Praying into my fists

ボクシングファンならハリウッドと聞いて真っ先に思いつくのは、華やかな映画スタジオではなく、汗臭いワイルド・カード・ボクシング・クラブだろう。
そして、ちょっと熱心なボクシングファンなら、すぐ近くにあるショッピングモールにナット・タイ・フードというタイ料理のレストランのこともよく知っているはずだ。
そこで待っていると、練習を終えた彼らのアイドルが大勢の仲間を引き連れて食事に現れることを知っているからだ。
生きる伝説は食事を待つ間、気さくにサインや会話に応じてくれる。
そして、ときには集まったファンの分まで会計を済ませてくれることまであった。
Praying into my fists

しかし、大勢のファンが楽しみにしていたそんな習慣はもう、4年も途絶えていた。
46歳にもなった伝説が、4年もの長きブランクを経てリングに戻るーーーそれがどういうことなのか、ボクシングファンである彼らが一番よく知っていた。
メディアの批判的な報道に異論も反論もなかったが、彼らはまたこの店に、性懲りも無く集まっていた。
ある者はサイン用の台紙を持って、ある者はやはりサイン用のボクシンググローブを持って、あるいはある者はその両方やポスターや、ゴーストライターが書いたかもしれない彼の著作も抱えて。
Praying into my fists

米国のボクシングファンである彼らにとって、アジアは暗黒エリア、軽量級は誰からも意識されない関心を持たれない空気のような階級だったが、四半世紀も前からのボクシングファンにとって、マニー・パッキャオは無視できない存在だった。
マルコ・アントニオ・バレラ、エリック・モラレス、ファン・マヌエル・マルケスは軽量級にも関わらず、西海岸のボクシングファンはよく知っていた。
「もう22年も前の話だ」。
誰かがシンハーの瓶ビールをラッパ飲みしながら、2003年11月15日のアラモ・ドームの話を大声で始めていた。
軽量級では考えられない人気を集めていたマルコ・アントニオ・バレラにとって、無名のフィリピン人は踏み石、ステッピング・ストーンに過ぎなかった。
要は噛ませ犬だった。
Praying into my fists

初回にダウンしたパッキャオは、主審に抗議の視線を送ったが、360度完全アウエーの大観衆は「まだ倒れるな、早すぎる。もう少し頑張れ」と嘲笑った。
あのナジーム・ハメドすら飲み込んだバレラのオーラに全く無名のフィリピン人が耐えられるわけがない、そう考えたメキシコのファンたちは何も間違ってはいなかった。
HBOのボクシング番組 World Championship Boxing の解説者も「ゴールデンボーイ・プロモーションズと大型契約した初戦、ボーナスファイトだ」と楽勝ムードだったのだから。
しかし、インタバルにダウンシーンのスロービデオがオーロラビジョンに映し出されると、会場に少しだけ気まずい空気が流れた。
パッキャオはバレラに足をかけられて倒れたのであって、ダウンではなかったのだ。
「ダウンかどうかは重要ではない。どうせバレラがKOするんだから。ただ、強く抗議しなかったパッキャオの潔さには申し訳ない気分になった」。
「パッキャオにとっては初回のダウン、いきなり8-10のビハインドを背負うことになったが、コーナーでの表情は冷静に見えた」。
「フレディ・ローチの言葉に、パッキャオはうんうんと頷いていた。ローチは『見ろよ、こんなアウエーは私でも見たことがない、ここまで来るともはや壮観だな。どうせ判定では勝てないんだから、ダウンは気にするな』、そんなことを言ってたんじゃないか?」。
「ローチとパッキャオはあのバレラを相手に堂々と戦って勝った。彼らは完全アウエーの異様な雰囲気に『すぐにロッカールームで着替えて裏口から逃げるぞ』と焦ってたようだが、俺たちは卑怯者じゃない」。
花道を慌てて引き上げるパッキャオには罵声も浴びせられたが、拍手も聞こえていた。
「初回のダウンは間違いだった!すまなかった!」という、メキシカンにしては珍しい(失礼)謝罪の声もあがっていた。
バレラよりもメキシカンらしく戦い抜いたフィリピン人に、たったの1試合でも彼らは強烈なシンパシーを覚えていたのだ。
これまでにも、パッキャオはメキシコ人と戦ってきたが、アントニオ・マルコ・バレラはそれほどまでに特別だった。
Praying into my fists


メキセキューショナー(メキシコ人死刑執行人)。そんな渾名を持ったパッキャオにも関わらず、彼が訪れるとメキシコシティは地鳴りのような大歓声で迎える。
敵地どころか、凱旋と表現すべきほどの狂騒だ。
常識的には間違った表現だが、パッキャオのメキシコ凱旋と言い切って差し支えはない。
パッキャオ本人は自らをメキセキューショナーと呼ぶことは一度もなかったことを、メキシコ人たちがみんな知っていたからだけではない。
メキシコのボクシングファンにとって、圧倒的不利といわれた冒険マッチをメキシカンスタイルで勝ち抜いたパッキャオは、賞賛の対象にしかならないのだ。
我らがヒーローを倒した、憎いはずのファイターを大歓声で受け入れるメキシコのボクシングファン。
日本のボクシングファンに、彼らほどのボクシング愛があるだろうか?

ボクシングファンならハリウッドと聞いて真っ先に思いつくのは、華やかな映画スタジオではなく、汗臭いワイルド・カード・ボクシング・クラブだろう。
そして、ちょっと熱心なボクシングファンなら、すぐ近くにあるショッピングモールにナット・タイ・フードというタイ料理のレストランのこともよく知っているはずだ。
そこで待っていると、練習を終えた彼らのアイドルが大勢の仲間を引き連れて食事に現れることを知っているからだ。
生きる伝説は食事を待つ間、気さくにサインや会話に応じてくれる。
そして、ときには集まったファンの分まで会計を済ませてくれることまであった。
Praying into my fists

しかし、大勢のファンが楽しみにしていたそんな習慣はもう、4年も途絶えていた。
46歳にもなった伝説が、4年もの長きブランクを経てリングに戻るーーーそれがどういうことなのか、ボクシングファンである彼らが一番よく知っていた。
メディアの批判的な報道に異論も反論もなかったが、彼らはまたこの店に、性懲りも無く集まっていた。
ある者はサイン用の台紙を持って、ある者はやはりサイン用のボクシンググローブを持って、あるいはある者はその両方やポスターや、ゴーストライターが書いたかもしれない彼の著作も抱えて。
Praying into my fists

米国のボクシングファンである彼らにとって、アジアは暗黒エリア、軽量級は誰からも意識されない関心を持たれない空気のような階級だったが、四半世紀も前からのボクシングファンにとって、マニー・パッキャオは無視できない存在だった。
マルコ・アントニオ・バレラ、エリック・モラレス、ファン・マヌエル・マルケスは軽量級にも関わらず、西海岸のボクシングファンはよく知っていた。
「もう22年も前の話だ」。
誰かがシンハーの瓶ビールをラッパ飲みしながら、2003年11月15日のアラモ・ドームの話を大声で始めていた。
軽量級では考えられない人気を集めていたマルコ・アントニオ・バレラにとって、無名のフィリピン人は踏み石、ステッピング・ストーンに過ぎなかった。
要は噛ませ犬だった。
Praying into my fists

初回にダウンしたパッキャオは、主審に抗議の視線を送ったが、360度完全アウエーの大観衆は「まだ倒れるな、早すぎる。もう少し頑張れ」と嘲笑った。
あのナジーム・ハメドすら飲み込んだバレラのオーラに全く無名のフィリピン人が耐えられるわけがない、そう考えたメキシコのファンたちは何も間違ってはいなかった。
HBOのボクシング番組 World Championship Boxing の解説者も「ゴールデンボーイ・プロモーションズと大型契約した初戦、ボーナスファイトだ」と楽勝ムードだったのだから。
しかし、インタバルにダウンシーンのスロービデオがオーロラビジョンに映し出されると、会場に少しだけ気まずい空気が流れた。
パッキャオはバレラに足をかけられて倒れたのであって、ダウンではなかったのだ。
「ダウンかどうかは重要ではない。どうせバレラがKOするんだから。ただ、強く抗議しなかったパッキャオの潔さには申し訳ない気分になった」。
「パッキャオにとっては初回のダウン、いきなり8-10のビハインドを背負うことになったが、コーナーでの表情は冷静に見えた」。
「フレディ・ローチの言葉に、パッキャオはうんうんと頷いていた。ローチは『見ろよ、こんなアウエーは私でも見たことがない、ここまで来るともはや壮観だな。どうせ判定では勝てないんだから、ダウンは気にするな』、そんなことを言ってたんじゃないか?」。
「ローチとパッキャオはあのバレラを相手に堂々と戦って勝った。彼らは完全アウエーの異様な雰囲気に『すぐにロッカールームで着替えて裏口から逃げるぞ』と焦ってたようだが、俺たちは卑怯者じゃない」。
花道を慌てて引き上げるパッキャオには罵声も浴びせられたが、拍手も聞こえていた。
「初回のダウンは間違いだった!すまなかった!」という、メキシカンにしては珍しい(失礼)謝罪の声もあがっていた。
バレラよりもメキシカンらしく戦い抜いたフィリピン人に、たったの1試合でも彼らは強烈なシンパシーを覚えていたのだ。
これまでにも、パッキャオはメキシコ人と戦ってきたが、アントニオ・マルコ・バレラはそれほどまでに特別だった。
Praying into my fists


メキセキューショナー(メキシコ人死刑執行人)。そんな渾名を持ったパッキャオにも関わらず、彼が訪れるとメキシコシティは地鳴りのような大歓声で迎える。
敵地どころか、凱旋と表現すべきほどの狂騒だ。
常識的には間違った表現だが、パッキャオのメキシコ凱旋と言い切って差し支えはない。
パッキャオ本人は自らをメキセキューショナーと呼ぶことは一度もなかったことを、メキシコ人たちがみんな知っていたからだけではない。
メキシコのボクシングファンにとって、圧倒的不利といわれた冒険マッチをメキシカンスタイルで勝ち抜いたパッキャオは、賞賛の対象にしかならないのだ。
我らがヒーローを倒した、憎いはずのファイターを大歓声で受け入れるメキシコのボクシングファン。
日本のボクシングファンに、彼らほどのボクシング愛があるだろうか?
コメント
コメント一覧 (2)
何人者の人気バケモン選手との
何度との激戦。
周りが認めるしかないとこまで
敵地での闘った者しか与えられない
評価。
フシ穴の眼
が
しました
何人者の人気バケモン選手との
何度との激戦。
周りが認めるしかないとこまで
敵地での闘った者しか与えられない
評価。
フシ穴の眼
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