リング誌のProspect of the Year に輝いたのは14人。
Fighter of The Year に選出されたのは14人中2人で、マイク・タイソン(1986年)とワシル・ロマチェンコ(2017年)です。
この数字が少ないと見るか、健闘してると評価するかは微妙かもしれませんが、もし1人もFighter of The Year を輩出できていなければ「期待外れ名簿」「リング誌は見る目がない」と切り捨てられても仕方がないところです。
そう考えると14人中2人というのは「少ない」と見なして差し支えないのではないでしょうか。
もちろん、プロ野球やサッカーの新人王も将来MVPになる確率はもっと低いことから 「最優秀新人と未来の最高選手には相関関係が薄い」という見方も出来ますが。
さて、以下が「リング誌の14人」です(1989年〜2010年は休止)。
実は、リング誌が休止中の2000年からESPNもProspect of the Year を選出しています。リング誌が合議制で選出しているのに対して、ESPN版はダン・ラファエル記者の個人選出です。
リング誌とESPNが同時にProspect of the Year を発表してきた時期は2011年から現在までの8年間。
この8年で4人までが一致(★印)、残る4年は不一致(カッコ内はESPN選出のProspect of the Year )でした。
1983年、晴れある第1回Prospect of the Year に選ばれたのはケニー・ベイスモア。1979年に全米ゴールデングローブのバンタム級で優勝。
1981年にジュニアライト級でプロデビュー、周到なマッチメイクでデビューから20連勝18KOを飾りUSBAジュニアライト級王者を獲得した段階で、温室が剥がされます。
初防衛戦の相手はブラックマンバ、ロジャー・メイウェザー。年齢こそベイスモア23歳、ロジャー24歳で二人とも若手でしたが、ロジャーは元世界王者。
ロジャーは、上原康恒と激闘を繰り広げたサムエル・セラノを8ラウンドTKOで下してWBAジュニアライト級王者に就いていましたが、フェザー級上がりのロッキー・ロックリッジに無残な1ラウンドKO負けを喫して評価は暴落していました。
名前のあるグラスジョー、ロジャーはベイスモアにとって格好のステッピングストーンに見えましたが…。結果は無残にも3ラウンドストップ負け。
その後、引退までの22戦は8勝12敗2分。最後の8戦は全敗全KO負け。28歳でグローブを吊るしました。
最初から〝外した〟リング誌でしたが 第2回はマーク・ブリーランド(期待値が大きかったため期待外れの烙印を押されていますが、尾崎冨士夫戦は滅法強かったです)、第3回マイク・タイソンと強豪世界王者が続きます。
しかし、第3回のヘビー級マイク・ウィリアムスは雑魚相手にデビューから13連勝9KOも元王者ティム・ウィンザスプーンに競り負けると、バスター・ダグラスやコリー・サンダースといったコンテンダーに惨敗。
地域タイトルの一つも取れないままリングを去りました。
第4回のアンヘル・ペドラサは20歳のデビューから19連勝全KOと見かけだけの破竹の快進撃を見せますが、最初のリトマス紙となったミシガン州ジュニアウェルター級王者マイク・ジョンソンとのウェルター級10回戦でポイントでリードしていながら9ラウンドTKO負け。
地域タイトルをいくつか獲るものの、世界挑戦の前哨戦をことごとく落としリングを去りました。
第5回はマイケル・モーラー。マイケル・スピンクス以来、史上二人目のライトヘビー級王者からのヘビー級制覇を達成。「サウスポーはヘビー級王者になれない」というジンクスを史上初めて打ち砕きました。
ジョージ・フォアマンにあまりにも劇的で歴史的な逆転KO負けを許したシーンが印象的ですが、合格点です。
次回は2011年の再開後からProspect of the Yearに選出された8人、全員がまだ現役バリバリの通信簿です。
Fighter of The Year に選出されたのは14人中2人で、マイク・タイソン(1986年)とワシル・ロマチェンコ(2017年)です。
この数字が少ないと見るか、健闘してると評価するかは微妙かもしれませんが、もし1人もFighter of The Year を輩出できていなければ「期待外れ名簿」「リング誌は見る目がない」と切り捨てられても仕方がないところです。
そう考えると14人中2人というのは「少ない」と見なして差し支えないのではないでしょうか。
もちろん、プロ野球やサッカーの新人王も将来MVPになる確率はもっと低いことから 「最優秀新人と未来の最高選手には相関関係が薄い」という見方も出来ますが。
さて、以下が「リング誌の14人」です(1989年〜2010年は休止)。
1983 Kenny Baysmore
1984 Mark Breland
1985 Mike Tyson
1986 Mike Williams
1987 Engels Pedroza
1988 Michael Moorer
2011 Gary Russell Jr.★
2012 Keith Thurman(デビッド・プライス)
2013 Vasyl Lomachenko★
2014 Anthony Joshua(フェリックス・ベルデホ)
2015 Takuma Inoue(エロール・スペンスJr.)
2016 Erickson Lubin★
2017 Jaime Munguia(ライアン・ガルシア)
2018 Teófimo López ★実は、リング誌が休止中の2000年からESPNもProspect of the Year を選出しています。リング誌が合議制で選出しているのに対して、ESPN版はダン・ラファエル記者の個人選出です。
リング誌とESPNが同時にProspect of the Year を発表してきた時期は2011年から現在までの8年間。
この8年で4人までが一致(★印)、残る4年は不一致(カッコ内はESPN選出のProspect of the Year )でした。
1983年、晴れある第1回Prospect of the Year に選ばれたのはケニー・ベイスモア。1979年に全米ゴールデングローブのバンタム級で優勝。
1981年にジュニアライト級でプロデビュー、周到なマッチメイクでデビューから20連勝18KOを飾りUSBAジュニアライト級王者を獲得した段階で、温室が剥がされます。
初防衛戦の相手はブラックマンバ、ロジャー・メイウェザー。年齢こそベイスモア23歳、ロジャー24歳で二人とも若手でしたが、ロジャーは元世界王者。
ロジャーは、上原康恒と激闘を繰り広げたサムエル・セラノを8ラウンドTKOで下してWBAジュニアライト級王者に就いていましたが、フェザー級上がりのロッキー・ロックリッジに無残な1ラウンドKO負けを喫して評価は暴落していました。
名前のあるグラスジョー、ロジャーはベイスモアにとって格好のステッピングストーンに見えましたが…。結果は無残にも3ラウンドストップ負け。
その後、引退までの22戦は8勝12敗2分。最後の8戦は全敗全KO負け。28歳でグローブを吊るしました。

しかし、第3回のヘビー級マイク・ウィリアムスは雑魚相手にデビューから13連勝9KOも元王者ティム・ウィンザスプーンに競り負けると、バスター・ダグラスやコリー・サンダースといったコンテンダーに惨敗。
地域タイトルの一つも取れないままリングを去りました。
第4回のアンヘル・ペドラサは20歳のデビューから19連勝全KOと見かけだけの破竹の快進撃を見せますが、最初のリトマス紙となったミシガン州ジュニアウェルター級王者マイク・ジョンソンとのウェルター級10回戦でポイントでリードしていながら9ラウンドTKO負け。
地域タイトルをいくつか獲るものの、世界挑戦の前哨戦をことごとく落としリングを去りました。
第5回はマイケル・モーラー。マイケル・スピンクス以来、史上二人目のライトヘビー級王者からのヘビー級制覇を達成。「サウスポーはヘビー級王者になれない」というジンクスを史上初めて打ち砕きました。
ジョージ・フォアマンにあまりにも劇的で歴史的な逆転KO負けを許したシーンが印象的ですが、合格点です。
次回は2011年の再開後からProspect of the Yearに選出された8人、全員がまだ現役バリバリの通信簿です。