二つの拳、それもナックルパートだけしか攻撃が許されない偏狭極まりない格闘技、ボクシング。

18世紀後半に英国で着手されたルール整備は、現代の総合格闘技以上に自由だったボクシングの攻撃手段をどんどん制限する方向で進められました。

そして生まれたのが、異種格闘技戦の舞台では最弱であるボクシングです。

しかし、偏狭の追求は、究極の研磨を意味しています。

あまたの格闘技の中で、いいえ、あらゆるスポーツの中で、ボクシングが最もドラマティックであることはそれがテーマに作られた小説や音楽、映画などの数が圧倒的であることからも誰にでも理解できるでしょう。

そして、やはりドラマティックなことに、そんな映画などを易々と超える現実のリングがいくつも存在してきました。

もしかしたら、小説や映画にも出来ないからこそ、作家や脚本家は現実を越えることが出来ないことを承知で、このスポーツをフィクションで表現することに敢えて挑戦し続けているのかもしれません。


前置きが長くなりました。



英国ボクシングニューズ誌から40 years on, Lee Roy Murphy recalls his astonishing double-knockdown fight をご紹介。

ドラマに溢れたボクシングの世界でも Double-knockdown は滅多に見ることができませんが、日本時間の今日、ちょうど40周年を迎えるこの試合はROCKY II IN REAL LIFE として記憶され続けてきました。


Saturday 19, October 1985
  
Stade Louis II, Fontvieille, Monaco
commission:Federation Monegasque de Boxe 
promoter:Roberto Sabbatini

IBFクルーザー級12回戦


©︎リー・ロイ・マーフィー
vs
チサンダ・ムッティー



序盤から激しいパンチを交換した両者は最終回にダブルノックダウン。

まるで、ロッキー・バルボアとアポロ・クリードのように。そして、日本のボクシングファンなら竹原慎二と李成天の第8ラウンドも思い出すでしょう。


It wasn’t no damn Rocky II fight – it was real, man. We did that for real. 

あれは映画のロッキー2なんかじゃなかった、いいかい、あれは映画ではなく、現実に起きたことなんだ。〜マーフィー



マーフィーはマービン・キャメルからタイトルを奪い、ドワイト・ムハマド・カウイらクルーザー級の強豪たちと拳を交え、イベンダー・ホリフィールドともニアミス。

そして、多くのクルーザー級王者と同様に「いつかヘビー級で王者になる」ことが夢でした。

身長179㎝のマーフィーは、キャリア終盤で夢の無差別級に身を投じました。

そして、同じシカゴ出身で、同じヘビー級への夢を見ていたクルーザー級のアルフォンソ・ラトリフ(マイク・タイソンの噛ませ犬)とイリノイ州ヘビー級タイトルを争ってベルトを勝ち獲るのです。

「些細な足跡かもしれないが、ヘビー級で戦ったアリバイを作れたかな」と、マーフィーは笑ってみせました。


オリバー・マッコールと互角以上のスパーリングを展開、レノックス・ルイスの練習パートナーもつとめたマーフィーは、アマチュア時代に遡ると幻のモスクワ五輪代表でした。

Even today, when I go out, when I get on the bus and folks recognise me, which they do from time to time, that’s the fight they want to ask me about. 


時代が少しだけ違えば…地上波生放送されていた当時、五輪でメダルを獲っていたなら、プロキャリアは全く違った環境でのスタートとなっていたはずです。

「五輪ボイコットがなかったらもっと有名になっていたかって?それは違うと思うな。ムッティーとの試合があったから、私はこうしてあなたたちメディアの取材を受けてるんだから」。

「いまでもバスに乗ったりすると、当時を知っている人からあの試合のことを聞かれることがある。五輪に出場してても、ムッティーとの試合がなければ、今でも私のことを覚えている人がどれだけいるだろうか?」。



ムッティーは1990年に38歳の若さで亡くなり、カウイも今年7月25日に72歳でこの世を去ってしまいました。

「彼らがいないのは本当に寂しい。だけど、今でも私たちの戦いを覚えてくれている人たちがいる。それはやっぱり、素晴らしいことなんだ」。



ボクシングには語り継がれるドラマが、確かにあります。