世界的な統括団体が存在せず、ローカル・コミッションと怪しさ満点の認定団体が蠢くプロボクシングの世界。

勝ち続ければ、より強い相手が待ち構えている、というスポーツの当たり前が全く通用しない世界であることは、井上尚弥の対戦相手を見ればよくわかります。

どうしてこんな狂ったシステムが出来上がってしまったのか?

Make boxing a sport again!


英国ボクシングニューズ誌の「The History Of Boxing」をベースに考察してゆきます。

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ボクシングの「形」を近代ボクシングから遡ると、1743年、英国でジャック・ブロートンによって制定された公式ルール〝ブロートン・ルール〟に行き着きます。

それ以前の「ボクシング」は、レスリングなどのちに他の格闘技に枝分かれする技術も包括された原始的なもので、公式ルールや統一ルールの概念はありませんでした。

まだ、ベアナックルの時代でしたが、マフラーと呼ばれるグローブの原型が実験的に導入されるなど、近代ボクシングの息吹きが芽生えていました。

人類の進化で例えると「原人」のステージでしょうか。

ボクシングを「形」にしようという動きは、この競技を護身術として認めていた英国貴族によって支持されます。

そして、1867年にクイーンズベリー・ルールが制定され、本格的な近代ボクシングの幕開けを迎えます。

ホモ・サピエンスの誕生です。

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「グローブ着用」だけでなく「3分1ラウンド/インタバル1分」「ダウンから10秒以内に立たないとKO負け」「ダウンを奪った選手は自陣のコーナー(現在はニュートラルコーナー)に下がらなければならない」…現代にそのまま残るルールが随所に見られます。


しかし、ボクシングファンなら誰でも知っているグローブ着用を義務付けたクイーンズベリー・ルールはすぐに定着したわけではありません。

当時のボクシングは貴族も積極的に関わっていたとはいえ、懸賞金(ファイトマネー)は観衆から集める賭け金と、貴族だけでなく資産家や富裕な商人などがパトロンとなって提供していました。

マッチメイクが決まり、懸賞金が集まるとこれを管理するコミッションのような組織が生まれます。

19世紀の後半には1人の興行主(プロモーター)と、一つの組織が試合を主催する形が出来上がりました。

1887年にはペリカン・クラブ、1891年には現在の英国ボクシング管理委員会の前身であるナショナル・スポーティング・クラブ(NSC)が誕生します。

NSCは吉本興業のNew Star Creationではありません、念のため。


ベアナックルの試合を中心に主催していたペリカン・クラブは1892年、わずか5年でNSCに飲み込まれるようにして消滅してしまいますが、このユニークな名前を持つ統括組織はボクシングの大衆化に大きな役割を果たしました。