「ボクサーにとって小さな体に生まれるほど不幸なことはない」(ファン・フランシスコ・エストラーダ)。
「もし、私がミドル級なら住む家も乗る車も何もかもが変わっていた」(カリド・ヤファイ)。
「報われない軽量級ボクサーに光を当てたい」(ジェシー・ロドリゲス)。

カシメロとアムナット。二人とも軽量級の悲哀を嫌というほど味わいました。カシメロも天心や武尊がキックの試合を持ちかけたら、アムナットのように喜んで応じそうです。
多くの先進富裕国ではボクシング人気そのものが衰退しています。そして、ただでさえ人気のない軽量級の扱いは劣悪です。
先日も「ジョンリール・カシメロvsポール・バトラー」の競争入札は10万5000ドル、約1170万円で落札されました。この金額が二人の報酬の総額です。
3階級制覇のトラッシュ・トーカー、先進富裕国の元王者ですらそんな評価なのです。
これがウェルター級やミドル級ならゼロが一つ増えるだけでは済まなかったでしょう。
カシメロvsバトラーが特別な話ではありません。2018年にヘッキー・ブドラー(当時IBF王者)とフェリックス・アルバラードの試合が競争入札にかけられたときの入札額はわずか2万5000ドル、275万円でした。これを世界王者と世界挑戦者が分け合うのです。
これが、軽量級の残酷な現実です。
軽量級では地域タイトルホルダーでも、日本なら生活保護を需給出来るレベルの収入しかないこともめずらしくありません。
しかし、軽量級は東南アジアや中南米、アフリカなど先進富裕国とは真逆の環境に身を置くボクサーが多いので、日本人なら「バイトしてる方がマシ」な金額でも十分生活出来るのです。
軽量級は〝貧困階級〟ですが、日本は例外です。
具志堅用高の時代まで、世界王者のファイトマネーはプロ野球トップ選手を大きく上回ることも珍しくありませんでした。
日本人が出場するジュニアフェザー級以下の超軽量級の世界戦は日本開催が圧倒的に多くなるのは当然です。
どこで開催するか?は経済と商売の話なのですから。
結果として、井上尚弥ら日本人世界王者は貧困国の挑戦者を自国のリングに引っ張り上げることが繰り返されるのです。
これを裏返すと、別の光景が見えてきます。
先進富裕国で人気のウェルター級やミドル級では、日本人がアウエーに引っ張り上げられるケースが多く、そもそも挑戦するチャンスがまずあり得ません。
軽量級では自分よりも貧困なボクサーを叩きのめすのがデフォルトですが、富裕国の人気階級になると立場が逆転します。
日本人がアウエーのリングで、金持ちチャンプに叩きのめされるのです。
大きな神輿に担がれた村田諒太ですら、ゲンナディ・ゴロフキンやカネロ・アルバレスの金持ちさには届きません。
五輪金メダリストですらも、人気階級では日本人が金持ち王者に挑戦する、という図式に変わるのです。
竹原慎二はプロデビューした頃「日本か東洋か、何かチャンピオンになりたいと思ってたけど、世界は全く意識できなかった」と回想しています。

竹原がプロボクサーを志した1980年代終盤は、マービン・ハグラーがシュガー・レイ・レナードとのメガフィトに敗れて、王座は分散していましたが、それでも日本人がミドル級の世界王者になるなんて現実離れした話でした。
プロボクサーとして無敗のまま日本、東洋太平洋とタイトルを獲得した竹原ですが、デビューしたての軽量級のボクサーたちが、軽々しく「世界王者になりたい」と語るのを聞いても、軽量級と欧米の人気階級との「世界」の違いを痛感するしかありませんでした。
あらゆるスポーツで歓迎されるはずの身長186㎝の恵まれた肉体は、日本でボクシングをやるとなると、重たい荷物に過ぎなかったのです。
実際に「日本王者になってから、かえって世界が遠く感じた」と言います。
かつて、日本人に身近だったジュニアミドル級もレナードがアユブ・カルレを屠った頃から、遠い存在になってしまいました。
もちろん、先進富裕国で人気のクラスは、日本人には大きすぎる、という体格の問題はあるでしょう。
特に、ヘビー級は大谷翔平クラスの体格でもけして大きくはないのですから、日本人が世界王者になるにはいくつもの障害を越えなければなりません。
しかし、66㎏のウェルター級なら減量を織り込んでも日本人にとって大きくはないでしょう。
ウェルター級で未だに一人の世界王者も輩出できていないこと、ミドル級でも二人しか世界王者が誕生していない、その最大の原因は挑戦のチャンスが少なすぎるからです。
競技人口が多い、報酬が高いから専業ボクサーが多い、レベルが高い、というのは2番目以下の理由です。
ウェルター級やミドル級が、軽量級よりも攻略難易度が遥かに高いのは明らかですが、軽量級並みのチャンスに恵まれていたなら、ウェルター級王者がゼロ、ミドル級が2人なんてことはなかったでしょう。
もちろん、攻略難易度なんて、そんなことも含めて考えるべきなのですが…。
「もし、私がミドル級なら住む家も乗る車も何もかもが変わっていた」(カリド・ヤファイ)。
「報われない軽量級ボクサーに光を当てたい」(ジェシー・ロドリゲス)。

カシメロとアムナット。二人とも軽量級の悲哀を嫌というほど味わいました。カシメロも天心や武尊がキックの試合を持ちかけたら、アムナットのように喜んで応じそうです。
多くの先進富裕国ではボクシング人気そのものが衰退しています。そして、ただでさえ人気のない軽量級の扱いは劣悪です。
先日も「ジョンリール・カシメロvsポール・バトラー」の競争入札は10万5000ドル、約1170万円で落札されました。この金額が二人の報酬の総額です。
3階級制覇のトラッシュ・トーカー、先進富裕国の元王者ですらそんな評価なのです。
これがウェルター級やミドル級ならゼロが一つ増えるだけでは済まなかったでしょう。
カシメロvsバトラーが特別な話ではありません。2018年にヘッキー・ブドラー(当時IBF王者)とフェリックス・アルバラードの試合が競争入札にかけられたときの入札額はわずか2万5000ドル、275万円でした。これを世界王者と世界挑戦者が分け合うのです。
これが、軽量級の残酷な現実です。
軽量級では地域タイトルホルダーでも、日本なら生活保護を需給出来るレベルの収入しかないこともめずらしくありません。
しかし、軽量級は東南アジアや中南米、アフリカなど先進富裕国とは真逆の環境に身を置くボクサーが多いので、日本人なら「バイトしてる方がマシ」な金額でも十分生活出来るのです。
軽量級は〝貧困階級〟ですが、日本は例外です。
具志堅用高の時代まで、世界王者のファイトマネーはプロ野球トップ選手を大きく上回ることも珍しくありませんでした。
日本人が出場するジュニアフェザー級以下の超軽量級の世界戦は日本開催が圧倒的に多くなるのは当然です。
どこで開催するか?は経済と商売の話なのですから。
結果として、井上尚弥ら日本人世界王者は貧困国の挑戦者を自国のリングに引っ張り上げることが繰り返されるのです。
これを裏返すと、別の光景が見えてきます。
先進富裕国で人気のウェルター級やミドル級では、日本人がアウエーに引っ張り上げられるケースが多く、そもそも挑戦するチャンスがまずあり得ません。
軽量級では自分よりも貧困なボクサーを叩きのめすのがデフォルトですが、富裕国の人気階級になると立場が逆転します。
日本人がアウエーのリングで、金持ちチャンプに叩きのめされるのです。
大きな神輿に担がれた村田諒太ですら、ゲンナディ・ゴロフキンやカネロ・アルバレスの金持ちさには届きません。
五輪金メダリストですらも、人気階級では日本人が金持ち王者に挑戦する、という図式に変わるのです。
竹原慎二はプロデビューした頃「日本か東洋か、何かチャンピオンになりたいと思ってたけど、世界は全く意識できなかった」と回想しています。

竹原がプロボクサーを志した1980年代終盤は、マービン・ハグラーがシュガー・レイ・レナードとのメガフィトに敗れて、王座は分散していましたが、それでも日本人がミドル級の世界王者になるなんて現実離れした話でした。
プロボクサーとして無敗のまま日本、東洋太平洋とタイトルを獲得した竹原ですが、デビューしたての軽量級のボクサーたちが、軽々しく「世界王者になりたい」と語るのを聞いても、軽量級と欧米の人気階級との「世界」の違いを痛感するしかありませんでした。
あらゆるスポーツで歓迎されるはずの身長186㎝の恵まれた肉体は、日本でボクシングをやるとなると、重たい荷物に過ぎなかったのです。
実際に「日本王者になってから、かえって世界が遠く感じた」と言います。
かつて、日本人に身近だったジュニアミドル級もレナードがアユブ・カルレを屠った頃から、遠い存在になってしまいました。
もちろん、先進富裕国で人気のクラスは、日本人には大きすぎる、という体格の問題はあるでしょう。
特に、ヘビー級は大谷翔平クラスの体格でもけして大きくはないのですから、日本人が世界王者になるにはいくつもの障害を越えなければなりません。
しかし、66㎏のウェルター級なら減量を織り込んでも日本人にとって大きくはないでしょう。
ウェルター級で未だに一人の世界王者も輩出できていないこと、ミドル級でも二人しか世界王者が誕生していない、その最大の原因は挑戦のチャンスが少なすぎるからです。
競技人口が多い、報酬が高いから専業ボクサーが多い、レベルが高い、というのは2番目以下の理由です。
ウェルター級やミドル級が、軽量級よりも攻略難易度が遥かに高いのは明らかですが、軽量級並みのチャンスに恵まれていたなら、ウェルター級王者がゼロ、ミドル級が2人なんてことはなかったでしょう。
もちろん、攻略難易度なんて、そんなことも含めて考えるべきなのですが…。