かつて、ジュニアライト級やジュニアウエルター級、ジュニアミドル級は水増し階級の一つに過ぎず、欧米ではほとんど注目されることがありませんでした。

それは日本にとって悪いことではなく、体格の良いボクサーの世界アタックへの道を広げてくれたのです。

特にジュニアミドル級は、輪島功一がUndisputed championとして切り拓き、2団体分裂後も特にWBAにおいて馴染み深いクラスであり続けできました。

WBAのストラップは輪島からホセ・デュラン、ミゲル・アンヘル・カステリーニ、エディ・ガソとリレーされて工藤政志の拳に渡ります。

レスリング出身という異色の経歴を持つ工藤が4度目の防衛戦で迎えたのは世界選手権ライトウエルター級金メダリストのアユブ・カルレ。

1979年10月24日、故郷の秋田県立体育館。不利の予想通りに15ラウンド、ボクシングのレッスンを受けることになり、王座陥落。

しかし、工藤は「カルレと戦えて光栄だった」と清々しく勝者を讃えました。

カルレは確かな技術をベースにした堅実なボクシングて勝利を重ね、5度目の防衛戦へ。



なんと、工藤がリスペクトしてやまなかった王者カルレが圧倒的不利の予想を立てられてしまいます。

それもそのはず、その挑戦者はシュガー・レイ・レナード。

トーマス・ハーンズとの大一番を控えたスーパースターが調整試合に選んだのが、カルレでした。

試合はレナードが手こずりながらも、9ラウンドでウガンダ人を仕留めます。

ウエルター級とジュニアミドル級の2階級制覇を達成したレナードですが、カルレが安定王者に君臨する水増し階級には用はないとばかりにタイトルを返上。

〝レナードの後釜〟として空位のWBAジュニアミドル級を争ったのが三原正とロッキー・フラットでした。

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1981年11月7日、ニューヨーク州ロチェスターのWar Memorial Auditoriumで快挙が達成されます。

「三原正がニューヨーク・ロチェスターでロッキー・フラットを判定で破ってWBAジュにミドル級王者に」。

海外でのタイトル奪取は三原が史上5人目、のべ6人目でした。

私がボクシングに興味を持ったばかりの頃、高校の図書室でリング誌を貪り読む前の中学校時代。三原の快挙は新聞のスポーツ欄で知った記憶があります。

ニューヨーク、ロチェスター、ロッキー・フラット…目に飛び込んできた全てのカタカナがカッコ良く見えました。

その当時は分かりませんでしたが、この試合を裁いた主審は、なんとなんとアーサー・マーカンテ。

高校に入ってリング誌を好きなだけ読める環境が整うと、バックナンバーでロッキー・フラットがRocky Flat ではなくFratto であったことが判明。全く意味もなく拍子抜けしたのを覚えています。

三原は初防衛戦でデイビー・ムーアに全くいいところなく6ラウンドKO負け、東京でタイトルを手放してしまいます。

それでも、復帰戦から連勝街道に乗った三原に、WBCジュニアミドル級王者トーマス・ハーンズへの挑戦試合が内定しますが、持病の腰痛のため引退。

ーーー工藤が子供扱いされたカルレがレナードの調整試合…三原を破壊したムーアがロベルト・デュランにタコ殴りされてKO負け…中量級の頂点がどれほど高いのか、それを考えると、日本のボクシングファンはため息をつくしかありませんでした。


【三原正のニューヨーク州ロチェスター】

・価値 ★★★★★
・衝撃度 ★★★★★



ーーーと、こんな感じで独断と偏見で、時系列を無視して敵地に乗り込む麗しきファイターを紹介してゆきます。

ご紹介させていただくのは「広く敵地で番狂せを起こしたファイターですが「敵地でタイトル奪取」したのべ6人は以下の通り。当然、この方々はふれないわけにはいきません。

①西城正三
②柴田国明
③柴田国明
④大熊正二
⑤上原康恒
⑥三原正