ファイティング原田の1965年と、井上尚弥の2024年。

この59年でプロボクシングを取り巻く環境は激変しました。

選手の安全、健康のための取り組みが進んだ良い面もありますが、ほぼ全ての変化は悪い方に流れ込んでしまい続けています。

世界タイトルの価値はもはや比較するべきでないレベルで、現代の王者たちが可哀想で不憫です。

かつて地球上に8人しかいなかった世界王者は、今や専門家でも何人いるかを把握している人はいない時代になってしまい、その価値は完全に瓦解してしまっています。


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原田の時代も10階級時代、当時のメディアからも「階級を増やすことは王者の価値を貶めるだけ」と警鐘が鳴らされていましたが、階級だけでなくまさか認定団体まで増殖する異常事態に突入するとは…。

白井義男の時代の8階級から、10階級の原田。しかし、原田の時代は〝オリジナル8のまま〟だったことも見過ごせません。

つまり8から10に増えたのはジュニアライト級とジュニアウエルター級の二つ。

フライ級、バンタム級、フェザー級の3階級は水増しされず、オリジナル8のままだったのです。そして、いうまでもなくNBAの1団体。そのランキングも現在のデタラメランキングと比べるとはるかに清冽なものでした。

さらに、社会的ステイタスも世界王者でなかった矢尾板貞雄が「ボクシングというジャンルを超えて日本中に知られた存在だった」(前田衷)のです。

メジャーリーグも欧州サッカーリーグも夢ですらなかった時代に、世界が見える唯一のプロスポーツがボクシングだったのです。

そこに横たわっているのは、現代のプロボクサーには全く責任のない時代の悲哀、不運です。


「1965」と「2024」を語るとき、これが野球やサッカーなら全く真逆の構図で語られるというのに。

「1965」に野球でも世界最高峰への道が整備されていたなら、王貞治はそこを目指したでしょう。

王どころか、もし清原和博や桑田真澄が野茂英雄のあとに生まれていたなら、彼らは読売という矮小なチームに執着することなく、当たり前に友情を育み、健全なライバル関係を築き上げることができたでしょう。

そして、彼らが大谷翔平のあとに生まれていたなら桑田はもちろん、清原も二刀流を目指していたのかもしれません。

彼らはパイオニアではなく、先人の足跡をなぞり、既成概念の中で先人に追いつき追い越そうとするフォロワーでした。

そして、現在のプロボクシング界にはまだ既成概念を変換させるパイオニアは生まれていません。

井上尚弥も井岡一翔も中谷潤人も寺地拳四朗も、先人の作った道を走り、その道をさらに延長させようとしているフォロワーの域を出ません。

もし、この広義の意味で王貞治と大谷翔平を比較したなら、王はユニコーンの後塵を拝します。

同じように、広義の見方で原田と井上を比べるなら、井上は原田の道の途上なのか、それとも原田の到達点を超えてその道を延伸させているのかを議論するにとどまります。

原田の道とは違う道。

全く新しい道は、米欧の人気階級でスター選手を倒しまくることです。

アンソニー・ジョシュアやタイソン・フューリーを失神ノックアウトする日本人が現れたなら、全盛期のフロイド・メイウェザーやマニー・パッキャオを攻め落とす日本人がいたなら…。

それなら、原田や井上と同列に語るべきではありません。



しかし、ここでは狭義のお話しで「1965の原田」と「2024の井上」を対決させるのです。

それには、まず広義をおさらいして確認する必要があると考えたので、さらに前置きが長くなりました。