映画の国際的な賞としては、3大映画祭のカンヌ、ヴェネチア、ベルリンがあります。

黒澤明はカンヌのパルム・ドールを「影武者」(1980年)、ヴェネチアの金獅子賞を「羅生門」(1951年)、銀獅子賞を「七人の侍」(1954年)、ベルリンの銀熊賞を「隠し砦の三悪人」(1959年)で受賞。

米国の国内アワードに過ぎないアカデミー賞は世界的に最も大きな注目度を集めていますが、その選考条件は「米国で制作され1年以内にロサンゼルス地区で上映された作品(2021年から地域を拡大・ネット配信作品も対象に)」。つまり、外国で制作された作品は対象外になります。

外国映画の最高の賞は「アカデミー 国際映画賞」。

この前身が1955年までの「名誉賞」で、黒澤は「羅生門」(1951年)、ソ連作品として「デルス・ウザーラ」(1975年)で受賞。

さらに、「隠し砦の三悪人」「七人の侍」にインスパイアされてジョージ・ルーカスが制作した「スターウォーズ」、ルーカスとスティーブン・スピルバーグ、フランシスコ・フォード・コッポラら米国映画界の巨人たちが「クロサワは映画の師匠」と公言。

黒沢の名声は欧州と米国で万全のものとなります。

米国と欧州だけが世界ではありませんし、実際に黒沢はアジアはもちろん、ソ連(ロシア)やキューバなど東側の国々でも高く評価され続けてきました。

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一方で、ファイティング原田。マイナー競技のボクシングでもさらにマイナーなジャンルである軽量級であることが、特に米国と欧州、つまり日本が仰ぎ見る〝世界〟ではカジュアルなボクシングファンは見向きもしなかったという悲劇があります。

ヘビー級の人気者、モハメド・アリやマイク・タイソンは東京でも大きなビジネスになりましたが、いまなお日本限定の人気者、井上尚弥はラスベガスでは商売が成立しないのが現実です。

一方で、ビセンテ・サルディバルを大番狂せでストップした柴田国明への尊敬からメキシコで「シバタ」、フィリピンで手足の長いボクサーに「イオカ(一翔ではなく弘樹の方)」と渾名をつけ、アルゼンチン人のセルヒオ・マルチネスが「テレビのボクシング番組で見ていた」と辰吉丈一郎のスタイルをよく知っていたように、軽量級がさかんな発展途上国での日本人の存在感は小さくありませんでした。

それが何を意味するかというと、映画にはハイウッドやカンヌ、ヴェネチア、ベルリン、野球には米国MLB、サッカーには欧州トップリーグが世界最高峰として聳えていますが、ボクシング軽量級の最高峰は日本の選手や関係者が「あって欲しい」と願う米国や欧州の大都市圏には存在しないという、悲しい事実です。

もし、原田がヘビー級で大番狂せを2度も起こした相手がジョフレではなくて、モハメド・アリだったなら?

井上信者の「もう日本では見られない」という妄言が現実となっていたでしょう。そして、クロサワのように世界中を震撼させたはずです。

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大阪は鯨料理を食べさせる店が多い、スーパーでも安く買えるのが素晴らしい。(本文とは関係ありません)