カテゴリ: 世界に挑む日本人,日本マラソンに未来はあるか?

【月刊陸上競技】日本陸連・福岡県・福岡陸協は3月14日、昨年大会で廃止となった福岡国際マラソンの後継大会「福岡国際マラソン2022」(仮称)を12月4日に開催すると発表した。

衝撃の幕引きから一転、歴史と伝統あるマラソンが継承されることとなった。

福岡国際マラソンは「日本マラソンの父」金栗四三の功績を称え、1947年に前身である「金栗賞朝日マラソン」として熊本で産声を上げた。

その後、開催地を幾度か変更され、1951年に初めて福岡で開催。その後も全国各地で開催されながら、1974年(28回大会)から「福岡国際マラソン」としてコースを変えながら続けられてきた。

世界トップランナーが多く出場し、1970~80年代は「世界一決定戦」の様相を呈すほど盛り上がりを見せてきた。世界陸連の世界遺産とも言える「ヘリテージプラーク」にも選出されている。

ところが、昨年3月に経済面や注目度低下を理由に「継続は困難」と、第75回大会(昨年12月5日開催)を持って幕が下ろされることが決定。惜しむ声が多数聞こえた。

そうした中で、上記三団体は大会の継続に向けた検討を進め、「大会の価値と歴史を残す方策を模索した結果、新たな運営体制を構築し、九州朝日放送株式会社に放送の主体として加わっていただく形で、後継大会を開催できる運びとなりました」と発表に至った。

日本陸連の尾縣貢会長は「歴史と伝統を引き継ぎながら新たな形で開催できることになり、大変うれしく思います」とコメント。

福岡県の服部誠太郎知事は「福岡の冬の風物詩とまで言われ、定着しているこの大会を開催することで、コロナ禍における閉塞感を吹き飛ばし、県民の皆さんやマラソンファンの方々に元気を届けることが、『スポーツ立県福岡』を目指す本県の役割」とし、「本大会を通じて、これからも世界に羽ばたく陸上競技のトップアスリートがたくさん育っていくことを期待しています」とコメントしている。

開催は2022年12月4日で、コースはこれまでを踏襲。まずはエリートレベルのランナー約100名を予定している。日本陸連ジャパンマラソンチャンピオンシップ(JMC)シリーズのグレード1として加盟申請するとし、国際大会の代表選考会やパリ五輪MGC出場権獲得対象大会などになる見込み。

三団体は連名で「まずは男子のエリートマラソンとしてこれまでと同等の大会の開催を目指しますが、今後も継続して大会と日本マラソン界のさらなる発展にも努めてまいります」と結んでいる。
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▶︎▶︎▶︎1984年ロスアンゼルス五輪まで、男子マラソンは間違いなくメジャー競技でした。

中学校の教室で「昨日の福岡国際マラソンは凄かったな」なんて会話が普通に交わされ、先生も授業の前に「昨日の瀬古を見たか?」と聞いてくる、そんな時代でした。

私はバカだから、メジャーで格好いいからと思い込んで野球部を選んでいました。

体育の持久走ではクラスで1番になったとき、団体競技の野球とは全く違う恍惚を感じました。1500mを5分以上かかって、自分がずっとやってきた野球と種目は違えどレベルが低すぎるのはわかりました。

それでも「俺だけが一番」という快感は、野球にはないものでした。

瀬古利彦は最高にカッコよかった。瀬古は、私のアイドルでした。

福岡国際は、ボクシングでいえばニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン、ラスベガスのシーザース・パレス…いや、それ以上だったかもしれません。

私の頃は2時間27分を切らなければ出場できない国内最高の舞台。

大学時代の思い出に、最後に福岡を走りたかったのですが、マラソンは甘くない。

2時間27分斬りを目指して河口湖マラソンを走りましたが、20㎞過ぎまでは「楽勝やん」なペースでしたが、30㎞手前からは地獄。最後はキロ5分以上かかる七転八倒状態。東京国際の標準記録2時間30分を数秒切ってゴール。

今でも「福岡国際を走りたかった」という思いは未練がましく残っています。

そんな憧れの大会が無くなってしまうというニュースは、悲し過ぎました。いつか復活してほしいと願ってましたが、こんなに早くとは。ご尽力された方々には感謝と尊敬しかありません。


さて、と。

おおよそ35年ぶりにチャレンジ(リベンジ)したろか!
 
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20世紀、日本の男子マラソンは間違いなく世界をリードしていました。

今も昔も優秀なトラックの中長距離選手は、ほぼ例外なくマラソンを目指しました。現在のダイヤモンドリーグにあたる世界最高峰のDNガラン大会の1万メートルで優勝経験もある瀬古利彦は、この種目でも五輪でメダルを狙える実力がありましたが、より可能性の高いマラソンを専門種目に選びました。

「トラックでは世界に通用しないが、マラソンなら五輪でも勝てる」。悪く言えば「トラックからの逃避」でしたが、それは「可能性のある種目への選択・集中」であり、日本の中長距離界の過去から今までの一貫した考え方です。

実際に、1万メートルではメダル争いをする強豪選手の一人に過ぎなかった瀬古は、モスクワ、ロサンゼルスの2大会の五輪前には英国を始め主要ブックメーカーから優勝候補の筆頭に挙げられる世界最強のマラソンランナーに成長しました。


【トラックでも十分世界に通用するスピードを持った中長距離ランナーが、マラソンでさらなる高みを目指す。瀬古をはじめ、日本中長距離界がマラソンを目指したのは、伝統的な駅伝文化もあったとはいえ、強力なライバルがいないマラソンという〝スキマ種目〟に大きな可能性を見つけたからでした。】

90年代から2010年頃まで黄金期を迎えた女子マラソンの背景にあったのも、同じモチベーションでした。「まだ、世界が本格的に取り組んでいない女子なら男子以上に可能性がある」と。

かつて、世界トップの長距離トラックランナーにとってのマラソンは「陸上競技のマイナー種目」であり、「賞金額が少ない」「1年間で2〜3回しか走れない」という、all pain and no gain(労多くして益なし)の種目でした。

ところが、21世紀に入ってから、この構図に大きな地殻変動が起きています。

先日、大方の予想どおり男女共に惨敗してしまった世界陸上のマラソンでしたが、この地殻変動を象徴するような出来事がありました。

世界トップ選手の相次ぐ出場辞退です。世界記録保持者のデニス・キメットも、次の世界記録が期待されるトラックの絶対王者、ケネニサ・ベケレも、大きな物議を巻き起こした「NIKE Breaking 2」で2時間00分25秒の〝世界記録〟をマークしたエリウド・キプチョゲも、ロンドンのスタートラインには立ちませんでした。

それどころか、招待状を受けているはずの世界のトップ10選手がいずれも出場しないという異常事態です。その一方で、1万メートル優勝者のモハメド・ファラーをはじめ、なんと3000メートル障害の選手まで、複数の中長距離ランナーが「マラソン転向」を宣言したのです。

人気があるのか、ないのか、どっちなのか?一体、何が起きているのか?

今や、マラソンは「労多くして益なし」の種目ではなくなったのです。

IAAFが統括するトラック&フィールドで世界最高峰のダイヤモンドリーグの賞金は優勝1万ドル(約110万円)、2位6000ドル(660万円)、3位4000ドル(440万円)…年間14戦合計のポイントで選ばれる総合優勝者には40万ドル(4400万円)が報酬として用意されています。

また、やはりIAAF主催の世界陸上でも金メダル6万ドル(660万円)、銀3万ドル(330万円)、銅2万ドル(220万円)…の賞金が与えられます。

優秀なトラック選手は、14戦全勝で総合優勝すると54万ドル(約6000万円)、世界陸上金メダルで6万ドル、合わせて60万ドル(6600万円)が稼げる計算です。しかし、現実には14戦全てに勝つことはもちろん、全戦出場も難しいので60万ドルというのはあくまで机上の最高額です。トップランナーになると、エンドースメント(スポンサー収入や顔見せ料など競技以外からの収入、ウサイン・ボルトが2016年度で稼いだ3250万ドル・約36億円のほとんどがエンドースメントでしたが、ボルトは例外中の例外です)も多いとはいえ、そんなトップでも競技から得られる年間収入はせいぜい30万ドル程度でしょう。

1年に何回もトラックレースに出場して、トップランナーで30万ドルです。

一方で、マラソンの優勝賞金は、ドバイマラソンの25万ドル(2750万円)を筆頭に、パリ、バルセロナ、ポルト、ソルトレイクシティーのような地域大会でも欧米のマラソソン大会は1万ドル以上の高額賞金レースは珍しくありません。もちろん、1試合だけでこの金額が手に入るのです。

東京マラソンもその一角を占めるワールドマラソンメジャーズ(WMM)では優勝10万ドル(1100万円)、さらに2年間にわたるシリーズ総合優勝者は25万ドル(2750万円)も獲得できるのです。

WMMは世界陸上もポイントレースに数えていますが、世界のトップ選手が賞金の少ない世界陸上を回避したのは間違いありません。

日本実業団陸上競技連合がぶら下げた「日本記録で選手に1億円、指導者・コーチに5000万円」という「project EXCEED」は、日本選手は「どうせ無理」と戦意喪失した模様ですが、海外の選手の中には「日本に帰化したい」という声が上がるなど注目されました。

ケニアではマラソン経験の無い、農業や牧畜など一次産業で働く人までが賞金レースを嗅ぎつけ、ヨーロッパや北米の地域大会で年間500〜600万円近くを稼ぐ賞金稼ぎもいます。国民一人当たりの年間所得が約6万円という国ですから、たった一つの大会で優勝するだけで10年分以上、一年で100年分の年収が稼げる計算です。そんな彼らのレベルでも2時間12〜15分、ちょうど日本のトップ選手より少し遅いくらいなのです。

2000年東京国際マラソンなどで優勝したジャフェット・コスゲイも、農家から賞金稼ぎへの転向組ですね。

そして今や、ケニアやエチオピアのトップ選手でもお金で動く賞金稼ぎ、です。同じプロスポーツでも、サッカーや野球の選手が(複数)年契約を結び、日本の実業団選手に至っては終身雇用で庇護されているのに対して、彼らは〝完全歩合制〟の正真正銘のプロフェッショナルです。

「国の名誉を背負うのは五輪だけでもう十分、賞金の少ない世界陸上は要らない」。それが、賞金稼ぎの本音です。

世界陸上の3ヶ月前にナイキのプロジェクトで非公認レースを走ったキプチョゲなどは、世界陸上なんてハナから興味もなかったでしょう。あの全てが整備された実験室のようなサーキットコースを〝世界記録〟で走ったケニア人は、世界陸上の金メダル(6万ドル)を放擲した代わりに、一体いくらの報酬を受け取ったのでしょうか?

世界陸上(World Championships)は、文字通り世界王者を決める大会でしたが、少なくとも男子マラソンにおいてはその命題は形骸化しています。この傾向は今後も加速して、6万ドルを魅力に感じるレベルの賞金稼ぎ(世界20位〜のレベル)が戦うレースに変質していくかもしれません。

そうなると、将来、日本人でも、二軍の大会に堕ちた世界陸上なら入賞はもちろん、金メダルを獲る日が来てもおかしくありません。もちろん、そうなっても世界陸上が存続していれば、の話です。


【1998年バンコクアジア大会、灼熱のタイで2時間21分47秒という脅威的なタイム(当時の世界記録はテグラ・ロルーペが男子ペースメーカーを付けた快適なロッテルダムで出した2時間20分47秒)で走った高橋尚子。自らの下部組織が実施した大会だったにもかかわらず、国際陸連が「酷暑のバンコクでこのタイムはおかしい」と当初記録を認めなかったことも、東南アジアから届いたニュースがいかに衝撃的だったかを物語るエピソードです。これが日本のマラソンランナーが世界を震撼させた最後の瞬間になるのかもしれません。】

日本記録の時計が2002年で止まったまま、動き出す気配もない最大の原因は「高岡寿成の2時間6分16秒が日本人の肉体的限界だから」であるわけがありません。2時間6分16秒という平凡なタイムを切れば1億円がもらえるのに、やる気が全くないからです。生き馬の目を抜く賞金稼ぎの世界に太刀打ちするには、あまりにも脆弱な環境、心構えで競技に向き合ってしまっているからです。

「五輪や世界陸上で入賞、あわよくばメダル」。それだけを見ていては、賞金稼ぎのプロフェッショナルに勝てるわけがありません。彼らと同じ冷徹な目線を持つことです。

「世界陸上は賞金が少ないから出場しない」。そう言い放つ日本人ランナーが出現したとき、マラソン日本は復活するでしょう。そこから逆算して育成していくしかありません。もしかしたら「育成」という考え方自体が間違っているのかもしれませんが…。

厳しい言い方になりますが、世界陸上の標準記録も破れないトラックランナーが将来、一流のマラソンランナーになるとは思えません。「2時間7分台を目指す」公務員ランナーも、その公務員ランナーに負けてもクビにならない終身雇用で守られたぬるま湯ランナーも、彼らではもはやどうしようもない段階に世界のマラソンは突入しているのです。

皇居を走る大勢の市民ランナーの姿を見るまでもなく、空前のマラソンブームです。東京国際マラソン、東京国際女子マラソンといったエリートマラソンがなくなり、巨大市民マラソンに取って代わった時代の流れも、この地殻変動の一端です。

【かつて世界最高峰の女子マラソン大会だった東京国際女子マラソンは2003年が最後の大会となり、世界の潮流である男女混合の大規模マラソンに取って代わっていきました。市民ランナーが爆発的に増えた一方で、トップレベルの記録は低迷する…かつてのテニスと同じ現象がマラソンの世界でも起きています。】

日本よりも先行して世界中で健康ランニングブームです。ランニング市場は順調に拡大しており、シューズメーカー、ヘルスケアを始め関連産業はその恩恵を受け、豊富な資金を宣伝広告に費やし、大規模市民マラソンを支えています。

ヘルスケア・製薬大手のアボットがWMMの冠スポンサーについたのも、前述のナイキのプロジェクトも、こうした企業活動の代表的な例です。

大きなお金が動き、いろいろなステージ、レベルで賞金稼ぎが活躍するマラソンは、今や「陸上競技のマイナー種目」でも、トラック選手が敬遠する「実入りの少ない種目」でもありません。

「世界的にマイナー種目だから」「トラックの強豪がいないから」…かつて黄金期を築いた日本マラソンの思考は、全く通用しない過酷な時代を迎えているのです。

「2時間6分16秒を切ったら1億円」。そんなどでかいニンジンを目の前にぶら下げられても、誰一人としてかぶりつこうともしない。「日本人1位」と念仏のように唱えても、日本記録の更新は諦めてしまっている。根本的に世界と戦う気持ちを喪失したランナーたちが、非情な世界に生きる賞金稼ぎに勝てる道理がありません。

テニスも学校には部活があり、どこの町にもスクールがあり、市民マラソン同様に競技人口の多いスポーツですが、世界的なプレーヤーはほんのわずか、数えるほどしか生まれていません。

それでも、インターハイやインカレで優勝する、そんな国内で用意されたぬるい線路の上を走ることを拒否した錦織圭のような才能が歴史の扉をこじ開けました。

長距離も同じです。日本人が過剰に保護されたインターハイやインカレ、箱根駅伝を目標にしていては、到底、世界と戦えるわけもありません。世界と戦うには、それは時間的にも競技の質的にも全く無駄な遠回りです。世界の舞台に一旦立ってしまえば、外国人ライバルの出場を制限したり、順位をカウントしないなんて日本人を守ってくれる温室はありません。

川内優輝ではありませんが、本気で日本マラソンを世界の舞台に再登場させたいなら、抜本的な現状打破が必要です。というか、現状は一旦全て破壊するくらいの気持ちがなければならないでしょう。

例えば…実業団のシステムを廃止して、終身雇用ではなく2〜3年契約のプロ契約を結んでダイヤモンドリーグ、WMMを転戦させる。

例えば…国内大会では日本人保護ルールを全廃、箱根駅伝は関東の大学駅伝ではなく「天皇杯駅伝」の位置付けにして、全国の高校、大学、実業団ら駅伝チームが本戦出場枠を争う。

「国内の駅伝大会に出ずに、日本で馴染みのないダイヤモンドリーグに送り込んでも企業の宣伝にならない」「箱根駅伝を全国解放したら人気が下がる、関東学連が巨大な既得権益を失う」…現状破壊は自分たちの利益に固執する人々がリードしている陸上界では、普通に考えていては実現するわけがないアイデアです。

しかし、本気で「マラソン日本復活」を願うのなら、もはや普通に考えていてはどうにもならない悲惨な状況まで、マラソン日本は追い詰められてしまったのです。

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■ハンマー投げ:室伏広治=2003年/84m86㎝=この記録はA「更新できないのも無理はない偉大な記録」、B「更新されるべき時間はとっくに経過した記録」、C「更新されるべきだが競技人口・注目度も低すぎるがゆえに残存してる記録」、全ての性格をはらんでいます。

室伏は陸上競技のフィールド選手としては異例の著名人です。2001年エドモントン世界陸上で銀メダル受賞、2004年アテネオリンピックで金メダル、2011年大邱世界陸上で金メダル、2012年ロンドンオリンピック銅メダル。187㎝、100kgの室伏が小さく華奢に見える世界の投擲競技で圧倒的な実績を残したことはもちろん、「筋肉番付」などバラエティ番組でそのずば抜けた身体能力の高さを披露、日本中にその名が知れ渡りました。

確かに「更新できないのも無理はない偉大な記録」と呼ぶのに差し支えないように思えますが、日本歴代2位は父親の室伏重信で8m90㎝も下回る75m96㎝(1984年)、3位は10m以上引き離された土井宏昭の74m8㎝(2007年)。このことからは「競技人口・注目度が低いがゆえに残存している」ということも十分に窺えます。そして、更新どころか誰も近付くことすら出来きていないとはいえ、15年近くも経つ現状は「更新されてても然るべき時間は経過している」と見ることも出来ます。

もちろん、競技人口・注目度が低い本当に劣悪な環境の中で研鑽を重ね、薬物漬けの東欧の巨人たちと互角どころか、優勢な勝負を展開した室伏の偉大さに異論を挟む余地はありません。

日陰のスポーツに全身全霊をかけて真摯に打ち込み、世界的にも傑出した業績を上げることで世間の注目を引き寄せて、陽のあたらない場所に光を注いだのです。まさにアスリートの鑑です。



ただ、第2、第3の室伏が生まれるには日本の環境は厳しくなる一方です。箱根駅伝が首都圏の交通網を半日以上麻痺させることは許されても、日本の投擲競技選手はその放物線を国立競技場の大空に描くことは許されません。旧国立競技場でも、Jリーグ、サッカー人気に押されて「芝生を傷める」投擲競技は聖地から〝追放〟されたからです。

そして、2020年東京五輪に向けて建設中の新国立競技場では五輪後は球技専用の仕様に改修、陸上競技はトラック種目も聖地でパフォーマンスを見せることが出来なくなります。

メイン会場となる新国立競技場のトラックは大会後に無残にも剥ぎ取られ、サッカーを主とした球技専用のスタジアムに改修される予定です。新国立競技場で選手が陸上競技のパフォーマンスを見せることが出来るのも、ファンが観戦することが出来るのも、五輪の数週間だけということになります。

人気が無いスポーツは、その舞台までも奪われる。ハンマーや槍、円盤など広い場所が必要なマイナースポーツは消え去るのみ。

市場優先の流れが加速する時代では当然といえば、当然の行政判断ですが、元陸上競技選手としては悲しい現実です。

現状でも高校はおろか大学でも好きなだけハンマーを投げられる環境の陸上競技部はまずないでしょう。この市場優先の流れが強まれば、きっとその方向が加速するでしょうが、老朽化したハンマーや槍、円盤、保護ネットを購入する予算を計上する高校や大学はなくなり、近い将来、競技そのものが消滅するかもしれません。

そうなると、室伏の記録は未来永劫、絶対不滅です。ハンマーもネットも、何よりも選手がこの国には存在しなくなるのですから。

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全く僭越ながら、現在の主な男子日本記録をA「更新できないのも無理はない偉大な記録」、B「更新されるべき時間はとっくに経過した記録」、C「更新されるべきだが競技人口・注目度も低すぎるがゆえに残存してる記録」の3つに独断と偏見でカテゴライズ、総覧させていただきます。まず、男子100m。

■100m:伊東浩司=1998年/10秒00=「B」スプリント(体育の時間の50mも含めて)は誰もがチャレンジしたことのあるスポーツです。世界的にも人類最速は最も興味をそそられるスポーツです。東京五輪でボブ・ヘイズが10秒0(手動計時:電気計時では10秒20前後だったと思われる)を目の当たりにしてから、10秒を切ることは、日本人にとっても偉大な夢であり続けました。その夢に向かって短足の米食民族は必死に走り続け、1998年に伊東浩司が極点への境界線までその足を運んでくれました。

当時の陸上ファンは9秒台は目の前に見えていました。いつ、誰が、その結界を破っても驚かない、そういうワクワクする準備ができていました。

しかし、あろうことか、伊東浩司が激しくノックした扉は20年経っても、まだ閉じられたままなのです。


【山縣選手の入社会見から。10秒00の結界を破るのは通過点、その先にこそ彼の未来があります。】

私は大学時代、中長距離ランナーでしたが「最速」の種目には尊敬と憧憬がいつもありました。記録会で走らせてもらって、100分の1秒のゴール写真が見れる電気計時の記録が出た時は嬉しかったです。目標の11秒台には届かなくても、後輩から「12秒00もかかるなんて恥ずかしい」と冷やかされても。

9秒台へのモチベーションは、もしかしたら日本のあらゆるスポーツの中で最も具体的な数字であることはもちろん、最も希求、待望されているものかもしれません。

間違いなく、いつか誰かが破るでしょう。

しかし、遅すぎます。私がスポーツ大臣なら大変な失言ですが「競技人口も少なく、誰も注目していない円盤投じゃないんです」。

ふざけるお時間は、もう終わりです。

現在の世界レベルで言ったら、10秒斬りなんて国際大会で2次予選突破のパスポートにもなるかどうかすら怪しい記録です。

当たり前ですが、世界は日進月歩です。そこで20年も足踏みしててどうするんですか!

助けてください、桐生祥秀!

助けてください!山縣亮太!

助けてください!ケンブリッジ飛鳥!

いいえ、あなた達である必要はありません。誰でもいいのです。この20年の重量がのしかかる忌々しい扉を、誰でもいいから開け放って、世界の空気を吸わせて下さい。

ちなみに円盤投の日本記録は1979年、川崎清貴が投擲した60m22㎝です。日本最古の記録で、もう40年近くも破られていません。大学時代に陸上競技部に身を置いていた人間にとっては、この記録がいかに偉大かはわかっています。しかし、レコードホルダーの川崎も寂しい思いをしているでしょう。早いうちに打ち破って川崎清貴の名前を新聞やネットに刻んであげましょう。もう、そろそろ、そういう頃合いです。

円盤投なんて、そんな競技があることを知らない人も多いでしょう。ましてや何m投げたらすごい?と聞かれると、陸上競技部の人間でも戸惑ってしまいます。ハンマーや槍、円盤を好き放題練習できる環境なんて、世界中探してもまずないでしょう。Jリーグの突然で圧倒的な出現で「芝生を傷める投擲競技は地方でやれ!」ということで、関東インカレ投擲競技は国立競技場から排除されました。

当たり前の話です。人気がない競技、種目は表舞台から退場するしかありません。

そんな犠牲を横目に見ながら、100mや箱根駅伝を走っているのです。

個人的な偏見が色濃く出てしまったかもしれません。酔っ払っています。御免なさい。強いスポーツ、人気のあるスポーツばかりをかじってきた軽薄な人間が、改めて自分が歩いてきたスポーツのよろよろの足跡を見返すと、日の当らない場所で懸命に努力していた先輩、同輩、後輩の姿が、妙に鮮烈に思い出されてしまうのです。

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「記録は破られるためにある」。その通りです。

打ち立てられた新記録は、次の記録を生み出す強烈な動機付けとなり、理想的な素晴らしい新陳代謝が繰り返されます。

その一方で、アンタッチャブル、長い間書き換えられることのない、他の追随を許さない記録も確かに存在します。アンタッチャブルの記録には、大きく分けて①実際に文句無しの偉大な記録、②特異な環境・事情で生み出された記録、③競技レベルの低迷・低下によって更新されずに残る記録、の3種類があります。

「①実際に文句無しの偉大な記録」というのは現実にはほとんどありません。2009年ベルリン世界陸上でウサイン・ボルトが叩き出した100m9秒58は、そんな稀有な例の一つです。

女子100mの世界記録は1988年に10秒49で走り抜けたフローレンス・ジョイナーで、こちらも歴代2位以下に圧倒的な差をつけて30年以上も破られていないアンタッチャブルですが、この記録は「②特異な環境・事情で生み出された記録」で語るべきかもしれません。

そして「②得意な環境・事情で生み出された記録」にはいろいろなケースが考えられますが、①とは全く性格が違うものです。1968年メキシコ五輪の走り幅跳びで金メダルに輝いたボブ・ビーモンが跳んだ8m90㎝は、当時の世界記録を何と55㎝も更新、今なお世界歴代2位にランクされていますが「文句無しの偉大な記録」とは認められていません。公認限界の2mの追い風に乗ったこと、そして何より標高2400mと空気の薄い抵抗の低いピッチを走り跳んだからです。

1988年ソウル五輪でベン・ジョンソンが記録した9秒79は驚異的なタイムと、ライバルのカール・ルイスをまったく寄せ付けなかったことで世界に大きな衝撃を与えましたがドーピングで失格。ジョンソンの記録は抹消されましたが、検査をすり抜けて今も公認されている「悪魔の世界記録」があるかもしれないという疑惑の霧は晴れていません。旧東ドイツ選手や、中国の馬軍団の記録はドーピングによるものと多くの人が考えていますが、今から血液検査を行うわけにもいきません。

悪魔の記録もまた、特異な環境・事情から生み出された忌まわしい数字です。

そして3つ目が「競技レベルの低迷・低下によって更新されずに残る記録」です。プロスポーツはもちろん、アマチュアスポーツでも商業化が一気に進み、人気スポーツとそうでないスポーツの格差は大きく広がっています。前述のビーモンの8m90は、1991年東京世界陸上でマイク・パウエルによって更新されましたが、その後四半世紀以上も更新されていません。パウエルの記録は平地で出した大記録ですが、偉大な記録だからアンタッチャブルとは言い切れないでしょう。ソ連崩壊で社会主義国が総崩れになったことでも、スポーツにおける商業主義は加速、陸上競技という枠組の中でも人気のある100mなどトラック種目と、人気の無いフィールド種目の差は広がり、競技レベルの低迷を招いてしまっています。

【伊東浩司が1998年に10秒00で走り9秒台のドアノブに手をかけましたが、その扉は20年が経とうとする現在も開くことが出来ていません。「最強ランナーの法則」より】

さて、本題です。

日本では陸上競技はメジャースポーツとは言い切れませんが、100mやマラソンに限れば、野球やサッカーと比較しなければ十分注目されたスポーツです。

ところが、この恵まれた環境にあるはずの男子100mとマラソンで、15年以上も日本記録が更新されていないのです。

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