力道山がハワイでプロレスラーになるために厳しい修行をしていた1952年、ボクシングというリアルのリングで日本人のUndisputed champion が誕生しました。

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偉大な白井義男です。 

テレビ視聴率が100%に迫ったというのは、当時のチャンネル数が少なかったせいもありますが、後楽園球場や大阪球場で何度も戦ったという事実からは、白井の人気がどれほどのものだったのかを容易に想像させてくれます。

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白井は地球上で8人しか存在しかない世界チャンピオンの一人だったのです。

しかし、世界的には今以上にヘビー級への人気が集中していた時代。

地球儀の上での白井は極東の島国で熱狂的に愛された国民的英雄でしたが、その枠を突き破る存在ではありませんでした(とはいえ、島国からその枠を突き破るなど不可能です)。



◾️Cace②野茂英雄

アメリカにその名を轟かすには、アメリカで暴れなければならない。

それはゴジラでも、生身の人間でも全く同じことです。

王貞治は756号のホームラン世界記録を打ち立て、日本中を熱狂させましたが、アメリカにその名が轟くことはありませんでした。

王と同じ時期にリングの上で大活躍した具志堅用高も、当時ではウィルフレド・ゴメスの連続防衛記録を追いかけてる〝世界の具志堅〟でした。

しかし、8人しかいなかったはずの世界チャンピオンは26人にまで膨れ上がり、ジュニアフライ級というクラスからも、具志堅がアメリカで興味を持たれることはありませんでした。



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1995年、日本スポーツ界に燦然と輝く偉大な冒険野郎が太平洋を渡りました。

日本プロ野球はNo.1の人気スポーツの座を不動のものにしていましたが、そこに来る外国人選手はMLBで使い物にならなくなったポンコツか、MLBに上がることも出来ないプレイヤーでした。

そんな彼らでも日本では圧倒的なパワーと技量を見せつけ、大暴れするのです。

日本のスポーツファンは、野茂英雄が「怪物ランドに乗り込んだ」ことに戦慄したのです。

そこにあったのは大きな期待と興奮だけではありませんでした。

遡ることちょうど10年、1985年にやはり野茂が太平洋を渡ったときよりも10歳年上、36歳の江夏豊がメジャーリーグに挑戦しました。

江夏がマイナーリーグのサバイバルレースに生き残って行く姿に、僕らは誰もが熱くなりました。

僕らが熱くなったのは、失礼ながら36歳の江夏がメジャーで大活躍する未来にワクワクしたのではありません。

〝元〟日本最高の投手が最後の死に場所にメジャーを選んだ、その凄まじいプライドに感動したからでした。  

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しかし。

まだ26歳の野茂英雄の場合は違いました。

全盛期の日本最高の投手がメジャーに乗り込む…それは、日本のプロ野球ファンが最後通告を聞くことになるかもしれないという、恐怖でもありました。

もしも、あの野茂が通用しなければ、日本人は誰も通用しない…そんな現実は見たくない、だったらむしろ野茂だけは行かないで欲しい。

他の投手がメッタ打ちにあっても「日本には野茂がいるんだぜ」と強がれますが、野茂が全く通用しないなんてことになったら、そんな最後の言い訳すら踏みつぶされてしまうのですから。

古田敦也は「アマチュア時代に野茂を全く打てなかった打者がメジャーで大活躍してる。普通に通用する」と断言してくれても、やはり恐怖は拭えませんでした。

もちろん、野茂は死に場所を探していたのではなく、どこでこの花を咲かせたろか、と腕を撫していのでしょうが。

「絶対に無理」という悲観的なファン、広岡達郎に代表される「通用するわけがない。泣いて帰ってきたときに、日本の球団は野茂を受け入れてはいけない」という多数派の予想は、気持ち良く簡単にひっくり返されました。

野茂は米国でNOMOマニア、日本でトルネード旋風を巻き起こしました。

野茂は、勇気一つで空を飛びきったイカロスでした。

そこには、今では当たり前のNPBでは想像も出来ない高額の契約への驚きや羨望はありませんでした。

それどころか、野茂は近鉄時代の1億4000万円の年俸から、わずか10万ドル(当時のレートで980万円)で太平洋を渡ったのでした。



日本のトップ、特に投手はMLBでも十分通用する。

野茂が切り拓いた道を、後輩たちが高額契約で迎えられるーーー現代まで続く億万長者街道を、野茂はたったの10万ドルで切り開いたのでした。



〝野茂〟から一年前の1994年にはJリーグのスーパースター三浦知良が、当時世界最高峰のリーグだったセリエAに移籍、サッカーでも日本人が世界の最高峰を意識するようになりました。

野茂が怪物たちと互角以上に戦う中で、1998年には中田英寿もセリエAのペルージャへ移籍、開幕戦で2ゴールを蹴り込み、名門ユベントスのゴールネットと日本列島を揺るがしました。

「カズでも遠い」と諦めかけた世界を、中田ヒデがグッと引き寄せてくれた瞬間でした。

そして、ローマへの移籍を果たしたヒデが、地元の英雄トッティのオーバーラップの中で外国人選手の憂き目を味わうことになります。

それでも、野茂と中田は、日本人が世界のメジャースポーツで通用することを証明してくれました。


2001年にはイチローがMLBで首位打者とMVPを獲り、遂にアメリカに勝ってみせました。

しかし「象ではない蠅だ」とヒガまれたように、イチローはパワーの国をパワーでねじ伏せたわけではありませんでした。

ワールドシリーズには進出できず、同時代にバリー・ボンズがいたイチローは精密で丈夫な〝トランジスタラジオ〟でした。

松井秀喜はニューヨーク・ヤンキースという米国スポーツ界でも飛び抜けたビッグクラブをワールド・チャンピオンに導く大活躍を見せましたが、レギュラーシーズンで本塁打王を獲ったことは一度もなく、それどころかその争いに加わったことすらありませんでした。

それでも!

アメリカのナショナル・パスタイム(国民的娯楽)、そして日本人が最も愛するスポーツ、野球でイチローはリーディングヒッターに2度も輝き、松井は最高峰で最も特別なチームで最も高い場所に進出、MVPに選ばれたのです。



パワーの国をパワーでねじ伏せる。怪物ランドの怪物たちの度肝を抜く…それは「アメリカのメジャーでリアルに通用する」という宿願を遥かに超越した夢想でした。

アメリカが驚くようなロケットを作って、アメリカが想像すらできなかった遠い惑星まで飛んでゆくーーーそんなことは日本人だけでなく、地球上の誰にも不可能に思えました。



ーーーそして、ものすごく勝手な言い回しになってしまいますが、奥ゆかしく謙虚な私たち日本人はそこまで想像もしていなかったというか、もっと失礼な表現をすると、Beat USA!!!にそんな途轍もない次元まで求めていませんでした。