カテゴリ: スポーツよもやま話

「エリートアマ」に定義はありません。

五輪出場、一回戦負けでもそう表現されることがあります。

と、なると五輪2大会連続金メダリストのロベイシ・ラミレスは間違いなくエリートアマで、むしろもっと最上級の言葉を用意しても良い存在です。

もちろん、アマとプロは別競技です。

クリーンヒットが評価されるアマと、相手に与えたダメージに重きを置くプロという採点基準からも、そのスタイルは自ずと別のものになります。

また、3ラウンド制のアマと、世界戦で12ラウンドのプロでは、陸上長距離の1万メートルとフルマラソンよりも異質な競技と言って差し支えないでしょう。

エリートアマがプロのリングで呆気なく敗れる…特段珍しい話ではありません。

たとえそれが、金メダリストだったとしても。

なぜ彼らはゴールドの輝きを失ったのか?…その背景を考えてみます。

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ともちんラーメン750円。
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Shohei Ohtani's new contract is just the latest feat to shock the world

For the past six years, Ohtani has left us mere mortals slack-jawed as he conquered Major League Baseball, a sport that typically evolves over decades, by redefining the capabilities of a single player.

大谷翔平の巨額の契約は、彼が世界を驚かせてきた多くの偉業の中で最新の一つに過ぎない。大谷はこの6年間で、野球というスポーツの徐々に進化するはずの定義を無視して、次の驚きに備えるまもないまま我々を置き去りにしてきた。

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来季、三冠王を獲って驚く人がいますか?


An unheralded Mexican featherweight contender by the name of Rafael Espinoza shocked the boxing world on Saturday, as he upset two-time Olympic Gold medalist Robeisy Ramirez to claim the WBO championship.

ラファエル・エスピノサという無名のメキシカンは、五輪2大会連続金メダリストのロベイシ・ラミレスを番狂せで下し、ボクシング界に衝撃を与えた。

。。。。。。。。。
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学生スポーツのトップのセミプロ化が「大学は学問を学ぶところ」という本分から離れてしまっているのは明らかです。

一方で、私立大学にとってスポーツで注目を浴びることが有効な広報宣伝活動であることを考えると、例えば青山学院の長距離選手は広報宣伝部に所属していると見なすことが出来ます。

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箱根駅伝でお馴染みの青学や駒沢は助っ人外人を採用していませんが、駅伝チームが〝一般学生〟で構成されているわけなどないことは誰にでもわかります。
もちろん、「広報宣伝部」と名乗らないことや、「ケニアからの交換留学生」なんてワード等に、違和感を覚える人もいるかもしれませんが、彼らが勉学最優先の学生だとは誰も思ってないのですから、方便と受け止めるのが常識、というか良識です。

彼らが最優先しているのは、スポーツです。それも非常に高いレベルで戦っています。

女の子に乱暴するのが目的の半分(以上?)みたいなナンパサークルが犯罪を犯したのなら、それは犯罪組織ですから解体するのは当たり前。

しかし、日大アメフト部はドラッグを服用するのが目的ではありません。

アメフトが大好きで真面目にアメフトに打ち込んでいる学生も、たくさんいるはずです。

一番重要なのは、なぜこんな犯罪が起きてしまったのかを明らかにして、再発防止に努めることです。世間の顔色を窺って、右往左往することではありません。

そして、一番守らなければならないのは真面目な学生たちです。

今回の廃部が、世間の顔色を窺って右往左往して行き着いた「これで許して」という生贄であることは明らかです。

その生贄が真面目な学生たちだとしたら、これほど理不尽な話はありません。

この大学からは「なぜこんな犯罪が起きてしまったのかを明らかにして、再発防止に努める」という、喫緊の最優先事項への取り組みが見えてこないのです。

…続きます。
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スポーツにおける、プロとアマチュア。

いまや、その境界線は曖昧極まりますが、どちらも競技に全身全霊を注いでいる、優れたアスリートが努力と才能をぶつけ合っています。

そして、カネと栄光を求めるのが「プロ」、栄光だけを希求するのが「アマチュア」です。

この定義では、一部の高校野球の監督や選手は「プロ」で、大谷翔平は「アマチュア」です。


さて、日大アメフト部の廃部です。

日大フェニックスは京大ギャングスターズと並べると、前者は「プロ」で後者は「アマチュア」です。

進学校のアメフト部に所属する有望な高校生を、ギャングスターズの選手が無償で家庭教師して京大へ導く…それってカネに換算したら結構な金額ですよね?というのは、ここではナシ。

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いちご

2023/11/29 21:50

その通り!と普通なら私も思いますが18年5月にタックル問題。その時の1年生が4年生の時には今回問題を起こした学生は既に入学していると思われます。。彼らは学生とはいえ中学生でも高校生でもない訳です。

流石に廃部は仕方ないと思いました。日大は大きすぎて多くの企業にOBも多い。あまりにアメフト部は甘く考えていたのかな?と思いましたね。

本気でアメフトをしたい子。日大を選ぶ理由はなんだったのだろう。。

IPアドレス:183.77.84.105/禁止IPに追加

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私の周囲でも、いちごさん寄りの意見が多く聞かれます。

しかし、私は、今回の日大による廃部の決定は間違っていると、怒りを込めて思います。

日大フェニックスは日大の〝下部組織〟にすぎず、企業で例えると不採算部門の廃止です。もっと正確に言うと「世間の過座当たりが強い不採算部門の〝足切り〟〝尻尾切り〟です」。

〝尻尾の主〟は「これで世間が少しでも納得してくれて、幕引きできたら」とでも思ってるのかもしれません。

日大の問題が深い霧に包まれているように見えてしまうのは、責任者・代表者の顔が見えないからです。

それはもちろん、林真理子ではありません。

日大フェニックスのトップ、監督やコーチ、あるいは選手寮を管轄する責任者です。

フェニックスの監督は、すぐに表に出て自分が把握していたことを説明すべきでした。




と、ここで「廃部」の決定は持ち越しのニュースが。

当たり前です。

問題が起きるとジタバタして尻尾切りで幕引きに走る、それが最低です。


この種のバカ問題は、日本でよく起きます。

泥酔して、腹も立って、まだまだ続きます。



ちなみに、「いちご」さんだから、イチゴ色な↑。
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日大アメフト部、廃部。

これが日大アメフト部だけに限定された、局地的な犯罪行為だったのか?

日大アメフト部にはアメフトが大好きで、真面目に真っ直ぐにこのスポーツに打ち込んでいた学生はいなかったのか?

このようなことは、他の大学でも蔓延しているのだとしたら、発覚したら他大学でも同じように廃部が適切なのか?

そしてこれは「若気の至り」では済まされない凶悪で重大な犯罪だったのか?


ジャニーズの社名変更は当然ですが、日大アメフト部の廃部は当然とは到底思えません。

真面目に真っ直ぐにアメフトに取り組んでいる学生がいないというなら、廃部は上等ですが、そうでないなら廃部はおかしい。

絶対におかしい。

何を考えてるんだ、日大は!!!

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勝手な、個人的な思い込みな、そんな話をします。

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駅の周りは立派な建物がどんどん出来るのに、駅は訳がわからなくなってる渋谷…。本文とは関係ありません。

父に祈りを。


父親と息子というのは、ときに不思議な関係に発展します。

それを発展と呼ぶのかどうかは、別にして。

例えば、辰吉丈一郎と父・粂二。

世間から冷たい視線を浴びることのあった粂治から、丈一郎はボクシングを習い、ついにはそれを生業にしました。

「どうしようもないワル」(辰吉の中学時代の教師で新宿でバーを営む男か女)だったにもかかわらす、その牙は甲斐性のない父親に向かうことはありませんでした。

それどころか、父親の素晴らしさを、誤解してる世界にわからせる、そのために生きてるかのように拳を振い続けました。

今なお、世界王者を目指すと公言して憚らない50男が引退しない理由は、それが父親との約束だからです。

亀田興毅と志郎の関係も、辰吉親子と酷似しているように映ります。

彼もまた、父親の贖罪のためにリングに立ち続けていたのです。

そして、それは井上尚弥と真吾親子にも底通してるように思えます。

彼らは父親の正しさを証明することに、父の夢を自分が身代わりに叶えることに、強烈な思いを胸の奥底に沈殿させているのです。



マニー・パッキャオの息子、マニーJr.や、長嶋一茂には、その動機付けはなかったはずです。いや、そんな必要がなかったと言うべきか。

そして、寺地拳四朗の寺地永に対する思いにもそれはなかったように見えます。



Pugilist's  Fathers、またまた暴走列車なお話のスタートです。

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1950年代。

もちろん、今とは全く時代が違います。

日本でも米国でも、寛容と差別が同時に吹き荒れていた時代。

日本に至っては、国土が焼け野原にされて植民地状態ではなく、実質植民地だった時代。

そんな時代に日本の近代ボクシングは、始まりました。

もちろん、最初の一歩を印したのは白井義男。

問答無用のUndisputed Fly weight champion of the world、8階級時代の世界チャンピオンです。


今日が白井の生誕100周年、荒川スポーツセンターで催されるイベントに行ってまいりました。

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入り口ホールの壁際に、会議室用テーブル3台であつらえた本当に小さな展示スペースがありました。

バスケットボールの試合にやって来た親子連れの団体は、このイベントスペースなど見えていないかのように体育館に向かいます。

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中学校の文化祭の展示教室の方がずっと広くて、はるかに手が込んでいますが、白井義男の偉大さと、この手作り感満載のギャップが、胸を震わせてくれます。

私のお目当ては、YOSHIO SHIRAIの名前が刻まれたリング誌ベルト。

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このイベントに実物を持ち込んでくれるのか、そもそも現存するのかも不明ですが…やはり、ありませんでしたが、額縁に入れられた写真がホワイトボードに展示されていました。

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現役時代に着用されていたガウンや、世界戦で使ったトランクスとリングシューズは、信じられない保存状態の良さで実物展示されていました。

貴重な歴史を、皮革の匂いが嗅げるほどの近さで拝見させて頂きました。

恐るべきことに「お手を振れないで下さい」の注意書きは、無し。

もちろん、写真撮影も可。

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小さなPCモニターでは、白井の試合が静かに流されていました。

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ナチュラルな強靭さが伝わるショットの数々。

今では信じられないボクシング黄金時代にもかかわらず、白井義男が5度目の防衛戦で史上最高のフライ級と呼ばれることになるパスカル・ペレスにタイトルを奪われてから、日本が8年間も世界タイトルを取り戻せなかった事実を考えると、白井がいかに傑出した才能であったかを改めて感じ入るしかありません。



今から71年前の1952年5月19日、白井が後楽園スタジアムでダド・マリノを破って世界フライ級王者になったときの日本列島は、どれほどの興奮と熱狂に包まれたのか、想像もできません。

歴史と格式が、大きな一歩を踏み出した瞬間でした。

それはおそらく、大谷翔平の比ではなかったでしょう。


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「歴史と格式」は「老害と悪習」と隣り合わせですが、過去から現在に連なる歴史の中で濃縮された格式が魅力的であることは否定できません。

日本独自の発展を続けてきたボクシングと、日本で創造されたキックボクシングは共に半世紀を優に超える歳月を生き延びてきた格闘技ですが、前者が連綿と続く歴史を擁する一方で、後者は分断と対立の中で一貫した格式を形成することができませんでした。

もちろん、それはボクシングには「歴史と格式」だけがあり、キックには「分断と悪習」しかないというわけではありません。

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ボクシングはオリジナル8を自ら希釈化し、米国ではリング誌が慢性的な経営難から廃刊に追い込まれ、HBOもSHOWTIMEも舞台から退場してしまいました。

時を同じくして、日本でもボクシング・マガジンが廃刊、ボクシングは地上波テレビからフェイドアウトしつつあります。

この節目を、未来に続く発展の入り口だと考えている人は少数派でしょう。

ボクシングは一般のスポーツファンから、どんどん離れていこうとしているのです。

それは「残念ながらビジネスを中心に全てが回っている」「ビジネスはますます盛況で、高額報酬でサウジアラビアに行く選手もいる。これではもはやスポーツではない」(中田英寿)という、日本も含めて世界市場が大きく膨張しているサッカーとは違います。

ボクシングは「ビジネスを中心に回りながら市場が縮小してしまっている」のです。

プロスポーツである限り「ビジネスを中心に回る」のは至極当然です。しかし、経済的・商業的発展が伴わない、あるいは局地的・短期的であるなら、行き着く先は見えています。

ボクシングの世界チャンピオンが、かつてのステイタスを取り戻し、再び強烈な輝きを放つ、そんな日はもう訪れないでしょう。

その価値がどんどん希釈されたタイトルは、挙げ句の果てにどんな味わいになるのでしょうか?


世界チャンピオンのステイタスが最も高かった時代、タイトルの価値が最も強烈な輝きを放っていた時代。それは、米国でも日本でも1950年代でした。
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https://fushiananome.blog.jp/archives/33966513.html


ボクシングも偉そうなことは言えませんが、キックボクシングは分断を繰り返し「財産」と呼べるような歴史や格式を築くことができないまま、今に至っています。

1960年代に〝誕生〟したキックボクシングは、昭和から平成、令和と約70年の歳月を生き残ってきました。

沢村忠の時代は複数の民放がゴールデンタイムにレギュラー番組を持ち、魔裟斗はボクシングの世界チャンピオンよりも広く名前が知られた存在、那須川天心は武尊と日本人で初めて東京ドームでメインを張る格闘技選手になりました。

しかし、沢村と魔裟斗、天心の時代は分断され、脈々と受け継がれた歴史はありません。

天心から魔裟斗や沢村を辿ることはできません。


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キックには〝ベーブ・ルース〟も、〝ジャック・デンプシー〟や〝モハメド・アリ〟も存在しないのです。

ボクシングでは、バンタム級の井上尚弥は118ポンド、それは山中慎介や長谷川穂積はもちろん、昭和の奥深くまで辿っても同じ118ポンド、グローブの重さこそ6オンスから8オンスになっただけで、ルールもほとんど変わりません。

とはいえ、歴史は、教科書の紙のインクのシミではありません。もし、歴史の人が、つまり伝説がまだ生きているのなら、その声が伝承になるのです。

野球や将棋のように、同じ舞台が地続きで伝承されている競技では、最近でも王貞治が村上宗隆を、羽生善治が藤井聡太を瑞々しい言葉で饒舌に絶賛しました。

私たちが、そこから受けた感銘の主成分は、潔い敗北宣言などではなく、改めて思い知らされる彼らの偉大さでした。

もし、彼らが後輩の快挙に対してほとんど何も語らなかったとしたら、ファンにとってそれほど残念なことはありません。



悲しい哉、キックボクシングには「地続きの同じ舞台」がありません。

しかし、ボクシングにはそれがあるというのに。



というわけで、というわけで。


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このお話の中では、老害といっても誰か個人のことではありません。

国家でも団体でも、歴史や時代から何も学ばないのであれば、それが「老害」です。

老害が蔓延る中で連綿と受け継がれてきたものは、悪き因習です。

もちろん、歴史や時代を学びながら育まれてきたものはおカネで買えない、誰にも奪うことも盗むことも出来ない財産です。

ボクシングが他の格闘技から尊敬されているのは、そんな財産があるからです。

しかし、その意味を考えずに財産を浪費するのであれば、それは老害に他なりません。

歴史と格式は、誰かが奪うことも盗むこともできません。

しかし、その持ち主が浪費し食い潰すことは、よくある話です。

ジャニーズも、宝塚も、日大フェニックスも、誰にも侵害されない歴史と格式を持っていました。



他の話に合流します。

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奥渋谷で仕事関係の方と二人で飲み。




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