私が海外のボクシングに興味を持った1980年代。

それまでのボクシングシーンに「人気階級」という認識はありませんでした。

なぜなら、ヘビー級だけが特別な人気階級だったからです。

もちろん、人気階級と呼べるのはヘビー級だけでも「不人気階級」は存在しました。

欧米での関心が一気に下がるジュニアライト級以下、つまりライト(軽量)級未満のゾーンと、1970年代で定着したジュニアミドル級を最重量とする「水増し階級」です。

私が米国ボクシングに引き寄せられた時期は、モハメド・アリという巨星がリングを去り、米国ボクシングが支柱を見失ったときでした。

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全米地上波で生中継された1976年のモントリオール五輪で一般のスポーツファンにも名前が知られたシュガー・レイ・レナードは「アリの後継者」と期待される声も確かにありましたが、それ以上に「(ヘビー級ではない)レナードは小さすぎる」という否定論の方が根強かった印象があります。

後世から振り返ると、レナードは米国スポーツを代表するアイコンだったアリの領域に踏み込むことが出来なかったという点では、否定論は正しかったと言えます。

しかし、、レナード(たち)が収めた成功は否定論者の想定をはるかに上回るものであったという点で、期待論者の見方が正しかったと言えるでしょう。

絶対正義のヘビー級からいかに注目をそらせるか、その詭弁であり小道具の一つがPFPのランキング化でした。

1980年からリング誌が毎年発表していたBEST FIGHTER POLLではロベルト・デュラン、トーマス・ハーンズ、シュガー・レイ・レナード、マービン・ハグラーが〝ハイレベルな〟タライ回し。

ウエルター級やミドル級がヘビー級に並ぶ、あるいは凌ぐ人気階級になる資格を有していることを世の中に発信しました。


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デュランはもちろん、レナードやハーンズの世界タイトル初戴冠を画像や活字で事後認知した私にとってドナルド〝ローンスター・コブラ〟は、世界戦線に躍り出た頃から日本の専門誌とリング誌、スポーツイラストレイテッド誌の三段構えで知ることが出来た近未来のスーパースターでした。

その物語は、当時の米国ボクシングの中核で、圧倒的な強さを見せていたハグラーを倒すことで完結する、世代交代のドラマになると期待されていましたが…