通算10個の五輪メダルを獲得した高木美帆の国民栄誉賞が内定しています。授与式は明日、28日を最短に首相官邸で開く方向で調整中とのことです。

具志堅用高が選考からもれたのは、ボクシングは老若男女からの支持があるとはいえず「広く国民に敬愛され」ているとはいえないから…首相官邸に招かれたのは、広く国民に敬愛されているからじゃないの?。古賀政男は、具志堅よりも老若男女から支持されていたということです…。なんとでも言えますね。
さて、このブログでもたびたび取り上げて来た「国民栄誉賞」です。
この賞がニュースになるたびに議論が起きてしまうのは、その規定が非常に曖昧なためです。
内閣府の「国民栄誉賞」の説明には「この表彰は、広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったものについて、その栄誉を讃えることを目的とする」とあります。
第1回受賞者の王貞治は伝説のベーブ・ルースと、ホームラン世界記録のハンク・アーロンの数字を更新することで日本列島を熱狂させ、まさに「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったもの」に合致していました。
しかし、歴代受賞者を見ると「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績」が微妙な方も散見されます。
さらに、アスリートに贈られる国民栄誉賞について、多くの人が「パフォーマンスにおける顕著な業績」と勘違いしていることも議論の火種になっています。
「野村忠宏が受賞できないのはおかしい」というのは、この〝火種〟の典型です。
野村の場合は、人気面で田村亮子という「女子>>>男子」というスポーツ界では滅多に見られない逆転の不等式がのしかかっていました。田村は、野村との比較では明らかに「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったもの」でした。
野村が五輪3連覇した1996アトランタ、2000シドニー、2004アテネはヤワラちゃんの銀、金、金にオーバーラップします。
しかし、そのヤワラちゃんがシドニーで悲願の金メダルを獲得しながらも逃した国民栄誉賞は、信じられない視聴率を見れば明らかなように、より大きな注目を集めた高橋尚子にさらわれてしまいます。
たとえ五輪でも、同一大会で国民栄誉賞の枠は最大でも一つというUnwritten Codes(不文律)があるようです。
Qちゃん(マラソン)&ヤワラちゃん(柔道)とは逆の構図になったのが、ロスアンゼルス1984です。このとき最大の注目は瀬古利彦。しかし、瀬古は惨敗。足の怪我を乗り越えて金メダルをつかみとった山下泰裕に贈られます。
もし、瀬古が金メダルなら?あるいは高橋が負けていたら?国民栄誉賞の行方も変わっていたでしょう。
なでしこジャパンは2011年女子サッカーW杯で優勝しましたが「パフォーマンスにおける顕著な業績」とは程遠い、逆転とPK戦をくぐりぬける薄氷の栄冠でした。
なでしこジャパンが開催地ドイツに出発する空港には見送りのメディアもファンもほとんど見当たらない寂しい状況でしたから、この時点では「広く国民に敬愛され」ていたとは言えません。
その3ヶ月前、日本は未曾有の災害に襲われ、国中が沈んでいました。「こんなときにスポーツなんて」…というチーム内でもあったと伝えられる沈痛を振り切って、彼女たちは敵地に乗り込みます。
しかし、逆境を何度も乗り越える彼女たちの姿は、日本中がまさに「こんなときこそ」必要としていた光景でした。
6月27日の初戦から、決勝の7月17日までのわずか21日間で、彼女たちは間違いなく「広く国民に敬愛され」る存在に昇華していました。
そして「社会に明るい希望を与えることに顕著な業績」は文句なし、国民栄誉賞の規定を短期間でコンプリートして見せたのです。
閑散とした出発ロビーから敵地に向かったなでしこの凱旋帰国は、大熱狂で迎えられます。
第1回(1977年)の王貞治から、来年で半世紀。さまざまな価値が多様化する中で、国民的英雄など生まれるはずもない時代の色合いが濃厚になっていますが、想定外の恐るべき例外が出現しました。
大谷翔平です。「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったもの」だけでなく「パフォーマンスにおける顕著な業績」までメーターを振り切っている信じられないアスリートです。
これまでも政府から大谷に打診されたことが事実として確認されていますが、予想通りの辞退。
そして「大谷を政治利用するな」という嫌悪感が、国民の総意になっています。政府からすると「一番受け取って欲しい人」ですが、国民感情の反発を考えると「触らぬ神に祟りなし」です。

ーーー話を戻して、高木美帆は「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったもの」に十分該当するでしょう。
おめでとうございます。

具志堅用高が選考からもれたのは、ボクシングは老若男女からの支持があるとはいえず「広く国民に敬愛され」ているとはいえないから…首相官邸に招かれたのは、広く国民に敬愛されているからじゃないの?。古賀政男は、具志堅よりも老若男女から支持されていたということです…。なんとでも言えますね。
さて、このブログでもたびたび取り上げて来た「国民栄誉賞」です。
この賞がニュースになるたびに議論が起きてしまうのは、その規定が非常に曖昧なためです。
内閣府の「国民栄誉賞」の説明には「この表彰は、広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったものについて、その栄誉を讃えることを目的とする」とあります。
第1回受賞者の王貞治は伝説のベーブ・ルースと、ホームラン世界記録のハンク・アーロンの数字を更新することで日本列島を熱狂させ、まさに「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったもの」に合致していました。
しかし、歴代受賞者を見ると「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績」が微妙な方も散見されます。
さらに、アスリートに贈られる国民栄誉賞について、多くの人が「パフォーマンスにおける顕著な業績」と勘違いしていることも議論の火種になっています。
「野村忠宏が受賞できないのはおかしい」というのは、この〝火種〟の典型です。
野村の場合は、人気面で田村亮子という「女子>>>男子」というスポーツ界では滅多に見られない逆転の不等式がのしかかっていました。田村は、野村との比較では明らかに「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったもの」でした。
野村が五輪3連覇した1996アトランタ、2000シドニー、2004アテネはヤワラちゃんの銀、金、金にオーバーラップします。
しかし、そのヤワラちゃんがシドニーで悲願の金メダルを獲得しながらも逃した国民栄誉賞は、信じられない視聴率を見れば明らかなように、より大きな注目を集めた高橋尚子にさらわれてしまいます。
たとえ五輪でも、同一大会で国民栄誉賞の枠は最大でも一つというUnwritten Codes(不文律)があるようです。
Qちゃん(マラソン)&ヤワラちゃん(柔道)とは逆の構図になったのが、ロスアンゼルス1984です。このとき最大の注目は瀬古利彦。しかし、瀬古は惨敗。足の怪我を乗り越えて金メダルをつかみとった山下泰裕に贈られます。
もし、瀬古が金メダルなら?あるいは高橋が負けていたら?国民栄誉賞の行方も変わっていたでしょう。
なでしこジャパンは2011年女子サッカーW杯で優勝しましたが「パフォーマンスにおける顕著な業績」とは程遠い、逆転とPK戦をくぐりぬける薄氷の栄冠でした。
なでしこジャパンが開催地ドイツに出発する空港には見送りのメディアもファンもほとんど見当たらない寂しい状況でしたから、この時点では「広く国民に敬愛され」ていたとは言えません。
その3ヶ月前、日本は未曾有の災害に襲われ、国中が沈んでいました。「こんなときにスポーツなんて」…というチーム内でもあったと伝えられる沈痛を振り切って、彼女たちは敵地に乗り込みます。
しかし、逆境を何度も乗り越える彼女たちの姿は、日本中がまさに「こんなときこそ」必要としていた光景でした。
6月27日の初戦から、決勝の7月17日までのわずか21日間で、彼女たちは間違いなく「広く国民に敬愛され」る存在に昇華していました。
そして「社会に明るい希望を与えることに顕著な業績」は文句なし、国民栄誉賞の規定を短期間でコンプリートして見せたのです。
閑散とした出発ロビーから敵地に向かったなでしこの凱旋帰国は、大熱狂で迎えられます。
第1回(1977年)の王貞治から、来年で半世紀。さまざまな価値が多様化する中で、国民的英雄など生まれるはずもない時代の色合いが濃厚になっていますが、想定外の恐るべき例外が出現しました。
大谷翔平です。「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったもの」だけでなく「パフォーマンスにおける顕著な業績」までメーターを振り切っている信じられないアスリートです。
これまでも政府から大谷に打診されたことが事実として確認されていますが、予想通りの辞退。
そして「大谷を政治利用するな」という嫌悪感が、国民の総意になっています。政府からすると「一番受け取って欲しい人」ですが、国民感情の反発を考えると「触らぬ神に祟りなし」です。

ーーー話を戻して、高木美帆は「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったもの」に十分該当するでしょう。
おめでとうございます。
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