国を背負って戦うとき、アスリートが特別な重圧を背負うのは当たり前だ。

そのどうしようもなく、悲しくなるほど大きくて重い期待を一身に背負うアスリートが、ときとして現れる。




◾️1984年のロスアンゼルス。

当時、日本列島は今では考えられないほどのマラソン人気に沸いていた。

フランク・ショーターやビル・ロジャース、ワルデマル・チェルピンスキー、ジュマ・イカンガー、ロバート・ド・キャステラ、アルベルト・サラザールらは、マイク・トラウトやアーロン・ジャッジよりもスポーツファンに知られたトップアスリートの名前だった。

当時、日本から見る景色で最も近くて最も輝いていた「世界」はマラソンだった時代。

日本スポーツ史上、最も大きな期待をかけられた瀬古利彦は最後の力を振り絞ってゴールすると、ロサンゼルス・スタジアムの曇り空を茫然と見上げた。




◾️1994年のリレハンメル。

平成の日の丸飛行隊は優勝候補の筆頭だった。その通りにシナリオは進み、最終ジャンパーが飛ぶ前に2位とは大差がついていた。

嘘みたいな失速ジャンプだった。

両手で顔を覆ってその場に崩れたままのビッグジャンパーに仲間たちが駆け寄って、抱き起こした。ようやく見えた男の顔は、きっと号泣していると思ったら、笑っていた。

4年後に、リレハンメルがまるでドラマの演出だったかのような大ジャンプで金メダルの立役者となったが、そのときは最終ジャンパーの名前を祈るように絞り出し嗚咽していた。

彼は、どれほどの重圧と戦っていたのだろうか。




◾️1996年のアトランタ。

試合後の記者会見場は屋内のはずなのに、彼女の前髪は、風に揺れていた。

窓が開いて風が抜けているのか、空調の風なのかはわからなかったが、彼女にだけ柔らかい風が吹いているようだった。

試合終了のブザーが鳴ると、アトランタに敷かれた畳の上に座り込んだまま、彼女はしばらく動けなかった。

「世界で2番目です。胸を張って日本に帰って来て、美しいメダルを見せて下さい」。そんな言葉は、1億2000万人の誰も口に出来なかった。

それほどまでに、田村亮子は強かったのだ。





◾️2004年のアテネ。

多くのブックメーカーの金メダル予想は「日本が獲れるのは一つだけ」だった。

戦前予想は芳しくなかった…というよりもそのたった一つの金メダルは、世界中の誰の目から見ても鉄板だったのだ。

賭け屋の見る目の無さを笑うように、田村亮子や室伏広治、野口みずきらが、なんと16個もの金メダルを五輪発祥の地で奪い獲ってみせた。

そして、賭け屋の予想が当たっていたなら、日本は17個の金メダルを獲っていたはずだったのに。賭け屋の大馬鹿者どもの予想は、何一つ当たらなかったのだ。

ーーーあの井上康生が背負い投げで沈められ、敗者復活戦でも大内刈りを返されて一本負けしたその光景は、誰も信じられなかった。


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パリの天空に大放物線を描いた彼女の槍は、東京で力無く落ちた。

チケットの売れ方を見れば一目瞭然、この大会は世界女王の凱旋だった。

笑顔の内側にどれほどの重圧が沈澱していたことか。

世界最高峰の舞台…五輪や世界陸上、ダイアモンドリーグ…そのセンターポールに日の丸を何度も掲揚してくれた英雄が、世界でやってのけたことを日本でも見せてくれるはずだと日本中が待ち焦がれていた。

しかし、直前の国際大会を見ても女王が本調子でないのは明らかで、それよりもなによりも、世界最強の右腕は深刻な故障を抱えていた。

怪我を治すために大会をパスするーーーそんな選択肢は最初からなかった。

それでも、彼女は助走路に立った。その時点で、彼女は敗者ではない。

彼女が現役のうちに、東京で大きな世界大会が開催されることはないだろう。

それでも、ゆっくり怪我を治して彼女が戻ってきたら、私たちはまた、彼女が世界中の空に描く大きな放物線を見上げているはずだ。

「外弁慶な女やなあ」と、少し笑いながら。