勝利のみを唯一神と頂く敬虔な一神教の信者、馬淵史郎。

彼に監督を任せた時点で、熱狂する面白い試合は最優先どころか、放棄したということです。

勝ちに徹する、そせだけ、それ以外はない。負けていい試合など一つもない。

なんという潔い純度100%。

甲子園という高校球児にとって最大最高の祭典が終わった直後、誰も注目していない野球のU-18ワールドカップ。

普通なら抜け殻です。

「怪我だけに気をつけて、WBC戦士と同じユニフォームを着て試合が出来る喜びを全身で感じて来い」。そんな生ぬるい言葉は、勝利という絶対唯一神への冒涜でしかありません。

「こんな素晴らしい幸運は滅多にないぞ。松井秀喜との勝負を思い切り楽しんでこい。打たれて当たり前、抑えたら拍手喝采だ」。そんな青春讃歌など、邪教の囁きです。

1992年8月16日、真夏の甲子園。馬淵は社会的に抹殺されようとしていました。

それなのに、彼は何も恐れていないように見えました。

よく考えると、当たり前です。

敬虔な信者にとって、教義を貫いて抹殺されるなら、それこそが本望です。

それは殉教を意味するのですから。

日本中から凶悪犯罪者に向けられるような罵声を浴びながら、彼は教義になんの疑いも抱いてなかったはずです。

そして、馬淵を八つ裂きにしようとした氷の悪意は、歳月が溶かし、その強固な信念は尊敬の対象にまで昇華しました。


今日、馬淵史郎にまた、一つの勲章が加わりました。