
右投げ左打ちですが、右でも左でもありません。
なぜか右翼や左翼のお友だちは何人かいますが、右でも左でもありません。

人の生き方なんて、生まれてから死ぬまで、それこそ何通りもある。
例えば、私でも諦めずに一生懸命練習していたら、プロ野球選手になれたかもしれない。
中学3年、名門校から声がかかったが、その条件はセレクションの中でも一番下の待遇だった。
私は「よし、這い上がってやる!」と奮い立つ代わりに「俺の評価はこんなに低いのか」とひねくれた。
両親から立派な体に産んでもらい、何不自由なく野球に打ち込めたのに、負け犬根性のカタマリだった。
野球部の顧問の先生には一度も褒められたことがなかったが、私をものすごく評価してくれているのはわかっていた。
そんな人が頭を下げて私を売り込んでくれた名門校を蹴って、近所の公立高校に進んだ。
そのとき、私は心の奥底で「これで厳しい練習から解放される」とほくそ笑んでいたような気がする。
そんなヤツがプロ野球選手になれるわけがない。
学校に馴染めず「自分は社会に居場所がない」と思っていた高校時代。
野球は好きだったから続けていたが、学校はとにかく嫌いでサボりがち。
ほとんどの先生からはバイキンかゴミを見るような目で見られた。
ところが、数は少ないものの、3年間、3人の担当をはじめ一握りの先生は私を妙に目にかけてくれた。
進級するには成績はもちろん、出席日数が全く足りなかったはずなのに、それを大目に見てくれた。
卒業式のとき「あー!手のかかるヤツやった!」と笑ってくれて「まさか大学に行ってまうとは思わんかったな」と、少し残念なトーンで言われた。
私も大学に行く気なんてなかった。授業に出ないで本を読んだり、映画を見たりしていたが、映写技師になりたいなと漠然と思っていた。
行きつけの古くて小さな映画館で、いつも話しかけてきたモギリのおばちゃんに「映写技師になるにはどうしたらいい?」みたいなことを聞いたことがあった。
おばちゃんは「やめとき、やめとき。儲からへんの、わかってるやん」と、とりつくしまもなかった。
確かに、学割の回数券だと8回入場て1000円、その1枚でオールナイト5本立ても観れた。
次に映画館に行くと、モギリのおばちゃんは60年配(高校生の人の年齢を見る目は不正確だから、本当はもっと若い人だったかもしれない)の映写技師の男性を呼んで会わせてくれた。
映画館で時々会う常連の綺麗なお姉さんは「私、しばらく地球を離れるから、期限が切れてしまうねん、もらってね」と回数券の余りをくれた。
そう、あのとき確かに「地球を離れる」と言った、ちょっと面白いお姉さんも、私は何歳なのかわからなかったが、彼女は何度も瓶コーラをおごってくれた。
あんなに優してくれる人たちに囲まれていたのに、私は何の挨拶もせずに地元を離れた。
いつも大切な人を裏切ってしまった。
つづく。
コメント
コメント一覧 (1)
ニューシネマパラダイスみたいな味わい深い青春ですね~👽
フシ穴の眼
が
しました