています。(1970年10月号)◼️


1927年にドクターヘリかッ!




このタイミングで旧ソ連を賛美するつもりは全くありません。

主権国家への侵略行為はすべからく悪であり、何よりも私たちは西側諸国の住人です。

土曜日の「日本史上最大の戦い」もほとんどの日本人は村田諒太を応援しました。

ボクサーとしては格上のゲンナジー・ゴロフキンが、敵地のリングに引っ張り上げられる構図です。

日本人以外のボクシングファンはゴロフキンに感情移入したはずです。

現在のボクシングシーンがメキシコ中心に回っていなければ、あるいはゴロフキンがメキシカンだったなら、カネロ・アルバレスはとっくの昔に駆逐されていたかもしれません。

そうなったらすうなったで、ゴロフキンがメキシカン・コネクションに庇護されて、カネロよりも厄介なドーパーとして、今頃ヘビー級に君臨していたかもしれませんが…。

もちろん、日本行きの構図も全く別のものになっていたでしょう。

主題がボクシングに逸れる前に、ソ連やロシア文学などなどについて、ソ連通の方や右翼や左翼、元文学少女、私の周りに蠢く怪しい人々の意見も織り交ぜながら、正義の定義や地上の楽園を熱く激しく語り尽くしたいと思います。

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ロシアにもホルモン焼きがあるそうな。





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ダルビッシュがSNSでボールの握りや手首の角度を公表しているのは、有名な話です。

「ボールのどこに、どういうふうな形で力を与えるか、どういうふうに出してくるかということをわかれば、それは誰だって投げられる球なので。そこをより言語化して、具体的にして、すべての球がすべての投手に投げられるようになるのが僕の夢」。

互いに技術をオープンにすることで、それまで試行錯誤だった取り組みが「言語化」「具体的」になり、技術向上の効率は一気に上がります。

箱根駅伝の常勝軍団、青山学院を率いる原晋監督も、オープンシェアの騎手です。
 
「冷静に振り返ってみると、しらっとやっていたほうが、もっと箱根駅伝で勝てたかもしれない。いつの間にか他のチームが強くなってきたと感じる部分が正直ある。勝利の方程式を作って、自分だけがノウハウをもってやれば、確かに勝ち続けることができたかもしれない。しかし、それでは業界の発展もないし、自分の監督としてのスキルアップもないと感じた。今まで自分の感覚でやっていたものを、かみ砕いて論文化させ、きちっと形にして発信することによって、自分の頭脳と技術力がイコールになってさらに自分に磨きがかかる」。

どうして、こんな話を書いてるかというと、とっくに開始予定のオンライン会議が一部出席者の回線トラブルで中断して、新聞読んでてオープンシェアに思い至ったからです。

日本経済新聞のその記事は、スポーツではなく「お笑い」。

師匠のもとで下積みして芸を磨くのが当たり前だった時代から、ダウンタウン以降は師匠につかずに〝芸能学校〟で学び、すぐに舞台(その舞台の大小はありますが)に立つようになりました。

記事中にオープンシェアな考え方は出てきませんが、お笑いの世界はそもそもオープンシェアできる環境にあります。

スポーツの世界では「技術は盗め」。お笑いでも「芸は盗め」。 そこには「誰も教えてくれない」という大前提がありました。

技術のオープンシェアとは少し違いますが、かつて江川卓を得意にした加藤博一は引退後に「クセをわかっていたから。それは誰にも言わなかった」 と語りました。

それは、プロとして当然だと思います。

しかし、クセまでオープンシェアにしていれば、他の打者も江川を打ち込み、江川はクセを修正してさらに高いステージに登っていたのか、それはわかりません。 

師匠と弟子。コーチと選手。技術論はもちろん、人間的な相性もあります。徒弟制度はによって芽吹いた才能も、潰された才能もあるでしょう。

寿司職人も「飯炊き3年握り8年」なんて理不尽極まりない無駄な時間です。「桃栗三年柿八年」のパロディじゃないんだから。

師匠やコーチが最高の先生である時代は、とっくの昔に終わっていたのかもしれません。 
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ボクシング界でいうシュガー・レイ・ロビンソンのような存在が、陸上競技界にも存在します。

ジェシー・オーエンス。

1935年5月25日、わずか45分の間に5つの世界記録と1つの世界タイ記録を樹立し、世界にその名を轟かせました。

このうち、走幅跳で記録した8m13の記録はその後25年間も世界記録のまま。

昨年の東京2020の走り幅跳び優勝記録が8m41㎝、6位入賞の橋岡優輝が8m10㎝でしたから、約90年もの歳月を経た現代でもオーエンスは世界のトップジャンパーとして通用していたことは疑う余地がありません。

そして、オーエンスの時代が粗末なスパイクに、反発が弱いアンツーカーや土のサーフェイスだったことを考えると、オーエンスが現代のスパイクを履いて、全天候のサーフェイスで跳躍すると一体何が起きていたのか、想像するとワクワクしてきます。

あらゆる記録競技がそうでからように、従来の世界記録を意識するアスリートにはバイアスがかかります。

ヘルシンキ1952で史上唯一の長距離三冠(5000・10000・マラソン)で金メダルを獲得したエミール・ザトペックのマラソンのベスト記録は2時間23分4秒。

〝公務員ランナー〟川内優輝(2時間7分27秒)とは勝負にならないのはもちろん、女子日本記録の野口みずき(2時間19分12秒)にさえ、1㎞以上差をつけられるほど遅いタイムです。

これは「時代」が最大の理由ではありません。

ザトペックの5000mと10000mのベストは、13分57秒と28分54秒。川内は13分58秒、29分02秒。野口は15分30秒、31分21秒。

トラックでは、スパイクもサーフェイスも遥かに粗末なザトペックが一番速いのです。

どう考えてもザトペックは2時間10分前後で走る実力があったはずです。

しかし、チェコスロバキアの走神はもちろん、当時の世界でも、トラックと比べて開拓の遅れていたマラソンにサブテンなんて概念など影も形もありませんでした。

過去のグレートと現代のトップ選手を比較する場合、時代の傑出度だけでなく、ギアやサーフェイスなどの物理的な環境改善と、心理的限界の事情を勘案しなければなりません。
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ギアについては、このブログでもカーボンプレートを2枚内臓した厚底シューズをはじめ、水泳のレーザーレーサー(現在は禁止)やスラップスケートなど、従来と比べて明らかに有利となるギアを取り上げてきました。

厚底、レーザーレーサー、スラップスケートは、ほぼ全ての選手が新ギアに切り替え、それによって従来のメカニクス、フォームも特殊なギアに適応したものになりました。

彼らは特別なギアのメカニクス、フォームに落とし込められたのです。

オーエンスと同じ環境、粗末なスパイクにアンツーカーで10秒前半の記録を持つランナーを走らせたところ、何度トライさせても11秒以上かかったという実験結果があります。

グラスファイバーのポールに馴化したジャンバーは、竹ポールの扱いに苦労し、竹に慣れたかつてのジャンパーはグラスファイバーにより簡単に適応するというのもこの競技の過渡期の状況と、その後の実験からほぼ実証されています。

現代の恵まれた環境で硬直したアスリートが、過去の過酷な環境に放り込まれると順応するのに時間と労力がかかる一方で、過去のグレートが現代のギアを使いこなすのは容易いと考えられます。

これは、現代のアスリートの方が、その競技に精力を注ぐ度合いが大きく、過去の選手の方が心身共に余裕がある、潜在力が高いということもあるでしょう。

もちろん、トレーニングや指導方法、スポーツ医学は進歩しています。

理屈上は、机の上では過去のアスリートは現代のアスリートに勝てるわけがありません。

ならば、オーエンスの跳躍はどう説明すれば良いのでしょうか?

あるいはロビンソンの動画を見て「今のウェルター級やミドル級では通用しない」と思う人がどれだけいるでしょうか?

トレーナーも苦笑するジョンリール・カシメロやマルコス・マイダナ、アントニオ・マルガリートのような原始的なスタイルのボクサーが、今でも通用しているのはどうしてなのか?

この議論はオーエンスやザトペック、ロビンソンという極端なサンプルを引っ張り出して、一般論にこじつけているだけかもしれません。
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しかし…。

「今の選手?我々の頃では誰も通用しません」(落合博満)は大袈裟にしても、アスリートは本当に進化しているのでしょうか?

最も進化しているのは特殊なギアで、アスリートの肉体はそこまで進化していないのかもしれません。

まだまだ続きます。

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