前回「大学への数学」誌の話をしてしまって、高校3年生の頃をいろいろ思い出しました。


「丹波篠山に左上弦の月。」シリーズは、高校時代に入り浸った廃屋寸前の神戸座という小さな映画館、当時は現実から逃げまくってた自己嫌悪の場所、今思い出すととんでもなく貴重で勉強していた時間でした。

米国での〝粗相〟からFBIに拘束されたこともある波瀾万丈の人生を経て、50代でそれまでの生き方と綺麗に決別した映画マニアの任侠さん。

絵に描いたような上流家庭で三流大学出身でもコネで一流総合商社に就職、そこでまさかの大出世を果たした、やはり映画マニアの絶世の美女。

IMG_4685
 ⬆︎これは横浜の有名なミニシアター。おしゃれです。


「ミニシアター」なんて呼んでしまうと、今の人は「おしゃれな場所」だと勘違いしてしまうでしょう。

「覚醒剤、やるのも売るのも買うのも、全部犯罪!」みたいな看板があちこちに立っていて、ゴミ集積所に注射器が散らばっていたり、ビジネスホテル前にパトカーや救急車が停まっているなんてこともビックリすることじゃない、上京して人に話しても「今の日本にそんなとこはない」と笑われるような周囲の空気にしっかり馴染んで存在していたのが神戸座でした。


そんな神戸座に、私が通っていたのは高校3年間。私が受験しようと思い立ったのは高2の夏頃。寂れた小さな映画館も含めて、この行き詰まった世界から脱出する口実に大学受験は絶好の通行手形になると考えました。

だから…あの場所にとどまるという選択肢は、最初からなかったのです。それでも、何かの間違いで滑り止めにもならない、予備校の報奨金目当てに受けた関西の私立大学に行かざるを得ない展開になっていたら、神戸座にも足を運んでいたはずです。

そんなアナザー・ワールドなら、神戸座の常連さんたちにも自分から声をかけて仲良くなるなんて交友もあったかもしれません。

しかし、現実はあの場所から離れてしまいました。

そして、大学時代に車で友だちと帰省したときに、神戸座があった場所に家電量販店の建物が建設されているのを目にして、あれが無くなったことに気づきました。自然と涙がこぼれてしまいました。

あのときは、好きか嫌いかと聞かれたら、嫌いな場所だったはずなのに。

高校の良くしてくれた先生から「図書室が大幅に縮小されて、お前が読んでた洋雑誌も処分される。欲しかったら取っとくぞ」と言われましたが、断ってしまいました。どうして断ったのか、今でもわかりません。

私の本性は、冷たい恩知らずなのです。

IMG_6974

前置きが長くなりました。

神戸座や図書室、居場所のなかった私の逃避の場所。そして、受験を決めてからいただいたトロフィーやメダルの類、そんなものを全部捨てて東京に行きました。

あのときは要らなかったし、なんなら忘れてしまいたいもの、思い出だったのかもしれません。


今思えば…私を形成した養分は神戸座や図書室でした。

そして、普通の高校生とつながる予備校の夏期講習や模試は、神戸座で見た映画や図書室で読んだ本のように感動することはありませんでしたが、無意味な時間ではなかったのかもしれません。

普通の高校生が読むかどうかは別にして「大学への数学」誌のヨハン・クライフが言ったのか?というような「正解でも美しくなければ評価しない」という哲学は、まさにスポーツでした。そして、自分よりも美しい答えが賞賛されているのを見ることは、スポーツの試合で負けたのと同じ感覚で悔しかったのを思い出します。

そして、無意味な時間を過ごしていた講習で、いまも名前を記憶している講師は一人もいません。もちろん、当時は覚えていたと思います。

模試だか講習の成績優秀者で表彰で、ある有名な英語講師からメダルだか賞状をもらったとき「現役生か?講習しか受けてないのか?」「面白い英文和訳だけど、これを入試でやるのは控えた方がいい」と助言され、そのあとの短い懇親の席でも世間話や「僕は学生運動の闘士だった」という話まで聞かされました。

その講師の教え方は、私が培ったタイム誌からリング誌までの英文活字丸呑みの英語力とは相容れない、唯物主義者らしい構文で英語を解釈する受験英語でした。

自分とは対極のスタイルに、青い私は「アホがおるな。お前には俺みたいな和訳はできまい。英語力も俺の方が上や」と思っても仕方がないところでしたが、私は嫌いではありませんでした。そこにはブレない信念が見えたからです。

先日、高校時代の友人たちとお酒を飲んだときに、その講師の話題が出て「最近、亡くなった」ということを知りました。

表三郎さんという人で、その酒席で名前を思い出しました。

表さんが、甲南大学という全国的には全く無名の三流大学に2浪の末に入学したということも知って驚きました。「やっぱりアホやん」ということではなく「そこからよくあれだけの受験英語の体形を作り上げたな」という尊敬でした。

あの表彰式の後でも、おそらく私に興味を持ってくれた表さんがいろいろ話しかけてくるのを真剣に聞くことなく受け流していたのは失礼だったし、後悔もしています。

やはり、あのときは「アホがおるな。お前には俺みたいな和訳はできまい。英語力も俺の方が上や」と思っていたのかもしれません。



私の本性は、冷たい恩知らずなのです。