フシ穴の眼 〜スポーツ疾風怒濤編〜

      Hope Lights Our Way / 希望の道を、つなごう。

カテゴリ: 世界のボクシング:階級/キャッチウエイト

複数階級制覇に団体統一戦が活発に行われる現在の状況を迎えたのは、認定団体が増えたことがその引力を弱体化させたため、ともいえます。

白井義男やファイティング原田の60年代は言うに及ばず、80年代中盤まで複数階級制覇は〝快挙〟であり、団体統一戦は認定団体にとってよほど旨味があるケースでないと実現は難しい〝稀少〟でした。 

「THE DREAM MATCH」は、マニー・パッキャオvsオスカー・デラホーヤの看板タイトルでしたが、勝手に拝借。

団体統一戦が「」で、複数階級制覇の〝上限〟が「」だった時代、そして日本人がメガファイトに「」づいた、そんな80年代から90年代初めのTHE DREAM MATCHを夢想します。

♬とんで、とんで、とんで、回って、回って、まわ〜るぅ〜〜〜♬



 
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▶︎WBAとWBCがせめぎ合っていた80年台前半まで、団体統一の前には様々な障害が横たわっていました。

それでも、WBAジュニアバンタム級王者・渡辺二郎は1984年7月にWBC王者パヤオ・プーンタラトとの頂上決戦を強行。

「タイトル剥奪」を警告していたWBAと、渡辺を統一王者にさせたい帝拳の間で、剥奪のタイミングを「試合終了時点」にすることで妥協、渡辺は瞬間的に統一王者の座に就きました。

2021年12月号のリング誌で特集された「DIVISION BY DIVISION:The Greatest Fighters of All time」(階級別歴代PFP)で、カオサイ・ギャラクシーに次ぐ2位に選出されます。これは全階級を通じて日本人最高位。

1984年11月、渡辺が剥奪されて空位となったWBA王座を獲得したカオサイは1991年12月までに19連続防衛。世界奪取の試合も含めた世界戦20試合は全勝17KOという凄まじい数字でした。

He became WBA super flyweight (115-pound) world champion Jiro Watanabe's mandatory challenger.
When Watanabe failed to defend his title against Galaxy, the WBA stripped him and matched Galaxy against undefeated Eusebio Espinal for the vacant title on November 21, 1984. 

BoxRecなどは、渡辺は「指名挑戦者カオサイとの防衛戦を行わなかったためにタイトルを剥奪された」と、日本で受け止められているのとは違う剥奪理由を記述しています。

このことで、一部のファンが「渡辺はカオサイから逃げた」と揶揄する根拠になっています。

WBCに鞍替えした渡辺は86年3月まで4連続防衛、ヒルベルト・ローマンに惜敗してタイトルを手放します。

カオサイとは15ヶ月間、ライバル王者でした。

渡辺がもう一度統一戦に挑み、タイのビッグパンチャーに勝利していたら、歴代2位ではなかったことは疑いようもありません。

正式な引退はローマン戦から5年が経った1991年11月。

1994年11月には後楽園ホールで、カオサイとのDREAM MATCHをエキシビションで実現させています。




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辰吉との対戦が期待された世界のホープたち。

▶︎大阪帝拳のエースの座を渡辺から継承した辰吉丈一郎は「ファイティング原田を凌ぐ史上最高のボクサー」と持て囃され、第1期(1991年9月〜92年3月=網膜剥離でタイトル返上)、第2期(93年7月=暫定王座〜94年12月)、第3期(97年11月〜98年12月)と、いずれも劇的なタイトル奪取と悲壮な陥落を繰り返しました。

この時代、バンタム級最強と見られていたのは、88年7月から94年10月まで16連続防衛したオルランド・カニザレス

米国ではニーズがないバンタム級ですが、もし日本で「辰吉vsカニザレス」の統一戦が実現していたら…大きな話題を巻き起こすとんでもないメガファイトになっていたでしょう。

もちろん、JBCがIBFに加盟するのは2013年、日本でカニザレス戦など実現しようもありませんでした。



▶︎1987年11月にトーマス・ハーンズが4階級制覇に成功するまで、複数階級制覇の壁は「3」でした。

しかし、その後の32年間でなんと22人が4階級制覇に成功。1年4ヶ月に一人の4階級制覇ボクサーが量産され、日本の井岡一翔もこの〝エリートクラブ〟に入会しています。

ファイティング原田と柴田国明に続く、日本史上3人目の2階級制覇を果たしたのは井岡弘樹。1991年12月、モダン部門で殿堂入りする柳明佑に勝ったことがまず特筆されますが、当時は「2階級制覇」もまた大偉業だったのです。
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弘樹は、原田が2度失敗した前人未到の3階級制覇に、4度挑みますがいずれも惨敗、完敗に終わってしまいます。

1993年6月:WBAフライ級王者デビッド・グリマン・メンデス=8回TKO負け。

1995年10月:WBAフライ級王者セーン・ソー・プルンチット=10回TKO負け。

1997年2月:WBAフライ級王者ホセ・ボニージャ=7回TKO負け。

1998年4月:WBAジュニアバンタム級王者 飯田覚士=2−0のMD負け。

日本人初の3階級制覇は、2010年12月に好条件を整備したリングで亀田興毅によって達成されるまで待たねばなりませんでした。

亀田はジュニアフライ級、フライ級を制して、カエル跳びでバンタムのピースも拾いました。対戦相手を吟味するいつものやり方なら、ジュニアバンタムも獲得できていた可能性も高く、初の4階級制覇は井岡一翔ではなかったかもしれません。



  

▶︎1978年8月にWBAジュニアミドル級王者となった工藤正志は79年10月、アユブ・カルレの技巧に屈して陥落してしまいます。

79年12月当時、一つ下のウェルター級はWBAがピピノ・クエバス、WBCがシュガー・レイ・レナード。80年8月にハーンズがクエバスを破壊してWBAタイトルを強奪。

一つ上のミドル級はアラン・ミンターがUndisputedChampion(完全統一王者)でしたが、80年9月にマービン・ハグラーの軍門に下ります。

「(アマチュア世界選手権金メダルの)カルレと戦えただけで光栄」と満足していた工藤が、カルレに勝っていたなら?というイフは無理があるかもしれませんが、その無理イフのアナザーワールドでは「工藤vsレナード」が実現していたかもしれません。



▶︎1981年11月7日、とんでもないニュースが日本に届きました。

ニューヨーク州ロチェスターで行われたWBA世界ジュニアミドル級王座決定戦で三原正がロッキー・フラットに判定勝ち、世界王座を獲得したのです。
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このタイトルは初防衛戦で、デイビー・ムーアに6回KO負け、あっさり手放してしまいます。

しかし、その後8連勝を飾り復活。

なんと、WBC世界ジュニアミドル級王者ハーンズへの挑戦が具体化しかけましたが、持病の腰痛が悪化により1985年3月28日の試合を最後に引退を余儀なくされてしまいます。



▶︎いまだ破られていない15試合連続KO勝利の日本記録(のちに渡辺あきのり・比嘉大吾がタイ)を持つ浜田剛史も、結果的には太く短い王位でしたが、夢のある世界ボクシングシーンとシンクロしていました。

日本と東洋太平洋のライト級王座を獲得していた1984年〜86年のWBA王者はブンブン・マンシーニからリビングストン・ブランブル、エドウィン・ロサリオが覇権を争い、WBCはホセ・ルイス・ラミレスからヘクター・カマチョにベルトが遷移していました。

1986年7月、1階級上のジュニアウェルター級のWBCバージョンを持つレネ・アルレドントを3分9秒で失神させて王座獲得。
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浜田に複数階級制覇の話があったとは聞いたことがありませんが、ライト級にカマチョ、ウェルター級にドン・カリー〜ロイド・ハニーガン…ビッグネームに包囲されたランキング表は想像力をどこまでも刺激してくれました。
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リング誌4月号の「THE STUFF OF DREAMS〜夢の対決」から。

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マニー・パッキャオがアカデミー賞でオスカーを受賞する可能性の方が高い、と笑うなかれ。

昨年末、ニューヨークで取材に応じたオレクサンダー・ウシクは、カネロ・アルバレスとクルーザー級で戦う可能性について「クルーザー級に戻るのは簡単だ」と、答えました。

ウクライナの魔術師は「クルーザー級に戻るとしてもカネロとの1戦だけ。ヘビー級のベルトを維持したまま、カネロに勝つ。そして、ヘビー級に戻る」とヘビー級が主戦場であることを強調。

最も優れたPFPファイター2人の対決が実現すると、記録的な興行規模になるのは間違いありません。

スーパーミドル級の現役王者がヘビー級の現役王者と対戦するのです。

もし、カネロが勝つと、1897年にミドル級王者ボブ・フィッツシモンズがヘビー級王座を獲得したことが思い出されるでしょう。

そして、ヘビー級の現役王者がクルーザー級のスーパーファイトのために階級を下げた前例は、ありません。

ウシクは乗り気ですが、エディ・レイノソは「ありえない。カネロがウシクと戦う可能性はゼロだ」と完全否定。

実現可能性: 2パーセント
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競技人口が多いスポーツは、トップレベルも高い。

トップレベルの報酬が高いスポーツは競技人口が多い。

どちらも、同じ意味の定説ですが、これが必ずしも当てはまらないのは冬季五輪種目で存在感を示してきた日本選手団を見ると明らかです。

スピードスケートの競技人口は男女種目別合わせても約2500人ですから、300万人を越えるテニスと比べると1000分の1以下です。

しかし、五輪での実績は雲泥の差があります。

もちろん、この差は「テニスの方がメジャースポーツでレベルが高いから」というよりも、スピードスケートはまさに「競技人口」なのに対して、テニスは「娯楽人口」ということが背景にあります。

では、プロボクシングにおける階級格差はどうでしょうか?
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BoxRecによると、世界全体のプロボクサーは1万9780人。この中にはライセンスを取得して間もないデビュー前の選手もカウントされています。

※日本のミドル級6人の中に村田諒太は含まれていません。18ヶ月以上試合を行っていないためです。


さて、世界で見ると182人の105ポンド・ストロー級を底辺に、右肩上がりで増え続ける競技人口は、1957人のライト級を頂点に、クルーザー級の1044人まで下降、1225人のヘビー級でホップします。

1957人のライト級から1907人のジュニアウェルター級、1830人のウェルター級、1766人のジュニアミドル級は、それぞれのクラスが1500人を超えるボリュームゾーンで、世界的なビッグネームはここを舞台に覇を競い合っています。

歴史的には、ウェルター級〜ミドル級が最大人口を抱えていましたが、ここを支えていた米国でボクシング人気が凋落、東欧諸国やメキシコの台頭が競技人口をやや軽いクラスに下振れさせています。

それでも、米国のウェルター級は382人と最も多く、続いてヘビー級の344人が300オーバー。

一方でストロー級とジュニアフライ級は各6人で、ここには4回戦やデビュー前選手も含まれますが、彼らを入れてもナショナルランキングトップ10が組めません。

そして、日本を見ると、ミドル級とスーパーミドルが各6人、ライトヘビーとクルーザーがゼロにもかかわらず、ヘビーは2人。

ミドル級以上はトップ10が組めない貧相な状況になっています。

一方で、フェザー級107人、ジュニアライト113人、ライト94人、ジュニアウェルター94人、ウェルター51人と世界の人気階級にもそれなりの競技人口を擁していることがわかります。

約10年間で長谷川穂積、山中慎介、井上尚弥とバンタム級では強豪王者だけでも3人を立て続けに輩出しながら、ウェルターとジュニアウェルターはもとより、フェザーやライトでも1人のアルファベット王者すら送り込めていません。

この原因は「人気階級と比べてバンタムなどはレベルが低いから狙い目」ということです。

しかし、ウェルター級などの壁を高くしているのは「世界挑戦のチャンスがあまりにも少ない」という大きな理由もあります。

ウェルター級やミドルに日本人が挑戦、となるとそれだけでもボクシングファンには大ニュースです。

軽量級は競技人口と報酬、注目も少ないからレベルが低い。本業を持っているパートタイムボクサーの世界王者もザラにいる。

人気がない、報酬が低い、注目もされない、競技人口も低い…だからレベルも低い。

では、今日のBoxRecで最も競技人口の多いライト級(世界1957人・日本94人)と、ジュニアバンタム級(602人・98人)のレベルを比べてみましょう。

レベルを比べる指標などあるわけないので、具体的なサンプルの登場です。

日本での競技人口はジュニアバンタム98人と、ライト94人はほぼ同じ。そのトップは井岡一翔と中谷正義です。

もちろん、スタイルの差はあります。

2人の競技レベル差がどれだけあるか?悩む人はほとんどいません。何よりも、共に練習していた2人が最もよく分かっています。

ライト級の方がレベルが高いはずなのに、微妙な差とかいう話ではありません。

あまりにも両極端なサンプルを取り出したからなのでしょうか?

あるいは、超軽量級のレベルが高く、欧米の人気階級のレベルが低い日本国内で比較するのが間違いないのでしょうか?
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ボクシング最強クラスのヘビー級チャンピオンへの挑戦。

失敗すると「土台不可能だった」と嘲笑されるのが必定、しかし成功の暁には日本スポーツ史上最大の偉業と賞賛される…。

ただし、これまで誰一人として成功どころか、挑戦が現実味を帯びる段階までも登ることが出来ていません。

「誰だってヘビー級が一番注目されて一番儲かるってわかってる。ただ、ヘビー級は飛び抜けて最強。日本人が命を削るような減量をしてフライ級やバンタム級で戦っているのは、フライ級やバンタム級が一番好きだからじゃないんだ。仕方がないんだよ』(不二拳・岡本不二会長)

常識的に考えて「100%不可能」。

だからこそ、それを身にしみて思い知らされているボクサーは手を伸ばさずに、相撲力士やプロレスラー、キックボクサーら〝常識〟を知らない馬鹿たちが100%不可能の無謀な挑戦を繰り返してきたのかもしれません。

1955年、不二拳の岡本不二会長が「ヘビー級ボクサー養成プロジェクト」を立ち上げ、ヘビー級ボクサーの候補生として相撲やプロレスの若手を引き抜いた野望は「世界ヘビー級チャンピオン」どころか、在日米軍のど素人軍団にも半殺しにされる悪夢を見せつけられて木っ端微塵に打ち砕かれてしまいます。

「世界ヘビー級なんて100%不可能。こんなことしてたらいつか殺される」。恐怖に怯えたプロジェクトの選手たちは全員が夜逃げ同然で宿舎から消えていなくなりました。

岡本に残ったのは巨額の借金だけ。ジムがあった田園調布の土地を売り払い新丸子への移転を余儀なくされ、電話まで差し押さえられたと伝えられています。


しかし、1960年に文字どおり巨大な希望が不二拳の門を叩きます。

身長2m、体重90㎏の20歳の若者は前年まではプロ野球選手、風呂場で転倒して負った怪我のために現役を断念していました。

「相撲とプロレスから誘われているけど、自分はボクシングをやりたい」。

その若者、馬場正平の言葉を聞いたフェザー級ボクサー酒井源治はすぐに岡本に伝えます。

しかし、ヘビー級に夢を賭けたばかりに莫大な借金を背負った岡本は「何を今更。日本人にヘビー級なんて無理なんだよ」と悲しい顔をするばかりだったそうです。

馬場は1ヶ月ほどトレーニングすると不二拳を去り、力道山を訪ねました。

その力道山もまた「ボクシングのヘビー級チャンピオン」に夢を賭けた「常識を知らない馬鹿」の一人でした。1961年にリキジムを創設すると、渋谷を睥睨する巨大パビリオンのようなリキ・スポーツ・パレスを建設し、外国人によるボクシングヘビー級のエキシビションマッチを開催しました。
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しかし、力道山は1963年12月に赤坂のニューラテンクォーターで暴力団員との揉め事から刺殺され「世界ヘビー級の夢」はまたしても、あっけなく散ってしまいました。
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力道山の大宮殿跡には、ヒューマックス渋谷ビルが建っています。

そして、1971年に〝昭和の春秋園事件〟が起きます。舞台は大相撲ではなく、プロレス。

アントニオ猪木が日本プロレスの不明瞭な経理に一部幹部の退陣を要求、受け入れられない場合は、選手一同が退団すると画策、これを上田馬之助が「日本プロレスを乗っ取ろうとしている」と上層部に密告、猪木は除名処分されてしまうのです。

行き場を失った猪木は信頼を寄せていた数少ない幹部、リキ・エンタープライズ副社長でリキ・ジム会長の吉村義雄に「ボクサーになって世界王者に挑戦したい」と頼み込みます。

しかし、後援者とテレビ朝日が猪木を新日本プロレスの旗揚げに担ぎ出し、ボクシングヘビー級の「夢」の船は出航すら出来ませんでした。

その後も、髙田延彦らに連なる「プロレスラーのボクシング転向」は間歇的に話題を呼ぶものの、何かが具体的に始まることは、ついに一度もありませんでした。
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1932年の春秋園事件を発端に、日本で初めて顕在化したヘビー級の夢に再び火がつくのは1955年、昭和30年のことでした。

不二拳の岡本不二が「ヘビー級ボクサー養成プロジェクト」を立ち上げ、ヘビー級ボクサーの候補生として相撲やプロレスの若手を引き抜いたのです。

ピストン堀口の育ての親として知られる岡本ですが「ヘビー級の大物を育ててアメリカに乗り込みたい」というのが最終目標でした。

岡本は、ピーク時には20人近くの「あしたのヘビー級チャンピオン」たちをジムに寝泊まりさせ、衣食住の面倒を見る、まさに相撲部屋スタイルで夢を追いかけましたが、朝のロードワークにジムでの練習を重ねると元力士や元プロレスラーの肉体からたちまち脂肪が落ち、ミドル級まで体重が落ちてしまいました。

ミドル級以上の体重をキープできたのは村下巌片岡昇中越豊の元力士3人だけ。

「プロジェクト」からわずか1年後の1956年9月17日後楽園ローラースケートアリーナで「村下vs片岡」の日本人同士による史上初のヘビー級公認試合が行われました。

計量では村下が190ポンド3/4(86.5㎏)、片岡は178ポンド3/4(81㎏)。

この試合に勝利した片岡は1957年5月7日に中越との日本ヘビー級タイトルマッチに出場、この試合も判定をものにして初代日本ヘビー級王者に就きます。
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ボクシング黄金時代にヘビー級の夢を追いかける。

当時はさぞかし盛り上がったのではないかと想像してしまいますが、不二拳のヘビー級ボクサーを指導したエディ・タウンゼントが「ノーグッドだったね。お客さんが試合見て笑ってたって、後から聞いたよ」と現実は冷めていました。

村下を下した片岡が翌月に米軍のアマチュア選手チャーリー・ティムスを迎えますが、まさかの1ラウンド22秒KO負け。ティムスはこの試合がデビュー戦にして引退試合という、生涯キャリアはこの1戦だけでした。

そんな〝実像〟を目の当たりにしているファンが、ヘビー級の夢を見限るのは当然です。

片岡に防衛戦の相手が見つからなかったため、1958年1月に王座が保留となり、日本ランキングは消滅してしまいます。

しかし、ヘビー級消滅の理由は「層の薄さ」ではありませんでした。在日米軍の慰問試合に招かれた不二拳のヘビー級選手が試合で負った脳内出血で死亡するというリング禍が起きてしまうのです。

「米軍のボクサーは怪物、日本人には勝てっこない。そんな奴らでもアメリカでは全く通用しない」。

片岡らは恐怖に慄き、全員がジムを逃げ出してしまったのです。
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「日本人には無理?日本人には無理でも村田諒太には無理ちゃうんじゃ」。

アマチュア世界選手権75㎏級で「金メダルを狙う」と宣言した村田諒太に、記者から「日本人にミドル級で世界一は無理じゃないか?」という言葉を発せられたとき、村田が激昂した言葉です。

日本のプロボクシングは、105ポンドのストロー級から160ポンドのミドル級まで、ウェルター級を除くすべての階級で複数の世界王者を送り込んできました。

147ポンドのウェルター級よりも重い154ポンドのジュニアミドル級、ミドル級に足跡を残しているにもかかわらず、この階級が日本人を拒み続けてきた最大の原因は「世界的なレベルの高さ」ではなく「チャンスが少ないこと」です。
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短命に終わった過大評価の典型エイドリアン(左端)あたりなら日本人でも十分チャンスがあったと思いますが…。

フロイド・メイウェザーやマニー・パッキャオ、テレンス・クロフォード、エロール・スペンスJr.に日本人が勝つ姿はなかなか想像できませんが、競技人口(※)でウェルター級はジュニアフライ級よりも多いにもかかわらず、世界挑戦の機会は圧倒的に少ないのが現実です。

※1月9日現在でジュニアフライ級が49人、ウェルター級が51人(BoxRec)。

世界ウェルター級。それは極端に少ないチャンスをモノにしなければならないがゆえに、最難関クラスに見えてしまっているだけです。

実質的な階級難易度は、日本人の〝天井階級〟ミドルを超えたスーパーミドルやライトヘビー、クルーザー、ヘビーの4階級がウェルター級よりも遥かに上でしょう。

そして、この4階級の中で日本人にとって最も遠いクラスがヘビー級であることは、論を待ちません。

「日本人にヘビー級は無理」。そう言われて激昂できるボクシングファンはいるでしょうか?

「ヘビー級の世界王者」。それこそが日本ボクシング、いいえ日本スポーツ界に残された最後のフロンティア、夢です。そのことは、偏愛的なまでに無理やりに作られた日本ランキングを見てもよくわかります。


しかし、この巨大すぎる壁に日本人が挑戦することは、アルファベットのピースですらたったの一度も許されていません。

藤本京太郎がOPBFとWBOでアジア地域のヘビー級王者に就いたのは快挙でしたが、ジュニアミドル級からクラスを上げてきた石田順裕に苦戦するなど、世界に夢を描ける実力がそもそもありませんでした。

BoxRecで「歴代日本ヘビー級ボクサー」を紐解くと、藤本を筆頭に31人の名前がリストアップされます。

BoxRecが遡ることができたのは1950年代までですが、日本人のヘビー級挑戦は、そんな新しい時代に芽吹いたものではありません。

なんと、白井義男が世界フライ級王者となる1952年から遡ること20年、1930年にその発露が確認できるのです。

当たり前といえば、当たり前です。日本人が初めてプロボクシングを知ったとき、なんの知識もなくてもヘビー級が最上級王者だとすぐにわかったでしょう。

1932年1月、32人の力士が大日本相撲協会に対して体質改善を要求してストライキ、交渉は決裂し関係した力士らは協会から離脱し独立団体を結成しました。世に云う春秋園事件です。
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のちの横綱、大関・武蔵山も大相撲に嫌気がさした32人の中の一人でした。

当時の日本ボクシング界は、ピストン堀口のプロデビューを1933年に控え、ブームの導火線に火が着いた状況で、武蔵山の才能に惚れ込んだ帝拳の田辺宗英がボクシング転向を画策します。

当時の文献を見ると「筋肉質」という言葉が躍る武蔵山のスペックは身長188㎝、体重253ポンド(118㎏)。身長だけでも、現代の藤本を5㎝も上回っていました。

マックス・ベア(189㎝/220ポンド)、ジェームス・J・ブラドック(189㎝/)、ジョー・ルイス(187㎝/210ポンド)…世界ヘビー級王者に君臨していた当時の巨人と比べても全く見劣りしません。

しかし、大日本拳闘会の加納健治の猛反対を受けて武蔵山のボクシング転向は露と消えてしまいます。

人気力士だった武蔵山の転向を快く思っていなかったのは、相撲やボクシングの興行も仕切っていた山口組。神戸から強いつながりのあった大日本拳闘会に働きかけて、武蔵山を相撲協会に〝差し戻した〟のでした。

大谷翔平が投手としてローテーションを守りながら、本塁打王争いを堂々繰り広げた2021年を目撃した私にとって、もはや「日本人だから無理」という壁はどこにも存在しないように思えてきます。

その一方で、タイソン・フューリーやデオンティ・ワイルダーと互角以上に打ち合って倒してしまう日本人の姿が想像できない私もいます。


…日本人のヘビー級へのアタックは「武蔵山」以降も続きます。
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カネロ・アルバレスは最強の相手との対戦を回避して、雑魚を選ぶチキンか?

確かに、Undisputed Championになったスーパーミドル級では、対立王者を次々と鮮やかに平定しました。

しかし、WBCを動かして、次の対戦相手の有力候補にイルンガ・マカブを選ぶ前に、戦うべき相手はいなかったのでしょうか?
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Though we’d assume that by May 2022 the WBC would drop the cruiserweight max to 190, what it used to be, as they announced they’d do when they created the 200-224 lbs.”bridgerweight” division.

WBCは「カネロvsマカブ」が予定される来年5月までに、クルーザー級のリミットを「元の正しい体重190ポンド」に戻す予定です。

マウリシオ・スライマンは「ブリッジャー級の新設でクルーザー級の上限を下げるのは既定路線」と、カネロのクルーザー進出とは全く関係がないと主張していますが、そんな言葉を誰が信じるでしょうか?

もし、クルーザー級リミットを190ポンドに戻すと、200ポンドで戦ってきたマカブは10ポンドの減量を強いられてしまいます。さすがに、カネロ陣営でもキャッチウェイトでさらに削ることはしないでしょうが、当日体重のリバウンド制限は設けるかもしれません。

しかし、このあまりにも無茶苦茶なクルーザー級タイトルマッチのリングに上げられるマカブは「どんな体重でも問題はない。私はライトヘビー級でデビューしてるんだから、何なら175ポンドでも」と、カネロ陣営からの要求はどんなことでも受け入れる用意があるようです。

168ポンドのスーパーミドルから、200ポンドに一足飛びに階級を上げる前に、カネロの目にはライトヘビー級が目に入らなかったのはどうしてでしょうか?

無敗のライトヘビー級王者、アルトゥール・ベテルビエフやデミトリー・ビボルと戦う方が多くのファンの支持を得たはずですが、なぜクルーザーなのでしょうか?

まさか、心身共に病人状態だったセルゲイ・コバレフに勝ったことでライトヘビー級はすでに掌握したとでも思っているのでしょうか?

ミドル級でゲンナディ・ゴロフキンの衰えを待って回避し続けたように、二人のロシア人も劣化を待ってからチェリーピックする計画なのでしょうか?

カネロのクルーザー級挑戦は、悪名高いロイ・ジョーンズJr.のヘビー級制覇と何が違うのでしょうか?

もし、ファンからの支持と栄光、大きな試合を本気で求めてのクルーザー級ならデオンティ・ワイルダーと戦えば、世界中があなたの勇気を素晴らしいと思うのですが?

カネロを見ていて、いつも何かが足りないと思っていました。それは、勇気です。

ボクサーとしては確かに素晴らしい。しかし、彼が相手を選り好みしているのは明らかです。

ファンが一番見たかったのは、ジュニアミドル級ではチャーロ兄弟、ミドル級では全盛期のゴロフキン、ライトヘビーではロシアンコンビでした。

マカブはコバレフ同様に数ヶ月前から体重制限で削られて、力の出ない状態でリングに上げられるのでしょう。

まあ、立派な5階級制覇です。

シュガー・レイ・レナードよりも下劣な5階級制覇なんてありえないと信じていましたが、…ありました。
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50歳前後の年齢、それは大人です。間違いなく、分別をわきまえた大人でなければなりません。

しかし、どんなことにも例外があるように、大人になれない50歳もいます…。

少し前に、そんな分別をわきまえない50歳前後のアホどもとの飲み会がありました。

「バカは死ななきゃ治らない」。格言です。俺たちは治りません。

しかし、アホでもバカでも、結構、鋭いというか、「よくよく考えてみたら、そういうのって、どうなってるの?」なテーマを見つけたりします。

先日は「アスリートの肉体」でした。

アスリートの肉体は例外なく、美しい(強い)。

ボディビルでは、肉体の美しさの絶対基準があります。

では、他のスポーツでもそうでしょうか?

陸上中長距離のように、軽量と筋肉を二元的に求めるスポーツでは、肉体の美しさ(強さ)に絶対基準はありません。

何を今更ですが、ボクサーの場合ももちろん美しいのですが、それには〝審美眼〟が求められます。

アンディ・ルイスJr.の肉体も美しいのか?その答えは、もちろん、Yesです。

それがわからない奴は、審美眼を持ってないということです。アンソニー・ジョシュアを沈めたルイスJr.のスピードとダイナミズムは、誰が見ても美しかったはずです。

前日計量でルイスJr.の胴体を見て失笑した奴は、審美眼など持ち合わせていないフシ穴です。

ボクサーの肉体は、すべからく美しい。
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しかし、その美しさには絶対基準はありません。

もし、ボクシングがボディビル選手権なら、以下のマッチアップの赤字ファイターは全員惨敗です。

マービン・ハグラーvsロベルト・デュラン

フランク・ブルーノvs マイク・タイソン

イベンダー・ホリフィールドvsマイク・タイソン

フロイド・メイウェザーvsマルコス・マイダナ

デオンティ・ワイルダーvsタイソン・フューリー

井上尚弥vsノニト・ドネア

田中恒成vs井岡一翔

ティム・ブラッドリー vsルスラン・プロボドニコフ


泥酔しながら挙げた上記のサンプルで「マッスルだからハードパンチャー」の明らかな例外はブラッドリーくらいでしょうか?

一方「見た目ゆるゆるでもハードパンチャー」の明らかな例外は井岡くらいでしょうか?

そういえばゲンナディ・ゴロフキンも「ゆるゆる属・破格のハードパンチャー科」の生物です。

もちろん、これは「見た目」で、マニー・パッキャオは「ボディビルダーみたいな相手は舐めてしまう。遅くて硬いから」と語っていましたが、そのパッキャオもボディビルダー型でした。

パッキャオは速くて柔らかかったですが。

ボディビルダー型でも、井上や田中をはじめ、多くのボクサーはスピードがあります。パックの「ボディビル型は遅い」というのは、完全に自分基準で見てるのでしょう。

パック視点では「ゆるゆる型も遅い」でしょう、きっと。

完全に個体差、個性です。



フューリーがもっと絞ってボディビル型に近づいたら、史上最強。ブルーノが肩の力を抜いて、筋トレを控えてもっと柔らかく動けばタイソンに勝ってた。ドネアが筋トレに集中していたらなら、フェザーでも通用した。

なんて、思う人はいません。
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現代ボクシングのトレンドは「(安易な)複数階級制覇」と「(複数の意味で)ハードルが高い完全統一王者(Undisputed Champion)」の二本立てです。

タイトルが4つに分裂した状態からUndisputed Championになるには最短で4試合、アルファベット王者を倒さなければなりません。

また、そこにはプロモーションの問題も横たわっています。対立するプロモーターが最も嫌うのは、共同でイベントを作り上げることです。

オリジナル8の時代は、世界王者は一人残らずUndisputed Championであり、Lineal Championでした。
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WBAからWBCが分離独立した60年代末から、世界王者の二人体制が常態化、1983年にIBF、1988年にWBOが設立されて世界王座は四人乱立する異常事態に陥ります。

さらに、21世紀になると不要不急の暫定王者を乱発、休養王者やスーパー王者、ダイアモンド王者、フランチャイズ王者と同一団体が複数の世界王者を擁立する倒錯の世界が構築されてしまいます。

王者の数が多ければ多いほど、承認料ビジネスは儲かるわけです。承認団体に無駄なタイトルを作るな、と言うのは土台無理な話なのです。

IBFはタイトル濫造から距離を置きますが、規定の期間にタイトル戦を行わない場合はどんな理由があれタイトル剥奪、決定戦開催を急ぎます。

世界戦を組まないと儲からないのですから、IBFに「複数団体のベルトを持つ王者にとって個々の団体の防衛戦期限を守るのは難しいから融通を利かせろ」というのも間違いです。

そんな営利団体が主要と呼ばれるだけでも4つ、承認団体への批判の色を明確にしたリング誌ベルトも含めて5つのメジャータイトルが存在するのがボクシングの世界です。
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Undisputed Championは、タイトルの一本化を意味しますから、承認団体が乗り気になるはずがありません。

しかし、80年代まで辛うじて残っていた世界王者の矜持と尊厳から同一階級の防衛記録を重ねるという習性は、現在のスター選手にはありません。

「安易な複数階級制覇」は、タイトルの大量生産と並んで世界王者の価値を貶めています。安易な複数階級制覇のキャリアの中で、Undisputed Championになることは箔を付けることにつながります。

明日のカネロはもちろん、井上尚弥もそうです。

大きな試合に不可欠のビッグネームがそもそもいない、さらに殿堂クラスの実力を持つボクサーが少ない、つまり「誰に勝ったのか」を追求しにくい軽量級でUndisputed Championにこだわるのは、ある意味で当然です。

そして、現在のスターボクサーはUndisputed Championを箔、キャリアのアクセント記念碑ととらえています。記念碑を建てたら、また上の階級を目指します。

つまり、タイトルはすぐ分裂状態に戻るのです。

承認団体からすると完全統一戦は大きな興行になることから実入りも増えます。Undisputed Championにその座を粛々と年2回ペースで守られると、承認団体にとって危機的な状況ですがそうはならないのです。

WBSSに端を発したクルーザー級のように、このScrap&Buildが短いスパンで繰り返されることは、承認団体にとって悪いことではありません。

Undisputed Championの誕生にとって大きな障害の一つであった承認団体の姿勢は、明らかに軟化しています。

4−Belt Era(4団体・同一団体王座濫造時代)にあって、完全統一路線が比較的容易に整備されつつあるのは、このような背景からです。

4−Belt Eraで誕生したUndisputed Championとその階級はミドル級(バーナード・ホプキンス→ジャーメイン・テイラー)、ジュニアウェルター級(2005年:テレンス・クロフォード/2021年:ジョシュ・テイラー)、クルーザー級(2018年:オレクサンダー・ウシク)、ライト級(2020年:テオフィモ・ロペス=WBCのフランチャイズを正統タイトルと認めるなら)の6人、4階級。

残りの13階級のうち、フライ級、バンタム級、フェザー級、ウェルター級、ライトヘビー級、ヘビー級のオリジナル8に数えられた6階級は、4−Belt EraでUndisputed Championを生み出せていないだけで、それ以前の時代でUndisputed Championを擁していました。

また、オリジナル8には入らないジュニアライト級と、ジュニアミドル級の3階級も1団体時代に存在していましたからUndisputed Championを抱えていました。

ジュニアバンタム級はWBA王者の渡辺二郎が1984年7月にWBC王者パヤオ・プーンタラトとの統一戦に勝利、WBAのタイトル剥奪は「試合終了=勝敗が決してから」という変則の形であったことから「瞬間的にUndisputed Champion」でした。

Undisputed Champion of The World!「議論する余地のないチャンピオン!」 のコールを聞いたことがない、という点ではそうですが…。

この1984年4月にIBFが初代王者決定戦を行い新垣諭が王者に就いていますが、この時点のIBFを主要団体に数えるのは無理があります。

最後に残された4階級が、歴史上一度もUndisputed Championが存在した経験を持ちません。

それがストロー級とジュニアフライ級、ジュニアフェザー級、スーパーミドル級です。

この4階級で複数団体のベルトを保持するのは、スーパーミドル級のカネロ(WBA/WBC/IBF)と、ジュニアフェザー級のムロジョン・アフマダリエフ(WBA/IBF)。

ジュニアフェザー級は今月27日にWBCのブランドン・フィゲロアとWBOのスティーブン・フルトンの団体統一戦が行われますから、Undisputed Champion誕生の期待が膨らんでいます。

4団体が完全分裂状態のジュニアフライ級はリング誌とWBAの京口紘人、寺地拳四朗を大番狂わせで下したWBCの矢吹正道と日本人がベルトを保持。マッチルームが統一路線に興味を示しており、今後面白い展開が期待できそうです。 

同じく完全分裂のストロー級は、統一の機運がまだ盛り上がっていません。
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SATURDAY, JULY 17

San Antonio, Texas (Showtime) 

12 rounds – junior middleweights 
(for Charlo’s Ring/IBF/WBA/WBC and Castano’s WBO title)

ジュニアミドル級のストラップが全てステイクされた大一番。

オッズはチャーロが4/11(1.36倍)、カスターニョ21/10(3.1倍)。

オッズや両者の戦力分析からカスターニョにもチャンスがあると思うのですが、専門家予想はジャーメル勝利に一気に傾いています。

年齢は31歳で同じですが、キャリアはジャーメル35戦(34勝18KO1敗)、カスターニョ18戦(17勝12KO無敗1分)とテキサスのIron Manが約2倍。 

何よりも、対戦相手の質が違います。このあたりがジャーメル有利の根拠です。 

ジャーメルの身長180㎝/リーチ185㎝ に対して、カスターニョは身長・リーチともに171㎝と体格差は明白。

第1ラウンド。互いに左リードを伸ばし合う偵察戦から、アルゼンチン人がプレッシャーをかけてジャーメルがロープを背負う。10−9でカスターニョ。

第2ラウンドはカスターニョの攻勢にジャーメルが左フックで迎撃、一気にラッシュ。決定的な場面はなかったものの、ジャーメルのラウンド。

第3ラウンド、ロープ際の攻防でカスターニョの左がジャーメルの顎を直撃。ロープに腰掛けるようにジャーメルがダウン寸前。カスターニョのラウンド。

第4ラウンド。チャーロの警戒心が上がる。カスターニョがロープ伝いにジャーメルを追う。この回もカスターニョ。

第5ラウンド。ジャーメルはロープを背負っちゃダメですが…このラウンドもカスターニョ。

第6ラウンド。下がりっぱなしのジャーメルをどう評価するか。攻勢をとるならこのラウンドもアルゼンティーナ。前半戦は59-55でカスターニョ。
 
第7ラウンドもカスターニョの攻勢が目立つ。ジャーメルは厳しい。この展開だと、スタミナも消耗します。 

第8ラウンド。カスターニョの右が良く当たります。ジャーメルは「リング中央で戦え」というコーナーの指示を最初の1分くらいしか実践できません。 

ジャーメル、倒さないと勝てません。 

第9ラウンド。同じ展開。ジャーメルはアクセルを踏み込まないと、もう後がありません。

第10ラウンド。激しい打撃戦にジャーメルが打ち勝つ。この試合で初めて攻勢を見せる。明白にジャーメル。

チャンピオンシップラウンド。 激しいパンチの交換、ジャーメルに分があります。

ラストラウンド! 難しいラウンド。個人的には116-112でカスターニョ。
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オフィシャルは… スプリット!

ジョー小泉の「スプリットデジションというアナウンスは間違い。引き分けならスプリットドローと言わなきゃ」という指摘はある意味正しく、ある意味間違い。

「スプリットデジションは決着がついた場合」というのは狭義ではその通りですが、ドローでも普通にアナウンスされます。

何よりも、リングアナウンサーがスコアを読み上げる前に「ドロー」と発したらダメです。というわけで、これはジョー小泉の間違い。

「正解」があるとしたら、スプリットデジションと言わずにスコアカードを読み上げることでした。



オフィシャルはカスターニョから見て114−113、111−117、114−114 。

まさかのドロー(試合内容はドローでも納得の範囲内です)。ジャーメルが3ラウンドしか落としてないというネルソン・バスケスのスコア117-111は、どうなんでしょうか?

Undisputed Champion誕生ならず。

ジャーメルが人気出ないのはわかります。簡単にロープに詰まる、チャンスに行けない。 

ESPNのマイク・コッピンガーは「That 117-111 score among the worst I've ever seen. I had it 117-111 for Castano(117−111は見たこともない最低のスコア、私のスコアはカスターニョの117−111だ」。


それでも、まー、緊張感のあるいい試合でした。 ジャーメル、近いうちにどっかで負けますね。
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