君はビリー・ディブを覚えているだろうか?
ひと昔前に豪州のリングで活躍した、あのビリー〝The Kid〟ディブだ。レバノン系だが、シドニー生まれのシドニー育ちのオージー。
ひと昔前、なんて言っちゃあ怒られるな。まだ現役バリバリなんだから。
ディブは2003年のバンコク世界選手権に出場するなど、98勝15敗のアマチュアレコードを残してプロ転向。
2004年8月15日にデビュー。プロ5戦目でジュニアライト級のナショナルタイトルを獲得すると、6戦目でIBOアジア・パシフィック同級タイトルも手中に収める。
ビリーは世界タイトルの可能性をより広げるために、フェザー級にクラスを落とし、WBOアジア・パシフィックのタイトルを2階級制覇。
22歳、20戦全勝11KOと無敗のまま、2008年7月30日にゾラニ・マレイリに判定勝ち、IBOジュニアライト級王者に就いた。
そして、同年10月18日には満を持してWBOフェザー級王者スティーブ・ルエバノに挑戦、ここは0−3で判定負け、プロ初黒星を味わう。
ここから3年11試合の雌伏の間には、日本の山口賢一とも戦った。片足をリング外に踏み外した日本人にパンチをまとめる反則行為を犯しながら主審はTKOを宣告。山口陣営の抗議で無効試合に変更される、まあ言ってみればちょっとした黒歴史だ。
25歳になったビリー・ザ・キッドは2011年7月29日、IBFフェザー級王者ホルへ・ラシエルバを地元シドニーの五輪記念公園スポーツパークに引っ張り上げて3−0の判定勝ち、悲願のメジャータイトルを掴み取った。
レバノンにルーツを持つビリーだが、生まれも育ちもシドニー。オーストラリア・ボクシング界のスター選手に登り詰める。
初防衛戦では無敗のイタリア人、アルベルト・セルビデイを初回KO。
オーストラリアで戦えば無敵のビリーだったが、3度目の防衛戦は米国リングに引きずり上げられてしまう。相手は米国を主戦場とするトップランク傘下のロシア人、イブゲニー・グラドビッチ。
ビリーは持ち前のガッツで粘るも、3−0の判定負け。タイトルを手放してしまう。
それでも、メガファイトのセミファイナルという、軽量級ボクサーにとっては最高のリングがリベンジの舞台として用意される。
2013年11月24日、マカオはベネチアンリゾート・コタイアリーナ。なんと、メインはマニー・パッキャオ(vsブランドン・リオス)だ。
しかし、グラドビッチに削られたビリーは9ラウンドでキャリア初のTKO負け。
まだ28歳とはいえ、40試合近くも激闘を積み重ねてきたオージーに地元メディアは引退を薦めたが、あの男はそんなことを素直に聞くファイターじゃあない。
ジュニアライト級に戻して3連勝、タイが好き勝手にしていた地域タイトルのパン・アジアを奪取すると、思わぬオファーが舞い込む。
軽量級では世界的なプロモーター、日本の帝拳からのオファーだ。断る理由はどこにもない。
相手は、WBCジュニアライト級王者・三浦隆司。1歳年上の30歳だったが、強打の日本人はプライムタイム。そして、何よりも帝拳の軽量級を操るマッチメイクの妙はここでも冴え渡っていた。
「三浦の4度目の防衛戦の相手はビリー・ディブ」。
「ボンバー」と呼ばれた三浦の火力を世界に見せつけるのにディブ以上のダンスパートナーは考えられない。メディアやファンは「さすが帝拳」と唸るしかなかった。
わかりやすくいうと、世界的な知名度を持ちながら俊敏性と反射が明らかに衰えているオージーが36分間、三浦の爆撃から逃れることはほぼ不可能と思われていたのだ。
試合は帝拳の台本を上回る惨劇になる。
オープニングから2つのラウンドは上手く戦ってたんだが…第3ラウンド、ロープぎわに追い込まれたビリーは、ついにボンバーレフトを被弾。ロープにもたれて失神したところに追撃まで喰らってジ・エンド。
今度こそ引退と思われたビリーだったが、この男はどこまでも往生際が悪い。
再び連勝の波に乗ると、2018年8月3日に空位のIBFジュニアライト級のタイトルをテビン・ファーマーと争う。しかし、0−3の判定負け。
ところが翌2019年、またもやとんでもないオファーがビリーに届いた。モテモテである。
7月12日、今をときめくサウジアラビアでアミール・カーンとやはり空位のWBCインターナショナル・ウェルター級王者決定戦で拳を交えたのだ。
キャリア初のウェルター級、ディブは初回からカーンの迫力にクリンチを繰り返し、3回にボディ、4回に強烈なコンビーネーションでダウンを奪われると、コーナーからタオルが投入される。
カーンとサウジアラビア、ムスリムのビリーが選ばれたことは当然のように思えるが、そもそもの商品価値、名前ががあってこその話だ。
さて、今夜のお話の主人公、ビリー〝ザ・キッド〟ディブはサウジアラビアで大儲けしたにもかかわらず、グローブを吊さずにまだまだ戦い続ける。
2022年3月19日、36歳のディブは無敗のIBFインターナショナル/WBOアジア ライト級王者ジェイコブ・ウンに挑戦。
さすがのビリー・ザ・キッドも「この試合に負けたら引退」とロープをくぐり、大健闘するも5ラウンド終了時点で3−0でリードを許す。
身長・リーチともに181㎝の〝The Flamingo〟ウンはこの試合に勝てば、オーストラリア最大のスター、ジョージ・カンボソスとの対戦交渉が始まることになっていた。
しかし、6回、両者が揉み合うと、ウンがビリーを投げ飛ばしてしまい、まさか、まさかの失格負け。
「これでまた引退するチャンスを失ってしまった」と笑うビリーに、またまた幸運が舞い込む。
ウンに代わって、カンボソスとのスーパーファイトに挑むのだ。
2022年秋、キャンプインしたビリーは「俺を引退に追い込んでくれるのはウンではなくカンボソスだったようだが、それも違う。この試合に勝てばワシル・ロマチェンコか?ガーボンタ・デービスなんてのもいいね。オーストラリアのボクサーがPFPに入るのはジェフ・フェネック以来かな?」とノリに乗っていた。
2023年には本当にロマチェンコやタンクとラスベガスあたりでビッグファイト、そんな夢を見させてくれるかもしれない、そう思わせる男がビリーだった。
しかし…。なんてこった。
こんなことが現実にあっていいのか?
どんな逆境も乗り越えてきたビリー・ザ・キッドとはいえ、こんなタイミングで人生最強の敵が現れてしまうなんて…。
さて、いよいよ、ここからが本題だ。
何が不運で何が幸運か、それは神様にしかわからない、そういう話だ。
ひと昔前に豪州のリングで活躍した、あのビリー〝The Kid〟ディブだ。レバノン系だが、シドニー生まれのシドニー育ちのオージー。
ひと昔前、なんて言っちゃあ怒られるな。まだ現役バリバリなんだから。
ディブは2003年のバンコク世界選手権に出場するなど、98勝15敗のアマチュアレコードを残してプロ転向。
2004年8月15日にデビュー。プロ5戦目でジュニアライト級のナショナルタイトルを獲得すると、6戦目でIBOアジア・パシフィック同級タイトルも手中に収める。
ビリーは世界タイトルの可能性をより広げるために、フェザー級にクラスを落とし、WBOアジア・パシフィックのタイトルを2階級制覇。
22歳、20戦全勝11KOと無敗のまま、2008年7月30日にゾラニ・マレイリに判定勝ち、IBOジュニアライト級王者に就いた。
そして、同年10月18日には満を持してWBOフェザー級王者スティーブ・ルエバノに挑戦、ここは0−3で判定負け、プロ初黒星を味わう。
ここから3年11試合の雌伏の間には、日本の山口賢一とも戦った。片足をリング外に踏み外した日本人にパンチをまとめる反則行為を犯しながら主審はTKOを宣告。山口陣営の抗議で無効試合に変更される、まあ言ってみればちょっとした黒歴史だ。
25歳になったビリー・ザ・キッドは2011年7月29日、IBFフェザー級王者ホルへ・ラシエルバを地元シドニーの五輪記念公園スポーツパークに引っ張り上げて3−0の判定勝ち、悲願のメジャータイトルを掴み取った。
レバノンにルーツを持つビリーだが、生まれも育ちもシドニー。オーストラリア・ボクシング界のスター選手に登り詰める。
初防衛戦では無敗のイタリア人、アルベルト・セルビデイを初回KO。
オーストラリアで戦えば無敵のビリーだったが、3度目の防衛戦は米国リングに引きずり上げられてしまう。相手は米国を主戦場とするトップランク傘下のロシア人、イブゲニー・グラドビッチ。
ビリーは持ち前のガッツで粘るも、3−0の判定負け。タイトルを手放してしまう。
それでも、メガファイトのセミファイナルという、軽量級ボクサーにとっては最高のリングがリベンジの舞台として用意される。
2013年11月24日、マカオはベネチアンリゾート・コタイアリーナ。なんと、メインはマニー・パッキャオ(vsブランドン・リオス)だ。
しかし、グラドビッチに削られたビリーは9ラウンドでキャリア初のTKO負け。
まだ28歳とはいえ、40試合近くも激闘を積み重ねてきたオージーに地元メディアは引退を薦めたが、あの男はそんなことを素直に聞くファイターじゃあない。
ジュニアライト級に戻して3連勝、タイが好き勝手にしていた地域タイトルのパン・アジアを奪取すると、思わぬオファーが舞い込む。
軽量級では世界的なプロモーター、日本の帝拳からのオファーだ。断る理由はどこにもない。
相手は、WBCジュニアライト級王者・三浦隆司。1歳年上の30歳だったが、強打の日本人はプライムタイム。そして、何よりも帝拳の軽量級を操るマッチメイクの妙はここでも冴え渡っていた。
「三浦の4度目の防衛戦の相手はビリー・ディブ」。
「ボンバー」と呼ばれた三浦の火力を世界に見せつけるのにディブ以上のダンスパートナーは考えられない。メディアやファンは「さすが帝拳」と唸るしかなかった。
わかりやすくいうと、世界的な知名度を持ちながら俊敏性と反射が明らかに衰えているオージーが36分間、三浦の爆撃から逃れることはほぼ不可能と思われていたのだ。
試合は帝拳の台本を上回る惨劇になる。
オープニングから2つのラウンドは上手く戦ってたんだが…第3ラウンド、ロープぎわに追い込まれたビリーは、ついにボンバーレフトを被弾。ロープにもたれて失神したところに追撃まで喰らってジ・エンド。
今度こそ引退と思われたビリーだったが、この男はどこまでも往生際が悪い。
再び連勝の波に乗ると、2018年8月3日に空位のIBFジュニアライト級のタイトルをテビン・ファーマーと争う。しかし、0−3の判定負け。
ところが翌2019年、またもやとんでもないオファーがビリーに届いた。モテモテである。
7月12日、今をときめくサウジアラビアでアミール・カーンとやはり空位のWBCインターナショナル・ウェルター級王者決定戦で拳を交えたのだ。
キャリア初のウェルター級、ディブは初回からカーンの迫力にクリンチを繰り返し、3回にボディ、4回に強烈なコンビーネーションでダウンを奪われると、コーナーからタオルが投入される。
カーンとサウジアラビア、ムスリムのビリーが選ばれたことは当然のように思えるが、そもそもの商品価値、名前ががあってこその話だ。
さて、今夜のお話の主人公、ビリー〝ザ・キッド〟ディブはサウジアラビアで大儲けしたにもかかわらず、グローブを吊さずにまだまだ戦い続ける。
2022年3月19日、36歳のディブは無敗のIBFインターナショナル/WBOアジア ライト級王者ジェイコブ・ウンに挑戦。
さすがのビリー・ザ・キッドも「この試合に負けたら引退」とロープをくぐり、大健闘するも5ラウンド終了時点で3−0でリードを許す。
身長・リーチともに181㎝の〝The Flamingo〟ウンはこの試合に勝てば、オーストラリア最大のスター、ジョージ・カンボソスとの対戦交渉が始まることになっていた。
しかし、6回、両者が揉み合うと、ウンがビリーを投げ飛ばしてしまい、まさか、まさかの失格負け。
「これでまた引退するチャンスを失ってしまった」と笑うビリーに、またまた幸運が舞い込む。
ウンに代わって、カンボソスとのスーパーファイトに挑むのだ。
2022年秋、キャンプインしたビリーは「俺を引退に追い込んでくれるのはウンではなくカンボソスだったようだが、それも違う。この試合に勝てばワシル・ロマチェンコか?ガーボンタ・デービスなんてのもいいね。オーストラリアのボクサーがPFPに入るのはジェフ・フェネック以来かな?」とノリに乗っていた。
2023年には本当にロマチェンコやタンクとラスベガスあたりでビッグファイト、そんな夢を見させてくれるかもしれない、そう思わせる男がビリーだった。
しかし…。なんてこった。
こんなことが現実にあっていいのか?
どんな逆境も乗り越えてきたビリー・ザ・キッドとはいえ、こんなタイミングで人生最強の敵が現れてしまうなんて…。
さて、いよいよ、ここからが本題だ。
何が不運で何が幸運か、それは神様にしかわからない、そういう話だ。
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