ボクマガだけにこだわらず、紙媒体をひたすら愛でまくるこのシリーズも46回目。
適当極まる酔っ払いのカウントなので、46回ではなく、45回とか47回である可能性も大いにありますが、そんな細かいことはこの際、どーでも良いのです。
私が愛したThe Ring magazine 、10年前の2014年9月号だぜ!
表紙はカール・フロッチ。面白い試合をたくさん見せてくれる、お気に入りのスラッガーでした。英国然!(どんな〝然〟やねん?)としてて、カッコ良かった!
そして、2014年はロンドン2012とリオ2016の間の年ですが、米国ボクシングファンにとっては忘れ難き栄光のロス1984から30周年のアニバーサリーでした。
後列後ろからメルドリック・テーラー(125ポンド級・金)!マーク・ブリーランド(147ポンド級・金)!パーネル・ウイテカー(132ポンド級・金)!イベンダー・ホリフィールド(178ポンド級・銅)!最前列の一人はタイレル・ビッグス(201超級・金)!
日本とは比べ物にならないほどアマチュアボクシングへの思い入れが強い米国で、自国開催のLA1984の代表チームは、現在から懐かしむと二つの意味でドリーム・チームでした。
一つは、金メダルラッシュに沸いた最強チームであったこと。
二つ目は米国人登場の決勝戦が地上波生中継された当時は遠い昔、ボクシングはアマチュアもプロもすっかり没落してしまい、4年後のLA2028ではボクシングはもう誰も見ない(地上波生中継はとっくの昔に終了)、そして金メダルなど誰も獲れない儚い夢であるということで。
ちなみにこのとき、米国代表チームが勝ち獲った金メダルは、前述の4人だけでなくポール・ゴンザレス(106ポンド級)、スティーブ・マッコーリー(112ポンド級)、ジェリー・ペイジ(132ポンド級)、フランキー・テイト(156ポンド級)、ヘンリー・ティルマン(201ポンド級)の5人も加えてなんと9個!
バージル・ヒルも165ポンドで銀メダル。
東側諸国のボイコットはありましたが、メダルを逃したのは119ポンド級に出場したロバート・シャノンだけという凄まじい強さでした。
そして…。
ウクライナの首都キーウの市庁舎前で大きな右拳を挙げている逞しい巨人はビタリ・クリチコです。
10年前、すでに親露派勢力が台頭、不穏な空気が漂っていましたが、まさかこんな泥沼戦争にはまりこんでしまうとは。
…The Ring magazine。こいつを毎月読むのを楽しみにしていた人生が、2022年で終わってしまったわけです。
リング誌なんて全くの赤の他人、アメリカの超ドマイナー雑誌ですが、ときどきすごく面白い記事もあって、こいつがポストに入ってるのを見つけたとき、私は特別な幸福感にじんわりと浸かるのでした。
数々のスキャンダルに塗れ、初めて出会った1980年代初め頃からすでに販売不振と経営難とボクシング人気低迷に喘ぎまくり、1989年には1年間の休刊に追い込まれた、出来の悪い売れない雑誌。
そんな雑誌を「権威ある」.とか「世界で最も歴史のある」とか、親心に満ちた私などからすると「うちの子は確かに出来の悪い、きっともうすぐ廃刊になるダメ雑誌や。それをバカにしとんのか?!」と反射的に憤ってしまうのです。
「親心」といえば、高校時代の三者面談。
神妙な表情の私たち母子に担任は、私が提出した進路希望の書類を眺めながら「第一志望がマサチューセッツ工科大学で第二志望が東大医学部、第三志望が北京大学医学部か。おもろいこと書きよんな」(もちろんふざけて書いたのですが)と笑うと、母親は「東大って何ゆうてるの?あんたなんてどこの大学にも行かれへんでしょ!先生、すみません、この子は昔からホンマにアホで」と、消え入りそうな声で謝るのでした。
そして、先生が「いやいや、コイツが東大医学部受かっても全く驚かないし、マサチューセッツ工科大学に行ったって『まあ、せやろな』ってなりますね」と言うと、母親がワナワナと急に激昂して大声で先生を怒鳴りつけました。
「この子はホンマにアホやけど、私の子供や!面と向かってバカにすな!!あんたも教師のハシクレとちゃうんか!!!」。
母親は私の頭をバシッと叩くと「帰るで!」と席を立ちました。
教室を出る私たち母子の背中に先生は「お母さん、誤解させてたらすみません、でも僕、本気の本気で言ってます」と声をあげましたが、母親の耳には届きません。
出来の悪い子どもを馬鹿にされたと思った親…「リング誌は権威がある」とか書かれた記事を目にすると、「権威があったら販売不振で廃刊にならんわ!」「権威があって記事が優れてたら The Athletic みたいにニューヨークタイムズとかが超高額で買収してくれるわ!」と、私はたちまち機嫌が悪くなってしまうのでした。
そういえば、1989年の休刊時は「売値150万ドルでも買い手がなかった」と報じられた記事を読んで、悲しかったなぁ。
適当極まる酔っ払いのカウントなので、46回ではなく、45回とか47回である可能性も大いにありますが、そんな細かいことはこの際、どーでも良いのです。
私が愛したThe Ring magazine 、10年前の2014年9月号だぜ!
表紙はカール・フロッチ。面白い試合をたくさん見せてくれる、お気に入りのスラッガーでした。英国然!(どんな〝然〟やねん?)としてて、カッコ良かった!
そして、2014年はロンドン2012とリオ2016の間の年ですが、米国ボクシングファンにとっては忘れ難き栄光のロス1984から30周年のアニバーサリーでした。
後列後ろからメルドリック・テーラー(125ポンド級・金)!マーク・ブリーランド(147ポンド級・金)!パーネル・ウイテカー(132ポンド級・金)!イベンダー・ホリフィールド(178ポンド級・銅)!最前列の一人はタイレル・ビッグス(201超級・金)!
日本とは比べ物にならないほどアマチュアボクシングへの思い入れが強い米国で、自国開催のLA1984の代表チームは、現在から懐かしむと二つの意味でドリーム・チームでした。
一つは、金メダルラッシュに沸いた最強チームであったこと。
二つ目は米国人登場の決勝戦が地上波生中継された当時は遠い昔、ボクシングはアマチュアもプロもすっかり没落してしまい、4年後のLA2028ではボクシングはもう誰も見ない(地上波生中継はとっくの昔に終了)、そして金メダルなど誰も獲れない儚い夢であるということで。
ちなみにこのとき、米国代表チームが勝ち獲った金メダルは、前述の4人だけでなくポール・ゴンザレス(106ポンド級)、スティーブ・マッコーリー(112ポンド級)、ジェリー・ペイジ(132ポンド級)、フランキー・テイト(156ポンド級)、ヘンリー・ティルマン(201ポンド級)の5人も加えてなんと9個!
バージル・ヒルも165ポンドで銀メダル。
東側諸国のボイコットはありましたが、メダルを逃したのは119ポンド級に出場したロバート・シャノンだけという凄まじい強さでした。
そして…。
ウクライナの首都キーウの市庁舎前で大きな右拳を挙げている逞しい巨人はビタリ・クリチコです。
10年前、すでに親露派勢力が台頭、不穏な空気が漂っていましたが、まさかこんな泥沼戦争にはまりこんでしまうとは。
…The Ring magazine。こいつを毎月読むのを楽しみにしていた人生が、2022年で終わってしまったわけです。
リング誌なんて全くの赤の他人、アメリカの超ドマイナー雑誌ですが、ときどきすごく面白い記事もあって、こいつがポストに入ってるのを見つけたとき、私は特別な幸福感にじんわりと浸かるのでした。
数々のスキャンダルに塗れ、初めて出会った1980年代初め頃からすでに販売不振と経営難とボクシング人気低迷に喘ぎまくり、1989年には1年間の休刊に追い込まれた、出来の悪い売れない雑誌。
そんな雑誌を「権威ある」.とか「世界で最も歴史のある」とか、親心に満ちた私などからすると「うちの子は確かに出来の悪い、きっともうすぐ廃刊になるダメ雑誌や。それをバカにしとんのか?!」と反射的に憤ってしまうのです。
「親心」といえば、高校時代の三者面談。
神妙な表情の私たち母子に担任は、私が提出した進路希望の書類を眺めながら「第一志望がマサチューセッツ工科大学で第二志望が東大医学部、第三志望が北京大学医学部か。おもろいこと書きよんな」(もちろんふざけて書いたのですが)と笑うと、母親は「東大って何ゆうてるの?あんたなんてどこの大学にも行かれへんでしょ!先生、すみません、この子は昔からホンマにアホで」と、消え入りそうな声で謝るのでした。
そして、先生が「いやいや、コイツが東大医学部受かっても全く驚かないし、マサチューセッツ工科大学に行ったって『まあ、せやろな』ってなりますね」と言うと、母親がワナワナと急に激昂して大声で先生を怒鳴りつけました。
「この子はホンマにアホやけど、私の子供や!面と向かってバカにすな!!あんたも教師のハシクレとちゃうんか!!!」。
母親は私の頭をバシッと叩くと「帰るで!」と席を立ちました。
教室を出る私たち母子の背中に先生は「お母さん、誤解させてたらすみません、でも僕、本気の本気で言ってます」と声をあげましたが、母親の耳には届きません。
出来の悪い子どもを馬鹿にされたと思った親…「リング誌は権威がある」とか書かれた記事を目にすると、「権威があったら販売不振で廃刊にならんわ!」「権威があって記事が優れてたら The Athletic みたいにニューヨークタイムズとかが超高額で買収してくれるわ!」と、私はたちまち機嫌が悪くなってしまうのでした。
そういえば、1989年の休刊時は「売値150万ドルでも買い手がなかった」と報じられた記事を読んで、悲しかったなぁ。
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