全米ボクシング記者協会が選んだ2024年の Fighter of the Year(年間最高選手賞=Sugar Ray Robinson Award)に選ばれたのは、オレクサンデル・ウシク。
日本からは中谷潤人もノミネート、昨年の井上尚弥に続く「2年連続日本人」の快挙とはなりませんでした。
もし、バンタム級の中谷が獲っていたなら「2年連続超軽量級」、井上とノニト・ドネア(2012年)が持つジュニアフェザー級の「最軽量」を〝更新〟する史上初のオマケ付きでした。

中谷と、やはりノミネートされていたバム・ロドリゲスは今年以降でもFighter of the Yearに輝くチャンスは何度もあるでしょう。
さて、今回のテーマはFighter of the Yearでも中谷でもバムでもありません。
BWAA表彰の中でTrainer of the Year(年間最高トレーナー賞=Eddie Futch Award)に選ばれていても良い実績を積み重ねてきたロニー・シールズです。
最近では先週、デビッド・ベナビデスの軍門に降ってしまったデビッド・モレルや、エフェ・アジャグバ、少し時間を遡るとエリスランディ・ララ、ギレルモ・リゴンドー、チャーロ兄弟、バーネス・マーティロシュアン、ヘスス・チャベス、ファン・ディアス、アーツロ・ガッティ、バーノン・フォレスト、カーミット・シントロン、パーネル・ウイテカー、デビッド・トゥア、イベンダー・ホリフィールド、マイク・タイソンら錚々たるファイターたちを指導してきました。
21世紀を代表するトレーナーの1人、シールズは海外で成功したトレーナーとしては珍しい世界トップクラスの実績を持ったボクサーからの転身でした。
元世界チャンピオンのトレーナーというと、ロベルト・ガルシア(IBFフェザー級)とマーク・ブリーランド(WBAウエルター級)が真っ先に頭に浮かびますが、ゴールデングローブで何度もチャンピオンになったシールズも頂点にあと一歩と迫りました。
シールズは1958年6月6日、テキサス州ポートアーサーで生まれ育ち、そこを拠点にアマチュアの国内タイトルをコレクション。
幻となったモスクワ五輪の米国代表トーナメント・ライトウエルター級では決勝でジョニー・バンフス(のちのWBAジュニアウエルター級王者)に敗れるも241勝21敗のアマ戦績をひっさげて1980年8月にプロデビュー。
1980年代はじめという時代は、西海岸のボクシング市場が揺らいでいた時期。シュガー・レイ・レナードのような超トップを例外に、白人や黒人選手を中心としたボクシング人気に翳りが見え「メキシコの時代」も夜明け前。
メキシコとは縁もゆかりもないフロイド・メイウェザーがメキシコの祭日週間や記念日にソンブレロをかぶって試合リングに上がり、スペイン語も話せないのにメキシコ系だと主張するボクサーが溢れている現代では信じられないかもしれませんが、当時はメキシカンが敬遠される傾向もあったのです。
観客はすでにメキシコ人が主流になっていましたが「(選手は)残念ながら人気の薄い軽量級にタレントが集中」(ボクシングマガジン1986年11月号)していたために、プロモーターも積極的に売り出すことができませんでした。
レナードのような金看板もなく、地味なアマチュアスタイルのままリングに上がり続けたアフリカ系アメリカ人のシールズに人気が集まるわけがありません。
北米ジュニアウエルター級タイトルを争ってブルース・カリーに惜敗、相性的に有利と見られていた世界初挑戦(WBC王者ビル・コステロ戦)は3度のダウンを奪われた末に判定負け。
1986年5月に再び挑んだ北米ジュニアウエルター級のタイトル戦(王者決定戦)でも、身長160㎝のフランキー・ウォーレンのプレッシャーに距離を潰されて大差判定負け。
アマチュアでもプロでも、とにかく大事な試合を落としてしまうボクサー、それがロニー・シールズでした。

2階指定席C:5000円〜1階特別リングサイド:50,000円。
ウォーレン戦で〝醜態〟をさらしてしまったシールズでしたが、12月2日にWBCジュニアウエルター級王者・浜田剛史とのタイトルマッチがセットされます。
帝拳や日本のメディアは「ランキング1位のロドルフォ〝ガトー〟ゴンサレスが浜田との対戦を逃げて挑戦者選びが難航」と喧伝し、オファーを受け入れた勇気ある挑戦者がシールズだったという、今でもよく聞くストーリーを作ります。
当時のWBCランキングは1位:ゴンサレス、2位:レネ・アルレドンド(7月24日に浜田に失神KO負け)、3位:ウォーレン、4位:安京徳、5位:シールズ、6位:ウーゴ・エルナンデス、7位:バディ・マクガート、8位:ロニー・スミス、9位:テリー・マーシュ、10位:ジョー・マンリー。
プレッシャーファイターに弱いことが直近の試合でも明らかになった非力で勝負弱いシールズは、浜田にとってまさに安全保障書付き。冴えわたる帝拳セレクションです。
試合当日までにランキングがなぜか4位に上がったシールズは大健闘、12ラウンド36分間をコントロールしたように見えましたが、攻勢を評価した2人のジャッジが浜田を支持、琉球のサムライは2−1で初防衛に成功します。
当時は「(常に攻め続けた)プロが(小手先のテクニックでかわす)アマチュアに勝った」という見方でしたが、今ならシールズのジャブで血まみれにされた浜田の明白な判定負けでしょう。
シールズは派手に抗議するわけでもなく、悲しそうな顔で呆然と立ち尽くすだけでした。
その後、3試合を戦いシールズは引退。
アマチュア時代に習得した高度なボクシング技術と、プロで経験した〝あと一歩〟。そして、どんな不条理に直面しても冷静を保てる俯瞰のバランス感覚。
トレーナーとしての技量が卓越したものであるのは、キューバのエリートアマがシールズのもとへ〝参拝〟していることからも明らかです。
そして、プロで辛酸を舐めた〝あと一歩〟を、どこまでも突き抜けるようなファイターをいつか必ず育て上げるでしょう。
日本からは中谷潤人もノミネート、昨年の井上尚弥に続く「2年連続日本人」の快挙とはなりませんでした。
もし、バンタム級の中谷が獲っていたなら「2年連続超軽量級」、井上とノニト・ドネア(2012年)が持つジュニアフェザー級の「最軽量」を〝更新〟する史上初のオマケ付きでした。

中谷と、やはりノミネートされていたバム・ロドリゲスは今年以降でもFighter of the Yearに輝くチャンスは何度もあるでしょう。
さて、今回のテーマはFighter of the Yearでも中谷でもバムでもありません。
BWAA表彰の中でTrainer of the Year(年間最高トレーナー賞=Eddie Futch Award)に選ばれていても良い実績を積み重ねてきたロニー・シールズです。
最近では先週、デビッド・ベナビデスの軍門に降ってしまったデビッド・モレルや、エフェ・アジャグバ、少し時間を遡るとエリスランディ・ララ、ギレルモ・リゴンドー、チャーロ兄弟、バーネス・マーティロシュアン、ヘスス・チャベス、ファン・ディアス、アーツロ・ガッティ、バーノン・フォレスト、カーミット・シントロン、パーネル・ウイテカー、デビッド・トゥア、イベンダー・ホリフィールド、マイク・タイソンら錚々たるファイターたちを指導してきました。
21世紀を代表するトレーナーの1人、シールズは海外で成功したトレーナーとしては珍しい世界トップクラスの実績を持ったボクサーからの転身でした。
元世界チャンピオンのトレーナーというと、ロベルト・ガルシア(IBFフェザー級)とマーク・ブリーランド(WBAウエルター級)が真っ先に頭に浮かびますが、ゴールデングローブで何度もチャンピオンになったシールズも頂点にあと一歩と迫りました。
シールズは1958年6月6日、テキサス州ポートアーサーで生まれ育ち、そこを拠点にアマチュアの国内タイトルをコレクション。
幻となったモスクワ五輪の米国代表トーナメント・ライトウエルター級では決勝でジョニー・バンフス(のちのWBAジュニアウエルター級王者)に敗れるも241勝21敗のアマ戦績をひっさげて1980年8月にプロデビュー。
1980年代はじめという時代は、西海岸のボクシング市場が揺らいでいた時期。シュガー・レイ・レナードのような超トップを例外に、白人や黒人選手を中心としたボクシング人気に翳りが見え「メキシコの時代」も夜明け前。
メキシコとは縁もゆかりもないフロイド・メイウェザーがメキシコの祭日週間や記念日にソンブレロをかぶって試合リングに上がり、スペイン語も話せないのにメキシコ系だと主張するボクサーが溢れている現代では信じられないかもしれませんが、当時はメキシカンが敬遠される傾向もあったのです。
観客はすでにメキシコ人が主流になっていましたが「(選手は)残念ながら人気の薄い軽量級にタレントが集中」(ボクシングマガジン1986年11月号)していたために、プロモーターも積極的に売り出すことができませんでした。
レナードのような金看板もなく、地味なアマチュアスタイルのままリングに上がり続けたアフリカ系アメリカ人のシールズに人気が集まるわけがありません。
北米ジュニアウエルター級タイトルを争ってブルース・カリーに惜敗、相性的に有利と見られていた世界初挑戦(WBC王者ビル・コステロ戦)は3度のダウンを奪われた末に判定負け。
1986年5月に再び挑んだ北米ジュニアウエルター級のタイトル戦(王者決定戦)でも、身長160㎝のフランキー・ウォーレンのプレッシャーに距離を潰されて大差判定負け。
アマチュアでもプロでも、とにかく大事な試合を落としてしまうボクサー、それがロニー・シールズでした。

2階指定席C:5000円〜1階特別リングサイド:50,000円。
ウォーレン戦で〝醜態〟をさらしてしまったシールズでしたが、12月2日にWBCジュニアウエルター級王者・浜田剛史とのタイトルマッチがセットされます。
帝拳や日本のメディアは「ランキング1位のロドルフォ〝ガトー〟ゴンサレスが浜田との対戦を逃げて挑戦者選びが難航」と喧伝し、オファーを受け入れた勇気ある挑戦者がシールズだったという、今でもよく聞くストーリーを作ります。
当時のWBCランキングは1位:ゴンサレス、2位:レネ・アルレドンド(7月24日に浜田に失神KO負け)、3位:ウォーレン、4位:安京徳、5位:シールズ、6位:ウーゴ・エルナンデス、7位:バディ・マクガート、8位:ロニー・スミス、9位:テリー・マーシュ、10位:ジョー・マンリー。
プレッシャーファイターに弱いことが直近の試合でも明らかになった非力で勝負弱いシールズは、浜田にとってまさに安全保障書付き。冴えわたる帝拳セレクションです。
試合当日までにランキングがなぜか4位に上がったシールズは大健闘、12ラウンド36分間をコントロールしたように見えましたが、攻勢を評価した2人のジャッジが浜田を支持、琉球のサムライは2−1で初防衛に成功します。
当時は「(常に攻め続けた)プロが(小手先のテクニックでかわす)アマチュアに勝った」という見方でしたが、今ならシールズのジャブで血まみれにされた浜田の明白な判定負けでしょう。
シールズは派手に抗議するわけでもなく、悲しそうな顔で呆然と立ち尽くすだけでした。
その後、3試合を戦いシールズは引退。
アマチュア時代に習得した高度なボクシング技術と、プロで経験した〝あと一歩〟。そして、どんな不条理に直面しても冷静を保てる俯瞰のバランス感覚。
トレーナーとしての技量が卓越したものであるのは、キューバのエリートアマがシールズのもとへ〝参拝〟していることからも明らかです。
そして、プロで辛酸を舐めた〝あと一歩〟を、どこまでも突き抜けるようなファイターをいつか必ず育て上げるでしょう。
コメント
コメント一覧 (1)
ルペ.サンチェス、イグナシオ.ベルスタインの
日本人キラーの選手を育てたイメージがあります。
日本では亀田パパ(笑)
エディタウンゼントは軽量級だけど
柴田、石松の星は輝く
辰吉のトレーナーのイメージがある
故 大久保氏(実質は安達氏ですか)
タレントにちかいだけで
正当な評価されないのが不憫ですね。
海外はトレーナー、血止めカットマンで生計たてているので奥深い。
できれば日本と海外の縁の下の力持ち
トレーナー、カットマン
マネジャー事情も出来るだけでかまいません
教えていただけませんか?
閲覧するファンも斬新でよろこぶかも?
シールズがここまで名トレーナーになるとは
素晴らしい。教え子はヘビー級までおよぶ
日本は遅れているのかな?
浜田剛史どの試合は、米国だったらアウトですね。
日本での帝拳主催の試合なので、
悪いけどポイントアウト方式の戦い方は
膝を痛め、血まみれになっても
あききらめず我慢して攻めつづけた
浜田剛史の
帝拳に虜こまれたジャッジには通じなかった。
フシ穴の眼
が
しました