貴重なご意見、ありがとうございます。⬇︎

🌻片方だけが何らかの特例を与えられるのであれば重大な欠陥ルールですが、同じように前日に計量するわけですから、そこからどれだけリバウンド出来るかは純粋に個人の消化吸収能力の差になるわけで、実力の内かと思います。

そういう文脈でいえば、IBFのリバウンド制限の方が不公平といえるでしょう。持って生まれた消化吸収能力という才能を制限されてしまうわけですから。

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【私見・偏見・大暴見】どんな悪法であろうが、ルールである以上は「公平」「平等」です。「リバウンド制限の方が不公平」というご意見は、非常に新鮮で一考に値すると思いますが、ボクシングは胃腸の消化やリバウンド能力を争うスポーツではありません。

「本当の適正体重で戦う」という公正を追求するなら、試合前1時間計量が適切です。ただ「正義を貫くと死人が出る」(リング誌)から、健康重視で前日計量を導入したのです。

胃腸の消化能力やリバウンド特性は、この正義を蔑ろにした「狡猾な戦略」とも言えます。

一方で階級制が大前提のスポーツで、その公平性が著しく損なわれている現状は看過できません。その不公平の原因が「リバウンド特性です」。公平性の先には安全性もあります。

リバウンド特性を最初に享受した有名選手の一人が、アーツロ・ガッティです。〝サンダー〟ガッティは2000年2月26日、ジョーイ・ガマチェとの141ポンド契約の当日計量で160ポンドをマーク、ガマチェは145ポンド(いずれもHBOの非公式計量)でリングに上がります。

結果はガッティが一方的なKO勝ちを収めます。脳に深刻な障害を負ったガマチェはこの試合で引退を強いられてしまいます。
"He was a fighter, just doing what he's supposed to do," Gamache says of Gatti. "The commission was supposed to protect us fighters."  「ガッティは悪くない。彼はファイターとして当然のことをやったんだから。問題はニューヨークのコミッションだ。コミッションは(不公平から)ファイターを守る義務がある。」(ガマチェ)
もし、当日計量ではありえない不公平を受け入れるなら、階級制は崩壊します。

「当該選手の健康を考慮する前日計量」(17階級)と、「対戦相手の安全とスポーツの公平性を守るための当日計量」(例えばオリジナル8階級)での〝新階級システム〟を構築すべきだと思います。

18年前のこの夜なら、ガッティは「141ポンド×ミドル級」、ガマチェは「141ポンド×ウェルター級」という異なる階級になるので、本来は同じリングに上げるべきではない、という考え方です。

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マイク・タイソン!彼は貧者のドーピングも、富者のドーピングも飲み込んだスーパースターです。

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その理屈だと「貧者のドーピング」に対する何らかの措置が必要になってしまいます。

【私見・偏見・大暴見】秀逸なご意見です。実際にパッキャオが怒涛の快進撃を続けていた時に「あんな凄まじい人生を送ってきた悪魔に勝てる人間はいない」なんて言われていました。

もちろん「貧者のドーピング」は取り締まることは出来ませんし、その必要もないですね。



🌻体重、リバウンド力、環境、どれも公平性を求めます。ただしルール化するには数値化(体重、リバウンド率)できたり、見た目でわかる(ローブロー等)などが必要で、その点では環境は漠然とし過ぎてルール化できませんね。

【私見・偏見・大暴見】ド正論だと思います。「数値化」など「見える化」の作業は、ボクシングでは本当に遅れています。

フィギュアスケートが大きな改革を断行した今、ボクシングの判定基準も、最も理不尽・不条理な「見える化」出来ていない化石です。

「Aは5ラウンドを明白に取ったが、残りの7ラウンドはABどちらにでも振れるラウンドだった。結果はBが115−113で勝利。ボクシングではこういうことが起こりうるんだよ」なんて、HBOの解説ですら偉そうに語られますが、おいおい、そんな狂った採点基準は変えなきゃダメだろ、という話なのですが。

だから「カネロ判定」のような「金持ちジモハン」にも逃げ道を作ってしまうのです。



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スポーツの試合で人生を凝縮したドラマが見たいです。金持ち、貧乏人、正直物、嘘つき、人生は公平な物ではありません。 
だからドラマがあっておもしろい。 

「ルールはどこまで公正公平を追求できるのか」「反則行為に許容範囲はあるのか」。

話が長くなるテーマだと思いましたが、これは完全回答に近いと思いますね〜。

パッキャオが完全外国人でありながら米国で人気の頂点を極めることができたのは、その壮絶な人生をファンが知っていたからでしょう。

カネロについても純粋なボクサーとしてしか知識がなければ、あのサイボーグのようなゴロフキンに勇敢に立ち向かう健気な赤毛の若者だと判官贔屓していたかもしれません。