カテゴリ: 世界のボクシング:階級/キャッチウエイト

同じ体重のボクサーから繰り出されたパンチの重量が、大きく変わるわけがありません。

もちろん全身を使って打ち抜くか、手打ちのパンチかでは大きく異なります。

モーションの大きなパンチは、パンチングマシンで数字を上げるのには向いていますが、実践では使えません。相手に避けられるのはもちろん、見えてるパンチは本能的に防御姿勢を構えるので大きなダメージを与えることができないのです。

とはいえ、クロスレンジの死角から飛んでくるマニー・パッキャオやセルヒオ・マルチネス、中谷潤人の左フックには鋼鉄の顎の持ち主でも耐えることは出来ません。

タイミングと急所を的確に打つ抜くこと、それが動きの中でカウンターになれば、小さなパンチでも衝撃的なKOシーンが生み出されるのです。

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その最もわかりやすいテキストが、史上最強のKOパンチャー、ウィルフレド・ゴメスでしょう。

現代では、井上尚弥やアルツール・ベテルビエフの拳も相当に凶悪ですが、スペシャルな存在はデオンティ・ワイルダーで間違いありません。

ヘビー級は「無差別級」ではあっても、そこに横たわる体重差はとんでもないことが日常的な理不尽極まる階級です。

ワイルダーはタイソン・フューリーやドミニク・ブルージールら、40ポンド以上重い巨漢を薙ぎ倒すパンチを持っているのですから、尋常ではありません。

体格の分母が違うとはいえ、122ポンドの井上尚弥が168ポンドのカネロ・アルバレスをバタバタ倒すようなものです。



さて、那須川天心は綺麗なダウンを奪えるのに、どうして効かせるパンチが打てないのか?スピードと技術で圧倒しながらも、対戦相手が怖がってくれないのは与那覇勇気とルイス・グスマンが頭抜けて勇敢だったわけではありません。怖くないから最後まで立ち向かってきたのです。

天心にもトーマス・ハーンズのように、何かのきっかけで強打者に変身する可能性があるのか?


一方的になるはずの井上尚弥と拓真のスパーリングが白熱するのはなぜなのか?尚弥が兄弟ということで、手加減してあげてるのか…?そんなわけ、ありません。

筋骨隆々のティモシー・ブラッドリーが振り回すパンチが枕のように軽くて柔らかいのに、だぶついた肉体のルスラン・プロボドニコフやマルコス・マイダナの拳が強烈なのはグローブに毒でも塗ってあるのか?



Puncher's  Mystery 。そのメカニスクはほとんど解明されています。

リング誌2022年6月号「THE100GREATEST PUNCHER(OF THE LAST100YEARS)〜100年最強パンチャーを100位までランキングする」を参考書に、魅惑のハードパンチャーたちに酔いながら、天心が目指すべきスタイルもおせっかい満点で考えてゆきます。
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4団体時代初のUndisputed title 2階級制覇を実現したテレンス・クロフォードが「(来月30日に行われる)カネロ・アルバレスとジャーメル・チャーロの勝者と対戦したい」とブチあげています。

ライト級、ジュニアウェルター級、ウェルター級で世界王者になっているクロフォードが2階級飛ばしてスーパーミドル級に挑戦するとなると、異例の4階級制覇、Undisputed title 3階級制覇の達成です。


 

ボクシング界を代表するスーパースター、カネロはクロフォード陣営からの「158ポンド・キャッチウェイトでの対戦」をすでに拒絶しており、人気面で大きく劣るクロフォードがカネロと戦う道は完全に絶たれたと思われました。

気になる体重について、クロフォードは「147(ウエルター級)を作るのは、少しだけ厳しくなっている。 前回もサウナスーツを着て水分を絞り出した」と言いますが、スーパーミドルは168ポンド、21ポンド(9.53kg)も上です。

マニー・パッキャオが135ポンド(ライト級)王者として、オスカー・デラホーヤとのウエルター級戦に挑んだときでも、そのギャップは〝わずか〟12ポンドでした。

どこまで本気なのかわかりませんが、カネロは〝刈り入れどき〟を迎えたスーパースター。誰が狩るか?の段階に入ったとも言われています。

デラホーヤを倒してパッキャオがスーパースターのトーチをリレーしたのとは、かなり役者が違う気もしますが、全く人気のないクロフォードが浮かび上がるには「カネロを倒すしかない」のもまた一つの真実です。

実現すると、GGGvsケル・ブルック、カネロvsアミール・カーンよりも興味深い戦いになるのは間違いありません。

もし、クロフォードが勝ってしまうと、米国ボクシング界はますますお先真っ暗…なんてことは言わずにここは、人気と実力が史上最も喜劇的なまでに乖離したクロフォードを応援しましょうか。 
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ヘビー級を除くと、ボクシングの世界にはリングの外での戦い「減量」が存在します。

井上尚弥ら超軽量級では脱水の影響などから試合当日も完全に健康体に戻らず、試合中に足の痙攣などに悩むボクサーも珍しくありません。

完全な健康体、つまり自分の中で絶対的に強い状態でリングに上がるよりも「より弱い相手を求める」のが主目的の減量によって肉体を削る方が相対的な強さを手に入れることが出来るーーーというのがボクシング界だけでなく、階級制格闘技の常識です。

超軽量級の中ではメジャーの色彩の濃いフェザー級で頓挫したノニト・ドネアがバンタム級に出戻った理由は「自分が最も輝ける場所」と判断したからでしたが、それは「より弱い相手がいるバンタム級」だからというのが本音です。

ドネアにとっての「自分が最も輝ける場所」は、かつて口にしていた「ライト級でPPVファイター」でしたが、夢はずっと手前で砕け散ってしまいました。

もちろん、アスリートとして懸命の判断であり、当然の選択です。「フェザー級は何もかもが違う」(ドネア)と白旗を挙げたのですから、選択肢は〝後退〟以外に考えられません。

ドネアは、マニー・パッキャオやフロイド・メイウェザーのような画期的な技術はなく、自分よりも大きな相手をコントロールするためのモデルチェンジを施す器用さも欠落した、ワンパターンのパンチャー。

もちろん、このスポーツの面白さを体現してくれるのがドネアのような純度の高いパンチャーです。

リミットの無いヘビー級のボクサーは、自分の作戦や対戦相手によって体重をデザインして戦いますが、メイウェザーやパッキャオも井上に代表される「弱体化する過酷な減量」とは無縁でした。

このあたりの異次元さは、井上や井岡一翔ら日本のボクサーには全く理解不能かもしれません。

メイウェザーはジュニアミドル級(154ポンド)の試合でオスカー・デラホーヤ戦が150ポンド、ミゲール・コット戦が151ポンド、コナー・マクレガー戦に至っては茶番劇とはいえ149.5ポンドで計量しました。

さらに、パッキャオに至ってはリミットを大きく下回るのがデフォルト。150ポンド契約のアントニオ・マルガリート戦の前日計量は144ポンド。

メイウェザーやパッキャオは「自分も弱体化しながらより弱い相手を求める」減量とは全く違う、「適正体重よりも重い人気階級でより大きなカネと注目を求める」体重コントローラーでした。

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 9月30日にカネロ・アルバレスが持つスーパーミドル級のUndisputed titleに挑戦するジャーメル・チャーロも「適正体重よりも重い人気階級でより大きなカネと注目を求める」冒険に船を漕ぎ出したファイターです。

トレーナーのデレク・ジェームスは「筋肉で増量したら良いという問題ではない。筋肉はオモリになるし、可動域を狭めたり反射を鈍らせる危険もある。カネロは確かにハードパンチャーだが距離は短く、追い足もない」と、体重とカネロとの相性を踏まえて「(リミットの168ポンドを大きく下回る)163か164ポンド で仕上げるつもり」と語っています。


“I want him to be fast, I want him to be athletic, I want him to be mobile. The heavier you are, it’s like you’ll be lethargic, slower. You have to be faster,” said James about Charlo.

チャーロはスピードと身体能力、機動力を生かした戦い方をしなければならない。体重を増やして鈍重になってはダメなんだ」。



そして、カネロと戦うあらゆる選手、陣営が懸念を口にする「ラスベガスのジャッジ」。

ジェームスも不信感を露わにしています。「ラスベガスのジャッジがカネロ贔屓なのは、もう誰も否定できない。我々も微妙なラウンドは全部持っていかれると覚悟している。判定が読み上げられたドミトリー・ビボルの表情を見たかい?115−113のスコアを聞いて、私もビボルと同じ思いだった。そういうことか、と」。

「あの試合がたった1ラウンド差だったなんて馬鹿げてる。しかし、ラスベガスはカネロの町だから、我々はビボルのように内容で圧勝、公式で辛勝になるかもしれない」。


Jermell Must Win Rounds Decisively Against Canelo

カネロに勝つには、明白に取ったラウンドを積み重ねるしかないんだ。

「ジャーメルは1ラウンドで80発以上のパンチをまとめて、ラスベガスのジャッジを黙らせるしかない。同じ数だとジャッジは100%カネロに付ける」。

現在のオッズはカネロ勝利が4/11(1.36倍)、 チャーロ11/5(3.2倍)。

チャーロがいきなり2階級上げてくること、急遽の代役だったことまで含めると、このオッズは思いがけないほど接近しています。

もちろん、カネロの心身に迫る劣化 の影も読み取った数字でしょう。

カネロはハンドスピードとパワー、ディフェンス技術で高い能力がありますが、足が遅いためにクロスレンジに相手を閉じ込めなければなりません。

チャーロにはカネロが嫌う長い距離をキープしながら、接近してくるカネロを迎撃する、ビボルと同じかそれ以上の技術を持っています。

カネロがジュニアミドル級時代、挑戦をアピールするチャーロ兄弟とのポテンシャルオッズはわずかとはいえアンダードッグでした。チャーロ兄弟がカネロのジョーカーを握っていると見られていたのです。

もちろん、今のカネロはひ弱な面もあった154パウンダーではありません。

ライトヘビー級でもトップ選手、ジャーメルのスピードや身体能力に戸惑うことはあるかもしれませんが、そのパワーが脅威にならなければ、ジェームスが心配するジャッジに勝敗を委ねることのない、あっけない結果に終わるかもしれません。 
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さて、日本におけるボクシングは「(一般の)ニュースが取り上げてくれる」(那須川天心)」社会的に認知されたスポーツで、演芸扱いのキックボクシングや総合格闘技とは一線を画しています。

ただし、米国に目を移すとボクシングとMMAの立場は、後者が上。

ESPNの予算編成を見れば、その差はもはや挽回できるレベルを超えています。

トップランクの創始者が亡くなった時点で、ESPNはボクシング予算をゼロまで削減する政策を進めるという噂もあります。

一方で、米国の人口構成で成長著しいヒスパニック、特にメキシコ系の勢力はMMAよりもボクシングを好む傾向があり「米国人がボクシングから離れる穴をメキシカンが埋めてくれてる」(ボブ・アラム)のです。

実際には、穴は埋められず、ボクシングの没落に歯止めはかかっていませんが。

慢性経営難のリング誌は、2010年代後半には完全に破綻危機を迎え、ロンダ・ラウジーや井上尚弥という従来の読者が関心を示さない女性MMAファイターや超軽量級のアジア人を表紙に起用、MMAコーナーを誌面に加えるなど新規読者の獲得を狙いますが全くの不発。

それどころか、米国ボクシングファンが興味のないMMAや軽量級を表紙にしたことは、リング誌への幻滅を招き、既存読者をますます減らしてしまいます。

実際に、井上が表紙になったのはWBSS優勝前。優勝してからの約3年間は一度も表紙を飾ることなく、リング誌は100年の歴史に幕を下ろしました。

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ボクシングに対して、その歴史、アーカイブの奥深さでは全く歯が立たないUFCが米国で大きな成功を収めた原因は、ボクシングに欠落している「スポーツであること」への徹底追求です。

UFCは「世界王者は1人だけ」「階級は8つだけ」というボクシングの古き良き時代を再現、さらにボクシングではザルのドーピング問題にも正面から斬り込みました。

ちなみに、ボクシングは各国(米国では各州)のコミッションが検査を実施、大きな試合になるとVoluntary Anti-Doping Association (VADA) の検査も課せられることがありますが、所詮はVADA。

このVADAは、ボクシング界に蔓延るドーピングに危機感を覚えたネバダ州アスレティック・コミッションのリングドクター、マーガレット・グッドマンらが創設した零細団体。

ノニト・ドネアらが師事するドーピング・グル、ビクター・コンテが「VADAの検査を潜れと言われたら、今の私でも簡単に出来る。ただ、五輪などでドーピング検査をリードするWorld Anti-Doping Agency(WADA)については「あれはプロフェッショナルでかけてる資金も桁違い。ドーピングから長らく離れている私が、WADAの検査を抜けるのは無理。もちろん、そんなことはしないけど」というように、WADAは最も厳格な検査機関。

WADAの地域担当が日本のJADAであり、米国のUSADA。

井岡問題で揺れるJBCは「WADAの検査基準に従っている」としていますが、WADA検査を導入しているわけではありません。おそらくVADAと契約する資金すらないでしょう。JBCはどこの機関に依頼して調べているのでしょうか?

そして、UFCです。なんと!USADAと契約「365日ランダムテスト」を導入しているのです。相当な金額になるはずですが、五輪選手並みのドーピングテストを実施できる背景には、ESPNの全面支援があるのでしょう。

世界王者は1人だけ、8階級の価値あるタイトル、厳格なドーピング検査…いずれもボクシングを殺すために最強の武器です。

ボクシングは世界王者が何人いるかわからない、計量で放擲されるほどタイトルの価値は暴落、ザルのドーピング検査…マイナースポーツの座に転がり落ちているどころか、スポーツとしての裏付けすら怪しくなっています。


前置きが長くなりました。

UFCの8階級と、ボクシングのオリジナル8の体重比較です。


上半身正面のみの攻撃に限定される(下半身は防御的な意味で鍛える必要は無し)ボクシングと、〝なんでもあり〟UFCとの単純比較は格闘技の種類が違うので慎重にならなければいけませんが、UFCのオリジナル8は体格の向上した現代に即した、理にかなったリミットに映ります。

UFCの呼称はボクシングにならって同じですが、そのリミットは大きく上回っています。

(カッコ)がボクシングのリミット。

◾️ヘビー級:265 lbs: -120.2 kg(200lbs〜)
 
◾️ライトヘビー級:205 lbs: -93.0 kg(175lbs -79.4kg)
 
◾️ミドル級 :185 lbs: -83.9 kg(160lbs -72.6kg)
 
◾️ウェルター級:170 lbs: -77.1 kg (147lbs -66.7kg)
 
◾️ライト級 :155 lbs: -70.3 kg(135lbs -61.2kg) 
 
◾️フェザー級:145 lbs: -65.8 kg(126lbs -57.2kg)

◾️バンタム級:135 lbs: -61.2 kg(118lbs -53.5kg)

◾️フライ級 :125 lbs: -56.7 kg(112lbs -50.8kg)

UFCの女子最軽量は115 lbs-52.2 kgのストロー級で、それでもボクシングのジュニアバンタム級と同じウエイトです。UFCでは女子ですら115 lbs: -52.2 kg未満の階級は不要という考えです。

リング誌でも「OLD SCHOOL 8(古き良き8階級)」という連載で、毎月もし8団体なら誰が世界王者か?をリストアップしていました。

UFCの女子にならって、米国ではランキングが存在しない州も少なくない超軽量級のジュニアクラスは全て廃止するべきなのでしょうか?

もちろん、そうなるとタイトルの価値は跳ね上がります。井岡は4階級制覇ではなく、まだフライ級の一冠だけ。井上も完全統一のバンタム級の一冠だけで、複数階級制覇には成功していないことになりますが、人気階級の複数階級制覇の価値に近づくことができるでしょう。

しかし、悲しい哉。現実は17階級、ジュニアフェザー級以下だけで4つも水増し階級がお茶を濁している状況です。

そして…悲しい哉、私たちボクシングファンは認定団体が捏ち上げた欺瞞のクラスを、何の躊躇いもなく「廃止するのがベスト」とは言い切れないのも、もう一つの現実です…。 

ここで、4年前にスタートした別のお話「水増し階級の怪物たちは本物だったのか?〜階級制の光と闇〜❶ゴメスの名はゴメス」へとループします。

https://fushiananome.blog.jp/archives/19521529.html 
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さて、クルーザー級を加えた9階級。

さらに追加する価値のあるクラスはあるのでしょうか?

以下の赤字の8階級で、残すべき階級があるとしたら…?

ストロー級105
ジュニアフライ級108

フライ級    112
ジュニアバンタム級115
バンタム級 118
ジュニアフェザー級122
フェザー級 126
ジュニアライト級130
ライト級     135
ジュニアウエルター級140
ウエルター級146
ジュニアミドル級154
ミドル機     160
スーパーミドル級168
ライトヘビー級175
クルーザー級200
ヘビー級     200〜

特に、日本人にはなんの思い入れもありませんが、ボクシング発祥の国イギリスには「ストーン(石)」という重さの単位があります。

英連邦内の試合でリングアナウンサーが「ストーン」でウエイトを紹介するのを聞いたり、WOWOWでジョー小泉が説明してくれているのを見た人も多いと思います。

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日本のファンからは「相撲」と揶揄されたスタイルの10ストーンファイター、リッキー・ハットンは、イギリスではワーキング・ヒーロー。たとえ相手がメイウェザーでもパッキャオでも正面から立ち向かう姿は、負けてなお、彼らの誇りそのものでした。

1ストーンは14ポンド、6.35kg。

イギリスで10ストーン(140ポンド=ジュニアウエルター級)、12ストーン(168ポンド=スーパーミドル級)の人気が高いのは、このストーン単位でキレが良いこともあるのでしょう。

他にもキレの良いクラスは8ストーン(112ポンド=フライ級)、フェザー級(9ストーン=126ポンド)、11ストーン(154ポンド=ジュニアミドル級)。

そして、カネロ・アルバレスが主戦場にしているのが12ストーン級、スーパーミドル級です。

この思い入れのあるクラスでロッキー・フィールディングやカラム・スミス、ビリー・ジョー・サンダースがカネロの軍門に降ってタイトルを奪われる悔しさは「他のクラスでは味わえない苦さ」(英国ボクシングニューズ誌)なのです。

逆に考えると、もしカネロから全てのベルトを奪って英国に持ち帰るファイターが出現したら、とんでもない人気を集めることになるでしょう。

さて、もしジュニアウエルター級がなければライト級とウエルター級の体重差は11ポンド。

また、もしジュニアミドル級がなければウエルター級とミドル級の体重差は13ポンド。

ジュニアウエルター級とジュニアミドル級は、日本人にとっては問答無用の重量級ですが、個性的な世界王者を輩出してきた馴染みのあるクラスです。

それを言い出すと、ストーン単位のキレは悪いもののジュニアライト級も、フェザー級とライト級の9ポンドを埋める〝伝統〟のクラス、やはり日本人王者が数多く生まれてきました。

さて、この三つのジュニアクラスは、残すべきなのでしょうか?

それとも、そんなこと言ってるから階級が増えるんだ、そもそも日本人に馴染みのある階級ってことはレベルが低くて、日本で好き放題できる階級ってこと、そんなの要らない…のでしょうか?
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プロボクシング17階級。この数を適切だと考える人は、認定団体との利益関係が深い方を除くと、まずいないでしょう。

では、適切なのは何階級なのか?

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米国ではすでにボクシングを抜き去ったと言って差し支えないMMA。

メキシコ独立記念日週間に予定されていたカネロ・アルバレスのメガファイトが9月30日に先送りされたのは、UFCの興業規模との兼ね合いで〝敗北〟したから。

カネロは、セルゲイ・コバレフ戦でもUFC興行の終了を待って開始ゴングが遅れたこともありました。

現在のボクシング市場で最も商品価値があるカネロですら、そうなのです。

UFCは1団体、8階級、厳格なドーピング検査。わかりやすいです。少なくとも、米国では王者の価値がボクシングよりも上です。

ボクシング界に横たわる課題は数え切れませんが「17にまで膨れ上がった階級を削減すべき」と言う意見はその中でも大きな声の一つです。

では、オリジナル8まで戻すのが正解なのか?それとも、水増し階級の中にも残すべきクラスがあるのか?

一つだけ選ぶなら、クルーザー級で決まりでしょう。

250ポンド以上が珍しくなくなったヘビー級の巨大化、その一つ下のライトヘビー級が〝わずか〟175ポンドのリミットという現実を考えるとクルーザー級の存在意義は誰も否定できないでしょう。

では、オリジナル8にクルーザーを加えた9階級で〝完成〟でしょうか…?

それとも、まだ残すべき理由のあるクラスは存在するのでしょうか…?
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田中教仁が6月28日にタイ・ラヨーンでWBCストロー級王者パンヤ・プラダブスリ挑むことが急遽決定しました。

三迫事務が発表したのが9日、試合まで20日を切ったタイミングです(打診が来たのは5月末とのことです)。

両者は昨年8月にもタイ・ナコンラチャーシーマーで対戦、田中が判定で敗れており、10ヶ月越しのダイレクトリマッチ。

初戦のスコアは119−109/118−110/116−112 のユナニマス、このスコアは敵地である影響は全くなく、119−109でも十分納得できる内容でした。

田中はWBC10位ですが、Transnational Boxing Rankings BoardやESPN、リング誌などまともな世界ランキングでは圏外、世界挑戦の資格のある実力はない、と見られています。

もちろん、田中には一片の“罪”もありません。WBCのランキングが狂っているだけです。

再戦する理由は、誰がどう考えても見つかりません。 



プラダブスリは4月に日本で重岡優大と予定していたタイトルマッチが、来日直前にインフルエンザに感染してしまい中止。

重岡優は代役のウィルフレド・メンデスと暫定王座決定戦を争い7ラウンドKO、プラダブスリとの団体内統一戦が既定路線でした

三迫貴志会長が語った「プラダブスリ陣営がWBCに重岡戦の前に防衛を挟みたいと要請し、WBCから6月中なら認めるとの回答を得て今回の試合になったと聞いている」という背景は、プラダブスリはもちろん、田中にとっても、そして承認料が稼げるWBCにとってもウィン-ウィンでしょうが…。

ファンからすると、日本人がタイで世界王者を奪取するという大快挙のチャンスが巡ってきたという期待よりも、ボクシング界の腐敗をまた見てしまった苦い思いの方が強いのではないでしょうか。
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1970年12月11日、ティファナ市立体育館。

3本のロープが張られたリングのキャンバスには何の広告もなく、世界タイトルを争う二人のトランクスにもその類のものは何も見当たらない。

潔いほどシンプルな時代だった。

ビセンテ・サルディバル、27歳。柴田国明、23歳。

この試合は日本でも衛星放送で生中継される予定だったが、通信機器の不調から急遽中止になってしまう。

日本ボクシング史上最高の海外ニュース、あの試合は生中継されなかったのだ。

オープニングラウンドで試合は決していた。王者は「こんなに強いとは、これは厳しい」と感じ、挑戦者は「勝てる」と、確かな手応えを掴んでいた。

12ラウンド終了TKOで、柴田は最初の世界タイトルを獲得。しかも、敵地メキシコで。しかも、王者はあのビセンテ・サルディバル。

完全ホームで大番狂せに散ったサルディバルだったが、勝ち名乗りを受ける柴田に近づくとその手を挙げて祝福してくれた。

“I learned from Saldivar the dignity of a champion, of honoring your opponent at the beginning and at the end.”

柴田は「サルディバルから対戦相手に敬意を表す王者の威厳を学んだ」と感動を語っている。

一方で、確実と見られていたサルディバルの防衛成功を祝うイベントは全部中止。宴会場では、粛々と食べ物などが片付けれられた。




そして、大騒ぎになったのは、日本。

衛星放送が中止になって、動画も画像もない「柴田がメキシコでサルディバルに勝った」というニュースだけがテレビやラジオで報じられ、東京や大阪では写真もない、柴田の勝利だけを短く伝える号外が配られた。

「お世話になったティファナの人たちにお礼をしたり、メキシコ見物してから帰国しよう」と考えていた柴田だったが、東京のテレビ局から出演オファーが殺到、すぐ帰国しなければならなくなった。

往きの飛行機はエコノミーだったが、帰りはファーストクラス。

出発のときの羽田空港は関係者しかいなかったのに、タラップを降りると空港にはファンが大勢詰めかけていた。

日本中が大騒ぎで、柴田は全く落ち着くことができない、そんな時間が1ヶ月も続いた。

 I had flown economy and flew back as a champion upgraded to first class. On my arrival in Tokyo, I realized the whole country was literally buzzing about my accomplishment. It lasted for a month.”


ーーービセンテ・サルディバルの生涯戦績は40戦37勝26KO3敗。

最後の試合は1973年10月21日。WBCフェザー級王者エデル・ジョフレに挑戦、4ラウンドでKO負け。世界戦で敗れたのはジョフレと柴田だけだった。

サルディバルが王者として敗れたのは、柴田だけ。




BoxRecによると、これまでリングに上がったフェザー級のプロボクサーの数は6万7607人(2023年5月31日現在)。

BoxRecが選んだ、その頂点に立つ史上最強のフェザー級は誰でしょうか?

普通にウィリー・ペップ?それともファン・マヌエル・マルケス?いや、やっぱりサルバドール・サンチェス?

全部、外れです。

史上最強のフェザー級はビセンテ・サルディバルです

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日本史上最高のフェザー級は、柴田国明で誰も異論はないでしょう。

日本人が勝利した最高のファイターがエデル・ジョフレであることにも、誰も異論はないでしょう。

そして、エデルに次ぐ最高がビセンテ・サルディバルであることにも。

柴田が挑戦したときのサルディバルは、WBCフェザー級王者でしたが、元WBA/WBCフェザー級王者。

WBAのストラップは敗れて失ったのではなく、王者のまま引退して手放したもの、WBCは復帰して取り返したものでした.

その最初の引退試合はフェザー級のUndisputed championとして、あのアステカスタジアムで行われました。

打撃戦にめっぽう強く、それでいて気まぐれなプレーボーイ。絶大な人気者だったのは当然です。

リカルド・ロペスは極端な例にしても、メキシコであっても、実力と人気は絶対的に比例するわけではありません。

サルディバルは、その両方を高い次元で手に入れた稀有なファイターでした。

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柴田は、そんなメキシコの英雄に敵地で挑戦したのです。相手はメキシコの英雄、敵地に行くしかなかったのです。

柴田が勝てるとは、誰も思っていませんでした。

しかし、サルディバルが大人気のヒーローであるが故に、完全アウエーであるはずのティファナで意外なことが起こります。

時差と10kg近い減量のため、約1ヶ月前にティファナ入りした柴田は、現地のボクシングファンから、思いがけないほどの大歓迎を受けたのです。

スーパースターのサルディバルの練習やスパーリングの見学は有料でしたが、柴田は無料で開放、連日多くのボクシングファンが集まったのでした。

試合1ヶ月前に現地入り、その間にメキシコのファンも柴田への思い入れが芽生えたのでしょう。

宿泊先のホテルまで、サインを求めにやって来るファンもいました。

地球の裏側からやって来た、練習を無料公開してくれる日本人。

しかし、試合の日には我らが誇る英雄サルディバルの生贄になってしまう、優しい青年。

ティファナのボクシングファンは、この試合を複雑な気持ちで見ていたかもしれません。


私はというと、このビッグファイトをリアルタイムで知りません。

日本国内では〝悲報〟を覚悟する諦めの空気が漂っていたのではないでしょうか?


そして、現地の柴田は地元の英雄に挑戦するというのに、完全アウエーではなく、心地良いそよ風に背中を押されるような感覚があったのではないでしょうか?

1970年12月11日。その日がやって来ました。
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世界フェザー級。

白井義男の世界タイトル挑戦のために、1952年に日本ボクシング・コミッションが創設されてから71年。

126ポンドの頂に登った日本人は、西城正三から数えて、たったの5人。

後発階級のストロー級やジュニアフライ級、ジュニアバンタム級では世界王者が量産されているというのに。

このクラスでは2010年に決定戦でWBCのストラップを拾ったものの一度も防衛できなかった長谷川穂積を最後に、13年も世界王者が誕生していないのです。

一つ重たいジュニアライト級が10人、一つ軽いジュニアフェザー級で11人もの世界王者を送り出していることを考えると、フェザー級が非常に不思議な階級であることに気づきます。

それは、ジュニアウェルター級に3人、ジュニアミドル級に4人の世界王者に挟まれながら、その間のウェルター級では1人の世界王者も生み出すことが出来ていない矛盾とも似ています。

もちろん、ボクシングファンはフェザー級に不思議を感じていません。ウェルター級が獲れないことを矛盾と捉える人も皆無でしょう。

フェザー級とウェルター級は、ストロー級やジュニアフライ級と比べると、挑戦機会が圧倒的に少ないという事情が横たわっていますが、それだけが理由ではないのです。



さて…日本史上最高のフェザー級は誰でしょうか?

西城正三、柴田国明、越本隆志、粟生隆寛、長谷川穂積。

おそらく、ここで迷う人はいないでしょう。

今朝アップされたリング誌電子版「BEST I FACED: KUNIAKI SHIBATA(私が拳を交えた最強の男たち)」からのインスパイア。

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柴田国明は、ファイティング原田以来の二階級制覇を成し遂げた。その後、多くの日本人ボクサーが二階級、三階級、四階級と制覇したが、二つの階級でリング誌王者になったのは原田と柴田だけ。

柴田は1947年3月29日、茨城県日立市で生まれた。

1947年3月…敗戦からまだ一年半しか経っていない。だからといって「矢吹丈」や「力石徹」のような戦災孤児ではなかった。

父親は大企業・日立の工場で働き、母親は専業主婦として家族の面倒を見ていた。

「私は喧嘩に明け暮れていた問題児じゃなかった。海と山に囲まれた日立の自然の中で遊びまくってたのが、ボクシングのバランスや強さに繋がってたのかもしれない」。

柴田の少年時代、プロボクシングは文句無しのメジャースポーツだった。バンタム級の世界ランカー青木勝利に憧れて、プロボクサーを目指した。

青木と同じ三鷹ジムに入るつもりだったが、牛乳配達の勤務先に近いヨネクラジムの門をくぐる。

アマチュア経験のない柴田だったが、米倉健司は一目でその才能を見抜いた。

「ジムに入って1週間で、米倉会長の言われるままにプロテストを受けたら合格した。会長は無償で自宅に住ませてくれて、ボクシングだけに集中できる環境を作ってくれた。

1965年3月6日、17歳でデビューした柴田に、いきなりとんでもない幸運が舞い込んだ。

ファイティング原田の挑戦を受けるために来日した伝説のバンタム級王者エデル・ジョフレのスパーリングパートナーの一人に抜擢されたのだ。

「1ラウンド2万円という破格の待遇だった」。当時の大卒初任給と同じ金額だったのだ。

「2度目の来日でもスパーリングパートナーに呼ばれて、それぞれ10ラウンドスパーリングしたが、私のパンチは当たらなかった、たったの一発も」。

デビューから21連勝の柴田は、ドワイト・ホーキンスに7ラウンドKOで沈められ、初黒星を喫してしまう。しかし、このときホーキンスのトレーナーだったエディ・タウンゼントが柴田のコーナーに付くようになり再び上昇気流に乗り、世界ランキングに名前を連ねるようになった。

当時の世界王者はWBAが西城正三、WBCがビセンテ・サルディバル。

サルディバルは統一戦を熱望していたが、西城のマネージャーは「まずサルディバルが柴田に勝ってから」と、柴田にお鉢が回ってきた。

サルディバルはWBA/WBCの二つのタイトルを掌握するフェザー級のUndisputed Championだったが、ハワード・ウィンストンを12ラウンドでストップ(1967年10月14日:メキシコシチー・アステカスタジアム)して、引退宣言。

「十分金も稼いだ。栄光も手にした。もう何も証明することはない」。

私はサルディバルの現役時代を知りません。

しかし、あのフリオ・セサール・チャベスやルーベン・オリバレスのアイドルだったと知り、メキシコのファンがサルバドール・サンチェスにサルディバルの光を感じたというエピソードに「柴田は途轍もないチャンピオンに勝ったんだ」と、実感できました。

柴田を迎え撃つサルディバルが保持するのは、ジョニー・ファメションから奪ったWBCタイトル。

一度引退、2年弱のブランクがあるとはいえ、El Zurdo de Oro(黄金のサウスポー)は、まだ27歳(柴田は23歳)。

戦績は37戦36勝(26KO)1敗。唯一の黒星は8年前の10回戦時代に付けられたもの。

西城との統一戦、リングに戻ってきたジョフレとのビッグファイトへの期待が膨らむサルディバルが柴田に負けるとは、誰も想像だにしていなかった。
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